おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

ある日のアンズとソウタ。(DAYSwithCATS)

2022-12-04 13:50:28 | わがやの猫たち

 リボンに夢中のソウタ。

              

階下に下りてきたソウタ。今度は、パソコンのイヤホーンに。

アンズも一緒に。椅子の下で。

夢中になっているソウタを横目にアンズ。

アンズは蒲団やカーペットに潜る込むのが大好き。

                        ソウタはどうした、どうした・・・。

  

       

どこに隠れた、どこに? 

              カーペットの下を動き回るアンズに翻弄されるソウタ。

5キロのソウタに乗っかられて悲鳴をあげるアンズ。

さっと逃げ出すアンズにソウタは、

                   

もういいや、と

           

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向島百花園。アンズとソウタ。

2022-12-02 20:42:35 | 向島百花園

急に寒くなってきました。12月に入っていよいよ冬到来? それでも平年よりは暖かいらしい。

ブログを「おやじのつぶやき2」に移してから、めっきり訪問客も減って、寂しい限りです。すでに冬枯れの状態。

できたら「おやじのつぶやき2」(https://blog.goo.ne.jp/12240106-2)にも訪問して下さい。

お待ちしております。

              

   

アンズとソウタも待っています。

               

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舎人ライナー「見沼代親水公園駅」~JR「赤羽駅」。その3。南平大橋。新芝川サイクリングロード。首都高川口線。江北公園。(「都県境を探ってみる」第4回目。)

2022-11-06 13:34:32 | 都県境を探ってみる

                「南平大橋」が架かっています。

この付近は、東京都と埼玉県が複雑に交差しています。

※橋の左岸も右岸も足立区内に属しているようです。対岸の右奥は川口市。

左岸・足立区側にある「新芝川サイクリングロード」。

下流方向を望む。

          凸版印刷 川口工場。

この先で、都県境は、左斜めに進む。

土手から下りずにそのまま歩いてしまい、新芝川橋で左に折れます。

          

               正面の工場は川口市東領家4丁目。     

橋のたもとの両側は、川口市東領家4丁目。

           

しかし、この先から東京都。道路の向かい・右斜めから足立区に。

足立区加賀2丁目。

首都高川口線高架下。

        都県境は、しばらく高速下を南下します。

首都高の西側は川口市東領家。

川口市側の道路沿いには鋳物関係の町工場が並んでいます。

東側は足立区加賀。

横断歩道を渡り、足立区側を歩きます。

         足立区側も町工場や事務所。

(株)穂波建設(足立区)と感應寺(川口市)の間を左折します。

  

この先、都県境は、航空写真では緑のラインによって区切られています。

しかし、緑道ではないようで、近づけませんでした。

フェンスの向こうが足立区鹿浜5丁目アパート。

  右が足立区、左が川口市。

結局、川口市東領家内を歩くことになります。

足立区立江北公園の北側に「埼玉県川口市」の標識。

都県境は江北公園の縁伝いになります。

                               江北公園。ここで小休止。

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舎人ライナー「見沼代親水公園駅」~JR「赤羽駅」。その2。足立区入谷。上新田公園。川口市立朝日東小学校。芝川マリーナ。(「都県境を探ってみる」第4回目。)

2022-11-05 22:06:57 | 都県境を探ってみる

                     正面は、足立区入谷の街並み。   

この信号を左折し、さらに右折します。が、この先のジグザクになった都県境に沿って歩けるかどうか?

この先を右に折れます。この付近は、足立区入谷9丁目。

左手には、大きな「東京ヤサカ観光バス」営業所。

この駐車場は、足立区。

              車のナンバーが「足立」、「練馬」。

「足立区入谷9丁目21」の標識。ということは足立区内を歩いていたのか!

うろうろしたあげく(付近の工場関係者からは怪訝そうな顔つきで見られ)、「上新田公園」(川口市八幡木3丁目)に突き当たります。

            上新田公園。

左折します。正面に「鳩ヶ谷衛生センター」。

都県境は、この施設内に続き、「新芝川」方向へ。

                         左手に見える「八幡木グラウンド」は、川口市内。

振り返る。撮影位置は、足立区か川口市か微妙。

この建物は、川口市内。

新芝川沿いの道を左折。東京都足立区の標識。

                      左手奥は、「トーキョージャンボ ゴルフセンター」。

「山王堀緑道」。

都県境は、新芝川を越えて右岸沿いに入りこみ、「川口市立朝日東小学校」の校庭をかすめるように南下します。

2010年代のようす。

1880年代のようす。

新芝川上流を望む。

               煙突は、「朝日環境センター」(川口市朝日4丁目)。

「サンアリーナリバーステージ」などのある地域が足立区内に。

           

