おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

板橋区成増

2010-10-30 21:22:20 | つぶやき
 もう何十年ぶりでしょうか。ずいぶんと若い頃に来て以来、まったく当時のことも忘れてしまったほど。東上線・成増駅に。池袋からわずか10分。準急や急行が途中駅に一つも停まらず。東武練馬や上板橋よりも早く着く。
 池袋からの東武東上線。今時の都内の私鉄路線では珍しく、ずーと地上を走っていきます。踏切をいくつも過ぎて・・・、大きな道路の方が線路をくぐっています。地元密着型なのか、それとも高架にするには問題が山積してるいのか。
 同行の士、ここで稼いで他に投資しているんだ、東武は、と話していますが、ホントウのところはどうなんでしょうか。
 大山、中板橋、上板橋・・・(順序はどうだったか?)、懐かしい駅名が続きます。あっという間に成増駅。降り立った駅前。昔のことをすっかり覚えていませんから、比べようがありません。それでも、大きなテナントビルや施設が目の前にあります。
 そこから少し北に向かったところまで。ここは、こんなに坂の多い町だったかしら、と思うほど下り、上りして行きました。
 このあたり、かつてはおそらく昭和30年代までは、純農村地帯のはず。高台には畑。ちょっと東には水田という趣だったのでは。その中、駅側の高台に住宅があったという風に・・・。赤塚城址などという史跡もあった、と。
 ところが、昭和40年代に入って宅地開発が進んだそうで、あっという間に住宅街になってしまったとか、何しろ池袋に出るのに近い!
 大きな地主が土地を手放し、一戸建ての住宅、さらにはマンションという具合。小学校なども生徒数がけっこう多くなっている、とか。この辺りのマンション価格は、5000万とかだそうですが。
 でも、台地の窪地、谷筋みたいな地形は残っていて、そこにも住宅が建ち並んでいました。森も昔のままに残されているようで、樹齢何百年と見えそうなアカマツなどもありました。
 今日のような台風で大雨が降ったときにはいったいどうなってしまうのでしょうか。水はけがいいことを信じますが。
駅前から少し入った通り。坂道。
 
 

 
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立石仲見世通り

2010-10-27 22:25:58 | つぶやき
 久々に京成押上線の「立石」駅で降りました。近くに他の鉄道会社の駅もないのに、わざわざ「京成立石」というのか、長い間、疑問でしたが、最近は「京成」を外して「立石」にしたようです。
 でも、「駅すぱあと」で、地図がなくて、駅名を入れて検索するもの(かなり古い版)だと、「立石」だとはるか遠い駅が検索されます。なるほど、紛らわしさを避けるために「京成立石」としたのですね。駅名の重複は全国レベルでないように考えるのですかね。ホントウはどうなのでしょう。実際、かつて京成電鉄の駅名には、ことさらに「京成」と付したものが多かったように思います。独自性があったのか。北千住近くにある「京成関屋」もそうです。向かいの乗換駅、東武線では「牛田」駅。
 この立石。少し東南に行ったところに。「立石」様がある。それにこと寄せて名付けられた駅名です。(「立石」様については、このブログでも取り上げたことがあります。)
 さて、この「立石仲見世」商店街。ずいぶん昔からあった商店街。この界隈ではけっこう賑やかな商店街でした。こぎれいなアーケードがあるちょっと広い通り。その脇にある路地のような商店が建ち並ぶ区域。上には古ぼけたアーケード。狭い場所に狭い間口の店が、まるで夜店のように並んでいます。「ホッピー」発祥のところでもあります。焼鳥屋さんからお惣菜屋さん。洋品屋さんから小物屋さん。いろいろな店があります。芋羊羹の「舟和」などもあります。
 この立石駅周辺は、京成沿線の中では、早くから商店街になったようです。駅をはさんで南北の通り。さらに南の、入り組んだ商店街。駅の北の一画にはちょっと地元以外の人間は、立ち入るのもためらう、袋小路のような飲み屋街があります。
 でも、次第に元気がなくなってきたようです。(路地には、「元気の出る仲見世商店街」とのポスターもありましたが)追い打ちをかけるように、青砥から立石、四つ木と高架線の工事が始まっていて、線路の周辺も立ち退いた建物が多くなってきました。歯が欠けたように、という表現がふさわしい? だんだんと年老いてきた感じです。
 あと何年かすると、高架線になって、駅も周囲も見違えるような現代的な景観になるでしょう。その時には、この商店街はどうなっていくのでしょうか?
 墨田区の向島、京島にあるような、駅とはちょっと離れたところで元気がある「商店街」の姿になって欲しいとは思いますが、これだけ半世紀以上、駅と生死を共にしていた商店街、小さな昔ながらの商店は、なかなか生き残りが厳しいような・・・。
 シャッターが閉まったままの店、「貸店舗」の看板がある店・・・。人通りも少なく残念な雰囲気でした。
 でも、まだ4時を過ぎたばかりというのに、名物のモツ焼き、ホッピーの居酒屋は、もう店の外まで人だかりがしていました。ここだけは、ますます元気でした。
「立石大通り」。律令制のころからの葛飾の東西を貫く「古道」。かつて、京成電車はこの通りを走っていました。子供の頃は「大通り」という言い方に慣れていましたが、今はずいぶん狭苦しい感じになってしまいました。 
 
