おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

諸磯湾~油壺湾めぐり。その3。磯遊び。三浦一族資料館。油壺マリンパーク閉館・キャンプパーク。三浦道寸の墓。胴網海岸。

2022-08-10 20:03:30 | 三崎口

              「荒井浜」は、この付近では一番大きなようです。

渚の中央が砂浜で、左(南)右(北)が岩場になっていて、泳ぐだけでなく、磯遊びも楽しめる場所。

                 

磯遊びを楽しむ。

    

                 向こうに見えるのは、「諸磯崎灯台」。

浜辺には、「三浦一族資料館」。

そこから海を望む。

北側の岩場。

海を望む。

さて、次の海岸へ。

                 この付近は、リアス式海岸になっていて、海岸線が入り組んでいます。

「油壺マリンパーク」が閉館になり、再開発の予定に。

・・・

マリンパークは相模湾を望む三浦半島の先端部の高台に位置し、当時は東洋一とされた大回遊水槽などを有した施設として1968年に開業。葉山御用邸(同県葉山町)にも近く、皇族が非公式に訪れることも多かったという。81年には屋内でイルカなどのショーを観覧できる施設もオープンし、近年も週末を中心ににぎわいをみせた。建て替えの議論なども浮上したものの、京急電鉄は2021年5月に老朽化などを理由に閉館を決めたという。

決定後には閉館を惜しむ客の来訪が増加。新型コロナウイルスの影響で来場者を2500人に限定しているものの、駐車場や近隣の道路が慢性的な渋滞となった。

マリンパークによると、閉館後の動物らの移送先はすべて決まっているという。利用者の写真やエピソードを車内に掲示した京急線の列車「マリンパークギャラリー号」を運行するなどして往時を振り返るほか、オンラインを活用した情報発信なども進める方針という。

(以上、「日本経済新聞」2021年9月30日)

京急油壺温泉キャンプパークオープン

京浜急行バス停留所名称を「油壺」から「油壺温泉」に名称変更

2021年9月末に閉館した京急油壺マリンパーク周辺敷地を活用したアクティビティスポット、「京急油壺温泉キャンプパーク」を2022年1月24日(月)にオープンいたします。

都心から1時間半程度でアクセスできる「京急油壺温泉キャンプパーク」は、三浦半島西側の眺望を活かし、キャンプサイトから富士山や相模湾に沈む夕日が望めるほか、モンゴルサイトでは馬を眺めながらキャンプできる非日常を体験できます。

パーク内には、BBQ、ドッグラン、ポニーとのふれあい体験などのアクティビティが充実しており、隣接するホテル京急油壺観潮荘の小網代湾を一望できるレストランや、天然温泉の露天風呂とあわせ、エリア全体で一日楽しむことができます。また、日中は入場無料で開放いたしますので、開かれた公園として気軽に散策することができます。

京急グループは、今後も「都市近郊リゾートみうらの創生」実現に向け、地域事業者等と連携を図り、エリアの活性化を行なってまいります。

(この項、「」HPより)

「京急油壺温泉キャンプパーク」。

     初代園長 末広恭雄さんの記念碑。「愛」 魚わが友 

  

「胴網海岸」へ下る途中の駐車場脇に、「新井城跡」碑。

下り坂の途中には、

「三浦道寸の墓」解説板。

新井城城主三浦道寸義同は鎌倉以来坂東武門の名族である三浦一族最後の当主となりました。三浦一族は始祖為通にはじまり鎌倉時代には北条氏とともに幕府を二分して覇権を争ったことはよく知られています。この間、和田の乱(和田義盛滅亡)宝治合戦(三浦泰村滅亡)などいく度か興亡を繰り返し、450年の後、奇しくも同じ北条を唱える伊勢新九郎(北条早雲)と戦い、戦国騒乱の世の露と消えました。

永正9年(1511)北条早雲は岡崎城(平塚市伊勢原市両市にまたぐ)から住吉城(逗子市)などにつづいて三浦氏を新井城(油壺)に攻めました。

そして日本籠城史でもまれな凄惨な攻防は3年にわたり、永正13年7月11日義同以下城兵ことごとく決戦にのぞみ、ここに、さしもの三浦氏はその歴史を閉じました。

(義同辞世の歌)

討つものも討たるるものもかわらけよ

  砕けて後はもとの土くれ  

三浦道寸の墓。 

「小網代湾 胴網海岸」。

     

                 小さな浜辺で、静かな佇まい。

          

坂道を下ったところに、「横堀海岸」。

こうして油壺巡りを終了。「油壺温泉」バス停から「三崎口駅」まで戻ります。

今度、孫達と海岸に遊びに来ようかな。

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諸磯湾~油壺湾めぐり。その2。新井城址。油壺湾。白秋文学コース。句碑。荒井浜・カメハメハ大王の渚。

2022-08-09 20:06:31 | 三崎口

せっかくですので、油壺湾めぐりを。まず「荒井浜」に向かいます。

その途中に、「新井城」空濠・土塁跡。

「新井城址」解説板。

「油壺湾」解説板。

油壺の名のいわれは、永正13年(1516)新井城(今の油壺一帯)を最後の居城として立てこもった三浦一族が北条早雲の大軍を相手に、3年間にわたって奮戦しましたが、空しくついに全滅し、一族の将三浦道寸義同をはじめその子荒次郎義意は、自刃、他の将兵も討ち死に、または油壺湾へ投身したと伝えられ、そのため湾一面が血汐で染まり、まるで油を流したような状態になったので、後世「油壺」といわれるようになりました。北条五代記には、三浦一族全滅の模様を次のように記しています。

「今も七月十一日には新井の城に雲霧おおいて日の光も定かならず、丑寅の方と未申の方より雷かがやき出て両方光入り乱れ風猛火を吹き上げ光のなかに異形異類の物有りて干戈をみたし、虚空に兵馬駆け散り乱れ天地をひびかし戦う有様おそろしきと言うばかりなり云々」

