おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

銀座で久々のランチタイム。(「じじばばがゆく」。酷暑をものともせず、というわけには・・・編。)

2018-09-03 22:05:45 | じじばばがゆく
                                 「北大路銀座茶寮」。

 こんな暑い昼日中にわざわざって地下鉄で一本か。こっちの方が遠くから乗り換えてきましたわ。
 
 整体? ツボを押す、押されるだけだけど。
 2週間もご無沙汰したので、何となく体はすっきり軽くなった感じ。

 どこにします? へえ、「東銀座」駅が歌舞伎座の地下につながっているんだ、知らなかったわ。
 あまりこの辺は来ないし、いつも整体の行き帰りで、精一杯。

 上で待つのは暑いんで、ここに腰掛けて待っていたわけよ。

 最近、こんな風にしゃれたお土産店が並んでいるのね。でも外国人相手かも。「歌舞伎座」が改築されてからなのかな。 
 
 歌舞伎の幕間(まくあい)で食べられそうなるお弁当なんかも売っているんだ。
 買ってここに座って食べればいいじゃないか、って。
 そんなんじゃ、って勝手言って悪いけど。

 どこかお店のあてがあるんでしょ。そこでいいわよ。

 やっぱり外は暑いわね。早くお店に入りましょうよ。

 「松屋通り」沿いにあるのか、ここ、この地下にあるみたいよ。すてきな店構えね。やれやれやっと涼しくなったわね。
 いつまでこの暑さが続くのかしらね。じじばばには堪えられないわね。

 このところ娘と孫が来て2週間もいたのよ、医者通いもできないし、もう疲れたわよ。
 やっと豆台風も去って、外出できたってわけ。

 でも、なんだかんだ来てくれるのは、うれしいわね。

 宿題も出ていて、つきあわされたわ。習字なんかもあるのよね。筆なんかないじゃない。
 あとは音読。しっかりやったら確認の印を付ける。

 やったことにして印をつけたらいいじゃないかって、そうもいかないわよ。
 娘はうちから寝泊まりしながら出勤でしょ。朝早くから。
 帰ってきたら、どうした宿題は、って聞かれるからいい加減にできないしさ。

 ま、普段はむこうのじじばばが面倒見てくれているから、せめて夏休みくらいはね。学童クラブにも付き合わされているようすだし。
 お風呂もいっしょに入るっていうし、・・・
 でも、かわいいわよね。

 さてと何にします。ここ、なかなか落ち着いたお店ね。個室なのもいいしね、ま、ゆっくり出来るわね。
 ランチはこれとこれか。お造りがつくと・・・。


 わたしはこっちでいいわ。
 つまんで食べていいわよ。

 では、乾杯! 

 このあいだ、ずっと昔勤めていた会社の保養所へ家族で行ったのよ、けっこう混んでいて、満員。
 そりゃ、お盆で夏休みの社員もいたから仕方ないけれど。
 だからなのかな、食事がひどかったのよ。天ぷらなんか冷えて固くなっているし、・・・。料理長が交代したようね。
 前は社員扱いだったのが、業者に委託しているみたいで。

 最近は出掛けても、どうも食事にははずれが多くて。この前の奥多摩渓谷も、景色はまあまあだったけれど、食事は今ひとつだった。

 ここはおいしいいわね。器も凝っているし。

 この「北大路」って、ほら、あの、有名な「北大路魯山人」と関係があるのかしらね。名前にあやかって、というだけじゃないように思うけど。
 「銀座茶寮」というのも、これも魯山人伝説の「星岡茶寮」というのに似せているようだし。
 無関係だったら、ネーミング権なんか問題はないのかしらね。

 ただ、銀座の本店もそうだけど、北大路魯山人さんの食・器へのこだわりを受け継いでいこう、というプライド・自負心はけっこうありそうよね。
 みなさんの接客態度もきちんとしているし、地下にこんなお店があるとは思えないわ。

 個室スタイルというのもいいわよね。けっこう落ち着けそう。
 でも、夜はお値段の方も、それなりに高いと思うわ。
 会社の大事な接待とかで使う? あとはご両家の引き合わせとか、・・・。

 ランチもちょっと高めだけれど、たまにはいいわよね。

 これ、いいわよ食べて。こっちも。こんなには食べられないから。
 飲み物のおかわりはどうする?

 相変わらず炎天下で「例幣使街道」とかいうの? 街道歩きをしているようね。でも、栃木なんか何にもないでしょう。
 お寺さんがあるので、車で親やお爺さんたちのお墓参りに行くだけ。あんまり街中を歩いたことはない。

 栃木にもだんだん行かなくなりそうよ、こっちも年取ってきたしね。

 「あぶでん」には立ち寄ったことがあるわ、味噌田楽のお店。あとはあまり知らないわ。

 あそこは、小さな鄙びた街。
 県庁所在地も宇都宮に持って行かれちゃうし。
 「巴波川」沿いだってたいしたことはない、って思うんだけど。

 でも、街道歩きの方には、見世蔵など魅力的かもしれない。

 わたしにもやっぱり愛着がわくっていうかなんていうか、気になる存在よね。

 山本有三ってあそこの出身なんだ、知らなかったわ。

 へえ、ニュージーランドから青年がホームステイしてたのか、10日間。そういう体験っていいわよね。お孫さんたちにも。

 あそこは、けっこういいところみたいよね。今は真冬でしょ、いきなり20度以上も高いところへ来たんだから大変そうね。

 けっこうのんびりしているんだ。おおらかな風土のおかげでおおらかなのかなあ、お国柄っていうの。
 
 さて、もう少しここにいてもいいんじゃない。相変わらず、ていうかますますせっかちなんだから。
 分刻みじゃなくて、時間刻みでいこうよ、ニュージーランドの青年のようにさ。
 
 そうそう、北大路 魯山人さんについて、ちょっぴりまとめておくわね。
 1883年(明治16年)3月23日 - 1959年(昭和34年)12月21日)本名は北大路 房次郎(きたおおじ ふさじろう)。
 晩年まで、篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家・美食家などの様々な顔を持っていた。
 魯山人は母の不貞によりできた子で、それを忌んだ父は割腹自殺を遂げた。生後すぐ里子に出され6歳で福田家に落ち着くまで養家を転々とした。この出自にまつわる鬱屈は終生払われることはなく、また魯山人の人格形成に深甚な影響を及ぼした。
 6度の結婚(1908年、17年、27年、38年、40年、48年)はすべて破綻、2人の男児は夭折した。娘を溺愛したものの長じて魯山人の骨董を持ち出したことから勘当し、最晩年にいたっても魯山人の病床に呼ぶことすら許さなかった。その一方、家庭の温かみに飢えていた魯山人は、ラジオやテレビのホームドラマの何気ない会話、微笑ましい場面によく肩を震わせ涙を流して嗚咽したという。
 美食家として名を馳せた魯山人は、フランス料理の外見偏重傾向に対しても厳しく、渡仏の際に訪れた鴨料理店「トゥール・ダルジャン」で、「ソースが合わない」と味そのものを評価し、自ら持参したわさび醤油で食べたこともあった。
 つねに傲岸(ごうがん)・不遜・狷介(けんかい)・虚栄などの悪評がつきまとい、毒舌でも有名で、柳宗悦・梅原龍三郎・横山大観・小林秀雄といった戦前を代表する芸術家・批評家から、世界的画家・ピカソまでをも容赦なく罵倒した。この傲慢な態度と物言いが祟り、1936年(昭和11年)に星岡茶寮から追放されてしまう。逆にその天衣無縫ぶりは、久邇宮邦彦王・吉田茂などから愛されもした。
 気難しい人物で、晩年魯山人の家で働いていた手伝い曰く「風呂から上がると、決まった時間にキンキンに冷えたビールがさっと出てこないと満足できない方だった。それができなくて叱られ、辞めていったお手伝いさんを何人も見た」とのこと。
(以上、写真を含め、「Wikipedia」参照。)

 里子に出され、養家を転々として小さい頃は大変苦労したようね。それでも、食に対する関心は強くて、子供の頃から自ら工夫して美味しいものをつくっていた、とか。
 それに書道でも小さい頃からかなりの才能ぶりをみせたようね。転機が訪れるのは36歳の時だったとか。
 古美術骨董を扱う店を共同で始めたんだけど、そこで、店で扱う器に料理を盛りつけ、ふるまうようになったってわけね。

 料理と器との取り合わせの妙が評判になり、さらにそれが会員制料亭へとなり、そして「星岡(ほしがおか)茶寮」になったのね。
 お店の場所は、日枝神社の裏手にあたるところよね。

 はやってきて、店にある器だけでは対応しきれず、お料理を盛りつける器を自ら制作することに。

 そのために「星岡窯(せいこうよう)」を鎌倉に開き、陶磁器の制作にも、力を注いでいくことになるのね。
 多芸な方だったのね。

 (「北大路魯山人 | しぶや黒田陶苑」HPより)

 家庭的には恵まれず、かなりの偏屈な人物だったようだけど、でも、その遺した陶器、けっこう高価らしいわね。食へのこだわりは今でも受け継がれているようだし。

 このお店の器もけっこう趣があるわね、魯山人さんのものなのかしら。そんな感じがするけど。 
 
 そうそう、納豆、上方の人なのに納豆が大好きだったみたい。
 納豆のかき混ぜ方にもかなりの蘊蓄があったようで、もう納豆の粘りへのこだわりは並みではなかった。

 納豆の究極の食べ方として、知る人ぞ知る食し方。

 納豆を、深めの鉢に移して、箸で掻き混ぜること305回、さらに醤油を2回に分けて加え119回。計424回混ぜることで、うま味の増加がピークに達し、ふわふわの泡に包まれた、濃厚な味わいの納豆になるというのがものの本に載っていて、北大路魯山人流だったとか。

 回数は本当なのかしらね。

 それでも、このあいだ見たTVで、そんな話、何回も何回もかき混ぜる方が納豆の味も効能も勝る、夏ばてに最高、とか言っていたわね。
 あなたなんかせっかちだから、どうせちょちょこっと混ぜて、ずるずる音を立ててすすって食べているんじゃないの。
 それでは通人の魯山人さんとは雲泥の差ね。

 「納豆茶漬け」もおいしいらしいけど、わたしは勘弁願いたいわ。

 注:「星岡茶寮」は、1945年(昭和20年)には空襲によって焼失した。
 その後いくつか変遷を経て、現在、その跡地に「東急キャピトルタワー」が建設され、タワー内でザ・キャピトルホテル 東急が営業している。
                                          「日枝神社」の奥。

 ごちそうさまでした。暑いけど、少し歩いてお茶にしましょうか、といっても、今日は暑すぎ。
 もっと涼しくなったらゆっくりとお話ししたいですわ。今度は12月かな、って。もう涼しさを過ぎて、寒くなっているかもね。

 See You Again.
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どう? お気に召したかしら? これ食べる? つまんでいいわよ。(「じじばばがゆく」。反省会編。)

2018-07-12 20:04:27 | じじばばがゆく

                               

 いつもいつもお世話をかけます。OTSUKAREさま。 
 さて、何か食べたいものある?
 お蕎麦はどう? 