この付近、対岸の工業団地は、川口市。

     

土手の道をのんびりと。紅葉がすばらしい。

                

「芝川マリーナ」の水門。

「芝川マリーナ」は、一般財団法人埼玉県河川公社から委託を受け、川口ハーバーマネジメント株式会社が運営しております。

埼玉県川口市内にある本格的マリーナでマリーナへのアクセス良好です。

愛艇でのリバークルージングはもちろん、東京湾まで荒川を下りわずか45分。さらに伊豆諸島までも足を伸ばせます。

収容隻数は95隻、全艇陸置きなので艇のメンテナンスは容易です。電話予約により24時間出航も可能で、屋外トイレも完備。

営業時間内はシャワールームも使用可能。夜間はセキュリティーシステムにより安心。

もちろん清水、給油施設は完備しています。

(この項、「」HPより)

(「Wikipedia」より)

       

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舎人ライナー「見沼代親水公園駅」~JR「赤羽駅」。その1。舎人橋。川口市。新砂子路橋。ジグザク境界線。(「都県境を探ってみる」第4回目。)

2022-11-04 20:36:03 | 都県境を探ってみる

          日暮里・舎人ライナー。自動運転。高いところを走っているので景色は抜群です。

11月3日(祝)快晴。今回は、荒川まで。この区間もけっこう都県境は入り組んでいます。

舎人橋。

橋のたもとにある解説板によると、

ここは、見沼代用水と毛長川との合流地点で、見沼代用水には「一本橋」、毛長川には「舎人橋」と「砂小橋」が架けられている、とのこと。毛長川改修工事に合わせて架け替えられた「舎人橋」と「砂小橋」の橋名板をの文字を舎人第一小学校の児童が書いたそうです。

ここから「毛長川」沿いに歩きますが、橋の向こうに一部足立区が。見沼代用水に架かる「一本橋」が都県境。

「川口市」の標識の手前の路地。

右が川口市、左が足立区。路地の突き当たりまで。

このおそば屋さんは川口市。「手打ち 麺工房 瑛(マルヒデ)」。本蓮4丁目。

毛長川の右岸沿いに歩きます。対岸の住宅は足立区舎人6丁目。

対岸の工場地区は川口市。

緑道が整備されています。  対岸。

「新砂子路橋」から振り返る。「毛長川」の右が足立区、左が川口市。

※「新砂子路橋」は、「しんしゃごじばし」と読みます。難解名の一つ。

左手に足立区舎人の団地。

「首都高川口線」をくぐります。

「武蔵野の路・舎人コース」案内板。

この付近は、両岸とも樹木が生い茂っています。

高速道路下の「中居橋」。

     毛長川の流れ。

この先で、足立区の緑道がなくなったかと思うと、この工場の手前から、都県境は急角度で左折します。

「八幡木3丁目」(↓)とあります。

       

この先、都県境は、けっこう複雑に屈折していきます。

破線が都県境。左の流れは、新芝川。

1880年代のようす。現在の新芝川はない。水田?

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東武バス「花畑桑袋団地」~舎人ライナー「見沼代親水公園駅」。その5。足立区舎人・草加市遊馬。見沼代用水東縁。見沼代親水公園駅。(「都県境を探ってみる」第3回目。)

2022-11-02 20:17:53 | 都県境を探ってみる

          前方の水門の所から右に入っていく道が草加市と足立区の境になります。

右手の用水路に沿って境界が続きます。左が足立区、右が草加市。

足立区に属する緑地。

「舎人二つ橋」の通り。「埼玉県草加市」。

左手は、「東京都足立区」。 

通りを渡った先にも境界が続きます。

左手は「足立区舎人4丁目」。

左手におしゃれなアパート。

右手は草加市遊馬(あすま)町。

※「遊馬」は、毛長川の低湿の狭間の転訛、という。

「見沼代用水東縁」。

ここで、足立区境界は、左折。

「見沼代用水東縁(ひがしべり)」上流を望む。

解説図。

毛長川との合流点。

             右が毛長川、左が見沼代用水路。

足立区舎人6丁目で毛長川と交差・合流し、見沼代用水路は終わります。一部は中央の金網で取水し、地下施設で浄化され、「見沼代親水公園」となっていきます。

※都県境は、ここから毛長川(上流)沿いに西南に向かいます。さらに、途中でジグザクコースをたどりながら、新芝川方向へと進みます。

            

今回は、ここまで。毛長緑道沿いに日暮里・舎人ライナー「見沼代親水公園駅」に向かうことにします。

中央・東西に曲がる流れが「毛長川」。

左手から合流するのが「見沼代用水東縁」。東南に続く緑地帯が「親水公園」。

毛長川の北側に「足立区舎人地区」の一部が広がる。

   