穏やかな海、ヨットハーバーやレジャーで賑わう油壺にも壮絶な歴史が刻まれているのですね。

左、油壺湾を見下ろす絶好の地に、句碑と解説板。

「白秋文学コース 油壺」解説板。

油壺しんととろりとして深し
 しんととろりと底から光り

三浦一族の哀史を秘める油壺、白秋のこの一首からも一族450年の秘話を聴くことができるようです。
大正のはじめ、この先海岸にある東京大学臨海実験場には海水を汲み上げるため大風車がまわっていました。

夕焼小焼大風車のうえへをゆく

 雁が一列 鵜が三羽

油壺から諸磯みれはまんまろな

 赤い夕日がいま落つるとこ

このように油壷には、歴史と自然の深いたたづまいハイカラさが同居していました。
 自由律俳句の荻原井泉水も「旅の印象」でこの頃の油壷の風情には詩の空気がこもっているようだと書いています。
 白秋の三崎時代の短唱「眞珠抄」が、井泉水の自由律俳句に大きな衝撃を与えることになりますが、共に油壷の水の色に感動し、作品が生まれたようです。


句碑 外海は荒れゐて 月の油壺 田辺 大愚

                          ※この方は、地元の俳人。

油壺湾。

                                              

         正面・左手奥の入り江を回り込むように歩いてきました。

諸磯湾方向。

坂道を下っていくと、

荒井浜。カメハメハ大王の渚。

荒井浜海岸を望むハワイアンな海の家

日本の水浴場88選に選ばれた透明度の高い綺麗な海の前のリゾートまるでHawaii 、癒されに来てください。プライベートビーチのような海岸で、ハワイアンミュージックを聞きながら、ゆったりとした時間が流れます。穏やかな海で、釣り・シュノーケル・カヤック・パドルボート・磯遊びをしてみませんか? (当店ご利用で、カヤック・SUPパドルボート・ボート貸し出し中)家族や仲間とBBQも一年中できます! 富士山が見える絶景のサンセットを見ながらのCOFFEEもお勧めです。 三崎のマグロ、三浦の野菜や果物を使ったHawaii料理、 Hawaiiシェイブアイスもあります。

この項「」HPより)

            

  

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諸磯湾~油壺湾めぐり。その1。諸磯ヨットハーバー。MISAKI MARINE。初島・利島ヨット レース遭難の碑。

2022-08-08 20:35:45 | 三崎口

久々の京急「三崎口駅」下車。「浜諸磯」(三崎港経由)行きのバスで、「尾志倉」バス停下車。

今回は、諸磯湾から油壺湾まで歩きます。

前回よりも暑さは和らいでいる感じ。でも、暑い!

道しるべ。「関東ふれあいの道」。

         このように、けっこう入江の多い道筋です。

諸磯湾。たくさんのヨットが停泊中。

諸磯ヨットハーバー。

        沖を望む。

「SOPRA(ソプラ)」(閉業)。

すぐ「油壺湾」に。ここも大きなヨットハーバー。その脇道を進みます。

             

            「MISAKI MARINE」。

大型ヨットがズラリ。

桟橋から振り返る。

回り込むと、

         初島・利島ヨット レース遭難の碑

この小網代をスタートして

われらは進んだ 永遠のレースへ

吹きつのる風 おしよせる波

最後まで、力を尽くしてたたかった

あの水平線のかなたは われらのしとね

海を愛する人々よ。忘れないでくれ

海のきびしさ、海のやさしさ

そして、海を愛するこのわれわれを

        海の安全を祈って

          初島・利島ヨットレース遭難の碑

昭和37年11月3日夜、相模湾で行われたヨットレースで、思いがけない事がおこりました。参加した43隻の大型ヨットのうち慶應義塾大学の「ミヤ号」(乗組員4人)と早稲田大学の「早風号」(乗組員6人)が、突然の暴風のために行方不明になり、さらにほかの艇に乗っていた慶應義塾大学の一人も波にさらわれてしまいました。家族の人や両大学の友人や関係者、海上保安庁、自衛隊、そして、各地の漁協や消防署まで、大勢の人々の捜索活動が続けられましたが、ヨットは発見されませんでした。

その先の坂道を上がって行きます。

林越しの湾内。

上がり切ると、右手に駐車場があり、京急バス「油壺温泉」バス停に出ます。

観光案内版。

今回、たどったコースの概要。

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8月7日。曇り後晴れ。立秋。暑さ寒さも「彼岸」まで。秋来ぬと・・・。朝顔。オミナエシ。キキョウ。ススキ。・・・

2022-08-07 21:00:31 | 世間世界

              「向島百花園」にて。

今日は、24節気の13番目、立秋。暦の上では、立冬(2022年は11月7日)の前日までを「秋」となります。

暦の上では秋に。 東京地方。朝方は、曇り空でしたが、午後は晴れ。相変わらず蒸し暑い。

そして、明日からは、また暑い日が続くようです。各地でのゲリラ豪雨も相変わらず激しく・・・。

昔から、暑さ寒さも「彼岸」まで、というように、9月のお彼岸頃まではまだまだ暑く感じる日も多いようです。

が、「立秋」と聞いただけで、いよいよ暑さは峠を越し、少しずつ秋に向けて進んでいく感じがするのは、不思議ですね。

『古今和歌集』に、

来(き)ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる 藤原敏行

作者は、平安時代前期の貴族、歌人、書家で、三十六歌仙の一人。空海と並べられるほどの書道の大家でした。

「詞書」には、「秋立つ日詠める(立秋の日に詠んだ)」とあります。

ま、歌の内容は、作歌上の言葉の綾でしょうが、何となくそんな気にさせる歌です。

そういえば、昨日、三浦半島に出かけましたが、歩いていても前回(7/29)に比べ、少しは、しのぎやすかったか? 