 ちょっと歩くけれどって来てみたけど。お気に召すかしら。
 けっこうおいしいのよね、ここのお蕎麦。
 でも少し柔らかすぎるかしら? 人によっては。

 駅前を出て広い道を行くと、遠回りで時間もかかるのよね。意外と分かりにくいし。
 地元の人はさっきのお寺の小道を通るのね。線路向こうに行く道につながっているみたい。
 線路沿いで歩ける、知る人ぞ知る道って感じ。でも、お寺さんの境内の木戸口みたいで、つい遠慮しちゃうのよね。

 すれ違うのも大変な道だけど、ちょっと危険だわ。二人だけだと。
 また、変なこと想像しているんでしょ。まったく懲りないんだから。

 あのお寺は「光明院」という古いお寺で、「荻寺」とも呼ばれていて、「荻窪」という地名もその名に由来するといわれているようよ。
 昔はもっと南西側にあったようだけど、明治になって、鉄道建設のため、今のところに移されたんだって。

 ところで、「荻」と「萩」って紛らわしいわよね。名前でも「ハギワラ」さんなのか「オギワラ」さんのか、間違えて失礼になったりして。

オギ(荻)
 イネ科ススキ属の植物の一種。草丈は1~2.5m程で、河川敷などの湿地に群落を作る多年草。日本全国や朝鮮半島、中国大陸に分布している。葉は40~80㎝と長く、幅は1~3cm程度であり、中央脈がはっきりしている。花期は9~10月、穂は25~40cm程であり、小穂が多数互生している。茎は硬くて節を持ち、つやがある。ススキ(薄)によく似ているが、ススキと違い、オギには芒がない。また、ススキが生えることのできる乾燥した場所には生育しないが、ヨシ(葦)よりは乾燥した場所を好む。穂はススキよりも毛が長くて白く、柔らかい。かつては茅葺の屋根の材料として広く用いられていた。

ハギ(萩)
 マメ科ハギ属の総称。落葉低木。秋の七草のひとつで、花期は7月から10月。
「秋の七草」は、奈良時代の歌人、山上憶良(やまのうえのおくら)が詠んだ以下の2首の歌がその由来とされている。

秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびをり) かき数ふれば 七種(ななくさ)の花(万葉集・巻八 1537)
萩の花 尾花 葛花 瞿麦(なでしこ)の花 姫部志(をみなへし) また藤袴 朝貌の花(万葉集・巻八 1538)

 注:「朝貌の花」が何を指すかについては、桔梗とする説が最も有力である。

(以上、写真も含め、「Wikipedia」より) 

 地元じゃ、そのいわれにちなんで「荻」を育てているみたい。「荻窪税務署」のところにもあるって。
 さっきのお寺にもあるはずだけど、よく分からなかったわね。
 そうそう、このお店の前にもあったわね。

 さて、何にする? まずはビールですか? あそこはさすが酒蔵だけあって、ビールは置いてなかったようよね。
                     サッポロビール「白穂乃香」。

 おつまみもいろいろ揃っていて、おいしいはずよ。お酒も。

 コースターに紋があるわ。へぇ~、「鷹の羽」かな、この紋は? 矢羽ですって。なるほど。「鷹の羽」とはたしかに違うわね。
               (HPより)
 弓矢の歴史は古い。狩猟に戦場の武器として世界各民族が利用してきた。日本では、”弓矢取り”は武士を意味し、神事の破魔矢、流鏑馬から相撲の弓取り式にいたるまで、さまざまなかたちで弓矢が使われている。これが家紋として用いられた一番の理由は、なんといっても尚武の精神からだろう。弓・矢紋は、ふつう弓紋と矢紋に分かれるが、弓矢でひとつになった紋もある。さらに、矢。矢羽、矢筈の種類がある。服部氏の一族が多く使用している。(丸に違い矢)

 ここのは、縦に矢が並んでいるのね。

 けっこうおいしいでしょ。出汁もしっかりして、素材の味も生かされているしね。
 これつまんでいいわよ。ちょっと。箸の向きが違うでしょ。 

 お蕎麦もおいしいと思うけど。好みがあるかも。
 そう、満足してくれてよかったわ。なんたって手打ちにこだわっているようね。

 美味しくそばを食べる条件を「三たて」と言います。つまり、「挽きたて」「打ちたて」「茹でたて」のこと。
 ふつう、手打ちそばを自称するお店なら、「打ちたて」「茹でたて」は実践しているはずです。
 でも、そばの命はとても短いもの。
 だから「挽きたて」を満たしていなければ同じように手でそばを打っても、香りも喉ごしも、満足のいくそばにはなりません。
 そこで、本むら庵は「挽きたて」の原点である石臼挽き自家製粉にこだわりました。
 そのために、石の質や目立てなどをいろいろと変え、長い時間をかけて、試行錯誤を重ねながら、試作した石臼はいつのまにか100個にも上りました。
 こうして生み出した独自の石臼で、玄そばを粗く挽 くのが本むら庵のそばの特徴です。
 粗く挽けばそば本来の味や香りが出ますが、そばはつながりにくくなりますから、11~12月の新そばの季節なら9割そば、それ以外の時期は1.5~ 2割ほどのつなぎを使います。本むら庵の、こだわりの石臼挽き自家製粉そば。
 そばが本来持っている香りと味を、お一人でも多くの方にお召し上がりいただければと心より願っております。

 

       

 

(以上、「本むら庵」HPより)

 このお店はこだわりがあって、春・夏・秋・冬とそれぞれの季節に応じて、お蕎麦もお酒のおつまみも工夫して用意しているそうよ。
 けっこう常連客が多いみたい。あなた、気に入ったら、また来てみたらいいわ。

 オームの処刑って、彼らのやり口も劇場型だったけれど、7人の処刑も何だかマスコミが大騒ぎ。
 実況中継みたいになっていて、処刑になった顔にペッたと貼り付けたりして。

 こんなときでも、広島や岡山、それから愛媛と西日本では大変な騒ぎになっているのよね、集中豪雨で。
 このあいだ、愛媛と岡山に行ってきたの。何だか他人事じゃないわよ、心配だわ。

 オームといい、集中豪雨といい、平成ももうじき終わりというときになって、話題が多いわね。
 アベさんは酔っ払ったような顔で記者会見してたんですって。まったく!

 海外、国内、・・・。仕事の関係で、結婚してからは転勤族だった。
 いろんなところに住んだけれど、どこもみんなすてきで、いい人たち、いい町だったわ。
 
 私? いい人生だった、と思う。

 さて、そろそろ出ますか。皆さん楽しそうでよかったじゃない。お世話になりました。
 いつも時間ばかり気にしていて悪いけど。

 気に入ってくれたようで、また来てみましょうか。

 これから蒸し暑い日が続きそうね。お互い、体に気を付けて。では、また。
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こだわり、こだわりすぎて、ま、それぞれお元気でよかったです。(「じじばばがゆく」。例会編。)

2018-07-11 22:08:42 | じじばばがゆく

どうもお久しぶりです。皆さん、お元気でしたか?

                       

 ということで連れてきてもらったというわけです。
 「つれてってください」って全文ひらがなで返事出したんですよ。
 そしたら。この方、優しい方だから、2時間以上一緒に電車に乗って、ここまで連れてきてくれたってことで。

 「パスモ」っていうの? これまでそんなのまったく使ったことがないからさ。買い方も分からなくて駅員さんに聞きましたよ。
 5000円、それに入会金っていうの、プラス500円かかった。ま、使う機会もあるだろうから。
 改札口のタッチの仕方も分からなくてさ、裏表があるけど? どっちでも大丈夫ですって、今どきの駅員さんって、やさしいね。
 呆れた顔をしていたけど。
 
 いつもは車ですね、出掛けるのは。自分のじゃなくて他人様の車だけどさ。運転はするけど。
 だいたいが海でも川でも車だね、車。電車なんか乗ったことがないですよ、昔っから。

 お袋? 今日は一人で留守番してろって言ってきた。
 でも、妹が髪の毛を切りに来るって言ってくれて。いくらばあさんでも身繕いくらいは気になるからね、ご本人も。
 福岡が岡山が四国が大変な状況になっているって、テレビで言っていると、心配だ、心配だ、雨が水がって。
 ばあさん、東京は関係ないって言っても、心配だ、心配だって。ま、お袋は大事にしないとね。

 そうそうアサリ取りに行きましたよ、何回か。ほら、金沢八景ってあるじゃない、あそこの公園の近く。
 でも、このところ不漁でダメになっています。でも、実はそこじゃなくて、通には隠し場があるんですよ。ごっそり大粒のが取れましたよ。
 近所にも分けてあげて、冷凍しておくとけっこう持つし。
 砂抜きもそんなにしなくて済むし、けっこう穴場ですよ。千葉の海よりはね。

 干潮の2時間前後くらいかな。だから、朝早く出て行くんですね。
 高速で行けば近いし、途中の漁港で朝飯食ってそれからだね。また、それが安いんだね。腹一杯食っても900円くらいだし。
 そして9時か10時ころからお昼過ぎまで。3月から5月の連休くらい、行くのはね。
 エイがいたこともありましたよ。
                            

 ここも、喫煙所は外なの? 最近は嫌煙権とか何とかうるさいですね。外の方が景色がいいけどさ。
 タバコ? 今年の1月10日できっぱり止めました。年金だけじゃ生活できないから。
 お袋の年金、遺族年金ってやつだけど、二人併せて何とか生活できるけど。タバコは止めました。金かかるしね。
 だいたい、あちこち禁煙です、ここで吸っちゃいけませんて、うるさいよね。
 タバコってほとんど税金なんでしょ。そしたら売るなって話ですよ。

