おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

隅田公園。さくら。サクラ。桜。3月28日(水)午前。その2。

2018-04-03 21:34:19 | じじばばがゆく
                                 遠くには墨田区役所の庁舎。
「ヤエベニシダレ」。
 エドヒガンザクラの枝垂れるタイプで、八重咲き。

 土手側に移動します。この付近の今昔。


1880年代のようす。右上の堀割は「山谷堀」。下の流れは「北十間川」。右下が現在の隅田公園。



2010年代のようす。隅田川に架かる橋は、上から「桜橋」、「言問橋」、「東武線鉄橋」。

「言問橋」上から北側を望む。

        

南側を望む。正面は墨田区役所。

   

隅田川上流。向こうの橋は「桜橋」。

まさに桜花爛漫。

「首都高」の下。

桜並木に沿って雪洞が提げられています。

あでやかな名入り。

対岸は台東区(浅草・今戸)。

「桜橋」から上流を望む。

「桜まつり」。地元の茶店も営業中。


               昼過ぎから夜まで。

               「・・・上り下りの船人が櫂のしずくを・・・」。
  

菜の花。 

  



          「ミヤビ(雅)」。

振り返って望む。

上流。遠くの橋は「言問橋」。

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隅田公園。さくら。サクラ。桜。3月28日(水)午前。

2018-04-02 20:58:01 | じじばばがゆく
 3月28日(水)。晴れ。じじばばがそぞろ歩きの隅田公園。桜を愛でる人々。そんな隅田公園(墨田区側)を。

 
 序詞 野口雨情
                 都鳥さへ
                 夜長のころは
                 水に歌書く
                 夢も見る
  

立札
 ここに刻まれた都鳥の詩は、日本童謡民謡の先駆、巨匠野口雨情氏が、昭和8年、門下生の詩謡集の序詞執筆のため当地に来遊の折、唄われたものである。
 東京都民の心のふるさとである隅田川ぞいを飾るにふさわしい作品として、記念碑に刻し、永遠に保存する。
 昭和63年10月9日 墨田区

 何とも仰々しい「立て札」ではあります。

 ついでに台東区側の隅田公園にある歌碑、句碑。
「花」(滝廉太郎)の碑。「春のうららの隅田川・・・」

「羽子板や子はまぼろしのすみだ川 秋櫻子」水原秋櫻子の句碑。

 さて、墨田区側。
「住民が育てた墨堤の桜」。
 江戸時代、花見の名所としての地位を確立していった墨堤も、当初の墨堤の桜は水神社(現在の隅田川神社)付近を中心に植えられていました。しかし1880年代から、地元の村の融資らによって桜が植えられ、墨堤の桜が南へと延伸して行きました。
 墨堤の桜が長命寺、三囲神社と徐々に延びて、枕橋まで達したのは1880年ごろといわれています。この間は地元有志の植桜だけでなく、有志が発起人となった「桜勧進」と呼ばれる寄付が行われています。
 墨堤の桜が地元の人々に愛された桜であることが、この植桜之碑に刻まれています。

「墨堤植桜の碑」。

こちらは「平成植桜の碑」。

早咲きの「河津桜」。すでに葉桜になっています。

 隅田公園には土手に植えられた「ソメイヨシノ」の並木の他にも、単体でさまざまなサクラが植えられています。
「オオシマザクラ」。
 「長命寺の桜もち」のお店のそばにあります。
 ここは、正岡子規の仮寓の地でもあったようで、解説板があります。

 向じま 花さくころに 来る人の ひまなく物を 思ひける哉

 近代日本を代表する俳人の正岡子規は、向島周辺の景色を好み、こうした歌を数多く遺している。隅田川と墨堤の自然がよほど気に入ったのか、大学予備門の学生だった子規は、長命寺桜もち「山本や」の二階を3ヶ月ほど借り、自ら月香楼と名付けて滞在。そこで次のような句を詠んでいる。

 花の香を 若葉にこめて かぐわしき 桜の餅 家つとにせよ
 
明治28年、日本新聞社の記者として日清戦争に従軍する。その折も

 から山の 風すさふなり 古さとの 隅田の櫻 今か散るらん

 と墨堤の桜を偲んだ和歌を詠んでいる。
 子規という雅号だが、ホトトギスの意、その鳴き声は悲壮で、「鳴いて血を吐くホトトギス」などといわれ、喀血したわが身をホトトギスに喩えている。

「エドヒガン」。

「ベニユタカ」。

 「シロタエ」。 

「ヨウコウ」。

 
                        「ヤエシダレザクラ」。

「センダイヤ(仙台屋)」。
 原木は高知市内の仙台屋という店の庭にあったことから、牧野富太郎が命名した。
              
「ソトオリヒメ(衣通姫)」。
  ソメイヨシノとオオシマザクラの自然交雑で生じた。

他にもたくさんの種類のサクラ。咲き終わったのや、これからのものも。撮り損ねたのもまだまだありそう。

公園内もソメイヨシノが満開。
                     
ソメイヨシノ」。

 「ソメイヨシノ」は、江戸末期から明治初期に、江戸・染井村の造園師や植木職人達によって育成されました(ただし、「吉野」とあるが、吉野山に多い「ヤマザクラ」とは別種)。
 「ソメイヨシノ(染井吉野)」は「オオシマザクラ」と「エドヒガン」の交配によってできたかなり限られた数の原木を始源とするクローンであることが判明しています。各地にある樹はすべて人の手で接木(つぎき)挿し木などによって増やしたもので、ソメイヨシノ同士の自然交配による純粋な子孫はありません。そのため、すべての個体が同一に近い特徴を持ち、一斉に咲き、一斉に花を散らす理由になっています。よくTVで見る「桜前線」は、そうした特徴をよく表しています。
 しかし、病気や環境の変化に負ける場合には、多くの株が同じような影響を受け、植樹された時期が同時期ならば、同時期に樹勢の衰えを迎えようです。
 公園や街路樹などでソメイヨシノばかりが植えられている現状にはこれでいいのかとうなってしまいますが・・・。

     根元にも花が数輪。

「明治天皇行幸所 水戸徳川邸舊阯」の碑。

 「隅田公園」は、関東大震災後の復興計画の中で、、三大公園(あとの二つは「浜町公園」と「錦糸公園」)の一つとして計画されました。隅田公園は、隅田川の両岸にあって、徳川吉宗以来、桜の名所であった隅田川堤と旧水戸藩邸の日本庭園(墨田区側)を取り込み、和洋折衷の大規模な公園として整備されました。

  
    「ユリカモメ」が数羽、羽を休めています。

 主人公として在原業平が想定されている『伊勢物語』の「九段 東下り」に登場する「都鳥」は、ユリカモメを指しています。

 なほゆきゆきて、武蔵の国と下つ総の国との中に、いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。・・・さるをりしも、白き鳥の嘴と脚と赤き、しぎの大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡しもりに問ひければ、「これなむ都鳥。」と言ふを聞きて、『名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと』とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。

 ここでの「都鳥」は「ユリカモメ」だとされています。当時、京の都には飛来していなかった鳥のようです。
「ミヤコドリ」。(「Wikipedia」より)

                   

               

                 

「ゲンペイモモ(源平桃)」。
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梅まつり。向島百花園。その2。

2018-02-26 22:24:07 | じじばばがゆく
               梅の花にも一重や八重。また白、薄紅、淡紅、濃紫紅などいくつもの色合いがあるようです。

「墨沱梅荘記」碑。

「藤牡丹枝垂れ」。

「白滝枝垂れ」

少し大きな野鳥が飛び立ちます。

その上には月が(↓)。



                   

遠くに「スカイツリー」。

                     

 行きつ戻りつ園内を散策。芭蕉の句碑。
「こ(ん)にやくのさしみも些(すこ)しうめの花 はせを」。
 《仏前にコンニャクの刺身が少し供えられている。梅の花が咲いて春はもう近い。芭蕉》

「初雁」。

「見驚(けんきょう)」。

ふたつとも「御成座敷」入口に咲いています。



                「みつまた」。

しだいに暮れなずむ園内。



園内には終了のチャイムが聞こえはじめました。
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梅まつり。向島百花園。その1。

2018-02-24 13:43:46 | じじばばがゆく
                       益賀句碑「鳥の名の 都となりぬ 梅やしき」。

向島百花園「梅まつり~梅花彩る江戸花屋敷~」 2018/2/10(土) ~ 2018/3/4(日)

