おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

下栗原~石和~甲府。その1。(「甲州街道」をゆく。第9日目)

2017-08-31 21:51:21 | 甲州街道
 8月27日(日)。晴れ。久々の甲州街道歩き。今回も30度越えという、相変わらず暑い予報の甲府盆地。真夏の街道歩きもここへ来て暑さ負け。さすが群馬・館林などと一二を争う高温地帯。そう、前回も炎天下でリタイア。今回は?

 「山梨市駅」からタクシーで前回の「下栗原」交差点まで。ここから9:40出発。せめて甲府駅までの約12㎞、2万歩の予定。
 タクシーの運ちゃん「街道歩きですか。年に何人か乗せますね。ただ甲府は暑いからね、今の時期は。いないねぇ。」「甲府までは行けますよ、その先の竜王までくらいは。でも、車にだけは気をつけて下さいよ。」「ま、頑張って下さい。」
 風が少しあって、前回よりは少しましな感じ。でも、日差しは強い。木陰もなく、車が行き交う舗装道路を歩き始めます。

 ぶどうは最盛期。しかし、産地・勝沼から少し外れているので、お店も閉まっています。


(9:47)「明治天皇日川小休止所址」。

その先が「日川高校入口」。

 創立117年(2017年現在)の伝統高(旧制の山梨県第二中学校)。数多くの著名人を輩出している。部活動が盛ん。ラグビー部は花園へ県代表として42回出場、うち8回においてベスト4に進出。野球部は選抜高等学校野球大会に1回、全国高等学校野球選手権大会に5回出場。

 沿道には立派なお屋敷。


元養蚕農家らしい面影が。 

郵便局の建物も風情あり。 

(9:55)「一町田中」交差点を左折。

長い土塀の下には用水路。ここも大きなお屋敷。

「日川」の土手に突き当たります。かつてはこの辺りで対岸に渡っていたようです。


「日川橋」から笹子方向を望む。。

「石和」方向を望む。「日川」は「笛吹川」となります。

(10:02)「日川橋」を渡って「笛吹市」の表示があるところで、右折するのが旧道。


                   

収穫を終えた桃畑。

民家の庭先のザクロ。



                  

足下のマンホールには桃の絵柄。

 やがて道は「笛吹川」の土手に100㍍ほど平行して進み、カーブミラーのところで離れて行きます。
振り返って望む。

 かつての笛吹川はもう少し北西、「石和宿」近くを流れていました。旧甲州街道もそのまま左岸付近を進んでいましたが、その後の笛吹川の洪水や流路変遷によって、現在は笛吹川の中に消滅しています。


                       

 そのため、そのまま進んで「国道411号線」と合流し、石和宿方向へ向かいます。
              

(10:22)合流点には「甲州桃太郎街道」の標識。

「笛吹川」。川の中央付近を旧道は進んでいたようです。

(10:30)国道歩きをしばらく続け、「笛吹橋」を渡ります。

                      
                              対岸の左手奥が「石和宿」。
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読書「増補版1★9★3★7(イクミナ)」(辺見庸)河出書房新社

2017-08-29 21:21:59 | 読書無限
 本書は、『週刊金曜日』2015年1月30日号から同年7月31日号まで連載された「1★9★3★7『時間』はなぜ消されたのか」ならびに同誌2015年10月2日号に掲載された「今の記憶の『墓をあばく』ことについて」に加筆して、さらに修正、増補したもの。
 2016年3月30日発刊。

 タイトルの「1★9★3★7」は、日中戦争で日本軍が中国人に対して行った蛮行、いわゆる南京大虐殺があった年。
 中国人の視線で南京攻略当時の日本軍による残虐な行為を描いた堀田善衛の『時間』をもとに、その虐殺風景を浮かび上がらせる。そして、辺見さん自身が何度も本の中で自問自答する。もし自分がそのときの兵士の立場であればどう行動していたのか、上官の命令を拒否することができたのだろうか、と。
 また、虐殺され人生を断ち切られた中国人。虐殺された数を云々するのではなく、「敵兵」、「あいつら」、「捕虜たち」とひとくくりにするのではなく、名を持つ一人ひとりのいのちの重さを思うことの大事さを語る。
 そこでさらに、日中戦争に将兵として従軍した、今は亡き父の実像を手紙や戦後の言動から見極めようとする。戦後、復員して地方新聞の記者となった父。母親や自身へのDV、パチンコ通いと愛人通いをしつづけた父。そうした父への想い。父が執筆した従軍記にうかがわれるあっけらかんとした自己弁護、中国人、朝鮮人への蔑視、暴行、それでいて、中国人を拷問する部下に中止を命じた体験、そうした手記を父の死後に接する。しかし、生前、南京での状況や戦中の真相を父に問い詰めることができなかった。そのわけは? 「間違いなく父は将校としてその場で部下に拷問を命令したはずだ! 」
 一方で、同じ状況下に置かされた自分はどうだったであろうか、自分自身が父親の立場であったらどうしたであろうか、と自問自答する。

 被害者であることをことさら強調し、加害者であることを捨象した戦後のニッポンジン。「これが戦争というものだ」「戦争だからしかたがない」と無責任体質が蔓延(まんえん)した戦後日本の問題性を問い詰める。「「天皇ヒロヒト」の戦争責任をうやむやにしていった戦後のニホンをこれでもか、これでもか、と。

 その自問自答は否応なく読者にも突き付けられる。「自分が日本兵の立場なら、どんな行動をとったのか」、「この残虐行為を自分はできるのか」と問い、答えを求める。この問いに、何のためらいもなく答えが出せる、究極、「自分が殺されても他者を殺さないことを選ぶ」と言い切れる人ははたしてどれほどいるであろうか。

 辺見さんは、戦後70年間、この国に真の民主主義などはなかったと見抜く。
 日本人は中国大陸、朝鮮半島など東アジアで行った過去の残虐行為を封印し、天皇の戦争責任を問わなかったことを糾弾する。日本人は自分たちに都合の悪いことは徹底的に隠し、責任をとるということを避けてきた、と。
 最近では「福島第一原発事故」という未曾有の大惨事についても、誰一人責任をとった者はいない。その上、いまだ収束の見通しすらまったくつかないのに、放射能除去が万全ではない地域の帰還を強引におし進め、さらに全国で原発の再稼働を始めた。
 このように「責任をとらない」「とことんまで責任をとらせない、追求しない」ことがあらゆる場面で当たり前になりつつあり(国会の惨状、劣化はその最たるもの)、より深刻なのは、多くのニッポンジンがそうした状況に疑問を抱かなくなっている(させられている)こと。