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ちょっと青梅、でもあいにくの曇り空、そして月曜日

2010-10-26 21:12:20 | つかのまの旅人
 新宿から特別快速で約1時間。久々の青梅。でも、あいにくの月曜日。人通りもなく、閑散とした街並み。鉄道博物館も赤塚不二夫会館も閉まっていました。残念!
 でも、それが目的でわざわざ青梅まで出かけてきたわけではなく、青梅にある学校の校長さんを訪ねて行ったということ。所用が済んでしばし散策という次第。
 赤塚不二夫も亡くなり、古い映画の看板も、昭和レトロの世界が遠くになって、すっかりくすんで見える感じ。土日にはそれなりに賑わっているでしょうが。
 駅の付近には、これといった食べ物屋さんもなく、これも残念! 
行き交う車も人も少ない通り。下校する子供達の声は、賑やかに聞こえてきました。
ちょっと気に入った看板「となりのレトロ」
鉄道公園内のSL。
かつての電車。
東青梅駅構内。もう使われていない線路。先は砂利の中に消えていました。
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浅草雷門から合羽橋道具街

2010-10-25 21:00:14 | つぶやき
 日曜日の午後。曇り空。久々に雷門前で人と待ち合わせ。寿司をつまんで、観音様。それから合羽橋道具街まで。けっこう歩きました。合羽橋。日曜日で閉まっている店も多かったですが、営業ものから家庭ものまで、さまざまな厨房用品、道具屋さんが広い通りの両側に軒を連ねていて、見て歩いていて、少しも飽きないほど。
 連れの人、韓国料理の道具(チゲ鍋とか石焼きビビンバ鍋とか・・・)を探すのが目的でしたが、その他にも、あれやこれや。外国人の姿も見かけました。とてつもない大きなまな板とかしゃもじとか、中華鍋とか一般の家庭には不用な大きさ。でも、飽きません。また、食品サンプルの店も何軒か。「寿司時計」とかあったりして、面白い。
 歩いているうちに、ぽつりぽつりと雨が落ちてきて、しばらくすると本降り。そこで、今日はお終い!両手に一杯荷物をかかえて帰りました。
 ところで、合羽橋の由来は?合羽というから雨合羽との関連?
 文化年間にこの地で掘割(後の新堀川、現在は消滅)整備を行った合羽屋喜八が合羽橋の名前の由来の一つとされているようですが、今は、河童が商店街のマスコットになっています。
 観音様からも合羽橋通りからもスカイツリーが見えました。写真は、浅草寺本堂からみたスカイツリー。
本堂脇にあるイチョウの古木。東京大空襲で焼けた跡が残っています。いまだ健在です。
二本のうちの一本。焼けこげたまま。
遊園地・「浅草花やしき」前の通りでの紙芝居屋さん。懐かしい光景。
かっぱ河太郎像。平成15年に出来たらしい。商売繁盛とか。由縁が書いてありましたが・・・。どうも今風の人間の出で立ちで、造った当時の区長に似せたものではないかしらとちょっと疑った。
合羽橋通りからのスカイツリー。意外と下の方まで見えます。
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小沢さん再起訴へのきな臭さ

2010-10-24 17:49:46 | つぶやき
 裁判が結審するまでは、政治家に嫌疑がかけられても、その「政治的・道義的責任」を問うべきではない。そこに「政治的検察」が政治と駆け引きする余地があったのだ。「政党政治vs検察」100年戦争を終わらせるためには、政治は短期的な支持率の低下を恐れず、小沢氏を「推定無罪」として「公判中心主義」定着に徹すべきである。更に言えば、「推定無罪」を徹底しないと、「政治的検察」が影響力を失っても、今度は「市民」が政治家のあることないことをでっち上げて、「起訴」してしまうリスクがある。これも我々が忘れてはいけないことである。
 「政治的検察」を完全抹殺するために、小沢氏はあえてガチンコの法廷闘争を
2010年10月19日(火)08:40「政局LIVEアナリティクス 上久保誠人」より

