おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

鶴瀬宿~勝沼宿~栗原宿。その3。(「甲州街道」をゆく。第8日目)

2017-07-31 20:06:41 | 甲州街道
 (10:44)いよいよ勝沼の町に入ります。

「大善寺」。

 このお寺は別名ぶどう寺と言って、甲州ブドウ発祥の地です。奈良時代、当地で修行中のお坊さんの夢の中に、ブドウを持った薬師如来が現れたため、ブドウの作り方を村人に教え、この地方にブドウ作りが盛んになったとの言い伝えがあるようです。

「東京から118㎞」ポスト。

柏尾の交差点。旧道は「国道」から右に入っていきます。

さっそく沿道にはぶどう園が軒を連ねています。

(10:57)「国見坂」の標示。 
                   元和7年(1621)甲州街道の往還筋の地名として定められた。
行く先を望む。

収穫前ですが、見事なぶどう棚。

黒塀の続く建物が左手に。「ワイン民宿鈴木園」。

 19世紀建築の古民家にアンティーク家具をしつらえた和洋折衷の宿です。
 ご朝食は薪ストーブのある食堂で。長年をかけて園主が収集したアンティークギャラリーと地下ワインセラーもお楽しみ下さい。

                                         (「じゃらんネット」より)



(11:02)「上行寺前」交差点。

                          



勝沼宿は元々甲斐武田氏の一族の勝沼氏により開かれた町で1618年(元和4年)に宿場に指定されました、1686年(貞亭3年)には上町、仲町、下町、横町、上新町、下新町に町割りがなされています。
 1843年(天保14年)には、家屋192軒、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠屋23軒、問屋場1軒と比較的規模の大きい宿場で、この辺りの経済の中心地でした。

右手に「勝沼宿脇本陣跡」標柱。



(11:08)「上町」の交差点を過ぎて右側には「勝沼本陣」跡。「槍掛けの松」碑。


                   
 本陣に大名、公家などが泊まると槍を立て掛けた松。



 ぶどうで栄えたこの宿場町には、旧道らしい立派な商家建物が並んでいます。


                    


勝沼宿仲松屋
 勝沼宿仲町の仲松屋住宅は、江戸時代後期の主屋を中心とした東屋敷と明治時代の建築を中心とした西屋敷の二軒分の商家建築から成る。東屋敷の主屋は北西隅に帳場を置く田の字型を基本とした、板葺、二階建建築で、通り土間を挟み明治後期に一階を座敷として建てられて脇蔵(通り蔵)、坪庭、風呂、厠、味噌蔵から構成されている。
 西屋敷は帳場と居間を別棟とした主屋と坪庭、会所、蔵屋敷などから構成されている。
 東西両屋敷群は江戸時代後期から、明治時代の勝沼宿の建築を知る上で貴重である。

                                      勝沼町 教育委員会
三階建ての蔵。修復工事中。


旧田中銀行社屋  国登録有形文化財
 明治30年代前半に勝沼郵便電信局舎として建てられた洋風の建物。大正9年より昭和7年ごろまで「山梨田中銀行」の社屋として利用されていました。
 外壁は砂漆喰を用いた石積み意匠、玄関の柱や菱組天井、二階のベランダ、引き上げ窓、彩色木目扉、階段などに洋風建築の名残があります。建物内はその後の変遷でだいぶ間仕切り等変更されていますが、落ち着いた室内になっています。
 また、建物の背後には銀行時代に建てられた、扉に「山梨田中銀行」の名が鮮やかに残るレンガ外装の土蔵があります。

                                   勝沼町 教育委員会

              

 (11:13)ここまで炎天下の中を歩いてきたので、休ませてもらおうと中に入りました。中から70代後半の方が現れ、この建物の歴史や勝沼宿の変遷などお話を伺いながら、おにぎりを。その方もコンビニ弁当を広げて一緒に食事。飲み物も出してもらいました。

 「今日は暑いから誰も来ないよ」「無理しない方がいいよ」「東京や横浜の人が多くくるね」
 「8月のお盆の頃はけっこうにぎやかだよ」「鉄道が遠いので昔と同じような街並みだよ」
 「戦時中は北白川宮様が疎開してたり、他にもけっこう偉い人も来ていたよ」
 「なんてたってワインはおいしいさ、でも、飲み過ぎると腰に来て立てなくなっちゃう。昔は飲み過ぎて足を取られて道路で寝転んでいる人もいたね」

 などとけっこう長話。入ってくる風が涼しくて何よりです。

 1階は銀行当寺のカウンター風。棚には台帳や計算機などが置かれています。手動でゼンマイを回して音を出す蓄音機なども。残念ながら取っ手がなくなったので回すことはできなくなっていますが。
        

   

 「この辺りでは蚕もやっていたんで、出荷する繭を担保にして金を貸したりしていたんだね、保管するための倉庫もあった」・・・
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鶴瀬宿~勝沼宿~栗原宿。その2。(「甲州街道」をゆく。第8日目)

2017-07-28 22:37:56 | 甲州街道
 「中央道」が迫ってきますが、すぐに左手に離れていきます。

 沿道には、クリやカキ畑などが出てきます。


                 

右手の山の上にかっつての国鉄時代の旧トンネル跡。勝沼ではそうしたトンネルを利用してワインの貯蔵庫にしているそうです。

(10:04)「古跡 血洗沢」の標識。「この地は土屋惣蔵が逃亡した跡部大炊介を追尾して斬り、この沢で血を洗い流したと言われています」と書かれてあります。


その先には「古跡 鞍懸」の標識。「この地は、逃亡する長坂長閑が土屋惣蔵に追われ、落ちた鞍が路傍らの桜の木にかかっていた所と言われている。」とあります。


目を転じるといよいよブドウ畑が。

振り返って笹子峠方向を望む。

(10:08)「東京から116㎞」ポスト。


目の前に長柿(おさがき)洞門が現れます。洞門手前の横断歩道を渡って洞門に入るルートが一般的。右手の階段状の道を上っていくと、旧道になるようですが、回避。

 洞門をぬけたところで、左手の小径に入ると、「日川」に架かる、すっかり朽ちてしまった吊り橋があります。


「長垣(ここはこの漢字)橋」。



 
芭蕉句碑。「観音の 甍見やりつ 花の雲」。
 この「観音」は浅草の観音(浅草寺)のこと。「横吹」の地にある「観音堂」(洞門の上の方にあるようですが)つながり?