 2月23日(金)。

 冷たい雨もようやく上がった夕方前。「向島百花園」に立ち寄ってみました。4:30で入園終了(5:00閉園)。ぎりぎり間に合いました。
 いつものメンバーは体調など都合がつかず、予定は未定。せっかくのかつて「新梅屋敷」とも呼ばれた「百花園」。近くまで出かけたついでにちょっとのぞいた次第。
 「じじばばが(ひとりで)ゆく」、という趣向。雨上がりと傾いた日差しの中での散策。

 入園料:70円(65歳以上)。

向島百花園
仙台出身の骨董商、佐原鞠塢(さはらきくう)がもと「多賀屋敷」と呼ばれていた土地を入手し、1804年(文化元年)に開園した。360本もの梅の木を植えたことから当時亀戸(現・江東区)にあった「梅屋敷」に倣って「新梅屋敷」とも、「花屋敷」とも呼ばれていたが、1809年(文化6年)頃より「百花園」と呼ばれるようになった。江戸時代には文人墨客のサロンとして利用され、著名な利用者には「梅は百花にさきがけて咲く」といって「百花園」の命名者であった絵師酒井抱一や門の額を書いた狂歌師大田南畝らがいた。当初梅園として営まれたが、その後、園主や文人たちの構想で詩歌にゆかり深い草本類を多数栽培した。園内には多数の野草が植えられ、とくに秋の七草その他、秋の草花の美しさで知られた。また、池泉、園路、建物、30余基の石碑などを巧みに配した地割でも有名であった。
 その後も民営の公園としての長い歴史を経たが、明治以降、周辺地域の近代化や度重なる洪水などの被害を受け、明治末年頃よりその影響で草木に枯死するものがあり、一時は園地も荒廃したが、のちに東京市に譲渡されて1939年(昭和14年)には公営の公園として出発した。
 1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲により全焼し、それまで遺っていた往時の建物も焼失してしまい、石碑以外、樹木も含めてほとんど跡形もなくなった。戦後、跡地を少年向けの野球場にしようという声も出るなか、「百花園」として復興されることとなり、1949年(昭和24年)に再開された。
 幾度か変転を経ながらも、園内の景観は今なお旧時の趣きを保っており、文人庭の遺構としても貴重なものである。江戸時代の花園として僅かに今日に遺るものであり、その景観、遺跡ともに重要であるとして、1978年(昭和53年)10月13日、国の史跡および名勝に指定され、保護措置がとられることとなった。

                                          (以上「Wikipedia」参照)

芭蕉「春もやゝ けしきとゝのふ 月と梅」。

 満開とはいえませんが、けっこう園内にはさまざまな種類の梅が咲いています。「百花園」で準備された「梅マップ」によると、21種類の梅。去年の水戸の偕楽園や一昨年行った三浦半島の「田浦梅の里」、あるいは他の梅林に比べると、小規模ですが、そこそこ味わえます。

「紅冬至」。

「白加賀」。

園内。

                    



足元には「春の七草」が。

「御成座敷」の庭に咲く「唐梅」「白加賀」。

「唐梅」は八重。

「紅千鳥」。

                  

鶯色をした小鳥がたくさん集まっています。メジロ。(写真は「Wikipedia」より借用)  

 花の蜜を大変好むため花期に合わせて行動し、春には好物の花の蜜を求めて南から北へと移動するものもいる。特に早春はツバキや梅の花に群がる様子がよく観察され、「チー、チー」という地鳴きで鳴き交わす様子がよく観察される。花の蜜を好むことから「はなすい」、「はなつゆ」などの地方名がある。
 メジロは甘い蜜を好み、また里山や市街地でも庭木や街路樹などの花を巡って生活している。そのため昔から人々に親しまれた鳥である。現在も、切った果物や砂糖水などを庭先に吊しておくことでメジロを呼ぶことができ、野鳥観察において馴染み深い鳥の一種である。エサ場でヒヨドリがメジロを追っ払うのもよく見かける光景である。
 またメジロは比較的警戒心が緩く、頻繁に鳴き交わしつつ群れで行動するため、慣れた人だと口笛で(歯笛の感覚で吹く)仲間がいると思いこませ、群れを呼び寄せることもできたという。
 メジロとウグイスはともに春を告げる鳥として親しまれていたこともあってか、時期的・場所的に重なる両種は古くから混同されがちであった。
 メジロは梅の花蜜を好み、早春には梅の花を求めて集まってくる。また比較的警戒心が緩く、姿を観察しやすい。いっぽう、梅が咲く頃によく通る声でさえずりはじめるウグイスは警戒心がとても強く、啼き声は聞かれても姿を現すことはあまりなく薮の中から出ることは稀である。またウグイスは主に虫や木の実などを食べ、花蜜を吸うことはめったにない。
 ウグイスとメジロの混同を示すものとして「鶯色」がある。ウグイス色と言った際に、ウグイスの灰褐色(オリーブ色に近い)を想像する人もいれば、メジロの緑色に近い色を想像する人もいる。
 なお、古来より春を告げる言葉として「梅に鶯」があるが、これは梅の花に鶯の声を添えた風情を意味し、日本画で梅の枝にメジロを描くのとは意味が異なる。
      (以上、「Wikipedia」参照。)

 こうして身近にメジロを目にしたのは珍しく、「梅とウグイス」ならぬ「梅とメジロ」という趣向にしばし。
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読書「おらおらでひとりいぐも」(若竹千佐子)河出書房新社(じじばばがゆく。ランチ編。)

2017-12-20 18:52:55 | じじばばがゆく

 よっこらしょ! お疲れ様でした。

 腰の方は何とか落ち着いたわよ。病気の方も・・・。どうした、どうしたっていちいち聞かないでくれる。

 もうあっという間に年の瀬。一年経つのが早すぎるわ。

 そうね、ランチとしては今ひとつだったわね。ビュー代ということかしら。
 スカイツリーまでよく見えるし、新宿駅が目の下。御苑も手に取るようなところに。トイレからの展望が格段だったって、そうなんだ。

 あそこ。「小田急サザンセンチュリータワー」とかいうのよ、知らなかった? 20階から上がホテルになっているのよね。素敵な方とお泊りになったらいかが?

 そうそう。この間お貸しした本の感想を聞かせてほしいわ。

 なんでも河出書房の「文藝賞」というの、それを史上最年長で受賞した作品だそうだけど。

 ほら、宮沢賢治の有名な詩「永訣の朝」のトシ子さんの「Ora Orade Shitori egumo」を表題にしているのよね。

 ローマ字表記の音では「しとり」を「ひとり」、「えぐも」を「いぐも」と言い換えてあるのは、作者のそこには深い思い入れがあると思うのよ。

 賢治さんのよき理解者であった妹のトシ子さんの今わの際の言葉として受け止めるのではなくて、もちろん、本当にそう言ったかどうかは問題じゃないわ。

 主人公の桃子さんにとっては、確実に迫った「死出の旅路」を免れることはできないけれど、お迎えの、その日まで「一人で生きていく」決意が含まれているよね。

 一方で、「Ora Orade(おらおらで)」をそのまま用いているところに作者の、桃子さんへの深い思いが表現されているわよね。

 「おら」、対する「わたし」という言葉への複雑な、屈折した思いが主人公・桃子さんにも、いや作者自身にも、否応なしにあることが随所にうかがわれる。

 それが、物語の通奏低音としてしっかり位置づけられているのよね。

 それにしても、賢治の「虔十公園林」に登場する主人公・虔十(純粋な心の持ち主。でも、近所の子どもらにばかにされて笑われる存在)の、

 雨の中の青い藪を見てはよろこんで目をパチパチさせ青ぞらをどこまでも翔けて行く鷹を見付けてははねあがって手をたゝいてみんなに知らせました。

 をしっかり引用してくるところなんかは、宮沢賢治が「心象スケッチ」と称した詩(ことば)づくり、紡ぎ方にも擬えているよね。

 故郷の「八角山」を結びつきのきっかけとして、そんな宝石のような物語の主人公と結婚し、二人の子どもを育てあげる、しかし、しだいに疎遠になっていく肉親関係。特に30年以上寄り添った夫の突然の死。

 そして、今、一人住まいをする74歳の女性「桃子」。・・・

 「八角山」なんて山名じゃなくて小説ならもっとしゃれた名前にすると思うけれど、名実ともに凡庸な山だからこそ、桃子さんのかけがえのない、心のよりどころになっているのよね。