      「見沼代親水公園」駅。

「日暮里・舎人ライナー」路線図。

足立区の街並み。(車窓から。)

次回は、荒川まで歩いてみます。

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東武バス「花畑桑袋団地」~舎人ライナー「見沼代親水公園駅」。その4。東伊興2丁目・古千谷本町。にっさと防災公園・里人やすらぎ橋。(「都県境を探ってみる」第3回目。)

2022-11-01 20:09:33 | 都県境を探ってみる

                    草加市側の遊歩道を歩きます。

道沿いに見事なソテツ。

この先、足立区となっているところがあります。

散歩している方にお聞きしたら、「この道路も東京都。なんでも毛長川改修を東京都が行ったためのようです。あそこの緑の所から足立区ですよ」と。

「足立区東伊興2丁目21」との標識。

右は草加市、左は足立区。

振り返って望む。正面のおうちの住所は足立区。

道路を渡った左も足立区となります。

毛長川沿いから振り返る。正面から右は足立区。

「足立区古千谷本町(こぢやほんちょう)4丁目」。

毛長川沿いの遊歩道。右岸は足立区古千谷。

                                左岸は草加市新里。

            

草加市内。

家庭菜園。手分けして耕作中。

新しい公園「にっさと防災公園」。

6月23日、新里グラウンドの隣に、令和3年度から整備を進めてきた「にっさと防災公園」がオープンしました。
公園の面積は2299.5平方メートルで、四阿(あずまや)やベンチなどの休憩施設のほか、ブランコやスプリング遊具、滑り台をはじめとした複合遊具のほか、健康器具が備えられています。子どもたちの遊び場や市民の健康づくりの場として、また、足立区境に流れる毛長川沿いの散策などの憩いの場としても利用できます。

普段は遊びと憩いの場として利用されますが、大規模な地震が発生した際には隣接する新里グラウンドと同様に「緊急避難場所」として利用されます。いざというときには、ベンチに備えられたかまどのほか、四阿(あずまや)はシートを四方に囲み、救援物資の配布や救護活動場所に利用できるようになっているなど、地域の防災拠点としても活用できる設備が整えられています。(「」HPより) 

里人やすらぎ橋。

橋から下流を望む。右が足立区。

上流を望む。

なかなかおしゃれなクレーン車。キリン。

この辺り。草加市側は住宅が土手よりもブロック4つ分ほど高くなっています。土手に降りられるよう、手製の階段が。

         

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東武バス「花畑桑袋団地」~舎人ライナー「見沼代親水公園駅」。その3。毛長川・毛長堀・いわれ。区立竹の塚中。辰井川排水機場。東伊興。入り組む都境。(「都県境を探ってみる」第3回目。)

2022-10-31 20:23:30 | 都県境を探ってみる

                   右奥に、「中井堀排水機場」(草加市谷塚)水門。

この先、少し草加市が入りこんでいます。のところ。

「武蔵野の路公園(草加市谷塚)」。

日光街道(国道4号線)を渡ります。「毛長堀橋」。

※「毛長川」は、かつては毛長堀、毛長落しと呼称されていた。昭和23年より40年にかけて改修拡張された。

川口市から花畑へ流れる毛長川には、髪の毛にまつわる言い伝えがあります。昔、新里村(現在の草加市)の長者の娘が、川を挟んだ舎人の長者の息子と結婚しました。しかし、嫁ぎ先の両親との不仲などが原因で、娘は川に身を投げてしまったのです。それから数年後のある日、川にその娘の長い髪が浮きあがったことから、毛長川と呼ばれるようになりました。

(この項、「足立区」HPより)

両岸のサクラの紅葉が見事。草加市側。

       

この付近の足立区内を歩いたことがあります。

「足立区立竹の塚中学校」。

                  対岸は、草加市になる。

東武線の鉄橋が前方に。

くぐり抜けて振り返ると、「足立清掃工場」の高い煙突。

「辰井川排水機場」水門。※辰井川=人工河川。

                

谷塚橋を渡り、草加市側へ。下流を望む。

一部足立区が入りこんでいます。道路は足立区。

「(足立区)東伊興2丁目」。

         「佐藤工業」・西新井法人会・会員。

従業員の方にお聞きしたら、工場内の蛍光灯(↓)の手前が東京都、その向こうは草加市だそうです。

境界線付近。向こうの建物は、草加市。

この辺は、草加市? 。

横手堀ポンプ場(草加市)。

この先も東京都と埼玉県が入り組んでいます。

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東武バス「花畑桑袋団地」~舎人ライナー「見沼代親水公園駅」。その2。毛長川。大鷲さくら橋。花畑団地。文教大学東京あだちキャンパス。ひよ子。水神橋。(「都県境を探ってみる」第3回目。)

