おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

社民党、分裂含みか

2010-09-30 22:42:42 | つぶやき
社民党内に連立復帰論も 北海道5区補選では民主推薦(朝日新聞) - goo ニュース
 普天間の問題で国外・県外の原則を貫き、いさぎよく政権与党から離脱していった社民党。政権与党のうまみが忘れられず、また民主党にすり寄っていく、参議院選もだめ、おそらく何年後かの衆院選でも負けることだろう。すでに過去の政党と化してしまったか、残念ながら。福島さんも弁護士稼業に戻って、TBSラジオの人生相談で・・・。
 あとは、分裂あるのみ。労組からも市民運動からも見捨てられた、なれの果てか。自浄努力・作用のなくなった組織ほど、憐れなものはなさそうだ。民主党ももう相手にしないのではないか。選挙では利用するだろう、それでも、参議院選での裏切りは、けっして忘れないだろう。
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だからどうした?

2010-09-28 22:32:08 | つぶやき
ジョンウン氏のスイス留学時代のビデオ入手(朝日新聞) - goo ニュース
 少年時代のビデオを手に入れたことがどれほどのことなのか? 入手するための費用や時間、それらが新聞代や広告費から出ていると思うと情けないことだ。
 かつては、麻生さんが夜な夜な出向くバーに記者が出かけていくらかかったとか、昨日は、FD改ざんで試してみて意外に簡単だとか、ことの本質を外れて嬉嬉としている、それと同じ性質の内容。デスクは、そこに疑問を感じないだろうか。
 ①麻生さんの場合は、ひとたび、重大かつ緊急事態が起こった時に、毎晩酒を飲んで正確な国家的判断が出来ないことを少しも指摘しない。
 ②大阪特捜部の件は、遊び感覚という検事の証言がいかにおかしいかという検証。筋書きに沿った強引な調書作成、悪しき特捜体質を追求せず、簡単にできるとは何事か。
 ③近代国家にあるまじき世襲制、そうせざるを得ない北朝鮮の置かれた厳しい状況を突かずして、キム何とかを持ち上げているかのような表現。ガキの頃の映像、なんぼの価値があるのか?
 嘆かわしい新聞・マスコミの現状よ! 
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しとしと降る雨になおさら秋を感じます

2010-09-27 21:35:09 | つぶやき
 先週末から、東京地方も雨続き。激しい夜来の雨上がりにはすっきりした秋空が広がった土曜日。日曜も午前中は晴れ間も見えましたが、夕方からはまた雨が降りはじめて、雨音も夜中じゅう聞こえていました。今日も一日、雨模様。秋雨前線、真っ盛りという気配です。
 けれど、一頃のようなゲリラ豪雨とは違って、しとしと降る雨は、実に雨らしい感じです。空気もぐっと冷え込んで、連日の猛暑が嘘のよう、15度近くも一気に下がってしまった。
 20度以上あっても、体感的にはもっと低い感じ、さっそくタンスから引っぱり出して長袖を着る、始末。夏物も片付かないうちに、秋を通り越して冬物ですか、という慌ただしさ。夏からもう冬、という変化の激しさに、なかなか体もついていけません。日本の四季の移ろいの美しさ、などという情緒も、味わう暇もない。今や日本は、四季から二季に変わってしまったようです。冬=寒い。春=暖かい。夏=暑い。秋=涼しい。などと単純化できない一年の気候の変化です。
 人間だけでなく、庭の草木も、気候の変化についていくのが大変そう!ついこの間まで、暑さと日照りで元気盛んだった、我が家の庭先のゴーヤ、ピーマン、オクラなどの夏野菜も、ここに来て、急に元気がなくなった・・・。
 ピーマンはすぐに赤く色づき、オクラももうそろそろ年貢の納め時。ゴーヤも葉っぱが黄色くなっています。こうして夏野菜の長かった今年の時期も、お終い。
 今年は、夏の強い日差しと暑さのせいか、けっこう収穫でき、食卓を賑わしてくれ、また近所の方へもお配りできました。ご苦労様でした、ありがとう! 特にゴーヤは強い西日を和らげてくれて、とても助かりました。
 写真は、秋雨にぬれるピーマン。短い秋を感じさせる雰囲気です。
 といって、来週辺りからまた暑くなることはないでしょうね。
大人の背丈ほどに伸びたオクラ。その背景がゴーヤ。
 