 前にも書いたことだが、今も実に気になるのは、春先の、週刊朝日の「検察の、小沢起訴による民主党の参院選過半数阻止の策謀」という内容の記事。不起訴になったものの、世論をも巻き込んで、そうした検察の動きに乗ったマスコミの小沢攻撃の渦の中、鳩山の資金問題もからんで、一気に幹事長を辞任に追い込むことに成功した。その後も、世論は、「政治と金に汚い民主党」として(かつての自民党の汚さをすっかり忘れたかのように)、参院選をはじめ、各種選挙で民主党候補を落選させた。北海道の衆院補選も自民党の「汚れきった」男が当選するだろう。検察の狙い通りの展開になっているとも。
 こうした世論操作ともいえるような動きが、どうもひっかかるのは私だけではないのでは。産経グループを中心にした徹底した民主党攻撃の裏に何がいるのか、何があるのか。おそらく最大の誤算は、大阪地検特捜部の前代未聞の不祥事だろうが。
 もう少し、上久保氏の発言を載せてみる。

 検察審査会が、不起訴処分とした検察の判断を「追及不足」として、「起訴相当」と議決した。これを約100年間に渡る「政党政治vs検察」の戦いの流れの中に位置づけてみたい。
と書き出している。

 約100年前、平沼赳夫衆院議員の祖父で検察官僚の平沼騏一郎が、汚職事件に関連する政治家を罪に問うかを交渉材料として、政治に対して影響力を行使しようとしたことから「政治的検察」が誕生した。その後、検察は歴史的に権力の座にある(座を狙う)政治家をターゲットにした駆け引きを繰り返して政治的影響力を高めてきた。中には、まったくのでっち上げや形式犯でしかないものを起訴することで、多くの政治家の政治生命を奪ったこともあった、とする。

 この内容は、歴史的事実である。さらに、

「政治的検察」は、日本の刑事司法が裁判所での審理中心でなく、検察の捜査中心で判断が完結するシステムである上に、「起訴=ほぼ有罪」が日本社会の共通認識であることで成り立ってきた。政治家が一旦起訴されると、仮に裁判で無罪になっても計り知れないダメージを受けた。それ以前に、検察はたとえ起訴できない事件でも、その理由を詳細に公開する必要がない。だから検察は「有罪」の確証がなくても簡単に捜査に着手することができ、政治家に社会的制裁を加えることができた。
 小沢氏の問題は、この「政治的検察」が動いた典型的な事例といえる。小沢氏の3人の元秘書の「政治資金規正法違反」は、「小沢氏からの借入金4億円を収支報告書に記載しなかった事実」のみであり、水谷建設から渡ったとされる5000万円の裏献金の事実は起訴事実に含まれなかった。
 
 このことについても、当時のマスコミ報道は過熱、検察発表をうのみにした記事ばかり出ていた。曰く「地元のダム工事に便宜をはかってもらうための水谷建設などからの裏献金があった。」「4億円のつじつま合わせは、それを隠すためのものだった」「小沢事務所は、ダム工事の受注を仕切っていた」・・・。どこまで裏を取っていたのかは分からないが、続々と「政治資金規正法」違反事件という記事を越えて、まるで贈収賄事件のごとき(自民党と違って野党であった民主党には無理!)扱いであった。そのことでは、例の村木さんの場合も、同時期、東京地検特捜部に負けまいと大阪地検特捜部は、民主党の大物議員を逮捕・起訴する目論見があったことは間違いない。見事失敗したのだが。
 ただ、大阪地検の件でも、まさにトカゲのしっぽ切りで、大物はけっして辞めないだろう。検事総長にいたっては、必ず居直るはず。
 すでに産経新聞などでは

 「検察官適格審査会」の委員に今月になって、「検察批判」の急先鋒(きゅうせんぽう)で民主党の小沢一郎元代表に近い同党の川内博史、辻恵両衆院議員、森裕子参院議員が新たに就任した。
 委員は有識者や国会議員計11人で構成されており、このうち4人が民主党議員に割り当てられている。残留した高山智司衆院議員を含めると4人全員が“親小沢”となった。特に川内、辻の両氏は同党の「取調べの全面可視化を実現する議員連盟」の会長と事務局長で、小沢氏の強制起訴を議決した検察審査会の不透明さを批判している。
 
 という記事を載せ、検察批判の動きを牽制している(構成上、多数ではないのに)。
そう言う意味では、上久保さんの記事にもあるように、検察が小沢裁判において裁判史上始めて糾弾される(再び無罪になることで)ことになると困るのは誰か。何か。
 今後、今回の小沢裁判において、裁判で有罪・無罪を決定するという制度がしっかりと確立され、未曾有の(たまたま表面化しただけに過ぎないが)検察不祥事ともからんで、国民も検察無謬神話を捨て去る時が来ることになるのではないか。もちろん、そうはさせまいとする、ものすごい巻き返しがあるだろう。
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ああ、まだあのじいさんが

