おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

自己責任の重さ又は乳頭山登山騒ぎ

2005-03-31 23:07:17 | 世間世界
 乳頭山には随分昔に登ったことがある。夏の頃、頂上付近は広い湿原があって、なかなか素晴らしい景観の山だった。晴れていれば何でもない山道でも、ひとたびガスに巻かれると方向を失うような印象があった。冬山ともなれば登山道も雪に埋もれてまして頂上付近は迷いやすいだろうなということは想像できる。
 今回の遭難事件報道を見るかぎり、登山開始に当たって、かなり安直な判断であったのではないか思う。行けるところまで行ってみよう、何回も登っているから大丈夫、そういう行動が事故につながる。かなりベテランの登山家でも思わぬ落とし穴に落ちて(雪山を軽く見て)、生命を失う事も多くある。
 今回、仕事の上では一段落した高年齢の人たちが、たいした分別もなく雪山に入り込み、遭難騒ぎを起こした。しかし、肉親をはじめ、警察など多くの人々に心配をかけたことに対して、あまり反省の色がないことにあきれた。昨今、中高年の登山者に遭難事故が多い。若い頃から山登りをしている人でも、年々その衰えを自覚しつつ登山する。まして、60過ぎて初めて山登りをした中高年は、少し山を安易に考えてはいないだろうか。
 小生は実は若い頃から一応山登りを趣味としていた。北アルプス南アルプスや東北の山などけっこう登った。そして、転落事故などによって死んだ登山者の搬送を、目の当たりにした経験も何度かあった。だから、山は怖いなと今でも思っている。
 喩えれば、晴れた日に風もなく車の通行量も少ない道ならば、高速道路でさえも、取ったばかりの初心者でも、事故への不安もなく運転が出来る。だからといって、自分の運転技術を過信してはならないだろう。ひとたび豪雨や吹雪に見舞われたときには、平穏無事な運転は出来るはずもないのだから。
 まして、今回のリーダー格の人間は、多くの初心者も含めたパーティーを率いる資格はないような発言を平気でしている。こういう場合こそ、受益者負担の原則で捜索にかかったお金をきちんと請求すべきだ。こういうときにこそ、自己責任という概念があるのではないだろうか。
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都立高復活

2005-03-30 23:09:56 | 教育
 ある週刊誌の見出しです。東大前後期の高校別の合格者数が掲載されました。日比谷・西が10人以上の合格者数となり、「都立校復活」となったのでしょう。
 都教委は東大進学者数で、私立や他の公立高校に後れをとるまいと進学重点校を指定し、今も必死にはっぱをかけています。ただただ有名大学への合格数を早く報告しろというだけらしいのですが。その狙いが、名門復活。かの名門中の名門・日比谷高校の復活路線です。
 たかが東大、されど東大。東大合格者数至上主義を東京都教育委員会が率先して掲げ、競い合わせています。東大にあらずんば受験生にあらず、と言わんばかりです。今の都教委の施策は、高校の数だけ学力格差をつけながら、多様化させています。一方で、ばらけてしまいがちな意識を日の丸・君が代の強制を通して、国への忠誠心というかたちで養成するという二面作戦をとっているようです。学力の差異化と日の丸・君が代の強制が一体的に進められているということでしょう。
 いまだに東大への合格者数をその高校の評価とつなげていくことのおかしさにも気づいていながら、なお、「都立高復活」のためには、なりふりかまわず受験教育を推進しているのです。
 予備校のノウハウを研修したり、さまざまな研修組織を立ち上げ、教師の受験教育のテクニック向上を図ろうとしています。東大合格者数だけではありません。早慶などの合格者数を報告させるなど、何かに取り憑かれたような受験教育復活路線です。
 多様化し国際化している社会にあって、東大合格者数で一喜一憂することは、自らの見識のなさを示す以外の何物でもありません。さもなければ、東京都の上級幹部は、東大コンプレックスに苛まされた人生を歩んできたのでしょうか。
 それに、どうして新聞社系の週刊誌しか、こういった受験戦争を煽るような記事を掲載しないのでしょうか。一年経てば何名合格したかは、学校関係者以外はとんと関心がなくなってしまうような、大学の高校別合格者数記事。入試シーズンになると、気になってしかたありません。それに、在籍生徒が多いところと少ないところがあるのに、それを絶対数で比較していること自体、ナンセンスではないでしょうか。
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認知症って何?