 「八海山」だと山の名前というより、お酒の銘柄になってしまうけど。

 幾重にも死者たちの声が桃子さんの耳に眼に伝わってくる、そう、宮沢賢治のあの独創的なオノマトペを彷彿される幻想・幻聴シーンなんかは、桃子さんの思いに感情移入されられてしまうわね。

 すでに夫も含め、肉親たちの亡者の仲間入りになった者同士の語りかけ、と一体化する桃子さん。

 桃子さんがソーダ水をストローでかき混ぜながら、
 
 嘆きの渦最高潮に達し、柔毛突起ども皆立ち上がり天にも届けとばかりにおめき叫べども、誰かのしわぶき、あきらめのため息をきっかけにしだいに勢い衰え、音なり静かになる。
 それとともに一斉にうごめき揺れていた柔毛突起どもの渦、しだいに右に左に揺れ別れ、三つの大きな円になって鎮まり治まる。


 という表現なんか面白いわよね。

 他者と微妙に関わりながら、それでいて振り回されず、自らの喜怒哀楽を大事にお迎えが来るその日まで、日々を暮らしていくのよね。

 孫の存在が桃子さんにとっても、読者にとっても救いとなり、ラストの「希望」につながっていくわね。

 (一人で訪ねてきた孫のさやかに人形に「新しい服を作ってやるべが」と、)

 「さやちゃん、端切れが入っているから、二階の箪笥の上の黄色い箱取ってきてくれるが」
 言うより早くさやかは駆け出していく。階段を踏みしめる軽やかな足音が耳に心地いい。
 「おばあちゃん、窓開けるね」
 「あ」
 「おばあちゃん、来て来て早く」
 「はあい」
 桃子さんは笑ったままゆっくりと立ち上がった。
 「今、行くがらまってでけで」
 「春の匂いだよ。早くってば」

 故郷の八角山への想いの中で、都会の片隅での晩年の一人住まい・・・、「癒やし」のお話になっているわ。このお話、私なんかすごく同化しちゃうわ。

 ところで、あなたにとっての「八角山」というような存在って何?

 ちょっと、もう。話を聞いてくれていたの、まったく。

 今日は、ここまでよ。あとは、またこの次。

 ではよいお年を! じゃあね。  

 そうそう、若竹さんには悪いけど、「虔十公園林」のラストを引用するわね。もしかしたら桃子さん愛用の「46億年ノート」にも通じるものがあるかも。

 (周囲が開発されていっても、虔十が植えた杉林は隣の小学校の子供たちの公園となっていました。そして、「虔十公園林」と名付けて保存されることになります。)

 全く全くこの公園林の杉の黒い立派な緑、さはやかな匂ひ、夏のすゞしい陰、月光色の芝生がこれから何千人の人たちに本当のさいはひが何だかを教へるか数へられませんでした。
 そして林は虔十が居た時の通り雨が降ってはすき徹る冷たい雫をみじかい草にポタリポタリと落とし、お日さまが輝いては新しい奇麗な空気をさはやかにはき出すのでした。

 
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「新宿御苑」菊花展、開催中。晩秋のぬくもりを求めて。

2017-11-02 20:54:25 | じじばばがゆく
 お久しぶり。4ヶ月ぶりかな。ご心配おかけしました。

 あれから色々ありまして、ご連絡もままならず、失礼しました。

 そう、我が身と家族のことで、病気の心配事が続いて、・・・。



 ま、わたしの方はやっと原因が分かったし、気長に病気とつきあうしかないかな、と。

 私の病気、遺伝的な要素もあるのかしらね。父親にもそんな感じがあったし。

 一病息災って、ありがとう。相変わらず親切ね。


 7月、8月とばたばたしているうちに、あっという間に過ぎちゃった。

 もう年だから、終活よ、終活。あなたも考えた方がいいわよ。

「大作り花壇」。
 まだ少し早かったかもね。

 でも、「too late」ってそう寂しいこと言わないでって。う~ん、それはそうだけどさ。


 こういうのは、みんな御苑の職員の方達が丹誠込めて作っているんですって。


 おしゃれなネーミングね。「堀切菖蒲園」なんかもそうだけど、世話もたいしたものよね。



                           

 天気もいいし、けっこう人も出ているわね、新宿御苑も。のんびりと散策もいいわね。

 残りの人生、じっくりじっくりやっていくしかないわよ。
ツワブキ。これもキク科の植物。

 今度の例会。そう、どうしようか迷っているんだけれど、やっぱりみんなと会いたいし。

 夜は足下がおぼつかない、って。たしかにね。大丈夫よ、まだ。

 にんじんを切ったり、白菜を切っていると、手元をえらく心配してくれているわ、家族みんな。

 でも、あんまり病人扱いはイヤですわ。

 すっかり秋、というか冬の雲らしいわね。鱗雲? 筋雲? 鰯雲?
 

            
 我が家の庭なんか、草ボウボウよ。手入れもできずに。髪の毛は何とか。


                 

 ・・・どこがですって、そういうくだらないことは、言わないの!


 大輪から小菊までまさに色とりどり。

 そうなんだ、菊の花ってお葬式を想像しっちゃて好きじゃないのか。

 
 ちょっとやせたかも。すっきりした顔になってるでしょ。よけいな憑きものがなくなったって。

 達観しはじめたのかしらね。あなたももう少し枯れた方がいいわよ、髪の毛だけじゃ無くてさ。

 どうする? 食事するなら「四谷三丁目」に知っている店があるけれど、島根の魚や地酒を飲ませてくれるところ。以前、知人が働いていたのよね。

 お店の名? 「善丸」だったかな? 前は違う名前だったようだけど。

 まだ時間があるからって、どこに行くつもりなのよ? どうせ、いつも同じパターンなんだから。

 ここで、ぼんやりするのが一番だわ、余計なこと考えないで。

 でも、人生80年、いや、90年。あと何年、元気でお会いできるかしらね。

 ユリノキ。見上げるほど、見事な大木。

 このユリノキは、明治20~30年代に日本で初めて植えられたものらしいわ。ということは、樹齢、約120年以上か。
 赤坂迎賓館から外堀通りの紀伊国坂をはじめ、都内の街路樹のユリノキは、このユリノキが母樹といえるようよ。

 120才はありえないけど、周りに迷惑を掛けない程度に元気でいたいわね、お互いに。

 少し休んでから、お店に行きましょう。ぬくもりを忘れないように。
 
菊を観る会(菊花壇展)
 毎年11月1日から15日まで、御苑内の日本庭園にて環境大臣主催で開催される。期間中は特別開館期間となり休園日もなく入園が可能。130年以上続く菊花壇展のルーツとなったのは1878年(明治11年)、皇室関係者向けの「菊花拝観」を宮内庁が主催して赤坂の仮皇居で開催。1904年(明治37年)より新宿御苑でも菊の栽培、1929年(昭和4年)から観菊会が行われた。同展示会の特色ある展示物のひとつである菊花壇「大作り花壇」とは、1884年(明治17年)より作られており、1株の菊を数百輪集めて、半円形の形状に仕上げて咲かせた技法の名称。他に回遊式の日本庭園の景観・順路に沿ってさまざまなテーマに合わせて上家(うわや)の建物内に趣向を凝らした花壇が展示されている。(以上、「Wikipedia」参照)

 11月1日(水)。晴れ。
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人生、晩年になるほど、いろいろあるのね。(じじばばがゆく。例会編。錦糸町にて。)

2017-07-05 23:13:43 | じじばばがゆく

 このあいだはお世話になりました。あっという間に日にちが過ぎちゃうわね。なんだか時間が早く過ぎていくような感じがしない、最近はますます。

 腰は痛いし、歩くのもおっくうになってきたし、って最近はそんな話ばかりで申し訳ないわね。

 でも、みんなに久々に会えるので無理して出かけたわよ。行ってよかったわ、みんな元気そうだし、あなたも元気だわね。なんでそんなに元気なのよ。
 
 土曜のお昼っていうので、けっこう混んでいたわね。品数はいっぱいあるようだけど、並んでいてなかなか取りにくいし・・・。
 テーブル席で、ちょっと話しにくいし、ちょっと今回は失敗したわね。幹事の人には申し訳ないけど。

 大人数ではない方がいいのかもよ、ああいうところは。



 90分という時間制限がちょうどいいところよね。殿方たちはけっこう飲んでいたようだけど。元は取れたのかしらね、どうだった?
  