2022-10-30 20:29:31 | 都県境を探ってみる

     「鷲宮(とりみや)橋」から「毛長川」上流を望む。右手には「都立足立特別支援学校」の建物。

綾瀬川方向を望む。

「鷲宮橋」の南には、年末の「酉の市」で有名な「花畑大鷲(おおとり)神社」があります。

花畑大鷲神社は酉の市発祥の社と言われています。 応永年間(1394~1428年)より、11月の「酉の日」に、尊への神恩感謝の祭が行われるようになりました。 そこに人々が集まり、門前市が開かれるようになりました。 そこから「とのまち」「とりのまち」と称され、後の「酉の市」になったと言われています。(「祭りの日」HPより)

※今年の「酉の市」(一の酉)は、11月4日。

足立区花畑地区を望む。

  この橋から下流が都境に。

対岸(左岸)は、草加市。

右岸、「花畑団地」の通りからスカイツリーを望む(↓)。

足立区側を歩くことに。振り返る。

「毛長公園」遊歩道を歩きます。

               

花畑大橋から。右が足立区花畑、左が草加市瀬崎。

ここからは草加市側を歩くことに。

護岸工事が盛んに行われています。

        

「文教大学東京あだちキャンパス」。

            

こちら側には「ひよ子」。

東京土産として有名。美味しい。

                    

「水神橋」。

その手前に、立派な造りの家。

下流を望む。右は足立区保木間。

上流を望む。左が足立区西保木間。

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東武バス「花畑桑袋団地」~舎人ライナー「見沼代親水公園駅」。その1。草加市へ。都営花畑第四アパート。桑袋 ビオトープ 公園。鷲宿(とりじゅく)(「都県境を探ってみる」第3回目。)

2022-10-29 20:00:27 | 都県境を探ってみる

          綾瀬川の対岸には「都営花畑八丁目 アパート21号棟」「24号棟」(のはず)。

今回も短い歩き。「日暮里舎人ライナー」の全線は乗ったことがないので、始発の「見沼代親水公園」駅から終点の「日暮里」駅まで乗ってみることに。

東武線「谷塚駅」から東武バスに乗り、終点・「花畑桑袋団地」バス停で下車し、歩き始めます。

               

公園脇から境界の道路へ。右が八潮市、左が足立区。

ここから先の右は、草加市。(左は足立区花畑。)

ここは、八潮市の家並み(のはず)。

左には、「都営花畑第四アパート」案内図。

右は、「草加市瀬崎グランド」。

遠くに「スポーツ健康都市記念体育館(草加市)」。

「伝右(でんう)川」沿いにある「記念体育館」。

※東京都(足立区)と埼玉県(草加市)の境界は、「毛長川」になる。

「伝右大橋」から「伝右川排水機場」(綾瀬川との合流地点)を望む。

3つの川が交わるところにある「桑袋 ビオトープ 公園」に寄ってみます。

          

                                   

桑袋ビオトープ公園は、東京都足立区の公立公園。1997年3月31日まであった足立区立桑袋小学校の跡地を利用して作られた公園で、2005年に開園、都営桑袋団地1号棟に隣接している。綾瀬川と毛長川に挟まれた三角形の土地にあり、公園のほとんどをビオトープが締めており、敷地内にあやせ川清流館がある。(「Wikipedia」より)

足立区桑袋ビオトープ公園 解説・維持管理 統括責任者 伊藤正哉さん

桑袋ビオトープ公園は、もともとあった足立の自然の姿を取り戻し、生物多様性の豊かな空間を作るために、桑袋小学校跡地に2005年5月に開園しました。私達自然解説員は、公園の敷地内にあるあやせ川清流館(以下、清流館)に常駐し、来園者へ公園や生き物の解説、自然体験プログラムの実施や、草刈、樹木の剪定等の公園の維持管理を行っています。

公園の池の水は、隣接する伝右川から水を引いているため、開園後まもなくハゼやモツゴ、ヤゴ等様々な水生生物が見られるようになりました。一方で、本来この地域にはいないはずの「外来種」のウシガエルやアメリカザリガニも見られるようになりました。特にアメリカザリガニの繁殖力はすさまじく、ザリガニの捕食により次第に他の生き物が減少するようになりました。この対策として来園者が参加するザリガニの駆除活動「ザリガニ釣り」を2009年から開始しました。これは、ザリガニを捕まえる道具を来園者に貸し出し、捕獲したザリガニを清流館に持ってきてもらうもので、初めて参加する人にはアメリカザリガニの外来種としての側面を知ってもらうクイズを行うなど、自然解説プログラムの一つとして実施しています。最近では、アメリカザリガニの捕獲数が大きく減少したことで、ヤゴ、スジエビの数が増加し、効果が表れています。