2005-03-29 22:21:08 | 世間世界
 これまでの痴呆症が認知症に変わった。これでは、かえって分かりにくいのではないか。認知することに障害が起きている症状だと思う。だから、「認知障害」などと名付ければいいと思うのだが。「命名」(名付け)は、記号論的にはとても重要な意義を持つ。
 痴呆症が差別的な表現であり、病気の症状を明確に言い当てていないということから病名の変更となったのだろう。それともマスコミ用語なのか。
 そもそも「・・病」「・・症」とは病気の性質から名称が違うのか。例えば、「神経症」と言うときと、「精神病」(最近はこのように表現しないようだが」とつくか「症」とつくかで保険の点数も異なっていることがあるのでしょうか。
 医学の世界は、素人には本当に分かりにくい世界だ。
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東名高速道渋滞

2005-03-27 21:47:18 | つぶやき
いい天気でしたね、富士山も真っ白で

実は昨日から出掛けて
夕方帰ってきたところですよ

いやあ、混んでましたね、東名
足柄までは順調でしたよ
「東名終点まで70分」とかこれはいいぞ
まあ順調にいけば5時には帰れるかなって

同乗者も
一仕事終えてのんびりって
四方山話ってやつ

ところがそうはとんやがおろそない

出た!渋滞情報、何と「12K・80分」
えって感じですか
あわてて道路交通情報を聞きましたよ

何とあの大和トンネルで事故
ここは渋滞の名所
ゆるい上りが続き気がつくとスピードが・・・
いつものやつかなって思ったら

だらだら止まっては進み止まっては進み
眠くはなるはいらいらするは・・・
同乗者はもうあきらめて居眠り体制
こっちは眠い目をこすりながらこすりながら
一番外側を走る

車線変更すると反対が早く進む
ふしぎですね
一番右の追い越し車線のほうが遅い
この間、気がついた
渋滞中は路線バス
必ず一番左側車線に車を走らせる
だから今回もそうしてみた、バスの後に

事故だからしかたがないか
でも迷惑だなあってハンドルを握る
オートマだから右足だけ
でも疲れる、疲れる、眠い、眠い

やっとのことで大和トンネルを抜けたら
すいすい
港北によってトイレタイム
やっと戻って来ました

晴れて気分はいいが
事故は本当に
お互い、迷惑ですね

ラジオでは東京に向かう高速道路は
どこも渋滞だと伝えていた

こっちは高校野球と相撲放送を聞きながら
でも相撲放送なんか車以外では
ぜったいに聞かないよ
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スギ花粉に罪はあるのか

2005-03-26 10:58:00 | 世間世界
比叡山。全山黄色に染まっています。ご存じ、森全体が杉杉・・・。そして、たくさんの花をつけて今にも飛び散ろうと。でも、冷たい雨の中、花粉はまき散る様子はありません。考えてみれば、昔から杉の多いところ、では花粉症はあったのか。複合汚染の代表格に今やなってしまったスギ花粉。気の毒と言っては何ですが、今や、花粉症の人間様から憎しみの対象になっている杉。新聞の写真を見ただけでくしゃみが出る始末。まるで、梅干しの話しをしただけで唾が出るといった状態。どこの寺院でも杉の森は多い。北山などは、良質の杉の産地。昔から計画的に杉を植えて切り出して来た。そこに住む人たちには、花粉症はないという。してみれば、まさに公害の一種。杉の花粉には何の罪もないのでは、と思いつつ比叡の山を旅しました。
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ヒロシマから広島、そして再びヒロシマへ