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虫が知らせる(今日の日めくり)

2010-09-26 21:02:22 | つぶやき
 今日の我が家の日めくり。「虫が知らせる」=何となくよくないことの予感がする。
 「虫の知らせ(があった)」も同じような意味での用い方。
 日めくりの言葉としては、起きがけのトイレでめくってみたとたん、ちょっと引いてしまいました。何か今日はあるのでは・・・。
 この「虫」って一体どんな虫?

「虫がいい」=自分の都合だけを考えて他を顧みない。身勝手である。
「虫が納まる」=癇癪がおさまる。腹立ちが直る。
「虫が好かない」=何となく気にくわない。
「虫が付く」=②娘に好ましくない男ができる。
「虫の居所が悪い」=ふだんは気にしないようなわずかな物事が気に障り、怒りっぽい状態にある。
「虫も殺さぬ」=きわめて穏和なさま。
「虫を殺す」=癇癪を押さえてがまんする。
 以上、「広辞苑」での派生語とその意味。
 また、「広辞苑」では、
「虫」=潜在する意識。ある考えや感情を起こすもとになるもの。古くは心の中に考えや感情を引き起こす虫がいると考えていた。
とある。心の中というあいまいなものよりも「体内」。時には大腸や小腸、胃などの消化器官の中に巣くっていたり、どきどきする働きなども想定すると心臓など循環器系にもいそうだし、脳などにも居着いているような・・・。
 かの「Wikipedia」では、次のように解説。

「蟲(虫)」=おもに体内に居ると信じられた架空の生物の意味で用いるもの。
「虫の知らせ」
 体内にいる「蟲」が、通常では知り得ないようなことや、遠方で起こる事件を予言してくれたように感じること。
「虫が(の)いい」
 体内で「蟲」が快適に居ること、転じて社会を「体」・自分を「蟲」に例えて、自分にとっての好環境を他者に対して押し付け前面に押し出すこと。
「虫の居所が悪い」
 体内にいる「蟲」の居場所が落ち着かないと、その人の機嫌も悪くなると信じられていたことから。
「虫が(の)好かない」
 体内で善悪好嫌を判断している「蟲」が嫌っていることから、本人も嫌悪感を抱くこと。
「獅子身中の虫」
 体内の「蟲」が反旗を翻して体全体に悪影響を及ぼすこと。外から見れば絶対強者であるはずの獅子であっても、自分の体内の「蟲」が意にかなわなければ危ういとの例示。
「腹の虫」
感情/空腹の「蟲」。「腹の虫が治まらない」は、体内にいる「蟲」の不満が激しくて制御しきれず、ひいてはその人も不満となることを指す。

 我らが体内には「虫」がいるようだ。我が体にいい意味で巣くっているものでないことはたしかですが。腸内にいた実体としての寄生虫とは限らないのも、当然。
 ネットで調べると、「虫の知らせ」にからんで、実に様々な予感の話が出ている。肉親の死、事件・事故・・・、結果論が多いような気がします。その多くは、夢のかたちで働きかけてくるようですが。
 ところで、引例の「虫が付く」=②娘に好ましくない男ができる。の「虫」は体外の悪い「虫」でしょうか。それとも体内の虫が害虫をおびき寄せる働きをするのでしょうか。どうもそのように解釈した方が当てはまっているような・・・。
 さて、日めくり。今日はどのような「虫の知らせ」があったことやら。
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羽村の堰・玉川上水