(この項、「」HPより)

                    

併設されている「あやせ川清流館」では、ちょうど保育園児が訪問していて、解説員の説明を聞いていました。また、近所の方でしょうか、ベンチに座って談笑していました。

葛飾区内で見る綾瀬川とはひと味違った、自然の姿を見せています。

                                                                          左・毛長川、中央・伝右川、右・綾瀬川

「桑袋ビオトープ公園」は、伝右川と綾瀬川にはさまれた三角形のところにある。花畑団地は、足立区。

さて、伝右橋から「毛長川」へ向かいます。「鷲宿町会」掲示板。

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京成バス「水元5丁目」~東武バス「花畑桑袋団地」。その5。浮花橋。水神。大曽根ビオトープ。蛇橋。伝右川、毛長川。(「都県境を探ってみる」第2回目。)

2022-10-28 21:48:32 | 都県境を探ってみる

              「浮花橋」から下流を望む。右岸が足立区、左岸が八潮市。

橋を渡ると、埼玉県八潮市。

今度は、左岸(八潮市側)を歩きます。左は、工場が並ぶ。

土手道。

対岸は、足立区花畑。

   真っ赤な花、ピラカンサ。

工場建設中の土手の脇に「水神」。

大曽根ビオトープ。

      

解説板。

大曽根ビオトープの歴史

綾瀬川の名前の由来

綾瀬川は古代より、流路の定まらない川として、「あやしの川」あるいは綾のように入り組んでいたので「綾瀬川」と呼ばれたなどという言い伝えがあるように、大きく曲流していました。河川の氾濫河川の氾濫・洪水なども頻繁に発生しました。大曽根ビオトープはこのような綾瀬川の河川敷にある貴重な環境です。

大曽根の名前の由来

「曽根」は局地的に砂・土を有するやせ地の意で、綾瀬川沿岸の大きなやせ地からつけられたということです。大曽根村は、近世初期から明治22年明治22年(1889)までの村名でした。近世においては、天正18年(1590)から幕府領、寛文2年(1662)に旗本の森川領となり、明治維新まで旗本森川下総守の支配地でした。明治22年(1889)、大曽根村は町村制により南埼玉郡八幡村の大字となり、現在に至ります。

関屋(舟着き場)

大曽根の対岸の花畑は、陸上・水上の交通の要衝である「鷲宿(とりじゅく)」として栄えました。花畑にある鷲宿から対岸の大曽根への渡河地は関屋といわれ、河の関所があった場所だといわれています。綾瀬川のこの周辺に渡し船の舟着き場があり、渡しの番をする人がいました。

※「鷲宿」は「酉の市」発祥の地といわれる「花畑大鷲(とり)神社」門前町として賑わったという。

御立野跡

「御立野跡」は、近世の大曽根新田の小名で、明治期以降は大曽根の字名です。「御立野跡」は幕府御用の茅野跡で、入り会いを禁じられた地にちなんでつけられました。「大曽根新田」は、・・・享保12年(1727)の綾瀬川改修にともない、延享2年(1745)に西袋村の栗原平次右衛門ら5名が古綾瀬川を開発した地域でした。新田開発地は、古綾瀬川の流路跡と徳川家の御用茅野跡の「御立野跡」で、幕府領で代官支配地でした。

※現在、古綾瀬川の左岸が八潮市に属しているのはこの新田開発に関係しているのだろうか?

民話「蛇橋」。

綾瀬川をはさみ、たびたびの水難に苦しむ足立郡・花又村(花畑村)と大曽根村の争いに関わる民話。

・・・大曽根村の名主新八が、村を水難から救うため、堤を切ったことが分かり、家は断絶との処分が決まった。この悲惨な出来事に老母は気が狂い、「親子とも大蛇になり、恨みをはらすのだ」と叫びながら綾瀬川に身を投じたという。その後、二匹の大蛇は綾瀬川であばれまわり、村人さえもよりつかなくなった。あるとき、江戸の役人浅田近右衛門と妹のしづが船に乗り、大曽根村へさしかかると、片目の蛇と白い蛇が近右衛門にたちむかってきた。刀で切ってすてようとすると船が転覆し、妹のいしづが行方知らずとなった。調べてみると先のような話で、このことを将軍吉宗様に報告したところ、将軍が気の毒に思い、これからは二つの村が仲良くするようにと、金五両を下さった。このお金で「蛇塚」と「蛇橋」を作って供養したところ、それから蛇は出なくなったそうな。-「足立百の語り伝え」等から取材ー