家への帰りも汗でびっしょりという感じではなかったです。熱風の中にも、どこか秋の気配を感じられることも。

「お盆」を過ぎると、暑さも峠を越す? 

しかし、朝日新聞社主催の高校野球が始まって、球児達の「熱い」闘いが続きます。暑さ対策、コロナ対策は大丈夫でしょうか?

以下、「暦生活」HPを参照します。

七十二侯だと、

・初侯 8月7日〜8月11日頃

涼風至 すずかぜいたる

夏の暑い風から、秋の涼しい風に替わりはじめる頃。

・次侯 8月12日〜8月16日頃

寒蝉鳴 ひぐらしなく

夏の終わりを告げるかのように、ヒグラシが鳴いている頃。ヒグラシの鳴き声は、過ぎゆく夏を惜しんでいるかのように聞こえます。

・末侯 8月17日〜8月22日頃

蒙霧升降 ふかききりまとう

森や水辺に白く深い霧がたちこめる頃。

旬のもの

花 ひまわり

中国で「太陽花」英語で「Sunflower」と呼ばれ、どこの地域でも太陽の花として親しまれています。最大の生産国であるロシアでは国の花とされ、日本でも43の市区町村の花に指定されています。

果物 桃

七月から九月が旬である桃。

花 つゆくさ

野菜 玉蜀黍(とうもろこし)

「立秋」を過ぎると、挨拶文も、「暑中見舞い」から「残暑見舞い」に変わります。

次は、処暑(8月23日)

「向島百花園」も朝顔が終わりを告げ、「秋の七草」など秋の草花が、咲き始めています。

キキョウ(桔梗)。

            

オミナエシ(女郎花)。 

ススキ(薄)。

ヒオウギ(桧扇)。

フクロクジュウリ(福禄寿瓜)。

寺島ナス(茄子)。

サルスベリ(百日紅)。

水面にはミズスマシ。

※撮影は、8月5日。

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「三崎港」。あれこれ。その2。イルカ。海外港。浜諸磯。

2022-07-31 18:25:13 | 三崎口

                けっこう暑くなってきます。

予想では、もう少し海風が吹いてくる、と思っていましたが。ほぼ無風。考えが甘かった!

右手の壁に「イルカ」。有名な撮影ポイント。

「油壺マリンパーク」は、閉鎖されましたが、イルカのショーが人気を集めていたようです。

海外(かいと)港。

三浦半島の西側の海岸は入り組んでいて、小さな港も多くあります。

また、海に突きだした岩など、地層など興味深いものが多く観察できます。

「海外」バス停。かいと」と読みます。

次のバス停「尾志倉」の先で、左折し、上り坂を。

※コース設定では、左折せずにそのまま県道を進み、「諸磯港」・「油壺湾」へ向かいます。

突き当たりを左折して、下り坂を延々下って、「浜諸磯」へ向かいます。けっこう歩きました。

浜へ下って行きます。

   

対岸は、油壺湾先端方向。

トンビの姿が。

                のんびりと海を眺めながら休憩。

                 家族連れが磯遊びをしています。

相模湾。

     諸磯港。

ミサキハウス。

ここまで歩いて来ましたが、ここでリタイヤ。「浜諸磯」発のバスに乗って、「三崎港」まで戻ることに。

○が「浜諸磯」。「諸磯湾」を経由して「油壺湾」へ向かうはずでした。↓が「小網代の森」を下ってきたところ。

あと少しのところまでたどり着いていたのですが。次回、「油壺湾」巡りを兼ねて歩くことに。

 干物セット。

                 アジとカレイとキンメダイ。

                                                                                                               2010年代のようす。

      南の「三崎港」から北の「浜諸磯」まで。

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「三崎港」あれこれ。その1。「うらり」。「三崎館本店」。歌舞島。二町谷公園。漣痕(れんこん)。北原白秋。

2022-07-30 19:57:50 | 三崎口

久々に京急「三崎口駅」へ。今回、三崎港から油壺湾まで、という予定でした。

が、炎天下のため道半ばで挫折した、そのレポートです。

「油壺・入江のみち」。

三崎漁港から油壺まで、西海岸線づたいに入江と丘陵地帯を歩く、というコースをたどるつもりでした

ところが、出来るだけ海岸へ近づこうと県道から左に折れ、上り坂・下り坂を行ったり、戻ったりで、・・・。

暑さに負け、でした。

レンタサイクルに乗って三崎港付近を走っているカップル。けっこう上り坂を青息吐息で必死にこいでいるケースも見かけました。

真夏にチャレンジするコースではなかった、です。

たくさんの観光客がバスから降ります。「みさきまぐろきっぷ」を手にした老若男女の方々。

何年か前にじじばば達とその周遊券で三崎・城ヶ島巡りをしました。

「うらり」。

    帰りに寄って、干物セットを買いました。

「三崎館本店」。

三崎港を目の前にする割烹旅館。増改築されているが、関東大震災後に建てられた和風の建物。

日本ではじめての「まぐろかぶと焼」をはじめ、三崎ならではのまぐろ料理の数々を、暖かいおもてなしにかえて、伝統を受け継ぐ三崎館本店
ここでは四季を通じ、最良の素材を最善の味で味わっていただき、心と体の休息と美味しさの究極を、ご提供しております。
心地よい潮の香りと波音に添えて、他では味わえない本物の味を心ゆくまでお楽しみ下さい。

            (「三崎館本店」HPより)

        ※その建物の前を一列・等間隔で歩く、じじばば一行

魚市場。

右手の高台は、「歌舞島(かぶじま)公園」。

歌舞島」の名前の由来は、この地で源頼朝に歌舞宴楽を披露したことから、一説には、三浦義村の招きで当地を訪れた将軍藤原頼経が来迎(極楽から仏を迎える)の儀を行い、読経歌舞を催したところからその名が伝えられたともいわれています。
この歌舞島は、別名「兜島」ともいい、かつては離れ島でしたが、地殻の隆起によって現在のように海岸に突出した陸つづきの小丘になりました。

