おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

読書「鉄道人とナチス ドイツ国鉄総裁ユリウス・ドルプミュラーの二十世紀」(鴋澤歩)国書刊行会

2018-07-23 20:25:19 | 読書無限
 アベ政権下で公文書偽造、忖度、詭弁、責任回避、・・・等々、官僚・テクノクラートたちの不祥事が相次いでいます。官僚としての自分たちの生殺与奪を強権的な政府によって握られてしまっている現在。その意に逆らうことはできない、のか。
 エリートが言いように振り回されているようすに溜飲を下げる世間の存在。とりわけ右翼的言辞をこれでもか、これでもかと「フェイクニュース」まがいに発信している自公の政治家たち。それに「面従腹背」もできず、官僚=国家・国民に奉仕する矜持も失っているかのよう。
 ただひたすらアベとそれをとりまく政治家に翻弄されている、むしろ積極的に荷担しているとしか思えない惨状。

 わずか13年で滅びたナチスドイツの中で、官僚たちはどう振る舞ったのか。けっして他人事ではなさそう。当事者だけでなく、また国民も。

 ユリウス・ドルプミュラー。ドイツ国鉄(ドイツ・ライヒスバーン社)総裁にしてナチス政権下の交通大臣として輸送部門のトップに君臨した人物。

 筆者の姿勢は、「本稿が・・・あくまでも鉄道史をめぐる研究だとするならば、・・・ホロコーストに手を染めることで崩壊した組織とその代表者からえられる教訓」を「すぐれた才質と人間性の持ち主でありながら、悲惨な失敗をみずからにもたらした多数の二十世紀前半のドイツ人のひとり」としてその生涯を描くことで、「私たちもこれから直面するであろう」(P302)問題を明らかにすることにある。

 いうまでもなく、ユダヤ人等は、「アウシュヴィッツ」など絶滅収容所に鉄道によって送り込まれていた。(本書にも残された運行ダイヤなどが掲載されている。)
 絶滅収容所への移送遂行という鉄道が果たした荷担の実態、その運営主体であるドイツ国鉄のトップであった人物の評伝、というスタイルを取りながら、厳しくその「罪」と「責任」を追求していく。

 「一般に、政権奪取後のナチスが国家統治機構に強力に押し入ることによって、伝統的なエリート支配の官僚機構は弱体化し、党や政府の複数の権力者が競合する多頭制的な統治が行政を左右するようになったとされる。そうした「指導のカオス」「組織のジャングル」とも後年よばれる状況では本来は行政組織や統治機構には距離のあった異物的な人間、新政権にキャリアアップの機会をみた『政治的投機者』が組織の中に入りこみ、しばしば従来の組織構成員と角逐をくりひろげた。」(P303)

 そうした中にあって、
 「・・・ドルプミュラーには自己の責任をはたすべきという意識は、過多なほどあったと想像できる。だからこそ、ナチ政権の攻撃にさらされても、大臣としての権能を制限されても、あるいは病身となってさえも、ライヒバーン総裁の座を去ろうとはしなかったのであろう。個人としての潔さを発揮して職を去ることは、祖国にために自分に課せられた義務を放棄することだと、ドルプミュラーは心から思っていたはずである。自分ほどうまくドイツの鉄道を動かせる者はいない、と信じていたからである。だが、それは思い上がりというべきものだったかもしれない。・・・
 いいかえれば、もしもドルプミュラーに悲劇があるとすれば、死にいたるまで鉄道の荷担する虐殺の惨劇を見て見ぬふりをするという心理の陥穽におちたまま、自分の追うべき真の責任とは何かという問いに真剣に思いをめぐらすことができなかっただろう点にある。」(P301)

 「科学精神に富んだテクノクラートであったドルプミュラーには、人格の内部にもちあわせているものが、意外に乏しかったようである。たしかに持っていた誇るべき数々の才質も、非科学的な精神や暴力の前で、かれを毅然と立たせることができないものだったからである。
 ひょっとしてこれは、程度の差はあれ、私たちの姿ではないか。・・・経済社会、技術社会、グローバリゼーションの申し子だったドルプミュラーは、私たちにとって遠い人物ではない。そしてかれが人生の後半で突きつけられた問題が、私たちのそれではない、決してそうはならない―と誰がいえようか。(P311)

 「強い悪意を特定の人的集団にむけ、自分たちの問題の原因をすべてそこに見出そうとする極端な考えの持ち主は、幸いにも、たいていはごく少数に過ぎない。だが、そうした人間たちが、社会においてみずからの非人道的な考えを私たちに強制できる立場に立つことはありうる。好んでかどうか、かれらの扇動にのる人びとの数は決して少なくないことを私たちは知っている。『ポピュリズム』という言葉は、そうした場合に使うべきなのだろう。
 そんなとき、被害者の集団に属さないかもしれない私たちも、決して最後には安寧を維持することはできない。最初の軽挙妄動から身を持し、積極的な加害者と距離を置いて傍観者の立場をまもることすら、容易ではない。『ただ技術のために』『ただ鉄道のために』生きてきた人物が無力であらざるを得なかった、それどころか加害者の列にはいってしまった例を、本書は追ってきたといえるだろう。
 自分たちにあたえられた限られた領分を懸命に守って、『ただ○○のために』生きざるをえない私たちに、貴重な省察の材料がここにあたえられている」(P310)

 「ホロコーストは、加害者、被害者、そしてその間に立つ傍観者で成りたっていた。傍観者のなかには、加害者に取り込まれ、単なる傍観者でありつづけることすらできなかった者も多い。そうなりうる私たちが、これを銘記するために、ドルブミュラーの名は残されねばならない。」(P313)
 
 読み応えのある力作・内容でした。

 次の本も、最近読んだものです。

ヒトラーの娘たち ホロコーストに荷担したドイツ女性
                                                   (明石書店)

ウェンディ・ロワー 著
武井 彩佳 監訳
石川 ミカ 訳

 ナチス・ドイツ占領下の東欧に赴いた一般女性たちは、ホロコーストに直面したとき何を目撃し、何を為したのか。冷戦後に明らかになった膨大な資料や丹念な聞き取り調査から、個々の一般ドイツ女性をヒトラーが台頭していったドイツ社会史のなかで捉え直し、歴史の闇に新たな光を当てる。2013年全米図書賞ノンフィクション部門最終候補選出作。

想像せよ、自分が立っている場所はすでに『灰色』ではないか。自戒せよ、大きな流れの中で自分を押しとどめるだけの確たる信念はあるか。」(「監訳者解題」より)

 


 
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読書「太宰よ! 45人の追悼文集 さよならの言葉にかえて」(河出書房新社編集部)河出文庫

2018-06-19 22:36:25 | 読書無限
 6月19日(火)。梅雨の間の晴れ間。「桜桃忌」。三鷹の禅林寺には多くのファンが訪れていたことでしょう。
 昭和23年(1948年)6月19日。13日に玉川上水で愛人・山崎富栄と入水した太宰治。一週間後、奇しくも39歳の誕生日に遺体が発見され、その日を「桜桃忌」と称して、太宰を偲ぶことに。以来、70年の年月を経ても、まだ訪れる人は、絶えません。
 また、ますます太宰の作品の世評は、特に、若い方々の評価は、高いようです。

 「処女作集『晩年』を上梓してから13年目の、6月13日、絶筆『グッド・バイ』を13回書き残して、自殺した」(亀井勝一郎・p285)という「語呂合わせ」(失礼! )も手伝ってか、死んでもなお、太宰治の人となりや、文学は、「神秘」的に、生き続けています。

 今や、俳句の、「夏」の季語にもなっている、とのこと。

 「桜桃忌」の名付け親は、同郷で太宰と親交の深かった、直木賞作家・今官一。太宰晩年の短編小説「桜桃」の名にちなんで、命名されました。やはり、「桜桃・サクランボ」を食べながら、太宰を偲ぶのでしょうか。しかし、酒好きだった太宰に対しては、なんとも・・・。

 山形名産の「サトウニシキ」は、抜群においしいです。

 太宰のお墓の斜め前には、明治の文豪・森鴎外のお墓があります。太宰のお墓を参拝する人の中には、「森林太郎(「もりばやしたろう」・もちろん正しくは「もりりんたろう」)」って誰? という人もいるとか、ま、これも「都市伝説」のひとつですが。

 「太宰治」というペンネームにも、あれこれ、曰く因縁を、説く人もいます。ご本人は、「万葉集」だったか、たまたま目にした、とか書いていますが、てれなのかどうか・・・、妻の美知子さんは、「それほど深く考えて付けた名前じゃありません」とか、おっしゃっていますが、やはり深読みしたくなるのでしょうね。

 今年は、生誕109年にあたります。来年は「110周年」ということで、「100周年」の時のようには、いかないまでも、太宰ゆかりの各地で、さまざまなイベントが、開催される、でしょうね。

 三鷹、荻窪、船橋、そして甲府、生まれ故郷の金木・・・、太宰の足跡をたどる旅も、相変わらず、盛んなようです。小生も、ミーハーなので、行ってみようかしら。

 ところで、こんな記事を、見つけました。

太宰の下宿、東京から湯布院へ 「碧雲荘」交流施設に
2016/2/18 12:18「日経新聞」

 作家、太宰治(1909~48年)がかつて暮らし、保存が危ぶまれていた東京都杉並区のアパート「碧雲(へきうん)荘」が、温泉地として知られる大分県由布市湯布院町に移築されることが18日までに決まった。
 湯布院で旅館を経営する橋本律子さん(65)が解体・移築費用を負担。本を中心とした交流施設「文学の森」(仮称)として活用する。移築は今秋には完了する見通しで、橋本さんは「太宰の名前を発信し、全国から訪れる方を“お接待”したい」と語っている。
 碧雲荘をめぐっては杉並区が昨春、高齢者福祉施設整備のため敷地を購入、今年4月までに建物を撤去することで所有者と合意した。しかし、地元住民らが「荻窪の歴史文化を育てる会」を組織し、建物の保存を訴えていた。
 太宰が碧雲荘に住んだのは36年11月から37年6月までの約7カ月。駆け出し作家だった太宰は、薬の中毒症状で体調を崩し、病院から退院した直後。短編「東京八景」でも碧雲荘は「天沼のアパート」として登場する。
 「育てる会」会長の岩下武彦中央大教授は「地元に残らないのは本当に残念だが、消失という最悪の結末は回避できた。移築を見守りたい」としている。(〔共同〕より)


 東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい。冬には、はつきり、よく見える。小さい、真白い三角が、地平線にちよこんと出てゐて、それが富士だ。なんのことはない、クリスマスの飾り菓子である。しかも左のはうに、肩が傾いて心細く、船尾のはうからだんだん沈没しかけてゆく軍艦の姿に似てゐる。三年まへの冬、私は或る人から、意外の事実を打ち明けられ、途方に暮れた。その夜、アパートの一室で、ひとりで、がぶがぶ酒のんだ。一睡もせず、酒のんだ。あかつき、小用に立つて、アパートの便所の金網張られた四角い窓から、富士が見えた。小さく、真白で、左のはうにちよつと傾いて、あの富士を忘れない。窓の下のアスファルト路を、さかなやの自転車が疾駆しつくし、おう、けさは、やけに富士がはつきり見えるぢやねえか、めつぽふ寒いや、など呟つぶやきのこして、私は、暗い便所の中に立ちつくし、窓の金網撫でながら、じめじめ泣いて、あんな思ひは、二度と繰りかへしたくない。 (『富岳百景』より)

 ここに登場する、「アパート」というのも、この「碧雲荘」でしょうか? 一説では、その共同便所からは、富士山は見えなかった、とか。どうでも、いいじゃないかねぇ。 

※ その後、この跡地を含め、大規模な複合福祉施設「ウェルファーム杉並」が完成しています。
     この施設の東北隅、道路に面して「碧雲荘」アパートがあったようです。

湯布院文学の森「碧雲荘」。

 さて、この書。太宰治の死、そして人生、むろん文学に関わる方々の「追悼文集」になっています。すべて45人、今やすべて故人。解説の町田康さんのみ生きていらっしゃる、というわけです。

 それだからこそ、太宰を語りながら、その方々の文学観、人生観、そして、その方の一生、言い過ぎならば、生の一端を垣間見ることができる、という、希有な読み物になっています。

 太宰の死を、どう受け止めているか(受け止めたか)、太宰との関わりを、自らの生き方、遍歴と重ねながら、どう認識しているか、実に万華鏡のようなおもしろさがあります。

 中でも、坂口安吾、中野重治、内田百閒、三島由紀夫などの文章は、大変、興味深く読みました。

 玉川上水で死を共にし、抱き合っていたまま遺体が引き上げられた「山崎富栄」さんへの評価もさまざま。

 死は、彼にとっては一種の旅立ちだったのだろう。その旅立ちに、最後までさっちゃんが付き添っていてくれたことを、私はむしろ嬉しく思う。
(豊島与志雄・p303)