 ほら、あそこで釣りしている人が。鮎かな、ヤマメ? ず~うと流れにさからわず流していく。根気がいるんですよね。
 むこうで跳ねましたね、ほら、あそこ。
 でも、渓流釣りは足腰が痛くなるんですよ。冷たい水の中にけっこう長く膝下、へたしたら腰くらいまで浸かっているんでね。

 こっちは湖。養老渓谷の上流に「高滝湖」というダムですね。そこのワカサギ釣りは最高ですよ。
 こっちは10月中旬から2月末くらいかな。
 ブラックバスなんかを釣る連中もいますが、釣っても放すんですね。
 引きを楽しむっていうの。だったら食っちゃえよ、って思いますけどね。

 千葉も木更津から先はアクアラインを使えば便利だし。
 京葉道路もいいけど、下道でも最近は途中から3車線になってすいすい行けるようになって。
 この前、ETCカードを持って行かなかったことがあって、オレはもちろん持ってないけどさ。
 べらぼうに金が掛かってびっくりしましたよ。
 
 けっこう忙しいですよ、庭木の手入れやメダカの世話とか、なんたっておさんどんの世話ですからね。
 買い物行ってどれが安いとかけっこう一日、忙しいですよ。
             

 お酒もいいですが、昼酒は酔いが早いような感じで。でも、けっこういけますね。さすが蔵元。

 ま、さっきも話したけど、釣りが唯一の楽しみですね。あとは町会の仕事くらいですかね。
 今年の秋は本祭りで、神輿をださなきゃならないんで。あれ、担ぎ手からなにから、これもんに頼んでいるんですよ。
 そうじゃないと、いざこざが・・・。何とか睦って手配してくれる。この町会じゃ担ぎ手なんかいませんからね。
 神社だって無人で、神様に用事があると浅草から来てくれる。
 そ、頼むにはそれなりの接待とお金がいりますが、それで無事に収まれば安いもんですよ。

 浅草っていえば、桜橋の下あたりでけっこう釣れるんですよ、ハゼが。けっこう大ぶりのやつが。
 ハゼ釣りの大会かなんか10月頃にやっているんじゃないですか、餌付きで。
 天ぷらにするとおいしいですよ。ヘドロかなんかで臭いんじゃないかって。まあそんなことはないですよ。
 ダイオキシンはどうですかって、それは分からないな。

 そろそろ痛んだ家を普請しなければ思っているんですが。
 へえ、おたく、けっこう詳しいですね。
 断熱材の厚みがどうのこうの、基礎のコンクリートが何㌢、えっ、集成材を使っているの、木は無垢なのか、って。
 金のあるうちは違うね。
 けっこう面倒くさいことを調べてますね。
 だったらマンションでいいんじゃないの?
 奥さんがやだって。そうなのか、じゃあ、勝手にすれば。

 悪仲間もいましてね、千葉の海でアワビを潜ってとる、っていう奴もいますよ。
 もちろん違反ですよ、見つかった大事(おおごと)ですがね。
 地元の海女さんよりも潜るのが上手っていうんですから・・・。
 おこぼれを、小さい奴をもらったことがありますが、少し、っていうかかなり気が引けますね。

 女優でしたっけ、自称。今はお茶出し係で。けっこうお元気ですね。うちのばあさんももうじき世話になるでしょうね。
 けっこうな期間、空き待ちですよね。空きって言ったって入居者が死ぬの待っているってことでじゃないですか。切ないですよね。
 お金のある方はいいでしょうけど。特養とか何とかで。

                          
        
 どうもありがとうございました。緑もたくさんあって、海なんかとは違う雰囲気がいいですね。
 どうせお宅、また途中でいなくなるんでしょ、いつもパターンで。帰りはこの方と一緒に帰りますから。

 人数は少なかったけど、ま、これもよし。でも、来年は上野あたりにしたら? 近場がいいね、やっぱり。そこなら一人で行けるし。

 「澤乃井」さん。お騒がせしました。おいしいお酒とお食事を楽しませていただきました。
                       
                        「北原白秋の歌碑」。

 西多摩の山の酒屋の鉾杉は三もと五もと青き鉾杉

 白秋が大正12年(1923)、この地を訪れたときに詠んだ歌。
 
』所収

多摩の浅春

造り酒屋の歌(注:「長歌」の形式になっている)

 水きよき多摩のみなかみ、南むく山のなぞへ、老杉の三鉾五鉾、常(とこ)寂びて立てらくがもと、古りし世の家居さながら、大うから今も居りけり。西多摩や造酒屋(つくりざかや)は門櫓(かどやぐら)いかしく高く、棟さはに倉建て並(な)め、殿づくり、朝日夕日の押し照るや、八隅かがやく。八尺(やさか)なす桶のここだく、新(にひ)しぼりしたたる袋、庭広に干しも列つらぬと、咽喉太(のどぶと)の老いしかけろも、かうかうとうちふる鶏冠(とさか)、尾長鳥垂り尾のおごり、七妻(ななづま)の雌(め)をし引き連れ、七十羽(ななそは)の雛を引き具し、春浅く閑(しづ)かなる陽(ひ)に、うち羽ぶき、しじに呼ばひぬ。ゆゆしくもゆかしきかをり、内外(うちと)にも満ち溢るれば、ここ過ぐと人は仰ぎ見、道行くと人はかへりみ、むらぎもの心もしぬに、踏む足のたどきも知らず、草まくら、旅のありきのたまたまや、我も見ほけて、見も飽かず眺め入りけり。過ぎがてにいたも酔ひけり。酒の香の世々に幸(さき)はふ、うまし国うましこの家(や)ぞ、うべも富みたる。

反歌

大御代の多摩の酒屋の門櫓(かどやぐら)酒の香さびて名も古りにけり

西多摩の山の酒屋の鉾杉は三もと五もと青き鉾杉

注:「鉾杉」=鉾(矛)のようにまっすぐ生い立った杉。(『広辞苑』)

 これって、おふくろの生まれた年じゃない。
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こまつ座『父と暮せば』(井上ひさし)。(「じじばばがゆく」。久々の観劇編。)

2018-06-15 22:11:57 | じじばばがゆく

こまつ座「戦後"命"の三部作」の
記念すべき第一作。
魅力あふれる新しい俳優を迎え堂々上演。

あの被爆者たちは、核の存在から逃れることのできない二十世紀後半の世界中の人間を代表して、地獄の火で焼かれたのだ。
だから被害者意識からではなく、世界五十四億人の人間の一人として、あの地獄を知っていながら、「知らないふり」をすることは、なににもまして罪深いことだと考えるから書くのである。
おそらく私の一生は、ヒロシマとナガサキとを書きおえたときに終わるだろう。
この作品はそのシリーズの第一作である。
どうか御覧になってください。
―――井上ひさし

(「こまつ座」HPより)

 梅雨の合間って感じで、日差しはまあまあだけど、けっこう蒸し暑いわね。
 久々に六本木にやってきたわ。30年以上昔に住んでいたことがあったのよ、社宅に。
 懐かしいところなのよね、私にとって。
 ちょっと早めに出てきて、少し歩いてみた。ずいぶん変わってしまったわ。
 
 「俳優座劇場」は近くにいて、初めて。そんなに大きくないのね。でも、昼なのに、満席。女性が多いようね、時間的には。

 1948年夏、広島。原爆投下から3年後が舞台。
 市立図書館で働く23歳の福吉美津江は、原爆について調べている文理科大学の助手で26歳の木下という青年と出会い、お互いに好意を抱くようになるのよね。
 でも、美津江は木下のことを好きになってはいけないと。
 美津江が木下に秘かな想いを寄せていることを知った父・竹造は、あの手この手を使って娘の心を開かせようとするんだけど、彼女はかたくなに拒み続けるのね。恋の応援団長として父はどうしたものか? という展開になる。
 
 舞台に登場するのは二人だけ。その父娘のテンポよい掛け合いの中で、原爆の悲惨さ、一瞬のうちに戦時下の市井の生活者の生命を奪い、そして今も続く原爆症で苦しめる原爆という兵器の恐ろしさを声高に叫ぶのではなくて伝えていく、見事なつくりよね。

 開幕。いきなり雷鳴の中で父と娘が押入れの中で交わすセリフのやりとりが楽しい。なんで父親が押し入れの中にいるの?

 そうそう、親子で交わす広島弁がすばらしかった。広島弁でなくてはいけないのね、井上さんの思いとしては。

 最後。木下が収集した原爆投下の悲惨さを物語る、8時15分で止まっている時計、特に父親と同じく顔が焼けただれたお地蔵さんの首などが山積みされた舞台で、父と娘の会話が始まるのね。

 瀕死の父はグーを出すぞと言って、娘もグーで応じた。しかし、結局、・・・。
 そして、娘は瀕死の父親を見捨ててその場から生き延びた、という罪悪感を持ち続けてしまうのね。

 その話に移ったとき、当時と同じように二人はじゃんけんでどちらもグーを出し合うのね。

・・・

竹 造 わしをからだで庇うて、お前は何度となくわしに取りついた火を消(きや)してくれたよのう。……ありがとありました。じゃが、そがあことしとっちゃ共倒れじゃ。そいじゃけえ、わしは「おまいは逃げい!」いうた。おまいは「いやじゃ」いうて動かん。しばらくは「逃げい」「いやじゃ」 の押し問答よのう。
美津江 とうとうおとったんは「ちゃんぽんげで決めよう」いいだした。「わしはグー出すけえ、かならずおまいに勝てるぞ」いうてな。
竹 造 「いっぷく、でっぷく、ちゃんちゃんぶくろ、ぬっぱりきりりん、ちゃんぽんげ」(グーを出す)
美津江 (グーで応じながら)いつもの手じゃ。

・・・

竹 造 (怒鳴る)なひてパーを出さんのじゃ。早う勝って、はよう逃げろいうとるのがわからんか。このひねくれもんが。親に孝行する思うてはよう逃げいや。(血を吐くように)おとったんに最後の親孝行をしてくれや。たのむで。ほいでもよう逃げんいうなら、わしゃ今すぐ死んじゃるど。

短い沈黙。

竹 造 ……こいでわかったな。おまいが生きのこったんもわしが死によったんも、双方納得ずくじゃった。
美津江 じゃけんど、やっぱあ見捨てたことにかわりがない(なー)。うち、おとったんと死なにゃならんかったんじゃ。

・・・

竹 造 わしの一等おしまいのことばがおまいに聞こえとったんじゃろうか。「わしの分まで生きてちょんだいよー」
美津江(強く頷く)……。
竹 造 そいじゃけえ。おまいはわしによって生かされとる。
美津江 生かされとる?