海岸側には「二町谷公園」。

「歌舞島」方向を望む。

「浜諸磯」方向を望む。

※二町谷埋め立て地(「二町谷公園」付近)には、ホテルや商業施設などの建設が予定されているようです。

              

小さな入江脇から道路に戻って進みます。

その先、二町谷(ふたまちや)道路脇の小岬の崖の表面に波の模様の地層が幾層も見ることができます。これは漣痕(波調層)といい、神奈川県の天然記念物に指定されています。

漣痕=漣(さざなみ)の痕跡。「リップルマーク」ともいう。

※現在では波や風の影響で作られたものではなく,地層の変形によってできたものとされています。

珍しい地形です。

             見事な景観。

海岸のようす。

「白秋文学コース 二町谷」。

寂しさに浜へ出てみれば波ばかり

   うねりくねれりあきらめられず

大正2年(1913)1月、白秋が死を決意してこの浜を彷徨したときの一首です。

不盡の山れいろうとしてひさかたの

   天の一方におはしけるかも

三崎に転居し新生を期し、この浜に再び立ったときの歌で、この二つの歌から哀傷の苦悩と新生への息吹との対照的な境地を知ることができます。

一心に遊ぶ子どもの声すなり

   赤きとまやの秋の夕ぐれ

白秋の向ヶ崎時代と、二町谷時代を対照すると点景の描写に大きな相違があることも判ります。当時この浜で行われた三崎の消防組の出初式を観て「消防整列」という詩壇の反響を呼んだ詩も作っています。

岬の方向。

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向島百花園。大暑の日の。風鈴。ムラサキゴテン(紫御殿)。おにゆり。とけいそう。ほおずき。へちま。正岡子規。夕顔。

2022-07-24 20:15:59 | 向島百花園

                 涼しげな四阿。

                            

               風鈴の音が暑さを和らげてくれます。                                                                                                                                                                                                                                                            

                                                     

さて、

昨日、「大暑」にちなむ「オシロイバナ」を探しに向島百花園へ。道すがらも含め、夏の花を見かけました。その報告。

「向島百花園」に向かう途中、水戸街道沿いに植えられたツツジの中に見つけた、鮮やかな紫色の花は?

                 

           小さなピンクの花が咲いています。

「百花園」の職人さんに早速お聞きしました。「ムラサキゴテン」というそうです。

          ツユクサ科の園芸植物だそうです。

メキシコに分布する常緑性多年草でツユクサの仲間です。葉をはじめ茎や萼(がく)に至るまで全身紫色に染まる姿が神秘的できれいです。葉は厚みがあり多肉質で、乾燥に強い。葉の表面には白っぽい色をした細かいうぶげのようなものがたくさん生えており、光の当たる角度によって葉色が変化して見えます。特徴的な葉色を活かして寄せ植えや花壇に利用されます。丈夫でよく育つので、街角や住宅街の片隅で放任状態で半野生化したものもよく見かけます。

その印象的な草姿で観葉植物や多肉植物として扱われることが多いですが、夏~秋に咲く花もきれいです。色はピンクですが、白っぽいものもあり多少、色幅が見られます。朝に咲いて、その日の昼までにしぼんでしまう短命な花ですが、最盛期には毎日、次々と咲かせてくれます。

主に栽培されているのは、濃いピンクの花を咲かせる園芸品種‘パープルハート’で、この品種を指してムラサキゴテンというのが一般的です。日本には1955年に渡来しました。元となった野生種はあまり栽培されていません。旧属名のセトクレアセアの名前で呼ばれることもあります。

(この項、「」HPより)

おにゆり。

           クロアゲハが蜜を吸いに。

とけいそう。けっこう開花期が長そうです。

水面には、ミズスマシの波紋。

ほおずき。

うすべにたちあおい。

お菓子のマシュマロはウスベニタチアオイの根から取れるデンプンを利用して作られていた。現在のマシュマロは普通、卵白やゼラチンや砂糖で作られる。若葉、花はハーブティに利用でき、のどの痛みを緩和するといわれている。

(この項、「Wikipedia」より)

               

せんのう。

瓢箪。てっぺんに花が。

その隣には、へちま(糸瓜)。

巨大な実がぶら下がっています。夕顔。

「糸瓜忌」は、明治35年(1902)9月19日、35歳で亡くなった、俳人・正岡子規の命日。

※「獺祭忌」ともいいますが。

絶筆の3句に、へちまが詠み込まれています。

糸瓜咲て痰のつまりし仏かな

痰一斗糸瓜の水も間に合わず

をとヽひのへちまの水も取らざりき

・・・

門前の鉢植え。朝顔。

「百花園」は、来る度に新たな花々、気がつかなかった小さな草木に気づかせてくれます。

職人さんやボランティアの方々も熱心に解説してくれます。

下町の小さなオアシスです。

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7月23日(土)。大暑。土用丑の日。桐。入道雲。オシロイバナ。ニガウリ。打ち水。・・・

2022-07-23 13:45:55 | 世間世界

今日は、二十四節気の第12番目・「大暑」。一年でもっとも暑さが厳しく感じられる頃。

夏という季節に当てはまる二十四節気は、5月5日「立夏」からスタートし、小満、芒種、夏至、小暑、大暑となります。

今日も厳しい暑さになっています。それでも、6月のあの「猛暑日連続」とは少し趣を異にしているようですが。

七十二侯でいうと、7月23日から次の二十四節気の第13番目・立秋の8月7日(日)までの期間。

・初侯 7月22日〜7月26日頃

桐始結花 きりはじめてはなをむすぶ

桐が花を咲かせる頃。盛夏を迎える頃には、卵形の実を結びます。桐は、伝統的に神聖な木とされ、豊臣秀吉などの天下人が好んだ花であり、現在も日本国政府の紋章として使用されています。

                 