 辺見さんは、ニッポンジンの悪業ともいうべき、こうした「無責任主義」が2015年にまでつながっていることを指摘する。それは「全体主義」の現れだ、と。ニッポンジンは、東京大空襲、沖縄戦、原爆投下の被害者ではあるが、その前の南京大虐殺では加害者であり、その後の日中戦争では大いなる加害者である。その加害者意識を忘れ、被害者意識ばかりを強調することに渾身から憤る。それがいままた繰り返されていく危険に気づかずに(気づかないふりをしている)今のニッポンジンにも。

 ニッポンジンは、はたして敗戦で「始めて自由なる主体となった」か。ニッポン軍国主義はほんとうに終止符がうたれたのか。超国家主義の全体系の基盤たる「國體」は、かんぜんにあとかたもなく消滅したのか。だとしたら、安倍晋三なるナラズモノは、いったいなにから生まれ、なににささえられ、戦争法案はなぜいともかんたんに可決されたのか。「この驚くべき事態」は、じつは、なんとなくそうなってしまったのではない。ひとびとは歴史(「つぎつぎになりゆくいきほひ」)にずるずると押され、引きずりまわされ、悪政にむりやり組みこまれてしまったかにみえて、じっさいには、その局面局面で、権力や権威に目がくらみ、多数者はつよいものにおりあいをつけ、おべんちゃらをいい、弱いものをおしのけ、あるいは高踏を気どったり、周りを忖度したりして、今、ここで、ぜひにもなすべき行動と発言を控え、知らずにはすませられないはずのものを知らずにすませ、けっきょく、ナラズモノ政治がはびこるこんにちがきてしまったのだが、それはこんにちのようになってしまったのではなく、わたし(たち)がずるずるとこんにちを「つくった」というべきではないのか。
 おもいかえさなければならない。過去のかなり長いいち時期、このクニは「国家総力戦」をたたかった。2015年夏は、そこからの時間の川の途中にある。日中戦争が本格化した1937年7月から45年8月の敗戦にいたる8年間は、ニッポンとニッポンジンが歴史的にはじめてけいけんした「国家総力戦」の時代であった。このことはぜったいに忘れるわけにはいかない。・・・(P393)

 アベ自公政権は今年になって共謀罪法案を国会のルールを無視して強行採決し、「モノイワセヌ」「サカラワナイ」臣民づくりに邁進している。「モリ・カケ」問題で足下がぐらついているアベは、今回の北朝鮮のミサイル発射にかこつけて、敵愾心、防衛心をかき立てて、支持を取り戻そうと躍起になっている。
 民進党のていたらくをあざ笑いながら、アメリカ軍と一体化して戦争へと着々と準備を進めている。戦争へと片足を突っ込んだ、今。

 「あなたは中国人捕虜を殺さなかったのか、強姦しなかったか、虐待しなかったか」「あなたが古参兵として新兵に暴力を振るわなかったか、理不尽な暴力を止めさせたか」・・・。日本兵による殺害、略奪、強姦(ごうかん)があった戦時に立ち返り、自らにその問いを突きつける。そこが戦争と日本人を掘り下げる本書の出発点だ。そして、亡き父への思いは募る。

 いまさらに。父にあいたいとおもった。いまさらに。いまは薄暮か未明か。まだわからない。薄闇の瓦礫のむこうにやせこけた父がたたずんでいる。悄然として、悄然としたふりではない。ふりのできないひとだ、かれは。しかたがなかった。すべてしかたがなかったのだ。戦争だったのだから。そうはおもわない。わたしはそうはおもわない。もりあがった影。ああ、土手なのだ。かれに声をかけようか。土手にふたりですわってたばこでもいっぷくやりませんか。わたしはかれほどすなおでないから、いろんなふりができる。この暗がりでふざけて、軍隊式の敬礼をするふりだってできる。そうしたら、かえってかれはおびえるかもしれない。ともかく土手にならんですわる。父のにおいがする。・・・(P401)

 あわせて、辺見さんの、少し前の著書を紹介。この書も辺見さんの思い(ある意味ではやるせない思い)が重たく、切々と伝わってくる。

永遠の不服従のために」。
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本性を現したか、選挙目当てか。さすが政界浮遊術。コロリと騙されるか、有権者。

2017-08-26 18:06:49 | 平和
死者は国籍問わず多い=関東大震災追悼文見送りで―小池都知事

 大震災という天災での死者(これには日本人以外にも中国人、朝鮮人など多くの外国人が含まれているのは当然)と流言飛語によって起こされた日本人の手による物理的朝鮮人虐殺による死者とは同列ではないことは、事実。それを承知の上での今回の判断。人数の相違「碑文での犠牲者の数は多すぎる」との自民党議員からの質問が発端だとかいうけれど。
 政界世渡りの上手で、機を見るのに敏なお方。
 政治的スタンスはもともと「日本会議」系の立場であった(「都民ファースト」代表はその典型)のが、ここに来て、より明確に出たのか? いや、世相の動向を予見したに違いない。国政選挙に保守系を取り込む作戦。有利になると踏んだのだろう。
 関東大震災の際に起こった人為的な虐殺事件を否定することが選挙でのプラスになる。歴史修正主義者という立場・歴史観を鮮明にしただけかもしれない。
 国政での「日本ファースト」への有権者の期待も大きいという(「産経新聞」)世論調査もあるようだ。憲法問題でもアベとしっかり気脈を通じるお方。
政策・本音をオブラートに包み、敵を民進党に想定しての選挙作戦。
 それに対する民進党。党首になりそうな御仁、規定方針通りの消費税アップを政策に上げているようだ。アベは消費税10%凍結で選挙に臨むだろう、ことによれば5%へ下げる公約もアリ。それに対して、バカ正直に筋を通す、まさに政治音痴。ほくそ笑むアベ自公が目に浮かんでくる。相変わらずですね。
 小池も喜んでいる。今回、「反小池」・「反日本ファースト」は「反日勢力」という徹底したレッテル貼りを行うのだから。
 政治不信、政治的無関心、あきらめ? が低投票率につながっていく。そのあげく、・・・。
 さて、どうすればいいか?