 そうした会話の最後に

竹 造 人間のかなしかったこと、たのしいかったこと、それをつたえるんがお前の仕事じゃろうが。そいがおまいに分からんようなら、もうおまいのようなあほたれにはたよらん。ほかのだれかを代わりに出してくれいや。
美津江 ほかのだれかを?
竹 造 わしの孫じゃが、ひ孫じゃが。

 このやりとりで、もう涙うるうるになってしまったわ。

 ラスト。

美津江 こんどいつきてくれんさるの?
竹 造 おまい次第じゃ。
美津江(ひさしぶりの笑顔で)しばらく会えんかもしれんね。

 そのとき、被爆の資料を積み、木下が乗ったオート三輪の音が聞こえてくるのね。

 消えていく父の背に向かって、

美津江 おとったん、ありがとありました。

 こうして舞台の幕が下りる。・・・

 あら、まだ1時間半か、それほど長くないお芝居だったわね。でも、感動的。

 いきなり雷鳴。まるでピカドンのように激しくって。それから晴れたり、雨が降ったり、(雨漏りの音が効果的)・・・、
 そして終幕の夕日がやさしく差し込むシーン。さすがよね。

 すばらしいお芝居だったわ。

 このあいだの米朝会談が大きな話題になっているけど、北朝鮮の核廃棄、そして朝鮮半島の平和、東アジア、いや世界の平和実現のために、やっぱり核の問題は重要よ。
 唯一の被爆国としての日本は、もっともっと積極的に世界の核廃棄に向けて取り組むべきよね。

 なんてちょっと力みすぎてしまったわ。

 さて、お茶でもしましょうか。昔からあるお店がこの裏にあるはずよ、たしか「紗絵羅」って言ったかな。そこに行ってみようよ。

 「一風堂」っていうおいしいラーメン屋さんもあるけど。

 あら、お団子屋さんも昔のままでやっているわ。
 そうそう思い出したわ、ここに住んでいた頃、買いに来て、おいくつですか? って聞かれて、つい年齢を答えたってことがあったわ。

 また今度ゆっくりと。今日は有り難うございました。 

 ところで、生前、井上ひさしさんが構想していた「ヒロシマ」・「ナガサキ」・「沖縄」をテーマにした「戦後命の三部作」という遺志を山田洋次監督が引き継ぎ、「ナガサキ」をテーマに制作された映画が『母と暮せば』なのね。こまつ座により舞台化され、今年の10月に上演される予定よ。

 ※ 台詞の引用は『父と暮せば』井上ひさし(新潮社版)P101~107。
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早く返事を寄こせよ、って。でも、どうなるの?

2018-06-08 22:58:46 | じじばばがゆく
 今度のクラス会、どうするの? 申し訳ないですが、私は行けないけど。

 そんな電話があって、また性懲りもなく計画を立てます。
 もう一年たつのか!
 
 ・・・

 みんな年取って自分だけでも大変なのに。
 旦那の世話や、もう1世紀をクリアした母親の面倒とかさ、大変なんじゃないの、みんな。
 先生だってどうなのかしらね。ホントに会いたがっているのかな?
 誰かに会いたいというわけでもないでしょ。

 私は遠慮するわよ、もうちょっと体調がよければね。

 去年の暮れも男性だけ4人だったし、女性陣からは返事すら無かったよ。

 タバコを吸うやつがいてさ、愚痴話ばかり。体力の衰えと気力の萎えと・・・。
 行き当たりばったりの店で。そのことでもぶつぶつ言っているしさ。
 2時間なんとか持ったけどさ・・・
 もういいんじゃない、暮れに会うのは、って感じよね。

 そろそろ限界ね。
 やめどきが肝心だわよ。でも、すっぱと割り切るのも何となくイヤで。

 幹事のやる気がなくなったらどうするつもりなかね、皆さんは。
 そん時はそん時じゃない、何事も。

 ただ飲んで、っていっても昔ほど飲めなくなっているけど、女性陣はもともと飲まないし。
 男性陣も飲むのはあなたくらいじゃない。

 話しするのはいいけれど、愚痴話はけっこう。ぐちゃぐちゃ、同じ話を何度も、ってイヤになる。
 そんなのはふん、ふんと言いながら聞き流せばいいのよ。そういうものよ。

 そうできない性分の者もいるさ。
 相手はただ聞いてもらえばいいだけで、助言、大げさな表現だけどそんなの貰おうなんてさらさら思っていないし。
 まったく関心なしというわけにはいかないじゃない、一応、一生懸命話しているんだし。
 それでも、右から左でいいのよ。

 だったらごちゃごちゃ言うなって話さ。この間も掛かってきてさ、家を建て直すのでどうでこうでって。
 30分近く、行きつ戻りつ。いい加減、ヤになったってわけね。

 場所を決めても、イヤ高すぎるとか、遠すぎるとか。だったら自分で企画しろよ、って。

 そこで、今回は、遠く多摩川の渓谷に誘うことにしたんです。
 緑豊かな渓谷を眺めながらゆっくりとミニ会席料理を食べる、という趣向。

 でも、来ないと思うよ、せいぜい5人くらいがいいとこじゃない。
 それでもいいよ。利き酒もできるし、こっちは結構楽しめるから。
 こうなったら自分の趣味で企画するのが精神衛生的に、可なりということ。

 そうね、それでいいかもね。せいぜい楽しまれて下さい。
 
 ・・・
 
 ところで返事はどうなの?
 封書にコピーの「お知らせ」入れて、返信用のハガキも入れて。12人に出したけどさ。
 まだ行くとも行かないとも誰からも返事がないのね。
 一人電話があったけど、留守電が入っていた。
 
 疲れるわね、ホント。でも、あなたもますますせっかちになったわね。もう少し待ったら。まだまだ先なんだから。

 梅雨入りになって、体中がジメジメしてイヤだわ。
 せめて気分だけは爽やかになろうよ、たまにはいい芝居でも観てさ。
 う~ん、そうね。面白いのがあったら、紹介してよ。

 では、また。  
 
                   

 梅雨どきでしょ、増水してたらどうするのよ。土砂降りだったら、・・・。
 ま、心配してたら、きりないけど。
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隅田公園。さくら。サクラ。桜。3月28日(水)午前。その2。

2018-04-03 21:34:19 | じじばばがゆく
                                 遠くには墨田区役所の庁舎。
「ヤエベニシダレ」。
 エドヒガンザクラの枝垂れるタイプで、八重咲き。

 土手側に移動します。この付近の今昔。


1880年代のようす。右上の堀割は「山谷堀」。下の流れは「北十間川」。右下が現在の隅田公園。



2010年代のようす。隅田川に架かる橋は、上から「桜橋」、「言問橋」、「東武線鉄橋」。

「言問橋」上から北側を望む。

        

南側を望む。正面は墨田区役所。

   

隅田川上流。向こうの橋は「桜橋」。

まさに桜花爛漫。

「首都高」の下。

桜並木に沿って雪洞が提げられています。

あでやかな名入り。

対岸は台東区(浅草・今戸)。

「桜橋」から上流を望む。

「桜まつり」。地元の茶店も営業中。


               昼過ぎから夜まで。

               「・・・上り下りの船人が櫂のしずくを・・・」。
  

菜の花。 

  



          「ミヤビ(雅)」。

振り返って望む。

上流。遠くの橋は「言問橋」。

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隅田公園。さくら。サクラ。桜。3月28日(水)午前。

2018-04-02 20:58:01 | じじばばがゆく
 3月28日(水)。晴れ。じじばばがそぞろ歩きの隅田公園。桜を愛でる人々。そんな隅田公園(墨田区側)を。

 
 序詞 野口雨情
                 都鳥さへ
                 夜長のころは
                 水に歌書く
                 夢も見る
  

立札
 ここに刻まれた都鳥の詩は、日本童謡民謡の先駆、巨匠野口雨情氏が、昭和8年、門下生の詩謡集の序詞執筆のため当地に来遊の折、唄われたものである。
 東京都民の心のふるさとである隅田川ぞいを飾るにふさわしい作品として、記念碑に刻し、永遠に保存する。
 昭和63年10月9日 墨田区

 何とも仰々しい「立て札」ではあります。

 ついでに台東区側の隅田公園にある歌碑、句碑。
「花」(滝廉太郎)の碑。「春のうららの隅田川・・・」

「羽子板や子はまぼろしのすみだ川 秋櫻子」水原秋櫻子の句碑。

 さて、墨田区側。
「住民が育てた墨堤の桜」。
 江戸時代、花見の名所としての地位を確立していった墨堤も、当初の墨堤の桜は水神社(現在の隅田川神社)付近を中心に植えられていました。しかし1880年代から、地元の村の融資らによって桜が植えられ、墨堤の桜が南へと延伸して行きました。
 墨堤の桜が長命寺、三囲神社と徐々に延びて、枕橋まで達したのは1880年ごろといわれています。この間は地元有志の植桜だけでなく、有志が発起人となった「桜勧進」と呼ばれる寄付が行われています。
 墨堤の桜が地元の人々に愛された桜であることが、この植桜之碑に刻まれています。

「墨堤植桜の碑」。

こちらは「平成植桜の碑」。

早咲きの「河津桜」。すでに葉桜になっています。

 隅田公園には土手に植えられた「ソメイヨシノ」の並木の他にも、単体でさまざまなサクラが植えられています。
「オオシマザクラ」。
 「長命寺の桜もち」のお店のそばにあります。
 ここは、正岡子規の仮寓の地でもあったようで、解説板があります。

 向じま 花さくころに 来る人の ひまなく物を 思ひける哉

 近代日本を代表する俳人の正岡子規は、向島周辺の景色を好み、こうした歌を数多く遺している。隅田川と墨堤の自然がよほど気に入ったのか、大学予備門の学生だった子規は、長命寺桜もち「山本や」の二階を3ヶ月ほど借り、自ら月香楼と名付けて滞在。そこで次のような句を詠んでいる。

 花の香を 若葉にこめて かぐわしき 桜の餅 家つとにせよ
 
明治28年、日本新聞社の記者として日清戦争に従軍する。その折も

 から山の 風すさふなり 古さとの 隅田の櫻 今か散るらん

 と墨堤の桜を偲んだ和歌を詠んでいる。
 子規という雅号だが、ホトトギスの意、その鳴き声は悲壮で、「鳴いて血を吐くホトトギス」などといわれ、喀血したわが身をホトトギスに喩えている。