 じゃあ、二次会で別の所に行きましょうよ、って移動したけど、なんだかんだで結局、大勢になったわね。二次会の方も。
 でも、やっと話が盛り上がって、よかったんじゃない。

 へえ、あの方、学校の栄養士だった経験を生かして、障がい児や介護老人の食事の適切な摂り方についてあちこちで話をしているんですって。

 咀嚼力。たしかにあごの働きが衰えてきている方、噛んで飲み込む力って個人差があるしね。機能が衰える中で、どうやって食の楽しみを叶えるか、与えられるかって、私達にとっても大事なことよね。

 気管に入って呼吸困難で死ぬ人も多いじゃない、誤飲性肺炎っていうの。勘三郎さんなんかもそれで命取りになったし。
食べ物の飲み込み障害の可能性って、70歳以上には急に増えてくるらしいわよ。 誤嚥や嚥下性肺炎を予防するケアってこれからは必要よね。
   
 ところで、ほら、いつもぐずぐずしているあの方も、今回は早々と出席の返事を寄こして、ちょっと遅刻したけど、やってきたわね、それもネクタイを締めて。 相変わらず、変わっているわね。

 へえ、お母様が亡くなったのか。95とかそのくらいだったはず。長い間、面倒を見てきたのよね。最後の方はおうちの近くの施設に入っていたようだけど。
 それで、なにか吹っ切れた感じがしたのね。

 お葬式は桐ケ谷の斎場だったんだって、ずいぶん遠くない? おうちの近くに斎場があるのに。
 葬儀屋さんの段取りかしら。お寺も港区の愛宕山の近くにあるんで、そのせいもあるのかしらね。

 えっ、幡ヶ谷斎場だったっけ? それじゃ、もっと遠いわよ。

 隣近所の方には知らせずに、家族だけでやったみたいね。今は、そういう「家族葬」っていうのが多いようね、特に年取った身内が亡くなると。

 まだまだ落ち着かないようだけど。少し土地持ちらしいのね、遺産相続であれこれあるようね。この前発表された「路線価」っていうの、何だかよく分からないけど、そのデータを取り寄せてとか言っていたわよ。

 めんどくさいのね。遺産の処分っていうのは。
 いずれお互いに関わってくるんだろうけど。
 
 あの、一番の大地主の、あの方は、法人化してしまったみたいね、個人が受け継ぐんじゃなくてって、どういうのかもっと分からないけど。

 あんなにおしゃべりするとは思わなかったわ、堰を切ったようにね。よほど肩の荷が下りたのかしらね。
 
 でも、なんで「豆源」を知っているのかしら、麻布十番の。理由はあいまいだし、不思議な人よね、相変わらず。 


   
OTOBOKEMAME。            EBIMAME。

HPより)

 年を取ると我が身だけではなくて、あちこち精算をしなくちゃならないことがたくさん出てきそうだわね。

 もう年なんだし、お互いにあとは自然体でいくところまでいくのが大事かもよ。

 そうね、人生、そう見捨てたものではなさそうだし、まだまだ元気でいきたいものよね。

 ところで、あなたはどう思った? あの二人? けっこうしんみりとお話してたみたいだけど。何かあったのかしら?
 ま、どうでもいいけど。

 三次会は勘弁してよ、もう限界って帰っちゃったけど、そのあとどこかへ行った?
 ま、若くないんだから飲むのもほどほどにしてよ。

 次回は、12月ね。それまでお互いに元気でいましょう。暑い夏を越してね。では、また。 
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久々の、というか今でしょ、「堀切菖蒲園」。(じじばばがゆく。散策編。)

2017-06-28 19:50:24 | じじばばがゆく

 またお会いしましたわね。ちょっと会いすぎじゃない、最近。
 えっ、土曜は無理よ、無理。ご自分のご都合通りにはいきませんわよ。


 大昔に来たことがあるかな、っていう感じ。こんな所にあったのね。駅前もずいぶん変わった、っていうか考えてみたら来たことがなかったわ。堀切には。一駅なのにね。

 暑いし、歩くのもおっくうだから、どうしようかと思ったけれど、結局、来っちゃたわよ。蓮實さんの『伯爵夫人』も返さなくちゃいけないし。
 『伯爵夫人』が人質のようなものだったわね。

 つい最近、新聞にデカデカと出たじゃない、今が見頃って写真で紹介されていたわ。大勢の人が来るんじゃない。混んでるのはイヤよ。

 改装工事中で、今だけ開園しているのか。ショウブのシーズンだけなのね、じゃ、混むのもしかたがないか。入園無料ていうのもいいわね。

 じじばばが確かに多いわね。平日の午前なんて年寄りの暇人しかいないわよ。若いサラリーマンがここで仕事中の休憩、なんてちょっとおしゃれだけど。

 でも、たいしたものね、これだけたくさん! 色とりどりですごいわね。


 広くないのが、かえっていいわね。
 でも、今日みたいな炎天下じゃなくて、やっぱり梅雨時が似合うわよね。ちょっと雨に打たれていた方が、菖蒲も。


 意外と荒川に近いのね、向こうに見えるのは「首都高」でしょ。

日陰がないのね、ここは。休むところも。

 一つ一つに名前が付いているのね、違いがわからないけど。でも、言い得て妙な雰囲気のネーミングね。けっこう凝った名前があるわね。名は体を表すって、ことなのかな。


          



 この田は一年か、ここは2年目、3年目。それ以上はなさそう。ということは3年というスパーンなのか、この花たちも。
 けっこう手入れが行き届いているわね。   



堀切菖蒲園
 東京都葛飾区堀切二丁目にある葛飾区所管の公園(植物園)。花菖蒲の名所として知られる。
 京成本線堀切菖蒲園駅の南西500mほど(徒歩約10分)の綾瀬川沿いに位置している。貴重な江戸系花菖蒲を中心に200種6000株の花菖蒲が植えられており、見ごろは、6月の中旬である。ほりきり葛飾菖蒲まつりの期間(6月初旬~20日頃)は、地元住民・商店街・行政等による運営協議会によって、パレードなどのイベントが行われる。また、公園内には食事(予約制宴会)ができる集会施設「静観亭」がある。
開園時間:9:00〜17:00 ※ 6月1日から25日までは、8:00〜18:00
料金:入園無料
休園日:12月29日から1月3日まで
駐車場:荒川河川敷にある駐車場(位置)を利用(土・日・祝日および菖蒲まつりの期間中の平日)

歴史
 始まりには二説ある。
 ①室町時代、堀切村の地頭久保寺胤夫が家臣の宮田将監に命じ、陸奥国郡山の安積沼から花菖蒲を取り寄せて栽培を始めた。
 ②江戸時代、百姓の小高伊左衛門が趣味で各地の花菖蒲を集めて庭で栽培したのが始まり。

 江戸時代には「江戸百景」に数えられ、名所案内や紀行文、鈴木春信・歌川広重の浮世絵に登場する。
戦前まで、堀切には武蔵園・吉野園・観花園・小高園・堀切園などの菖蒲園があった。
 昭和34年(1959年)堀切園を東京都が購入、東京都立堀切菖蒲園として公開。昭和50年(1975年)葛飾区に移管され、現在に至る。
                     歌川広重。

                                                    (以上、「Wkipedia」参照) 

 お昼どうする? お蕎麦屋さんか、近いの?