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京成曳舟駅周辺 実に様変わり

2017-08-18 20:31:14 | 世間世界
                                   「京成曳舟駅」から東南を望む。

 先日、5年くらい前(2012-06-14)に投稿した「下町・向島の銭湯『曳舟湯』」にコメントが寄せられました。

 当時、投稿した記事。

 墨田区・向島界隈にもまだ見かける銭湯
 東京都内の銭湯は、昭和12年には約2,900軒(銭湯組合の組合員名簿による)の銭湯が営業していましたが、昭和20年の東京大空襲により、約400軒に激減したようですが、その後復活、それも、昭和43年の2,687軒をピークに、平成20年4月時点では約900軒の公衆浴場が営業しているだけになっています。墨田区でも、今は30軒余りが営業、最盛期の三分の一だそうです。
 自然に銭湯といっていますが、ものの本によれば、明治以前には江戸では「銭湯」「湯屋(ゆうや)」と呼び、上方では「風呂屋」と呼ぶのが一般的であったそうです。
・・・
 「銭湯」と聞くと、昔から富士山の壁絵を思い浮かべます。今の銭湯はどうなのでしょうか。
 富士山のペンキ絵は、東京神田猿楽町にあった「キカイ湯」が発祥といわれ、大正元年(1912年)に「キカイ湯」の主人が、画家の川越広四郎に壁画を依頼したのが始めで、これが評判となり、これに倣う銭湯が東京や東日本を中心に続出しました。
 また、入口に「唐破風」「破風」が正面にある「宮型」造りという建築様式の都心での発祥は、東京墨田区東向島の「カブキ(歌舞伎)湯」に始まるということです。
 神社仏閣や城郭の天守を想起させる切り妻の屋根飾りに、合掌組を反曲させた曲線(写真建物の上端部)は、宗教性や権威を誇るディテールであり、また極楽浄土へいざなう入り口を示すシンボリックな側面を合わせ持っているとのこと。
 そこには一般の建築とは様式が違うというだけでなく、非日常性という側面も。当時の主な銭湯の利用客である市井の人々には「お伊勢参り」や「日光東照宮参り」 など、日本各地の神社仏閣への「お参り」旅行は参詣本来の目的に加えて娯楽であったことも影響して、平凡な日常を送る庶民にとって、宮型造りの銭湯に足を運ぶことはいつかの「お参り」にいざなう魅力的な装置としても機能したといえそうです。
・・・
 写真は、「曳舟湯」。二つの通りにはさまれた、ちょっと窮屈そうな建物ですが、レトロな味わいのあるお風呂屋さんです。

 
 この記事から5年。その後、このお風呂屋さんは戦前からの80年という長い歴史を閉じて、廃業しました。
 この周囲。スカイツリーの開業や京成線の高架化、密集した住宅の集合住宅化(高層マンションや大型ショッピングモールなど)によって、ここ数年の間に大きく変化しています。
 京成線の西側は行き帰りで通り、その町並みの大きな変化も身近に感じますが、東南側は「ひきふね図書館」以外、あまり歩く機会がなくなりました。

 そこで、久々にかつてあった「曳舟湯」付近をちょっと歩いてみました。実に様変わり。「曳舟湯」がどこにあったのか、皆目見当がつかないほど。建物だけでなく路地もなくなり、道路も付け替えられ、広くなって・・・。
写真の奥付近? 

この付近にあったはずですが。

 ところで、かつて線路沿いに古木がありました。周囲の住宅の中で、何か曰くがありそうな古木でした。その木の周囲に祠などはありませんでしたが、いくつか石が置かれてありました。

「曳舟湯」付近から見たスカイツリー。↓の木。

工事中のフェンスの向こうにそのまま残っていましたが、現在は。

 古木はなくなり、新しい木が植えられ、周囲は公園になっていました。
 

 一帯は再開発され、「アトラスタワー曳舟」という大きなマンションになっています。一部が「曳舟湯」にかかっているようです。
○付近が「曳舟湯」跡? 

かつての町並み。密集した家々。

 実はその「曳舟湯」さん。「アトラスタワー」の1Fで喫茶店を開いていました。ご主人もそのまま。店名は「1010CAFEいちまるカフェ」。


                    

 ちょうどかつて「曳舟湯」があったところなのです。何だかホッとしました。そういえば、チェーン店ばかり営業している中で、当時の中華そば屋さんや床屋さんなどもマンションの一角で営業していました。

そこから京成曳舟駅方向を望む。

この奥の方はかつてのまま。

児童公園。

 そういえばやはりこの付近に「三佑酒場」という飲み屋がありましたが、そのお店もありません。
 ところで、ご近所の他の銭湯は?

「おかめ湯」。
 京成曳舟駅近く、明治通りと曳舟通りとの交差点付近にある銭湯。今も現役。

 他に、スカイツリーのすぐそばにも現役の銭湯があります。
「薬師湯」。開店と同時に十数人のお客さんが。
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ズバリ本質を突く!

2017-08-14 21:30:50 | 平和
「知ってはいけないウラの掟
内閣改造でも絶対に変わらないこと なぜ日本はアメリカの「いいなり」なのか? 」矢部 宏治


 以下は個人的見解。

 アメリカに逆らえば首相のクビが飛ぶ、ということ。
 たとえば、アベが憲法改「正」を推し進めるときに、アメリカからの押しつけ憲法の最たるものが憲法9条だと声高に主張し、憲法9条をないがしろにするといったとたん、クビが飛ぶ。
 そのため、第三項に新たに自衛隊の位置づけをするという便法を考えた、という風に見ればいいのでしょう。

 アベの爺さんが日米安保改定でクビが飛んだのが、彼の教訓になっているはずです。
 

 原発NO! もそのタブーの一つだったようですが、東芝破綻でちょっと矛先が変わったか?