2010-09-25 21:32:16 | 歴史・痕跡
 昨夜来の激しい雨。今朝も、まだ少し冷たい雨が残っていました。羽村まで約2時間。そのうち、雨も上がり、清々しい天気に。羽村駅に降り立った時には、すっかり青空が広がっていました。所用を済ませて、羽村の堰へ。
 ここは、玉川上水の取水口。雨上がりのせいか、流れも急で激しく、小平、三鷹などの中流付近とは趣が異なって、水に勢いがありました。
 ここからはるばるかつては江戸市中(内藤新宿・四谷大木戸)まで、「玉川上水」として流れ、戦後も、淀橋浄水場まで行っていました。
 今やそれもなくなり、玉川上水も本物の?多摩川の水は都心にまでは届いていません。下水道の整備によって、その途絶えた流れを復活させるための事業が進められ、かつての玉川上水の面影が戻ってきていますが・・・。
 しかし、今日は、本物の多摩川の流れ、玉川上水となる流れ始めです。
 都立新宿高校内の玉川上水にまつわる遺物、鷹の台付近の流れ、そして、やっと念願だった取水口へやってきました。
逆巻くような水の勢いです。ここから東に向かって行きます。
多摩川からの取水口。
多摩川本流の流れ。
羽村の堰に行くまでの坂道。寺坂道。途中馬に水をやった井戸の跡があります。
途中の屋敷内の土蔵つくり。
その一つ。
羽村駅北口にある「まいまい井戸」。かなり古くからある井戸。二回りして井戸に着く、そのくるくる回る道をかたつむりになぞらえたとか。ヒガンバナが咲いていました。
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調布市国領・染地・ハケ・品川道

2010-09-23 17:34:27 | つぶやき
 京王線国領駅から西南の方。多摩川に向かって道は少しずつ下っていき、多摩川住宅まで来ると、広々とした団地が広がります。そのまま多摩川へ。
 途中、緑の木々が続く道、細い流れがこの団地を取り囲むように西から東に続いていきます。染地小学校付近から南に放物線のように。
 かつて、この辺りは、崖の上は、畑地、その下に広がる平地はほとんど水田でした。
 武蔵野台地で崖地・通称「ハケ」に沿って、上と下との土地とに分かれていました。二つの段丘崖のうち、府中崖線の一部です。グリーベルトは、今もそのハケに沿っているわけです。
 この崖上は原始・古代の時代から人々が居住している場所で、それ以降も各時代の複合遺跡帯となっています。多くの遺跡が発見され、出土品も多く残されています。それらの集落を連ねて、自然発生的に出来た道が「ハケ道」。基本的には、崖上に沿った道のようで、調布市内ではまだ所々にその痕跡が残っています。
 また、京王線の南側に東西にある通りが、品川通り。多摩川の河口、品川に通じていた品川道の新道。
 もともとの品川道(品川街道)。これも、ハケ道の一種でしょうか。筏乗りたちが多摩川の上流から河口まで材木をいかだにして下り、その帰り道、人が上流に向かって歩く道として利用していました。そこで、この道は、別名では六郷道(多摩川の河口付近の地名)、府中道、筏道とも呼ばれました。
 この道の痕跡は、世田谷区から点々と続いていて、世田谷区喜多見には、品川道の道路標識があるとのことです。狛江駅前を過ぎると二つのルートに分かれ、そのうちの一つは、駄倉塚から入る細い道。府中崖線に沿ったハケの路とぶつかります。
 国領方向に向かい、調布市に入ると旧品川道の表示となり、多摩川住宅入口交差点で品川通り(新道)に合流します。これより東側は細い道ですが、今も、存在します。たしかにこの道は、ハケ(段丘崖)に沿って続く道でした。
 写真は、染地付近の信号機。「羽毛下橋(はけしたばし)」とあります。
そこから続く道。整備された道になっています。
しばらく東に向かうと、昔ながらの流れの跡に。石組みが見えます。
途中にある四阿。
その上(崖の上)にある落ち口。ただし、人工的に再現されたもの。
散策路にあった化石。サファリからのもの。どうしてここにあるのか、不思議でした。
左が品川通り。道標の右の細道が旧品川道。多摩川住宅入り口の交差点付近。
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プレ仲秋の名月

2010-09-22 22:41:06 | つぶやき
 9月21日(火)。久々に少し早く仕事が終わり、いつもように蔵前駅から歩きました。まだ暑さが残っている陽気でしたが、空も澄んで気持ちのよい薄青い空が広がっています。午後6時少し前。駒形橋を渡る時に見上げると、十四夜のお月様が天空にくっきりと見えます。そこで、ケイタイでパチリ。スカイツリーとお月様とのコラボでした。今日は、十五夜。帰りが遅くて、もう曇り空。昨日のようなお月様の写真は撮れませんでした。
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田園コロシアム