2010-10-23 23:06:36 | つぶやき
都知事選に出る? 伸晃氏“暴露”(産経新聞) - goo ニュース
 息子の見事な高等(親孝行)戦術。おやじも一枚かんでいるとみました。あえてガセネタ風を装って暴露し、桝添さんの出馬はないことを本人から明言させ、一方で、東国原はおやじの敵ではない、と牽制球。
 最近の石原都知事。顔がなんとなく間延びして、すっかり年取ったことが露わに。にもかかわらず、権力の座へ御執心は、並ではなかった。
 この一連の報道、仕掛け人がいそうな感じです。ついでに、鳩ぽっぽ兄弟から名前の出た民主党議員も真っ向から出馬否定。こうして外堀を段々埋めてきて、最後にやっぱり「俺」しかいない!と。
 これまでの選挙でとってきた、得意の後出しじゃんけんスタイルがまたも。
 こういう狡猾なじじいに振り回される都民も、気の毒。まして都の職員、心中穏やかではなさそうです。
 ちょっと早く仕掛けすぎた感じ。もっと満を持してもよかった。こうなったらやるしかないと、急遽、築地の豊洲移転を民主党の反対を押し切って「俺」が決定したんだ、と大見栄を切った。こうして、これを知事選の最大のテーマにしても勝つ、と読んだイシハラの魂胆が見えてきました。
 さらに、徹底した反中国姿勢(反民主党につながる)が都民・国民に大いに受け入れられているとの確乎たる自信が、ますます彼をして選挙に突き進ませるのでしょう。それにしてもあと4年半、持つのかしら。
 このまま行けば、気の毒なのはイノセなる御仁。ま、もともと「機を見て敏」なだけが取り柄の男だから、自業自得か。
 こうした素人の読みがはずれてくれればいいのだが。
 
 
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すずめのお宿緑地公園+立会川緑道

2010-10-22 20:54:24 | つぶやき
 何気なしに目黒区の地図を見ていたら、碑文谷の付近、「すずめのお宿緑地公園」というちょっとしゃれた名前の公園が目に入りました。都心にそんな名前の公園があるなんて。さっそく昨日出かけました。秋雨前線の影響とかで、少し冷たい雨が降っていました。JR目黒駅から東急線で西小山へ。この駅が近いということでもないのですが。「立会川緑道」にも興味がありましたので。
 この辺り一帯、今は高級そうな住宅地になっています。その昔、昭和の初め頃は、純農村地帯。特に竹林(チクリン。タケバヤシとはけっして言わない!)が多く、たけのこの産地として知られていたそうです。たけのこの生産は昭和初期ころまで続き、一帯の竹林にはすずめが多く飛び交い、いつしか「すずめのお宿」と呼ばれるようになった、とか。
 やがて付近が宅地へと変わっていき、たけのこの生産も見られなくなってきました。そのような中、地元の一住民の遺志により、没後ご自身の所有地が寄付されることになり、目黒区により公園として整備され「すずめのお宿緑地公園」として1981年4月1日に開園しました。
 公園には、かつてのたけのこの産地であることを思わせるような竹林がありました。昔、数千羽というスズメのねぐらになっていて、付近の人々はここを「すずめのお宿」と呼び、朝はいっせいに飛び立ち、夕方には一団となって帰るスズメを、農作業の行き帰りに眺めたと伝えられています。
 そんな風情を感じさせるように、スズメなどの小鳥のさえずりが聞こえ、辺りも静寂で、心地よい静かな公園でした。しっとりと雨に濡れて緑が冴えて、車の音も聞こえない、いよいよ「忙中閑あり」の心地でした。
 その竹林の奥の一角に、この付近にあった古民家を移築・復元し、農村だった当時の暮らしぶりを再現しています。この古民家は、江戸時代中期に建てられた、旧家・栗山重治さん宅を公園に移築復原したとのこと。
 この家は、江戸時代には代々「年寄り」という役職を務めた家柄であり、その屋敷は、一般に許されなかった「長屋門」を前面に配置し、屋敷林におおわれた格式のたかいものでした。区内には碑文谷、中根などにもこうした村役人階層の屋敷構えの面影を残している民家が今も残っているそうです。
 お邪魔すると、二人のボランティアの方が建物の中から出てきて、いろいろ説明してくれました。薄暗い灯りの中、囲炉裏やかまどが昔ながらのままにあって、郷愁を誘うたたずまいでした。梁もしっかり太く、まさにいぶし銀とも言えるような趣でした。
 ところで、目黒には、このタケノコにちなんだ風習があったそうです。昔は、ふだん日常生活用品はつけで買い、年末に支払うという習慣がありましたが、ここでは筍を売ってお金が入った時支払うという、目黒らしい風習があった、とか。
 目黒といえば、サンマ。でも、それ以外にもすばらしい食べ物と自然と人々の暮らしがあったのですね。
 ところで、西小山駅から歩いてしばらく行くと、緑道があります。「立会川緑道」。
京急で「立会川」という駅がありますが、その川の上流がこの辺り。
 立会川(たちあいがわ)は、東京都目黒区および品川区を流れる二級河川。昭和20年代までは、小魚やザリガニがいるきれいな小川で、地元の子どもたちの絶好の遊び場だった。しかし、高度経済成長とともに川も濁って、すっかり昔の面影はなくなってしまいました。
 その後、2002年7月から水量の確保と水質の改善を目的として、東京都とJR東日本がJR東京駅総武線トンネル内に湧き出る地下水の立会川への送水を行うようになりました。これによって川の水質が大幅に改善し、2003年にはボラが大群で現れ話題になった。西小山駅付近は、道路(立会道路)や、緑の豊富な遊歩道、公園となっています。
 この川。碑文谷池と清水池に源を発して、南東方向へ流れ、大井町駅、立会川駅付近を流れ、東京湾に注いでいます。
 名称の由来には、いくつかあるようです。
①その昔、川を挟んで小競り合いが会った事から「太刀会川」とした。
②鈴ヶ森刑場へ送られる罪人を立会川を挟んでその親族や関係者が最後に見送る(立ち会う)事から「立会川」となった。
③中延の滝間(たきあい)という地を流れていたので滝間川(たきあいがわ)と呼ばれ、それが現在の立会川に変わった。
 果たして真相は?
公園の由来書き。
立会川緑道。
緑道にあった苔に覆われた桜の古木。長い時の流れを身近に感じます。
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最近政界ではやること