 著書からの引用。

 「このような考え方からすれば、例えば北方領土の返還の条件として「返還後の北方領土には施設・区域〔=米軍基地〕を設けない」との法的義務をあらかじめ一般的に日本側が負うようなことをソ連側と約することは、安保条約・地位協定上問題があるということになる」(「日米地位協定の考え方 増補版」1983年12月/『日米地位協定の考え方・増補版──外務省機密文書』所収 2004年 高文研)

 

                   

 「愛国者」「アベシンパ」からは、この著者は「反日」とか、「誇大妄想」、「虚言家」とのレッテルをすでに貼られているだろう。
 でも、前々から思っていたことを見事に言い当ててていると思う、今日この頃の「私」。

注:漫画は著書からの引用。
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国民からは有無を言わせず税金を搾り取るのに、ご本人は・・・。でも、宮仕えも辛いね。

2017-08-10 22:07:15 | 世間世界
森友問題答弁の佐川・国税庁長官 異例の就任会見なし

佐川理財局長「栄転」に波紋 与党からも「あしき前例」(「朝日新聞」2017年7月4日)

 財務省は4日、佐川宣寿(のぶひさ)・理財局長(59)を5日付で国税庁長官とする人事を発表した。佐川氏は学校法人「森友学園」(大阪市)への国有地売却問題の国会答弁で事実確認や記録の提出を拒み続け、「真相解明を阻んでいる」と批判を浴びただけに、与野党から疑問の声があがっている。

麻生財務相「佐川理財局長の長官起用は適材

 国有地売却問題では、8億円の大幅値引きや安倍晋三首相の妻、昭恵氏の関与など数々の疑問が指摘された。佐川氏は連日のように答弁に立ったが、売却の経緯などの具体的な説明は避け、法令の説明などに終始する姿勢が目立った。
 自由党の森ゆうこ氏は「首相を守るため、『ありえない』答弁を平然と繰り返して栄転された」と批判。与党の閣僚経験者も「事実に背を向けてでも、官邸の意向に従っていれば出世できるというあしき前例になる」と、起用した政府の姿勢を疑問視する。国会で向き合った共産党の宮本岳志氏は「場合によっては国民に記録提出を求める立場の国税庁トップになる人は、私に面と向かって『記録がありません』と言い続けた人物だ」と指摘した。
 NPO法人「情報公開クリアリングハウス」の三木由希子理事長は「佐川氏の答弁は国民の怒りに油を注ぐだけで、必要以上に政府の信頼性を失わせた」と指摘。「守るべきものは国民への説明責任ではなかったことは明確だ」と話す。・・・

 アベにとって、まさにもってこいの「適材」ではある。
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灘中高・校長の発言。じわじわと包囲網が。アベ延命のための。

2017-08-09 19:01:40 | 平和

 以下の文章は、昨年公開された、灘中、高・和田孫博校長執筆のものです。(ご本人からは校長という立場で執筆したのではなくて、あくまでも個人的なものとされています。)そこでは、歴史教科書の採択をめぐり、政治権力や右派勢力による具体的かつ組織的な“圧力”があったことを示しています。

謂れのない圧力の中で
̶―ある教科書の選定について― 和田孫博


 本校では、本年(注:2016年)四月より使用する中学校の歴史教科書に新規参入の「学び舎」による『ともに学ぶ人間の歴史』を採択した。本校での教科書の採択は、検定教科書の中から担当教科の教員たちが相談して候補を絞り、最終的には校長を責任者とする採択委員会で決定するが、今回の歴史教科書も同じ手続きを踏んで採択を決めており、教育委員会には採択理由として「本校の教育に適している」と付記して届けている。
 ところが、昨年末にある会合で、自民党の一県会議員から「なぜあの教科書を採用したのか」と詰問された。こちらとしては寝耳に水の抗議でまともに取り合わなかったのだが、年が明けて、本校出身の自民党衆議院議員から電話がかかり、「政府筋からの問い合わせなのだが」と断った上で同様の質問を投げかけてきた。今回は少し心の準備ができていたので、「検定教科書の中から選択しているのになぜ文句が出るのか分かりません。もし教科書に問題があるとすれば文科省にお話し下さい」と答えた。「確かにそうですな」でその場は収まった。
 しかし、二月の中頃から、今度は匿名の葉書が次々と届きだした。そのほとんどが南京陥落後の難民区の市民が日本軍を歓迎したり日本軍から医療や食料を受けたりしている写真葉書で、当時の『朝日画報』や『支那事変画報』などから転用した写真を使い、「プロデュース・水間政憲」とある。それに「何処の国の教科書か」とか「共産党の宣伝か」とか、ひどいのはOBを名乗って「こんな母校には一切寄付しない」などの添え書きがある。この写真葉書が約五十枚届いた。それが収まりかけたころ、今度は差出人の住所氏名は書かれているものの文面が全く同一の、おそらくある機関が印刷して( 表書きの宛先まで印刷してある)、賛同者に配布して送らせたと思える葉書が全国各地から届きだした。
 文面を要約すると、

 「学び舎」の歴史教科書は「反日極左」の教科書であり、将来の日本を担っていく若者を養成するエリート校がなぜ採択したのか? こんな教科書で学んだ生徒が将来日本の指導層になるのを黙って見過ごせない。即刻採用を中止せよ。

 というものである。この葉書は未だに散発的に届いており、総数二百枚にも上る。届く度に同じ仮面をかぶった人たちが群れる姿が脳裏に浮かび、うすら寒さを覚えた。

 担当教員たちの話では、この教科書を編集したのは現役の教員やOBで、既存の教科書が高校受験を意識して要約に走りすぎたり重要語句を強調して覚えやすくしたりしているのに対し、歴史の基本である読んで考えることに主眼を置いた教科書、写真や絵画や地図などを見ることで疑問や親しみが持てる教科書を作ろうと新規参入したとのことであった。これからの教育のキーワードともなっている「アクティブ・ラーニング」は、学習者が主体的に問題を発見し、思考し、他の学習者と協働してより深い学習に達することを目指すものであるが、そういう意味ではこの教科書はまさにアクティブ・ラーニングに向いていると言えよう。逆に高校入試に向けた受験勉強には向いていないので、採択校のほとんどが、私立や国立の中高一貫校や大学附属の中学校であった。それもあって、先ほどの葉書のように「エリート校が採択」という思い込みを持たれたのかもしれない。

 三月十九日(注:2016年3月19日)の産経新聞の一面で「慰安婦記述 三十校超採択―「学び舎」教科書 灘中など理由非公表」―という見出しの記事が載った。さすがに大新聞の記事であるから、「共産党の教科書」とか「反日極左」というような表現は使われていないが、この教科書が申請当初は慰安婦の強制連行を強くにじませた内容だったが検定で不合格となり、大幅に修正し再申請して合格したことが紹介され、本年度採用校として本校を含め七校が名指しになっていた。本校教頭は電話取材に対し、「検定を通っている教科書であり、貴社に採択理由をお答えする筋合いはない」と返事をしたのだが、それを「理由非公表」と記事にされたわけである。尤も、産経新聞がこのことを記事にしたのには、思想的な背景以外に別の理由もありそうだ。フジサンケイグループの子会社の「育鵬社」が『新しい日本の歴史』という教科書を出している。新規参入の「学び舎」の教科書が予想以上に多くの学校で、しかも「最難関校と呼ばれる」( 産経新聞の表現) 私学や国立大付属の中学校で採択されたことに、親会社として危機感を持ったのかもしれない。