                      
                                           あじさいもすてきね。



 「人と木」というのも面白いネーミングね。「ひととき」でしょ。こんな住宅地にあるなんて、隠れ家的存在ね。お蕎麦が美味しいわ。これ、ゴボウの七味揚げっていうの、ピリ辛で美味しいわ。

 さてこれからどうするかって、お任せしますわ、疲れたし。それよりも『伯爵夫人』について感想会をやりましょうよ。

 6月16日(金)。晴れ。

 注:6・28現在、工事中のため閉園(2018年3月まで)。 
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文楽「加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」国立劇場。(じじばばがゆく。観劇編。)

2017-05-24 22:03:41 | じじばばがゆく

 昨日はなかなか眠れなかったわよ。

 久しぶりに会ったからじゃないわよ、誤解しないでちょうだい。

 人形が生きているみたいで、興奮して寝付かれなかったのよ。
 動きもすごいし、目が動いたり、眉毛が動いたり、口までもね。特に細かな仕草が抜群よね。懐紙を口元にとか、巻物を手に取ったりとか、・・・。

 小道具もうまくできているわよね。
 大がかりな舞台装置の中で、人形を操りながら自在に動き回るだから、すごいわね。

 生きた人間が演じているようで迫力満点。

 生まれて初めてだったけど。あら、そういうあなたも初めてだったのか。意外なのね。

 たしかにこうやって誘われなければ見ることなんかないもの。
 人形浄瑠璃って、歌舞伎なんかと違って敷居が高い感じがするから。

 けっこう着物姿の方もいるわね。年取ってきて、着物がすてきに似合うっていいわ。

 私もいちおうおめかしてきたけれど。
 失礼ね、スカートもはくことありますから。

 人形が大きいのには驚いた。あれを振り付けながら操るんだからすごいわよね。けっこう重たいでしょ。
 
 席も見やすいところで、表情もしっかり確かめられたし、うんうんうなっている声もしっかり、あら、失礼!
 一人で何役もやって、語りの部分もあったりして、強弱のメリハリをつけている。
 
 字幕が出るんでわかりやすかったわ。けっこう現代風な言い回しもあったような気が。

 それにしても人形遣いの方は、重労働ね。黒子の方も大変そう。そっちみたいにお腹がずいぶん出ている人もいたけど、あれじゃあ、ちょっと目立ちすぎね。

 だんだん顔も紅潮してきて、役柄というか人形になりきっていくのね、きっと。人形を操りながら目元なんかもしっかり演技しているものね。

 義太夫さんもだんだん熱を帯びてきて、舞台と一体となって行く感じがすごかったわ。

 あら、あの方、正座イスをさっとおしりにあてがっているわよ。正座じゃきついのかしらね、正座ができなくて・・・。上下付けて羽織袴というのも大変よね。
 そうじゃないって、その方がお腹に力が入って声が通るからなのかな。

 落語家も正座ができなくなったら高座に上がれないのかしらね。座椅子じゃみっともないし、とか。
 相撲取りがおつむが薄くなって髷が結えなくなったら、やっぱり引退かしらね。

 一般人はいいわよね、そういうことを気にしなくて。
 そう、お坊さんは大変よね、まさか正座イスに座ってお経を唱えるなんて・・・。ま、今はイス式が多いかしらね、葬祭場では。

・・・

 やっぱり幕間でおはぎを食べるって変かしらね。「おかめ」っていうお店、この近くにあるんで、買ってきたけど。ふつうのと、ごまときなこと・・・、けっこう大きくて重たいのね。

 じゃあ、これはお土産ということにして、コンビニで買ってきたサンドイッチとおにぎりで済ませましょう。

   

 さて、後半よ。

 ストーリーは大奥物語って感じかしら。意地悪な局・岩藤といじめられて自害する尾上、その召使いのお初。この3人が主人公。

 最初の「筑摩川」の段はちょっとわかりにくかったわ。真っ暗な場面で誤って主君を殺してしまった、ということなんだけれど。

 何となく「仮名手本忠臣蔵」の、ほら、有名な五段目「山崎街道」に設定は似ているわよね。それから六段目「与市兵衛内勘平腹切の場」が次の「又助住家の段」。お軽・勘平のお話とつい引き比べてしまったわね。

 岩藤と尾上との関係も「忠臣蔵」の高師直と塩冶判官との関係みたいだし。

 「草履打の段」は、春爛漫の鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮という華やかな舞台の中で、岩藤が尾上をいじめる場面、その対照がうまいわよね。

 「長局の段」では尾上がその無念さから自害してしまう。出かけたお初が烏の鳴く声や通りすがりの二人連れの会話に不吉を感じ、屋敷に戻ると、尾上はすでに事切れていたってわけね。

 でも、そこからまたまた話が展開していくのね。

 お初が見事、岩藤を討ち取って、主君の恨みを晴らす、と同時に、岩藤たちのお家乗っ取りの悪事がばれて、晴れて二代目尾上を名乗ることになって、ということで大団円。

 途中、長局の段でお初が「忠臣蔵」を引き合いに尾上の自害の決意を諫めるなんかもちょっぴりユーモアも入れたりして・・・。


 けっこう人が死んじゃう。歌舞伎なんかもけっこう簡単に死んでしまう。遺骸とか首だけが置かれているなんてよく見るけれど。

 恋の話でもだいたいが道行き、死出の旅路が多いしね。
 
 4時に始まって、はねたのが8時30分をゆうにまわっていたけど。飽きさせなかったわね。はじめは途中で眠くなるんじゃ無いかって心配したけど。

・・・

 とても貴重な機会をつくってくれて有り難う。

 そうそう、今度、甲州街道歩きの続きをやるって言っていたけど、熱中症にはくれぐれも注意してよ、年なんだから。ま、新緑の中の旧道歩きもいいと思うけどさ。

 おばばみたいに、足腰が痛くて歩くのもままならないじゃ、困るけれど。

 では、また。
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向島百花園。その4。こうして自然体で。(じじばばがゆく。散策編)

2017-05-03 19:50:31 | じじばばがゆく


    鷺流狂言師 矢田蕙哉翁 「花暮れぬ 我も帰りを 急(いそご)うずる」。

何だかんだ、けっこう歩いたわね。ちょっと休みましょう。

みつばつつじ。

        

たむけやま。



くろばなろうばい。

しゃが。





             かしわ。

さて、お腹も空いてきたわ、あらもう、1時か。やっぱり錦糸町に戻ってお昼でもしましょうか。

この前行ったところ、東武ホテルの上の方。スカイツリーが見えてなかなかすばらしいところだったじゃない。

梅洞水。



あら! 門のところに額が架かっているわよ。

へえ、蜀山人の扁額で「花屋敷」と読むのか。ずいぶん崩したような書体ね。

ほら、門柱には「春夏秋冬花不断」「東西南北客争来」の聯がかかっているわ。

どれも、東京大空襲で焼失したんで複製なんだ。



その後どうするって。あら、食事したらすぐ帰るわよ。

また来るのよ、孫たちが親がかりで。連休明けまでいるっていうじゃない、まったく世話が焼けるわよ。

こっちは腰が痛い何が痛いって言っているのにね。そろそろ準備しなくちゃ、準備。

そうね、来てくれるうちが華だわよね。小学校に通うようになったらそうも言ってられない、今のうちかな。

ゆっくりするのは次の機会にしましょう。じゃあね。

            
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「向島百花園」その3。自然体も難しいけど。(じじばばがゆく。散策編)

2017-05-02 21:21:21 | じじばばがゆく

飯島光峨翁之碑銘。

杉谷雪樵芦雁画碑。


    螺舎秀民 葦の芽や田へ来(る)水も角田川(すみだがわ)

    七十二峰庵十湖 何事もかかる浮世か月の雲

句の善し悪しは分からないけど、俳号なんかけっこうしゃれているわね。粋人気取りがちょっと鼻につくけど。

しもくれん。

ふげんぞう。八重桜の一種。




唐梅。

「しのぶ塚」。

隅田川よ二面(ふたおもて)よと歌舞伎にも浄瑠璃にもてはやさるる荵売(しのぶうり)は、安永四とせ中村座の春狂言に初代中村仲蔵が勤め、前の河竹新七の作なり。そが正本をある人より贈られて久しゅう秘蔵せしは、名を嗣ぐ者の幸せと悦びしが、この度ここに埋みて、昔忍ぶの墳(はか)と名づけその故よし記しつくるは、隅田川の流れ絶えず伝えて、二面の二つなき功績を、後の世に遺さんとてのわざなんありける。  
                              明治十三年三月

げんぺいもも。


ふいりあまどころ。


しらん。

ひめうつぎ。


                



マンションが借景になっている感じね。でも、「スカイ・ツリー」が一番かな。


春の暖かな陽射しに包まれて・・・。


      

きぶし。
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向島百花園。その2。どこまでも自然体で。(じじばばがゆく。散策編)

2017-05-01 18:43:31 | じじばばがゆく

やっぱり新緑の季節だわ。サクラはもうすっかり葉桜だけど。他の草木は芽吹く頃で、気候もいいわね。


               「御成座敷」。





ウコン。

向こうの藤が見事だわ。


                  