・次侯 7月27日〜8月1日頃

土潤溽暑 つちうるおうてむしあつし

熱気がまとわりつく蒸し暑い頃。

入道雲がもくもくと。

・末侯 8月2日〜8月6日頃

大雨時行 たいうときどきにふる

夕立や台風などの夏の雨が激しく降る頃。

のものとしては、

・白粉花(おしろいばな)

黒い種子を割ると、白い粉質のもの(胚乳にあたる部分)があり、それがおしろいの粉のようなので、この名がつけられています。「夕化粧」とも言います。

白い花が咲く。

           赤い花が咲く。

・ゴーヤ(ニガウリ)

沖縄県の特産物であるゴーヤ。小さな花が咲いています。

かつての新築前の我が家では、道路に面した西側の窓際にゴーヤを2,3本植えて、暑さしのぎと収穫を楽しんでいました。真夏は、南の日差しよりも午後からの西日の方がはるかに強烈でしたので。

日中の暑さを和らげる工夫として、「打ち水」があります

庭先や道路などに水をまいて涼を得る、という生活の知恵。去年の東京オリンピックでも、「地球に優しいエコな暑さ対策」として朝顔を並べ、打ち水をすることで猛暑をしのごうとしましたが、果たして効果はあったか? 心理的な効果はあったでしょうが。

水が蒸発するときの気化熱が周囲の温度を下げて地表の温度を上がりにくくし、濡れた地面を通る風を冷やしてくれるという狙いがありますが、直射日光にさらされた日向に水をまくとすぐに蒸発して湿度が上がり、かえって逆効果になるのが、現実のようです。我が家でも庭先や道路に打ち水でもしようものなら、暑さが倍増という感じ。

この打ち水も、もう見かけませんね。

今は、東京スカイツリーなどで設置されている「ミスト(霧)散布」システムがはやっているようです。

・カブトムシ

・金魚

縁日などでの「金魚すくい」が子どもの楽しみです。でも、その後、金魚鉢で育てているのでしょうか? 

次は8月7日「立秋」。

※写真は、7月23日午前、向島百花園などで撮影したもの。

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コロナワクチン第4回目接種

2022-07-21 11:12:33 | 世間世界

そうなんです、これまで3回はファイザーだったんですが。

副作用っていわないですね、副反応がちょっと心配で。

いっときモデルナはその副反応ということですか、ファイザーに比べて強く出るとか。

武田薬品がかんでいるんですか。

けっこうファイザーがファイザーがッ、という感じでしたね。

モデルナがいやだ、というわけじゃなくて、副作用が、じゃない副反応が心配で。

(この爺さん、あれこれうるさいね)

明日になった方が副反応が出ますか。

今日は、お酒もけっこう。お風呂も、ですか!

(にやっとしたね、おじいさん。年寄りはお酒のことになると、目の色が変わるな)

明日は、お酒は控えめに、ということですね。あちこち出歩かずに、家で安静にしていて下さい、と。

いえね、昨日の晩も今日のことがあるんで、お酒を飲まなかったですが。

今日のワクチンと関係なかったんですね。

(このじいさん、やけに真っ黒に日焼けしているね)

ま、近所の買い物くらいはいいですよね。

(暑いですから、途中で熱中症になったら、大変ですよ)

しかし、いつまで打ち続けるんですかね。秋には5回目、なんてことに。

モデルナは前よりも半分にしたんですか?

効き目に変わりはないんですよね。副作用、つい言ってしまいますね。

少しは、軽くなる、というわけですか。効き目も半減じゃしょうがないですが。

そんなことはありませんよ、って信じていいのかな。

(早く看護師さんに腕を出して、左ですか。ちょっとチクンとしますが)

これで、いいですか。二の腕から下が真っ黒に日焼けしてしまって。

36.4分で大丈夫ですかね。

なるほど37.5度以上の人は注射は打てない、ということに。

(はい、終わりました。別室で指示に従って下さい)

(ふう、次の方をお呼びしますので)

有り難うございました。けっこう元気なジジババもいらっしゃるんですね。・・・

午後4時過ぎの保健所にて。

 

というわけで、昨日の晩から、解熱剤を用意し、凍らせたポカリも用意し、万全の体勢で。

朝、何となく身体が重い感じ、熱も少しあるのかな?

というわけで、安静に自宅に閉じこもっています。

なかなか川歩きも三浦海岸歩きもできない、今日この頃です。

※今日の日めくり

「小事にこだわらず、常に高い目標を」。なるほど。

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向島百花園。その2。むかでらん。やぶかんぞう。おいらんそう。はんげしょう。がまの穂。おみなえし。はぎ。・・・

2022-07-17 20:47:42 | 向島百花園

                    入口の柱に架けた木に「ムカデラン」。

日当りのよい岩壁や樹木に着生する多年草です。「着生」は単に場所を間借りしているだけで、自前で光合成し雨や空気中から水分を吸収するので、支持体となる樹木から栄養分を奪うことはありません。ムカデランの名の由来は、細長い茎の両側に短い葉がたくさん生える様子をムカデに見立てたものです。

フジに花房が。

              

「やぶかんぞう」の群落。

               見頃は過ぎましたが。

     三崎「黒崎の鼻」で見たのは、「はまかんぞう」でした。

「おいらんそう」。

華やかな雰囲気。

「百花園」にもありました。「はんげしょう(半夏生)」。

池の畔に。

向こう岸にも。

「がまの穂」を見つけました。

秋の七草・「おみなえし」。

              

「はぎ」。

百花園名物「はぎのトンネル」の開花は、まだ先のようです。

                

山上憶良「秋の七草」の歌碑。

芽(はぎ)の花 乎花(おばな)葛(くず)花 瞿麦(なでしこ)の花 姫部志(おみなえし) また藤袴 朝貌(あさがお)の花

ごきづる。つる性1年草
北海道〜九州の水辺に生える。葉は長さ5〜10cm、幅2.5〜7cmの三角状披針形で、先端は尖る。葉腋から花序をだし、小さな黄緑色の花をつける。雌雄同株。花期は8〜11月。