 しかしこれが口火となって、月刊誌『Will 』の六月号に、近現代史研究家を名乗る水間政憲氏( 先ほどの南京陥落写真葉書のプロデューサー) が、「エ
リート校― 麻布・慶應・灘が採用したトンデモ歴史教科書」という二十頁にも及ぶ大論文を掲載した。また、水間政憲氏がCSテレビの「日本文化チャンネル桜」に登場し、同様の内容を講義したという情報も入ってきた。そこで、この水間政憲氏のサイトを覗いてみた。すると「水間条項」というブログページがあって、記事一覧リストに「緊急拡散希望《麻布・慶應・灘の中学生が反日極左の歴史教科書の餌食にされる; 南京歴史戦ポストカードで対抗しましょう》」という項目があり、そこを開いてみると次のような呼びかけが載っていた。

 私学の歴史教科書の採択は、少数の歴史担当者が「恣意的」に採択しているのであり、OBが「今後の寄付金に応じない」とか「いつから社会主義の学校になったのか」などの抗議によって、後輩の健全な教育を護れるのであり、一斉に声を挙げるべきなのです。理事長や校長、そして「地歴公民科主任殿」宛に「OB」が抗議をすると有効です。

 そして抗議の文例として「インターネットで知ったのですが、OBとして情けなくなりました」とか「将来性ある若者に反日教育をする目的はなんですか。共産党系教科書を採用しているかぎり、OBとして募金に一切応じないようにします」が挙げられ、その後に採択校の学校名、学校住所、理事長名、校長名、電話番号が列挙されている。本校の場合はご丁寧に「講道館柔道を創立した柔道の神様嘉納治五郎が、文武両道に長けたエリート養成のため創設した学校ですが、中韓に媚びることがエリート養成になるような学校に変質したようです。嘉納治五郎が泣いていますね… … 」という文例が付記されている。あらためて本校に送られてきた絵葉書の文面を見ると、そのほとんどがこれらの文例そのままか少しアレンジしているだけであった。どうやらここが発信源のようだ。

 この水間氏はブログの中で「明るい日本を実現するプロジェクト」なるものを展開しているが、今回のもそのプロジェクトの一環であるようだ。ブログ中に「1000名( 日本みつばち隊) の同志に呼び掛け一気呵成に、『明るい日本を実現するプロジェクト』を推進する」とあり、いろいろな草の根運動を発案し、全国にいる同志に行動を起こすよう呼びかけていると思われる。また氏は、安倍政権の後ろ盾組織として最近よく話題に出てくる日本会議関係の研修などでしばしば講師を務めているし、東日本大震災の折には日本会議からの依頼を受けて民主党批判をブログ上で拡散したこともあるようだが、日本会議の活動は「草の根運動」が基本にあると言われており( 菅野完著『日本会議の研究』扶桑社)、上述の「日本みつばち隊」もこの草の根運動員の一部なのかもしれない。

 このように、検定教科書の選定に対する謂れのない投書に関しては経緯がほぼ解明できたので、後は無視するのが一番だと思っているが、事の発端になる自民党の県会議員や衆議院議員からの問い合わせが気になる。現自民党政権が日本会議を後ろ盾としているとすれば、そちらを通しての圧力と考えられるからだ。ちなみに、県の私学教育課や教育委員会義務教育課、さらには文科省の知り合いに相談したところ、「検定教科書の中から選定委員会で決められているのですから何の問題もありません」とのことであった。そうするとやはり、行政ではなく政治的圧力だと感じざるを得ない。
 そんなこんなで心を煩わせていた頃、歴史家の保坂正康氏の『昭和史のかたち』( 岩波新書) を読んだ。その第二章は「昭和史と正方形̶ ̶ 日本型ファシズ
ムの原型̶ ̶ 」というタイトルで、要約すると次のようなことである。

 ファシズムの権力構造はこの正方形の枠内に、国民をなんとしても閉じこめてここから出さないように試みる。そして国家は四つの各辺に、「情報の一元化」「教育の国家主義化」「弾圧立法の制定と拡大解釈」「官民挙げての暴力」を置いて固めていく。そうすると国民は檻に入ったような状態になる。国家は四辺をさらに小さくして、その正方形の面積をより狭くしていこうと試みるのである。
保坂氏は、満州事変以降の帝国憲法下の日本では、「陸軍省新聞課による情報の一元化と報道統制」「国定教科書のファシズム化と教授法の強制」「治安維持法の制定と特高警察による監視」「血盟団や五・一五事件など」がその四辺に当たるという。

 では、現在に当てはめるとどうなるのだろうか。第一辺については、政府による新聞やテレビ放送への圧力が顕在的な問題となっている。第二辺については、政治主導の教育改革が強引に進められている中、今回のように学校教育に対して有形無形の圧力がかかっている。第三辺については、安保法制に関する憲法の拡大解釈が行われるとともに緊急事態法という治安維持法にも似た法律が取り沙汰されている。第四辺に関しては流石に官民挙げてとまではいかないだろうが、ヘイトスピーチを振りかざす民間団体が幅を利かせている。そして日本会議との関係が深い水間氏のブログからはこれらの団体との近さがにじみ出ている。もちろん現憲法下において戦前のような軍国主義やファシズムが復活するとは考えられないが、多様性を否定し一つの考え方しか許されないような閉塞感の強い社会という意味での「正方形」は間もなく完成する、いやひょっとすると既に完成しているのかもしれない。

注:段落等は、当方で編集してあります。

 なお、この文章は、2016年、富山大学教授・松崎一平氏が代表の「グループ帆」が編集・発行する「とい」という論文集に掲載され、同ホームページ上でも公開されています。

 今や四辺の包囲網が着実に作られ、狭まりつつあるように感じるのは小生だけか?
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読書「狩りの時代」(津島佑子)文藝春秋