 桜が咲きそろう春爛漫の空の向こうに浅草寺の甍(大屋根)が見える。深川芭蕉庵での一句。「花の雲鐘は上野か浅草か」も有名。
 
「大和十二景 長垣の吊り橋とぶどう畑」という標識。

 すぐ国道に出ます。。「観音トンネル」の先、左手にある「山崎石材」前の横断歩道を渡って右に行くと、国道をくぐる道になり、「横吹」の集落となり、そこを通る道が旧道になるようです。残念ながら見逃してしまいました。

横断歩道を振り返って見たところ

真新しい「共和洞門」。そこを抜けると甲府盆地が広がります(10:22)。眼下には一面、ぶどう畑が。


                       

(10:30)左側に「大和町」のモニュメント。

笹子峠も遠ざかってしまいます。

 その先、「深沢入口交差点」を右に800㍍ほど進むと「勝沼トンネルワインカーヴ」があります。行くことは省略し、紹介のみ。

 トンネルワインカーヴとは、甲州市勝沼町につくられた、トンネルを利用したワイン貯蔵庫のこと。
このトンネルは明治36年に建造され、そのままの姿をとどめているJR旧深沢トンネルです。
鉄道文化の遺産としても貴重なレンガ積みのトンネル(1100メートル)として保存され、ワインの長期熟成と付加価値を高める施設として整備されています。
温度は年間を通じて6~14℃、湿度は45~65%とワインの熟成には最適な条件がそろっており、約100万本のワインを貯蔵できるそうです。ワインメーカー用(蔵置場)と個人用のユニットが用意されていて、レストランや個人用の1ユニットはワイン300本が収容可能で保管料は1か月2500円。
ユニットごとに施錠ができ、保管には万全を期しています。ワインカーブ内は入口付近の見学もでき、管理事務所では観光案内とワインの販売も行っています。


HPより)

分岐点に「柏尾橋」解説板。

柏尾橋
 明治13年6月明治天皇の山梨御巡幸に際し、甲州街道の拡幅整備が進められた。
 この時柏尾橋は、幅3間長さ19間の欄干付き木造橋として掛け替えられた。橋は深沢の両岸の岩盤中程から、二段の石垣を積み上げ橋台とし、下段の石垣からトラス構造の橋脚を両岸から突き出し連結したもので、明治26年の版画や大正初期の銅版画が残されている。
 この明治橋の北側には、大正から昭和初期に掛け替えられた橋台、さらに江戸時代の橋台が
残っており、南には、現在の鉄骨橋、平成8年、さらに下流の甲州街道以前の大善寺東参道の橋があった位置に祗園橋が掛けられた。  

         勝沼町   教育委員会

「大日影トンネル」に寄ってみたかったのですが、残念! 

「柏尾坂の馬頭観音」。

「柏尾戦争」を伝える錦絵

「柏尾の戦い」。

(10:34)小公園風のところに「近藤勇」像。

                     

柏尾の古戦場
明治元年(1868)3月6日、近藤勇率いるかつての新撰組、会津藩兵甲陽鎮撫隊と因幡、土佐、高遠藩兵からなる官軍がこの地で戦った。
 甲府城占拠を目指す幕府軍は先に甲府入城を果たした官軍を迎え撃つため、勝沼宿に2ヵ所の柵門、柏尾の深沢左岸東神願に砲台を設け備えたが、甲州街道岩崎方面、菱山越の三手に別れ、攻撃を加えた官軍の前に敗れ敢え無く敗走した。
 この戦いは、甲州に於ける戊辰戦争唯一の戦いであり、甲州人に江戸幕府の崩壊を伝えた。町内にはこの戦いで戦死した3人の墓が残されており、このほかに両軍が使用した砲弾が3個伝えられている。

 《補足》
 戦闘は官軍(明治新政府軍)の勝利で僅か1日で決着、近藤らは八王子方面を指して敗走しました。

ベンチがあるので、小休止。
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鶴瀬宿~勝沼宿~栗原宿。その1。(「甲州街道」をゆく。第8日目)

2017-07-25 20:43:12 | 甲州街道

 7月22日(土)。快晴。

 猛暑の中を歩いて、失敗! あまりの暑さで「下栗原」交差点で挫折。
 「甲斐大和」駅を9時半過ぎに出発して、半日の歩きでした。ずっと下り道ですが、想像した以上にアスファルトの照り返しがきつい! 舗装道路歩きは心身にこたえます。まったく日陰がなく、風がほとんどない。沿道の左右にはブドウ棚やブドウ畑が広がり、道沿いに樹木はほとんどありません。日照時間が大事なのでしょう、ブドウの生育には豊かな太陽光が大切なのですが。
 まだ収穫期を迎えない、高いブドウ棚の下は日陰がありますが、ほとんどお店が閉まっていて立ち寄れず。さらに、沿道にコンビニも見当たらず、商店もわずか。人気のお店にはけっこう人がいましたが、道路を歩いているのは、地元を含め、皆無。
 ということで、勝沼のはずれ、「白百合醸造」でワインをあれこれ試飲し、ついでにワインを2瓶を購入リュックに入れて・・・、実は、そのせいもあります。ほろ酔い気分で炎天下を歩くことは、・・・。
 あらかじめ電話番号を控えていたタクシーを呼んで「山梨市駅」へ向かいました。

 そういう意味で、実に中途半端な第8日目です。

 中央線・高尾から甲府行きに乗り換えて、前回の「甲斐大和」駅に着いたのが9時半過ぎ。そこから旧甲州街道まで戻っての再開です。
 (9:34)駅からの途中、「諏訪神社」境内には、

初鹿野の大杉跡
 ここにあった大杉(樹齢371年)は笹子峠の矢立の杉、一宮の大杉と共に甲州街道の三本杉といわれた巨木でしたが、明治36年に鉄道が開通し、その震動と蒸気機関車によるばい煙のためか、樹勢が衰え枯れてしまったそうです。

巨大な切り株。

「本殿」の彫刻。
   江戸時代初期の建立。竹林の七賢人をはじめ、上り竜下り竜など見事な彫刻が施されている。


                  球形の道祖神。この先もこの型のものが目につきます。


 「日川」に架かる「立合橋」人道橋を渡り、左に進みます。

 (9:50)「金岡自画地蔵尊碑」という石碑。
 この地は絵画の巨匠巨勢金岡遍歴の際、岩面に地蔵尊を描いた所です。
 今は水害にあい、岩角崩れ当碑のみなり。




「鶴瀬関所跡」。


史跡 鶴瀬関所跡
 甲州道中鶴瀬宿東のこの地は、北は山々に閉ざされ、南は日川に阻まれた天然の要害となっており、郡内領より笹子峠を越えて国中に通ずる要所にあたり、ここを通らずして江戸への出入りが難しいこの地に関所が設けられました。
 この関は甲州道中の小仏関につぐ口留番所として、上り男手形不要、女上下とも改めて、江戸への鉄砲の入りと、大名妻女の江戸からの脱出「入り鉄砲に出女」を特に警戒したと云われています。
・・・関は明け六つ(午前6時)に開門、暮れ六つ(午後6時)に閉門した。享保年間の検地に8間半の間口3間半口留番所1畝歩と言い伝えられています。
 また、参勤交代の際に利用した藩は信濃高遠藩、高島藩、飯田藩でした。
 特に鶴瀬の関は甲州一二関の一つとも云われ重要視され、江戸時代を通じて機能を果たしてきたせきしょであったが、明治2年(1869)に廃関され建物は取り壊されました。
 現在は、道路の拡幅等により往時の面影は失われてしまいましたが、「木戸下」の小字名は残り、後世に残す遺跡として市の史跡に指定されています。