2010-09-21 21:43:48 | 歴史・痕跡
 田園コロシアムは、かつて東京都大田区田園調布二丁目31番に存在した多目的屋外スタジアム。東急東横線田園調布駅東口を出て、すぐのところ。大田区立田園調布小学校の南側に当たる。
 ここは、大正末期に慶應義塾大学野球部の専用球場「調布球場」として使用されていたが、1936年に田園テニスクラブのメインスタジアムとして改めてオープンした。テニスだけでなくコンサートをはじめとして、プロレスやボクシングなどのビッグマッチの会場としても利用され、数多くの名演・名勝負の舞台となった。
 東急電鉄を利用して雪が運び込まれ、スキージャンプの興行が開催されたことも。しかし施設の老朽化や住宅街再開発計画、また江東区有明テニスの森公園にテニス場有明コロシアムがオープンしたことなどによって、1989(平成元)年末に閉鎖された。
 現在の「田園テニス倶楽部」に隣接するマンション「ドレッセ田園調布プレゼンス」がその跡地。
 ザ・タイガース。チューリップ。オフコース。チャゲ&飛鳥、等々。
 特に、『ライブ・イン田園コロシアム 〜The 夏祭り'81』はチャゲ&飛鳥が1981年に発表した初めてのライブLPアルバムは、伝説のライブ。
 アルバム『熱風』を引っさげたツアーの中で、真夏の8月1日に田園コロシアムを使用し、会場にはおよそ6000人もの大観衆を集めた。チャゲ&飛鳥にとっても、初めての野外ライブである。コンサートのエンディング曲、「歌い続ける」の音源はこのアルバムにしか収録されてない。また、同時期に発売されたカセット版には「花暦」が追加収録されている。
 レコードが廃盤となった後長らくCD化されていなかったが、2009年10月21日に紙ジャケット・SHM-CD仕様によるCDが発売された。その中には、オリジナル盤未収録だった「花暦」、「真夏の国境」、「御意見無用」、「嘘」などレア音源が収録され、完全収録盤として発売されている、という。
 プロレス会場としては、1977年8月25日のジャンボ鶴田VSミル・マスカラス戦、1981年9月23日のアンドレ・ザ・ジャイアントVSスタン・ハンセン戦などが田園コロシアムの名勝負として有名。鶴田VSマスカラス戦はプロレス大賞の年間最高試合賞を受賞、アンドレVSハンセン戦も日本マット史上の外人対決ベストバウトとされている。
 1984年5月22日には、ケリー・フォン・エリックに鶴田が挑戦するNWA世界ヘビー級王座戦も行われている。
 キックボクシングでは、ベニー・ユキーデがキャリア唯一の黒星を喫したプラユット・シーソンポップ戦の会場となっている。
 マンガ「キン肉マン」の作中に於いて、数々の勝負の会場ともなっていた。
 写真は、マンション横の小さな公園の名称、その名も「田コロ児童公園」。小さくて何の遊具もなく、実に慎ましやかな敷地。ここにのみ、田園コロシアムの痕跡があるのか。ちょっぴり寂しいですね。
かなり豪華なマンション。
テニスコート側から見た遠景。かなり大きな建物。
当時と変わらない、たくさんのテニスコート。
平日の午後にもかかわらず、大勢の人たちが楽しんでいました。
田園調布駅の地上部分。現在は地下駅になっています。
駅の西口から。渋沢栄一氏による計画的につくられた高級住宅地。
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西新井駅西口地域再開発の波

