おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「野木沢駅」~「郡山駅」。阿武隈(あぶくま)川。あぶくま高原道路。泉郷(いずみごう)・川東・小塩江(おしおえ)・安積永盛(あさかながもり)。そして、終点・郡山駅。(「水郡線」の旅。その8。)

2024-10-17 20:21:59 | 鉄道の旅

この先は、丘陵地帯から田園地帯を進みます。

※「久慈川」沿いから「阿武隈川」及び支流沿いになります。

「あぶくま高原道路」。

「泉郷(いずみごう)駅」。

福島県石川郡玉川村大字小高字中村前にある

福島空港に最も近い鉄道駅であるが、現在は空港行きの路線バスの設定はなく、タクシー以外にアクセス手段がない。

   

「川東駅」。「阿武隈川」の東側にあたる。

福島県須賀川市小作田(こさくだ)字西舘(にしたて)にある。かつては相対式ホーム2面2線であったが、旧2番線の線路および跨線橋は撤去された。

「小塩江(おしおえ)駅)」。

福島県須賀川市塩田字小玉にある。駅舎はなく、出入口があるのみ。

「谷田川駅」。

福島県郡山市田村町谷田川字荒小路(あらこうじ)にある。郡山市に属している。

「磐城守山駅」。福島県郡山市田村町岩作(がんさく)字西河原にある。

東北本線に合流して、「安積永盛駅」に向かいます。

※その手前で、「阿武隈川」を渡ります。

源を福島県西白河郡西郷村に位置する旭岳(標高1,835m)に発し、阿武隈山地や奥羽山脈から流れ出る社川、釈迦堂川、大滝根川、荒川、摺上川等の支川を合わせながら福島県中通 り地方を貫流し、福島・宮城県境の狭窄部を抜け、白石川を合わせて、岩沼市、亘理町の境で太平洋に注ぐ一級河川です。
 阿武隈川は、「古今集」東歌の一首をはじめとして、古くから歌に詠われ、また、江戸時代には御城米や物資などの輸送手段として、舟運が盛んに行われていたという歴史・文化があり、福島・宮城県境の狭窄部は、阿武隈渓谷県立自然公園に指定される景勝地となっており、阿武隈川で唯一の舟下りが行われています。
 現在、流域の市町村が構成する”阿武隈川サミット”が定期的に開かれ、阿武隈川の抱える共通 の問題や課題について連携しながら取り組んでいます。(この項「東北地方整備局」HPより)

「安積永盛(あさかながもり)駅」。

福島県郡山市笹川三丁目にある東北本線所属線として水郡線を加えた2路線が乗り入れる。水郡線は当駅が終点であるが、全列車が東北本線の郡山駅を発着する

かつては駅から分岐本線の西側に沿って、駅の南側にある太平洋セメント安積永盛倉庫へ至る専用線があった。そのため、本駅は大越駅住友大阪セメント田村工場)からセメント輸送列車が到着していたが、1999年(平成11年)6月に廃止された。

ようやく「郡山駅」に到着します。

水戸駅発9:23 郡山駅着12:33。約3時間の列車の旅でした。

※小生以外、同じ車両では小生以外、3人が水戸からここまで乗ってきました。

       

「郡山駅」ホーム。  

  

       

JR東日本の新幹線と在来線各線が乗り入れ、東西南北へ向かう路線の結節点となっている。

新幹線は、線路名称上は東北新幹線のみであるが、新幹線ホームには同新幹線の列車のほか、山形新幹線の列車も停車する。

在来線は、線路名称上は東北本線磐越西線磐越東線の3路線が乗り入れている。このうち、東北本線を当駅の所属線とし、また、磐越西線は当駅が起点、磐越東線は当駅が終点である。このほか、水戸駅を起点とし、東北本線の当駅の南隣にある安積永盛駅を終点とする水郡線の列車も当駅まで乗り入れており、前述の各線と合わせると5方面の列車が当駅を発着している。

 

にぎやかな駅前。  

車窓からの映像より。 

               

                  