おにばす。くろも。

でんじそう。ひし。

でんじそう

夏緑性の多年草で、その形態が特殊なことで知られる。また、シダ類では数少ない水草である。葉の形は四つ葉のクローバーに似る。茎は長く横に這い、浅い水域を埋め尽くすような大きな群落を作ることが多い。水中や湿地の泥の表面に広がり、水中にも伸び出す。かつては水田雑草としても知られ、ごく普通種であったが、現在では激減し、場合によっては絶滅危惧扱いである。名前の由来は「田字草」で、四枚の葉が放射状に広がる形を漢字の田の字に見立てたものである。

ひし

ヒシの種子にはでん粉 (Hizukuri et al.) が約52%程含まれており、菱栗または沼栗とも呼ばれゆでるか蒸して食べるとクリのような味がする。また救荒植物としても利用される。

日本では、霊亀3年(717年)10月に武蔵国策覃郡(埼玉郡)から菱子が納められたことを記した木簡平城京長屋王邸跡で見つかっている

アイヌ民族はヒシの実を「ペカンペ」と呼び、湖畔のコタンの住民にとっては重要な食糧または薬とされていた。北海道東部、釧路川流域の塘路湖沿岸では、住民がヒシの恵みに感謝する「ベカンベカムイノミ(菱の実祭り)」という収穫祭が行われていた薬膳としては、健胃、強壮などの作用があるとされる。

縁種として日本にはオニビシヒメビシがある。ヒシの果実にあるとげが2本であるのに対し、ヒメビシとオニビシの果実には4本のとげがある。実用性は乏しいと思われるが、忍者が追手の追撃をかわすために撒くまきびし(撒菱)には、これらが用いられる。

※それぞれの植物の解説は、「Wikipedia」より。

園内は、すっかり夏模様となり、緑が一段と色濃くなっています。

竹林。

          

           「和傘で庭園めぐり」。

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向島百花園。雨の中の。蓮。おぐらせんのう。さぎそう。ききょう。秋の七草。

2022-07-14 18:48:56 | 向島百花園

                       門前の蓮、一輪。

まるで梅雨時のように、雨が降り流く「向島百花園」。それでも、数人、訪れる人が。

おぐらせんのう。

オグラセンノウは、ナデシコ科センノウ属の多年草。夏に引き裂いたような紅い色の花をつける。朝鮮半島北部、九州地方、岡山県以西の中国地方などの山間部の湿地帯に生育する。絶滅危惧種。(「Wikipedia」より)

          左がききょう、右がさぎそう。

さぎそう。

は単立して高く伸び、15-50 cmにも達し、先端近くに1-3輪の白いをつける花期は7-8月。花の径は3 cmほどで唇弁は大きく、深く3列し、中裂片は披針形、両側の側裂片は斜扇形で側方に開出てその縁は細かく裂ける。この唇弁の開いた様子がシラサギを広げた様に似ていることが和名の由来である

(「Wikipedia」より) 

                 

           

やまあじさい(富士の滝)。  

はまなでしこ。 

     海岸の崖や砂地に生育し、本州(太平洋沿岸、一部日本海側西部の沿岸部)から沖縄および中国に分布する。

静かな園内。

ざくろ。実が熟れています。 

                      

秋の七草のひとつ「ききょう」。 

隣には、『万葉集』の山上憶良が「秋の七草」を詠んだ歌。

萩の花、尾花、葛(くず)の花、撫子(なでしこ)の花、女郎花(おみなえし)、また藤袴(ふじばかま)、朝貌(あさがお)の花 

万葉集の中でで歌われている「朝がほ」と詠まれている草花は諸説ありますが、一般的には桔梗(ききょう)を指しているようです。

秋の七草の簡単な覚え方は、頭文字をとって『おすきなふくは』と覚えると、いいようです。

みなえし(女郎花)」「すき(尾花)」「きょう(桔梗)」「でしこ(撫子)」「じばかま(藤袴)」「ず(葛)」「ぎ(萩)」。

おにゆり。

草丈は1~2m程となる大型のユリ。葉は互生し、小さめの披針形で先端はゆるく尖る。茎は紫褐色で細かい斑点がある。花季は7月から8月で、花弁はオレンジ色、濃褐色で暗紫色の斑点を生じる。花弁は強く反り返る。

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京急「三崎口駅」。番外編。三戸浜~黒崎の鼻。その2。黒崎海岸。黒崎の鼻。ハマカンゾウ。筑波山?

2022-07-13 20:09:46 | 三崎口

黒崎海岸(入り江)。

         対岸には瀟洒な住宅が建ち並ぶ。

田畑の中の、縦横にある直線の農道を歩いているうちに、急な下り坂の道になってしまいます。坂道の周囲は、住宅地。

膝が痛くなるほどな急坂を下ると(土地の方はそうでもないでしょうが)、目の前には「カインズ三浦店」の大きな建物に。

すっかり市街地の雰囲気。あれぇ、しまった!

と、道ばたに「←黒崎の鼻」という標識があります。ずいぶん迂回しましたが、気を取り直して、向かうことに。

先端が、「黒崎の鼻」。

岩場で遊ぶ家族連れにお聞きしたら「岩場伝いでも行けますが、ちょっと潮が満ちてきているので、この先の細道を上がっていった方がいいですよ」

びっしり草の生い茂った細道を上がっていくと、

入り江と反対側の砂浜・岩場に。

           数家族がのんびりと。若い女性の写真撮影の姿も。

「黒崎の鼻」てっぺん。

             そこまでは行けるようですが、草が生い茂っていて、断念。

急な崖を下る途中には、

ハマカンゾウが咲いています。

                 

相模湾。

          遙か遠くには、ヨットや釣り船などが。磯遊びをする家族連れや釣り人。

        穏やかな海。

岩場を伝って、もっと南側にも行けるようですが、年寄りは、ここまで。

再び、細道を上がって、農道へ。

      

            夜になると、天の川や夏の大三角形など満天の星が眺められそうです。      

収穫が迫ったカボチャ畑。       

はるか向こうに「筑波山」のような山容の山が(↓)。この付近でも見ることができるのでしょうか?

