おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

旧玉川上水(西新宿三丁目付近)

2011-09-30 23:33:52 | 河川痕跡
 「西新宿三丁目」。車が激しく行き来する広い甲州街道を渡って、すぐのところに玉川上水の跡地と地下にもぐった京王電鉄線の跡地の上に、広い遊歩道があります。文化服装学院(かつては、円筒形の校舎。今は素敵な建物に変わり、大学を併設)を通り、新宿南口の交差点まで、自転車通行禁止の遊歩道。かつてこの辺り、玉川上水と京王線が併行してあったところ。渋谷区立の公園となっています。
 その遊歩道へ行くには、横断歩道を利用せず、甲州街道の歩道橋を渡っていくのが、オススメ。その揺れ方は並ではありません。もう吊り橋みたいな感じ。吊り橋は自分の足の運びで揺れますが、ここは違います。車の振動で下から突き上げるような揺れ方。一瞬ビックリ!地震が来たのか!地に足が付かない感じ!
 歩道側から目を凝らして見ていると、歩道橋は目に見えるほど揺れていました。
天神橋。
天神橋のわきにある「箒イチョウ」。
勿来橋。
千駄ヶ谷橋。
葵橋。この通りは、「葵通り」と称しています。
「アオイ会館」町会の事務所のようです。
煉瓦造りのモニュメント。
昼休み。サラリーマンや学生が行き交う道筋。ここは渋谷区に位置します。左が甲州街道。新宿区側。 
「角筈」という懐かしい地名が付けられた歩道橋。これこそが「揺れる歩道橋」
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古隅田川探訪

2011-09-26 21:51:05 | 河川痕跡
 旧水戸街道散策(といってもママチャリで行きつ戻りつですが)のついでに古隅田川、足立区と葛飾区で、今はすでに流れのなくなった古隅田川を遊歩道として整備し、復元しています。そのようすを見て回りました。
 実は、足立区と葛飾区の区界がこの流れ。蛇行していた流れに合わせて、区界が入り組んでいます。どうしてJR亀有駅から綾瀬駅にかけて区界が複雑になっているのか、地元の方でもその理由を知る方は少なくなってきました。
 旧水戸街道と古隅田川。自転車で約1時間30分のささやかな「旅」でした。
古隅田川の跡。舗装道路ですが、微妙なカーブがかつての水路を連想させます。右が足立区、左が葛飾区。
直線道路に改修されていますが、細い水の流れを再現して、古隅田川を蘇らせています。右が葛飾区、左が足立区。
ところどころに四阿を設置して「出会いの」場「憩いの」場にしてあります。右が足立区、左が葛飾区。
この辺りは、水路も広く、水辺の草花も多くて、かつての古隅田川の面影を彷彿させるような雰囲気です。右が葛飾区、左が足立区。
案内板が埋もれるように設置されいます。両区で整備した割には目立たない場所にありました。
綾瀬川への落ち口。淀んだ水が流れています。
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旧水戸街道(一里塚~水戸橋)

2011-09-25 22:39:36 | 歴史・痕跡
 旧水戸街道。日光街道・千住の宿から分かれて東に向かいます。「陸前浜街道」とも。葛飾区新宿で佐倉街道が分岐します。今日は、亀有・曳舟川との交差点付近にある「一里塚」から荒川の東、綾瀬川に架かる水戸橋までの散策です。
曳舟川(親水公園)との交差点。
一里塚跡からの水戸街道。一里塚の記念碑にあるのは、ご存じ「水戸黄門様のご一行」。
水戸街道沿いにある小学校。「道上」とは、水戸街道のほとり(上)にあるとの意味が込められている?
通称「大曲り」。「旧水戸街道」という標識あり。
西側。遠くに見えるのは、JR常磐線の高架線。
ここにも「旧水戸街道」という標識がありました。
平和橋通りとの交差点から東を眺める。
平和橋通りから旧水戸街道への入り口付近にあった葵の御紋付きの用水桶?
水戸橋への道。平和橋通り方向。
民家の庭先にあった祠。
水戸橋からの眺め。下は、綾瀬川。首都高の橋脚。
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gooニュースの取り上げ方?