 太宰氏にとっては、あの女性がなくても、死は不可避の必然だったろう。・・・「情死」―いやな言葉だ― (野口冨士男・p104)

 しかし、太宰治という人間は、没後を含め、作品で触れるだけの人でも、また、私生活でも接したことがある人でも、「自分と太宰」、「自分にとっての太宰」、「太宰からの語りかけ」という、とらえ方になってしまう、まさに「不思議」な人物でした。

 その意味で、井伏鱒二の文章が、冒頭の弔辞と、「太宰治のこと」と、二編載せてあるところは、ちょっとキザかな。

 町田康の、最後の言葉「すみません」も、いただけません。「さよなら(「グッド・バイ」)の言葉にかえて」という副題も、よくないやね。

 明日からは、しばらく、梅雨空が、続くそうです。
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読書「深代惇郎と新聞の時代 Tenjin」(後藤正治)講談社文庫

2018-04-11 22:37:27 | 読書無限
 「朝日新聞」天声人語の筆者として、今も語り継がれる深代惇郎さんと同時代の新聞界を描くドキュメンタリー。

昭和50年(1975)8月16日付け天声人語

 一昨日、昨日につづいて、もう一度「敗戦」のことを書く。敗戦によって、われわれの精神構造や行動様式は変わったか。30年の歳月は何を変え、何を変えなかったのか
 敗戦後9ヶ月して極東軍事裁判が開かれ、戦争指導者たちの責任が問われた。そこで指導者たちは何を主張したかを、丸山真男『現代政治の思想と行動』(未来社)からみてみたい。木戸被告(元内大臣)は、日独伊三国同盟について「私個人としては、この同盟に反対でありました。しかし現実の問題としては、これを絶対に拒否することは困難だと思います」と答えている。
 東郷被告(元外相)も同じ問題で「私の個人的意見は反対でありましたが、すべて物事には成り行きがあります」と述べた。大勢の流れに反対の意見を述べるのは私情をさしはさむものだ、という考え方であろう。「既成事実」こそすべての王であり、それに従わねばならぬという理屈は、他国人には理解を超えるものだったに違いない。
 この点で、小磯被告(元首相)を論難する検事の言葉は痛烈だった。「あなたは三月事件にも満州事件にも、中国における日本の冒険にも、三国同盟にも、対米戦争にも反対してきた。あなたはこれらに反対して、なぜ次から次へと政府の要職を受け入れ、一生懸命に反対する重要事項の指導者の一人になってしまったのか」(以上要約)
 これに対し小磯被告は「自分の意見は意見。国策がいやしくも決定せられました以上は、それに従って努力する」と答えている。指導者のだれもが戦争を望まなかったが、戦争は突如として天変地異のごとく起こったような錯覚さえ持たせる。実は「天変地異」ではなく国策であったのに、それに責任をもつ者は一人も現れない。そして勝手に「天皇」が使われ、「英霊の声」が利用された。
 「個人としては別だ」「それが世論だ」という言い方で個の責任を免れようとする無責任な集団主義は、はたして克服されたであろうか。

 このところのアベ政治への批判が高まる中、かえって、アベシンパによるマスコミたたきはますます激しくなっています。
 TVはもちろん、新聞に対しても、紙面に掲載された反アベ的言動に対して、激しくネットで揚げ足取り、非難(時には中傷)が飛び交い、「マスゴミ」という言い方とあいまって、「反日だ! 」は一部のネットでは当然の如く「快哉」「快哉」と叫ばれ、新聞報道やTV番組を「偏見・反日」と決めつける圧力団体・個人も登場。とりわけ、「朝日新聞」への批判、攻撃はとどまるところを知りません。

 特に、「朝日新聞」の森友問題での文書改ざんスクープ。当初は、ガセネタと批判していたが、それが本当だと確定されると地団駄を踏みながら、「憎っくき」朝日を追い落とすため、次の手を打ってきています。
 今回、加計問題でアベの関わりを暗示するような文書を紙面で公表した朝日に対して、またぞろ執拗な攻撃(キャンペーン)をしかけてくるでしょう。

 そんな朝日新聞。かつて、その朝刊一面の「天声人語」を担当した深代惇郎さんの評伝。それだけにとどまらず、当時の新聞、マスコミ界の記者群像を描きながら、マスコミ報道のありかたを考えさせる書です。

 戦前、軍部独裁にほとんど抵抗の筆を折られたまま、結局は破滅に導いた、その一翼を担ってしまった、という痛切な自己批判、反省の上から戦後のマスコミ界を担っていた若き記者たち、マスコミ関係者たち。その交流を描きながら、深代さんのジャーナリストとしての生涯を追っていきます。

 深代惇郎さんが天声人語を担当したのは、1973(昭和48)年2月15日から1975(昭和50)年11月1日までの2年9ヶ月でした。
 この間、内閣総理大臣は田中角栄から三木武夫へ。第4次中東戦争を引き金として石油危機が勃発、「狂乱物価」と呼ばれる超インフレが巻き起こり、企業倒産が続出し、トイレットペーパー買い占め騒ぎなども起きました。戦後初のマイナス成長、金大中事件、朴正煕狙撃事件、三菱重工ビル爆破事件、スト権スト、・・・内外ともに流動混迷の時代でした。
 
 そうした中にあって、深代さんはジャーナリズムは権力の監視を担うという信念を持ち続けていました。時の権力者への厳しい批判の目、特に田中角栄首相については厳しい筆で迫っています。

 担当してわずか2年9ヶ月、46歳で早世してしまいます。しかし、深代・天人の、視野が広く、柔軟な思考のもと、ウィットとユーモアに満ちた文章は、読者をうならせました。そんな文章を通して醸し出される彼の新聞人・ジャーナリストとしての真価・器量を同僚や先輩、また他社の記者たちの証言を通して明らかにしていきます。


 資料を駆使し、当事者へのインタービューなど、筆者の粘り強い取材力、視点なども本書の魅力です。一気に読ませます。

 「日曜版」で「世界名作の旅」シリーズが1964(昭和39年)が始まったとき、夢中で読んでいたことを思い出します。
 名作文学を素材にその作品の誕生の地を訪ね、随想としてまとめる、という企画物でした。深代惇郎がその中の「チボー家の人々」「風と共に去りぬ」など10編を担当していたことを、今回、はじめて知りました。

 ところで、現在の記者の取材力、それに基づく文章力はいかがでしょうか? 今のコラムニストの力量はいかかでしょうか? 権力の監視という不屈の精神を失っていないででしょうか?
 どんな理不尽で不当な圧力が掛けられてきたとしても、肩肘張ってではなく、ジャーナリストとしての誇りと気概を失わないでほしいと
思います。

 音楽評論家・安倍寧が、深代惇郎が『ドン・ホーテ』を脚色したミュージカル『ラマンチャの男』の主題歌「インポッシブル・ドリーム(見果てぬ夢)」を英詞で歌い始めたエピソードを伝えています。(P379)

To dream the impossible dream(決してかなえられぬ夢を見)
To fight the unbeatable foe(決して倒れぬ敵を向こうに回し・・・)


・・・歌い終えると、深代は少し照れくさそうな顔になって「あのミュージカルには、こんな科白もあるんです。ご存じですか?」といいつつ、さらさらっとこう書いた。

Facts are the enemy of truth(事実は真実の敵だ)

 道半ばにして倒れた深代惇郎を思うときに、まさに「impossible dream」を追い続けた強い意志を、今に生きる我々それぞれがどういうかたちで継承できているでしょうか?

 ある日の「天声人語」には群馬のとある私鉄の駅に掲げられている地元の方の詩を紹介しています。

一陣の風が
通りすぎた
あと
花が
香りを残してゆくような
そんなひとに
逢いたい

 実に感性豊かな人となりであったことが知れます。

 深代さんは、下町の浅草橋育ちで府立三中(現・両国高校)の出身。そんなことからも改めて親しみを感じました。
 
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読書「真空地帯」(野間宏)岩波文庫

2018-04-10 23:14:53 | 読書無限
 復刻版が出ました。

 1956年1月9日第1刷発行。2017年12月15日改版第1刷発行。

 という奥書になっています。

 アベ一強体制の下、森友問題での改ざんなど政府を筆頭に行政組織の腐敗・堕落が衆目にさらされ、さらに自衛隊においても隠蔽工作(意図的な資料隠し)が明らかになりつつあります。とくに最大・唯一の実力組織(暴力装置)における文民統制が危うくなっているのには背筋が寒くなります。
 強行採決によって成立した新安保体制の下、まして憲法第9条を改悪しようとするアベ内閣。いよいよ「依らしむべし、知らしむべからず」体制が、現実的で深刻な事態となっていくようです。

 こうしてさまざまな歪みが露呈する今日。久々に読み応えのある小説が復刻(といってもいいでしょう)され、戦前の(戦争末期の)軍隊組織の非人間的暴力的退廃(それは、個々の意思を越えた、戦争末期の組織ぐるみの退廃といってもいいでしょう)を目の当たりにしました。

 物語は敗色が濃厚になりつつある昭和19年(1944)冬、木谷一等兵が陸軍刑務所から仮釈放され、大阪にある連隊に復帰するところから始まります。前年の秋には学徒動員が決定し、この部隊にもその初年兵たちが配属されています。隊に残っているのは、後方待機になっている古参兵ばかり。同年兵はすでに(おそらくは死地となる)戦場へ派兵され、4年兵の木谷を知る者は誰もいません。

 なぜ、自分は軍法会議にかけられ、陸軍刑務所へ送られたのか?

 木谷はある日、部隊視察に訪れた林中尉が落とした財布を草むらに発見し、中身を抜いて財布を隠してしまいます。その行為が露呈して起訴され、2年間という懲役刑に。しかし、窃盗事件にしてはあまりにも罪が重すぎないか?

 林中尉の服から抜き取ったと決めつける検察官に対して、木谷は事実を訴えますが、検察官は、その証言を認めず、かえって朝6時から夜9時まで正座で壁と対峙するという過酷な拘束を強いられ、結局、彼は、嘘の自白を強要され、認めてしまいます。

 刑務所に入って2年。ようやく仮釈放になり、原隊に復帰した木谷。
 刑務所帰りだという噂が広がる中、彼の話相手として登場するのは、曽田上等兵のみ。二人のやりとりを通じてことの真相に迫ります。

 世間から隔絶された兵舎の中で入隊前の大学生、工員、サラリーマンなど、世間でのそれぞれの生き方、信条などが全く捨て去られ、兵舎暮らしの中で次第に「兵隊」となっていく。

 ・・・曽田は軍隊内務書を次のようにおきかえている。

 兵営ハ条文ト柵ニトリマカレタ一丁四方ノ空間ニシテ、強力ナ圧力ニヨリツクラレタ抽象的社会デアル。人間ハコノナカニアッテ人間ノ要素ヲ取リ去ラレテ兵隊ニナル
 たしかに兵営には空気がないのだ、それは強力な力によってとりさられている。いやそれは真空管というよりも、むしろ真空管をこさえあげるところだ。真空地帯だ。ひとはそのなかで、ある一定の自然と社会とをうばいとられて、ついには兵隊になる。・・・(P284)

 起床から就寝までの部隊内の日常が細かく描写され、まさに人間一人ひとりの心身にとどまらず、組織も「真空地帯」になっていく様が描かれます。

 木谷は外出時に出入りした遊郭の女性への手紙の内容が反軍的であるということも罪とされます。しかしそれは木谷を重い罪に陥れるひとつの根拠にすぎません。

 小説の終盤。南方送りとなった木谷の前に、除隊間近な林中尉が現れ、真実が明かされます。

 軍隊内部の強力な上意外達のピラミッドの構造。特に戦争末期、枢軸の一角が崩れ、次第に追い詰められてきた日本。その中にあって、激しくなる上官、古参兵によるいじめ・パワハラ。日常的に行われる理不尽な暴力行為。その一方で、指揮官である中尉や大尉クラスの腐敗ぶり。軍隊物資の横流し、金品の横領、出入り商人との収賄などが日常化している現実。

 凄惨な軍隊経験をした作者の実体験に基づく小説。「木谷」、「曽田」、「安西」(学徒出陣兵)という登場人物が作者の分身として、軍隊の反人間的な実態を語らせていきます。時にユーモアを交えて(語り口としての関西弁が効果的です)、「真空地帯」となっている兵営生活を。

 長編(文庫本)ですが、一気に読ませる厚みのある小説でした。
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読書「水声」(川上弘美)文藝春秋

2018-04-09 21:15:32 | 読書無限
 久々に川上弘美さんの読書感想。というか、前に書いておいたものが中途半端なままで、つまり「下書き」で終わっていたので、改めて。

 2014年9月30日刊行。

 母が亡くなって、その後10年間そのままに空き家にしておいた東京・杉並の古い家に、姉の都は一つ下の弟の陵と住むことになる。・・・。
 夢枕に立った「ママ」。

 あなたたち、とうとう一緒に住みはじめたのね。・・・
 うん。住みはじめちゃった。
 夢の中で甘えた。
 ママはうすく笑い、
 あらあら、そんなことして、いいのかしら。
 と言った。おそろしかった。笑っているのに。
 ママはすぐに、消えた。起きてからも、ふるえが止まらなかった。陵には夢のことは言わなかった。(P12)