                   平成26年3月   大和まちづくり推進会

国道を渡ると、「鶴瀬宿」。
                   江戸より第三十一宿、江戸へ三十里二十七丁、甲府へ五里一丁 


甲州道中 鶴瀬宿
 鶴瀬宿は山梨郡栗原筋に属し、江戸より30里27丁余りで、旧村名の鶴瀬村は鶴(都留)郡の背にあたることによると云う。
 江戸時代の天保14年(1843)「宿村大概帳」によると、宿高は189石6斗余、人別242人、家数58軒、うち建坪60坪の本陣が宿平に、50坪、32坪の2軒の脇本陣が宿の中程に、また旅籠は4軒あり。
 本陣に隣接した問屋場には問屋1人、年寄3人のうち1人と馬指1人が毎日詰めていた。人馬の継ぎ立ては駒飼宿と合宿であり、1ヶ月のうち1日から20日までの間を務めた。同宿に属する加宿には山梨郡栗原筋の小佐手・初鹿野両村があった。
 高札場は宿の西方にあり宿の両側は家並みであるが、裏は畑や山で日川が南流している。問屋は大名武家等の荷物を伝馬輸送する事務を執り、村人の多くは農林業の傍ら輸送に従事していた。ほかに旅籠や茶屋を営む小商人があり、土産品として「ひる石」が売られていたと云う。
 近世、道路網の発展により宿場は様変わりしたが、宿中程の常夜燈と当時からの家々の屋号(呼び名)に往時の面影を今に伝えています。

                   平成26年3月   大和まちづくり推進会



                    

すぐに「国道20号線」に合流します。道路、鉄道、中央道等の拡幅・建設によって、かつての宿場の家並みは一部に残っているだけです。
宿内を振り返って望む。 
      
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読書「植民人喰い条約 ひょうすべの国」(笙野頼子)河出書房新社

2017-07-23 20:02:30 | 読書無限

 TPPがアメリカのトランプによって破棄されて周章てた「にっほん」。アメリカ抜きでなんとかとの思惑も視界不良。しかし、これで安心か(自動車も農業も医療も保険も)と思いきや、「アメリカファースト」を掲げて責め立てるトランプ。1対1の自由貿易協定締結を強いられ、結局はアメリカ・グローバル多国籍企業によって牛耳られるそうな気配。
 それにお追従して大もうけを企む国内グローバル大企業。結局は、農業は壊滅寸前。
 その先駆けとしてEUとの貿易協定が成立。ワインが安くなる、チーズが安くなる・・・、消費者がぬか喜びしている間に、気がついたら・・・。
 
 こうした国になりはてるにちがいない、その根幹をなすのが「ひょうすべ」すなわち「表現がすべて」=「表現の自由」なんてことにはならない。今や日本国ならぬ「大にっほん国」と化した国に寄与する言論の自由は充分に、充分に保証され、自在に発言が許されるが、少しでも逆らうような言論はすべてオミット。これこそ、TPPに棲みついた、人喰い妖怪「ひょうすべ」。

 「日本人」たる証明は「戸籍」にあるからはずだから開示せよ、なんてモノでは済まされない。戸籍にそうあったってそれだけじゃダメ! 
 本物なの? 隠れ外国籍があるんじゃないの? 本当に日本人なの? どうやって証明するの? もしかしたら戸籍をごまかして取って、実は外国の(中国の)スパイじゃないの?
 報道の自由、表現の自由の名の下に、「違法」行為と責め立てる国柄となりはてた日本。

 この小説? は、何だかこれからの日本国民を「日本国」民ならぬ「大にっほん国」民たらしめる意図を鋭く批判・暗示した先駆的(になりうる)小説作品です。
 
 2016年11月初版。

 「ご挨拶」から。

 IMFのお使い様、その名はTPP、開いて書けば環太平洋パートナーシップ協定、名分は一応、「自由貿易協定」。しかしその実体は、亡国人喰い条約。
 なぜかこの恐ろしいものを誰も報道しません、少ししか書きません、というよりも、どう考えても、……。
 メディアを上げて隠している。国民に何も、教えない? それは未来永劫の国あげての、国際的に逃げられぬ奴隷契約、内実までも黒塗りという悪魔の契約、どうしてマスコミは沈黙していたのだろう? どうして? どうして?
・・・
 ああそうそうそれでも、朝日新聞の政治部次長、高橋純子という人がこの前『だいにっほん、おたんこめいわく史』の憲法改悪の下りを取り上げてくれました。もともとはおかしな言説おかしな文章の批判から始まった作品です。十年前に書いたそれが今、総理への批判にそのままになってしまっている。ありがとうございます。でもまあ、……
 書店の皆様、そう、稀にこの本を置いてくださる書店の皆様、たとえ一冊しか取り寄せなかったとしても、せめて、その一冊を書店の台に、立てて置いてください。プラカと思って……。
 ・・・これは書店デモ、です。そしてもし私が笑われる程このTPPが実はなんでもなかったとしたら、その方がむしろ私は幸福、安心です。それと同時に。
 これはこれで私の文学の危機感の行き着くところ、ここには、人類の未来にまで渡る問題点が小説という、自由な分野の必死さやフィクションの有利さで(当然デフォルメされて)綴られているのですから。
 どうぞよろしく、お願い申し上げます。(P11)

 TPP「環太平洋パートナーシップ協定」=人喰い条約=によってもたらされるだろう「人喰い社会構造」という未来世を予言し、徹底的に批判した一冊。
 「パートナーシップ」だって、「自由」だって! どこが! ケッ! という笙野さんのつぶやき、いや大声が聞こえてきます。

 TPP、その正体は「人喰い」妖怪「ひょうすべ」だ、と看破される笙野さん。未来の日本を暗示させる、いや、すでになりつつある「大にっほん」国。そこに生きる埴輪詩歌とその家族をめぐる小説仕立て。


1 こんにちは、これが、ひょうすべ、です ―TPP批准後、その施政方針のための記者会見

 おめでとうございます、あなた方、これでもう「三等敗戦国」から脱皮しましたよ。つまりもう、国ではないのです。そして三等も敗戦もさっぱり消えたあとは、世界に開かれた見事な、公衆植民地です。
 さて、この植民地において、これからはすべて契約というものは、保険ひとつ結婚ひとつでも全て英語でしなければ罰せられます。(P37)

2 ひょうすべの約束

 その正式名称は「NPOひょうげんがすべて」。お国の第一党の仲良し団体、おとなのくせにそれは「ユーゲント」とか自称しています。
 このひょうすべ、本人たちは表現の自由をすべて守ると言っていますが、守るのはただひとごろし(ヘイトスピーチ)の自由とちかんごうかん(処女虐待や女性差別賞賛)自由だけでした。そしてそれ以外については一切、何もしませんでした。だって、政府は人間が自由に口をきく権利を、もうすべて奪っていましたから。(P47)

3 おばあちゃんのシラバス

 「輝くお年寄り法案」が通って、年寄りの「自発的安楽死」も増えた。マスコミはせっせとそれに協力した。混合医療とは何か? ひとことで言うと、「びんぼうにんはしね」である。赤ちゃんも消えた。子供を産むだけで百万キモータかかる。「もともとにっほん人ほど子供の嫌いな国民もないと思うよ。赤ちゃんさえも自分で行列に並べ、迷惑をかけるなといいかねない国だからね」。(P88)