「エドヒガン」。

「ベニユタカ」。

 「シロタエ」。 

「ヨウコウ」。

 
                        「ヤエシダレザクラ」。

「センダイヤ(仙台屋)」。
 原木は高知市内の仙台屋という店の庭にあったことから、牧野富太郎が命名した。
              
「ソトオリヒメ(衣通姫)」。
  ソメイヨシノとオオシマザクラの自然交雑で生じた。

他にもたくさんの種類のサクラ。咲き終わったのや、これからのものも。撮り損ねたのもまだまだありそう。

公園内もソメイヨシノが満開。
                     
ソメイヨシノ」。

 「ソメイヨシノ」は、江戸末期から明治初期に、江戸・染井村の造園師や植木職人達によって育成されました(ただし、「吉野」とあるが、吉野山に多い「ヤマザクラ」とは別種)。
 「ソメイヨシノ(染井吉野)」は「オオシマザクラ」と「エドヒガン」の交配によってできたかなり限られた数の原木を始源とするクローンであることが判明しています。各地にある樹はすべて人の手で接木(つぎき)挿し木などによって増やしたもので、ソメイヨシノ同士の自然交配による純粋な子孫はありません。そのため、すべての個体が同一に近い特徴を持ち、一斉に咲き、一斉に花を散らす理由になっています。よくTVで見る「桜前線」は、そうした特徴をよく表しています。
 しかし、病気や環境の変化に負ける場合には、多くの株が同じような影響を受け、植樹された時期が同時期ならば、同時期に樹勢の衰えを迎えようです。
 公園や街路樹などでソメイヨシノばかりが植えられている現状にはこれでいいのかとうなってしまいますが・・・。

     根元にも花が数輪。

「明治天皇行幸所 水戸徳川邸舊阯」の碑。

 「隅田公園」は、関東大震災後の復興計画の中で、、三大公園(あとの二つは「浜町公園」と「錦糸公園」)の一つとして計画されました。隅田公園は、隅田川の両岸にあって、徳川吉宗以来、桜の名所であった隅田川堤と旧水戸藩邸の日本庭園(墨田区側)を取り込み、和洋折衷の大規模な公園として整備されました。

  
    「ユリカモメ」が数羽、羽を休めています。

 主人公として在原業平が想定されている『伊勢物語』の「九段 東下り」に登場する「都鳥」は、ユリカモメを指しています。

 なほゆきゆきて、武蔵の国と下つ総の国との中に、いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。・・・さるをりしも、白き鳥の嘴と脚と赤き、しぎの大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡しもりに問ひければ、「これなむ都鳥。」と言ふを聞きて、『名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと』とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。

 ここでの「都鳥」は「ユリカモメ」だとされています。当時、京の都には飛来していなかった鳥のようです。
「ミヤコドリ」。(「Wikipedia」より)

                   

               

                 

「ゲンペイモモ(源平桃)」。
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梅まつり。向島百花園。その2。

2018-02-26 22:24:07 | じじばばがゆく
               梅の花にも一重や八重。また白、薄紅、淡紅、濃紫紅などいくつもの色合いがあるようです。

「墨沱梅荘記」碑。

「藤牡丹枝垂れ」。

「白滝枝垂れ」

少し大きな野鳥が飛び立ちます。

その上には月が(↓)。



                   

遠くに「スカイツリー」。

                     

 行きつ戻りつ園内を散策。芭蕉の句碑。
「こ(ん)にやくのさしみも些(すこ)しうめの花 はせを」。
 《仏前にコンニャクの刺身が少し供えられている。梅の花が咲いて春はもう近い。芭蕉》

「初雁」。

「見驚(けんきょう)」。

ふたつとも「御成座敷」入口に咲いています。



                「みつまた」。

しだいに暮れなずむ園内。



園内には終了のチャイムが聞こえはじめました。
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梅まつり。向島百花園。その1。

2018-02-24 13:43:46 | じじばばがゆく
                       益賀句碑「鳥の名の 都となりぬ 梅やしき」。

向島百花園「梅まつり~梅花彩る江戸花屋敷~」 2018/2/10(土) ~ 2018/3/4(日)

 2月23日(金)。

 冷たい雨もようやく上がった夕方前。「向島百花園」に立ち寄ってみました。4:30で入園終了(5:00閉園)。ぎりぎり間に合いました。
 いつものメンバーは体調など都合がつかず、予定は未定。せっかくのかつて「新梅屋敷」とも呼ばれた「百花園」。近くまで出かけたついでにちょっとのぞいた次第。
 「じじばばが(ひとりで)ゆく」、という趣向。雨上がりと傾いた日差しの中での散策。

 入園料:70円(65歳以上)。

向島百花園
仙台出身の骨董商、佐原鞠塢(さはらきくう)がもと「多賀屋敷」と呼ばれていた土地を入手し、1804年(文化元年)に開園した。360本もの梅の木を植えたことから当時亀戸(現・江東区)にあった「梅屋敷」に倣って「新梅屋敷」とも、「花屋敷」とも呼ばれていたが、1809年(文化6年)頃より「百花園」と呼ばれるようになった。江戸時代には文人墨客のサロンとして利用され、著名な利用者には「梅は百花にさきがけて咲く」といって「百花園」の命名者であった絵師酒井抱一や門の額を書いた狂歌師大田南畝らがいた。当初梅園として営まれたが、その後、園主や文人たちの構想で詩歌にゆかり深い草本類を多数栽培した。園内には多数の野草が植えられ、とくに秋の七草その他、秋の草花の美しさで知られた。また、池泉、園路、建物、30余基の石碑などを巧みに配した地割でも有名であった。
 その後も民営の公園としての長い歴史を経たが、明治以降、周辺地域の近代化や度重なる洪水などの被害を受け、明治末年頃よりその影響で草木に枯死するものがあり、一時は園地も荒廃したが、のちに東京市に譲渡されて1939年(昭和14年)には公営の公園として出発した。
 1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲により全焼し、それまで遺っていた往時の建物も焼失してしまい、石碑以外、樹木も含めてほとんど跡形もなくなった。戦後、跡地を少年向けの野球場にしようという声も出るなか、「百花園」として復興されることとなり、1949年(昭和24年)に再開された。
 幾度か変転を経ながらも、園内の景観は今なお旧時の趣きを保っており、文人庭の遺構としても貴重なものである。江戸時代の花園として僅かに今日に遺るものであり、その景観、遺跡ともに重要であるとして、1978年(昭和53年)10月13日、国の史跡および名勝に指定され、保護措置がとられることとなった。

                                          (以上「Wikipedia」参照)

芭蕉「春もやゝ けしきとゝのふ 月と梅」。

 満開とはいえませんが、けっこう園内にはさまざまな種類の梅が咲いています。「百花園」で準備された「梅マップ」によると、21種類の梅。去年の水戸の偕楽園や一昨年行った三浦半島の「田浦梅の里」、あるいは他の梅林に比べると、小規模ですが、そこそこ味わえます。

「紅冬至」。

「白加賀」。

園内。

                    



足元には「春の七草」が。

「御成座敷」の庭に咲く「唐梅」「白加賀」。

「唐梅」は八重。

「紅千鳥」。

                  

鶯色をした小鳥がたくさん集まっています。メジロ。(写真は「Wikipedia」より借用)  

 花の蜜を大変好むため花期に合わせて行動し、春には好物の花の蜜を求めて南から北へと移動するものもいる。特に早春はツバキや梅の花に群がる様子がよく観察され、「チー、チー」という地鳴きで鳴き交わす様子がよく観察される。花の蜜を好むことから「はなすい」、「はなつゆ」などの地方名がある。
 メジロは甘い蜜を好み、また里山や市街地でも庭木や街路樹などの花を巡って生活している。そのため昔から人々に親しまれた鳥である。現在も、切った果物や砂糖水などを庭先に吊しておくことでメジロを呼ぶことができ、野鳥観察において馴染み深い鳥の一種である。エサ場でヒヨドリがメジロを追っ払うのもよく見かける光景である。
 またメジロは比較的警戒心が緩く、頻繁に鳴き交わしつつ群れで行動するため、慣れた人だと口笛で(歯笛の感覚で吹く)仲間がいると思いこませ、群れを呼び寄せることもできたという。
 メジロとウグイスはともに春を告げる鳥として親しまれていたこともあってか、時期的・場所的に重なる両種は古くから混同されがちであった。
 メジロは梅の花蜜を好み、早春には梅の花を求めて集まってくる。また比較的警戒心が緩く、姿を観察しやすい。いっぽう、梅が咲く頃によく通る声でさえずりはじめるウグイスは警戒心がとても強く、啼き声は聞かれても姿を現すことはあまりなく薮の中から出ることは稀である。またウグイスは主に虫や木の実などを食べ、花蜜を吸うことはめったにない。
 ウグイスとメジロの混同を示すものとして「鶯色」がある。ウグイス色と言った際に、ウグイスの灰褐色(オリーブ色に近い)を想像する人もいれば、メジロの緑色に近い色を想像する人もいる。
 なお、古来より春を告げる言葉として「梅に鶯」があるが、これは梅の花に鶯の声を添えた風情を意味し、日本画で梅の枝にメジロを描くのとは意味が異なる。
      (以上、「Wikipedia」参照。)

 こうして身近にメジロを目にしたのは珍しく、「梅とウグイス」ならぬ「梅とメジロ」という趣向にしばし。
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読書「おらおらでひとりいぐも」(若竹千佐子)河出書房新社(じじばばがゆく。ランチ編。)

2017-12-20 18:52:55 | じじばばがゆく

 よっこらしょ! お疲れ様でした。

 腰の方は何とか落ち着いたわよ。病気の方も・・・。どうした、どうしたっていちいち聞かないでくれる。

 もうあっという間に年の瀬。一年経つのが早すぎるわ。

 そうね、ランチとしては今ひとつだったわね。ビュー代ということかしら。
 スカイツリーまでよく見えるし、新宿駅が目の下。御苑も手に取るようなところに。トイレからの展望が格段だったって、そうなんだ。

 あそこ。「小田急サザンセンチュリータワー」とかいうのよ、知らなかった? 20階から上がホテルになっているのよね。素敵な方とお泊りになったらいかが?