2011-09-24 10:26:37 | つぶやき
 今朝のgooニュースの最新政治ニュースの一覧です。時事通信以外、新聞では、一目瞭然、取捨選択のしかたが、徹底した産経シフト。わざわざ評論まで掲載。毎日新聞は0。東京新聞などはないのが、当たり前。
 購読者数が少ないので、せめてここだけでもと、必死に掲載しているでしょう。それも基本的には、民主党政権批判オンリー、自民党路線支持で。朝日などの取り上げ方も、政治的には、一面的。
 新聞を購読せず、インターネットでニュースを閲覧している、特にgooニュースのみでは見方が偏ってしまいそうです。ま、それがgooの狙いなのでしょうが。

玄葉外相、リビア暫定首相と会談 「民主化移行に協力」(朝日新聞)
野田首相の早期インド訪問で一致 日印首脳会談(朝日新聞)
「負の遺産」払拭狙い国際貢献 野田首相、国連総会で演説(産経新聞
「アラブの春」に760億円 首相、国連で円借款表明へ(産経新聞
元外務事務次官・谷内正太郎「安保条約再改定の最大の意義」 (産経新聞
【野口裕之の安全保障読本】在日米軍削減で存在感増す豪州(産経新聞
首相、小沢氏処分見直し否定も側近沈黙 融和人事 効果いつまで(産経新聞
チベット亡命政府首相、訪日計画(産経新聞
首相の年内訪中向け調整確認(産経新聞
首相、南スーダンPKOに意欲 現地調査団、24日出発(朝日新聞)
東北で自然災害国際会議…首相、国連演説で表明(読売新聞)
首相、復興増税たばこ税も検討…早期解散は否定(読売新聞)
首相動静―訪米中(朝日新聞)

 以上、24日になってからの掲載記事一覧でした(ただし、「時事通信」分は除く)。
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今猛烈な雨風です

2011-09-21 18:59:08 | つぶやき
 新宿からの帰り。ものすごい雨風で、都庁内に避難。地下道にまで木の枝が散乱。いつもの雨の日にはあふれかえるような路上生活者の姿が意外に少なくて、かえって心配。
 JRはほぼ全線で運休。小田急も京王もストップ。新宿駅はさぞかし人であふれかえっているでしょう。都営大江戸線は、通常運転。時刻通りに発車しました。ところが、浅草線はだめ、京成線もストップ。さて困った!駒形駅で降りて浅草、押上と歩いて、知人のもとへ。雨風の収まるまで、しばし、休憩。
 駒形橋は凄まじい風雨。今まで経験したことがないような猛烈な風。傘ごと橋桁を超えて、隅田川に落ちてしまいそうな恐怖感を味わいました。暗く荒れ狂う川の流れに落ちたらまったく命はない。
 傘は何とかさしていて持ちこたえましたが、そういうときは傘を閉じて歩いた方がいいかもしれない。やっとのことで、橋を渡り、知人宅に着きました。とたんにお腹が減ってきました。
 駒形橋付近の江戸通りでは街路樹が倒れて歩道をふさいでいます。家の前の鉢植えの木はことごとく倒れて散乱しています。散乱しているというと、傘。ビニール傘がいたるところに壊れて放置。持ち主はずぶ濡れで歩いているのでしょう。
 心なしかこのビルの中にいると、雨風の音もせず、不思議なほど静かです。台風はもう通り過ぎたのでしょうか?
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飛行機の長旅、エコノミークラスは疲れます