2010-09-20 21:12:23 | つぶやき
 久々に東武伊勢崎線・西新井駅で降りました。目的地は、東口側。ここもずいぶん変わっていましたが、西口は様変わり。もう20年以上前。この駅から少し千住寄りの駅近くに職場があった関係で、竹の塚とか西新井とかに出向いたこともありましたが、その頃の西新井駅。西新井大師線への乗り換え駅くらいの感じで、東側に少し商店や住宅が広がっていただけの印象。西側は梅島寄りには東武鉄道の車両工場があり、西口を出ると、日清紡の東京工場。広大な敷地でした。ですから、何もなく、雑然とした街並みだったような・・・。駅ビルはあったような気がしましたが。北側は環七。西新井駅は、バスの発着が多かった。
それが、この間行ってみてびっくり仰天!
 日清紡東京工場はすでになく、その跡地を中心とした再開発事業が進んで、ほぼ完成。駅前は、まだまだゴミゴミしていますが。この西新井駅前複合都市開発計画は、正式名称は「西新井ヌーヴェル」というとか。
この再開発。A街区からH街区まで区分けされ、各街区には商業施設、総合病院、分譲マンション、西新井警察署、賃貸マンションなど広大な敷地に配置、建設されています。アリオ西新井(イトーヨーカドー、TOHOシネマズ、無印良品など)は、実に大きな建物で、はるか遠くに見えました。「西新井さかえ公園」という大きな公園も建設されているそうです。
 時間もなくて、西口からちょっと出たくらいで何も分かりませんが、整然とした街並みが出現していました。
 もともと「西新井」という地名の由来は、826年(天長3年)空海上人が加持祈祷をした際に、水が湧き出てできたという總持寺(西新井大師)内の井戸が本堂の西側にあったことからと伝えられ、江戸時代には、西新井大師の門前町として発展しました。今でも賑やかな門前町となっています。駅の西側は、日清紡に通う人々で行き交う町。一方で、その工場の存在でぎゅっと住宅地、商業地としての発展が抑えられていたのも事実。
 それが、こうして、様変わり。西新井駅の梅島方には東武鉄道西新井工場がありましたが、ここも、閉鎖・撤去され、高層マンションに変わっています。
 日清紡への引き込み線や工場への引き込み線など、今でもその痕跡が道路として残っているのか、さらにモニュメントなどもあるのか、今度、ゆっくり出かけて、調べてみたいと思います。
 写真は、元工場跡地の東の外れ(駅に近い側)に当たる地域。おそらく引き込み線は左側に沿ってあったと思われます。
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花火の景

2010-09-19 20:55:36 | つぶやき
 法事に出かけ、たまたま出会った花火大会。縁日の屋台もずらりと出て、賑やかな村祭りの風情でした。隅田川や江戸川の花火と違って、スケールも種類も段違いですが、都会の花火にはない、素朴な雰囲気があって、素敵でした。携帯写真で撮ってみました。
 雑木林からすかして見える花火。
炸裂する花火。

大きくはないが、色とりどりの大輪を咲かせます。

花火の後には、満天の秋らしい星空に。
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挙党体制が虚党体制化しないことを

2010-09-16 20:03:00 | つぶやき
菅氏続投歓迎72% 政治進む28% 朝日新聞世論調査(朝日新聞) - goo ニュース
 菅さんの発言や行動、首相というよりもサラリーマン社長のような印象。小沢さんは良くも悪くも政治家。そこに魅力を感じる人と毛嫌いする人が真っ向から評価が対立。
 菅さんの場合、良くも悪くもサラリーマン。普通の会社員感覚。会社の人事・出世街道を上り詰めて、社長の座を射止めた。もちろん、ワンマンでもなければ創業者でもない。だから、会社の現状とか将来とかを飲み屋で語る我々と大して変わらない印象。そこに物足りなさを感じる。評価も、そこが分かれ目。日本の将来を託せるか否か・・・、不安も一杯。ただ、人柄は小沢に比べればよさそうだ、くらいの感じ。それが、世論にも表れていくのか。
 そういうときは、いいブレーンに人を得るかどうかが、重要。「ボク担ぐ人、ボク担がれる人」このあたりの人事の妙がカギ。結局、このへんも、会社(それも中小企業、失礼!)の人事になってしまう。
 あるいは、原続投か、中畑かというような、次期巨人監督をめぐるあれこれを、酒を飲みながら話を盛り上げる飲み屋の話題程度では、困ります。もちろん、我々には、原か中畑かのほうが、興味がありますが。
 無理な挙党体制というバランス感覚が、むしろ、虚党体制にならないよう、日本の宰相として「人事」を断行してもらいたいですな、サラリーマン社長の菅さんには。
 