この先、工場の敷地を抜け、再び土手沿いの道へ進みます。

しかし、綾瀬川に流れ込む小川を渡るための橋が崩れていて、歩行禁止。そのため、大きく遠回りして「綾瀬川」に架かる「桑袋大橋」の東詰のところから綾瀬川に向かいます。

歩行禁止の所から「綾瀬川」。

       対岸に見えるのは、伝右川排水機場。

※ここで「綾瀬川」に「伝右川」、「毛長川」が合流。

足立区花畑の一部が八潮市に食い込む形で、綾瀬川の東側に広がります。その東側を歩いたことになります。

綾瀬川下流を望む。

「桑袋大橋」の上流にある橋を渡り、足立区方向へ。

                           道路の向こうに「東京都」「足立区」の標識が。

足立区に入ってすぐの「花畑桑袋団地」バス停から乗車、東武線「谷塚駅」へ。

      「都営花畑第4アパート案内図」。(足立区花畑8丁目)

バスの終点は、足立区の「竹の塚駅」ですが、大半のお客さん(小生も含め)は、途中の「谷塚駅」(埼玉県草加市)で下車しました。

次回は、「花畑桑袋団地」バス停から再開です。

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京成バス「水元5丁目」~東武バス「花畑桑袋団地」。その4。首都高三郷線。内匠橋。綾瀬川・古綾瀬川遊歩道。(「都県境を探ってみる」第2回目。)

2022-10-27 21:27:37 | 都県境を探ってみる

                      足立区側は樹木が多い遊歩道。

         前方に「首都高三郷線」が見えてきます。

「足立区小溜井排水場」。

             綾瀬川との合流地点にあります。

首都高下に「埼玉県八潮市」と。

「内匠橋」から綾瀬川下流を望む。

この先は、開削された直線の水路となる。葛飾区で中川に合流し、荒川と併行して東京湾へ。首都高が左上を通っている。

※かつての流路「垳川」は東西で閉鎖されて、東の中川、西の綾瀬川とは排水場で結んでいる。

「内匠橋」を右折し、綾瀬川沿いに。

この先、「古綾瀬川」沿いを歩きますが、遊歩道の左側は八潮市になります。現在の綾瀬川の南側・足立区に八潮市が入りこんでいる。

     対岸は八潮市。

案内板。※下が北。

          ○の部分が、現綾瀬川をはさんで、八潮市となっている。

             

右が八潮市、左が足立区。

古綾瀬川遊歩道。

1880年代のようす。

      ↓が古綾瀬川。

▽が現在地。※上が北。

現綾瀬川に合流。

来た道を振り返る。

                右が足立区、左が八潮市。

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京成バス「水元5丁目」~東武バス「花畑桑袋団地」。その3。水車広場。葛西用水。垳川JABJAB大作戦。タブノキ。(「都県境を探ってみる」第2回目。)

2022-10-26 21:25:49 | 都県境を探ってみる

                  六木水の森・水車広場。大きな水車のモニュメント。

神明六木遊歩道(シンメイムツギユウホドウ)

垳川沿いに続く約2kmの遊歩道は、水辺と雑木林の風景が続く自然を身近に感じられる散歩道です。遊歩道にいくつかの公園(広場)が隣接しています。葛西用水親水水路を挟んで、神明側が神明水の森公園、六木側が六木水の森公園となっており、泉の広場、けやき広場、風車広場、むくの木広場、虹の広場、水車広場などの広場があります。

(「あだち観光ネット」HPより)

「中川→150m」。

                     

   上部の蛇行する流れが「垳川」、下部の直線の流れは「花畑運河(花畑川)」。

    対岸は八潮市垳。

足立区側には公園やベンチなどが設置されている。対岸には釣り人の姿が。

「葛西用水」との交差点。

              「ふれあい桜橋」の向こう、右から左の流れが「葛西用水」。

                 

※「葛西用水」は、そのまま南下して流れていきます。

「ふれあい桜橋」を振り返る。

    手前(写真には写っていませんが)、葛西用水は、左から右へ流れていく。

八潮市側の遊歩道を歩きます。

                 対岸が足立区の「神明六木遊歩道」。

                   

小魚の群れ。

    大きな鯉もいるとか。

「平成泉橋」。

中川方向。

綾瀬川方向。

「垳川JABJAB大作戦」。

今度は、足立区側を歩きます。両岸とも遊歩道が水面近くまであり、水辺を眺めながら歩けます。

大きな「タブノキ」。

※「タブノキ」=「イヌグス」。旧東海道歩きや古利根川歩きなどで見かけた古木・巨木です。

遊歩道案内図。

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京成バス「水元5丁目」~東武バス「花畑桑袋団地」。その2。新大場川水門。神明・六木遊歩道。垳川。(「都県境を探ってみる」第2回目。)

2022-10-25 21:00:13 | 都県境を探ってみる

       先に進みます。間もなく中川の合流点に。

その手前、右手に「古新田排水機場」。

        