こっちは「ミツバアケビ」の棚。
         



「アセビ(馬酔木)」。

「モチノキ」。

「サンシュユ」。

「エドヒガン」。サクラの一種。


「ハナモモ」。

「ナシ」の花。

「キブシ」。

「ミツマタ」。

そうそう、前話した女性、この間会ったけれど、小康状態っていうのかな、けっこう元気だった。手術しにくいところでって、言っていたけどね。

そうやって会える人はまだマシよね。「クラス会」って言っても、なかなか出て来られない人も増えてきているじゃない。

「ウンナンソケイ」。

「セイガイ」。イロハモミジの一種。

「桑の茶屋」跡から。
 

ほら、タケノコが顔をのぞかせているわよ。

                 







落ち着いて、静かな雰囲気ね。


 池の向こうに「桑の茶屋」跡を望む。





右に見えるのが「ハギ」のトンネル。母と来た時はすばらしかったわ。もう母もとっくに亡くなってしまったけど。



向こうには「サクラソウ」の鉢がたくさん展示されている。23日までのようよ。


      

                 

都会の喧噪の中に残された小さなオアシスよね。

じじばばがそぞろ歩きするのに最適。余計な魂胆があっても、こういう自然に見抜かれてしまうはずだわ。

えっ、その魂胆とは?って。

胸に手を当ててよくお考えになって下さい。

 ・・・
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久々の向島百花園。自然体で。(じじばばがゆく。散策編。)

2017-04-29 21:20:36 | じじばばがゆく

4月18日(火)。雨のち晴。

久しぶり。やっと暖かくなってきたわね。

でも、嵐みたいな天気には驚いたわよ、昨日の夜には。朝方は90%の降水確率だっていうじゃない。鎌倉なんて無理だったわよ。

で、「向島百花園」っていうことね。タクシーで行こう!

何だか晴れ間も見えてきて。さすが晴れ男だわね。

向島百花園か、もうずっと前に母親と来たことがあったかな。萩のトンネルがちょうど見頃の頃だった。

でも、雨上がりのこういうところもいいわよね。桜がちらほら残っているくらいだけど。

自然のままっていいわよね。自然体って難しいけど。この年になると、こういう風情もまたいいものよね。



へえ、芭蕉の句があるんだ。「春もやゝ けしきととのふ 月と梅」か。

ところでさあ、「春もやゝ」ってあるけど、「もやゝ」っていったい何なの? どういう意味なのよ?

えっ、それは「春も やゝ けしき(景色)ととのう 月と梅」って続くんだよって。

あら、イヤだ。俳句ってホントウに奥が深いのねえ。

そういう問題じゃないだろうって、失礼しました。

この後は、静かに句碑を楽しみ、お花を楽しみますわ。


 芭蕉句碑。「こんにやくのさしみも些(すこ)しうめの花 はせを」。

こぢんまりとしているけど、手入れが行き届いていて、それでいて自然のままっていうのは、いいわねえ。

・・・

向島百花園
仙台出身の骨董商、佐原鞠塢(さはらきくう)がもと「多賀屋敷」と呼ばれていた土地を入手し、1804年(文化元年)に開園した。360本もの梅の木を植えたことから当時亀戸(現・江東区)にあった「梅屋敷」に倣って「新梅屋敷」とも、「花屋敷」とも呼ばれていたが、1809年(文化6年)頃より「百花園」と呼ばれるようになった。江戸時代には文人墨客のサロンとして利用され、著名な利用者には「梅は百花にさきがけて咲く」といって「百花園」の命名者であった絵師酒井抱一や門の額を書いた狂歌師大田南畝らがいた。当初梅園として営まれたが、その後、園主や文人たちの構想で詩歌にゆかり深い草本類を多数栽培した。園内には多数の野草が植えられ、とくに秋の七草その他、秋の草花の美しさで知られた。また、池泉、園路、建物、30余基の石碑などを巧みに配した地割でも有名であった。
 その後も民営の公園としての長い歴史を経たが、明治以降、周辺地域の近代化や度重なる洪水などの被害を受け、明治末年頃よりその影響で草木に枯死するものがあり、一時は園地も荒廃したが、のちに東京市に譲渡されて1939年(昭和14年)には公営の公園として出発した。
 1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲により全焼し、それまで遺っていた往時の建物も焼失してしまい、石碑以外、樹木も含めてほとんど跡形もなくなった。戦後、跡地を少年向けの野球場にしようという声も出るなか、「百花園」として復興されることとなり、1949年(昭和24年)に再開された。
 幾度か変転を経ながらも、園内の景観は今なお旧時の趣きを保っており、文人庭の遺構としても貴重なものである。江戸時代の花園として僅かに今日に遺るものであり、その景観、遺跡ともに重要であるとして、1978年(昭和53年)10月13日、国の史跡および名勝に指定され、保護措置がとられることとなった。

                                          (以上「Wikipedia」参照)

「墨沱梅荘記」碑(亀田鵬斎)。


    千樹庵益賀「鳥の名の都となりぬ梅やしき」。


 山上憶良「秋の七草」の歌碑。「秋の野に 咲きたる花を 指折りかき數うれば 七種の花 芽の花 乎花葛花 瞿麦の花 姫郎志 また藤袴 朝顔の花」。

「春の七草」。
 「せりなずな ごぎょうはこべら仏の座 すずなすずしろ これぞ七草」。

「ごぎょう」はハハコグサ、「はこべら」はハコベ、「仏の座」はタビラコ、「すずな」はカブ、そして「すずしろ」はダイコンをさすのよね。

1月7日「人日」に「七草がゆ」を、って習慣はいいわよね。


    茶筅塚と柘植黙翁句碑「おりたらん 草の錦や 花やしき」 


    井上和紫「紫のゆかりやすみ連(れ)江戸生れ」。


    金令舎道彦「今日の月さても惜しまぬ光かな」。


    雪中庵梅年「黄昏や又ひとり行く雪の人」。


    賀屋月彦「うつくしきものは月日ぞ年の花」。

あんまり歩けないけど、最近は。足の具合がわるくて、指の付け根のところが。腰も痛くてはしはししないし、やになっちゃうわよね。年取るっていうのは。

気になったんでこの前、脳の検査に行った来たわよ、MRIとかいろいろ調べてもらった。これまで元気だった分、この際、検査してもいいかなって。

そりゃあ、結果が出るまで心配だったわよ、脳梗塞とか腫瘍とか。

おかげさまで異常なしだった、ってあなたの世話になったわけじゃないけどさ。

この前、高校の同級生と久々に会ったのよ、男3人、女4人で。男も女も何人かガン患者。でも、見た目には元気だったわ。肝臓に肺に・・・。ガン年齢ということを実感したわよ。




    「空蝉の世のうきことはきこえこぬいわおの中も秋風のふく  鶴久子」


    最中堂秋耳「限りなきそらの要や望の月」。


    北元居士「水や空あかり持ちあう夜の秋」。


    其角堂氷機「朧夜やたれを安るし乃(あるじの)墨沱川(すみだがわ)」。

二代河竹新七追善狂言塚の碑。
    
解説文。
    


    哥沢芝金顕彰碑
       ほととぎす今一声のきかまほし
       月はさゆれど姿を見せず
       エエぢれったい何としよう
       しんきくさいじゃないかいな

•二神石の碑



月岡芳年翁之碑。

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じいさんもばあさんも生涯一働き人

2017-04-11 18:35:32 | じじばばがゆく
将来推計人口 条件付き推計を同時公表 希望出生率達成なら1億人維持 

 さすがサンケイ。アベさんの「一億人総活躍社会」実現の旗振り役を健気なほどに演じています。「希望」は「未定」なのに、何とも切ないほどの論調。

 それに対して、「毎日」などでは「働かざる者食うべからず」社会になってしまうぞ、と。

 今回の推計で、現役世代(15〜64歳)の人口は50年後、現在より4割以上減るとされた。人口構成が激変していく中、社会の担い手をどう確保していくのか。
 政府が昨年6月に発表した「1億総活躍プラン」。現役世代の男性に偏っていた働き手に、女性や高齢者にもより多く加わってもらい、経済活動の維持を図る狙いがある。今後、65歳以上の雇用延長も進める方針で、高齢者に、支えられる側から支える側に回ってもらいたい考えだ。高齢者となっても「引退」しない時代は目前に迫る。