 ミステリアスな冒頭の一節。こうして読者を「川上ワールド」に引き込みます。 

 姉は、弟を愛している自分の感情におののき、両親にも誰にも隠していた。弟の方も同じ感情を持ち始め、ついに二人は肉体関係を持ってしまいます。
 その後、それぞれの道を歩んでいた姉弟。その弟が再び実家に姿を現したのは、母の死が迫ってきたときでした。夏、姉は弟と体を重ねる。

 決して起こらないことだと思っていたのに、それはいともたやすく行われた。
 不自然さは全くなかった。まるで体を重ねることを習慣としている男女のようだった。
(ふつうの男の体のよう)
 わたしは思っていた。
 陵と体を重ねる直前、もしも事が成ってしまったなら、時間はこののち決して連続的に流れないのではないかと予感した。けれど、そんなことはまったくなかった。する前。している時。した後。時間が不連続になることは、まったくなかった。空白も、爆発的な変換も、何もなかった。
 しているうちに、相手が陵だということを、一瞬忘れさえした。
 男と、している。
 それだけだつた。
 かつて恋人だった幾人かの男たちと体をかさねた時に、思わず「愛している」という言葉を口からほとばしり出させたような、あのやつあたりにも似た強迫的な感覚さえ、おぼえなかった。
 わたしの上で動いているのは、物質としての身体を持つだけの、何者でもない者だつた。そして、その下でうねるように動いているわたしも、ただの物質だつた。
 (だけど、なんてきもちがいいの)
 ただそのことだけを、わたしは感じていた。
 終わつてから、陵は恥ずかしそうに下着をつけた。
 「照れてるの?」聞くと、陵はうなずいた。
 「都だつて、そうだろ」
 顔を見合わせて、苦く笑った。今の自分の笑い顔は、きっとママに似ていると思った。陵の笑い顔は、パパに似ていたから。(P190)

 実は、パパとママも兄妹の関係だったことが二人の実の父親から明かされる。

 時の流れと共に、次第に青年期から壮年期、お互いに異性との恋愛を経験し、そして老いていく姉弟。そして、再会し、一緒に住みはじめてからの二人。

 閉じた目を開かないよう、力をこめる。陵の指の腹が、閉じたままのまぶたを、頤を、頬を、首筋を、なぞってゆく。あの夏、陵はこんなにゆるやかな動きをしはしなかった。あれは性急で、何かを押しっぶそうとするような動きだった。
 ゆっくりと、目を開けた。「するの?」
 「どっちでも」
 陵は静かに答えた。
 両のてのひらで陵の顔をはさんだ。ママのことを、少しだけ思い出した。でも、ほんの少しだけだ。
 「しなくても、大丈夫?」言うと、陵はうなずいた。
 「うん、そうだね。もう、どっちでも、いいね」かみしめるように、陵は答えた。
 だから、ふたたびわたしは陵の顔を両のてのひらで包んだのだ。
 どっちでも、いいの。そうだね。言い合いながら、互いの体をさぐる。体温のこもった布団の中で、足をからめる。欲情していなかったものが、ふれることによって少しずつ高まってゆく。体を重ねることで明らかにできることなんて、何もないことを知っているからこそ、ほがらかに体を重ねる。
 日曜日は、いいね。
 うん、ゆっくりできて。
 光がよく差してるよ。
 もうすぐ桜が咲くから。
 陵の足とわたしの足の区別がつかなくなってゆく。指も、腕も、脇腹も、背中も、頭蓋骨を包む薄い肌も、髪も、陵のものはすべてわたしのもので、わたしのものはすべて陵のもの。(P206)

 陵がわたしの体にはいってくるおりに、最初にふれあうのは、陵とわたしの体そのものではなく、わたしたちの体の中に蔵された水と水なのではないか。その時、水と水とは、どんな音をたててまじりあってゆくのだろう。(P215)

 物語は、1986年母の死前後に起こった御巣鷹山の飛行機事故、チェルノブイリ原発事故、そして1996年の地下鉄サリン事件に遭遇し死生観を考えさせられた陵、2014年に地震によって(2011年の東日本大地震で痛めつけられた築50年の家が崩壊の危機に)など不慮の死にまつわる事件や事故を織り交ぜながら、二人の人生を語り継いでいきます。

 パパ(健在ですが二人の子供たちとは別々に暮らしている)の残しておいた古時計が、物語の、そして二人の時を刻んでいく。

 2014年 都は56歳、陵は55歳。長年住んだ、その家・土地を離れ、二人のそれぞれの生活が始まるところで終わりになる。しかし、・・・。

 東京に戻ると、もう家はきれいに壊され、ただ平らな土地だけがあった。思っていたよりもずっと狭かった。ママの好きだったゆすらうめも、あじさいも、なくなっていた。
 また夏がくる。鳥は太く、短く鳴くことだろう。陵の部屋を、今日はわたしから訪ねようと思う。(P222) 
  
 近親相姦というまがまがしい(と世間的にはとらえる)の話を男と女の生き方(性にからめて)の話に昇華していく川上ワールドは、いつになくすてきでした。

水声
 水の流れる音。「谷川の水声」。
 
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読書「増補版1★9★3★7(イクミナ)」(辺見庸)河出書房新社

2017-08-29 21:21:59 | 読書無限
 本書は、『週刊金曜日』2015年1月30日号から同年7月31日号まで連載された「1★9★3★7『時間』はなぜ消されたのか」ならびに同誌2015年10月2日号に掲載された「今の記憶の『墓をあばく』ことについて」に加筆して、さらに修正、増補したもの。
 2016年3月30日発刊。

 タイトルの「1★9★3★7」は、日中戦争で日本軍が中国人に対して行った蛮行、いわゆる南京大虐殺があった年。
 中国人の視線で南京攻略当時の日本軍による残虐な行為を描いた堀田善衛の『時間』をもとに、その虐殺風景を浮かび上がらせる。そして、辺見さん自身が何度も本の中で自問自答する。もし自分がそのときの兵士の立場であればどう行動していたのか、上官の命令を拒否することができたのだろうか、と。
 また、虐殺され人生を断ち切られた中国人。虐殺された数を云々するのではなく、「敵兵」、「あいつら」、「捕虜たち」とひとくくりにするのではなく、名を持つ一人ひとりのいのちの重さを思うことの大事さを語る。
 そこでさらに、日中戦争に将兵として従軍した、今は亡き父の実像を手紙や戦後の言動から見極めようとする。戦後、復員して地方新聞の記者となった父。母親や自身へのDV、パチンコ通いと愛人通いをしつづけた父。そうした父への想い。父が執筆した従軍記にうかがわれるあっけらかんとした自己弁護、中国人、朝鮮人への蔑視、暴行、それでいて、中国人を拷問する部下に中止を命じた体験、そうした手記を父の死後に接する。しかし、生前、南京での状況や戦中の真相を父に問い詰めることができなかった。そのわけは? 「間違いなく父は将校としてその場で部下に拷問を命令したはずだ! 」
 一方で、同じ状況下に置かされた自分はどうだったであろうか、自分自身が父親の立場であったらどうしたであろうか、と自問自答する。

 被害者であることをことさら強調し、加害者であることを捨象した戦後のニッポンジン。「これが戦争というものだ」「戦争だからしかたがない」と無責任体質が蔓延(まんえん)した戦後日本の問題性を問い詰める。「「天皇ヒロヒト」の戦争責任をうやむやにしていった戦後のニホンをこれでもか、これでもか、と。

 その自問自答は否応なく読者にも突き付けられる。「自分が日本兵の立場なら、どんな行動をとったのか」、「この残虐行為を自分はできるのか」と問い、答えを求める。この問いに、何のためらいもなく答えが出せる、究極、「自分が殺されても他者を殺さないことを選ぶ」と言い切れる人ははたしてどれほどいるであろうか。

 辺見さんは、戦後70年間、この国に真の民主主義などはなかったと見抜く。
 日本人は中国大陸、朝鮮半島など東アジアで行った過去の残虐行為を封印し、天皇の戦争責任を問わなかったことを糾弾する。日本人は自分たちに都合の悪いことは徹底的に隠し、責任をとるということを避けてきた、と。
 最近では「福島第一原発事故」という未曾有の大惨事についても、誰一人責任をとった者はいない。その上、いまだ収束の見通しすらまったくつかないのに、放射能除去が万全ではない地域の帰還を強引におし進め、さらに全国で原発の再稼働を始めた。
 このように「責任をとらない」「とことんまで責任をとらせない、追求しない」ことがあらゆる場面で当たり前になりつつあり(国会の惨状、劣化はその最たるもの)、より深刻なのは、多くのニッポンジンがそうした状況に疑問を抱かなくなっている(させられている)こと。

 辺見さんは、ニッポンジンの悪業ともいうべき、こうした「無責任主義」が2015年にまでつながっていることを指摘する。それは「全体主義」の現れだ、と。ニッポンジンは、東京大空襲、沖縄戦、原爆投下の被害者ではあるが、その前の南京大虐殺では加害者であり、その後の日中戦争では大いなる加害者である。その加害者意識を忘れ、被害者意識ばかりを強調することに渾身から憤る。それがいままた繰り返されていく危険に気づかずに(気づかないふりをしている)今のニッポンジンにも。

 ニッポンジンは、はたして敗戦で「始めて自由なる主体となった」か。ニッポン軍国主義はほんとうに終止符がうたれたのか。超国家主義の全体系の基盤たる「國體」は、かんぜんにあとかたもなく消滅したのか。だとしたら、安倍晋三なるナラズモノは、いったいなにから生まれ、なににささえられ、戦争法案はなぜいともかんたんに可決されたのか。「この驚くべき事態」は、じつは、なんとなくそうなってしまったのではない。ひとびとは歴史(「つぎつぎになりゆくいきほひ」)にずるずると押され、引きずりまわされ、悪政にむりやり組みこまれてしまったかにみえて、じっさいには、その局面局面で、権力や権威に目がくらみ、多数者はつよいものにおりあいをつけ、おべんちゃらをいい、弱いものをおしのけ、あるいは高踏を気どったり、周りを忖度したりして、今、ここで、ぜひにもなすべき行動と発言を控え、知らずにはすませられないはずのものを知らずにすませ、けっきょく、ナラズモノ政治がはびこるこんにちがきてしまったのだが、それはこんにちのようになってしまったのではなく、わたし(たち)がずるずるとこんにちを「つくった」というべきではないのか。
 おもいかえさなければならない。過去のかなり長いいち時期、このクニは「国家総力戦」をたたかった。2015年夏は、そこからの時間の川の途中にある。日中戦争が本格化した1937年7月から45年8月の敗戦にいたる8年間は、ニッポンとニッポンジンが歴史的にはじめてけいけんした「国家総力戦」の時代であった。このことはぜったいに忘れるわけにはいかない。・・・(P393)

 アベ自公政権は今年になって共謀罪法案を国会のルールを無視して強行採決し、「モノイワセヌ」「サカラワナイ」臣民づくりに邁進している。「モリ・カケ」問題で足下がぐらついているアベは、今回の北朝鮮のミサイル発射にかこつけて、敵愾心、防衛心をかき立てて、支持を取り戻そうと躍起になっている。
 民進党のていたらくをあざ笑いながら、アメリカ軍と一体化して戦争へと着々と準備を進めている。戦争へと片足を突っ込んだ、今。

 「あなたは中国人捕虜を殺さなかったのか、強姦しなかったか、虐待しなかったか」「あなたが古参兵として新兵に暴力を振るわなかったか、理不尽な暴力を止めさせたか」・・・。日本兵による殺害、略奪、強姦(ごうかん)があった戦時に立ち返り、自らにその問いを突きつける。そこが戦争と日本人を掘り下げる本書の出発点だ。そして、亡き父への思いは募る。

 いまさらに。父にあいたいとおもった。いまさらに。いまは薄暮か未明か。まだわからない。薄闇の瓦礫のむこうにやせこけた父がたたずんでいる。悄然として、悄然としたふりではない。ふりのできないひとだ、かれは。しかたがなかった。すべてしかたがなかったのだ。戦争だったのだから。そうはおもわない。わたしはそうはおもわない。もりあがった影。ああ、土手なのだ。かれに声をかけようか。土手にふたりですわってたばこでもいっぷくやりませんか。わたしはかれほどすなおでないから、いろんなふりができる。この暗がりでふざけて、軍隊式の敬礼をするふりだってできる。そうしたら、かえってかれはおびえるかもしれない。ともかく土手にならんですわる。父のにおいがする。・・・(P401)

 あわせて、辺見さんの、少し前の著書を紹介。この書も辺見さんの思い(ある意味ではやるせない思い)が重たく、切々と伝わってくる。

永遠の不服従のために」。
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読書「狩りの時代」(津島佑子)文藝春秋