4 人喰いの国

 TPP通れば、十二ヶ国、墓場、……ここは?
 灰色の桜に、満開の毒……金持ちは海外、……国丸ごと廃墟。
 ひょうすべ、ひょうすべ?
 ねえ、ひょうすべの国になると、そこはどうなるの?
 うん、生命体がすべて、資源になる。誰も彼もがそこでは、人間も動物も男も女も……。
 地球レベルの巨大な脱水機にかけられ、血を絞られ死んでいく。それが地球九十九パーセントの運命になる。にっほんはいわばその先駆け、医療の壊滅に農業の崩壊、本土よりもっと、きついのは島部、いくつもが無人島になってしまう。むろん、全国どこだって身の回りのことも、全てひどくなる。水道の水は「飲みにくくなる」、学校給食には「何か入ってる」、国民の体格も平均寿命も「古き良き時代に」戻っていくんだよ。うちらはもう小作人でさえなくなってしまい、世界企業のための食材にされるんだ。機械に放り込まれ、ミイラになっていく。
 救急車を呼ぶだけで給料は吹っ飛ぶ。子供を産みたければローンを組むしかない。白内障の手術が受けられない老人の社会。どこの家でも目の見えない年寄りが泣いている。また車椅子を買うのに補助金を出せば「投資家との世界裁判」が「怖い怖い」、ほら「IMFガー」とお役所は言うだけで。たとえ老人でなくっても動けない人は、倒れ伏してしまう。動ける人さえも、ローン払えなくって道で寝ているから……賃金も待遇も坂を転げ落ちる。だってこれからは、……。
 水も食べ物も服もない国との競争になるからね。幼児まで働かされる世界と職の奪い合い。だけど世界的に行われる自由競争ってもの、それは搾取する側のひとり勝ちでしかない。
 要するにひょうすべはにっほん人の、よそより長い平均寿命を切り取って喰いたい。全部の子供の顔に涙の跡がなければ、気に入らない妖怪で。(P96)

 さあ、この国において? 表現の自由って何の事だろうね?
 高い大きい広告を出してそこで好きなだけちかんごうかんの推奨やレイシズムをやって、ポンスはその広告料でマスコミを買い取って、正しい情報を絶対に流させずに嘘をまき散らす、それが自由なのか? 芸術は「売れない」と追い詰めておいて反論出来ないように弾圧して行く、大声の自由かね? 同じことを蒸し返し低劣な嘘を吐きネットに沸いてたかり、デマの画像を作り、マイノリティを中傷して虐殺幇助を企む。
 ひょうすべは表現をする時にまず、相手に口輪をはめてから言いたい放題、すると本当の事や肝心の事は、すべて、マスコミの闇に消える。それは内部事情、それは世界企業の悪。「内部事情は下品だから禁止します」、「中立の意見だけ書いてください」、「具体名禁止」、「必ず両論並立」。
 こうして足元を照らしてはならぬという規則の中、我々は崖っぷちの夜道を歩かされる。一方だけの自由に支配されて。そこに報道はない、言論もない、芸術も真実も告発も表には出られない。いるのはただ、ひょうすべ、ひょうすべ。
 弱者を虐殺してアートと称する自由、金の集まるところにある差別を固定化するための自由、だんまりを維持するためだけそこにある自由。
・・・原発を作らせない、戦争をさせない、武器麻薬を売らせない、毒汚染をまき散らさない、本来大切な事が全て条約違反になって。とどめこの人喰い条約に規定のない時はすべてひょうすべの命令に従う、という契約になっている。そして? 連中は取り敢えず戦争を連れてくる。(P98)

 かつて難民を助けようともしなかったこの国家から、政府と大企業だけが外国に移転され、生き延びるでしょう。彼らは安全な先進国に暫定政府を置き、そこからだいにっほんの生きた少女を売りつづけ国を売りつづけます。そしてあなたの国土とだいにっほん政府は昔と変わらず、実に何の関係もないまま、売られ、売り飛ばされるだけの時間軸を辿るのです。
 そうです。今からにっほんは世界企業によって核廃棄物の置き場にされるのです。(p.181)

5 埴輪家の遺産

 経済的に破綻してゆく「だいにっほん」。収入のなくなった埴輪家。詩歌は、ヤリテ見習いとして火星人少女遊廓に勤めることに。そこで出会った火星人落語の名手、木綿造と結婚します。そして、二人の間には、木綿助といぶきという二人の子供が生まれます。

 『だいにっほん。ろんちくおげれつ記』『だいにっほん、ろりりべしんでけ録』より、詩歌の子供、木綿助・いぶきの遺作、 

6 ひょうすべの菓子
7 ひょうすべの嫁

 の二作を収録します。

 そして、「後書き」どうせ私ら皆殺しにされるんですよ? でもね、なんとかして、避けられませんそれ? 無理?

 ただね、もし運良くTPPが流れていたとしても、(ていうかまだあきらめるのは早過ぎ油断してもだめ)どうせひょうすべはまたやって来るよ。皆さんご注意を(ことに特区、緩和、民営化って死神ワードだから)。

 臨時国会TPP審議中の十月十八日に 笙野頼子
(P252)

 この「後書き」にこそ、先見の明があります。明日、明後日の予算委員会で何が出てくるやら。

 けっして笙野頼子さんの世迷言というなかれ。
 
 巻末に『姫と戦争と「庭の雀」』「十年前の作品、アンソロジーに二回入れて自分の本に入れそびれていたものをぶれない追加として収録」してあります。

・・・作中のひげの隊長という「宣伝戦略」は今や議員となって仮面を取り、暴力をふるい、戦争法案を通過させやがった、……(P251)
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終わりのはじまり。またしても、「そして誰もいなくなった」。

2017-07-19 20:59:32 | 平和
蓮舫氏の二重国籍問題 昨秋まで気づかず日本国籍選択を宣言

 民主党政権時代の党内混乱がアベ政権を生み、今日の政治情勢、政治不信を生んだことへの反省もないまま、またしても左右(というか無節操な彼我)の引っ張り合い。都議選に惨敗したとたんに、「二重国籍」問題を承知の上で自分たちで選んだ蓮舫さんを、今度は責め立てる。挙句の果てに。
 蓮舫さんも右往左往するばかりで指導性なし。野田さんはアベ自公内閣成立の戦犯なのに、相変わらずドジョウ顔。原発事故の菅は離党?