2011-09-18 18:18:50 | つかのまの旅人
 パナマからロス、そこで1泊。翌日、ロスから成田。約6時間30分と約10時間30分。太平洋を越えて、中米まではなかなかの長旅。ましてブラジルまでは、気が遠くなりそうです。9月11日を控えて、アメリカ入国も出国もロサンゼルス空港は、厳重な検査体制。パナマ空港も同じでした。成田での帰国は、日本人ということもあってか、スムーズに進みました。
 靴を脱ぐのはもちろん、ベルトもはずす。荷物もがさがささぐられる。両手をあげてエックス線?を通過。アメリカの入国審査は英語。パナマでは、スペイン語。(どちらも観光目的というだけですが、片言で何とか通過。)アメリカ・ロス空港。日本から、パナマからと二度入国。入国審査官はいかつい連中が目立ち、腰にはむき出しの拳銃。麻薬摘発のための犬がうろちょろ。
 携帯電話を取りだしてやりとりしたり、写真でも撮ろうものなら即、尋問されるので要注意、とか。渡航前に注意されました。厳しく質問されても、素直に応じること、少しでも不審な言動があると別室に連れて行かれるので、とも。ぴりぴりするのもわかります。
 ちょっと脇のカウンターで大きなカバンを開けられ、衣類から何まで、中のものを全部引っ張り出して厳しく検査を受けていた外国人もいました。
 機内は狭い。日本国内の飛行機と同じような座席のつくり。大きな外国人は大変でしょう。靴を脱いでスリッパを履き、少しは足元をリラックス。エコノミークラス症候群にならぬよう、トイレに行ったり、足をぐるぐる動かしたり、・・・。通路側に座らないと出入りにも迷惑をかけてしまう。ああ、もっとお金を使って上のクラスにすればよかった! 後の祭りです。
 食事は二度出るし(豪華ではありませんが)、飲み物はアルコールを含めて自由に注文できるし、でも、シートベルトが腹に食い込んで痛い痛い、体勢を変えようにも限度がありました。
 テレビは映画から音楽からゲームまでといろいろありますが、飽きてしまいます。それに、特に往路は、台風12号の影響でずーーと揺れっぱなし(行っている間に紀伊半島を中心にとんだ被害が出るとはつゆ知らず)。寝るに寝られない!
 というわけで、時差ぼけというより、帰国してから身体中が痛くなってしまった。
 それでも、空から見る景色は最高でした。雲、雲。抜けるような青空。一面茶色の砂漠と遙かかなたまで澄んだ碧の海岸のコントラスト。アメリカ大陸の大きさも実感。
パナマの国際空港。
出国手続きへ。
コパエアーラインズ。
カリフォルニア半島。砂漠地帯。
ぽっかり浮かんだ雲の姿が、そっくり地上に写っています。
海岸近くに迫る砂漠地帯。
 
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ロス市街の遠望

2011-09-17 23:24:16 | つかのまの旅人
 天文台から眺めたロスの街並み。夕暮れ時から夜が最高のシチュエーション。ちょっと早めでしたが、落ちかかった夕陽に、遙か遠くまでロスの市街地が見下ろせました。
 向こうの丘の上に設置された有名な「HOLLYWOOD」の巨大なサインも、谷間越しに見えました。
写真では見にくいですが、中央奥の鉄塔の下にあります。肉眼でははっきりと見えました。
グリフィス天文台。広々とした芝生の前庭。子供連れの夫婦やカップルが散歩したり、芝生で寝ころんだり、ボールゲームを楽しんでいたりしていて、実にくつろいだ雰囲気でした。
天文台の一角からロスの町を遠望。夜景は見事だろうと想像するばかり。見える広さは関東平野くらいはあるとか。
天文台のある高台からジョギングで下って行く人、ゆっくり歩いて下る人、ここでも思い思いの楽しみ方です。
 
 ハリウッドの北に位置するグリフィスパークは、敷地面積が4000エーカー以上もある自然公園。とてもロサンゼルスという大都市の中にあるとは思えないほど、豊かな自然が保たれています。その公園の丘の上には、日本でも見かけるようなクラシックな建物、天文観測用のドームをもつグリフィス天文台(Griffith Observatory)があります。
 建物内には最新技術をもつプラネタリウムやお洒落なカフェなどが入っています。やはりなんと言っても夜景がキレイなこと。ちょっと時間が早くて残念でした。
 映画「理由なき反抗」や「ターミネーター」のロケ地としても有名だそうです。
 公園を少し下がると、グリークシアター(Greek Theatre)。この日は公演があるようで、続々と車が上ってきました。
 この他にも、アメリカン・ウエスト博物館(Museum of the American West)、ロサンゼルス動物園(Los Angeles Zoo)、ゴルフ場、テニスコート、乗馬コースなどもあるので、1日かけて遊ぶことができるとのことでした。
 今度また来る機会があったら、ゆっくりと歩いて下りてみたいものです。
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自民党に有利な献金制度ではなかったか

2011-09-16 00:22:25 | つぶやき
外国人献金 穴だらけの政治資金規正法 献金ダメでもパー券はOK(産経新聞) - goo ニュース
 例によって産経の記事。いかにも民主党が法の網をくぐっているかをあげつらっています。大手企業、企業団体からの企業献金が中心の政権党の自民党と企業団体からの献金も少なく、個人献金が中心の民主党などの野党。なかなか個人献金が進んでいかない。当時の自民党は企業献金で潤って、わが世の春。外国企業からの献金も、OK。
 政治資金規正法は、世論の厳しい批判をうまく逃れるために、それでいて自民党に有利なようにざる法にしていたのではないのか。そこの検証を抜きにして民主党こき下ろす手法。産経ならではです。
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ロス、ハリウッド