2017-08-03 20:02:19 | 読書無限
 昨年2月、惜しくも亡くなった津島佑子さんの遺作(亡くなられた後の、未発表の作品)。

 主人公の絵美子は、12歳の時、3歳年上のダウン症の兄、耕一郎と死別するという痛切な体験を持っています。すでに父を早くになくした絵美子は、以来、母カズミと2人で生活しています。
 絵美子には、甲府にいる母方、仙台にいる父方には祖母、叔父、叔母、いとこなど親戚がたくさん。中でもアメリカに移住した父の兄(叔父)家族との交流、いとことの関わりなど、世代、時代を超え、現実と夢とを交錯させながら、たくさんの親戚たちの視点で、戦争期から現代に至るまでの一族の歴史を描いていきます。
 読み始めは小説の舞台、展開がわかりにくい点があります。津島佑子さんが肺がんで息を引き取る寸前まで手を入れていたことが娘さんの後書きで明らかにされます。健在ならばもっと推敲されていたかもしれません。
 いうまでもなく、津島さんは太宰治と美知子さんの間に生まれた次女の方。15歳で亡くなったダウン症の兄がいたことも知られています。父が玉川上水で入水自殺(心中)した後、母と姉との3人母子家庭で育ったことや自ら娘と二人で生活していた経験などが色濃く反映されているように感じますが、そんな作者の身辺の下世話ばなしではすまされない内容を持った作品となっています。

 読み始めて間もなく、絵美子の伯父、創、叔母ヒロミたち3人が戦中の幼少期に体験したことが出てきます。ヒトラー・ユーゲント・少年団が使節団として来日、3人の住む甲府駅に少年たちが乗った列車が着いた歓迎のとき、3人は親兄弟の注意も聞かず、ヒトラー・ユーゲントを見に駅へ行きます。そこである出来事が起こります。肌の色が黄色ではなく、透き通るような白い少年をも巻き込んでの行為、叔母は誰にも話すこともできないまま長い年月が経ちます。その内容は後半になって明らかにされます。

 さらに戦後、絵美子が10歳のころ、いとこの同年代の晃か秋雄のどちらから、「フテ・・・」という言葉をささやかれたという、曖昧な記憶にこだわり続けます。はたしてどちらが言ったのか?
 いとこたちと遊んでいる最中、ダウン症の兄・耕一郎の行動に腹を立てたどちらかが、絵美子に投げつけた言葉なのです。「フテ」は「フテキカクシャ」それは「アンラクシ」、「ジヒシ」につながる言葉であったことを後になって知る絵美子。
 兄が亡くなった後、それがヒトラーによる優生思想に基づいて「不適格者」を「安楽死」、「慈悲死」させたという歴史から来ている言葉で、兄・耕一郎を社会に不要な存在として、抹殺する言葉だった。でも、誰が言ったのか?
 絵美子は、いとこのどちらかがどんな理由でどんな気持ちで、耕一郎の存在を根本から否定する言葉を口にしたのか、長い間、尋ねることに躊躇しています。ようやく実現したのは、小説も終わりのほうになってからです。それがまた絵美子の心に重くのしかかります。

 子どもの頃、耕一郎と二人で面白半分で万引きしたときの興奮を記したあと、

 わたしはこうちゃんにすべてを押しつけるつもりなのだろうか。こんなことでは、わたしこそがこうちゃんを「フテキカクシャ」と指弾して、にやにや笑いながら「ジヒシ」もしくは「アンラクシ」に追い込もうとする連中のひとりになってしまうではないか。「フテキカクシャ」ということばを絵美子がはじめて聞かされたのは、そういえば、十歳のときだった。(P231)

 こうちゃんがいなくなって、そのあと、わたしはナチスについて書かれた本を読んで、おびえるようになった。忘れたくたって、忘れられない。・・・晃さんになんとか復讐してやる、と思いつづけてきた。だけど、わたしに「フテキカクシャ」ってささやいたのは晃さんじゃなかった。あなただった。ばかみたいね。復讐もへったくれもない。わたしこそ、聞きたい、どうしたらいいのって。
 マンションの前にふたりは立っていた。(P249)

 秋雄さんそうは思わない?
 ああ、ちがうわね。あのとき無理に話をしていたらなにもかもぶちこわしになっていた。わたしたち、憎み合うようになっていたわ、きっと。「フテキカクシャ」ということばは、それだけおそろしい憎しみを含んでいた。わたしたちはきっと、それに耐えられなかった。だって、わたしたちはまだほんの子どもで、実際の憎しみとはどんなものなのかまったく知らなかったんだもの。そんな憎しみにもし本当に指一本だけでも触れてしまったら、あのあと心の底から笑うこともできなくなっていたのかもしれない。(P254)

(死を意識した、絵美子の父・遼一郎の兄永一郎の独白)

 耕一郎は愛情深い子どもです。家族だけではなく、まわりのひとたちに無類の笑みを見せてくれるのです。そこには計算というものがありません。自意識もございません。ひととして、それで充分なのではあるまいか。わたしはそう思うに至りました。(P267)

 ナチス・ドイツとかつての日本帝国は、とてもよく似ておりました。役に立たないものは容赦なく切り捨てる。近代日本とナチス・ドイツは徹底して、そうした考え方で繁栄を自らのものにすることができました。
 しかし戦争に負けて、ドイツは考え方を根底から変えました。変えざるを得なかった。・・・日本はなにも変えようとしなかった。チャンスに恵まれれば、いつでも復活するつもりでした。その象徴が、原子力発電所だったのです。原子力発電所さえあれば、かの偉大なる日本はいつでも復活できる。そのように信じつづけ、結局、日本は、原子力発電所の大爆発を経験しなければならなかったのです。
 ・・・ヒロシマの惨状にショックを受けたアインシュタインの、核兵器廃絶の主張はまちがってはいなかった。……(P276)

 絵美子にまつわるたくさんの縁者たちの、生者、死者の語りが何重にも積み重ねられながら物語を紡いでいきます。津島さんの、臨終に至るまでこだわり続けた差別への怒り、障がい者への寄り添いなど、そして、粗削りにならざるを得なかった無念さもひしひしと感じる作品です。

 「狩りの時代」。

 「狩猟者」は誰か? 「狩り」の対象は誰か? 「狩り」をするものも「狩」られるものも紙一重の世の中、時代の恐ろしさよ!
 「言葉」は人の生き死にまでも左右します、そのシビアな言葉の働きを心身で受け止める作家としての遺作です。

 ひとしく嗅覚、感性を鋭くしたいものです。

 参考に、違う視点、というよりも「日本(人)的」差別意識についての「内田樹の研究室」から内田樹さんの、興味深い文章を引用させて頂きます。

 「愛国的リバタリアン」という怪物
 金満里さんたちが出している「イマージュ」という媒体が、相模原の「やまゆり園事件」についての考察を特集した。そこに私も一文を寄稿した。あまり目に触れる機会のない媒体なので、私の書いたものだけここに再録する。
 相模原の大量殺人事件のもたらした最大の衝撃は、植松聖容疑者が事前に安倍晋三首相宛てと大島理森衆院議長宛てに犯行を予告する内容の書簡を届けていたことにある。それは権力者を挑発するための犯行予告ではなく、自分の行為が政権と国会多数派には「好ましい」ものとして受け止められ、権力からの同意と保護を得られるだろうという期待をこめたものだった。逮捕後も容疑者は「権力者に守られているので、自分は死刑にはならない」という趣旨の発言をしている。
 もちろん、これは容疑者の妄想に過ぎない。けれども、何の現実的根拠もない妄想ではない。彼の妄想形成を強化するような現実が今の日本社会内部にはたしかに存在しているからである。
 アナウンサーの長谷川豊は事件の直後の2016年9月に自身のブログに「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」というタイトルの記事を投稿した。これには批判が殺到し、専門医からも事実誤認が指摘されたが、この人物を日本維新の会は千葉一区から衆院の立候補者として擁立するということが先日発表された。
 重篤な病人や障害者に対する公然たる差別発言にはまだ一定の社会的な規制が働いており、有名人の場合には、それなりの批判を受けて、社会的制裁が課されているが、在日コリアン、生活保護受給者やLGBTなどの社会的弱者に対する差別や攻撃の発言はほとんど何のペナルティもないままに垂れ流しされている。
 際立つのが片山さつき議員で、生活保護受給者は「実質年収4百万円」の生活をしているという無根拠な都市伝説の流布に加担するなどして、生活保護叩き発言を繰り返してきたが、最近も捏造投稿に基づいてNHKのニュース内容にクレームをつけて、生活保護受給者が社会福祉の「フリーライダー」だという世論の喚起に励んでいる。もちろん、本人がそう「信じている」という信憑の問題もあるのだろうが、「そういうこと」を公言すると選挙で票が集まるという現実的な打算も同時に働いているはずである。
 アメリカではドナルド・トランプ大統領が「弱者叩き」の代表格である。「ラストベルト」のプア・ホワイトたちの輿望を担って登場したはずのトランプだが、就任後実施された政策は富裕層への厚遇措置ばかりで、移民排斥や、海外企業の国内移転への圧力などの「雇用対策」は今ここにいる社会的弱者のためには何の利益ももたらしてはいない。選挙公約だったオバマケアの廃止は、それによって2400万人が医療保険を失うという予測が公表されて、さすがに与党共和党も加担できず、改廃法案を撤回するという騒ぎになった。アメリカの有権者はそのような人物を大統領に選んだのである。
 これはおそらく全世界的な傾向である。社会的弱者たちは、自己責任で弱者になったわけであり、いわばそういう生き方を選択したのだから、政府や自治体が、公金を投じて彼らを支援することは「フェアではない」というロジックは目新しいものではない。これはアメリカにおいては「リバタリアニズム(libertarianism)」というかたちで、建国当初からつねにアメリカ社会に伏流していた。アメリカが世界に冠絶する覇権国家となり、その国の作法や価値観が「グローバル化」したことによって、アメリカ的な「リバタリアニズム」もまたグローバル化したということだと私は理解している。
 「セルフメイドマン(self made man)」というのは建国以来のアメリカ市民の理想像だが、要するに誰にも頼らず独立独行で自己実現を遂げる生き方のことである。「リバタリアン(libertarian)」は、その過激化したかたちである。
 リバタリアンは、人間は自分の運命の完全な支配者であるべきであり、他者であれ公共機関であれ、いかなるものも自分の運命に介入する権利はないと考える。だから、リバタリアンは政府による徴税にも、徴兵制にも反対する。当然ながら、社会福祉のための原資の提供にも反対する。
 ドナルド・トランプが徴税と社会福祉制度につよい嫌悪感を示すのは、彼がリバタリアンの伝統に連なっていることを示している。
 トランプは選挙期間中に対立候補から連邦税を納めていないことを指摘されて、「すべてのアメリカ人は納税額を最小化するために日々知恵を絞っている。私が連邦税を払っていないのは私が賢いからである」と述べて支持者の喝采を浴びた。これは別に露悪的な発言をしたわけではなく、ほんとうにそう思っているからそう言ったのである。彼に喝采を送ったプア・ホワイトたちは、自分たちとは桁が違う大富豪であるトランプの「納税したくない」というリバタリアン気質が「自分と同じだ」と思って、その発言に賛意を評したのである。
 トランプは軍務の経験も、行政の経験もないはじめての大統領だが、それは軍務に就くことも、公共機関で働くことも、どちらもリバタリアンとしては「やらないにこしたことはない」仕事だからである。アメリカの有権者たちは彼の「公的権力を用いて私利私欲を満たすが、公益のためには何もしない」という態度がたいそう気に入ったのである。
 今の日本で起きている「弱者叩き」はアメリカ原産のリバタリアニズムが日本に漂着し、日本独特の陰湿なしかたで退廃したものだと私は理解している。トランプのリバタリアニズムはこう言ってよければ「あっけらかん」としている。ロシアとの内通疑惑が暴かれたことによって、彼が「愛国者」であるかどうかについてはアメリカ人の多くが疑問を抱いているだろう。けれども、リバタリアンにおいて、愛国者であることは実は「アメリカ人的であること」のための必要条件ではない(国家や政府などというものは「ない方がいい」というのが正統的なリバタリアンの立場だからである)。
 けれども、日本では公的立場にある人間は「国よりも自分が大事」というようなことを(心で思っていても)口には出さない。仮に、安倍晋三が所得税を払っていなかったことが発覚したとしても、彼は「私は賢いから税金を払わずに済ませた」という言い訳をしないだろうし、その言い訳に喝采を送る有権者も日本にはいないはずである。
 日本ではリバタリアンも愛国的なポーズをすることを強いられる。
 だから、日本では「リバタリアンでありながら、かつ愛国的」という奇妙な生き物が生まれてくる。現代日本に跋扈しているのは、この「愛国的リバタリアン」という(「肉好きのベジタリアン」とか「気前のいい吝嗇漢」というような)形容矛盾的存在である。
 一方において、彼らは自分が獲得したものはすべて「自己努力によって獲得されたもの」だから、100%自分の所有に属し、誰とも分かち合う気がないと断言する。同じ理屈で、貧困や疾病や障害や不運などによって社会的弱者になった者たちについても「すべて自己責任で失ったもの」であるので、そのための支援を公的機関に求めるのは筋違いであると主張する。
 ここまではリバタリアン的主張であるが、日本の「愛国的リバタリアン」はこれに愛国主義(というより排外主義、外国人嫌い)をぱらぱらとまぶして、社会的弱者というのは実は「外国人」であるという奇妙な社会理論を創り出す。ここに日本のリバタリアニズムの独特の歪みがある。
 日本型リバタリアンによると、社会的弱者やあるいは社会的弱者を支援する人たちは「外国人」なのである。仮に血統的には日本人であったにせよ、外国渡来のイデオロギーや理説に「感染」したせいで、「外側は日本人だが、中身は外国人」になっているのである。だから、社会福祉や教育や医療などの活動に公的な支援を求める組織や運動は本質的には「日本の国益よりも、彼らが忠誠を誓っている外国の利益に奉仕するもの」なのだという妄説が出来上がる。生活保護の受給者は多くが在日コリアンであるとか、日教組の背後にはコミンテルンがいるとか、朝日新聞は反日であるとか、翁長沖縄県知事は中国に操られているといった類のネトウヨ的妄説はその典型的なものである。
 語っている本人もさすがにほんとうだと思ってそう言っているわけではいないだろう。にもかかわらず、彼らが「反政府的な人間=外国人」というスキームに固執するのは、彼らにリバタリアンに徹底する覚悟がないからである。
 リバタリアンであれば、話はすっきりしている。貧乏なのも、病気なのも、障害者であるのも、すべては自己責任である。だから、それについては他者からの同情や公的支援を当てにしてはならない。医療保険制度はいらない(医療は「サービス」なのだから金を出して買え。金がないやつは死ね)。公立学校も要らない(教育は「サービス」なのだから、金を出して買え。金がないやつは働いて学費を稼ぐか、有利子で借りろ)。社会福祉制度はいらない(他人の施しがないと生きていけないやつは死ね)と、ずいぶん非人情ではあるけれど、バケツの底が抜けたように「あっけらかん」としている。
 しかし、さすがに日本では(心ではそう思っていても)そこまでは言い切れない(居酒屋のカウンターで酔余の勢いで口走ることはあるだろうが、公的な立場ではなかなか口にはされない)。
 その不徹底をとりつくろうために、日本的リバタリアンは「排外主義」的イデオロギーを装飾的に身にまとう。そして、貧乏人も、病人も、障害者も、生活保護受給者も、みな本質的には「外国人」であるという摩訶不思議な理説を噛ませることで、話のつじつまを合わせようとするのである。
 相模原事件の植松容疑者はその意味では障害者支援をめぐる問題の本質をよく見抜いていたというべきだろうと思う。彼自身は生活保護の受給者であったが、その事実は「わずかな賃金を得るために、他人に顎で使われて、自分の貴重な人生を空費したくない」という彼のリバタリアン的な気質と齟齬するものではなかった。けれども、自分以外の生活保護受給者や障害者は彼の目には許し難い社会的寄生者に見えた。この矛盾を彼はどう解決したのだろうか。自分には公的支援を受けることを許すが、他人には許さないという身勝手な識別を可能にする境界線として最終的に彼が思いついたのは「私は日本人として日本の国益を優先的に配慮しているが、彼らはしていない」という「日本人/非日本人」スキームであった。
 だから、植松容疑者がこれは「日本のために」したのだとか、「社会が賛同するはずだった」とかいう自己弁明を繰り返し、「国益を害するものたち」を「処分」する「官許」を首相や衆院議長に申請したことには論理的には必然性があったのである。
 彼は自分が「愛国的リバタリアン」という政治的奇形物であり、現在の日本の政界の指導者たちの多くが程度の差はあれ自分の「同類」だと直感していたのである。