 こうして民進党は、瓦解する気配。

 さっさと自民党入りしたい面々。意地でも自民党に行けない連中は、アベ以上に改憲派で国民会議べったり、実は最右翼である「国民ファースト」になびき、左派は没落「社民党」化。
 ついに「そして誰もいなくなった」! 哀れ! 選挙互助会のなれの果て。「連合」も自民党支持に早晩変わりそうな気配。

 この国民不在のドタバタ劇。国民の政治不信、無関心をことさら強め、そして、選挙の投票率はますます下落、組織を持つところのみがほくそ笑む構造。
 こうしてアベはいなくなっても、親米「愛」国派、保守派はいよいよ安泰。

 以前、民主党の政権転落後の党内不信(責任なすりつけ)劇について、掲載した記事の一部。今回またまた載せます(実は、これで3回目)。

『そして誰もいなくなった』(原題: 「Ten Little Niggers」 のちに改題「 And Then There Were None」)

 1939年に刊行されたアガサ・クリスティの代表的な長編推理小説。


 孤島から出られなくなった10人が1人ずつ殺されていくというクローズド・サークルの代表的作品であるとともに、「童謡殺人(見立て殺人)」の代表的作品。

《招かれた10人》

・ヴェラ・エリザベス・クレイソーン 秘書・家庭教師を職業とする娘。
 謎の声によると、家庭教師をしていた病弱な子供に、泳げるはずのない距離を泳ぐことを許可して溺死させた。
・フィリップ・ロンバート元陸軍大尉。
 謎の声によると、東アフリカで先住民を見捨てて食糧を奪い、21人を死なせた。
・ウィリアム・ヘンリー・ブロア元警部。
 謎の声によると、偽証により無実の人間に銀行強盗の罪を着せて、死に至らしめた。
・ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴ 高名な元判事。
 謎の声によると、無実の被告を有罪にするように陪審員を誘導して、死刑判決を出した。
・エミリー・キャロライン・ブレント 信仰のあつい老婦人。
 謎の声によると、使用人として使っていた娘に厳しく接し、その結果自殺させてしまった。
・ジョン・ゴードン・マカーサー 退役した老将軍。
 謎の声によると、妻の愛人だった部下を故意に死地に追いやった。
・エドワード・ジョージ・アームストロング 医師。
 謎の声によると、酔ったまま手術をして患者を死なせた。
・アンソニー・ジェームズ・マーストン 遊び好きで生意気な青年。
 謎の声によると、自動車事故で2人の子供を死なせた。
・トマス・ロジャース オーエンに雇われた召使。
 謎の声によると、仕えていた老女が発作を起こしたときに、投与すべき薬を投与せず死なせた。
・エセル・ロジャース オーエンに雇われた召使で料理人。トマスの妻。
 謎の声によると、トマスと同じく、発作を起こした老女を助けようとせず死なせた。
                                            (以上「Wikipedia」参照。)

 責任の取り方でお互いが疑心暗鬼になったあげく、ついに「誰もいなくなっ」てしまうことになりそうな・・・。こうして、またしても「烏合の衆」の哀しさ。むしろ、カラス集団の方が知恵もあって都会で上手に生息している。ということは、それ以下ということ。

 次の衆議院選挙までに本当に誰もいなくなる可能性、大。 

《余談》

 童謡「Ten Little Niggers」は1864年にアメリカで作詞され、1868年にイギリスで改作された。1940年、大西洋を渡ってアメリカで本書が出版された際、「Niggers」に代って「Indians」が採用された。
 イギリス版の童謡には実際二種類あり、「一人が結婚して、誰もいなくなった」という歌詞の方が一般的だった、らしい。

Ten little Indian boys went out to dine;
One choked his little self and then there were nine.

Nine little Indian boys sat up very late;
One overslept himself and then there were eight.

Eight little Indian boys travelling in Devon;
One said he'd stay there and then there were seven.

Seven little Indian boys chopping up sticks;
One chopped himself in half and then there were six.

Six little Indian boys playing with a hive;
A bumblebee stung one and then there were five.

Five little Indian boys going in for law;
One got in Chancery and then there were four.

Four little Indian boys going out to sea,
A red herring swallowed one and then there were three.

Three little Indian boys walking in the zoo;
A big bear hugged one and then there were two.

Two Little Indian boys sitting in the sun;
One got frizzled up and then there was one.

One little Indian boy left all alone;
He went out and hanged himself and then there were none.→こちらの歌詞が小説版のもとになっている、らしい。

(One little Indian boy living all alone;
He got married, and then there were none.)→こちらの歌詞が一般的なようです。
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笹子峠~駒飼宿。その4。(「甲州街道」をゆく。第7日目。)

2017-07-15 21:13:30 | 甲州街道
 県道から左に折れ、緩やかに下って行きます。古風で大きなおうちがチラホラ。かつては藁葺き屋根だったのしょうか?


(12:38)左手に

           大黒屋サンガム(ゲストハウス) 300 years ago Guest house &cafe  
                    古民家宿(甲州街道)
                    素泊¥4100  2食付¥6250


                             (HPより)

「甲州街道 駒飼宿」碑。

見事なマツ。

「旧甲州街道」碑。

山里風景。のんびりと下っていきます。

(12:41)「古道橋」。

眼下は「笹子沢川」。竹が生い茂っています。

「中央道」の橋脚下を過ぎます。

(12:48)石仏群。右にあるのは「首なし地蔵」。昔、強盗に襲われて亡くなった行脚僧を埋葬したといいます。


「笹子トンネル」に向かう「中央道」。

山崩れの爪痕。九州地方での惨状を類推させます。

県道、バス停にある案内板。

(12:50)しばらくして県道に合流します。すぐに「国道20号線」へ。


降りてきた旧道を振り返る。

今回はここまで。「大和橋」を渡って「甲斐大和」駅に向かいます。
笹子峠方向を望む。

(12:53)「東京から114.4㎞」表示。

「甲斐大和駅」13:02到着。

 難所を越え、次回からは甲府盆地歩きとなります。
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笹子峠~駒飼宿。その3。(「甲州街道」をゆく。第7日目。)

2017-07-14 18:53:15 | 甲州街道

 県道歩きが続きます。本来の旧道は「笹子川」の右岸を進んでいたようですが、現在は歩行不能のようです。「駒飼宿」入口付近でその道が出てきますが実は・・・。

(11:42)道路端に「桃ノ木茶屋跡」碑。

日陰を選んで歩きます。車には出会わず。

前方が開けてきます。山深い印象。


振り返って「笹子峠」方向? を望む。

北方向を望む。

(12:13)「駒飼宿」を木立の向こうに望む。そこにベンチがあるので、パンを食べながら休憩。


さて宿場まで一息。「天狗橋」。

(12:30)橋を超えたたもとに旧道らしきものがあります。

 しかし、厳重な柵があります。降りてきたときに抜けられるのか? 
 よく見ると、鉄条網に電流が流されているようです。集落に近づくにつれて県道脇にはこうした仕組みが目についていました。農作物への獣害防止のためのもの。


その先に、芭蕉句碑。
 
            秣(まぐさ)負ふ 人を栞(しおり)の 夏野哉 芭蕉

 この句は、この付近ではなく、栃木・那須野で詠まれたようです。
 秣(まぐさ)は馬草で馬のえさ。栞(しおり)は枝折で、山路を歩くとき、枝を折って自分が通った道筋を記しておく。

 この広い那須野の原は道が分からなくなりそうだが、あの秣を背負って歩いている男を栞(道しるべ)にしてこうして歩いていきましたよ。

 「笹子沢川」は富士川水系。この先で「日川」と合流し、笛吹川となって、さらに「富士川」として駿河湾に注ぎます。旧東海道歩きで越えました。


「駒飼宿」内のようす。

(12:33)左手の空き地に「脇本陣跡」碑。
 

その先には「本陣跡」碑。


「明治天皇御小休所趾」碑。

駒飼宿
 江戸より第30宿、江戸へ30里9丁、甲府へ5里19丁 本陣1、脇本陣1、旅籠6、問屋場1、宿内家数64戸、宿高135石5斗6升3合


「萬靈塔」。甲州街道で見かけたのは二つ目。

「駒飼宿」案内板。かつての屋号が記されています。

駒飼宿
 笹子峠の西麓にあった駒飼宿は、江戸時代には幕府の公用を継ぎ立てする役目を果たし、旅行者の休泊のため、本陣・脇本陣・旅籠などが設けられた甲州街道の要所として知られていました。
 笹子への道の往還を、人が休み、その名の通り馬が餌と水を与えられた宿場は、今でも家が建ち並び、往時の雰囲気を残しています。