2011-09-15 23:32:56 | つかのまの旅人
 HOLLYWOOD
 パナマまで直通の飛行機便はありません。成田からロサンゼルスに飛んで、乗り換えです。ロスまではANA、パナマへはコパでした。
 ロスといえば、ハリウッド。アメリカのお上りさん達とビバリーヒルズからハリウッド周辺をつかの間の観光。皆と同じように写真を撮りました。
目抜き通り。「エル・キャピタン(英:El Capitan)」。
 もともとは、カリフォルニア州マリポサ郡、ヨセミテ国立公園にある花崗岩の一枚岩のこと。ヨセミテ渓谷の北側にそそり立つ。谷床からは約3300フィート(約1000メートル)あり、花崗岩の一枚岩(モノリス)としては世界一の大きさ。南西壁及び南東壁には数多くのクライミングルートが切り開かれており、ロッククライミングの名所として知られています。
 このビルには、ディズニーシアターなどいろいろなエンターテインメント施設が入っているようです。
チップの習慣に不慣れだと何かとめんどくさい。握手してもまして写真を一緒に撮ろうものなら1ドル紙幣が何枚あっても戸惑うばかりです。マリリンモンローのモニュメントで写真を撮ったお上り日本人がいました。
ひときわ目立つ建物。
ホテル近くの通り。明るい爽やかな日の光です。
車社会でもここはその典型。広々とした通りをいろんな車が・・・。思った以上に小型車・中型車が目立ちます。トヨタ、ホンダ、そしてヒュンダイなどがけっこう走っていました。
観光で利用したリムジン。はじめて乗りましたが、車の中は長いシートで座り心地は今ひとつ。飲み物が用意されていて寛いだ雰囲気にはなりますが。
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パナマ・ビエホ