              「サバスマリン」の向こうに「新大場川水門」。

※「サバスマリン」 国産艇・輸入艇の新艇から 中古艇の販売、保管、整備、修理を行っているほか、これからボートを始める方のためにボート免許スクールを開催している。

「新大場川水門」。

「大場川」上流・水元公園方向を望む。

中川。

中川の対岸(足立区)を望む。正面が東京都と埼玉県の境界。

対岸に向かうために、中川上流の塩止橋へ。

八潮市内。

塩止橋。

中川の河口から19.1 kmの地点に位置し、埼玉県内では中川に架かる最下流の橋である。明治年間の藤橋(後述)に代わり、大正年間に開削された中川の新流路に新たに架けられた橋である。かつての中川は八潮市と三郷市の市境に沿って流れ、大場川閘門橋付近より下流側も中川(古利根川)の一部だった。流路跡上に八潮市と三郷市の市境を成している。橋の名前の由来は潮止村から。その潮止とは東京湾からの海水が潮の干満によってこの付近まで遡上することに因む感潮河川)。なお、中川は昭和20年頃までは以南の呼称であり、それより以北を古利根川と称していた

戸ヶ崎の渡し

「戸ヶ崎の渡し」は埼玉郡大瀬村と葛飾郡戸ヶ崎村を結び、川幅80(約145.5メートル)余を渡る人舟馬舟各二艘を有する官設の渡船(官渡])であった。渡船はいつから開設されていたか定かではないが、南北朝期に当地に河が置かれていたことからその頃までには存在したとされる。渡船には中世より存在した河岸場が併設されていた。この渡船場は藤橋の架設により廃止された

藤橋

北埼玉郡大瀬村北葛飾郡戸ヶ崎村の境を流れる中川(古利根川)の旧流路上存在した里道である水戸脇往還(後の吉川新宿線)の「戸ヶ崎の渡し」の場所に藤橋が架けられていた

1880年明治13年)6月23日、戸ヶ崎村の加藤翠渓(すいけい)や小右衛門新田日比谷晁(てう)により木造橋の架橋の許可を出願1881年(明治14年)1月17に内務卿より架橋の許可が下り、私費を投じて9月3日に着工し、1882年(明治15年)12月25日に竣工され、架設者の人名である加藤家と佐藤家の「藤」の字に因んで藤橋と名付けられた。架橋に要した費用は2000円であった。橋の長さは33間3(約54.5メートル)、幅員は1間13尺(約2.7メートル)の木橋であった。この橋は架橋に掛かった費用を29ヵ年かけて償却するため、通行料を徴収する賃銭橋であった。通行料は徒歩1人・人力車1両・大七以上の荷車1両は各5厘、牛・馬は1疋8厘、馬車・牛車は1銭であった1920年(大正9年)4月1日に県道路線「吉川新宿線」と認定され、橋は埼玉県に移管された。 この橋は明治43年の大水害が契機となり、中川の河川改修が1920年(大正9年)より着手され蛇行部をショートカットする直線的な捷水路1925年(大正14年)に開削されたことにより廃止された

(この項、「Wikipedia」参照)

1880年代のようす。戸ヶ崎の渡し場が記されている。

2010年代のようす。完全に街中になっている。

中川右岸沿いに戻ると、

           対岸の「新大場川水門」。手前は、中川と垳川をつなぐ稲荷下樋管。

「神明・六木遊歩道→」の案内。

これから「垳川(がけがわ)」沿いの遊歩道を歩きます。

               

東京都と埼玉県の境界標。土手沿いの「垳川」上に。

 昭和30年代後半まで、このあたりは水田地帯。さらには、水運も盛んでした。その後は、宅地開発。このあたりの川も生活排水、工場排水のために濁って悪臭までも。下水道の完備などで、再び川の流れを取り戻していく。そんな水と人々との関わり合いの歴史もあります。

垳(がけ)川の東端、中川との接続点に昭和54(1979)年に完成したのが埼玉県の垳川排水機場。

垳川は元々、綾瀬川本流で、江戸初期に、水害対策のため、内匠新田(たくみしんでん。垳川の西端、現在の内匠橋付近)から葛飾区堀切の中川との合流地点まで直線流路の綾瀬川の新川が開削された。その結果、垳川は、綾瀬川から切り離され、江戸中期の1729年には中川とも切り離されて、河川としての機能を失ってしまいました。中間部で北から合流する葛西用水路の溜池としての役割を果たしてきましたが、ひとたび大雨で増水すると浸水騒ぎに。そこで、増水時には水害防止のため、綾瀬川や中川に排水する施設が設置されました。現在、その役目を担っているのが、垳川排水機場。
 