宿内の家並み。



                    
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始まりか? 「大にっほんこく・国民ファースト」の世界。終わりか? 寛容の世界の。

2017-07-12 20:19:04 | 平和
蓮舫氏「戸籍示す」=二重国籍問題

 「二重国籍」問題というとらえ方(印象操作)に大きな疑問を感じる。すでに「日本国籍」を有していることは間違いないのに、いつ日本国籍を取得したのか、二重国籍だった期間があったからということがそれほど大きな問題なのだろうか。戸籍を示すことで事が済むとは思えない。中国人や朝鮮人・韓国人への蔑視に通じる気配を感じる。すでに説明済みな事柄であるのに。
 少しでも説明に齟齬があれば、アベ批判・攻撃から矛先を変えて蓮舫攻撃になっていくだろうマスコミ、日本人。アベはこれで失地回復するかもしれない。むしろ、それを望んでいる。

 民進党議員の中から蓮舫さんへの戸籍開示要求がなされていることに、事の深層が見え隠れしている。

 目にした評論を掲載します。 

彼女に求められているのは「国籍」ではなく「血」の証明ではないのか

 民進党は終わっていくようだ。蓮舫氏に戸籍を示させ説明させるという判断がどれくらいマイノリティにとって攻撃的で、かつ潜在的な党支持層を離反させるものであるのか、それすらわからない状態なのだろう。

 蓮舫氏が今、行おう/行わされようとしているのは、「忠誠の誓い」だと思う。日本国に対する、「忠誠の誓い」。
 それは、「国籍」の証明をもって行われるとされている。

 だが、本当にそうだろうか。真に彼女が問い詰められようとしているのは「国籍」なのだろうか。
 問い詰められようとしているのは「血」ではないのだろうか。

 私たちは、日本国籍を取得した外国出身アスリートが、いつまでたっても「日本人」扱いされない国に住んでいる。私たちは、米国市民権を取った日本生まれの米国在住のノーベル賞科学者を、なお「日本人」だと思いたがる国に住んでいる。
私たちの社会は「血」こそが忠誠の証明だと、頑なに信じてはいないか。

 「血」にこだわる社会は、マイノリティに牙を剥く。部落差別。民族差別。外国人差別。混血児差別。などなどなどなど。
 疑いの目を向けられたものたちは、必死で自からの「潔白」を証明しなければならない。
「お前は日本人か?」
「はい、そうです、私は日本人です」
「お前は〈本当の〉日本人か?」
「はい、〈本当の〉日本人です」
「ほんとうにか?それをどうやって証明する?」

 関東大震災の時、パニックが起きた。朝鮮の人々が井戸に毒を投げ込んだなどというデマが広がった。
 自警団が結成され、道を通る人々を誰何した。お前は日本人か、と。

 「十円五十銭と言ってみろ」

 災害のパニックの中で、証明書はない。見た目もわからない。自警団は、「朝鮮訛りの日本語」で「証明」を行わせようとした。「ザジズゼゾ」が日本人のように発音できない人々が、多数、虐殺された。殺したのは、軍人でも警察官でもない。市井の、町の日本人である。

 「血」にこだわる社会の不寛容さは、危険である。
 それは疑いの目を向けられたものたちに、常に潔白の証明を求め、忠誠の誓いを立てさせ、愛国の赤誠を求め続ける。
 それは「血」からそもそも外れた者たちの居場所を、あくまでもなくそうとする。

 「日本人のあなた」は無関係だろうか?
 だれが、どうやってあなたが「日本人」だと証明できる?
 いつかどこかであなたに疑いの目が向けられた時、「十円五十銭と言って見ろ」と言われた時、あなたはあなたが「日本人」であると本当に証明できるだろうか。
 あなたはきちんと「ザジズゼゾ」と正確に、間違いなく、“日本人のように” 言えるだろうか?
 そのときは「十円五十銭」ではない、なにか別のことを聞かれるかもしれない。あなたはその「何か」にきちんと応えられるのだろうか?

 聞かれているのは、「血」なのである。そしてその「血」は、DNA鑑定で決着が付くような科学的なシロモノではない。(DNA鑑定をしたら、「日本人たち」の血族的多様性が明らかになるだけである)
 忠誠の証明を求めるためにでっちあげられる、曖昧模糊とした「血」。
 あなたは、その「血」とやらを、示すことができるだろうか?

 「血」の証明を求める社会にはしてはいけない。
 「血」の証明に対抗する思想は、「形式」による証明である。

 国籍を取れば、日本人である。
 税金を収めれば、納税者である。
 免許を持てば、資格者である。

 蓮舫氏はすでに現在「形式」を満たしている。
 それ以上求める必要は、これっぽっちもない。
 さもないと、蓮舫氏に向けられた「血祭り」の刃は、今にこちらを向くことになる。

 「国民ファースト」の世界が、すぐそこで私たちを待っている。

日比嘉高 名古屋大学大学院文学研究科 准教授

HPより)

 中世末期に横行したと言われる異端審問では、魔女と見なされた容疑者に、重たい石をくくりつけて水に沈めることで罪の有無を判断したのだそうだが、どんなふうに判断したのかというと、そのまま沈んだら無罪で、浮かび上がってきたら魔女として有罪認定されたということらしい。
 おそらく、戸籍の開示を求めていた人々は、会見や一部の公開をもって満足することはないだろう。彼らは、魔女が沈むまで次のツッコミどころを探すはずだ。

(小田島 隆 氏の文章を引用)

 「こんな人たち」とのレッテル貼りが横行する世の中にさせてはならない。
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笹子峠~駒飼宿。その2。(「甲州街道」をゆく。第7日目。)

2017-07-11 23:25:08 | 甲州街道

 鹿児島では震度5強の地震。被害も出たようです。川内原発は平常運転とのこと。もっと大きければどうだったのか? 気になるところです。
 さて、昨日の続き。
  
(10:25)前方に「笹子隧道」がようやく見えてきます。


案内板。

笹子隧道について
 四方を山々に囲まれた山梨にとって昔から重要な交通ルートであった甲州街道。その甲州街道にあって一番の難所といわれたのが笹子峠です。
 この難所に開削された笹子隧道は、昭和十一年から十三年まで国庫補助を入れて二八万六千七百円の工費を投入し昭和十三年三月に完成しました。抗門の左右にある洋風建築的な二本並びの柱形装飾が大変特徴的であります。
 昭和三三年、新笹子トンネルが開通するまでこの隧道は、山梨、遠くは長野辺りから東京までの幹線道路として甲州街道の交通を支えていました。南大菩薩嶺を越える大月市笹子町追分(旧笹子村)より大和村日影(旧日影村)までの笹子峠越えは、距離十数キロメートル、幅員が狭くつづら折りカーブも大変多いためまさしく難所で、遥か東の東京はまだまだ遠い都だったでしょう。
 昭和前期の大役を終え静寂の中にあるこの隧道は、平成十一年、登録有形文化財に指定されました。