・・・

 高齢者という「くくり」自体も見直そうという動きがある。高齢者の定義は国際的にも「65歳以上」が一般的だ。これを「75歳以上」に見直すべきだとする提言を日本老年学会などが今年1月に発表した。同学会前理事長の大内尉義・虎の門病院院長は「今の65歳以上の人は、以前に比べ元気な人が多い」と説明する。ただ高齢者の健康状態は人によってさまざま。新たな年齢の線引きを設けるには慎重な検討が必要だ。
 人手不足の中、外国人労働者の受け入れも広がっている。技能実習生や留学生のアルバイトなどとして、日本で働く外国人は昨年108万人となり、初めて100万人を超えた。政府はさらに拡大しようと昨年、法改正し、これまで農家や工場などでの労働に限っていた技能実習生の働く場を介護分野などにも広げた。今秋にも介護での実習生が来日する予定だ。しかし、技能実習生については低賃金、劣悪な労働条件などが問題になっている。また政府は移民政策は取らない姿勢で、どこまで門戸が広がるかは、見通せない。
 昨年の出生数は、1899年に統計を取り始めて以来、初めて100万人を割る見込みだ。既に現役世代は毎年50万人以上減っている。社会・経済活動を維持するための対策は急務だ。

・・・

 高齢者増がもたらすのは医療や介護など社会保障費の膨張だ。2015年度の約117兆円が10年後に149兆円に拡大。高齢化率が38・4%となる65年にどこまで膨らむか見通せない。経団連の榊原定征会長は7日、財政制度等審議会(財務相の諮問機関)会長就任の記者会見で「改革しなければ社会保障制度は持続可能性を確保できない。国民の将来不安を招き、消費停滞につながる」と訴えた。
 しかし安倍政権は痛みを伴う改革に及び腰。社会保障財源の安定確保のため12年に与野党合意した消費税率10%への引き上げを2度延期。安倍晋三首相は19年10月の引き上げを明言するが、政府内では「本気なら経済が比較的堅調だった昨年6月に先送りを決めなかったはず」(経済官庁幹部)と実現を危ぶむ声が根強い。・・・
                                         (以上、「毎日新聞」2017/04/11朝刊より)

 ここにあるように、消費税10%の道は険しい。じじばばがひとたび病気になったら、はたして・・・?

 どこの組織も若者の姿は無く、分別あるはずの年寄りのはずがどうも、というような人物が目につく昨今、特に政治家には顕著な世の中。

 ま、心身共に元気な年寄りはいいが。
 問題は、頭は冴えていても身体がいうことをきかない、身体は元気だが頭の方がどうも不自由。年々、しだいにどちらもバランス良く衰えることはなさそうな昨今。

 一方で、若者に対して、サンケイのように、ただただ産めよ、育てよ、あげく年寄りにまで「一億人活躍」と叫んでみても、無い物ねだりになっていてはいないか?

 いずれにしてもゆっくり余生を楽しむ、なんてことは夢物語になってしまう時代到来か。
 働き始めたとき(50年前)、諸先輩が老後の楽しみを語っていたのが懐かしい。 

 せめて、人生に「じじばばが行き惑う」ことがないように。

(「毎日新聞」より)
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NODA・MAP「足跡姫 時代錯誤冬幽霊 ときあやまってふゆのゆうれい」(じじばばがゆく。観劇=感激編)。

2017-02-11 18:47:14 | じじばばがゆく
2月7日(火)。東京・東京芸術劇場 プレイハウス。

 もう限界よ。まるで玄界灘の荒波にもまれている感じよ。

 会ったとたん、いきなりそれですか。

 疲れるわよ、毎日。でも今日はかなり期待してるから。久々だし。

 ホントですよ。久々に。

 余計な期待はしちゃダメよ。お芝居見物なんだから、今夜は。

 いい加減にご自分の体をもう少しお大事にしたら。

 そう言ってもさ、そううまくいかないのが、より添う人生よ。

 お悟りあそばされたようなお言葉ですが。まずはご飯でも食べてから、行きますか。

・・・

 ここの席だな。ま、いい席だ、満席だ。さすが。 

 野田秀樹さんの芝居は初めてだわ。宮沢りえに妻夫木聡、古田新太(ふるたあらた)か。野田さんも出るんだ。

 野田も声がかすれてきて、若い頃の滑舌はちょっと期待できなくなっている。「高低のテンポが味なんだ」けど。「校庭の店舗が鰺なんだ」じゃないよ。言っておくけど。でも、相変わらず元気だよね。

 そんな訳の分からない言葉遊びはやめてくれない。でも、「おやじぎゃく」があるのかな。

 「親自虐」じゃないからね、言っておくけど。ま、そんな程度のギャグはあると思うよ、経験的には。

 くだらないこと言ってないで。さ、始まるわよ。

 そういうくだらないおしゃべりと動きに、面白さと鋭い社会批評、世相批判をちりばめるのが野田芝居だけれどね。さて、どうだ。

 「時代錯誤冬幽霊ときあやまってふゆのゆうれい」ってどういう外題なのかしら

 照れだよ、諧謔精神かな、きっと彼独特の。 

・・・

 この芝居は、さっきも言ったけど、野田さんの照れ屋、はにかみ屋ぶりがよく出てくる予感が。それに最後の最後まで我慢するだろうけれど、最後にはきっと爆発するよ。

 あの女性が宮沢りえか。へえ、いきなりすごい迫力で迫ってくるわね。

【客席には特設の花道が作られ、江戸の芝居小屋仕立てで話は進む。観客席も縦横無尽に使って。】

 出雲阿国座の看板踊り子、三・四代目出雲阿国(宮沢りえ)と座付き作家のなりそこない、その弟サルワカ(妻夫木聡)。
 小屋では、阿国と踊り子のヤワハダ(鈴木杏)たちが幕府では御法度とされている女カブキを上演している。その一座に紛れ込んだ、腑分けもの(野田秀樹)と戯け者(佐藤隆太)。
 伊達の十役人―伊達の十役―(中村扇雀)が入れ替わり立ち替わり、取り締まりの目を光らせる。
 将軍に取り入りたい座長の万歳三唱太夫(池谷のぶえ)によってサルワカは一座を追われそうになる。そこで、阿国は、サルワカに女カブキの“筋”を書くことを勧める。うまく書けないサルワカを「売れない幽霊小説家」(実は由井正雪家―ウとレをなくすと―)(古田新太)がゴーストライターとして助け、新作「足跡姫」が誕生する。

①由井正雪の乱
②ゼロの成立と無限、有限
③女歌舞伎から野郎歌舞伎へ
⑤地球(?)の裏側まで掘る行為。
④満開の桜。散る花びら。真っ赤な血の色。
⑤たたら製鉄、長浜ラーメン、・・・

 など、いろんな要素を盛りだくさんに詰め込んでの展開。ただ、古田新太の演じた「由比正雪」系は中途半端でちょっといただけなかったが。

 足跡姫の阿国は弟のサルワカの持つ刀(これのみが真剣)に身を投げて死んでしまう。
 死んだ姉を抱きかかえ、満開の桜をバックにサルワカは「勘三郎」として姉の芝居への執念を受け継ぎ、舞台を末の世の東銀座まで続け伝えようという思いを自らに言い聞かせる。

 「足跡姫」。まさにその「足跡」こそ盟友・名優、その途上で若くして亡くなった、中村勘三郎の「足跡」に通じている。
 だから、(それまで我慢に我慢をしていた)野田の叫びが、最終場面、野田の演劇戦友・勘三郎へのいまわの際の訴え(と思わせる)に重ねていくという趣向に。
 特に、昔、演劇を志した人間なら誰でもが知っている、やったことがある「イエアオウアオ」のような発声練習から「死にたい=死に体」は「生きたい=生き体」への音韻変化、それは生と死とが「竹膜を隔つ」っていうことに通じる言の葉で幕は閉じる。

・・・

 初めて見たけど、とても面白かったわ。浅利慶太とか民芸とは違って、斬新でとても楽しかった。

 浅利は嫌いだけど、アサリは好きだよ、アサリは。民芸は民芸で面白いけれどね。傾向が違うのは確かさ。
 夢の遊眠社時代からの野田芝居を見ているからね。
 言葉遊びをこれでもこれでもかとマシンガントークのようにして、そして、肉体を駆使して、舞台の上にも下にも左にも右にも縦横無尽に駆け回る、そんなだった。その傾向は今でも同じさ。
 『贋作・桜の森の満開の下』なんかは、今回の「桜」に通じているかもしれない。
 解散した後、野田秀樹は「野田地図」(NODA MAP)を旗揚げして今になるというわけ。段田安則なんか、今も舞台やっているよね。ほら、この宣伝パンフに載っているよ。
 ただ、商業演劇になり過ぎたようで、料金も高いし、・・・。野田はこれで満足しているのだろうかね。彼なりの演劇作法的にさ。・・・(と、つい饒舌になってしまう)

 ふ~ん。そうなんだ。で、相談なんかあったっけ?