2010-10-21 21:00:42 | つぶやき
都知事選に舛添氏と東国原氏? 自民・石原幹事長が発言(朝日新聞) - goo ニュース
 今の政界。大向こうの受けを狙って、あることないこと、ないことないこと、すぐ公にされてしまう。おちおち電話も出来ないようです。
 何しろ話したことが、すぐ公にされてしまって、どこまで真実なのか、国民は分からないまま、報じたマスコミに右往左往。ついでに当事者も・・・。
 つい最近は、官房長官との会話が国会で暴露。カンカンになってしまった。でもあながち外れていないような・・・。
 これも同様。当事者二人はカンカン。おやじも巻き込んでの話だから、石原さんもピンチ、と思いきや、これが意外に核心を得ている感じ。
 さらに、鳩ぽっぽ兄弟。内輪話を暴露して、またまたド顰蹙模様。蓮舫さんもすっかりコケにされた感じ。これで都知事選出馬はなくなった、何しろこの問題兄弟に持ち上げられてしまっては・・・。
 今度は、酒の席での話と寝言とかが暴露されていくに違いない。誰も誰も、口が軽いのか、底の浅い信頼関係なのか、まさに寝首をかかれるご時世。
 これでは、庶民のうわさ話、内緒ばなし。チクリに、暴露にと変わらないレベル。いずれも、いずれも・・・。
 それにしても、菅さんの元気の無さが気にかかります。
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千曲川でサケの遡上確認

2010-10-20 17:17:13 | つぶやき
 今日の朝日新聞の夕刊。「千曲川でサケの遡上が確認された」との記事。この前、読書120「水が消えた大河でーJR東日本・信濃川大量不正取水事件ー」(三浦英之)現代書館で紹介した、その後のようす、地元の喜び、驚きが目に留まった。
 その後、中流の水量が増え、また遡上する魚(サケ)のために魚道を改良して上りやすくしたことなどによって自然が取り戻された。記事にもあるが、動植物など、自然環境、自然の復活力は驚異的なものがある。人間の都合によって(JRの発電用ダムは、電車への送電であり、都会に住む人間のため)つくられた川の荒廃。それも長年の不正取水が明らかになって、ようやく見直される・・・。
 地元の、多くの人々の地道な取り組みが、今後も信濃川上流の自然環境復活へのきっかけになることを思う。
 