2005-03-25 23:16:32 | 平和
 広島。25年ぶりくらい、久々の原爆ドーム。資料館。のどかな春の日差しのもと、平和公園の川辺では何組かの青年たちが歌に興じていました。
 その姿を見ながら、平和公園をはずれて初めて爆心点に行きました。島外科病院です。1945年8月6日午前8時15分、その真上で投下された原子爆弾が爆発しました。見上げると、青空が広がっていました。
 袋町小学校資料館も初めて訪れました。爆心地からほど近いこの小学校(国民学校)は、鉄筋コンクリートだった西校舎だけが残りました。校庭で朝礼をしていた教師・児童は、原爆の高熱と爆風で一瞬のうちに跡形もなく地上から姿を消しました。
 この学校の階段の壁には階段にそって、行方不明者の安否を気遣う伝言がそのまま残されています。また、教室にも白墨で書かれた伝言が残されています。実に切々とした思いに駆られます。助かったのは、わずか数名。それもたまたま地下室の下足箱にいたからだそうです。
 今回の収穫の一つは、原爆投下前の家屋、住民・氏名の復元図でした。前に来たときにその復元作業を行っているところで、その資料を呼びかけていたような記憶があります。ほぼ完成していました。その原爆投下前の市街地の立体模型と原爆投下後のほとんど消え失せた立体模型を比較すると、いかに原爆が市井の人々の生活を一瞬のうちに奪い取ったかを確かめることができました。
 また、投下直後、米軍の撮影した写真は原爆の被害状況をみるためのものに過ぎなかったことも改めて感じました。生々しい写真を通じて、アメリカ(人)の核への恐怖が、「核抑止力」というかたちでいまもなお続いていることの原点はここにあるという感じがしました。新潟・広島・小倉・長崎は、他の各都市が焼夷弾などの爆撃を受けていたにもかかわらず、ほとんどなかった。そこに、原爆の威力の実験材料として温存されていたといいます。そして、日本の広島(長崎)では一瞬のうちに多くの生命が奪われました。
 そうして、不充分さはあるものの、広島は、反核の発信地として世界にメッセージを送り続けています。しかし、アメリカは、その悲惨な現実から、それを核兵器の巨大な破壊力と恐怖心とを結びつけ、いっそう、核開発を進めてきました。人間の持つ良心とそしてそれとは裏腹な心の存在をいやというほど見せつけられました。かつて、25年前、「ヒロシマから広島へ」という短い文章をある機関誌に発表したことがあります。当時を思い返すと、当時の原水爆禁止運動の中で、政治的に「反核都市・ヒロシマ」というイメージばかりが先行し、地に足のついた市民レベルでの反核運動を作り出すこと、それには被爆の原点に返るべきだという思いから書いたような気がします。
 それから25年以上。当時のアメリカ、ロシア、中国・・・。核大国といわれる国々の他、史上最強の暴力装置の力に依存する国が増えている今日、核の恐ろしさ、悲惨さを訴え続け、核に頼る力の政策では何も生み出さないばかりか、地上においてもう一度原水爆が投下されたならば、人類を滅亡に導くことにつながるということ(これはごく当たり前のことだが)を広島・長崎の被爆体験を通じて訴えていかなければならないと思います。
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花粉症は日本経済にどのような影響を与えるか

2005-03-20 14:13:28 | つぶやき
この間、友人とハイキングに行ったんだ
奥武蔵のそんな高い山ではないですが
降りた駅前には、桃の大木があって
きれいに咲いていた

でもくしゃみが止まらなくなった
案の定、杉杉杉杉杉杉だらけ
もやっと霞んでまるで春霞

のどかな散策だったって
冗談じゃありませんよ
ぼわってあちこちから白い煙が吹き出すんだ
どこかじゃぼや騒ぎになったってあれは本当だよ
それくらい白い煙がたなびいて

そう、今日の朝日新聞に写真が出てた状態そっくりそのまま
目は痒くなるし、くしゃみは止まらないし
楽しいどころか難行苦行

杉杉杉杉を過ぎないと向こうに行けない
ってしゃれているどころじゃなかったよ

もう遠くから見ると全山はるか彼方まで
うっすらと霞か雲か煙か
すべてスギ花粉
もう翌日は目が腫れて開けられなかった

そういうけどこっちもひどかった
きのう、いや一昨日か
ちょっと通り雨が降ったら
車が黄色がかった泥でびっしり

ガラスを拭くのも大変
もう雑巾が黄色だか茶だかに変色して
それでも上の方はそのままこびりついたまま
周りの家でも水かけて
じゃあじゃあ流しても流しても車はきつく拭かないと無理

あれは黄砂かなって言ってたけど
どうもスギ花粉じゃないかって
ということはだ、俺たちも全身で浴びていたってこと

そうなんだ、毎日毎日もうスギ花粉浴ってこと
風呂も何だか汚らしいし
洗っても洗っても何だか頭痒いし
もうガマンできずに医者に行ったんだって
近所の方
何と2時間待ちで午前中出掛けて
やっと午後2時過ぎ

医者も疲れるわな
こっちもそうだけど

レンコンの煮汁がいいってわけで
かみさんも飲んでる飲んでる
ちょっとおさまっているみたい???
今年は医者に行かないで頑張るってさ
そんな精神一到すれば花粉もまた大丈夫っ
てなわけにいくのかいな
おかげでレンコンの煮付けばかり
食卓に出る始末さ
朝からダメ
夕方はダメ
夜になると少しおさまる

仕事にならないっていってるね、友人も
なにしろくしゃみばかり

よけいなことだけど、道で会っても誰だか分からない
目しか見えないから
あらオタクどちら様でしたっけ
目で人を識別するってどういうことだ

これはもう公害だね公害
杉ばっか植えた責任を
国も感じてもらいたいよ
昼間歩いているのは、年寄りばかり
杉の花粉も寄りつかないような、冗談だけど

しかし公害病に認定したら国は破産だね
儲かるのは、医者ばかり
そうそう鼻紙も駅前で配ってるのはダメらしいね
もっと高級なティッシュがいいらしい
ということは儲かるのは紙屋さん