 それは、今度会ったときにさ。

 宮沢りえは、演技も踊りもすごい。キリッとした容姿、魅力的だわ。

 妻夫木だって何だか頼りなさそうでもはつらつとした青年らしいサルワカを熱演していたさ。さすがタレント、才能が開花した印象だった。

 古田さんは、存在感はあるけど、ちょっと動きが鈍い感じで、時々素が出ている感じだったけど、いつもあんな演技なのかな。

 「伊達の十役」ならぬ伊達の十役人(何とか助平衛。背中にはサービスで何番目の役か表示)として登場する中村扇雀。役柄によって衣装は変えてもワイシャツとネクタイはそのままっていうのも野田らしい。


 舞台は、江戸時代です。
 作品は、中村勘三郎へのオマージュです。彼から最後の病床で「俺が治ったら、この姿(医療器具でがんじんがらめの彼の姿)を舞台にしてよ」と言われた。それを彼の遺言とも思っていないし、彼は冗談半分のつもりだったように思うのだけれども、ずっと気になっていた。今年の12月5日で、彼が逝ってから4年になります。「あの姿」を書こうとは思わないけれども、彼の葬式の時に、坂東三津五郎が弔辞で語ったコトバ。「肉体の芸術ってつらいね、死んだら何にも残らないんだものな」が私の脳裏に残り続けています。その三津五郎も、彼を追うように他界してしまいました。あれから「肉体を使う芸術、残ることの内ない形態の芸術」について、いつか書いてみたいと思い続けていました。
 もちろん、作品の中に、勘三郎や三津五郎が出てくるわけではありませんが、「肉体の芸術にささげた彼ら」のそばに、わずかな間ですが、いることができた人間として、その「思い」を作品にしてみようと思っています。
 本来は、オマージュなんていうのは、「しゃらくせえや」と思う方なのですが、こうして臆面もなく「勘三郎へのオマージュ」と書くことで、自分へのプレッシャーにもなるし、勘三郎の名前と「思い」が少しでも長く人の心に残っていくための、私の本など微力だとは思いながらも、書かないよりはいいな……と、そんなわけで『足跡姫』です。
                                                           野田秀樹
 
 この野田さんの言葉の中に、「オマージュ」ってあるけど、どういうこと? たしかフランス語では尊敬、敬意とか賛辞を意味すると思うんだけど。

 芸術作品の場合には、尊敬する作家や作品に影響を受けて似たような作品を創作することを指すらしい。作品のモチーフを過去の作品に求めることも指すんだ。
 このことばは騎士道から生まれた。だから、単なる模倣ではないんだね。「リスペクト」(尊敬、敬意)と同義に用いられる。フランス語として使う場合、hommageだけでは「尊敬、敬意」の意味だけになるんだって。この作品はどうも両方の意味を含んでいるようだね。

 ストリップショーみたいな演技が面白かった。

 ストリップじゃないさ、「はだけ」踊り。死骸が戸板に乗って流れてくる場面もあった。

 この前見た「四谷怪談」でもそんなシーンがあったわね。隠亡堀の場のよう。

 これも前、歌舞伎座で勘三郎がお岩さんを演じたのを観たことがある。

 橋を行ったり来たり、回り舞台を船に見立てたり、群衆劇風なのも野田らしいのかな。

 そのあたりの演出も歌舞伎座でやった「野田版・研辰の討たれ」に依拠しているようすがありありかな。

 その芝居に、中村勘三郎(当時はまだ勘九郎)が主役をやったのよね。

 あの芝居での主役は、実は「大衆」。彼らは身勝手で軽薄。そのときの気分次第で右にも左にも揺れ動く。仇討ち騒動を楽しんでいる。
 
 そうそう、今回はやたらと「大衆」と「体臭」をつきまぜて、くどいほど解説しながらけっこう使っていたよね。

 終わり頃、辰次が追っ手の兄弟の刀を研ぎながら、紅葉が落ちるのを見て「生きてえ、散りたくねえ」と。そこで、それまで笑っていた客席が静まり返る。このへんは今回も活かされている感じ。
 そして群集が去ってしまって、追っ手の兄弟も行ってしまって、助かったかと思った辰次は、結局、引き返してきた兄弟に殺されるってわけさ。そのへんも趣向が似ている。

 ところで、最後に姉弟が花道の「セリ」から上がってきたじゃない、すっぽんとか言っていたけど。

 いいところに気がつきました。サルワカが掘り続けていたのは、江戸城襲撃の穴でもなく、地球の裏側でもなくて、「すっぽん」だった、ていう落ちが効いているよね。

 落ちが効いてるって、上がってきたんじゃないの。それまで、役者は舞台上のセリ(穴)に落ちたり、上がってきたりしたけど。

 花道にあるセリを「すっぽん」と言うんだ。奈落ってもいうけれど、そこから舞台上へ役者が登場するときに使われる装置さ。
 「セリ」も「すっぽん」もどっちも舞台へ上り降りするときに使うけれど、「セリ」は本舞台上、「すっぽん」は花道にある。
 そうそう、歌舞伎じゃ、すっぽんを使って登場するのは人間以外である、という約束事があってね。妖怪変化や幽霊・忍術使いなどの役が登場する時に使われる。例え人間であっても、すっぽんから登場したものは、既に亡くなっている人間を意味するんだ。

 なんで「すっぽん」ていうの?

 名前の語源は亀のスッポンからかな。おそらく役者が首を出す姿がすっぽんに似ていることから連想したのだろうと思うよ。

 ふ~ん。

 生きているときも死んでしまっても役者なんだな、皆。勘三郎も三津五郎もそして野田も。名も無き役者もすべて。でも、「思い」の中にしか残らない。

 エンディングで流れるバックミュージックは何であんなに陳腐なんでしょ。サルワカの台詞を聴かせたいのはわかるけど。ちょっと残念。

 もう少し付け加えると、サルワカ(猿若)という役名は、勘三郎に縁が深いんだ。
 「猿若」というのは初期の歌舞伎で、こっけいな物まねや口上などを演じた役柄を言ったんだけど、猿若の芸を専門とした初代中村勘三郎およびその一族の別名でもあるんだな、これが。

 「平成中村座」という芝居小屋をつくって、勘九郎の頃からやっていたわよね、浅草や外国でも。

 何回か観に行ったことがあるよ。江戸時代の歌舞伎小屋風のつくりでけっこう面白かった。

 ラストの満開の桜って、「京鹿子娘道成寺」という趣向にあやかっていたのかしら。勘三郎が踊ったこともある。

 いや、「桜の樹の下には死体(屍体)がある」という趣向のような気がしたけれど。真っ赤な色が使われていたし。

《参考》『桜の樹の下には』(梶井基次郎)

 桜の樹の下には屍体が埋まっている!
 これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。
・・・
 おまえ、この爛漫と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると想像してみるがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう。
 馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、屍体はみな腐爛して蛆が湧き、堪たまらなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。桜の根は貪婪な蛸のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根を聚めて、その液体を吸っている。
 何があんな花弁を作り、何があんな蕊を作っているのか、俺は毛根の吸いあげる水晶のような液が、静かな行列を作って、維管束のなかを夢のようにあがってゆくのが見えるようだ。
 ――おまえは何をそう苦しそうな顔をしているのだ。美しい透視術じゃないか。俺はいまようやく瞳を据えて桜の花が見られるようになったのだ。昨日、一昨日、俺を不安がらせた神秘から自由になったのだ。
・・・
 ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている!
 いったいどこから浮かんで来た空想かさっぱり見当のつかない屍体が、いまはまるで桜の樹と一つになって、どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない。
 今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑のめそうな気がする。
                                            (「青空文庫」より)

 う~ん、それはかなり考えすぎじゃない。



 あら、もう10時、もう帰らなければなりませんわ。

 今度お会いするまで御身大切に頼みますよ。 

 老いていく体と付き合いながらまだまだ前向きに生きますわ。

 その通り。「老いる」は「Oilオイル」だから、使いようによっては生きるエネルギーにもなるはずだよ。って、これも野田の受け売りだけど。

 上手に老いたいものよね。
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