 津島さんの憂いをはるかに越えて、早晩、日本のみならず、世界が、言葉による暴力にとどまらず、排外主義的な肉体的暴力へいっそう突き進む時を迎えているような思いがしてなりません。
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読書「植民人喰い条約 ひょうすべの国」(笙野頼子)河出書房新社

2017-07-23 20:02:30 | 読書無限

 TPPがアメリカのトランプによって破棄されて周章てた「にっほん」。アメリカ抜きでなんとかとの思惑も視界不良。しかし、これで安心か(自動車も農業も医療も保険も)と思いきや、「アメリカファースト」を掲げて責め立てるトランプ。1対1の自由貿易協定締結を強いられ、結局はアメリカ・グローバル多国籍企業によって牛耳られるそうな気配。
 それにお追従して大もうけを企む国内グローバル大企業。結局は、農業は壊滅寸前。
 その先駆けとしてEUとの貿易協定が成立。ワインが安くなる、チーズが安くなる・・・、消費者がぬか喜びしている間に、気がついたら・・・。
 
 こうした国になりはてるにちがいない、その根幹をなすのが「ひょうすべ」すなわち「表現がすべて」=「表現の自由」なんてことにはならない。今や日本国ならぬ「大にっほん国」と化した国に寄与する言論の自由は充分に、充分に保証され、自在に発言が許されるが、少しでも逆らうような言論はすべてオミット。これこそ、TPPに棲みついた、人喰い妖怪「ひょうすべ」。

 「日本人」たる証明は「戸籍」にあるからはずだから開示せよ、なんてモノでは済まされない。戸籍にそうあったってそれだけじゃダメ! 
 本物なの? 隠れ外国籍があるんじゃないの? 本当に日本人なの? どうやって証明するの? もしかしたら戸籍をごまかして取って、実は外国の(中国の)スパイじゃないの?
 報道の自由、表現の自由の名の下に、「違法」行為と責め立てる国柄となりはてた日本。

 この小説? は、何だかこれからの日本国民を「日本国」民ならぬ「大にっほん国」民たらしめる意図を鋭く批判・暗示した先駆的(になりうる)小説作品です。
 
 2016年11月初版。

 「ご挨拶」から。

 IMFのお使い様、その名はTPP、開いて書けば環太平洋パートナーシップ協定、名分は一応、「自由貿易協定」。しかしその実体は、亡国人喰い条約。
 なぜかこの恐ろしいものを誰も報道しません、少ししか書きません、というよりも、どう考えても、……。
 メディアを上げて隠している。国民に何も、教えない? それは未来永劫の国あげての、国際的に逃げられぬ奴隷契約、内実までも黒塗りという悪魔の契約、どうしてマスコミは沈黙していたのだろう? どうして? どうして?
・・・
 ああそうそうそれでも、朝日新聞の政治部次長、高橋純子という人がこの前『だいにっほん、おたんこめいわく史』の憲法改悪の下りを取り上げてくれました。もともとはおかしな言説おかしな文章の批判から始まった作品です。十年前に書いたそれが今、総理への批判にそのままになってしまっている。ありがとうございます。でもまあ、……
 書店の皆様、そう、稀にこの本を置いてくださる書店の皆様、たとえ一冊しか取り寄せなかったとしても、せめて、その一冊を書店の台に、立てて置いてください。プラカと思って……。
 ・・・これは書店デモ、です。そしてもし私が笑われる程このTPPが実はなんでもなかったとしたら、その方がむしろ私は幸福、安心です。それと同時に。
 これはこれで私の文学の危機感の行き着くところ、ここには、人類の未来にまで渡る問題点が小説という、自由な分野の必死さやフィクションの有利さで(当然デフォルメされて)綴られているのですから。
 どうぞよろしく、お願い申し上げます。(P11)

 TPP「環太平洋パートナーシップ協定」=人喰い条約=によってもたらされるだろう「人喰い社会構造」という未来世を予言し、徹底的に批判した一冊。
 「パートナーシップ」だって、「自由」だって! どこが! ケッ! という笙野さんのつぶやき、いや大声が聞こえてきます。

 TPP、その正体は「人喰い」妖怪「ひょうすべ」だ、と看破される笙野さん。未来の日本を暗示させる、いや、すでになりつつある「大にっほん」国。そこに生きる埴輪詩歌とその家族をめぐる小説仕立て。


1 こんにちは、これが、ひょうすべ、です ―TPP批准後、その施政方針のための記者会見

 おめでとうございます、あなた方、これでもう「三等敗戦国」から脱皮しましたよ。つまりもう、国ではないのです。そして三等も敗戦もさっぱり消えたあとは、世界に開かれた見事な、公衆植民地です。
 さて、この植民地において、これからはすべて契約というものは、保険ひとつ結婚ひとつでも全て英語でしなければ罰せられます。(P37)

2 ひょうすべの約束

 その正式名称は「NPOひょうげんがすべて」。お国の第一党の仲良し団体、おとなのくせにそれは「ユーゲント」とか自称しています。
 このひょうすべ、本人たちは表現の自由をすべて守ると言っていますが、守るのはただひとごろし(ヘイトスピーチ)の自由とちかんごうかん(処女虐待や女性差別賞賛)自由だけでした。そしてそれ以外については一切、何もしませんでした。だって、政府は人間が自由に口をきく権利を、もうすべて奪っていましたから。(P47)

3 おばあちゃんのシラバス

 「輝くお年寄り法案」が通って、年寄りの「自発的安楽死」も増えた。マスコミはせっせとそれに協力した。混合医療とは何か? ひとことで言うと、「びんぼうにんはしね」である。赤ちゃんも消えた。子供を産むだけで百万キモータかかる。「もともとにっほん人ほど子供の嫌いな国民もないと思うよ。赤ちゃんさえも自分で行列に並べ、迷惑をかけるなといいかねない国だからね」。(P88)

4 人喰いの国

 TPP通れば、十二ヶ国、墓場、……ここは?
 灰色の桜に、満開の毒……金持ちは海外、……国丸ごと廃墟。
 ひょうすべ、ひょうすべ?
 ねえ、ひょうすべの国になると、そこはどうなるの?
 うん、生命体がすべて、資源になる。誰も彼もがそこでは、人間も動物も男も女も……。
 地球レベルの巨大な脱水機にかけられ、血を絞られ死んでいく。それが地球九十九パーセントの運命になる。にっほんはいわばその先駆け、医療の壊滅に農業の崩壊、本土よりもっと、きついのは島部、いくつもが無人島になってしまう。むろん、全国どこだって身の回りのことも、全てひどくなる。水道の水は「飲みにくくなる」、学校給食には「何か入ってる」、国民の体格も平均寿命も「古き良き時代に」戻っていくんだよ。うちらはもう小作人でさえなくなってしまい、世界企業のための食材にされるんだ。機械に放り込まれ、ミイラになっていく。
 救急車を呼ぶだけで給料は吹っ飛ぶ。子供を産みたければローンを組むしかない。白内障の手術が受けられない老人の社会。どこの家でも目の見えない年寄りが泣いている。また車椅子を買うのに補助金を出せば「投資家との世界裁判」が「怖い怖い」、ほら「IMFガー」とお役所は言うだけで。たとえ老人でなくっても動けない人は、倒れ伏してしまう。動ける人さえも、ローン払えなくって道で寝ているから……賃金も待遇も坂を転げ落ちる。だってこれからは、……。
 水も食べ物も服もない国との競争になるからね。幼児まで働かされる世界と職の奪い合い。だけど世界的に行われる自由競争ってもの、それは搾取する側のひとり勝ちでしかない。
 要するにひょうすべはにっほん人の、よそより長い平均寿命を切り取って喰いたい。全部の子供の顔に涙の跡がなければ、気に入らない妖怪で。(P96)

 さあ、この国において? 表現の自由って何の事だろうね?
 高い大きい広告を出してそこで好きなだけちかんごうかんの推奨やレイシズムをやって、ポンスはその広告料でマスコミを買い取って、正しい情報を絶対に流させずに嘘をまき散らす、それが自由なのか? 芸術は「売れない」と追い詰めておいて反論出来ないように弾圧して行く、大声の自由かね? 同じことを蒸し返し低劣な嘘を吐きネットに沸いてたかり、デマの画像を作り、マイノリティを中傷して虐殺幇助を企む。
 ひょうすべは表現をする時にまず、相手に口輪をはめてから言いたい放題、すると本当の事や肝心の事は、すべて、マスコミの闇に消える。それは内部事情、それは世界企業の悪。「内部事情は下品だから禁止します」、「中立の意見だけ書いてください」、「具体名禁止」、「必ず両論並立」。
 こうして足元を照らしてはならぬという規則の中、我々は崖っぷちの夜道を歩かされる。一方だけの自由に支配されて。そこに報道はない、言論もない、芸術も真実も告発も表には出られない。いるのはただ、ひょうすべ、ひょうすべ。
 弱者を虐殺してアートと称する自由、金の集まるところにある差別を固定化するための自由、だんまりを維持するためだけそこにある自由。
・・・原発を作らせない、戦争をさせない、武器麻薬を売らせない、毒汚染をまき散らさない、本来大切な事が全て条約違反になって。とどめこの人喰い条約に規定のない時はすべてひょうすべの命令に従う、という契約になっている。そして? 連中は取り敢えず戦争を連れてくる。(P98)

 かつて難民を助けようともしなかったこの国家から、政府と大企業だけが外国に移転され、生き延びるでしょう。彼らは安全な先進国に暫定政府を置き、そこからだいにっほんの生きた少女を売りつづけ国を売りつづけます。そしてあなたの国土とだいにっほん政府は昔と変わらず、実に何の関係もないまま、売られ、売り飛ばされるだけの時間軸を辿るのです。
 そうです。今からにっほんは世界企業によって核廃棄物の置き場にされるのです。(p.181)

5 埴輪家の遺産

 経済的に破綻してゆく「だいにっほん」。収入のなくなった埴輪家。詩歌は、ヤリテ見習いとして火星人少女遊廓に勤めることに。そこで出会った火星人落語の名手、木綿造と結婚します。そして、二人の間には、木綿助といぶきという二人の子供が生まれます。

 『だいにっほん。ろんちくおげれつ記』『だいにっほん、ろりりべしんでけ録』より、詩歌の子供、木綿助・いぶきの遺作、 

6 ひょうすべの菓子
7 ひょうすべの嫁

 の二作を収録します。

 そして、「後書き」どうせ私ら皆殺しにされるんですよ? でもね、なんとかして、避けられませんそれ? 無理?