                                  大月土木事務所 

トンネルの向こうは「甲斐大和」方面。

峠には右の山道を登っていきます。案内図の下に「この附近にクマ出没注意」の看板! 小休止して登ります。


                         

 トンネルを抜ければ苦労せずに向こう側へ。ただし、トンネルの真ん中付近では光が届かず、真っ暗。車が通ったら危険きわまりない、らしい。
 山道を登って峠をめざした方が、実は、無難のようです。



     振り返って望む。

(10:47)一汗かいて峠に到着。

標高1,096㍍。峠入口から約300㍍の登りでした。この峠は江戸と下諏訪のほぼ中間に当たります。

 右へ登ると「笹子雁ヶ腹摺山」へ約1時間10分、左を行くと「カヤノキビラノ頭」へ約1時間30分。まっすぐ下ると大和村日影・かいやまと駅まで約2時間30分。やってきた道を下ると笹子駅までは約2時間、とあります。

下りにかかります。

天神社を過ぎ、歩きやすい山道を下ると、すぐに県道に出ます(10:57)。


降りてきた山道を振り返る。

左手にトンネルの大和側入口が見えます。

そのまま県道を横切ってガードレールの間から山道を下っていきます。
(11:05)しばらく進むと「甘酒茶屋」跡。

峠道は標識の裏手の山道を進みます。

歩きやすい山道をどんどん下っていきます。

(11:09)「甲州街道峠道」。

崩れた道筋にはロープが。

壊れかけた木橋。

沢筋を越えて行きます。

 途中、道筋が怪しい箇所もありますが、丸木橋を越え(11:23)、しばらく進むと県道・「清水橋」のたもとに出ます。


      しっかりした道。

(11:28)「峠道」と「自害沢天明水」との分岐の標識。振り返って望む。


幅の広い緩やかな階段状の道を進みます。

               

県道から来た道を振り返って望む(11:36)。  

そこに「笹子峠」の解説板があります。  

笹子峠
 徳川幕府は慶長から元和年間にかけて甲州街道(江戸日本橋から信州諏訪まで約五十五里)
を開通させました。
 笹子峠はほぼその中間で江戸から約二十七里(約百粁)の笹子宿と駒飼宿を結ぶ標高壱千五十六米、上下三里の難所でした。
 峠には諏訪神社分社と天神社が祀られていて広場には常時、馬が二十頭程繋がれていました。峠を下ると清水橋までに馬頭観世音、甘酒茶屋、雑事場、自害沢、天明水等がありました。また、この峠を往来した当時の旅人を偲んで昭和六十一年二月十二日、次のような唄が作られ発表されました。

       甲州峠唄                        
             作詞 金田一春彦    
             作曲 西岡 文朗

    あれに白いは コブシの花か
    峠三里は  春がすみ
    うしろ見返りゃ  今来た道は 
    林の中を  見え隠れ
    高くさえずる   妻恋雲雀
    おれも歌おうか あの歌を
    ここは何処だと  馬子衆に問えば
    ここは甲州  笹子道

 この唄の発表によって旧道を復元しようという気運が高まり昭和六十二年五月、清水橋から
峠まで地域推進の一環として、日影区民一同と大和村文化協会の協力によって荒れていた旧道を整備して歩行の出来る状態にしました。
                                              佐藤 達明 文



 この先は県道を歩くことになります。         
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笹子峠~駒飼宿。その1。(「甲州街道」をゆく。第7日目。)

2017-07-10 21:57:02 | 甲州街道

 7月8日(土)。快晴。
 九州北部では大変な豪雨に見舞われて多くの死傷者、行方不明者が出ている(7/10現在、大勢の犠牲者を生む、大きな自然災害となってしまった! お見舞い申し上げます。)というのに、関東地方はカンカン照り(7/10も引き続き)。
 
 そんな中、甲州街道・笹子峠越えにチャレンジ。
 峠を降りた後も、もう少し西へ向かって歩くつもりでした。が、炎天下の国道歩きでは、熱中症になるかもしれない、と予定を変更し、「甲斐大和」駅までにしました。

 09:10から13:05までの約4時間。歩行数は約16,000歩、約10㌔。実に短い距離。でも、峠越えの山道があったので、ほどほどの疲れ。

 前回、笹子峠の山道入口まで進んでいたので、「笹子駅前バス停」09:02発の「新田」行き路線バスに乗車、「新田下」まで。そこまで前回歩いた分、炎天下の「国道20号線」の歩きは、なし。小一時間助かりました。
 前回、事前に確認しておいたので、すぐ山道に入れましたが、この入口は分かりにくい標識になっていますので、要注意!

 今回は、何人かの同行者に出会いました。特に途中からは、60代後半のご夫婦と一緒の歩きになりました。
 この付近は、「クマ出没注意」の看板もあるところ、クマ除けの鈴をお持ちのようで、さらに3人であえてがやがやおしゃべりをしていけば、ちょっと安心という算段。このご夫婦、あまり峠道(旧道)をご存じないらしく、そこは事前準備万端の小生、お手伝いをさせていただきました。
 峠道も終え、県道に出てからお別れしましたが、まだまだ先まで歩き、途中で泊まるとのことでした。


人家がなくなると、いよいよ山道です。

(9:15)しばらく進むと「砂防ダム」の堰堤。杉林の道を進みます。


                   

(9:24)木立の中を登っていくと、先ほど分かれた県道に合流します。「矢立の杉」の幟。


 その先を進むと、前を行く二人連れを見つけました。ご夫婦のようです。大きく道を曲がって、左手にある「笹子峠自然遊歩道」という大きな案内板付近で追いつきます。案内板には矢立の杉まで800mと。そのところで迷っているようす。「この先、矢立の杉入口」という看板も道端にあるのが紛らわしい感じ。この道を行くのだと思いますよと「自然遊歩道」の道を案内。このあたりから3人旅となります。

遊歩道から県道方向を望む(9:32)。

落ち葉が敷き詰められた歩きやすく広い山道を登っていきます。右手に開けた場所が。


(9:42)「三軒茶屋」跡で、「明治天皇御野立所跡」碑があります。



顕彰の記
 過ぐる明治十三年六月十九日大帝本縣御巡幸に際し、畏れ多くも此の地天野治兵衛家に御野立あらせられ、聖蹟を永久に残させ給へりと雖も、時代の変遷と文化の発達による中央線の開通は、此の地を過ぐる者をして絶無ならしめ、為めに聖蹟も又口碑に傅ふるに過ぎざりき

聖蹟の主  天野治兵衛氏
之を慨嘆する事多年其の効空しからず、陸軍大将菱刈閣下の御揮毫を得て記念碑を建立し以て之を永久に傅へんとす。 

 昭和十二年十一月七日

※明治天皇御野立所跡記念碑除幕式における笹子村長天野五六様祝辞より抜粋

                        