2011-09-13 23:00:19 | 歴史・痕跡
 2003年の第27回ユネスコ世界遺産委員会パリ会議において、文化遺産に登録された「パナマ・ビエホ」の古建築群。同じパナマシティ内にあるカスコ・ビエホが1997年に文化遺産として登録されたことを受け、あわせて再登録されました。
 現在、古建築群が立地ないし埋蔵されている280,000m²にも及ぶ広大な地域は、歴史公園として管理されています。
主な建物群として主要なものだけでも8つの宗教施設が残されています。
 公園の中央を自動車道路が通っていて、その左右にさまざま石組みの建築物が点在しています。基盤だけのものが多く、その上部は焼けただれ、戦乱によって焼失させれたことが分かります。車をゆっくりと走らせながら(といっても、ただの渋滞ですが)、そのようすを見物しました。
 道路の右側は波打ち際です。
 写真は、大聖堂(Catedral)と鐘楼。南北55m、東西最大35mの規模を持つ町の象徴的建物。ここには車から降りて立ち寄りました。
 ここは、パナマの町が最初に造られたころの中心地(広場)。
 町の設立当初、16世紀初頭には小規模な木造建物でしたが、1619年に現存の石組み建物が建設されたという。建物は南北方向に長く南に祭壇があり、左右に付属礼拝堂。また、祭壇の右奥に高さ33mの鐘楼(Torre)が敷設されています。鐘楼は2006年4月に修復5ヵ年計画が完了し、本来内部は吹き抜けだが階段を設置して展望台として一般に公開されていました。
 女子修道院(Las Monjas de Concepción)
 貯水タンク(Aljibe)
 コンパニア・デ・ヘスース修道院(Compañía de Jesús)
 オスピタル・デ・サン・フアン・デ・ディオス病院(Hospital de San Juan de Dio)
 サン・フランシスコ会修道院(Convento de San Francisco)
 テリン邸跡(Casas Terrín)
司教館(Casa del Obispo)
 西の建物群(Casas Oeste)
 サント・ドミンゴ修道院(Convento de Santo Domingo)
 ジェノバ人の家(Los Genoveses)
 統治府(Casas Reales)
 町議会棟(El Cabildo)
 メルセー修道院(Convento de La Merced)
 マタデーロ橋(Puente del Matadero)
クリスマス砦(Fuerte de la Natividad)
 王の橋(Puente del Rey)
 サン・ホセ修道院(Convento de San José)
 これらの建物群が保存されています。
 パナマの町が成立したのは、1513年に若きスペイン人探検家バスコ・ヌーニェス・デ・バルボアが現在のパナマ東部ダリエン地域からパナマ地峡を横断し、現在のダリエン県都ラ・パルマがあるサン・ミゲル湾で太平洋を「発見」したことに端を発します。
 一説によると、その後1515年に現代のパナマ・ビエホ地区を訪れたアントニオ・グスマンという探険家が、砂浜で出会った青年漁師に地名を問うたところ「パナマ」と答えたことからその沿岸地域一帯をスペイン領パナマと命名したといいます。
 後になってパナマとは現地インディヘナの言葉で「海産物が豊かに取れる場所」という意味であることが分かっています。
 その後1519年8月15日にスペイン王室からパナマ地方の総監兼総督に任命されたペドロ・アリアス・デ・アビラ によって、現在のパナマ・ビエホに太平洋沿岸で最初のスペイン植民都市が成立しました。
 16世紀初頭は300人程度のスペイン人のみを抱える都市として始まりましたが、17世紀後半の海賊襲撃時には人口は12,000人にも膨れ上がりました。当時から友好的なインディヘナたちをキリスト教化しながら、また一方ではスペイン人統治に反対する者には黄金輸送などの強制労働などを課した。混血も早い時期から進み、町の人口増加に拍車をかけました。
 パナマの町は、成立初期はバルボアの部下としてパナマにやってきたフランシスコ・ピサロが、現地インディヘナたちの情報を元にパナマから3艘の船に乗って南米のインカ帝国を滅亡させるなど、政治的にもより多くの黄金獲得と植民都市成立のために中米や南米諸国に探検家たちを旅立たせる拠点としての役割も担い、その後、南米からの大量の黄金やボリビアのポトシ銀山の銀を海路で、また陸路でカリブ海へ運ぶ中継地点として栄えてきました。
1671年1月28日、町に侵入したイギリスの海賊ヘンリー・モーガン一味は当時、黄金交易でにぎわっていたパナマの町に火を放って(諸本によると、パナマの総督が逃げ失せるために自ら町に火を放った)、黄金を略奪しました。
 海岸線に建物がひしめき合うように立地するパナマの町は、殆ど防御施設を持たなかったために2月24日まで(現地をみた他の海賊の証言では4週間以上)町全体が火に包まれたとの記録が残っています。
 その後、町は復興されることなく、2年後に高台で以前から移転計画のあった西に約11km離れた現在のカスコ・ビエホ地区に町の機能をすべて移転させました。このときに焼け残った公共建物や宗教施設で使用されていた石材が持ち運びだされ、再利用されています。
 現在でも見られるものとして、西端に位置するメルセー教会正面の彫刻が施された化粧石、大聖堂の正面壁面の石材などがあります。 町の再建が断念された理由としては海賊の襲撃が致命的であったこと。しかし、それ以前の1621年にパナマを襲った地震の被害が甚大であり、復旧を援助してもらうためにスペイン王室に費用負担を申し出る書類が確認されています。
 再建が断念されたかつての町は、後に各宗派が新しい町での施設再建のために残存建物から建築部材を切り出す作業に従事するインディヘナたちの居住地となりました。危険を伴う作業であったために解体石材の下敷きになる事故が多発しました。切り出された部材は満潮時に近くの海岸から筏に乗せられて運ばれました。一連の工事が終了した後は、パナマ建国までのおよそ300年間、スペイン人がやってくる前の状態に戻っていきました。
(以上、ウィキペディアによる)
鐘楼。
雨期のせいか、一日に一度は雨が降ります。じきに雨模様になりました。けっこう激しい雨です。
海岸沿いの遺跡。遠くに見えるのは、パナマ国際空港に向かう高速道路。翌日の帰り。高速道路から鐘楼が思いがけず身近に見えました。
ホテルからのけしき。対岸にカスコ・ビエホの街並みが見えます。教会の尖塔を中心に赤茶色の瓦屋根が続き、南欧的な雰囲気の町です。
パナマの新市街地。高層ビルが建ち並んでいます。工事中のビルも目立つ反面、廃墟となったような建物も目立つ、新旧ごちゃごちゃの町です。海岸際にはスラムも。
 パナマ・ビエホ付近にもスラム街があって、昼間でも外国人観光客は単独ではけっして足を踏み入れてはならないところもあるとのこと。貧富の差は激しい。
日本にもあるようなショッピングモール。ヨーロッパのブランド店も多く出店していました。
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ガトゥン湖