それとも別の山?

タチアオイ。

振り返る。

              はるか遠くには、相模湾が。

こうして京急三崎口駅まで戻ってきました。途中の野菜即売所で大きなメロンを買いました。

次回は、油壺湾付近を散策しようと思いました。

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京急「三崎口駅」。番外編。三戸浜~黒崎の鼻。その1。初声漁港。三戸浜・精霊流し。広大な畑。

2022-07-12 20:11:34 | 三崎口

                           

三浦市観光地図を眺め、今度は、三浦半島先端部を歩いてみよう、と。

その手始めに、「小網代湾」の北側の海岸沿いに。7月1日は海開き。さぞ賑やかな夏に。

「三戸浜」から海岸沿いを北上して、「黒崎の鼻」まで。

ところが、このエリアの海水浴場は全面禁止。立入禁止の縄が張られていて、・・・。

結局、大きく広がる畑の中を右往左往して疲れた!

それでも何とか、黒崎の鼻までたどり着きます。

こういうわけで、炎天下の、汗まみれ歩きの報告を。

さて、

京急「三崎マグロ駅」に到着。「三戸入口」バス停まで歩き、そこから海岸方面に向かいます。周囲には、広大な畑が。

集落に近づきます。

               

一面、スイカ畑。

こちらは、ナス。

海岸へ向かいます。

初声漁港。               

           

「初声」は、「はっせ」と読みます。この地名は、三浦一族の豪将・和田義盛が平氏を追討した後、凱旋のために「初声」という歌曲を作ったという伝説に、ちなんでいるようです。

※「和田義盛」=NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場する13人のうちのひとり。

                   

三戸浜。

この浜は、国の重要無形民俗文化財に指定された「三戸のお精霊(オショロ)流し」で有名。

これは、市内初声町三戸に伝わる盆の精霊流し行事で、現在は三戸お精霊流し保存会が中心となり受け継がれている。
毎年この日に神田、北、谷戸上の3つの地区ごとに行われ、8月13日に盆棚を設けて各家が迎えた祖先の霊を、16日の早朝、オショロブネと呼ばれる大きな藁船に乗せ、三戸海岸から集団で送り出す。「セイトッコ」と呼ばれる少年たちによって伝承されてきた。

(「」HPより)

※「三戸」という地名は、内田太郎、庄司次郎、海戸五郎、という三人の人物がこの土地を分け合っていたことにちなんでいるそうです。

※東京などでは、今日、7月13日がお盆の入り。しかし、ここ三戸もそうですが、8月13日がお盆の入り、というところも多いようです。

     

                  遊泳禁止のため、閑散としています。

さて、この先、砂浜伝いに歩いて行こうと思いましたが、先行き不安(足もと不如意)で、公道を歩きます。結果、海岸に近づけず、遠くから海を眺めるのみで、ひたすら集落の中(さらに、広大な田畑のなかの直線道路)を歩くことに。

民家の庭先に咲く花。

広大な畑の中の道。

房総半島でも見かける雰囲気。森と谷とが奥深くまで。

遠くに海が広がる。

行きつ戻りつして、海に近づこうとしますが、

崖になっていて。

結局、強い日ざしの下、整地された畑地の中を歩くことに。農作業の軽トラが行き交う道。

       

最近歩いている川沿いの、緑一色の水田とは異なり、関東ローム層に覆われた一面、赤土の畑地も、また良し、です。

季節になると、一面、壮大な大根畑になるそうです。

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小網代の森。その6。小網代湾。リビエラシーボニアマリーナ。住宅地の坂道。引橋・北原白秋。野菜直売所。

2022-07-11 20:24:13 | 三崎口

小網代湾まで下ってきます。

                  ボートや小型船などがたくさん停泊中。

来た道を振り返る。

干潟方向。

                右手奥が「小網代の森」一帯。

穏やかな海。トンビが旋回中。

海岸を回り込んで、バス停のある高台に向かいます。

      釣り宿など。

右手に、

リビエラシーボニア マリーナ。

都会から少しだけ離れて、非日常に身を委ねる贅沢がある。
リビエラシーボニアマリーナは、長年に渡って日本のマリンリゾートをリードし続けてきました。
三浦半島最南端の温暖な気候、周囲を取り巻く小網代の森、深い水深や平穏な波。
最高の景色と自然条件を誇る東洋屈指のハーバー、
大人の隠れ家のようなリゾートで、多彩なマリンレジャーをお楽しみください。

ENJOY RIVIERA SEABORNIA MARINA

               

                                   (「RIVIERA」HPより)

三浦市観光案内板。

左手の坂を上がります。

高台から小網代湾を望む。

バス停がありますが、三崎口駅まで歩くことにします。

しばらく県道を進み、途中から左手の細い道(近道)を進み、住宅地の道を曲がりくねりながら上がっていきます。

ちょうど「小網代の森」の東南側の境界をたどる感じ。住宅街が森の脇に迫っていたことに気づきます。

けっこう坂道を上がります。小一時間かかって、やっと下り坂になって、県道に合流します(○)。

     

2010年代のようす。森沿いの左の道を歩く。上方が「小網代の森」。道沿いの丸い建物は、小網代配水塔。

白秋文学コース ひきはし

引橋の茶屋のほとりをいそぐとき ほとほと秋は過ぎぬと思ひき

山峡(やまあい)に橋を架けむと かがやくは行基菩薩か金色光に

三崎のおける白秋足跡の北限がこの引橋です。

このあたりは三浦一族の居城、新井城の要害、北条早雲とのたたかいに橋を引いて敵の侵入を防いだといわれ、3年にも及ぶ凄惨な攻防戦の故事にちなみ、引橋の地名がいまに残っています。