街道当時の石垣などが残っています。

(9:48)まもなく杉木立の先にとてつもなく大きな杉が見えて来ます。「矢立のスギ」。


              



県指定天然記念物
      笹子峠の矢立のスギ
所在地  山梨県大月市笹子町大字黒野田字笹子1924の1
種類   スギ
指定   昭和35年11月7日
所有   山梨県
 このスギは昔から有名なもので、昔の武者が出陣にあたって、矢をこのスギにうちたたて、武運を祈ったところから「矢立のスギ」と呼ばれてきたものである。
 そのような名木であるうえに巨樹であるために、県指定天然記念物にされているものである。

 その規模は次のようである。
    根廻り幹囲  14.80メートル
    目通り幹囲   9.00メートル
    樹   高 約26.50メートル
    幹は地上約21.50メートルで折れ樹幹中は空洞になっている。

                   昭和50年10月   山梨県教育委員会

 携帯写真ではおさまりきれない巨木。人が側に立つとよけいその大きさが目立つ。中は空洞になっていて、かつては人が入れたようですが、現在は保護のため、立ち入り禁止となっています。


   

なかなか全貌が取れないので、HPより拝借。
          

右手に杉良太郎「矢立の杉」碑。

矢立の杉
 作詞・作曲 大地  良
 唄     杉 良太郎  

絹雨が降り 足が止まる
虹が出て まるで夢の中
目の前に そびえる 千年の杉
旅人よ 少し休んでいかないかと
語りかけてくる
ここは甲州笹子峠の 黒野田村
矢立の杉の物語

・・・ほこらの中から
見上げる空に輝く星が 強く生きろ
矢立の杉が抱きしめる

旅人よ 生きることに疲れた時は
ここへ来るといい
ここは甲州笹子峠の 黒野田村
矢立の杉のあるところ

 右手にはハンドルを回すとこの曲が流れてくる装置がありますが、遠慮しました。「杉」つながり? 2008年頃の歌らしい。

 少し高台にテラスがあってベンチもあり、休憩しながら矢立の杉を眺めるのは、最高。  

さて、笹子峠に向かって出発。ここで道が二手になります。県道へ向かう道はしっかりした道ですが、旧道は山道を進みます。
細い尾根伝い。(10:10)

夏の暑い太陽を浴びて輝く緑。 

ひたすら登ります。

(10:13)一汗かき、ヒョイッと県道に出ます。 

山道を振り返って望む。

 このあとは県道を「笹子峠トンネル」まで上っていきます。
 後ろから自転車が喘ぎ喘ぎ上って行きます。峠を越えれば、後は下り坂が待っています。「お疲れ様、頑張って! 」つい声援を。
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人生、晩年になるほど、いろいろあるのね。(じじばばがゆく。例会編。錦糸町にて。)

2017-07-05 23:13:43 | じじばばがゆく

 このあいだはお世話になりました。あっという間に日にちが過ぎちゃうわね。なんだか時間が早く過ぎていくような感じがしない、最近はますます。

 腰は痛いし、歩くのもおっくうになってきたし、って最近はそんな話ばかりで申し訳ないわね。

 でも、みんなに久々に会えるので無理して出かけたわよ。行ってよかったわ、みんな元気そうだし、あなたも元気だわね。なんでそんなに元気なのよ。
 
 土曜のお昼っていうので、けっこう混んでいたわね。品数はいっぱいあるようだけど、並んでいてなかなか取りにくいし・・・。
 テーブル席で、ちょっと話しにくいし、ちょっと今回は失敗したわね。幹事の人には申し訳ないけど。

 大人数ではない方がいいのかもよ、ああいうところは。



 90分という時間制限がちょうどいいところよね。殿方たちはけっこう飲んでいたようだけど。元は取れたのかしらね、どうだった?
  
 じゃあ、二次会で別の所に行きましょうよ、って移動したけど、なんだかんだで結局、大勢になったわね。二次会の方も。
 でも、やっと話が盛り上がって、よかったんじゃない。

 へえ、あの方、学校の栄養士だった経験を生かして、障がい児や介護老人の食事の適切な摂り方についてあちこちで話をしているんですって。

 咀嚼力。たしかにあごの働きが衰えてきている方、噛んで飲み込む力って個人差があるしね。機能が衰える中で、どうやって食の楽しみを叶えるか、与えられるかって、私達にとっても大事なことよね。

 気管に入って呼吸困難で死ぬ人も多いじゃない、誤飲性肺炎っていうの。勘三郎さんなんかもそれで命取りになったし。
食べ物の飲み込み障害の可能性って、70歳以上には急に増えてくるらしいわよ。 誤嚥や嚥下性肺炎を予防するケアってこれからは必要よね。
   
 ところで、ほら、いつもぐずぐずしているあの方も、今回は早々と出席の返事を寄こして、ちょっと遅刻したけど、やってきたわね、それもネクタイを締めて。 相変わらず、変わっているわね。

 へえ、お母様が亡くなったのか。95とかそのくらいだったはず。長い間、面倒を見てきたのよね。最後の方はおうちの近くの施設に入っていたようだけど。
 それで、なにか吹っ切れた感じがしたのね。

 お葬式は桐ケ谷の斎場だったんだって、ずいぶん遠くない? おうちの近くに斎場があるのに。
 葬儀屋さんの段取りかしら。お寺も港区の愛宕山の近くにあるんで、そのせいもあるのかしらね。

 えっ、幡ヶ谷斎場だったっけ? それじゃ、もっと遠いわよ。

 隣近所の方には知らせずに、家族だけでやったみたいね。今は、そういう「家族葬」っていうのが多いようね、特に年取った身内が亡くなると。

 まだまだ落ち着かないようだけど。少し土地持ちらしいのね、遺産相続であれこれあるようね。この前発表された「路線価」っていうの、何だかよく分からないけど、そのデータを取り寄せてとか言っていたわよ。

 めんどくさいのね。遺産の処分っていうのは。
 いずれお互いに関わってくるんだろうけど。
 
 あの、一番の大地主の、あの方は、法人化してしまったみたいね、個人が受け継ぐんじゃなくてって、どういうのかもっと分からないけど。

 あんなにおしゃべりするとは思わなかったわ、堰を切ったようにね。よほど肩の荷が下りたのかしらね。
 
 でも、なんで「豆源」を知っているのかしら、麻布十番の。理由はあいまいだし、不思議な人よね、相変わらず。 


   
OTOBOKEMAME。            EBIMAME。

HPより)

 年を取ると我が身だけではなくて、あちこち精算をしなくちゃならないことがたくさん出てきそうだわね。

 もう年なんだし、お互いにあとは自然体でいくところまでいくのが大事かもよ。

 そうね、人生、そう見捨てたものではなさそうだし、まだまだ元気でいきたいものよね。

 ところで、あなたはどう思った? あの二人? けっこうしんみりとお話してたみたいだけど。何かあったのかしら?
 ま、どうでもいいけど。

 三次会は勘弁してよ、もう限界って帰っちゃったけど、そのあとどこかへ行った?
 ま、若くないんだから飲むのもほどほどにしてよ。

 次回は、12月ね。それまでお互いに元気でいましょう。暑い夏を越してね。では、また。 
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