 ただね、もし運良くTPPが流れていたとしても、(ていうかまだあきらめるのは早過ぎ油断してもだめ)どうせひょうすべはまたやって来るよ。皆さんご注意を(ことに特区、緩和、民営化って死神ワードだから)。

 臨時国会TPP審議中の十月十八日に 笙野頼子
(P252)

 この「後書き」にこそ、先見の明があります。明日、明後日の予算委員会で何が出てくるやら。

 けっして笙野頼子さんの世迷言というなかれ。
 
 巻末に『姫と戦争と「庭の雀」』「十年前の作品、アンソロジーに二回入れて自分の本に入れそびれていたものをぶれない追加として収録」してあります。

・・・作中のひげの隊長という「宣伝戦略」は今や議員となって仮面を取り、暴力をふるい、戦争法案を通過させやがった、……(P251)
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読書「このあたりの人たち」(川上弘美)スイッチパブリッシング

2017-06-10 20:49:22 | 読書無限
 久々に川上弘美さんの作品。
 
 ところで、2歳の孫が大好きな「それゆけアンパンマン」。

 我が家に来ても、ミニカーやプラレールで遊びながら、一方で、ちらりとTVの画面を。同じ内容のビデオでも何回も観ています。飽きないのかな、などと思うのは、大人たち。
 何度も観ているうち、ストーリーを覚えているのか、好き嫌いもはっきりしてきます。なんとなく暗い森の場面になる前に、変えて、と迫る。
 どうも気に入らない登場人物の時には、表題が出たとたんに、変えて、と。
 勿論アンパンマン、ばいきんまん、ジャムおじさんなどのレギュラー陣は好きなようです。

 しかし、次々と新しいキャラクターが登場。だいたいが食べ物に関わるネーミングとなっています。それがコスチュームとかとぴったりはまっているのが見事。
 背景・場面も登場人物、ストーリーに合わせて、賑やかな街あり、丘あり、雪山あり、穏やかな山並みあり、深山幽谷あり、お花畑あり、荒れ狂う大海原あり、いくつも浮かぶ不思議な島、果てしなく続く道あり、・・・。

 「アンパンマン」の世界・地理・宇宙はいったいどうなっているのでしょう? つい気になってしまいます。でも、そんな理屈抜きで、毎回楽しませる手法はたいしたものです。観る人をそんな不思議な世界に引き込む。孫と観ていると、爺さんもついつい。ワンパターンだと分っていても、それに徹していると理解していても・・・。ばいきんまんを含め、憎めないキャラクターなんですね、登場 人物(動物)? たち、皆。

 あり得ない世界だけれども、どこかにはありそうな物語の世界。それは、登場人物たちへの共感、彼らの世界への、郷愁を含めた世界への気がついたらのめり込んでいく世界。

「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」は、放映時の変化と共に、電化製品や家具などの大きく確実な変化はありますが、基本的な生活空間、住まい、街並み、自然環境にはほとんど変化はないように感じます。その中で、毎回、まったく同じではない、あれだけのストーリーを描くのですから、それはそれですごいものです。
 アニメの世界では、原作者がとうの昔に亡くなっていても続いていくという「長寿」なのは、実に驚異的なアニメ・TV文化(伝統)です。

 この川上さんの作品の世界も又、柴田元幸さんが「このあたりってどのあたりかなというと、こういう町に住むのっていいかも、とあなたが思うあたりです。」という世界です。「アンパンマン」と同じ、と云われたのでは、どちらにとっても不幸ですが。いや、幸福かな。

 人間ともつかず、植物、動物ともつかない、そう、自然界の行きと生ける者(「もの」「物」「モノ」ではなく、毅然として存在し、活動している者)たちとの心の通い合う世界こそ、川上さんが心身・人生の歴史で感じとった世界・宇宙です。

 ま、こういう物語世界は、読者にとっては好きか嫌いか分かれてしまうかも知れません。例えば、「グルッポー」=鳩鳴病にかかった人々の話=「何、この話。わけが分らないわ」という一言で終わってしまう。「白い鳩」=テンポ良く進みすぎて分らなくなる話はなおさら、・・・。

 しかし、こうして、「川上ワールド」にはまってしまうと、実に心地よい空間になってしまいます。

 「町」ができていく、とは? 26の物語を楽しんで下さい。そして、川上ワールドにひたって下さい。

 ところで、今度はいつ「甲州街道」を歩きますか。  

  

                                  (www.anpanman.jp/ 「アンパンマン公式ポータルサイト」HPより)
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読書「隷従への道」(フリードリヒ・ハイエク 村井章子訳)日経BPクラシックス 

2017-02-05 13:50:11 | 読書無限
 アメリカの経済学者・ブルース・コールドウェルによる序文によって、ハイエクのこの書のルーツと出版のいきさつ、その後の肯定、否定両面からの反応、そして、この書が今なお失わない今日的意義について知ることができます。
 「党派を問わずすべての社会主義者思想の持ち主に捧ぐ」という冒頭の一句や第12章の「ナチズムを生んだ社会主義」という表題が示すように、徹底した自由主義経済論の立場から、ドイツのナチズムへの批判を基本にしながら、ロシア革命によって成立した旧ソ連の「社会主義」という名の下での計画経済の誤りをも論じた内容で、生産手段の集約化、計画化、統制化などがいかに自由な経済活動を阻害するか(ケインズなどとの論争は有名)について論考しています。
 その点では、主として社会主義(運動)に共感を持つ人々からは毛嫌いされ(社会主義とファシズム、ナチズムを同一視しているという)、反対に自由主義を標榜する立場からは賞賛される(社会主義体制を批判しているという)書。
 そういうこの書の内容を巡る論争を置いても(評価など云々するほど経済には知識もありませんので)多面的で大部な内容ですが、興味深く読み進めることができます。
 中でも、次の内容が大変面白く読みました。まさに、これこそ今日的意義ではないかと。アメリカ大統領トランプ誕生と彼の政策、発言、行動とがオーバーラップしてくるからです。(ちょっと引用文が長いですが)

第10章 最悪の人間が指導者になるのはなぜか
 単一の虚偽を奉じる強大な集団は、主に三つの理由から、とかく最高の人間ではなく最低の人間で形成されやすい。このような連中を動員するからくりは、私たちの基準からすればどれも好ましくない。
 第一に、教育水準が高く知的になるほど、一般に意見や好みは多様化するため、ある特定の価値観を共有する可能性は低くなる。同じような意見を大勢が共有する状況が見られるのは、倫理規範も知的水準も低い集団であり、そこでは大勢がより原始的な「共通」の本能や好みを共有している。なにも、大方の人はモラルが低いと言いたいのではない。誰もが同じような価値観を抱いている大集団があったら、その中にいる人々は倫理的・知的水準が低いということだ。言うなれば、最大多数をまとめるのは最小公約数なのである。特定の価値観をすべての国民に強要できるほど強大な集団が、知的水準が高く意見も好みもまちまちな人たちで形成されることはまずない。そうした集団を形成すのは、悪い意味での「大衆」の一員であり、独創性も自主性もなく、数を力と恃むような連中である。
 支持者の数を増やすには、大勢を洗脳して引き入れなければならない。
 そこで、第二のいかがわしいからくりが登場する。それは従順でだまされやすく、自分の考えというものをまるで持っていない人を根こそぎ支持者にするというやり方である。こういう人たちは、耳元で何度も大声でがなり立てられれば、どんな価値観も受け入れてしまう。かくして、ものごとを深く考えようとせずあっさり他人に同調する人や、すぐに感情が昂ぶる人たちが加わって、全体主義政党の党員はあっという間に膨らむ。
 第三の、おそらくは最も好ましくないしかけは、熟練した扇動者が結束力の強い均質な支持母体を形成する手口にある。どうやら人間の本性というものは、建設的なことよりも、敵に対する憎悪や地位の高い人に対する羨望といった非生産的なことで一致団結しやすいようだ。どんな集団でも、連帯意識を高め共同歩調をとるためには、仲間内と外とをはっきり区別し、外に対して共闘することが必須であるらしい。このやり方は、政策の賛同を得るためにも、大衆の無条件の忠誠を勝ち得るときにも使われている。扇動者の立場からすれば、下手に建設的なことを言うよりも行動の余地が広い、という大きな利点があるからだろう。敵は、ユダヤ人や富農など内部の敵でもいいし、国外の敵でもいい。ともかくも全体主義の指導者にとって、敵は必要不可欠な動員手段だと見える。
 ドイツでは「財閥」が敵とされるまではユダヤ人が敵と位置づけられていた。またロシアでは「富農」が敵とされていた。・・・(P354)

 ハイエクにとって経済政策・思想上での批判の対象は、「集産主義」。「全体主義」経済の思想・手段そのものです。

※「集産主義(コレクティビズム)」=生産手段などの集約化・計画化・統制化などを進める考え。広く国家の経済への介入や計画全般を指す。

 ハイエクは、共産主義もファシズムも「集産主義」という面では同根であり、傲慢な全体主義体制であると批判しているわけです。

 もちろん、トランプが矢継ぎ早に出している(大統領選中の激しい排他的、米国利益第一主義の主張。選挙民の共感を得たと主張する)「大統領令」は、包括的な経済協力体制否定であったり、規制緩和であったりしていて、一見、「国家・政府」の介入を緩和しようとする「小さな政府」(共和党の年来の立場)と言えそうですが、具体的な会財政策は、強引なほどの政府誘導による(自国、外国問わず)企業介入、景気浮揚、賃金アップ、雇用確保のようで、かつての「ニューディール政策」などと類似している印象です。(「ニューディール政策」は、一種の集産主義と呼ばれることもありますので。)特にその「排他主義」の危険はどこにアメリカを導くのか、・・・。
  
 また、トランプにはカリスマ性があまりなさそうで(自分ではそう思っているふしがありますが)、ヒトラーが率いたナチズムなどのようにはならないと楽観視する見方もあるようですが、まったく危険がないわけではありません。その証拠になびき始めた企業家やマスコミも出てきていますから。
 特に我が国の総理は、巨額な国のお金を使って貢献しようという「朝貢」外交を展開しようとしている「愚か」ぶりですので。

 目的は手段を正当化するという主張は、個人主義の倫理観からすれば倫理の否定にほかならない。ところが集産主義の倫理観では、これが究極のルールとなる。筋金入りの集産主義者にとって、彼らの言う「全体の幸福」に役立つことであれば、してはならないことは文字通り何もない。「全体の幸福」こそが彼らにとっての唯一の価値基準である。集産主義の倫理観を単純明快に表す概念に「国家理性(レゾン・デタ)」というものがある。これは国家の存在を市場のものとみなす原理で、国家が恣意的に決める条件以外には、行動を縛る原則はない。個々の行為は、国家の目的に適いさえすればよいのである。・・・
(P366)

 その結果、
「・・・集産主義の政策はつねに一部の集団の利益のみに適うということだ。そうでない集産主義が果たして現実にあり得るのか、考えてほしい。また、排他主義(国粋主義であれ、民族主義であれ、階級主義であれ)に陥らない集産主義があり得るのか、考えてほしい。・・・」(P357)

 アメリカではジョージ・オーウェルの小説「1984年」が読まれ始めたようです。この小説は反全体主義・反集産主義の立場。ここに登場する独裁政党の政治思想・イングソック(イングランド社会主義)は、政府宣伝によれば社会主義の一種ということになっていますが、支配者たちはその正体を「少数独裁制集産主義」とみなしています。アメリカ市民はそんな危機感を感じとっているのかもしれません。
 トランプNO! の声がどこまで届くか、アメリカ民主主義の真価が問われています。いや、世界の、日本の、・・・アベ政権は、先取りでどんどん国家主義的政策をおし進めている、それが実はトランプのますますお気に入りになっているのではないでしょうか。
 だとすれば、すでにアメリカ・トランプ政権と軍事も経済も一蓮托生を歩み始めた日本の(民主主義国家としての)未来も実に危ういものになっていきます。何とかしなければ取り返しの付かない事態に。・・・ 
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読書「世界をわからないものに育てること」加藤典洋(岩波書店)