2017-08-03 20:02:19 | 読書無限
 昨年2月、惜しくも亡くなった津島佑子さんの遺作(亡くなられた後の、未発表の作品)。

 主人公の絵美子は、12歳の時、3歳年上のダウン症の兄、耕一郎と死別するという痛切な体験を持っています。すでに父を早くになくした絵美子は、以来、母カズミと2人で生活しています。
 絵美子には、甲府にいる母方、仙台にいる父方には祖母、叔父、叔母、いとこなど親戚がたくさん。中でもアメリカに移住した父の兄(叔父)家族との交流、いとことの関わりなど、世代、時代を超え、現実と夢とを交錯させながら、たくさんの親戚たちの視点で、戦争期から現代に至るまでの一族の歴史を描いていきます。
 読み始めは小説の舞台、展開がわかりにくい点があります。津島佑子さんが肺がんで息を引き取る寸前まで手を入れていたことが娘さんの後書きで明らかにされます。健在ならばもっと推敲されていたかもしれません。
 いうまでもなく、津島さんは太宰治と美知子さんの間に生まれた次女の方。15歳で亡くなったダウン症の兄がいたことも知られています。父が玉川上水で入水自殺(心中)した後、母と姉との3人母子家庭で育ったことや自ら娘と二人で生活していた経験などが色濃く反映されているように感じますが、そんな作者の身辺の下世話ばなしではすまされない内容を持った作品となっています。

 読み始めて間もなく、絵美子の伯父、創、叔母ヒロミたち3人が戦中の幼少期に体験したことが出てきます。ヒトラー・ユーゲント・少年団が使節団として来日、3人の住む甲府駅に少年たちが乗った列車が着いた歓迎のとき、3人は親兄弟の注意も聞かず、ヒトラー・ユーゲントを見に駅へ行きます。そこである出来事が起こります。肌の色が黄色ではなく、透き通るような白い少年をも巻き込んでの行為、叔母は誰にも話すこともできないまま長い年月が経ちます。その内容は後半になって明らかにされます。

 さらに戦後、絵美子が10歳のころ、いとこの同年代の晃か秋雄のどちらから、「フテ・・・」という言葉をささやかれたという、曖昧な記憶にこだわり続けます。はたしてどちらが言ったのか?
 いとこたちと遊んでいる最中、ダウン症の兄・耕一郎の行動に腹を立てたどちらかが、絵美子に投げつけた言葉なのです。「フテ」は「フテキカクシャ」それは「アンラクシ」、「ジヒシ」につながる言葉であったことを後になって知る絵美子。
 兄が亡くなった後、それがヒトラーによる優生思想に基づいて「不適格者」を「安楽死」、「慈悲死」させたという歴史から来ている言葉で、兄・耕一郎を社会に不要な存在として、抹殺する言葉だった。でも、誰が言ったのか?
 絵美子は、いとこのどちらかがどんな理由でどんな気持ちで、耕一郎の存在を根本から否定する言葉を口にしたのか、長い間、尋ねることに躊躇しています。ようやく実現したのは、小説も終わりのほうになってからです。それがまた絵美子の心に重くのしかかります。

 子どもの頃、耕一郎と二人で面白半分で万引きしたときの興奮を記したあと、

 わたしはこうちゃんにすべてを押しつけるつもりなのだろうか。こんなことでは、わたしこそがこうちゃんを「フテキカクシャ」と指弾して、にやにや笑いながら「ジヒシ」もしくは「アンラクシ」に追い込もうとする連中のひとりになってしまうではないか。「フテキカクシャ」ということばを絵美子がはじめて聞かされたのは、そういえば、十歳のときだった。(P231)

 こうちゃんがいなくなって、そのあと、わたしはナチスについて書かれた本を読んで、おびえるようになった。忘れたくたって、忘れられない。・・・晃さんになんとか復讐してやる、と思いつづけてきた。だけど、わたしに「フテキカクシャ」ってささやいたのは晃さんじゃなかった。あなただった。ばかみたいね。復讐もへったくれもない。わたしこそ、聞きたい、どうしたらいいのって。
 マンションの前にふたりは立っていた。(P249)

 秋雄さんそうは思わない?
 ああ、ちがうわね。あのとき無理に話をしていたらなにもかもぶちこわしになっていた。わたしたち、憎み合うようになっていたわ、きっと。「フテキカクシャ」ということばは、それだけおそろしい憎しみを含んでいた。わたしたちはきっと、それに耐えられなかった。だって、わたしたちはまだほんの子どもで、実際の憎しみとはどんなものなのかまったく知らなかったんだもの。そんな憎しみにもし本当に指一本だけでも触れてしまったら、あのあと心の底から笑うこともできなくなっていたのかもしれない。(P254)

(死を意識した、絵美子の父・遼一郎の兄永一郎の独白)

 耕一郎は愛情深い子どもです。家族だけではなく、まわりのひとたちに無類の笑みを見せてくれるのです。そこには計算というものがありません。自意識もございません。ひととして、それで充分なのではあるまいか。わたしはそう思うに至りました。(P267)

 ナチス・ドイツとかつての日本帝国は、とてもよく似ておりました。役に立たないものは容赦なく切り捨てる。近代日本とナチス・ドイツは徹底して、そうした考え方で繁栄を自らのものにすることができました。
 しかし戦争に負けて、ドイツは考え方を根底から変えました。変えざるを得なかった。・・・日本はなにも変えようとしなかった。チャンスに恵まれれば、いつでも復活するつもりでした。その象徴が、原子力発電所だったのです。原子力発電所さえあれば、かの偉大なる日本はいつでも復活できる。そのように信じつづけ、結局、日本は、原子力発電所の大爆発を経験しなければならなかったのです。
 ・・・ヒロシマの惨状にショックを受けたアインシュタインの、核兵器廃絶の主張はまちがってはいなかった。……(P276)

 絵美子にまつわるたくさんの縁者たちの、生者、死者の語りが何重にも積み重ねられながら物語を紡いでいきます。津島さんの、臨終に至るまでこだわり続けた差別への怒り、障がい者への寄り添いなど、そして、粗削りにならざるを得なかった無念さもひしひしと感じる作品です。

 「狩りの時代」。

 「狩猟者」は誰か? 「狩り」の対象は誰か? 「狩り」をするものも「狩」られるものも紙一重の世の中、時代の恐ろしさよ!
 「言葉」は人の生き死にまでも左右します、そのシビアな言葉の働きを心身で受け止める作家としての遺作です。