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「今日は何の日」を考える企画

2010-10-19 21:47:16 | つぶやき
 今日の日めくり。19日は「トークの日」とありました。語呂合わせ文化も立派な文化。そこで、1日から31日まで「○○の日」にしてみました。
1日 ナンバーワンの日(いきなりたいしたことがなさそうな)。
2日 二日酔いの日(別名胃薬の日)。アヒルの日。
3日 坊主の日(僧侶の日だとちょっと高級)。太陽の日。
4日 死を考える日(人生にとって大事です)。
5日 GOGOの日(何だかよくわからない)。
6日 浅草ロック(座)の日(?)。
7日 パチンコの日(777。かなり古くからある)。質屋の日。ウルトラマンの日。
8日 末広がりの日(言うまでもありません)。蛸の日。
9日(10月9日)ジュークボックスの日。
10日(10月10日)目の日(これはありそうな)。眼鏡の日。魚の日。便器の日。
11日 下駄の日。犬の日(これもあるような)。
12日 干支の日。
13日 階段の日。父の日。倒産防止の日。
14日(10月14日)ジューシーな日(よくわからない)。
15日 銃後の守りの日(戦前にはありそうな)。囲碁の日。
16日 イチローの日(相変わらず大活躍です)。
17日 盗難予防の日。トナーの日。
18日 頭髪の日(これはしっかりあります)。
19日 トークの日(これはあり)。塾の日(今や親も子も大変)。
20日 庭の日(たまには庭を眺める余裕がないと)。
21日(10月21日)トニー谷の日(?)。
22日 夫婦の日(これはありそう。11月22日は「いい夫婦の日」だとか。余計なお  世話じゃ!)。猫の日。
23日 きょうだいの日(兄を大切に)。
24日 親子の日(特に父子家庭の日でもある)。
25日 双子の日。
26日 浪人の日(でも2浪は辛いものがあります)。
27日 鮒の日。
28日 そばの日(二八そば)。
29日 服の日。福の日。肉の日。フグの日。
30日 自立の日。婚活の日(焦り始める日でも)。味噌の日。
31日 アイスクリームの日。
 
 実にくだらなくて、まさに企画倒れでした。でも、よかったら採用して下さい。
 そうそう、車に乗っていて退屈な時は、前の車などの「ナンバー語呂合わせ」を隣の人とやると暇つぶしになります。
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家庭菜園収穫記録

2010-10-18 21:17:45 | つぶやき
ゴーヤ  43個 (4本)
オクラ  47個 (2本)
ピーマン 100個(以上)(2本)
ナス   11個 (1本) 
キュウリ  7個 (1本)
ミョウガ 20個 (5株)
プチトマト たくさん(2本) 注:( )は、植えた苗の数。
 我が家の夏の菜園収穫記録です。暑かった夏。
 いまだにオクラが花を咲かせ、ゴーヤもまだ元気(葉は、かなり黄色くなったが)。ミョウガも思いがけず収穫がありました。ところがナスやキュウリは去年に比べて収穫が減りました。
 近所では、ゴーヤが元気がよくなかったとかで、早々と取り払われていました。我が家と同じように西側の窓際に植えてあったのですが・・・。
 暑いとか日照りとか水をあげるとか微妙な心配りが大事なようですが。といっても、こちらはただ時々水をあげるくらい。あとは収穫するだけ。
 ほとんど、我が家のおかみさんが、実に丹誠込めて世話しておりました。炎天下をものともせずに頑張っておりました。その代わり、腕は真っ黒に日に焼けてしまっています。
 庭先のプランターでの栽培です。写真は、7月10日頃のゴーヤ。再掲しました。   
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読書121「都合のいい『うつ』」(上野玲)祥伝社新書