九州じゃ大きな地震が起こるし
被害がますます大きくなりそうだし

ホント日本はどうなっていくのやら
今や身も心も満身創痍ってやつ

そうそう、明日から24日まで出掛けます
広島とそれから京都へ
めずらしく仕事が入ったんだ
だから、しばらくブログもお休みします
携帯からじゃめんどくさいしね

ハハッ!ハックション
たしか京都は杉が多いところ
侮れないぞ、今回は
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妄想おやじの白昼夢

2005-03-19 22:45:18 | 教育
 今朝の朝日新聞。「センター試験 福井県教委が集計「操作」 県別平均点アップ狙う」。記事によれば、昨年12月「推薦合格した生徒の自己採点結果は極力提供しないようにする」ことを各高校長に通知し、そのため推薦合格者を中心に昨年に比べ約10%提出率が下がったという。「平均点がアップしたのは推薦入試合格者が入っていないため」と「学力向上プロジュクト委員会」の委員が説明している。西川県知事のマニフェスト「学力全国10位以内」を達成するのが目的とされ、たしかに、今年の順位は25位から20位に上がった。記事の中には、県教委の指示について教育長が「変なことをするつもりではない」と釈明した記事も掲載されている。
 起こるべくして起こった事態だなと言うのが小生の率直な感想。かつて、全国学力テストが行われ、組合や保護者からの激しい反対運動の中で、中止になったいきさつを知ってか知らずか、またぞろ、同じようなごまかしが始まったということだ。
 学テでは、全国の都道府県単位で平均点が公表された。それが、自治体やまた各学校まで下ろされていった意図的に。結果、どういうことが行われたか。平均点を上げるためにはどういうことを行ったかということである。
 学テのための準備学習は当然のこと。予想問題まで出来た。当日は、平均点を下げさせるような子どもは欠席させる。もっとひどいケースは、監督の教師が答えを教えるということまでやっていると公然とささやかれた。
 こうしてインチキ「学テ」によって競い合わせることは、当時の日教組組織をつぶすことと一体となって進められた。当然、現場は組合と管理職とのせめぎ合いの場となった。勤務評定導入ともからんで。教育委員会のあり方にも密接に関係して。こうして、荒廃していく学校。
 昨今の学校教育に対する批判の原点(管理職と組合員教師との不毛の対立。君が代・日の丸の法制化もここにあったのだから。)は、ここにあるような気がしている。小生は、あまりにも強引な教育委員会なやり方に非があったと今でも思う。
 時が移り、「学力低下」「学力低下」の非難が声高に叫ばれ、学力向上のために夏休みを減らしたり、一日7時間授業を行ったり、教育委員会は、教師のお尻をたたきながら競争させている。
 役人の教育長は所詮、役人にすぎない。知事が選んだ教育委員の無理難題にもハイハイと言わざるを得ない仕組みが、今の教育行政なのだ。
 それに、マニフェストなる数値目標が、あたかも政治家のしゃれた責任の取り方のようにもてはやされ、しかし、達成できない責任は、言い出した政治家ではなく、役人がとらされるという奇妙な構造。
 そもそも偏差値は、必ず1番がいれば、必ずぺけがいるという前提で成り立っている数式。平均点もほぼ同様。全員が100点満点だったり、0点では意味がない。その中身が問題にされなければならないはずなのに・・・上位層がどれだけいるのか、下位層はどうなっているのか、どうしたら下位層のレベルアップを図れるかなど具体的なデータに基づき分析し、手だてをうっていくことが大事な視点。
 ただ平均点で比べようとするのは、こざかしい政治屋の考えそうな発想だ。だから、平均点を下げる奴の得点をはずそうという、禁じ手的考えになる、これまた木っ端役人が考えそうなこと。そして、ますますバカにされる。
 だいたい、大手予備校が生徒個人個人のデータを集めて、平均点や合格可能性を通知するということに疑問を持たないのか。そんなデータに一喜一憂する暇があったら、「センター入試」の時期や内容、肥大化したセンター試験、ミスが目立つ試験。それらをきちんと現場の声を聞きながら批判してみたらいい。
 また、センター対応の試験で受験料を取り、センター対応の試験の結果が出る前に、同じ学部・学科の一般入試を受けさせ、そこでも受験料を二重に取るなどというあこぎな商売をやっている私立大学に文句の一つでも言ったらどうだ。最近になってやっと入学金を返すようになった金、金、金の私立には言ってもムダだが。
 小学校から競争はいいことだと子どもたちをも先生たちをも煽るだけ煽って、実は、上ではごまかしていい顔をしようとする、さもしい役人連中(お抱え委員)はどこへ行ってもやはりうまく立ち回るのであろうか。
 そして、成績の低い子はますます低く、ただ働けども働けども我が暮らしは楽にならず、自衛隊(軍隊)に入って一花咲かすか、はたまた戦死するか・・・。金持ちの家の子どもは、ますます教育の機会に恵まれ、塾や予備校に「乳母日傘」で通い、蝶よ花よと舞い踊って・・・、挙げ句の果てに70歳で拘置所に入る人生もまた楽しからずや、か。
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どこもかしこも高齢化