2017-01-13 20:14:49 | 読書無限
トランプ氏、語らぬ具体策 雇用創出・国境税掲げるが

 トランプの記者会見の模様を見聞きして、やっと読み始めた本の、今読んでいる冒頭に近い個所に目が止まりました。加藤さんには申し訳ないですが。ウルトラ右翼で、『永遠の0』の作者、百田尚樹がまったく思想的には反対とも言える宮崎さんの『風立ちぬ』に感動した、という発言に触れて、

 「情報化社会の昂進によって・・・自分の考えをもっていること、論理的であること、首尾一貫していることは、かつては好ましくもあれば必要なことでもあったのだが、いつのころからか、融通が利かず、持論にこだわり、偏狭だといったマイナス・イメージをともなうようになった。逆に、この高度情報化社会の進行につれ、あっけらかんとしていること、あっさりしていること、こだわらないこと、少しちゃらんぽらんであるくらいのほうが、ノンシャランで、好ましいことと感じられるようになったのである。」(P34)

 「百田は『風立ちぬ』の作者の『平和主義』に寛大なのではない。ただ、自分のスキゾ型の『感動』に正直なのだ。そして彼が『感動』するのに『イデオロギー』は何であろうと関係がない。『作品』が適切な『イデオロギー』を採用し、『感動』の器として機能していれば、それでよいのだからである。ここでの教訓は、ある意味でちゃらんぽらんな百田のあり方のほうが、いまの社会にはよりフィットしている、ということである。没価値的に両者の反応をみれば、後者のほうに(注:百田のほう)に『好感がもてる』ということは、そういうことなのだ。」(P35)

 トランプの発言に対してアメリカのメディアの多くは、激しい拒絶反応を示しています(日本のマスコミも)。しかし、そうしたこれまでの国民世論を導くといったような高みからの姿勢にアメリカ合衆国の人々は共感するのではなく、それらをぼろくそにののしり、自分に不都合な事柄に対してはちゃらんぽらんな受け答えに終始するトランプに快哉を送る。ここに、アメリカ社会の現実が見えてきます。

 トランプは、強気な発言を繰り返し、己の志操堅固なことを誇示しているように見えますが、たぶん、かなりの小心者で、無定見な男のようです。
 フィリピン大統領しかり。こうした為政者が大受けする時代。私宅の夫婦の寝室まで案内され、アベも見事に丸め込まれたあげく、1兆円を差し出すハメに。
 トランプも、大衆の移り気な気分を十分に心得ていて、ますますあっけらかんと、あっさりと、こだわらず、ますますちゃらんぽらんであり続けるのではないでしょうか。
 トランプはその上に、「帝王」・「救世主」気分だからもっとタチが悪そう。核ボタンをもてあそびながら、アメリカをどう導いていくのでしょうか? 
 こうなると、日本を取り巻く国際情勢も安閑としていられません。北朝鮮、ロシア、中国、韓国に続いて、宗主国・トランプアメリカが登場したのだから。安保法制がいよいよ実働化することも。「東京オリンピック」まで世界は平和を保てるのかしら

《ノンシャラン》
 無頓着でのんきなさま。なげやりなさま。

《スキゾ》
 常に制度や秩序から逃れ出てゆく。非定住的・分裂的傾向。

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読書「愛の棘 島尾ミホ エッセイ集」幻戯書房

2016-11-08 21:22:39 | 読書無限

 島尾敏雄の「死の棘」は壮絶な夫婦の葛藤(まさに格闘)を描いた「私小説」だが、その妻であるミホの、既刊書には未収録のエッセイを中心に編纂されたもの。編者は明らかではないが、巻末に解説として志村有弘氏の文章が掲載されている。
 個人的には「愛の棘」というくくり(表題)はなじめないが、読者に、ミホの敏雄への、他者の詮索を真っ向から拒絶するほどの「愛」という言葉を越えた「アイ」の実相に迫らせようとする編著者の意図を感じる。
 近刊書で島尾ミホの生涯を描いた作品(むろん、島尾敏雄の私小説・「死の棘」の虚実を含めてのものになるのだろう)があるやに聞く。ついそんな話題にも、・・・。

 夫の誕生日。ひと月近くも家に帰らない夫を迎えに駅に迎えに出る私と幼い二人の子ども。寒さに震える我が子を家に寝かしつけて自分一人駅に向かう。終電車の過ぎ去ったホームに立ち尽くす私。線路に横たわって貨車に轢かれる寸前、耳に突然聞く夫の声にはっと我に返り、我が家に戻る。夫の誕生祝いの四人前の尾頭付きの鯛が冷たく食卓に置かれている。淋しさのあまり夫の部屋に入り、開かれたままの日記に書きなぐられた数行の文字に眼が吸いよせられた瞬間、錯乱状態に落ちていってしまった。

 その後の経過を含めて、島尾敏雄の「死の棘」に明らかにされていくが、「錯乱の魂から蘇えって」という一文にミホ自身がまとめかえしている。

 「あらぬ方を向いて焦点の定まらなかった私の瞳がやがて対象物に結ばれるようになった時私の眼は夫の姿をはっきりとらえられることができました。が、その向う側にもっと広い広い世界があることも感知できたのです」(P23)

 「『死の棘日記』は、夫婦の葛藤を書いた作品と読めますが、私には夫婦の絆の深さと、夫婦が更に愛を深め会う『夫婦愛日記』」にも思えます」(P133)とまで昇華する。

 「『死の棘』から逃れて」も壮絶な内容ですが、奄美大島に帰った後、「はっきりと過去に訣別を告げることができ(まし)た」(P35)ことによって、私が嘘のように発作を起こさなくなった件は、その後の夫婦「愛」の如実なようすを彷彿とさせる。

 「奄美大島」をこよなく愛した作者は、鎮魂歌を奄美方言で書き表している。まるで亡き夫との心からの交信の如き旋律として。

 ・・・アカスユヤ クリティ (ふたりで)明かす夜が暮れて
    ナーキャユーヤ エヘユム あなたの夜が明けて行きます
    カホシティヌ アリバヤ 果報な機会が 巡ってくるなら
    マタミキョソ またお会いしましょう

 島尾敏雄との出会いから結婚、(破滅的な)家庭生活、そして突然の夫の死。その後の自分の生き様・・・。島尾敏雄の、多くの作品鑑賞(読み方)にも深く(琴線に触れる)つながっていく作品でした。
 ミホ自身の生き方、まほろばの、もっと言えば、フィクションの世界の中での己のありようであり、突き詰めれば、芸術家(あるいは作家)の性(さが)、宿業のようなものに通じる、と思いました。

                 

  
   
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読書「陥没地帯 オペラ・オペラシオネル」(蓮実重彦)河出書房新書

2016-10-17 21:20:59 | 読書無限
 三島賞で話題を取った蓮見さんの、それに先行する小説2編が出版されました。さっそく。
 といっても、今回は「オペラ・オペラシオネル」nomiを。

 皆さんは先刻ご承知でしょうが、「オペラ」と「オペラシオネル」(オペレーション、軍事作戦行動)と掛け合わせたどこかの国を舞台にしたお話し。のっけから何時間も乱気流に巻き込まれてしまったような。・・・展開どころか表現の繰り返しが多く、読んでいると、あれさっきと同じ、と戻ってみたりして、あてもなき浮遊感覚を実に楽しませながら。
 すっかり年老いた、組織の男と同志なのかそれとも敵方なのか、若いのか年老いているのか、一人の女性との不思議な逢瀬、駆け引き。味方か敵かを見分ける唯一のネックレスも、かそけき存在。そんな詮索などもどうでもいい、と。
 
 「文藝」1994年夏号に初出された作品。長年のさすらいの旅から、また衆人の目に触れたというわけです。

 今回の作品を彷彿させるのかどうか、読んでいないので、皆目、見当がつかぬが、
一つしかないベッドに横たえる女の、からだ。そこからの語り?騙り? の一文のよほどの長さはたたみかけるようで、小気味よいほどだが、あえて安っぽいサスペンス仕立てを、ものす。

 新装なった市立劇場の新作オペラの展開と共にモノ語りは進んで行く。いや、オペラすら架空のものか。
 が、舞台装置は激しく横揺れするゴンドラであり、サイドカーであり、漆黒のトンネルであり、女の乗馬服であったのですが。「多少の揺れは覚悟している」いう女との生死をめぐる飛行が始まったのか? その果てに?

快作か怪作か、そうした浮遊感覚はまさに読んでのお楽しみ。さっそく新作を読みたい気分になりました。
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読書「昭和の戦争 日記で読む戦前日本」(井上寿一)講談社現代新書

2016-09-26 21:15:03 | 読書無限
 行き帰りの電車の中で読み進めていた書。全体の流れは分かっていたつもりの昭和前史。1928(昭和3)年6月4日、張作霖爆破事件から筆を起こし、1945(昭和20)年、敗戦までの歩みを政治家、軍人、作家などの、公刊された「日記」をもとに、「昭和の戦争」を解き明かしていきます。
 ここで「昭和」の「戦争」とあるのはけっして日中戦争」から「太平洋戦争」、そして敗戦と続く20年の対外「戦争」のみを意味しているのではなさそうです。
 勝算もないままに、無謀な対中、対米英戦にしゃにむに突き進んだ陸軍、海軍(それも双方の戦略観、主義、主張のためにがんじんがらめになっての不協和音の中での)軍部、それに対抗するすべもなく無定見で右往左往し、結局は追認していく政党政治家達、という構造的な体質・体制下。
 その中にあって、戦争回避を願い、「立憲君主制」のもとでの政党政治のあり方を何とか追及しようと苦心した、働きかけていった人たちの「戦争」でもあった、と。
 筆者が特に取り上げているのはそうした人々の日記を重要視していることからもうかがわれる。特に「清沢洌」さんへの思い入れは強いように感じる。
 その他にも、古川ロッパ、永井荷風、高見順、伊藤整、若き日の山田風太郎などの日記もからめながら、戦争の実相に迫っていく。

 筆者が総括としてあげている点を列記したい。(P243)

① 立憲君主制の危機の時代
 現地軍対陸軍中央、陸軍対海軍、外務省対軍部、政党間対立、これらの対立が複雑にからみ合って、立憲君主制は機能不全に陥っていく。・・・極限の戦時体制下にあっても、・・・権力の遠心化と責任主体の喪失状況のなかで、「聖断」による降伏決定が下された。

② 「ファシズム」と民主主義は紙一重
 一方の政治勢力は「ファシズム」体制の確立を求めて、戦争をはじめる。他方の政治勢力は平和と民主主義を守ろうとする。この対抗関係において、戦前昭和の歴史は、前者の勝利=後者の敗北の過程ではなかった。両者は同床異夢の関係だった。・・・戦争は体制変革と体制破壊の二つの作用を併せ持つ。このような戦争の機能に依存する新体制の追及の末路は、帝国日本の崩壊だった。平和と民主主義は、協調外交と政党政治の相乗作用によって発展する。この定石通りの選択をすることの重要性を示唆している。

③全体戦争の全体性
 1945(昭和20)年まで、断続的に戦争が続いた。人人々の生活の隅々まで戦争の影響が及んだ。のちの世代の私たちは、・・・そんな同時代の人々になぜ戦争に反対しなかったのかと問いかけるのは、的外れである。
 永井荷風を苛立たせた従順さと伊藤整を不思議がらせた平静さは、戦時下の人びとがそれぞれの立場で戦争の責任を引き受けながら、運命を受容したことの表われだった。 