雨の一日でしたが、変化に富み、車窓の右に左に景色が広がり、3時間もあっという間に過ぎてしまいました。

今度は、磐越西線、磐越東線に乗ってみたいと思います。

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「磐城棚倉駅」~「野木沢駅」。「花火の里あさかわ」。里白石駅。磐城石川駅・「学法石川」。野木沢駅。(「水郡線」の旅。その7。)

2024-10-16 18:29:55 | 鉄道の旅

駅周辺を過ぎると、田園地帯が広がります。

          

「花火の里あさかわ」。

磐城浅川(いわきあさかわ)駅。福島県石川郡浅川町字浅川字本町西裏(もとまちにしうら)にある。

水郡線の駅の中では最も標高が高い場所に位置する。標高307M。

※水戸駅:標高9M。郡山駅:226M。

久慈川沿いの微高地・盆地を上ったり、下ったりしながらここまで到着。この先は、阿武隈山地、阿武隈川(支流)沿いに進む。

浅川の花火は毎年お盆の8月16日に開催され、趣向を凝らした大小数千発の打上げ花火が夜空を彩ります。なかでも呼び物となっている「大からくり」と「地雷火」は必見で、町内を見下ろす城山の山肌で炸裂する迫力満点の「地雷火」がフィナーレを飾ります。浅川の花火の起源は諸説あり、一説によると江戸時代中期から始まったとされ、福島県内で最古の伝統を持つ花火大会とも言われています。

                                (「」HPより)

           

                   

                                (「」HPより)

「里白石駅」。

福島県石川郡浅川町大字里白石字宿裏(しゅくうら)にある。待合室があるのみ。ホームと道路との間は段差がない。

「北須川」(「社川」と合わせ、「阿武隈川」に合流する。)。

   水源は、阿武隈山地(右手一帯に広がる山地)。

「磐城石川駅」。福島県石川郡石川町字当町(とうまち)にある。

高校野球などで有名な「学法石川」は、この地にあります。

福島県石川郡石川町大室にある、中高一貫教育を提供する私立中学校高等学校(併設型中高一貫校)。

1892年(明治25年)に石川義塾として創立。福島県内最古の私立学校である。2008年度より法人名を学校法人石川義塾に変更・石川義塾中学校を新設し、併設型中高一貫教育を開始した。

自転車競技部は全国高等学校総合体育大会自転車競技大会インターハイ)6回(うちトラック2回、ロード8回)、全国高等学校選抜自転車競技大会3回の全国での総合優勝とインターハイと選抜自転車競技大会で12回の準優勝がある。

ハンドボール部は全国高等学校総合体育大会ハンドボール競技大会(インターハイ)、国民体育大会全国高等学校ハンドボール選抜大会2回の3位入賞をしている。

野球部は4回と9回の甲子園出場、最高位はベスト16。明治神宮野球大会1回出場。

陸上競技部は全国高校駅伝競走大会に男子は12年連続14回、女子は10年連続10回の出場。男子は2013年8位、2014年7位、2015年7位と3年連続で入賞、2018年は2時間2分台を記録し3位の表彰台に入った。2019年も前年の記録を上回る2時間2分台で5位入賞を果たした。7区間すべて日本人だけで2時間2分台を2度記録している。2021年、2022年は連続で8位入賞。10年で7度の入賞。女子は2020年に8位と初の入賞を果たしている。

サッカー部は全国高校サッカー第99回)に1度、ソフトボール部はインターハイに3度出場。柔道部、ソフトテニス部、チアリーディング部、ゴルフ部、空手道部も全国大会出場がある。

※通学は郡山駅、白河駅から通学バスが出ている。

「野木沢駅」。

福島県石川郡石川町大字中野字水内(みずうち)にある。「JA夢みなみ」の石川野木沢支店と合築の駅舎に改築

駅舎。

郡山に向かう乗客が増えてきます。

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「磐城石井駅」~「磐城棚倉駅」。磐城塙駅・「ブルネル賞」。近津(ちかつ)駅。久慈川とお別れ。磐城棚倉駅・白棚線(はくほうせん)。「鉄道の日」。(「水郡線」の旅。その6。)