2005-03-18 23:18:29 | 平和
 このあいだ、とある私鉄の駅の改札口を出て階段を下りかけたところ、階段下で「お願いしま~す」の声がしました。見ると「日本共産党」と書かれた幟の下で、何人かがビラを配っています。「嫌いな方もぜひ読んで下さい。」「ともに考えましょう。」と呼びかけながらビラを手渡そうとしていました。受け取って見ると、現在東京都教育委員会が強権的に押しつけてきている君が代・日の丸問題に関するものでした。
 配っている人を見ると小生と同じか少し年取った方々でした。男性も女性も、正直、覇気を感じませんでした。受け取る人はほとんどいません。それでも必死になって配る姿についビラを受け取ったのです。書いてある内容は、今の東京都の公立学校への国歌・国旗強制への批判とそれを進めているイシハラ都政に対する批判ということでした。たしかに考えさせるものでした。しかし、随分高齢者が配っているんだなあと思いました。
そういえば、この間、近所の高校の卒業式がありました。その時、やはり国歌・国旗に対する批判を書いたビラを配っていました。その男女も年格好はもう50代後半という印象でした。丁寧に挨拶しながら校門の外、歩道のところで手渡していました。ほとんど受け取る人もいません。それでもめげずに?配っていました。何だかもっと若い奴はいないのかと思いました。
 思うに、こうした左翼(?)運動には若い人は魅力を感じないのか。今の現状をどうにかしたいと思っていないのか、むしろ積極的に肯定しているのか、こうしたビラ配りなんかはダサイと思っているのか・・・。(街頭では、若い女性たちがカラオケいかがですかと大声で叫んでいるのだら、けっしてこういう行動がイヤというわけではないのでしょう。)
 この間、自宅近くの国道の歩道を同じはっぴを着て、清掃活動している宗教団体に遇いました。子どももいましたが、お婆さんお爺さんに連れられて拾い歩いているという感じでした。ここでも、随分と高齢者の集まりだなと思いました。車椅子でないと集会に集まれない、自家用車がないと行けない・・・。そんな話しが伝わってもきます。
 どこもかしこも高齢化。いったい若者はどこに消えてしまったのでしょうか。
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勉強が本分だぞって言っても

2005-03-17 22:58:06 | つぶやき
日本の中学生・高校生が
夜遅くまで起きていて何をしているのか
中国とアメリカとの比較で明らかになったこと
夜更かし、勉強せず、睡眠不足・・・

携帯電話はもう瞬間瞬間、寸暇を惜しんでやりとりしているって
インターネットもそうかもしれない
高校生にもなると、2チャンネルにはまっているケースも多いって
瞬時の短い、怪しい情報も含めてのやりとりに魅力を感じるのか
惰性で接触しているのか・・・

関心事は性のこと?あたまはカレシ・カノジョ?

いい高校、いい大学、いい会社とすべてが疑問だらけになってしまった
今の日本
だから、ちょっと勉強すれば
いい高校、いい大学には入れるようになったって
その代わり、長続きしない

大学に入っても面白くないらしく
また受け直す、受け直すって
いつまで経っても方向性が定まらない

会社に入ってもすぐやめてしまう
新入社員が話題になるが
今や大学受験がそんなふうになりつつあるって
何をやっても面白くなく
かといって何かをしていないとつまらない

勉強なんて大嫌い!
古文漢文数学・・・
英語は将来役に立つからやるかってな具合だって
これでお前たちもっと勉強しろっていっても
ハアって言われるか
怪訝そうな顔をされる

先生、あまりがつがつしないでよ
適当でいいからさ
って言う高校生もいるって
嘆く友人の教師

塾には、せっせと通い
ハウツウもので合格を勝ち取る
いったいどうなってんの、高校生諸君!