 
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2・26事件慰霊碑

2010-09-15 22:56:09 | 歴史・痕跡
 JR渋谷駅から公園通り。NHKホールや代々木の体育館があり、賑やかな通りの一つです。昭和22年の航空写真を見ていると、今の区役所や保健所、神南小学校あたり、真四角な塀に囲まれています。昭和37年になると、すっかり取り払われ、東京オリンピックの時のプレスセンターになった建物の基礎工事が見えています。  
 ここは、戦前は、陸軍の刑務所があったところ。今はすっかり面影はありません。ただし、地面をほじくると、当時の瓦礫などが出て来るそうですが。北側の広大な敷地は、代々木公園。東京オリンピックの会場として整備されましたが、戦前は、代々木練兵場。華やかな街並みと都民の憩いの場所が、かつては軍都・東京を代表する場所でした。
 区役所や保健所などの合同庁舎の敷地のはずれ、当時の刑務所の西北の角に、「2・26事件」の慰霊碑があります。見上げるほどの大きなもので、香華が絶えないようです。これは、事件に関わった処刑者、犠牲者の全ての霊を鎮めるため昭和40年2月26日に建てられたもの。
 今日、突然の激しい雨の中、近所に用事があったついでにそこに行って来ました。華やかな人通りを左に折れた角です。
二・二六事件(ににろくじけん)は、1936年(昭和11年)2月26日から2月29日にかけて、日本の陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1483名の兵を率い、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こしたクーデター未遂事件。
碑文
昭和十一年二月二十六日未明、東京衛戍の歩兵第一、第三聯隊を主体とする千五百余名の兵力が、かねて昭和維新断行を企圖していた、野中四郎大尉等青年将校に率いられて蹶起した。當時東京は晩冬にしては異例の大雪であった。蹶起部隊は積雪を蹴って重臣を襲撃し總理大臣官邸陸軍省警視廳庁などを占據した。
齊藤内大臣高橋大蔵大臣渡邊教育總監は此の襲撃に遭って斃れ、鈴木侍從長は重傷を負い岡田總理大臣牧野前内大臣は危く難を免れた。此の間、重臣警備の任に當たっていた警察官のうち五名が殉職した。蹶起部隊に對する處置は四日間に穏便説得工作から紆余曲折して強硬武力鎭圧に變轉したが二月二十九日、軍隊相撃は避けられ事件は無血裡に終結した。
世に是れを二・二六事件という。
昭和維新の企圖壞もて首謀者中、野中、河野両大尉は自決、香田、安藤大尉以下十九名は軍法會議の判決により東京陸軍刑務所に於て刑死した。此の地は其の陸軍刑務所跡の一隅であり、刑死した十九名と是れに先立つ永田事件の相澤三郎中佐が刑死した處刑場跡の一角である。
此の因縁の地を選び刑死した二十名と自決二名に加え重臣警察官其の他事件関係犠牲者一切の靈を合せ慰め、且つは事件の意義を永く記念すべく廣く有志の淨財を集め事件三十年記念の日を期して慰靈像建立を發願し、今ここに其の竣工をみた。
謹んで諸靈の冥福を祈る。
昭和四十年二月二十六日
佛心會代表 河 野 司 誌
峰堂 花田仁人謹書

当時からあった道路。
中央の奥に見えるのが神南小。
オリンピックのときのプレスセンター。現在の渋谷区役所。
渋谷駅前。ハチ公口。電光ニュースには、菅さんの民主党代表再選の報が流れていました。
 
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流れに棹さす

2010-09-12 20:15:11 | つぶやき
 『そうした「世論」に掉さしても、』とありましたが、読者の方から誤字・誤用とのご指摘をいただき、現在の形に訂正させていただきました。