2024-10-14 18:03:33 | 鉄道の旅

福島県に入ると、若者など乗る人が目立ってきます。

しかし、右の窓側に座っている女性と男性(それぞれ別々ですが)は、そのまま。郡山まで向かうようです。

久慈川も緩やかな流れに。

             久慈川沿いに「サイクリングロード」。

住宅が目立ってきます。

「磐城塙(いわきはなわ)駅」。

福島県東白川郡塙町大字塙字宮田町にある。

  

駅舎は、塙町コミュニティプラザと合築。円形の建物がいくつか連なった木造平屋建て。また、現駅舎の竣工より1年以上早く、1982年4月1日に開館していた塙町立図書館と一体化した形で接続されている。1995年度のグッドデザイン賞、第6回ブルネル賞(1996年)小駅部門奨励賞を受賞している

                 駅舎。

※「ブルネル賞」鉄道関連では唯一となる国際デザインコンペティション

1985年欧米を中心とした世界各国の鉄道関連のデザイナー建築家によって構成されるワトフォード会議によって創設された賞で、近年完成あるいはリニューアルされた鉄道関連のあらゆる分野のプロジェクトを対象に顕彰することを通じて、鉄道事業者の経営に対するデザインの効用の認識を高めるとともに、鉄道の社会的役割に対する一般の意識の向上を目的としている。

「塙町立はなわこども園」。

進行方向・左。

「田園地帯」へ。

「第十久慈川橋梁」で久慈川が右に移ります。

線路脇に製材所。

「近津(ちかつ)駅」。

福島県東白川郡棚倉町大字寺山字高瀬田にある。待合室があるのみ。1日の乗車人数は、30名以下。が、

若者が数人、乗車。

次の「中豊駅」との間、「第十一久慈川橋梁」を渡ると、久慈川は左にそれていきます。久慈川とはそこでお別れ。

ここで、「久慈川」についてのまとめ。

福島県および茨城県を流れる一級河川。久慈川水系の本流である。流路総延長527km。日本で有数のの釣場として有名である。また、瑪瑙、赤瑪瑙、水晶がよく採れる川としても有名である。

福島県と茨城県の県境にある八溝山の北側斜面に源流を発する。八溝山地阿武隈高地の間を南へ流れ、茨城県に入って大子町常陸大宮市などを経て、日立市東海村の境界から太平洋に注ぐ。

厳冬期、上流の山間部は日差しがあまり当たらないうえ放射冷却もあって一部が凍ることがあり、茨城県大子町辺りまでは川面を氷が流れ下る「シガ」という現象が見られることがある

※「久慈」という地名は、『常陸国風土記』の記述に「古老のいへらく、郡より南近くに小さき丘あり。かたち、鯨鯢に似たり。倭武の天皇、よりて久慈と名づけたまひき」とあるのに由来するといわれている

「磐城棚倉駅」。

福島県東白川郡棚倉町大字棚倉字北町にある。白棚鉄道の駅として開業し、その後は鉄道省(国有鉄道)の水郡南線が乗り入れるようになった。1944年までは白棚鉄道の後身である白棚線の分岐駅で、戦後の現在はジェイアールバス関東のバス路線「白棚線」の連絡駅となっている

※「白棚線(はくほうせん)」:福島県白河市白河駅と同県東白川郡棚倉町磐城棚倉駅を結んでいた運輸通信省鉄道路線、およびこれを引き継いだジェイアールバス関東(JRバス関東)の自動車路線である。

1938年に借入営業を開始し白棚線となった。その後も設備投資の必要性から買収の請願は続けられ、1941年に買収が決定、正式に国有鉄道(鉄道省)の路線となった。しかし、太平洋戦争の激化とともに、1944年に不要不急線として休止され、レールなどが撤去された。戦後には復活も検討され、レールバスを運行する計画もあり、同線向けにキハ10000形気動車DD11形ディーゼル機関車の設計製造も行われたものの、最終的に鉄道としての復活を断念し、線路敷を専用道路に転用してバス路線として運行されることとなった。