 そうそう。この間お貸しした本の感想を聞かせてほしいわ。

 なんでも河出書房の「文藝賞」というの、それを史上最年長で受賞した作品だそうだけど。

 ほら、宮沢賢治の有名な詩「永訣の朝」のトシ子さんの「Ora Orade Shitori egumo」を表題にしているのよね。

 ローマ字表記の音では「しとり」を「ひとり」、「えぐも」を「いぐも」と言い換えてあるのは、作者のそこには深い思い入れがあると思うのよ。

 賢治さんのよき理解者であった妹のトシ子さんの今わの際の言葉として受け止めるのではなくて、もちろん、本当にそう言ったかどうかは問題じゃないわ。

 主人公の桃子さんにとっては、確実に迫った「死出の旅路」を免れることはできないけれど、お迎えの、その日まで「一人で生きていく」決意が含まれているよね。

 一方で、「Ora Orade(おらおらで)」をそのまま用いているところに作者の、桃子さんへの深い思いが表現されているわよね。

 「おら」、対する「わたし」という言葉への複雑な、屈折した思いが主人公・桃子さんにも、いや作者自身にも、否応なしにあることが随所にうかがわれる。

 それが、物語の通奏低音としてしっかり位置づけられているのよね。

 それにしても、賢治の「虔十公園林」に登場する主人公・虔十(純粋な心の持ち主。でも、近所の子どもらにばかにされて笑われる存在)の、

 雨の中の青い藪を見てはよろこんで目をパチパチさせ青ぞらをどこまでも翔けて行く鷹を見付けてははねあがって手をたゝいてみんなに知らせました。

 をしっかり引用してくるところなんかは、宮沢賢治が「心象スケッチ」と称した詩(ことば)づくり、紡ぎ方にも擬えているよね。

 故郷の「八角山」を結びつきのきっかけとして、そんな宝石のような物語の主人公と結婚し、二人の子どもを育てあげる、しかし、しだいに疎遠になっていく肉親関係。特に30年以上寄り添った夫の突然の死。

 そして、今、一人住まいをする74歳の女性「桃子」。・・・

 「八角山」なんて山名じゃなくて小説ならもっとしゃれた名前にすると思うけれど、名実ともに凡庸な山だからこそ、桃子さんのかけがえのない、心のよりどころになっているのよね。

 「八海山」だと山の名前というより、お酒の銘柄になってしまうけど。

 幾重にも死者たちの声が桃子さんの耳に眼に伝わってくる、そう、宮沢賢治のあの独創的なオノマトペを彷彿される幻想・幻聴シーンなんかは、桃子さんの思いに感情移入されられてしまうわね。

 すでに夫も含め、肉親たちの亡者の仲間入りになった者同士の語りかけ、と一体化する桃子さん。

 桃子さんがソーダ水をストローでかき混ぜながら、
 
 嘆きの渦最高潮に達し、柔毛突起ども皆立ち上がり天にも届けとばかりにおめき叫べども、誰かのしわぶき、あきらめのため息をきっかけにしだいに勢い衰え、音なり静かになる。
 それとともに一斉にうごめき揺れていた柔毛突起どもの渦、しだいに右に左に揺れ別れ、三つの大きな円になって鎮まり治まる。


 という表現なんか面白いわよね。

 他者と微妙に関わりながら、それでいて振り回されず、自らの喜怒哀楽を大事にお迎えが来るその日まで、日々を暮らしていくのよね。

 孫の存在が桃子さんにとっても、読者にとっても救いとなり、ラストの「希望」につながっていくわね。

 (一人で訪ねてきた孫のさやかに人形に「新しい服を作ってやるべが」と、)

 「さやちゃん、端切れが入っているから、二階の箪笥の上の黄色い箱取ってきてくれるが」
 言うより早くさやかは駆け出していく。階段を踏みしめる軽やかな足音が耳に心地いい。
 「おばあちゃん、窓開けるね」
 「あ」
 「おばあちゃん、来て来て早く」
 「はあい」
 桃子さんは笑ったままゆっくりと立ち上がった。
 「今、行くがらまってでけで」
 「春の匂いだよ。早くってば」

 故郷の八角山への想いの中で、都会の片隅での晩年の一人住まい・・・、「癒やし」のお話になっているわ。このお話、私なんかすごく同化しちゃうわ。

 ところで、あなたにとっての「八角山」というような存在って何?

 ちょっと、もう。話を聞いてくれていたの、まったく。

 今日は、ここまでよ。あとは、またこの次。

 ではよいお年を! じゃあね。  

 そうそう、若竹さんには悪いけど、「虔十公園林」のラストを引用するわね。もしかしたら桃子さん愛用の「46億年ノート」にも通じるものがあるかも。

 (周囲が開発されていっても、虔十が植えた杉林は隣の小学校の子供たちの公園となっていました。そして、「虔十公園林」と名付けて保存されることになります。)

 全く全くこの公園林の杉の黒い立派な緑、さはやかな匂ひ、夏のすゞしい陰、月光色の芝生がこれから何千人の人たちに本当のさいはひが何だかを教へるか数へられませんでした。
 そして林は虔十が居た時の通り雨が降ってはすき徹る冷たい雫をみじかい草にポタリポタリと落とし、お日さまが輝いては新しい奇麗な空気をさはやかにはき出すのでした。

 
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「新宿御苑」菊花展、開催中。晩秋のぬくもりを求めて。

2017-11-02 20:54:25 | じじばばがゆく
 お久しぶり。4ヶ月ぶりかな。ご心配おかけしました。

 あれから色々ありまして、ご連絡もままならず、失礼しました。

 そう、我が身と家族のことで、病気の心配事が続いて、・・・。



 ま、わたしの方はやっと原因が分かったし、気長に病気とつきあうしかないかな、と。

 私の病気、遺伝的な要素もあるのかしらね。父親にもそんな感じがあったし。

 一病息災って、ありがとう。相変わらず親切ね。


 7月、8月とばたばたしているうちに、あっという間に過ぎちゃった。

 もう年だから、終活よ、終活。あなたも考えた方がいいわよ。

「大作り花壇」。
 まだ少し早かったかもね。

 でも、「too late」ってそう寂しいこと言わないでって。う~ん、それはそうだけどさ。


 こういうのは、みんな御苑の職員の方達が丹誠込めて作っているんですって。


 おしゃれなネーミングね。「堀切菖蒲園」なんかもそうだけど、世話もたいしたものよね。



                           

 天気もいいし、けっこう人も出ているわね、新宿御苑も。のんびりと散策もいいわね。

 残りの人生、じっくりじっくりやっていくしかないわよ。
ツワブキ。これもキク科の植物。

 今度の例会。そう、どうしようか迷っているんだけれど、やっぱりみんなと会いたいし。

 夜は足下がおぼつかない、って。たしかにね。大丈夫よ、まだ。

 にんじんを切ったり、白菜を切っていると、手元をえらく心配してくれているわ、家族みんな。

 でも、あんまり病人扱いはイヤですわ。

 すっかり秋、というか冬の雲らしいわね。鱗雲? 筋雲? 鰯雲?
 

            
 我が家の庭なんか、草ボウボウよ。手入れもできずに。髪の毛は何とか。


                 

 ・・・どこがですって、そういうくだらないことは、言わないの!


 大輪から小菊までまさに色とりどり。

 そうなんだ、菊の花ってお葬式を想像しっちゃて好きじゃないのか。

 
 ちょっとやせたかも。すっきりした顔になってるでしょ。よけいな憑きものがなくなったって。

 達観しはじめたのかしらね。あなたももう少し枯れた方がいいわよ、髪の毛だけじゃ無くてさ。

 どうする? 食事するなら「四谷三丁目」に知っている店があるけれど、島根の魚や地酒を飲ませてくれるところ。以前、知人が働いていたのよね。

 お店の名? 「善丸」だったかな? 前は違う名前だったようだけど。

 まだ時間があるからって、どこに行くつもりなのよ? どうせ、いつも同じパターンなんだから。

 ここで、ぼんやりするのが一番だわ、余計なこと考えないで。

 でも、人生80年、いや、90年。あと何年、元気でお会いできるかしらね。

 ユリノキ。見上げるほど、見事な大木。

 このユリノキは、明治20~30年代に日本で初めて植えられたものらしいわ。ということは、樹齢、約120年以上か。
 赤坂迎賓館から外堀通りの紀伊国坂をはじめ、都内の街路樹のユリノキは、このユリノキが母樹といえるようよ。

 120才はありえないけど、周りに迷惑を掛けない程度に元気でいたいわね、お互いに。

 少し休んでから、お店に行きましょう。ぬくもりを忘れないように。
 
菊を観る会(菊花壇展)
 毎年11月1日から15日まで、御苑内の日本庭園にて環境大臣主催で開催される。期間中は特別開館期間となり休園日もなく入園が可能。130年以上続く菊花壇展のルーツとなったのは1878年(明治11年)、皇室関係者向けの「菊花拝観」を宮内庁が主催して赤坂の仮皇居で開催。1904年(明治37年)より新宿御苑でも菊の栽培、1929年(昭和4年)から観菊会が行われた。同展示会の特色ある展示物のひとつである菊花壇「大作り花壇」とは、1884年(明治17年)より作られており、1株の菊を数百輪集めて、半円形の形状に仕上げて咲かせた技法の名称。他に回遊式の日本庭園の景観・順路に沿ってさまざまなテーマに合わせて上家(うわや)の建物内に趣向を凝らした花壇が展示されている。(以上、「Wikipedia」参照)

 11月1日(水)。晴れ。
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人生、晩年になるほど、いろいろあるのね。(じじばばがゆく。例会編。錦糸町にて。)

2017-07-05 23:13:43 | じじばばがゆく

 このあいだはお世話になりました。あっという間に日にちが過ぎちゃうわね。なんだか時間が早く過ぎていくような感じがしない、最近はますます。

 腰は痛いし、歩くのもおっくうになってきたし、って最近はそんな話ばかりで申し訳ないわね。

 でも、みんなに久々に会えるので無理して出かけたわよ。行ってよかったわ、みんな元気そうだし、あなたも元気だわね。なんでそんなに元気なのよ。
 
 土曜のお昼っていうので、けっこう混んでいたわね。品数はいっぱいあるようだけど、並んでいてなかなか取りにくいし・・・。
 テーブル席で、ちょっと話しにくいし、ちょっと今回は失敗したわね。幹事の人には申し訳ないけど。

 大人数ではない方がいいのかもよ、ああいうところは。



 90分という時間制限がちょうどいいところよね。殿方たちはけっこう飲んでいたようだけど。元は取れたのかしらね、どうだった?
  