 政治家に求められるのは、場合によってはそうした「世論」に逆らっても、「にもかかわらず」と言い切る信念によって、決断することではないか。

 民主党議員よ、官報複合体に作られた「世論」に惑わされることなかれ【週刊 上杉隆】
 2010年9月9日(木)16:20

 の記事です。
 この記事自体は、霞ヶ関と記者クラブメディアで作られる「官報複合体」、そこに絡め取られた菅内閣のなりふり構わぬ戦いの様子が垣間見えてきた。とあるように、世論ファッショ(それも官、マスコミ一体となった世論操作)によって民主党の党首選がゆがめられているという論調のまとめ部分の表現です。ただし、誤用は分かりますが、誤字というのは「さお」に関してなのでしょうか。「棹」という漢字でも、正しいとは思いますが(竿でなくて)。
「流れに掉(さお)さす」は、誤用の例としては有名な?慣用句です。
 文化庁の平成18年度「国語に関する世論調査」でも、本来の意味は「傾向に乗り事柄の勢いを増す行為をすること」にもかかわらず、これを選んだ人はわずか12.4%。正反対の意味である「傾向に逆らい、勢いを失わせる行為」を選んだ人が63.6%に上り、また、「分からない」も21.4%あった、ということで話題となりました。それがこうして今も堂々と(いったんは)誤用されてしまうようです。
 その時の調査。「確信犯」も、正解の「政治的・宗教的等の信念に基づいて正しいと信じてなされる行為・犯罪又はその行為を行う人」ではなくて、「悪いことであると分かっていながらなされる行為・犯罪」という誤答が、57.6%で、正答率は16.4%。
 「閑話休題」は正解の「さて(話を脇道から本筋に戻す)」(23.8%)と、誤答の「さて(話を本筋から脇道に移す)」(27.0%)がほぼ同じ。4割以上が「分からない」と答えていました。
 「役不足」は「本人の力量に比べて役目が軽すぎること」が本来の意味だが、正答率は27.6%。全く正反対の「本人の力量に比べて役目が重過ぎること」(62.8%)の半分にもいかなかったという。
 「気が置けない」も本来の「相手に気配りや遠慮をしなくてよい」(44.6%)と、正反対の「相手に気配りや遠慮をしなくてはならない」(40.1%)とが大差なかった。
 ところで、この「流に棹さす」という成句、夏目漱石の『草枕』の書き出しで知られています。
 「山路を登りながら、かう考へた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」
 の「情に棹させば流される」の部分です。
 「棹(竿)」とは、岸辺や水底をついて舟を進ませる棒。流れに乗って下る舟で、その竿を操ってさらに勢いを加速させることを「流れに棹さす」という。
 そこから転じて、物事を時流に乗せて順調に進行させる例えに用いられ、「彼は巧みに時流に棹さして今日の財を築き上げた」とか「あの企業はIT化の流れに棹さす形で急速に成長してきた」とかいった具合。
 ところが、現在は、本来の意味とは逆に、流れのままに動く舟をとどめるために流れに逆らって棹をさす、すなわち時流や大勢、流行に逆らう意と誤解して使われる例が目立ちます。「時代の流れに棹さして世間から取り残される」という用例はその一例。
 先ほどの調査で、「その発言は流れに竿さすものだ」の一文を例示し、どの意味で使っているか尋ねたところ、傾向に逆らって、勢いを失わせる行為をすることとした人が6割以上を占めたわけです。「流れに抗する」、「逆行する」という意味で使うのは、全く正反対になってしまいます。うっかり誤用しているという状況でもないようで、例文自体も、そういう誤解を与えてしまうような印象です。
 また、「さす」ということばには「水をさす」「魔がさす」など余計なものを差し入れるという意味のことばにも使われます。そこで「棹さす」も流れをせき止めたり、勢いをとめるという感じがする、という指摘もありますが。
 果たして、上杉さんの発言。今度の党首選で、世間、世論に棹をさす結果になるでしょうか? こっちもつい誤用してしまいました。
 ところで、「情けは人のためならず」などは、今はどのように用いられているのでしょうか。