専用道路を走るバス。(番沢-温泉口 2009年9月撮影)

バス専用道区間はJRバス関東の私有地の敷地内を走っている。バス車両の安全な通行を確保するため、JRバス関東と福島県白河警察署では、バス専用道区間での歩行者・自転車・一般車の通行を禁止している。この区間はJRバス関東所有の私道であるため、違反者には罰則も適用される。バス以外の通行防止策として、一般道との交差部分や停留所近くの随所に、「一般車通行禁止」の看板が掲げられており、専用道との交差部分では、「一時停止」の標識や「バス専用道路あり」の補助標識が設置されている。このため、専用道と一般道の交差では原則としてバス車両が優先であり、一般道側からは一時停止が必要である(ただし例外として、松上 - 番沢間にある県道中野番沢線との交差部分、並びに国道289号への合流部分においては一般道側が優先となっている)。

(この項「Wikipedia」参照)

乗ってみたいバス路線です。

※今日は「鉄道の日」でした。そのいわれは?

 明治5年(1872年)10月14日新橋~横浜間に日本で最初の鉄道が開通したことを受け、平成6年(1994年)、その誕生と発展を記念し、毎年10月14日を「鉄道の日」と定めました。
鉄道が国民に広く愛され、その役割についての理解と関心がより深まることを願い、鉄道事業者、関係団体、国などが「鉄道の日」実行委員会を組織し、毎年多彩な行事を全国各地で実施しております。
なお、今年は、「鉄道の日」が制定されてから31回目を迎えます。(「国交省」HPより)

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「常陸大子駅」~「磐城石井駅」。2両編成で郡山まで。茨城県最北端の駅・下野宮駅。福島県及び東北地方の最南端に位置する「矢祭山駅」・あゆのつり橋。(「水郡線」の旅。その5。)

2024-10-13 20:21:26 | 鉄道の旅

「常陸大子駅」からは2両編成で「郡山駅」まで。

田園風景。

「下野宮駅」。

             「水郡線開通90周年 この町とこの路と」という幟。

茨城県久慈郡大子町大字下野宮にある。茨城県最北端の水郡線の駅である。また、茨城県内のJR線では唯一の東京近郊区間区間外の駅となる。

            駅舎。

「矢祭山駅」。

福島県東白川郡矢祭町大字内川字矢祭にある。福島県及び東北地方の鉄道駅では最南端に位置する。

「あゆのつり橋」。延長62m、幅1.5mの赤い橋。

・・・

東白川郡矢祭町内川、矢祭山駅近くにある吊橋。久慈川上の延長62mにわたって架かっており、桜や紅葉をはじめ、川沿いの四季折々の景観を一望できる。また、橋を渡った先には「ふくしまの水三十選」にも選ばれた「夢想滝」がある。

(この項「Yahoo!トラベル」HPより)

「久慈川」が右に左に。

     

山間から、次第に、

               

田園風景が広がります。

「東館(ひがしたて)駅」。

福島県東白川郡矢祭町大字東舘(ひがしたて)字石田にある。駅名は「東」であるが、現在の正式な地名は「東」である。乗車人数は、約50名。

待合室。

木造の駅舎。

「南石井駅」。

福島県東白川郡矢祭町大字下石井にある請願駅として地元の負担で建設された単式ホーム1面1線。ホーム上に待合室があるのみである。1日の乗車人数は30人未満。

次の駅が「磐城石井駅」。

駅舎はかつて存在していたが、取り壊され、現在はドアなしの待合所が設置されている。

駅舎はこれのみ。

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「上小川駅」~「常陸大子駅」。「袋田駅」・袋田の滝。常陸大子駅・常陸大子町・茨城県の最北西端。ノーベル平和賞・「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」。(「水郡線」の旅。その4。)