 ひとしく嗅覚、感性を鋭くしたいものです。

 参考に、違う視点、というよりも「日本(人)的」差別意識についての「内田樹の研究室」から内田樹さんの、興味深い文章を引用させて頂きます。

 「愛国的リバタリアン」という怪物
 金満里さんたちが出している「イマージュ」という媒体が、相模原の「やまゆり園事件」についての考察を特集した。そこに私も一文を寄稿した。あまり目に触れる機会のない媒体なので、私の書いたものだけここに再録する。
 相模原の大量殺人事件のもたらした最大の衝撃は、植松聖容疑者が事前に安倍晋三首相宛てと大島理森衆院議長宛てに犯行を予告する内容の書簡を届けていたことにある。それは権力者を挑発するための犯行予告ではなく、自分の行為が政権と国会多数派には「好ましい」ものとして受け止められ、権力からの同意と保護を得られるだろうという期待をこめたものだった。逮捕後も容疑者は「権力者に守られているので、自分は死刑にはならない」という趣旨の発言をしている。
 もちろん、これは容疑者の妄想に過ぎない。けれども、何の現実的根拠もない妄想ではない。彼の妄想形成を強化するような現実が今の日本社会内部にはたしかに存在しているからである。
 アナウンサーの長谷川豊は事件の直後の2016年9月に自身のブログに「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」というタイトルの記事を投稿した。これには批判が殺到し、専門医からも事実誤認が指摘されたが、この人物を日本維新の会は千葉一区から衆院の立候補者として擁立するということが先日発表された。
 重篤な病人や障害者に対する公然たる差別発言にはまだ一定の社会的な規制が働いており、有名人の場合には、それなりの批判を受けて、社会的制裁が課されているが、在日コリアン、生活保護受給者やLGBTなどの社会的弱者に対する差別や攻撃の発言はほとんど何のペナルティもないままに垂れ流しされている。
 際立つのが片山さつき議員で、生活保護受給者は「実質年収4百万円」の生活をしているという無根拠な都市伝説の流布に加担するなどして、生活保護叩き発言を繰り返してきたが、最近も捏造投稿に基づいてNHKのニュース内容にクレームをつけて、生活保護受給者が社会福祉の「フリーライダー」だという世論の喚起に励んでいる。もちろん、本人がそう「信じている」という信憑の問題もあるのだろうが、「そういうこと」を公言すると選挙で票が集まるという現実的な打算も同時に働いているはずである。
 アメリカではドナルド・トランプ大統領が「弱者叩き」の代表格である。「ラストベルト」のプア・ホワイトたちの輿望を担って登場したはずのトランプだが、就任後実施された政策は富裕層への厚遇措置ばかりで、移民排斥や、海外企業の国内移転への圧力などの「雇用対策」は今ここにいる社会的弱者のためには何の利益ももたらしてはいない。選挙公約だったオバマケアの廃止は、それによって2400万人が医療保険を失うという予測が公表されて、さすがに与党共和党も加担できず、改廃法案を撤回するという騒ぎになった。アメリカの有権者はそのような人物を大統領に選んだのである。
 これはおそらく全世界的な傾向である。社会的弱者たちは、自己責任で弱者になったわけであり、いわばそういう生き方を選択したのだから、政府や自治体が、公金を投じて彼らを支援することは「フェアではない」というロジックは目新しいものではない。これはアメリカにおいては「リバタリアニズム(libertarianism)」というかたちで、建国当初からつねにアメリカ社会に伏流していた。アメリカが世界に冠絶する覇権国家となり、その国の作法や価値観が「グローバル化」したことによって、アメリカ的な「リバタリアニズム」もまたグローバル化したということだと私は理解している。
 「セルフメイドマン(self made man)」というのは建国以来のアメリカ市民の理想像だが、要するに誰にも頼らず独立独行で自己実現を遂げる生き方のことである。「リバタリアン(libertarian)」は、その過激化したかたちである。
 リバタリアンは、人間は自分の運命の完全な支配者であるべきであり、他者であれ公共機関であれ、いかなるものも自分の運命に介入する権利はないと考える。だから、リバタリアンは政府による徴税にも、徴兵制にも反対する。当然ながら、社会福祉のための原資の提供にも反対する。
 ドナルド・トランプが徴税と社会福祉制度につよい嫌悪感を示すのは、彼がリバタリアンの伝統に連なっていることを示している。
 トランプは選挙期間中に対立候補から連邦税を納めていないことを指摘されて、「すべてのアメリカ人は納税額を最小化するために日々知恵を絞っている。私が連邦税を払っていないのは私が賢いからである」と述べて支持者の喝采を浴びた。これは別に露悪的な発言をしたわけではなく、ほんとうにそう思っているからそう言ったのである。彼に喝采を送ったプア・ホワイトたちは、自分たちとは桁が違う大富豪であるトランプの「納税したくない」というリバタリアン気質が「自分と同じだ」と思って、その発言に賛意を評したのである。
 トランプは軍務の経験も、行政の経験もないはじめての大統領だが、それは軍務に就くことも、公共機関で働くことも、どちらもリバタリアンとしては「やらないにこしたことはない」仕事だからである。アメリカの有権者たちは彼の「公的権力を用いて私利私欲を満たすが、公益のためには何もしない」という態度がたいそう気に入ったのである。
 今の日本で起きている「弱者叩き」はアメリカ原産のリバタリアニズムが日本に漂着し、日本独特の陰湿なしかたで退廃したものだと私は理解している。トランプのリバタリアニズムはこう言ってよければ「あっけらかん」としている。ロシアとの内通疑惑が暴かれたことによって、彼が「愛国者」であるかどうかについてはアメリカ人の多くが疑問を抱いているだろう。けれども、リバタリアンにおいて、愛国者であることは実は「アメリカ人的であること」のための必要条件ではない(国家や政府などというものは「ない方がいい」というのが正統的なリバタリアンの立場だからである)。
 けれども、日本では公的立場にある人間は「国よりも自分が大事」というようなことを(心で思っていても)口には出さない。仮に、安倍晋三が所得税を払っていなかったことが発覚したとしても、彼は「私は賢いから税金を払わずに済ませた」という言い訳をしないだろうし、その言い訳に喝采を送る有権者も日本にはいないはずである。
 日本ではリバタリアンも愛国的なポーズをすることを強いられる。
 だから、日本では「リバタリアンでありながら、かつ愛国的」という奇妙な生き物が生まれてくる。現代日本に跋扈しているのは、この「愛国的リバタリアン」という(「肉好きのベジタリアン」とか「気前のいい吝嗇漢」というような)形容矛盾的存在である。
 一方において、彼らは自分が獲得したものはすべて「自己努力によって獲得されたもの」だから、100%自分の所有に属し、誰とも分かち合う気がないと断言する。同じ理屈で、貧困や疾病や障害や不運などによって社会的弱者になった者たちについても「すべて自己責任で失ったもの」であるので、そのための支援を公的機関に求めるのは筋違いであると主張する。
 ここまではリバタリアン的主張であるが、日本の「愛国的リバタリアン」はこれに愛国主義(というより排外主義、外国人嫌い)をぱらぱらとまぶして、社会的弱者というのは実は「外国人」であるという奇妙な社会理論を創り出す。ここに日本のリバタリアニズムの独特の歪みがある。
 日本型リバタリアンによると、社会的弱者やあるいは社会的弱者を支援する人たちは「外国人」なのである。仮に血統的には日本人であったにせよ、外国渡来のイデオロギーや理説に「感染」したせいで、「外側は日本人だが、中身は外国人」になっているのである。だから、社会福祉や教育や医療などの活動に公的な支援を求める組織や運動は本質的には「日本の国益よりも、彼らが忠誠を誓っている外国の利益に奉仕するもの」なのだという妄説が出来上がる。生活保護の受給者は多くが在日コリアンであるとか、日教組の背後にはコミンテルンがいるとか、朝日新聞は反日であるとか、翁長沖縄県知事は中国に操られているといった類のネトウヨ的妄説はその典型的なものである。
 語っている本人もさすがにほんとうだと思ってそう言っているわけではいないだろう。にもかかわらず、彼らが「反政府的な人間=外国人」というスキームに固執するのは、彼らにリバタリアンに徹底する覚悟がないからである。
 リバタリアンであれば、話はすっきりしている。貧乏なのも、病気なのも、障害者であるのも、すべては自己責任である。だから、それについては他者からの同情や公的支援を当てにしてはならない。医療保険制度はいらない(医療は「サービス」なのだから金を出して買え。金がないやつは死ね)。公立学校も要らない(教育は「サービス」なのだから、金を出して買え。金がないやつは働いて学費を稼ぐか、有利子で借りろ)。社会福祉制度はいらない(他人の施しがないと生きていけないやつは死ね)と、ずいぶん非人情ではあるけれど、バケツの底が抜けたように「あっけらかん」としている。
 しかし、さすがに日本では(心ではそう思っていても)そこまでは言い切れない(居酒屋のカウンターで酔余の勢いで口走ることはあるだろうが、公的な立場ではなかなか口にはされない)。
 その不徹底をとりつくろうために、日本的リバタリアンは「排外主義」的イデオロギーを装飾的に身にまとう。そして、貧乏人も、病人も、障害者も、生活保護受給者も、みな本質的には「外国人」であるという摩訶不思議な理説を噛ませることで、話のつじつまを合わせようとするのである。
 相模原事件の植松容疑者はその意味では障害者支援をめぐる問題の本質をよく見抜いていたというべきだろうと思う。彼自身は生活保護の受給者であったが、その事実は「わずかな賃金を得るために、他人に顎で使われて、自分の貴重な人生を空費したくない」という彼のリバタリアン的な気質と齟齬するものではなかった。けれども、自分以外の生活保護受給者や障害者は彼の目には許し難い社会的寄生者に見えた。この矛盾を彼はどう解決したのだろうか。自分には公的支援を受けることを許すが、他人には許さないという身勝手な識別を可能にする境界線として最終的に彼が思いついたのは「私は日本人として日本の国益を優先的に配慮しているが、彼らはしていない」という「日本人/非日本人」スキームであった。
 だから、植松容疑者がこれは「日本のために」したのだとか、「社会が賛同するはずだった」とかいう自己弁明を繰り返し、「国益を害するものたち」を「処分」する「官許」を首相や衆院議長に申請したことには論理的には必然性があったのである。
 彼は自分が「愛国的リバタリアン」という政治的奇形物であり、現在の日本の政界の指導者たちの多くが程度の差はあれ自分の「同類」だと直感していたのである。