2010-10-15 21:37:10 | つぶやき
 都合のいい「うつ」=新型うつ。勤務中は仕事が手につかず、勤務態度もよろしくない。しかし、勤務時間外には個人的な趣味や交際に積極的。なかには、「うつ」という診断書を貰って休職を申し出る。その間、自宅療養、通院など治療に専念すると思いきや、海外旅行や資格獲得に精を出す。そんな社員が増えている、とか。
 そういった「うつ」を口実にして、勤務を免除され、羽を伸ばすようすを垣間見て、会社の同僚や上司、部下の人たちが、彼らへの不満・疑い・怒りが渦巻いてしまっている。
 マスコミ・評論家の、「新型うつ」という新たな病気の出現を声高に主張する風潮の中で、専門医や製薬会社の思惑も含めて、従来の(古典的な)ように診断されるうつとは異なってはいるが、「新型うつ」の「うつ」であることには間違いない、として診断し、投薬を中心とした従来からの治療法を行う。
 さらには、本人のためを思って、その申し出によって、「○○ヶ月の病気休職」というような内容の診断書を発行する。本人は、それを会社に提出し、晴れて休職期間。ところが、休息・休養どころか、その期間、これまでの鬱状態が嘘のように、伸び伸びと趣味などをエンジョイする・・・。いっそのこと、あれこれ理屈をつけて解雇してしまえ、という経営者も出て来るしまつ。そうした「新型うつ」、若い年代に多いとか。
 この書。ご本人もうつと苦しみながら闘ってきた方。こうした新型うつばやりで、かえって「うつ」で苦しんでいる人まで誤解され、薬漬けになったり、休職も出来ず、職場を追われてしまう、そして適切な治療も受けられなくなる、・・・。そういう風潮への警告の内容を持つ。  
 私の知人がうつ病になって休職となった。端で見るのも気の毒なくらいの気分障害、なかなか症状の改善に合う薬がなくて、何ヶ月もまさに「死」ぬ思いの状態。やっと合う薬があって、次第に改善され症状が緩和された。
 医者も、もう大丈夫ということで薬もなしということに。通院しなくなったとたん、今度は躁状態。毎日・毎晩、ハイな状態で飛び回り、結局残ったのは、多額の借金。やっとそれもおさまり、再び通院生活。二極型の「そううつ病」との診断。
 今は薬こそ飲んでいるが、仕事をこなせるようになって、やっとほぼ通常人の生活に戻った。気がついたら、すでにあしかけ8年。
 そういう状態になったケースを見ているので、この書の内容に関しては、現実的な読み方になってしまう。たしかにこの書で取り上げられている具体的なケースは、実際に見てきた「うつ」とは違う。
 うつから躁転したケースではないかとも思う場合もあるが、もともと他者との関係の中で自分自身を責める(追い詰める)中で発病する、といううつ診断の埒でははかれない感じもする。
 筆者の個人的経験を交えながら、さまざまな方面の方(精神科医から社会学者など)へのインタビューをもとに、実例を挙げながら論じている。それなりの批判も出て来るだろう。読者も内容をすべて鵜呑みにするのではなくて、筆者の視点(立ち位置)をふまえながら、自らの頭で読み進める方がいいだろう。
 都合のいい「うつ」は、本人にとって、医者にとって、薬屋さんにとって、会社にとって、そして日本社会にとって「都合のいい」ことになっていく。そして、本当に苦しんでいるうつ患者を切り捨てていくことに・・・。その一番は、うつを生み出すゆがんだ、日本の社会を見直すことを嫌う人々にとって「都合のいい」ものになっていってしまう、そこに目をつけることが大事だ。

  
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東急・池尻大橋から小田急・梅ヶ丘まで

2010-10-14 22:56:10 | 河川痕跡
 目黒川(めぐろがわ)。東京都世田谷区、目黒区および品川区を流れ東京湾に注ぐ河川です。
 河口付近では古くは「品川」といいました。河口付近の流れが緩やかであったため、古くは港として使われ、品の行き交っていた川でした。これが「品川」の起こりとされています。
 世田谷の三宿付近で北沢川と烏山川が合流して目黒川となり南東へ流れ、品川区の天王洲アイル駅付近で東京湾に注いでいます。
 この間、東急・池尻大橋駅から目黒川(せせらぎ緑道)をさかのぼり、小田急・梅ヶ丘駅まで歩いてみました。目黒川は、起点(北沢川と烏山川の合流点)から国道246号の池尻大橋までの区間は暗渠化されていて、地表部分には人工のせせらぎを抱いた緑道(目黒川緑道)が整備されています。カルガモや鯉、ザリガニなど様々な生物が棲みついています。「国道246(青山通り)」を越えた南側下流は、大きな流れになっています。「清流復活事業」として、目黒川を流れる水の大部分は、新宿区の東京都下水道局落合水再生センターで下水を高度処理したものを導いているとのことです。
 烏山川と北沢川(北沢用水)との分岐を過ぎると、北沢川緑道。桜並木が続く道になっていて、車も通らず、自転車も禁止で、気持ちよい散歩道になります。春になると、さぞかし見事な「桜満開」という風情を感じさせます。
 途中、環七を横切りますが、その辺りが、「宮前橋」。かつてのままに橋の名前が次々と出てきます。かつての流路のうち、梅ヶ丘駅南から烏山川との合流点下流までの間は、世田谷区の「ふれあいの水辺事業」により、暗渠の上に人工のせせらぎが再現されているわけです。
 梅ヶ丘駅北。赤堤通りに面して「東京都立梅ヶ丘病院」がありました。この病院は、東京都立都立精神科病院でした。
 さらに、児童・思春期精神疾患の専門病院として、治療対象疾患は、発達障害圏(広汎性障害、アスペルガー障害、自閉症、多動性障害・ADHD、学習障害・LDなど統合失調症、摂食障害、睡眠障害、チック障害、行為障害、虐待など幅広く、またより深く取り扱っていました。
この病院の前身は、斎藤茂吉の義父斎藤紀一の設立した青山脳病院(1907年開院)。当初は青山にありましたが、1924年失火によって全焼し、1926年に現在地へ移転しました。(青山にあった分院は、1945年の空襲で全焼)。
 1926年には茂吉が院長に就任しました。1945年(昭和20年)3月に東京都に移管され「東京都立松沢病院分院」となりました。その後1948年(昭和24年)4月に児童患者の入院を開始し、1952年(昭和27年)11月に「東京都立梅ヶ丘病院」となりました。1974年(昭和49年)6月に小児専門病院としての性格が明文化されました。
 その後、2010年3月1日、東京都立清瀬小児病院・東京都立八王子小児病院と統合し、東京都立小児総合医療センターとなることに。当院の移転は3月6日に行われました。
 世田谷区としては、この跡地を地域の福祉・医療等に役立つような計画を立てているようです。  
 斎藤茂吉の碑が、病院の入り口近くに。周囲を工事用のパイプに覆われ、人知れず置かれてありました。
池尻大橋からの北西・目黒川緑道の入り口付近。
烏山川から分かれて北に向かう北沢川。このあたりは、素敵な桜並木が続きます。
暗渠になった地上には、浄化された下水道が流れています。
環七を渡ります。宮前橋。
梅ヶ丘駅北側の緑道。北沢川の名残です。
梅ヶ丘病院正門横の斎藤茂吉の碑。
往時を偲ばせる古木。
 直線距離にして約3キロ。歩いて約1時間の散歩でした。
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天童おもしろ発見