今やそのふうが小学生まで
アア
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千葉知事選に垣間見た危険性

2005-03-16 23:23:19 | 平和
 千葉知事選は投票前の予想に反して、わずか6000票の差しかつかず、堂本氏が辛勝した。森田健作の追い上げのすさまじかったことを物語る。当初から、堂本さんの楽勝を予想していたマスコミもあわやとなったので冷や汗をかいたのではないだろうか。
 もし公明党が森田氏を支持していたら間違いなく森田氏の勝利。かつて、公明党・創価学会と森田氏とは小選挙区での確執があったために、公明党は森田氏を支持しなかったにすぎない。またまた公明党・創価学会は、自民党に大きな貸しを作った感じだ。自分たちが支持しなければ自民党候補は当選しないと。これで、次回の総選挙で自民党は公明党・創価学会の顔色をうかがいつつ候補者をたてることになった。実に公明党は、巧妙なやり方を取った。
 森田氏もイシハラの応援を得て、一気に選挙戦を盛り上げた。「青春」タレントとしての知名度に加え、堂本さんに比べた、若さと行動力を前面に出した作戦が功を奏したのだろう。それに比べて、堂本さんは魅力がなかった。
 今回の選挙結果から、千葉県民の保守性が根強いという感想もあるが、所詮、昨今の選挙は話題性がある候補に票が投ぜられるのであって、政策や信条などは問題にされないのではないか。千葉の保守性が投票に表れたとは言い切れないだろう。それは、農村部だけでなく一部の市部でも森田優勢の結果があったことにも伺われる。
 無党派層の移り気な投票行動だということもあるだろうが、本質的には、国民全体に何だかはっきりしないもやもやとした気分が漂っている中、アジテーターがちょっとその不満・不信・不安などに火を付ければ、一気にぱっと燃え上がっていくような、そうした危険水域(全体主義的・排外主義・強権的指導者への期待・・・)に入ってきているような感じがする。それは、「革新」に対する「保守」といったような枠組みではとらえられない範疇のものだろう。
 「竹島の日」制定をめぐる問題もしかり。今の日本の、何か鬱積した出口の見えない状況が、国民一人ひとりをして、また集団をして、思いがけない(マスコミも世間も、むしろ当事者までも)過激な行動に(左・右に激しくぶれながら)はしらせるのではないだろうか。
 イシハラを核にして、埼玉、神奈川と「得体のしれない」ふりをしている確信犯的知事連中の一角に、千葉が入っていたらと思うと、心中穏やかではない。
 こうした状況にほくそ笑むのは、いったい誰だろうか。コイズミ首相かはたまた池田先生か。
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今時の自転車運転は何か変!

2005-03-15 23:56:59 | 世間世界
 さっき車を運転してしてヒヤッとした。ほとんど車の通りもない直線二車線の道路を進んでいた小生。信号はまだ先、見通しもいい。前方左側には、乗用車が停車している。正直、制限速度をちょっとオーバー気味で進行していた。そして、その停車中の車を斜め左側に見てアクセルを踏もうとした時、急に車の陰から自転車が飛び出してきたのだ。
 あわてて右側に車線変更して、危うくその自転車をよけた。とっさの判断だったが、もし右側車線を車がすぐ後ろに走ってきていたら、その車と接触して大事故につながった可能性も大である。幸いに、夜11時過ぎの閑散とした道。
 それにしても、反対車線を走って来る自転車があるとは思いも寄らなかった。しばらく進むとやはり同じように反対車線を走って来る自転車がいるではないか。今度は、見通しがよかったので、自転車と対面交通のようなかたちで、その脇を通り過ぎた。
 そういえば、この間、近所の国道で信号待ちをしていたとき、目の前を通過する自転車があったことを思い出した。びっくりした小生を横目に、この自転車も反対車線を悠々と走っていた。そして、道路の真ん中を今度は反対車線に進み、横断していった。そのときは、何と無謀な自転車だと思ったが、今回、現実に出くわしてみると、自殺行為としか思えない乗り方だと感じた。
 そういう小生も、昔、酔っぱらって自転車に乗って帰宅しようとして、ガードレールにぶつかって転倒、大けがをしたこともあったから、非難することは出来ない。おまわりさんから「旦那、大丈夫ですか、酔っぱらってますよ、気を付けて下さい」と声をかけられたこともあったっけ。
 ところで、道交法では、自転車は軽車両になるはず。反対車線を走るのは、明らかに道交法違反である。しかし、そういうことなど気にもしていない風。いったん、車と自転車の事故ということになれば、圧倒的に車の方が分が悪くなるだろう。まして生命に関わることならば、一生、悔やんでも悔やみきれない、双方ともに多くの人を巻き込んでの悲惨な事故ということになる。
 歩道から急に車道に飛び出してくる自転車。片手で運転。両手を離しての運転。携帯電話をかけながらの運転。歩道上を歩行者に遠慮会釈なく突っ走るような運転。
 先日は、どちらが悪かったのか、自転車に乗った女子高校生とバイクに乗った年寄りの男性がぶつかり、どういう加減かバイクがその男性に倒れてきて、全身打撲で意識不明が一ヶ月以上になった後、亡くなったという話しを耳にした。わずか15,6歳での他人の死と出会わす体験は、悲痛なものがある。
 何年か前、小生自身、近所の女子高校生が、横断歩道に少しかかって停まった大型トラック(これは道交法違反)の前をすばやく横切ろうとして、信号が変わって走り出したトラックにひかれて即死というあっという間の出来事(事故)を目撃したことがあった。
 車社会の中で、とかく安易に運転している自転車も一歩間違えば大事故につながるというごく当たり前のことを自覚したい。年寄りや小さな子どもを対象にした、「地域自転車安全教室」「マナー向上」などのキャンペーンも必要なのではないだろうか。
 「ヒヤッとしたその瞬間を忘れるな!」懐かしい交通標語を思い出した。
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〈戦争責任〉とは何か