2024-10-12 18:53:49 | 鉄道の旅

「久慈川」が間近に。

「奥久慈渓谷」。

名勝「袋田の滝」への最寄り駅「袋田駅」に着きます。

到着すると、袋田の滝に向かうバスに乗り込む観光客。

「袋田の滝」

日本三名瀑のひとつ 

久慈川の支流滝川に架かる袋田の滝は、日本三名瀑に数えられ、高さ120メートル、幅73メートルの大きさを誇ります。
滝の流れが大岩壁を四段に落下することから、別名「四度(よど)の滝」とも呼ばれ、また一説には、その昔、西行法師がこの地を訪れた際、「この滝は四季に一度ずつ来てみなければ真の風趣は味わえない」と絶賛したことからとも伝えられています。

四季折々に変化する滝 

四段の岩壁を流れる水のつくり出すラインは白糸のようになめらかに、そして時には激しく、さまざまな顔を見せてくれます。
新芽吹く木々の緑に縁どられた春、涼を求めての夏、あでやかな紅葉が滝のお化粧をする秋、厳しい寒さで滝が凍結する冬と、袋田の滝は四季折々に姿を変えてくれます。

冬の氷瀑の姿 

四季ごとにその姿を変える袋田の滝。厳しい冬には滝全体が真っ白に凍結する。※天候条件により凍結しない場合もあります。
また、冬季に開催されるイベント「大子来人~ダイゴライト~」では、自然と光が作り出す神秘の空間に、雄大に落ちる滝の流れが荘厳な墨絵のように浮かび上がります。

(この項「観光いばらき」HPより)

冬は、滝が凍結する「氷瀑」現象が発生することがある。全面凍結はかつては毎年のように見られたが、近年は2012年が最後で、氷瀑の脇を水が流れる

華厳滝那智滝とともに日本三大名瀑の一つに挙げられる場合もあり、日本の滝百選にも選定されている

袋田の滝は、久慈川の支流滝川の水が、何百万年もの浸食にも耐えてきた、かつての海底火山の噴出物が作る断崖から落ちることによって作られた。地形としては日光男体山の溶岩によって川がせき止められてできた日光華厳滝に似ているが、この溶岩は約2万年前のもので、地質学的には袋田の滝の場合よりもはるかに新しい。

(この項「Wikipedia」参照)

  

「久慈川橋」が遠くに。

「常陸大子駅」に近づきます。

※蒸気機関車C12 187静態保存されている

常陸大子駅(ひたちだいごえき)。

茨城県久慈郡大子町大字大子にある。水郡線における東京近郊区間、およびSuica首都圏エリアは当駅が最北端である。

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを持つ地上駅になっている[1]。互いのホームは跨線橋で連絡している。車両基地および乗務員基地である水郡線統括センターを有するため、留置線が多い。留置線奥には転車台が設置されているが、使用機会は少ない。

水郡線統括センター拠点駅。直営駅駅長配置)であり、管理駅として瓜連駅 - 磐城守山駅間の各駅を管理している。みどりの窓口自動券売機・簡易Suica改札機が設置されている。駅舎の半分にはヤマザキショップが入店していたが、2023年3月31日をもって閉店している。

また、当駅で後ろ3両を切り離し、前1両だけが郡山行きとして運行する水戸駅09:23発と13:15発の郡山行きなど 当駅で増解結を行う列車がある。

※今回(10月5日)は、2両編成で郡山へ向かいました。

        

常陸大子町

本町は茨城県の最北西端で、中心地(役場所在地)は海抜103m、東経140度21分、北緯36度46分に位置しています。北は八溝山系を境に福島県、西は栃木県、東は茨城県常陸太田市、南は茨城県常陸大宮市にそれぞれ境を接しています。
近隣都市との位置関係は、水戸市の北約55km、栃木県宇都宮市の北東約70km、福島県郡山市の南約80kmの地点にあり、水戸市と郡山市は国道118号及びJR水郡線で結ばれ、ほぼその中間点に位置し、宇都宮市とは国道,主要地方道などで結ばれています。