 じゃあ、二次会で別の所に行きましょうよ、って移動したけど、なんだかんだで結局、大勢になったわね。二次会の方も。
 でも、やっと話が盛り上がって、よかったんじゃない。

 へえ、あの方、学校の栄養士だった経験を生かして、障がい児や介護老人の食事の適切な摂り方についてあちこちで話をしているんですって。

 咀嚼力。たしかにあごの働きが衰えてきている方、噛んで飲み込む力って個人差があるしね。機能が衰える中で、どうやって食の楽しみを叶えるか、与えられるかって、私達にとっても大事なことよね。

 気管に入って呼吸困難で死ぬ人も多いじゃない、誤飲性肺炎っていうの。勘三郎さんなんかもそれで命取りになったし。
食べ物の飲み込み障害の可能性って、70歳以上には急に増えてくるらしいわよ。 誤嚥や嚥下性肺炎を予防するケアってこれからは必要よね。
   
 ところで、ほら、いつもぐずぐずしているあの方も、今回は早々と出席の返事を寄こして、ちょっと遅刻したけど、やってきたわね、それもネクタイを締めて。 相変わらず、変わっているわね。

 へえ、お母様が亡くなったのか。95とかそのくらいだったはず。長い間、面倒を見てきたのよね。最後の方はおうちの近くの施設に入っていたようだけど。
 それで、なにか吹っ切れた感じがしたのね。

 お葬式は桐ケ谷の斎場だったんだって、ずいぶん遠くない? おうちの近くに斎場があるのに。
 葬儀屋さんの段取りかしら。お寺も港区の愛宕山の近くにあるんで、そのせいもあるのかしらね。

 えっ、幡ヶ谷斎場だったっけ? それじゃ、もっと遠いわよ。

 隣近所の方には知らせずに、家族だけでやったみたいね。今は、そういう「家族葬」っていうのが多いようね、特に年取った身内が亡くなると。

 まだまだ落ち着かないようだけど。少し土地持ちらしいのね、遺産相続であれこれあるようね。この前発表された「路線価」っていうの、何だかよく分からないけど、そのデータを取り寄せてとか言っていたわよ。

 めんどくさいのね。遺産の処分っていうのは。
 いずれお互いに関わってくるんだろうけど。
 
 あの、一番の大地主の、あの方は、法人化してしまったみたいね、個人が受け継ぐんじゃなくてって、どういうのかもっと分からないけど。

 あんなにおしゃべりするとは思わなかったわ、堰を切ったようにね。よほど肩の荷が下りたのかしらね。
 
 でも、なんで「豆源」を知っているのかしら、麻布十番の。理由はあいまいだし、不思議な人よね、相変わらず。 


   
OTOBOKEMAME。            EBIMAME。

HPより)

 年を取ると我が身だけではなくて、あちこち精算をしなくちゃならないことがたくさん出てきそうだわね。

 もう年なんだし、お互いにあとは自然体でいくところまでいくのが大事かもよ。

 そうね、人生、そう見捨てたものではなさそうだし、まだまだ元気でいきたいものよね。

 ところで、あなたはどう思った? あの二人? けっこうしんみりとお話してたみたいだけど。何かあったのかしら?
 ま、どうでもいいけど。

 三次会は勘弁してよ、もう限界って帰っちゃったけど、そのあとどこかへ行った?
 ま、若くないんだから飲むのもほどほどにしてよ。

 次回は、12月ね。それまでお互いに元気でいましょう。暑い夏を越してね。では、また。 
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久々の、というか今でしょ、「堀切菖蒲園」。(じじばばがゆく。散策編。)

2017-06-28 19:50:24 | じじばばがゆく

 またお会いしましたわね。ちょっと会いすぎじゃない、最近。
 えっ、土曜は無理よ、無理。ご自分のご都合通りにはいきませんわよ。


 大昔に来たことがあるかな、っていう感じ。こんな所にあったのね。駅前もずいぶん変わった、っていうか考えてみたら来たことがなかったわ。堀切には。一駅なのにね。

 暑いし、歩くのもおっくうだから、どうしようかと思ったけれど、結局、来っちゃたわよ。蓮實さんの『伯爵夫人』も返さなくちゃいけないし。
 『伯爵夫人』が人質のようなものだったわね。

 つい最近、新聞にデカデカと出たじゃない、今が見頃って写真で紹介されていたわ。大勢の人が来るんじゃない。混んでるのはイヤよ。

 改装工事中で、今だけ開園しているのか。ショウブのシーズンだけなのね、じゃ、混むのもしかたがないか。入園無料ていうのもいいわね。

 じじばばが確かに多いわね。平日の午前なんて年寄りの暇人しかいないわよ。若いサラリーマンがここで仕事中の休憩、なんてちょっとおしゃれだけど。

 でも、たいしたものね、これだけたくさん! 色とりどりですごいわね。


 広くないのが、かえっていいわね。
 でも、今日みたいな炎天下じゃなくて、やっぱり梅雨時が似合うわよね。ちょっと雨に打たれていた方が、菖蒲も。


 意外と荒川に近いのね、向こうに見えるのは「首都高」でしょ。

日陰がないのね、ここは。休むところも。

 一つ一つに名前が付いているのね、違いがわからないけど。でも、言い得て妙な雰囲気のネーミングね。けっこう凝った名前があるわね。名は体を表すって、ことなのかな。


          



 この田は一年か、ここは2年目、3年目。それ以上はなさそう。ということは3年というスパーンなのか、この花たちも。
 けっこう手入れが行き届いているわね。   



堀切菖蒲園
 東京都葛飾区堀切二丁目にある葛飾区所管の公園(植物園)。花菖蒲の名所として知られる。
 京成本線堀切菖蒲園駅の南西500mほど(徒歩約10分)の綾瀬川沿いに位置している。貴重な江戸系花菖蒲を中心に200種6000株の花菖蒲が植えられており、見ごろは、6月の中旬である。ほりきり葛飾菖蒲まつりの期間(6月初旬~20日頃)は、地元住民・商店街・行政等による運営協議会によって、パレードなどのイベントが行われる。また、公園内には食事(予約制宴会)ができる集会施設「静観亭」がある。
開園時間:9:00〜17:00 ※ 6月1日から25日までは、8:00〜18:00
料金:入園無料
休園日:12月29日から1月3日まで
駐車場:荒川河川敷にある駐車場(位置)を利用(土・日・祝日および菖蒲まつりの期間中の平日)

歴史
 始まりには二説ある。
 ①室町時代、堀切村の地頭久保寺胤夫が家臣の宮田将監に命じ、陸奥国郡山の安積沼から花菖蒲を取り寄せて栽培を始めた。
 ②江戸時代、百姓の小高伊左衛門が趣味で各地の花菖蒲を集めて庭で栽培したのが始まり。

 江戸時代には「江戸百景」に数えられ、名所案内や紀行文、鈴木春信・歌川広重の浮世絵に登場する。
戦前まで、堀切には武蔵園・吉野園・観花園・小高園・堀切園などの菖蒲園があった。
 昭和34年(1959年)堀切園を東京都が購入、東京都立堀切菖蒲園として公開。昭和50年(1975年)葛飾区に移管され、現在に至る。
                     歌川広重。

                                                    (以上、「Wkipedia」参照) 

 お昼どうする? お蕎麦屋さんか、近いの?


                      
                                           あじさいもすてきね。



 「人と木」というのも面白いネーミングね。「ひととき」でしょ。こんな住宅地にあるなんて、隠れ家的存在ね。お蕎麦が美味しいわ。これ、ゴボウの七味揚げっていうの、ピリ辛で美味しいわ。

 さてこれからどうするかって、お任せしますわ、疲れたし。それよりも『伯爵夫人』について感想会をやりましょうよ。

 6月16日(金)。晴れ。

 注:6・28現在、工事中のため閉園(2018年3月まで)。 
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読書「伯爵夫人」(蓮實重彦)新潮社(じじばばがゆく。文学編。)

2017-06-12 22:00:19 | じじばばがゆく

 この作品での「三島(由紀夫)賞」受賞会見の実に不機嫌な振舞い・演技・本音? そうした下世話な情報に惑わされてはなりません、この方を見くびってはいけないということですわ。もちろん、この(純・文学)作品はそうした「下(しも)々」のお話を軽く越えているお話しなんだから。

 このお話の舞台は、昭和16年(1941年)、大日本帝国の首都・東京。太平洋戦争(当時の言い方では「大東亜戦争」)勃発直前頃のお話のようね。

 主人公は二朗という童貞のお坊ちゃん。東京帝大法科の受験を控えた旧制高校生ね。一方、「伯爵夫人」。元娼婦らしいのね、ホントウかどうかわからないけどスパイ? かも。で、その道に長けているプロなのね。

 他の登場人物も多士済々、なかなかなものよ、二朗くんの従妹の蓬子なんか、婚約者がいるのにその未熟な肉体・性を二朗にさらすのね、どこまで本気なのか、茶化しているのかわからないけど。

 そんなことだけにお話しはとどまらないのが、この方のお作法。読者を煙に巻くのは手慣れたものよね。

 次々に飛び出す謎かけ的な固有名詞。「平岡」が「三島由紀夫」だ、くらいはすぐ分かったけれど、戦前の聖林スターの名前も映画のシーンなんかちっとも存じ上げないわ。
 もう一方じゃ「武器よさらば」ってゲイリークーパーの映画、私だって知ってるわよ。それを題名は憶えておりません、などと伯爵夫人に平気で言わせるし。でも、「前田山の張り手」なんて知らなかったわ。こんな風にペダンティックなのはちょっといやらしいわよね。

 そうそう、外国の都市名なんかは、すべて漢字表記。最初だけ仮名を振ってあるけど、その後は漢字のみ、あれ! 何と読むんだっけ? まったくわずらわしいわよね。

 さて、伯爵夫人の口からは、いきなり「青くせい魔羅」「あたいの熟れたまんこ」(あら、恥ずかしい! )などという単語が爆撃のように飛び出す始末。

 つい意図せず(「伯爵夫人」の意図に反してかな?)白濁したあれを発射しちゃった二朗を責めて、啖呵を切る場面なんか、作者自身が一番楽しんでいる雰囲気よね。小説な作法としていかがなものかしら、とは思うけどさ。