 「新書」という形式、さらにもとは「日経新聞」での連載記事だったこともあって、わかりやすい反面、突っ込みが足りない点があるのは致し方ないか。
 
清沢 洌(きよさわ きよし)
 1890年(明治23年)2月8日 - 1945年(昭和20年)5月21日)は、ジャーナリスト、評論家。長野県生まれ。

 外交問題、特に日米関係の評論で知られ、またその太平洋戦争下における日記が『暗黒日記』として戦後公刊されたことでも名高い。
 1907年(明治40年)、17歳のとき当時の同地での渡米熱をうけて、研学移民(学生となるための立場での移民)としてアメリカ合衆国ワシントン州に渡航した。シアトル、タコマで病院の清掃夫、デパートの雑役などを務めるかたわらタコマ・ハイスクール、ワシントン大学などで学んだ。
 1911年(明治44年)頃からは現地の邦字紙の記者となり、数年にして現地日本人社会で著名な存在となった。当時はアメリカ西海岸において日本人移民排斥運動が高潮に達していた。日本人に対する蔑視と敵意を、日本国内の為政者として、あるいは恵まれた立場の在米外交官としてでなく、日本政府からの庇護の薄い移民という立場で味わったにも拘わらず、清沢は晩年に至るまで一貫して日米友好を訴え続けた希有の自由主義平和思想家であった。
 1918年(大正7年)帰国した清沢は、貿易関連の仕事を転々とした。
 1920年(大正9年)には中外商業新報(現在の日本経済新聞)に入社した。ここでもはじめは米国関連、日米問題関連のエキスパートとしての執筆活動を行ったが、大正デモクラシー、政党政治の伸長、関東大震災後の混乱(なお清沢は妻子をこの震災で喪った)、日本の満州進出などを受けて、国内問題や対中関係も彼の執筆対象となっていった。
 1927年(昭和2年)には東京朝日新聞に移籍し、またこの頃から新聞以外での著作活動も精力的に始まった。清沢の基本的な立場は、対米関係においては協調路線、国内では反官僚主義・反権威主義、対中関係では「満州経営」への拘泥を戒めるものであって、石橋湛山のいわゆる「小日本主義」と多くの共通点をもっていた。だが清沢のリベラルな論調は右翼勢力からの激しい攻撃にさらされた。特にその著作『自由日本を漁る』所収の「甘粕と大杉の対話」(大杉栄殺害犯として獄中にある甘粕正彦憲兵大尉を大杉の亡霊が訪ね、甘粕の迷妄を論破する、というストーリー)は国体を冒涜するものとして批判された。
 1929年(昭和4年)には清沢は東朝退社に追い込まれ、以後は生涯フリーランスの評論家として活動することになる。
 フリーとなった清沢は1929年から1932年(昭和7年)までの3年間のほとんどを欧米での取材・執筆活動にあてることとなる。
 1929年にはアメリカの「暗黒の木曜日」とそれに続く大恐慌を現地で体験する。
1930年(昭和5年)のロンドン海軍軍縮会議は、雑誌「中央公論」の特派員という肩書で取材した。会議では、補助艦の対米比率7割死守を図る日本海軍側代表団と清沢は互いに批判的な関係にあり、清沢は「六割居士」という綽名を頂戴する始末であった。その他、この欧米滞在中にはチェコスロバキア外務大臣ベネシュ、イタリア首相ムッソリーニ、実業家ヘンリー・フォードなどと会見、それら会見記は公刊されている。
 1931年(昭和6年)の満州事変勃発、1932年の第一次上海事変は滞米中に遭遇しており、日本の大陸進出に対するアメリカの厳しい世論を目の当たりにすることにもなった。
 1932年、帰国した清沢は日本の内政・外交に対する鋭い評論を行うこととなる。満州国単独承認問題、国際連盟における満州問題の討議、引き続くリットン調査団派遣を巡って国内世論は沸騰していたが、「国を焦土と化しても」日本の主張を貫徹する、と答弁した外相内田康哉、スタンドプレーに終始し意味のある成果を引き出せなかった国際連盟首席全権松岡洋右をそれぞれ批判した「内田外相に問ふ」「松岡全権に与ふ」は、この時期の代表的評論である。また、数多くの国内講演、著作、雑誌論文などを通じて、清沢は商業主義・迎合主義に流されやすい日本のジャーナリズムに対する批判と、自己の漸進主義とでもいうべき自由主義の立場を明らかにしていった。
 1937年(昭和12年) - 1938年(昭和13年)には、堪能な語学力を買われてロンドン開催の国際ペン・クラブ世界会議の日本代表という立場で再び欧米を訪問し、各所で精力的な講演活動を行う。日中戦争の勃発・激化を受けて欧米の対日感情は極度に悪化していたが、愛国者を自負する清沢はむしろ積極的に講演で、あるいは現地新聞への投書などを通じて日本の立場の擁護・正当化を行っていった。皮肉なことに、彼自身が国内で反対の論陣を張っていた硬直的・非協調的外交政策のスポークスマンの役を担わされたわけである。また駐英大使を務めていた吉田茂とは、このロンドンでの新聞投書による世論工作の過程で親しくなっていったという。
 帰国後の清沢は、再び本来の対米協調を主軸とした外交への転換を訴える立場を取り、「新体制」「東亜新秩序」などの言葉に代表される抽象的かつ空疎な政策を諫め、アメリカを威嚇することで有利な結果を得ようとする外交政策の愚を説き、ドイツとの連携に深入りすることなく欧州情勢の混沌から距離をおくことを主張したが、事態は1940年(昭和15年)の日独伊三国軍事同盟、1941年(昭和16年)の日ソ中立条約、南部仏印進駐とそれらに対する米国の一連の対抗措置は、ことごとく自らが提言した潮流と相反する方向へ進んだ。
 1941年2月26日、情報局は各総合雑誌に対し執筆禁止者のリストを交付し、清沢の名前もそこに含まれていた(他には矢内原忠雄、馬場恒吾、田中耕太郎、横田喜三郎、水野広徳、等)。これ以降の清沢は時事問題に対する直接的な意見の表明は不可能となり、外交史に関する著作という形で間接的に当時の政策を評論することとなった。幕末開国時から日ソ中立条約までを俯瞰する『外交史』およびその増補改訂版として太平洋戦争開戦までを記す『日本外交史』は著名であるし、大久保利通がいかにして征韓論を打破し、台湾出兵およびその後の北京における対清交渉を果断にまとめていったかを賞揚する『外政家としての大久保利通』は、昭和戦前期日本外交に対する痛烈な批判となっている。大久保の外戚である吉田茂(妻が牧野伸顕の娘で、利通の孫にあたる)がこの本を贈呈されて一読、感銘を受けた旨を記した清沢宛の書簡が現存している。その他、石橋湛山が主幹を務める「東洋経済新報」誌上では匿名執筆の形で時事問題をしばしば論じる一方で、ダンバートン=オークス会議にて討議された国際連合憲章原案をいち早く入手、分析批判し、清沢の対案を同誌上で提示している(石橋の勧めもあったという)点などは、その先見性を示すものといえる。
 1942年(昭和17年)開戦1年後、清沢は「戦争日記」と題した、新聞記事の切抜きなども含む詳細な日記を記し始めた。いずれ時期が来れば、日本現代史(昭和史)の著述にあたり、その備忘録とするつもりであったとされる。官僚主義の弊害、迎合的ジャーナリズムの醜態、国民の対外事情に対する無知、社会的モラルの急速な低下などを記録する(広い意味でファシズムへの抵抗を示した)。この日記は1954年に『暗黒日記』の題名で、東洋経済新報社で出版され、数社で新版刊行された。
 1945年(昭和20年)5月21日、終戦を目前に急性肺炎により東京築地の聖路加病院にて急逝した。吉田茂、石橋湛山という後に首相となった2人を知己にもち、戦後存命であれば政界・言論界で重きをなしたであろう知米派知識人の、55年の短い生涯であった。
                                        (以上、「Wikipedia」参照)
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読書「弱さの思想 たそがれを抱きしめる」(高橋源一郎+辻信一)大月書店

2016-09-16 21:44:06 | 読書無限
 平日の毎朝、8時ちょっと過ぎ。障がい児と母親(たぶん)が特別支援学校に向かうバスを待っている。小学生中学年ほどの体格の男の子を見守りながら、時には笑顔で話しかけ、時には疲れた顔をしてたたずんでいる。時々、障がいを持った、低学年らしい女の子とお母さん(おそらく)がそこに並んでいる。母親は、ほとんど一人で歩けない、かといって車いすというほどではない女の子を抱えながら、待っている。
 母親同士で会話をしていることもあるし、互いに無言のこともある(こちらが通り過ぎる間のことだけかもしれないが)。男の子の方は毎日見かけるが、女の子の方はそうでもない。雨の日は休みがちなのかもしれない、このところの雨続き(時には強い雨)でちょっと姿を見せないこともある。
 毎日、その4人(時には2人)の姿を見ながら通り過ぎる。

 このあいだ、神奈川の障がい者施設でおおぜいの障がい者が殺害された。犯人の青年は、障がい者への憎悪と執念で、かつてナチスが正当化した「障がい(かれにとっては、文字通り「害」)者」抹殺を現代の日本に蘇らせた。

 今、ブラジル・リオでは「パラリンピック」が行われ、これまで以上に、マスコミは日本人の活躍ぶり(メダルを取った選手にはことさら)を取り上げている。4年後の東京オリンピックを意識してなのだろう。その多くは、美談仕立てで。
 厳しい障がいを持ちながらも、周囲の献身的な協力のもと、自らの最大限の可能性(身体・運動能力)を必死に追求し、活躍する選手たちの姿は多くの感動を与えている。障がい者への差別意識を克服しつつ、より深い理解、支援も進むことになるのは間違いない。
 一方で、そうした華々しい活躍の蔭で、名も無く生きていく障がい者とそれを支える肉親、家族、教員、スタッフ、さらに支援者たちの努力、悩み、楽しみ、その複雑な思いにどこまで心を馳せることが出来るのか。パラリンピックの報道が、今の(これからの)日本の障がい者の実態(障がい者に関わる人々の現状)につながっていくのだろうか。
 障がい者の多くが警察やマスコミによって(家族からの要望もあったからのようだが)匿名(記号)のままに生命を絶たれたことへの思いもまた、・・・。

 「障がい者」=「弱者」、「老人」=「弱者」、「病人」=「弱者」。それ故、健常者=「強者」は「弱者」に対してあたたかい手をさしのべよう、支援策を充実させよう、地域から、みんなで、と声高に・・・。その内実はいかがであろうか? 

 この書は、明治学院大国際学部で2010年から2013年にかかて行われた、作家・評論家の高橋源一郎さんと文化人類学者でナマケモノ倶楽部世話人の辻信一さんとの共同研究「弱さの研究」がもととなった対談集。2014年発刊。 
 構成は、

 第1章 ぼくたちが「弱さ」に行きつくまで
 第2章 ポスト3・11~「弱さ」のフィールドワーク
 第3章 弱さの思想を育てよう

 の3章からから成り立っている。 

 特に第2章で取り上げられた「フィールドワーク」とそこから得た考察が興味深い。

①反原発の島、祝島(岡山)
②子どもホスピス(イギリス)
③精神病院が真ん中にある町(オランダ)
④アトリエ エレマン・ブレザン(志摩半島)
⑤宅老所「井戸端げんき」(木更津)
⑥生活介護事業所「でら~と」「らぽ~と」(富士)
⑦きのくにこどもの村学園(和歌山)
⑧山伏修行(羽黒山)

 そこでは、死に向かうこと、死を看取ること、年老いていくこと、精神や知的、身体的障がいがあることなどが即、「弱さ」=「敗北」「敗け」ではないということを身体の奥で味わい、実感したことを、深い経験をもとに「考察」する。知的営為も、所詮、身体知に及ばないことをも。
 
 特に、辻さんの『変革は弱いところ、小さいところ、遠いところから』というタイトルの本の中で、北海道浦河にある「ベテルの家」という精神障がい者たちを中心とするコミュニティーとの出会いがきっかけとなったこと、また高橋さんの身体的な衰え(死への思い)、学生運動などを通してのこれまでの人生、子育ての中でつかんだこと(つかまされたこと)などを背景に、二人の共同研究として「弱さの研究」を始めたきっかけから、その後の取り組みをもとにしての真摯な語り合いになっていく。
 その過程を(フィールドワークを)通して、世間的には「弱者」としてひとくくりにされてしまう人々や関わり合っている人々との対話、現実の中から学ぶ(学びほぐす)ことの大事さを伝えている。

 「負ける」の対義語は「負けない」だが、「負けない」と対になるのは「勝つ」ではなく、「勝たない」ということになるのだ、とも。
 小学校から勝った、負けたという競争社会。勝ちが50%で負けが50%ではない、勝者は1人(せいぜい3位まで)残りは、すべて「負け」。こういう経済至上主義、能力・能率至上主義の世の中で、実は、誰もが経済的、肉体的、精神的敗者(弱者)になる可能性がある。では「弱者」=「負け」なのか。そうではなく「負けない」「勝たない」こと。
 そこから、「弱者」に対して「強者」として対応するのではなく、むしろ「弱者」から気づかされる、まなび直すという価値観が生まれ、人間相互の関わり合いがこれからは大事なのではないか、と。そこに新しい人間としての価値、社会的価値が生じてくる、と。そうした生き方をさまざまな体験、事象、活動、見聞の中から試行錯誤しつつ獲得していくことの大切さを訴えている。

 副題の「たそがれを抱きしめる」という一種、情緒的な表現。「たそ」「かれ」どき、夕暮れ。自己と他者、お互いに顔の識別がつかない暗さ。しかし、すぐに、もっととっぷりと暮れ、彼我が闇に包まれ、「たそ」「かれ」ともに真っ暗になってしまう。その瞬間のあわいに、真の人間同士の一瞬のつながりがあること、そこを見つめ、とらえ直す(「抱きしめる」)。そんなきっかけにもなる書。 
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