本町は、もと陸奥国白河郡に属し、「倭名類聚鈔」のいわゆる白河郡17郷のうち、八溝山東南の地で、10世紀前半には既に「依上郷」として成立しました。その後、「依上保(よりかみのほ)」と呼ばれました。
その地方は、下総の結城朝光の孫、祐広が白河に居住以来いわゆる白河結城氏の影響を受け、在地領主の勢力拡張の場であったといいます。
さらに永正年間に至り、依上保は佐竹義舜の支配下におかれ、文禄の太閤検地によって、佐竹義宣が領有するところとなりました。以来、この地方は常陸国に属するようになったわけです。
この依上保は、慶長7年に佐竹義宣が秋田へ移封されてから、水戸の徳川氏の所有になりました。そして、明治元年に徳川昭武が水戸藩知事になり、明治4年7月の廃藩置県のときに水戸県に属し、同年11月13日に茨城県に属するようになりました。

(この項「大子町」HPより)

附 今年のノーベル平和賞は、「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」に授与されました。「核兵器のない世界の実現に向けた努力」を評価されたものです。唯一の被爆国民として、被爆の実相を世界に訴え続け、核廃絶に向けた運動を長年リードしてきたことの証です。ノルウェーのノーベル賞委員会は被団協について「核兵器が二度と使用されてはならないことを証言を通じて示した」とたたえています。

ロシアのウクライナ侵攻イスラエルのガザ侵攻など、さらに北朝鮮の核・ミサイル開発で核の脅威が高まる中「核なき世界」に向けた機運を高めていかなければならない、と。

石破首相は、以前から「非核三原則」の撤廃などをはじめとして、戦争の出来る国づくりを声高に主張してきました。

今こそ、「ノーモアヒロシマ・ナガサキ」、「核廃絶」の国民運動を広げていくことが国民皆に求められています。

         (写真は、「共同通信社」より)

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「山方宿駅」~「上小川駅」。「久慈川」が右から左へ。「中舟生駅」・「西金(さいがね)駅」・「上小川駅」・・地元密着・公民館を併設した駅舎。(「水郡線」の旅。その3。)

2024-10-10 18:26:19 | 鉄道の旅

右手に「久慈川」が近づいてきます。

                  

 「中舟生(なかふにゅう)駅」。

   

茨城県常陸大宮市舟生字堂下にある。ホーム上にドアのない待合所あるのみ。

駅のそばには若干の住宅があるが、大部分は地。

 彼岸花(曼殊沙華)。

          

「久慈川」が右手に。

              左に見える橋は、沈下橋の「平山橋」。  

※沈下橋(「地獄橋」とも呼ばれている):欄干がなく、水流が増えた場合、川に沈むことにより橋が流れることを防いでいる。             

「下小川駅」。

2004年、駅舎コンパクト化が鉄道建築協会賞(推薦)を受賞。

                

            

「久慈川」を渡る。

「西金(さいがね)駅」。

茨城県久慈郡大子町大字西金にある

水郡線の建設に際して、当初は西金に駅が建設される計画であった。しかし1921年大正10年)に測量作業が開始された折、駅の建設予定が地元に漏れてしまい、西金の前後である現在の上小川駅及び下小川駅の周辺住民が測量技師に対して激しい運動を行ったため、この双方に駅を建設して西金には駅を建設しないことになってしまった。後にその事実を知った西金の住民が激怒し、西金駅設置のための激しい運動を繰り広げるようになった。さらに、駅が建設されないのであれば鉄道を通す必要もないと、線路の敷地の売却を拒む運動まで始まったため、鉄道を通す必要はないと判断した鉄道省は測量を中断してしまい、常陸大子駅の周辺住民と争議になった。最終的に、憲政会加藤高明内閣の際に、地元の憲政会の議員大津淳一郎に対して運動を行って、地元から停車場設置費用を寄付する条件で1925年(大正14年)7月3日に駅の増設が決定した