 二朗の「おみお玉」(美称の接頭語が三つも用いられている。「おみおつけ」と同じよね。)と尊称された(内心はバカにしている)男根さまが、硬式ボールに直撃されて損傷。「百戦錬磨」の女たちの手でためつすがめつ丁寧に介抱されるわね。でも、けっこう立派な一物のよう、彼のナニは。そこで、ますます女性陣はほれぼれとしつつかわいがって、いいおもちゃになるわけなのね。玉と棒とをうまく使い分けながら・・・。

 二朗たち男の間では「M」と呼び合っている男性性器を「おちんちん」などと何度も気楽に呼ぶ女性たち。でも、やっぱり「玉」=「弾」にこだわっているのね、当然「射」にも。

 で、繰り広げられるのは、性(セックス)と戦争にまつわる物語なわけよ。

 二朗を幼少の頃から世話している「小春」という女性も二朗(の何)を手玉に取っての活躍なんかも面白し、スパイ物のようなお話しだと思わせている・・・。

 作者お得意の、同じような場面、表現が飛び出し、読者を煙に巻くのがこの方らしい小説作法なのね。

 そうそう。今もある、「ドロステ・ココア」の缶(の図柄)が立派な小道具として登場するわ。

(「Amazon」より)

 尼僧が手にしている盆の上のココア缶にも同じ角張った白いコルネット姿の尼僧が描かれているので、この図柄はひとまわりずつ小さくなりながらどこまでも切れ目なく続くかと思われがちです。ところが、それは無に向けての無限連鎖ではない。なぜなら、あの尼僧が見すえているものは、・・・戦争以外の何ものでもないと伯爵夫人はいう。(P78) 

 あの尼僧姿のキャサリンがこちらを見ているかぎり、いつどこで戦争が起きてもおかしくない。二朗さん、おわかりになるかしら、今のお話。(p85) 

 絵柄の、白衣と緋色は反転させると、日の丸になっちゃうわ。ということは、かなり意図的な用い方だわ。なるほど、どこまでも続く、繰り返されるってわけね、戦争は。

 そして「蝶々夫人」として、そのモデルとなったアイルランド人女性と共に軍人のお相手をしたときの一部始終を語るのよね。その挿話はなかなか興味深かったわ。でも、その話、本当かしらね?

 しかし、またしても伯爵夫人の前でお洩らしちゃうのよね。伯爵夫人にせせら笑われる二朗くんですわ。まったく童貞野郎はって、あら、はしたない言い方でしたわね。

 そう、このお話、「敏感」な貴方ならすぐおわかりでしょう、Hなお話に見立て、そして「大東亜」戦争にまつわる物語に仕立てているけど、実は・・・。

 ポルノグラフィーの装いは、手の込んだつくりかたよね。

 きっと、このお話、今のわがまま童貞風(「高貴な」「氏素性」といってもたかが知れている)のアベ何とかさんへの面当てですわ。「蓮」(ハチ)の一差しをかませてみせたようよ、元東大総長閣下が。

 これって、ちょっと勝手読みしすぎたかしら。

 わたくしども女にとって、殿方のあれが所詮は「あんなもの」でしかないことぐらい、女をご存じない二朗さんにもそろそろご理解いただけてもいいと本気で思っております。
 ・・・「あんなもの」は長かろうが太かろうが、いったん出すべきものを出してしまえばあとはあえなく無条件降伏といった按配で、勝つのはいつだって「熟れたまんこ」の方。女からみれば、殿方の事後のあれほどみじめな喪失感によく耐えられるものだと、驚嘆するほかないという意味のことを伯爵夫人はまくしたてる。
(p139)

 いったん反発はしてみた二朗に執拗に迫ってくるのね、伯爵夫人は。そして、戦争さなかの過去のすったもんだを話し始めるのよね。

 「戦争」と「愛欲ごっこ」は似たり寄ったり、その果ても。もちろん「ごっこ」ではすまされないけどね、戦争は。

 結局、あれこれあったあげくに小春も蓬子も去り、伯爵夫人なしの生活が始まったとつぶやく二朗くん。

 ふと「夕刊」に目をやると、「帝國・米英に宣戦を布告す」の文字が一面に躍っている。ああ、やっぱり。二朗は、儀式的と思えるほどゆっくりとした身振りでココア缶の包みを開け、そのひとつをしっかりと手にとり、何度も見たことがある図柄を改めて正面から凝視してみる。すると、謎めいた微笑を浮かべてこちらに視線を向けている角張った白いコルネット姿の尼僧の背後に、真っ赤な陰毛を燃えあがらせながら世界を凝視している「蝶々夫人」がすけて見え、音としては響かぬ声で、戦争、戦争と寡黙に口にしているような気がしてならない。(p199) 

 自ら経験をしたこともない「戦争」をもてあそぶ殿方たち、ご自身に当てはめて、よ~くお考えあそばせ。

 すっかり年老いた旦那が寝ている横で、こっそり一気に読みましたわ。

 では、おやすみなさいませ。

 う~ん、でも、なかなか寝付かれない、やっぱり罪な小説だわ。・・・
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文楽「加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」国立劇場。(じじばばがゆく。観劇編。)

2017-05-24 22:03:41 | じじばばがゆく

 昨日はなかなか眠れなかったわよ。

 久しぶりに会ったからじゃないわよ、誤解しないでちょうだい。

 人形が生きているみたいで、興奮して寝付かれなかったのよ。
 動きもすごいし、目が動いたり、眉毛が動いたり、口までもね。特に細かな仕草が抜群よね。懐紙を口元にとか、巻物を手に取ったりとか、・・・。

 小道具もうまくできているわよね。
 大がかりな舞台装置の中で、人形を操りながら自在に動き回るだから、すごいわね。

 生きた人間が演じているようで迫力満点。

 生まれて初めてだったけど。あら、そういうあなたも初めてだったのか。意外なのね。

 たしかにこうやって誘われなければ見ることなんかないもの。
 人形浄瑠璃って、歌舞伎なんかと違って敷居が高い感じがするから。

 けっこう着物姿の方もいるわね。年取ってきて、着物がすてきに似合うっていいわ。

 私もいちおうおめかしてきたけれど。
 失礼ね、スカートもはくことありますから。

 人形が大きいのには驚いた。あれを振り付けながら操るんだからすごいわよね。けっこう重たいでしょ。
 
 席も見やすいところで、表情もしっかり確かめられたし、うんうんうなっている声もしっかり、あら、失礼!
 一人で何役もやって、語りの部分もあったりして、強弱のメリハリをつけている。
 
 字幕が出るんでわかりやすかったわ。けっこう現代風な言い回しもあったような気が。

 それにしても人形遣いの方は、重労働ね。黒子の方も大変そう。そっちみたいにお腹がずいぶん出ている人もいたけど、あれじゃあ、ちょっと目立ちすぎね。

 だんだん顔も紅潮してきて、役柄というか人形になりきっていくのね、きっと。人形を操りながら目元なんかもしっかり演技しているものね。

 義太夫さんもだんだん熱を帯びてきて、舞台と一体となって行く感じがすごかったわ。

 あら、あの方、正座イスをさっとおしりにあてがっているわよ。正座じゃきついのかしらね、正座ができなくて・・・。上下付けて羽織袴というのも大変よね。
 そうじゃないって、その方がお腹に力が入って声が通るからなのかな。

 落語家も正座ができなくなったら高座に上がれないのかしらね。座椅子じゃみっともないし、とか。
 相撲取りがおつむが薄くなって髷が結えなくなったら、やっぱり引退かしらね。

 一般人はいいわよね、そういうことを気にしなくて。
 そう、お坊さんは大変よね、まさか正座イスに座ってお経を唱えるなんて・・・。ま、今はイス式が多いかしらね、葬祭場では。

・・・

 やっぱり幕間でおはぎを食べるって変かしらね。「おかめ」っていうお店、この近くにあるんで、買ってきたけど。ふつうのと、ごまときなこと・・・、けっこう大きくて重たいのね。

 じゃあ、これはお土産ということにして、コンビニで買ってきたサンドイッチとおにぎりで済ませましょう。

   

 さて、後半よ。

 ストーリーは大奥物語って感じかしら。意地悪な局・岩藤といじめられて自害する尾上、その召使いのお初。この3人が主人公。

 最初の「筑摩川」の段はちょっとわかりにくかったわ。真っ暗な場面で誤って主君を殺してしまった、ということなんだけれど。

 何となく「仮名手本忠臣蔵」の、ほら、有名な五段目「山崎街道」に設定は似ているわよね。それから六段目「与市兵衛内勘平腹切の場」が次の「又助住家の段」。お軽・勘平のお話とつい引き比べてしまったわね。

 岩藤と尾上との関係も「忠臣蔵」の高師直と塩冶判官との関係みたいだし。

 「草履打の段」は、春爛漫の鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮という華やかな舞台の中で、岩藤が尾上をいじめる場面、その対照がうまいわよね。

 「長局の段」では尾上がその無念さから自害してしまう。出かけたお初が烏の鳴く声や通りすがりの二人連れの会話に不吉を感じ、屋敷に戻ると、尾上はすでに事切れていたってわけね。

 でも、そこからまたまた話が展開していくのね。

 お初が見事、岩藤を討ち取って、主君の恨みを晴らす、と同時に、岩藤たちのお家乗っ取りの悪事がばれて、晴れて二代目尾上を名乗ることになって、ということで大団円。

 途中、長局の段でお初が「忠臣蔵」を引き合いに尾上の自害の決意を諫めるなんかもちょっぴりユーモアも入れたりして・・・。


 けっこう人が死んじゃう。歌舞伎なんかもけっこう簡単に死んでしまう。遺骸とか首だけが置かれているなんてよく見るけれど。

 恋の話でもだいたいが道行き、死出の旅路が多いしね。
 
 4時に始まって、はねたのが8時30分をゆうにまわっていたけど。飽きさせなかったわね。はじめは途中で眠くなるんじゃ無いかって心配したけど。

・・・

 とても貴重な機会をつくってくれて有り難う。

 そうそう、今度、甲州街道歩きの続きをやるって言っていたけど、熱中症にはくれぐれも注意してよ、年なんだから。ま、新緑の中の旧道歩きもいいと思うけどさ。

 おばばみたいに、足腰が痛くて歩くのもままならないじゃ、困るけれど。

 では、また。
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