2010-10-12 20:26:05 | つかのまの旅人
 昨日、ちょっとした会議があって天童に行きました。駅から会場、そして昼食もそこそこに会議。何となくまとまって再び天童駅に。というわけで、ゆっくり観光する暇もありませんでした、残念! 
 東京行きの新幹線まで少し時間があったので、駅の周辺をちょっぴり散策。そこでのおもしろ発見。例によってケイタイで撮ってきました。その数々を。
 天童といえば、将棋の街。将棋の駒生産日本一。将棋になぞらえたモニュメントや催し物が多い街。市内の案内図も将棋の駒の形をしています。
橋の欄干には「王将」。王将以下、すべての橋には、将棋の駒がモニュメントとして。
歩道には、詰め将棋が。
鋪道上で、熱くなる。
 そういえば、ここのイベントとして有名なのは、人間将棋です。
将棋も盛ん。今度大きな大会があるとか。駅入り口にある将棋の会館。対局していました。
 そしてしゃれの街。
駅改札口前の食堂のメニュー。「天丼とラーメンセット」この取り合わせ。しゃれています。天丼=テンドウ=天童というわけ。でも、ちょっと引きますね。
いつやる大会なのかどこにもないが、駅のホームにさりげなくあった、こののぼり。LOVE ME TENDO
「全国くちびる美人コンテスト」とか。いったいどういうやり方で?
それでも、さりげなくメイン通りには、芭蕉の碑。「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」。この句を詠んだ山寺はすぐ。
ここは、奥州街道。由緒ある街並みです。
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スカイツリー遠望

2010-10-11 22:35:44 | つぶやき
 昨日から朝方まで激しく降っていた雨も上がって、青空が広がってきた10日。連休の中日、日曜日。もともと体育の日。東京オリンピックが開幕した日でもあります。何しろ晴れになる特異日の日ということで、この日に決めたとか。晴れの特異日は、11月3日も、そうのようですが。
 スカイツリー見物も、午後からはたくさんの人出。それを横目で見ながら浅草通りを走りました。
 帰り際。もう5時過ぎ。夕日が西に傾いてスカイツリーの銀色の鉄骨が光っています。まだまだたくさんの人。押上駅付近、東武線の踏切際にも人がいて、撮影しています。その線路際には、小さな撮影広場もありました。「踏切内は危険ですので、撮影は、広場の方で・・・。」という看板も。ちょっとした物見台もあります。だんだんと配慮するようになった(何しろ危険ですから)のですね。でも、あまり利用者がいません。相変わらず線路際から狙っています。
 少し遠回りして、東に約2キロメートル離れた場所に移動。ここは、東墨田地区。墨田区の東の外れ。清掃工場の近くです。工場も立ち並ぶ地域。ここで、夕日の写真をパチリ。2㌔じゃ、遠望とはいえませんが・・・。工場の向こうにスカイツリーが見えます。日も西に大きく傾き、雲に照り映えています。
右に見えるのが、清掃工場の煙突。
工場も休み。
浅草通り、本所吾妻橋付近から。ここからは見上げる程の大きさ。車の中からパチリ。見上げて必ず目に入るのが、中央の広告塔。絶好の場所ですね、広告価値が抜群では、BOSS
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