建設にあたっては、県道(現在の国道118号)の敷地を駅に転用することになり、そのために県道を移設する先として24水田715歩が買収された。これを含めて、地元西金からの労役奉仕延べ2,662人役、他村からの労役奉仕294人役、寄付金3,448円を負担し、鉄道の開通に遅れること8か月後の1926年(大正15年)3月21日に駅が開業した。

駅舎の前には、1957年昭和32年)4月建立の「水郡線西金駅増設記念之碑」と、1961年(昭和36年)8月建立の「感謝の」が建てられている。「水郡線西金駅増設記念之碑」は、西金駅増設運動に関わった小室順太郎が私費で建立したもので、大津淳一郎の功績と西金の住民の努力が称えられている。・・・

(この項「Wikipedia」参照)

左右に屈曲する久慈川。  

「上小川駅」。

             公民館と役場の出張所を併設した木造の駅舎。

    

※「下小川駅」と「上小川駅」との中間に「西金駅」があることになります。

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「上菅谷駅」~「山方宿駅」。常陸鴻巣・瓜連・玉川村。山方宿(やまがたじゅく)・南郷街道。(「水郡線」の旅。その2。)

2024-10-08 19:35:24 | 鉄道の旅

「常陸鴻巣駅」。

ソバ畑が広がります。

「瓜連(うりづら)駅」。

茨城県那珂市瓜連にある。1918年(大正7年)に、水戸鉄道の駅として開業。当時は終着駅であった。1983年(昭和58年)に無人化になり、2000年に橋上駅化になる。乗車人員は、20年前は450人でしたが、現在は200人ほど。

※かつて、「常陸鴻巣駅」と「瓜連駅」のあいだに「常陸中里駅」がありましたが、1941年に廃止されました。

廃棄されたバス停がたくさん。

「静(しず)駅。

         駅舎はなく屋根付きのベンチのみ設置されている。

※「静駅」と次の「常陸大宮駅」との間に「常陸村田駅」がありましたが、1944年に廃止。

  

駅ごとに乗り降り(地元の方)があります。

「常陸大宮駅」。

                  

「玉川村駅」。

駅名はかつて属してい那珂郡玉川村に由来する。

駅舎は1996年に改築された木造平屋建てで、「玉川村駅交流センター」が併設された合築駅舎である。駅舎内に図書室があり、無料で利用できる。

               (「Wikipedia」より)

       野上原駅」。

                   ホーム部に屋根・壁のあるベンチが設置されている。

            「山方宿(やまがたじゅく)駅」。

常陸大宮市発足以前の旧・山方町の中心部で、かつての南郷街道の宿場町・山方宿であった地域。山方支所から当駅への道路沿いには集落が広がり、生活関連サービス施設が集積している。

駅舎は1993年に建設された木造平屋建てで図書館およびコミュニティ施設を合築したものである。駅舎の外観は地元特産のアユをイメージしたものである

(「Wikipedia」より)

車窓より。

山方町は、旧石器時代の石器が発見された駒形平遺跡をはじめ、縄文時代、弥生時代を通して数多くの遺跡が確認されています。地理的には奥州に接する地で、町の中心部は「常陸風土記」にも記述のある久慈郡の河内郷でした。また同書には、久慈川の鮎や照山地区の鏡岩の記述もあり、古来から豊かな自然と情趣に恵まれた地域であったことがわかります。

中世には佐竹氏の重臣山方能登守が館地内に支城を築き、当地域を支配しました。その支配は、慶長7年に佐竹氏が秋田に移封されるまでおよそ500年にもわたりました。

佐竹氏移封後は、徳川頼房を初代藩主とする水戸藩の領地となりました。水戸藩領時代の山方地域は、南郷街道の宿場町として栄え、今に「山方宿」の名を残しています。特に佐竹氏時代から始まり近世になって盛んとなった西野内和紙と、諸沢村の中島藤右衛門により産業化されたコンニャクで著名でした。また幕末には、同じ諸沢村から水戸学の大家、会沢正志斎を輩出しています。