 津島さんの憂いをはるかに越えて、早晩、日本のみならず、世界が、言葉による暴力にとどまらず、排外主義的な肉体的暴力へいっそう突き進む時を迎えているような思いがしてなりません。
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鶴瀬宿~勝沼宿~栗原宿。その4。(「甲州街道」をゆく。第8日目)

2017-08-01 19:03:41 | 甲州街道

 訪問客もいないお昼前のひととき、よもやま話に盛り上がり、気がついたら長居をしていました。
 暑いし歩くのも、といってもここからでは駅は遠いし、そこへ行くのもタクシーしかなさそうだし・・・。お礼を言って、「もう少し歩いてみます。」
 重い腰を上げて別れを告げます。

 (11:54)しばらく進むと、急な下り坂。どんどん下っていきます。「ようあん坂」。隣には、「海抜400米」と刻まれた石碑。

 

 そのまま下っていくと、「勝沼小学校」入口になり、「明治天皇勝沼行在所跡」碑が立っています。その下には「勝沼学校」碑。
 

 沿道には大きな「ぶどう園」が軒を連ねています。


                          

白壁の立派なおうち。

丸石を積み重ねた道祖神。けっこう目につきます。

「延命地蔵」。ここにも球形道祖神。

(12:20)やっとたどり着いたのが「白百合醸造」。


                            

 ここは、何種類ものワインを試飲させてくれます。暑い中を歩いてきて、ホッとひと息。いくつも試飲しながら休憩。外は、暑さもピーク。何人かお客さんが来ていました。車では飲めないので、どうやってここまで来たのか? 循環バスもあるようですが。

 (12:43)さて、小瓶のワインを土産に買って、また歩き始めます。「白百合醸造」の先で、甲州市から山梨市へ。


アルコールも加わって、道路の暑さに・・・。

 次第に道も平坦になって、ぶどう園もめっきり少なくなってきます。

(12:57)「栗原宿」に入りますが、宿場らしい雰囲気はありません。こうした石柱が当時を偲ばせるのみ。
「栗原宿 千歳屋 佐野」。

ここにも丸石を積み重ねた道祖神。

 「上栗原」交差点を過ぎ、しばらく進むと右手に「大宮五所大明神参道」の大きな石碑。その碑の裏側の道が旧道らしい。ここは桝形?


 その道を進み、突き当たりを左折、火の見櫓のところで国道に出たら、そのまま突っ切って日川の土手に向かいます。


                       

(13:08)土手から笹子峠方向を望む。

 「新日川橋」のたもとに出たら、右折して国道に戻ります。「下栗原」交差点。ここから国道を西へ進む予定でしたが、ここでギブアップ! 白百合醸造で控えて置いた電話番号をもとにタクシー会社に連絡、5分も経たないうちにタクシーが到着。「山梨市駅」に向かいました。

 炎天下の歩きはほどほどに。「東海道」四日市付近、「日光道中」石那田付近と、これで三度経験。それでも懲りない!

               
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