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メールより電話、電話より顔を・・・

2010-09-11 21:12:53 | つぶやき
 先週から今週にかけての2週間。忙しい日々でした。松江に行き、韓国に行き、仕事で人に会い・・・。炎暑の中、ケイタイもメールやら電話やら(海外も含め)久々に大量に使いました。
 当たり前のことですが、直接相手の方とお会いし、さまざまな事柄を話し、すりあわせ、事柄を進めていく大事さを再認識させられました。勿論、携帯電話は必須の持ち物。
 韓国でもケイタイは、大勢の人が持っていて、電車内では日本のようなルールもなく、電話でのやりとりが飛び交っています。また、ケイタイを操作している人もたくさん。時間の確認にケイタイを見ている人も目につきました。
 ところで、ケイタイやパソコンのメール。送って相手がそれを見て送り返して・・・、時候の挨拶などの細かく煩わしいやりとりを省略して、要件だけを伝達する。時間的も合理的な方法、とかで、私も多用しています。
 料金も安いし、そう、携帯電話の通話料がべらぼうに高すぎます! それもあって、ついついメールで。どうしてもっと安くならないのでしょうか?
 すぐ見て欲しいメール、相手次第なことも、幾たびか。
 さて、今までの職場。人間関係も仕事内容も、それほど複雑多岐にわたっているわけでもなく、限られたエリアでの仕事。当然、だいたいが顔を見ながらの世界。特に急ぎでなければ、メールでも済んだ。
 今の職場も、そんな感覚で・・・。いきなり人間関係が広く外に広がった! それでも、今まで通りのやり方で、つまりフロアで直接会える人以外は、面倒なのでメールでやりとりして、仕事を進めてきました。
 ところが、今までその仕事をしていた職場の方々。けっこう電話をして、外に出かけていく。メールのやりとりは、限定されたエリアのみ。大半は電話をかけ、時候の挨拶から近況・情報交換、そして本題に、と。そして、アポをとって出かけていく。帰ってくると必ず電話をかけ礼を言って次回の予定調整を・・・。どちらかというと、苦手としていたやり方、分野。まさに営業的世界ですね。人間関係をとても大事にする。
 出先では、「懇談」と称して飲み会が設定されていく。そうなると、ますます苦手な分野に。でも、そういう人間関係がもととなって、仕事がうまく回っていくのです。そういう印象です。肌身の人間関係を捨象して、合理的かつクールな関係では仕事は進まない、と。
 たしかに今までは、こちらが「偉そうに」かまえていれば、向こうから人がやってくる、といったような人間関係の中にあったことは、事実。
 ところが、メールよりも電話、電話よりも直接お会いして話を進める・・・、当たり前のことが、当たり前のように行われている。
 こうして、月曜日から、せっせと電話を入れては、出かけていくのです。まだまだ暑い日が続く中で。
 それにしても、携帯電話の通話料をもっと安くすべきではないか! あまりにも高すぎます。
 
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インチョン(仁川)国際空港

2010-09-09 23:07:33 | つかのまの旅人
 永宗島と龍遊島の間にあった干潟を埋め立て、2001年3月29日開港。世界有数のハブ空港となっています。
 東京地方の場合、成田からは仁川空港。羽田からだとソウル市内の金浦空港となっています。また、日本の地方空港と当空港を結ぶ便が多数就航しており、当空港で乗り継ぎを行い第三国へ向かう日本人も多いようです。
 スイスのジュネーブに本部を置く国際空港評議会(ACI)が選出する2004年-2008年の「空港ランキング」総合評価部門で連続して「世界最優秀空港賞」。イギリスの航空調査会社スカイトラックス社によるランキングでも2009年度に1位になるなど、国際的に高い評価を得ています。また国際貨物量で2006年時点で、すでに成田空港を抜いて世界2位になりました。
 発展する現代韓国を象徴するような活気のある空港でした。
 慌ただしい韓国の旅。一日中つきあってくれ、さまざまな議論が楽しかったソさん。地下鉄に乗って迷いながら連れて行ってくれたチェさん。夜中過ぎまでカラオケで日本の歌や韓国の歌を歌いまくった皆さん。日本語の勉強に熱心に取り組んで、来年には日本の大学に留学する方たち。楽しい旅でした。カムサ・ハムニダ。
 そうそう、見知らぬ町で食べた冷麺もおいしかったですが、「参鶏湯」も最高でした。元気を貰った感じです。またいつか日本の地で、あるいはソウルの町でお会いしましょう。
インチョン空港
コンコース
民族衣装での行進
成田空港
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