2005-03-14 23:48:18 | 読書無限
 これは、木佐芳男著の本の題名である。中公新書として発刊された(2001年)。副題に「清算されなかったドイツの過去」とある。日本と比べて、これまで世界的には肯定的にとらえられているドイツの戦争責任のとりかたは、実はトリックにすぎないことを自らの手と足で取材したものだ。
 この中で、戦争責任の名において清算された過去は、ヒットラーとナチスの過去であったのであって、第二次大戦において旧国防軍が犯した過去の戦争犯罪については、ドイツ人の間では、ほとんど不問に付されたきていることを明らかにした。つまり、ホロコーストによって代表されるヒットラー及びナチスに積極的に手をかした人(ゲシュタポや親衛隊など)への戦争責任の追及は行われたものの、それ以外の国防軍(軍隊)関係者の戦争責任については、あいまいのままに今日(執筆当時)まで来ている、と。
 1995年にドイツ各地で開かれた「国防軍の犯罪」展をめぐって、右翼的な立場からの激しい抗議運動を引き起こした。この事件をきっかけにして、筆者はドイツの戦争責任の取り方を実証的に調べ、東西冷戦構造の中で、巧妙に論理のすり替え(ドイツ自身の戦争責任をヒットラー・ナチスの犯罪に限定したこと)を行ってきたことを検証している。筆者も述べているように、日本と比較しながら検討したわけではないが、改めて日本の戦争責任の取り方を考えるきっかけにもなる書である。
 日本。「一億総懺悔」という言葉に象徴されるように、戦争責任を曖昧にしてきた保守派の政治家たち。戦争を美化し、いまだに意識して「失言」を繰り返す政治家たち。
 ドイツ人自身が、ナチスに責任をなすりつけることで事足りてきたことから一歩踏み出し、暗黒の歴史に立ち向かわなければならない。にもかかわらず、まだまだ曖昧のままにある、ドイツの現状。
 こうしたドイツの状況と照らし合わせながら、憲法第9条を改変し、軍隊を設置しようとする動きが明確になって来た今日、かつての日本「軍」の戦争責任、戦争に突き進んだ政治のありよう、昭和天皇の戦争責任等、その歴史的現実について正しく向き合う必要があるのではないか。
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日の丸と君が代と

2005-03-13 22:01:00 | つぶやき
そう、それはおめでとう
いよいよ大学か、まあ、君も

これからが本当の勉強だっていっても
学生生活をエンジョイする気だろうがね
ま、ほどほどに人生経験を積むがいいさ
俺みたいにって、ここでかっこつける

ところで今、卒業式って大変なんだろう
先生たちも

そうなんだ、国歌斉唱で一斉に起立か
なに!正面の国旗に向かって歌うのか
そりゃ、様変わりだなあ

そっちはどうした?
立ったけど歌わなかったってか
そんなに厳しいわけじゃないんだろ
俺たち生徒に対しては

去年にはあったみたいだね
生徒が立たないのは教師のせいだって
教育委員会から処分されたって
そっちも教育関係にいくつもりだろ?
少しは関心を持てよ

正門のところでビラ配りもあったのか
反対しましょうって内容、らしいって見てないのか
受け取らないし、読まずに捨ててしまったのか

僕らが現役のときは
日の丸は飾っていなかったな、高校では
といっても何年か前から
国旗と校旗が三脚っていうの
あそこに並んで置かれるようになったらしいね、正面の演壇横に