※「垳川」

「垳」という文字はJIS第二水準漢字であるが、この地名ならびにこの地を流れる垳川の名を表記する以外には使われない国字であり、地域文字とされる文字である。

この字・読みの起源について八潮市は1981年に「第2次八潮の民俗調査」の調査報告書の中で水がカケ(捌け)る様子を意味しており、水が流れるとき「土」が流されて「行」くという字を当てたものとしている。一方、早稲田大学教授で日本語学者の笹原宏之は、文字通り崖の意味であって河岸の斜面を意味しており、崖を意味する中世の漢字「圻」が字形揺れによりこの地では「垳」に変化して定着したものという見解を発表している。2012年に区画整理により、本地名が変更されようとしていたことがあるが、「垳」が希少漢字であることから、獨協大学職員によって「『垳』を守る会」が立ち上げられ、地名の保存運動が行われた。のちに、「八潮の地名から学ぶ会」といった団体に発展し、本地名に限らず、日本全国の方言漢字を取り扱うようになった。(「Wikipedia」より)

余談ですが、「方言漢字」は全国に存在し、葛飾の「葛」の「勹」の中を「人」とか「ヒ」などと書くのも、方言漢字の一種のようです。

 垳川。右手に垳川排水機場。

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京成バス「水元5丁目」~東武バス「花畑桑袋団地」。その1。閘門橋。大場川。大場川マリーナ。(「都県境を探ってみる」第2回目。)

2022-10-24 21:11:07 | 都県境を探ってみる

    水元公園・小合溜。

10月22日(土)。曇り。

今回は、葛飾区の水元公園の西から足立区の花畑まで。北の境、埼玉県側は、三郷市、八潮市、草加市となります。

                      (「歴史的農業環境閲覧システム」より)

      「大場川」が境界線。

水元公園の小合溜と大場川を結ぶところにあるのが「閘門橋」。

水元公園側。    

大場川側。

              橋脚部にブロンズ像が。            

             

閘門橋(明治42年完成)

閘門橋は、レンガ造アーチ橋としては、東京に現存する貴重な橋です。
 橋名の閘門というのは、水位・水流・水量等の調節用の堰のことをいいます。
 江戸時代(宝永年間)この辺りは、古利根川(現在・中川)、小合川(こあいがわ:現在の大場川、小合溜)が入り込んだ、複雑な地形を有しており古利根川の氾濫地域でありました。この古利根川の逆流を防ぎ、水田の水源確保のため、さらに岩槻街道の流通路として閘門と橋が造られたと言われております。
 現在の橋は、明治42年、弐郷半領用悪水路普通水利組合によって「弐郷半領猿又閘門」としてレンガ造アーチ橋が造られました。
 その後、本橋は新大場川水門の完成により閘門としての役割を終え、また隣接する葛三橋(かつみばし)に車道を譲り、歩行者・自転車道に移り変わりました。
 この改修に当たって、レンガのアーチ部分は原形のままとし、橋面上の修景にとどめました。アーチの橋脚部のブロンズ像は、荒れ狂う風雨と必死に闘いながら閘門の堰板を巻き込んでいる姿です。
 閘門橋は、こうした人々の水との生活史を今に伝えるものです。

※弐郷半領(にごうはん)とは、現在の埼玉県吉川市、三郷市付近のことをいう。建設したのは埼玉県の水利組合「弐郷半領用悪水路普通水利組合」。「用悪水路」とは用水路と排水路という意味。

             

「葛三(かつみ)橋」を渡って、埼玉県三郷市に。

大場川沿いに進みます。

                   

すぐ八潮市になります。

八潮南公園運動広場。

                右手奥の高い煙突は、葛飾清掃工場。

畑の向こうに大場川。

                   対岸は、葛飾区水元。

宅地造成が進む。

「大場川マリーナ」。

           

埼玉県河川公社が経営する公共のマリーナ「大場川マリーナ」。収容隻数は167隻(すべて陸に係留)、埼玉県内での最大規模を誇り、知る人ぞ知るマリンスポーツの拠点となっている。

東京湾までのアクセスは、わずか約45分。江戸前の魚が釣れるフィッシングにも「ちょっとそこまで」の感覚で出かけられるのが嬉しい。

海が荒れている天候のときでも、大場川は比較的穏やかであり、クルージングができることが多い。大場川マリーナに保管するとセカンドボートが持てる、「オーナーズレンタルボートシステム」という業界初の制度もある。

マリーナには屋外トイレや大型の駐車場も完備。営業時間内であれば、シャワールームも使うことができ、快適なマリンライフを過ごせる。

この項、「」HPより)

けっこう広い大場川の流れ。

         対岸・葛飾区に「葛飾清掃工場」。

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