2011-09-11 22:14:15 | つかのまの旅人
ガトゥン湖は、パナマにある人造湖。パナマ運河の水利機構を構成している。船で横断する際の距離は43.5km。
ガトゥン湖は、1907年から1913年にかけてパナマ運河に隣接するようにして流れるチャグレ川にガトゥンダムを造成したことにより形成され、その当時では人工湖として世界最大であり、ダムもまた世界最大であった。
 湖水面の海抜は26m。12月下旬から4月上旬の乾期には、閘門(カナルロック、水門で区切られた部分)に湖水が供給され、水位調整に使われる。湖が造られるのにともなって、多くの村々が水面下に沈んだ。島に見えるのはもともとは丘陵の頂上部分。そのなかで最も大きい島はバロ・コロラド島と呼ばれ、国の自然保護区域になっている。
 パナマからコロンまでの途中にあるリゾート施設。そこに立ち寄り、モーターボートで湖を周遊した。野生のサル、イグアナ、ワニなどが生息する自然公園地区。雄大な自然の景観と動植物に感動。パナマは、自然保護において、世界有数の国。
 樹上にいるイグアナ(船着き場にもいましたが)、サルの集団(船長が餌を与えると、船上にまでやってくる)、湖に垂れ下がった樹林の下に小さなワニ(大きいワニに成長するまでには、その多くはイグアナやその他の動物に食せられてしまうとか)などとの出会いがありました。
中央にいるのがサル。
ガトゥン湖の湖水。大型船舶が航行する湖面を船長は巧みにボートを操っていく。
高級リゾート施設。主に外国人観光客(英語国民?)を対象としたホテル。プールやスパもある。
よく手入れされた豊かな木々に囲まれています。
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CANAL DE PANAMA

2011-09-09 22:29:48 | つかのまの旅人
 パナマ運河は、パナマ共和国とアメリカ合衆国と運河建設条約を結び、アメリカによって建設され、1914年開通。1977年の条約によって、運河はパナマに引き渡されることになって、1999年12月31日正午から、パナマ共和国が運河の経営、運営、維持を全面的に引き受け、現在は、パナマ運河庁(ACP)が運営している。全長約80㎞。
 開通以来、太平洋とカリブ海(大西洋)を結ぶ「海洋の近道」として世界各国から百万隻以上の船舶が通過している。
 運河は、それぞれ両方向性を持つ3つの閘門施設(「Locks」)で構成されていて、船舶を海面から海抜26㍍にあるガトゥン湖まで引き上げ、中央山脈を通り抜けて地峡の反対側に着くと、再び海面まで下げる。ちなみに第三閘門室のサイズは、長さ約430㍍、幅55㍍。
 世界貿易の需要増加、さらに船舶の大型化に対応するため、キャパシティを倍増する拡張工事が進められ、2014年に完成の予定。
 実際に見学したのは、太平洋側にある「Miraflores Locks」。タイミングが悪くて遠くに船舶が進入してくるのを眺めていただけ。残念! 
 でも、左右に開く閘門の大型で強固さ、湖と水位の差にびっくり。
 閘門に船が入って来ると、左右のレール上の気動車が引っ張っていく。岸壁ぎりぎりに迫る大型船舶を見事に操りながら進む。
 見学するにも、厳重な警備体制で荷物検査を受けて、入場させるなどきわめて重要施設であることを感じた。それにしても、日本人向けのパンフがあるとは・・・。
鋼鉄製の扉。観音開きのようになります。右手も同じ。船の大きさによってどちらかをもちいるようです。ミラフローレス湖の水を引き入れたり、排出して閘門室内の水を調整します。
湖水にたまる土砂を採取する船。
パナマとコロン(運河のカリブ海側に位置する)を結ぶ鉄道線。100年以上の歴史があるとか。併行して自動車専用の橋が架かっていますが、何と一台が通れるだけ。それも鉄の橋に自動車の轍に合わせて木を渡したもの。ぐらぐら揺れて恐い、恐い。
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パナマ運河

2011-09-08 22:59:07 | つかのまの旅人
 ロスまで成田から10時間。そこからパナマまで6時間半。地球は広い。やってきましたパナマ。日本人がよく来るのでしょう、日本文のパンフレットがありました。パナマには「日本人学校」もあるそうですから(ただし小学生中学生で12名とか)、日本人の滞在者もけっこういるのでしょう。
 帰りも同じ空路。ロスを今日(現地時間7日)12時30分に飛び立って、10時間余り成田に着いたのが今日(8日)の午後4時前でした。
運河につながる湖上。大型のタンカーなどがひっきりなしに行き来しています。
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