それでも、いろいろ抵抗があった教師も生徒も多かったと思うよ
小学校や中学校では
ほとんど日の丸を掲げて君が代を歌ったけど
高校はまだまだそんな雰囲気はなかったな

国籍の違う生徒もいたし
思想信条の自由ってことを大事にしてたからかな
生徒には強制はしなかったよ、歌ったりすること
当然な事だよ

でも、教師の方にはじわじわと
強制するような空気になってきた
特に最近はかさにかかってもうはっきりと

日の丸にはさまざまな思いがあるしね
まして君が代はどうみたっておかしいよね
今の日本のあり方にはそぐわないよ
憲法上からもと思うがな

君たちの間ではどうだ
あまり気にもしないか、ふ~ん
でも強制的にやらせるのは間違っていると思う
それは分かってくれるか

まあこれから大学に行って教職をとって
そして就職とその間にこのへんのあたりも
よく勉強してくれよ
ただ上からの言うことを
はいはい聞くだけじゃ使い物にならんぞ

ま、元気で頑張れよ
なんかあったら連絡よこせよ
うるさいOBさんと思うなよ

他の部の連中にもよろしく伝えてくれ

都内の高校の卒業式も一段落。
去年話題になった不起立も激減したらしい。
二度処分されると、今度はかなりの厳しい減給やら処分があるらしい。
これで減ったからといって、
教育委員会が喜んでいるとしたら、本当に情けない。
かたちだけのことで、
事足れりとしてはいないだろうか。

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言葉は人を傷つけることもあるということ

2005-03-12 15:22:28 | 世間世界
 言語は記号の一種である。けれども、一般的な記号、例えば、地図の記号や信号などとは本質的に異なる。言語以外の記号がその意味するもの(対象)と一対一で対応して、指し示す役割をするのに対して、言語は、一対一で対象を指し示す道具としての記号ではないからだ。言語そのものが曖昧な意味・内容を持ちながら、それ自身が人間にその意味を突きつけてくる働きを行う。記号は文化である。言語は、文化そのものである。
 ある言語を用いることは、その人自身の文化的価値であり、人生観・世界観の表象である。それが、〇〇語(圏)となれば、その言語を持つ民族なり、集団の「文化」「思想」「行動様式」などを表したものとなる。その言語によって、その民族の文化・思想・行動様式を表現したことになるのだ。だから、言語の数だけ文化が存在するといっても過言ではない。文化とは「差異」だから。人間は、音声言語・表記文字を用いることによって、思想や文化を表す動物である。
 人間は、言語によって混沌とした世界(カオス)を分別し(区別し識別する)、別の側面からいえば、世界(カオス)を分別し識別するために、言語を用いる。事物の存在は、はじめて言語によってそれが事物として存在することになるのだ。身振りや手振りでさえも、その意味・内容を言語化して理解する。だから、「名付け」が記号を考える上(人間と世界の関わりということ)での出発点となる。たとえば、虚数は、数学的世界には存在する。これは、記号論の常識である。
 最近、ブログに関わってさまざまな記号(文章・写真・・・)に接するたびに、改めてこのことを思う。自分では何気なく発信した言葉が、相手を傷つけ、一人歩きをして、さらに周り回って自分に刃が向いてくることに無頓着であってはならないと思う。
 さらに、東北アジアを巡る問題、歴史教科書問題や国際関係の問題。度重なる政治家の「失言」は、確信犯であるが故に、その人間の価値観・世界観を明らかに示しながら、意図的に関係国と日本との関係を悪化させる働きかけを行う。当事者は、そのことをはっきり意識しての発言である。 だが、マスコミや国民から騒がれると、「失言」を取り消したり、弁解したりする。それならはじめから言わなければいいのに。また、強く批判されると、今度は居直って言論の自由だと言い始める。それは、「言論の自由」を声高に叫ぶこととは、ますます無縁の発言である。己の人生観・世界観の貧弱さを物語っただけにすぎない。
 かの一善君が「泥酔していて記憶にない」「一生お酒は飲みません」などという発言をまともに受け取った人は誰もいないだろう。「言論の自由」とはまさに「何を言っても許される」が、それで終わってしまうことではない、必ずつけが回っていく。しかし、かの一善くんは、そうなるとは思ってもいまい。
 日本の政治家としてもっともふさわしい人を国会の場から失ってしまった。
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