以前、橋のたもとには名物の茶屋が賑わいを見せ、街道をまたぐ見事な藤棚や、左右の渓(たに)の木々が紅葉し、遙かに相模湾をへだてての富士は美しい景観で、三浦名勝のひとつとして知られています。

茶屋は引橋 藤の花盛り

娘ざかりは 来て三崎

白秋は俗謡「沿海雑曲」の一説にこう詠んでいます。

 

「引橋」そのものは、気づかず通りすぎてしまいました。※通りの向こう側に引橋の解説板があるようです。

北原白秋といえば、「城ヶ島の雨」が有名です。城ヶ島にある歌碑を見たことがあります。

♪雨はふるふる城ヶ島の磯に利休鼠の雨がふる

雨は眞珠か夜明の霧かそれともわたしの忍び泣き

舟はゆくゆく通り矢のはなを濡れて帆あげたぬしの舟

ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる 唄は船頭さんの心意気

雨はふるふる日はうす曇る舟はゆくゆく帆がかすむ

こうして、三崎口駅から歩き始めた時に眺めた風景に戻ってきました。

        

途中、沿道の野菜販売所で枝豆、トウモロコシ、メロン、さらに、駅前のお店で、冷凍のマグロを購入、ザックに詰めて帰ります。

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小網代の森。その5。えのきテラス。干潟・カニダンス。眺望テラス。ハマカンゾウ。小網代湾へ。ご当地カップ酒。

2022-07-10 20:56:53 | 三崎口

             湿地帯から、しだいに入り江(小網代湾)に近づいてきます。

ちょっと濁った水たまり。

正体は地中の鉄分を餌にするバクテリアに由来する鉄分で、いずれも害はありません。油膜のようなものは酸化鉄の薄い膜。油ではありません。小網代は鉄分の豊富な谷、鉄は海の生物たちの多様性をささえる重要な化学物質でもあります。一見、汚れのようにみえる褐色沈殿と油は、小網代を支える仕組みの一部です。(NPO小網代野外活動調整会議)

              

ハンゲショウの見納め。

開けた所に近づきます。

               「えのきテラス」。遠くに家並みが。

トンビでしょうか、3羽、海へ向かって。

これまでの活動などが写真で掲示されています。

      

パンフレットより。「森と干潟と海がつながっている 小網代の森」。

かつての「三浦半島は今よりも多くの緑や湿地がありましたが、住宅や道路などの開発により失われてきました。小網代の森も昭和45年(1970)に市街化区域になり、ゴルフ場や住宅の開発計画が持ち上がりました。しかし、市民による保全活動や、小網代の森が源流から干潟まで連続して残されている貴重な自然環境であることなどを受け、県は、三浦市や開発を計画した京浜急行電鉄株式会社と、小網代の森の保全を含めた土地利用について調整を進めてきました。平成7年(1995)に農地造成や宅地開発及び緑地保全などを含めた三戸・小網代地区の土地利用方針を関係者に提示し、理解と協力を得ながら、「かながわトラストみどり基金」により緑地の買い入れを進めました。平成17年(2005)には無秩序な市街化から守るよう近郊緑地保全区域にして去れ、その後、用地の買収と園路等の整備が完了したことから、広く環境学習の場として活用されることになりました。

この森は、関東、東海地方で唯一、集水域の森林、河川、干潟が開発されずに連続して残されている自然環境と言われています。森、川、海のつながりが必要なアカテガニをはじめとして2千種と言われる多くの生きものが棲んでいます。かつては薪炭として利用されていたことから、コナラなどの落葉広葉樹林が多いものの、常緑樹が混じるようになり、流路の固定化など低地の乾燥や外来種の侵入も進んでいます。流域全体の生態系を保全する視点に立って、湿地の再生や外来種除去など、生物多様性の保全・回復に向けた取り組みに尽力してきたNPOをはじめ、地域住民や多くの企業などと手を携えながら地域の宝として小網代の森を次の世代へ引き継いでいく必要があります。

ハマカンゾウの保護育成地。

ハマカンゾウは関東地方以西の本州・四国・九州に分布する常緑性の多年草。海岸の崖地・急傾斜地などに生育する。葉が厚くて光沢があり、常緑。花は7月頃から咲き始め、早朝に開く1日花。花の色は橙色のものが多い。

(「素人植物図鑑」HPより)

干潟の方に向かいます。

                         カニダンス解説板。

夏の干潟の主役は、カニダンスです。海の潮が引いて目の前の湾が干潟になっているときに見られます。ダンスの踊り手はオスだけです。求愛や縄張り活動の意味があると言われますが、解明されていない動きもまだまだあります。干潟のカニは、カニをえさにする鳥が見ると砂色、泥色で目立ちませんが、カニの目線で見ると、色鮮やかな宝石のような色をしています。

※「チコガニ」・「コメツキガニ」・「ヤマトオサガニ」のダンスのようすが、イラストで。

1匹、さっと姿を見せましたが、すぐ見失い、残念ながらじっくり見ることが出来ませんでした。

      

「えのきテラス」に戻り、森の出口にむかいます。

テラスを振り返る。

              

川の流れ。

            

眺望テラスより、小網代湾を望む。

眺望テラス解説板。

         ここまでが小網代の森。

アシ原のカニ。

~小網代の森のアシ原には、たくさんのカニが隠れています~

「ベンケイガニ」・「クロベンケイガニ」・「アシハラガニ」・「モクズガニ」。

小網代湾を望む。

ここから坂道を歩き、小網代湾方向へ。

「小網代の森」は、四季を通じて散策できるすばらしいところです。環境保全につとめる地元など多くの方の献身的な努力に感謝をしつつ。

※「父の日」に遅ればせながら、と。各地の純米酒。さっそく。

ご当地・地酒あれこれ。

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