徳川幕府が崩壊し、明治維新を迎えると、当地域は明治4年に水戸県へ、続いて明治8年に茨城県へ編入となり、さらに同6年の大区小区制の施行により、那珂郡山方村、同郡塩田村、久慈郡諸富野村、同郡下小川村、同郡世喜村の5か村が誕生しました。

このうち、山方村は昭和22年の町制施行により山方町と改称しました。そして昭和28年の町村合併促進法施行に伴い、同30年山方町に、諸富野村、下小川村及び世喜村、塩田村の一部が編入合併し、山方町が誕生しました。

(この項、「」HPより)

※南郷街道

水戸を起点に南郷(現福島県塙町、棚倉町)に至る道で、菅谷(那珂市)までが現在の国道349号線、瓜連(同市)以北が国道118号線とほぼ同じ道筋です。棚倉街道(現国道349号線)の脇往還として位置付けられていました。棚倉街道に対して険しい峡谷の山道なので、公用としては用いられず、大子地方からの年貢や特産物の輸送、商用や一般の旅行者のための街道でありました。

(この項「大子町教育委員会」HPより)

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「水戸駅」~「上菅谷駅」。「奥久慈清流ライン」。「特急ひたち」。「那珂川」。那珂(なか)市。太田鉄道。(「水郡線」の旅。その1。)

2024-10-07 19:39:00 | 鉄道の旅

10月5日(土)。雨。

今回、初めて「水郡線」に乗ります。「水戸」から「安積永盛」。実際は、郡山まで直通。

「水郡線」は「水戸」と「安積永盛(あさかながもり)」(列車は東北本線・郡山駅まで直通)を結ぶ路線と、途中、「上菅谷」で分岐して「常陸太田」に向かう路線の2線に分かれる。
沿線を流れる久慈川にちなんで「奥久慈清流ライン」という愛称で呼ばれる。

先発は「常陸太田」行き。

駅の数がたくさん。

水戸駅。

前2両が郡山行き、後2両が常陸大子行き。

       そこそこ乗客がいます。

雨模様の土曜。観光客は少なめで、地元客が乗ってきます。

東北本線に「特急ひたち・仙台行き」。

「特急ひたち」。

水郡線・郡山行きが出発します。

水戸9:23発―郡山12:33着。約3時間の列車の旅の始まりです。

※7時過ぎに日暮里から乗り、常磐線で水戸まで9時過ぎに到着。

「那珂川」。

「常陸青柳駅」。水戸を出発して最初の駅。

ひたちなか市が公式の所在地であるが、ホームの南半分は水戸市青柳町に位置している。駅周辺の建物も大部分が水戸市の区域である。

2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災のため、水郡線は運行停止となったが、4月11日に「常陸青柳~安積永盛」間及び「上菅谷~常陸太田」間が運行再開となり、4月15日に水戸まで全線で運行再開するまでの間、常陸青柳駅が列車代行バスの発着場となった

※頭に「常陸」と付く駅名が目立ちます。

田園地帯が広がる。

「下菅谷(しもすがや)駅」。

周辺には住宅地が広がっています。

他の路線に比べると、駅間が非常に短い印象があります。各駅ごとに乗り降りも多く、地元の方々の便利な「足」になっているようです。

※水戸と郡山を結ぶ幹線、とも。「ローカル線」とは、失礼しました。

上菅谷駅。

茨城県那珂市菅谷にある。那珂市の代表駅で、本線と支線(常陸太田駅方面)が当駅で分岐する。一日の乗車人数は、650~700人。

※那珂(なか)市

那珂台地を占め、北は常陸太田市常陸大宮市、北東は日立市、東はひたちなか市と那珂郡東海村、南は県庁所在地の水戸市、西は東茨城郡城里町とそれぞれ隣接し、近年水戸市ひたちなか市ベッドタウンとして人口が増加した。

※太田鉄道(おおたてつどう)

茨城県水戸市久慈郡太田町(現常陸太田市)を結ぶため建設された私設鉄道およびその運営会社でした。多額の負債をかかえ水戸鉄道(2代)へ事業譲渡され、後に国有化されJR東日本・水郡線の一部となった。

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