おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「三崎港」。あれこれ。その2。イルカ。海外港。浜諸磯。

2022-07-31 18:25:13 | 三崎口

                けっこう暑くなってきます。

予想では、もう少し海風が吹いてくる、と思っていましたが。ほぼ無風。考えが甘かった!

右手の壁に「イルカ」。有名な撮影ポイント。

「油壺マリンパーク」は、閉鎖されましたが、イルカのショーが人気を集めていたようです。

海外(かいと)港。

三浦半島の西側の海岸は入り組んでいて、小さな港も多くあります。

また、海に突きだした岩など、地層など興味深いものが多く観察できます。

「海外」バス停。かいと」と読みます。

次のバス停「尾志倉」の先で、左折し、上り坂を。

※コース設定では、左折せずにそのまま県道を進み、「諸磯港」・「油壺湾」へ向かいます。

突き当たりを左折して、下り坂を延々下って、「浜諸磯」へ向かいます。けっこう歩きました。

浜へ下って行きます。

   

対岸は、油壺湾先端方向。

トンビの姿が。

                のんびりと海を眺めながら休憩。

                 家族連れが磯遊びをしています。

相模湾。

     諸磯港。

ミサキハウス。

ここまで歩いて来ましたが、ここでリタイヤ。「浜諸磯」発のバスに乗って、「三崎港」まで戻ることに。

○が「浜諸磯」。「諸磯湾」を経由して「油壺湾」へ向かうはずでした。↓が「小網代の森」を下ってきたところ。

あと少しのところまでたどり着いていたのですが。次回、「油壺湾」巡りを兼ねて歩くことに。

 干物セット。

                 アジとカレイとキンメダイ。

                                                                                                               2010年代のようす。

      南の「三崎港」から北の「浜諸磯」まで。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「三崎港」あれこれ。その1。「うらり」。「三崎館本店」。歌舞島。二町谷公園。漣痕(れんこん)。北原白秋。

2022-07-30 19:57:50 | 三崎口

久々に京急「三崎口駅」へ。今回、三崎港から油壺湾まで、という予定でした。

が、炎天下のため道半ばで挫折した、そのレポートです。

「油壺・入江のみち」。

三崎漁港から油壺まで、西海岸線づたいに入江と丘陵地帯を歩く、というコースをたどるつもりでした

ところが、出来るだけ海岸へ近づこうと県道から左に折れ、上り坂・下り坂を行ったり、戻ったりで、・・・。

暑さに負け、でした。

レンタサイクルに乗って三崎港付近を走っているカップル。けっこう上り坂を青息吐息で必死にこいでいるケースも見かけました。

真夏にチャレンジするコースではなかった、です。

たくさんの観光客がバスから降ります。「みさきまぐろきっぷ」を手にした老若男女の方々。

何年か前にじじばば達とその周遊券で三崎・城ヶ島巡りをしました。

「うらり」。

    帰りに寄って、干物セットを買いました。

「三崎館本店」。

三崎港を目の前にする割烹旅館。増改築されているが、関東大震災後に建てられた和風の建物。

日本ではじめての「まぐろかぶと焼」をはじめ、三崎ならではのまぐろ料理の数々を、暖かいおもてなしにかえて、伝統を受け継ぐ三崎館本店
ここでは四季を通じ、最良の素材を最善の味で味わっていただき、心と体の休息と美味しさの究極を、ご提供しております。
心地よい潮の香りと波音に添えて、他では味わえない本物の味を心ゆくまでお楽しみ下さい。

            (「三崎館本店」HPより)

        ※その建物の前を一列・等間隔で歩く、じじばば一行

魚市場。

右手の高台は、「歌舞島(かぶじま)公園」。

歌舞島」の名前の由来は、この地で源頼朝に歌舞宴楽を披露したことから、一説には、三浦義村の招きで当地を訪れた将軍藤原頼経が来迎(極楽から仏を迎える)の儀を行い、読経歌舞を催したところからその名が伝えられたともいわれています。
この歌舞島は、別名「兜島」ともいい、かつては離れ島でしたが、地殻の隆起によって現在のように海岸に突出した陸つづきの小丘になりました。

海岸側には「二町谷公園」。

「歌舞島」方向を望む。

「浜諸磯」方向を望む。

※二町谷埋め立て地(「二町谷公園」付近)には、ホテルや商業施設などの建設が予定されているようです。

              

小さな入江脇から道路に戻って進みます。

その先、二町谷(ふたまちや)道路脇の小岬の崖の表面に波の模様の地層が幾層も見ることができます。これは漣痕(波調層)といい、神奈川県の天然記念物に指定されています。

漣痕=漣(さざなみ)の痕跡。「リップルマーク」ともいう。

※現在では波や風の影響で作られたものではなく,地層の変形によってできたものとされています。

珍しい地形です。

             見事な景観。

海岸のようす。

「白秋文学コース 二町谷」。

寂しさに浜へ出てみれば波ばかり

   うねりくねれりあきらめられず

大正2年(1913)1月、白秋が死を決意してこの浜を彷徨したときの一首です。

不盡の山れいろうとしてひさかたの

   天の一方におはしけるかも

三崎に転居し新生を期し、この浜に再び立ったときの歌で、この二つの歌から哀傷の苦悩と新生への息吹との対照的な境地を知ることができます。

一心に遊ぶ子どもの声すなり

   赤きとまやの秋の夕ぐれ

白秋の向ヶ崎時代と、二町谷時代を対照すると点景の描写に大きな相違があることも判ります。当時この浜で行われた三崎の消防組の出初式を観て「消防整列」という詩壇の反響を呼んだ詩も作っています。

岬の方向。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

向島百花園。大暑の日の。風鈴。ムラサキゴテン(紫御殿)。おにゆり。とけいそう。ほおずき。へちま。正岡子規。夕顔。

2022-07-24 20:15:59 | 向島百花園

                 涼しげな四阿。

                            

               風鈴の音が暑さを和らげてくれます。                                                                                                                                                                                                                                                            

                                                     

さて、

昨日、「大暑」にちなむ「オシロイバナ」を探しに向島百花園へ。道すがらも含め、夏の花を見かけました。その報告。

「向島百花園」に向かう途中、水戸街道沿いに植えられたツツジの中に見つけた、鮮やかな紫色の花は?

                 

           小さなピンクの花が咲いています。

「百花園」の職人さんに早速お聞きしました。「ムラサキゴテン」というそうです。

          ツユクサ科の園芸植物だそうです。

メキシコに分布する常緑性多年草でツユクサの仲間です。葉をはじめ茎や萼(がく)に至るまで全身紫色に染まる姿が神秘的できれいです。葉は厚みがあり多肉質で、乾燥に強い。葉の表面には白っぽい色をした細かいうぶげのようなものがたくさん生えており、光の当たる角度によって葉色が変化して見えます。特徴的な葉色を活かして寄せ植えや花壇に利用されます。丈夫でよく育つので、街角や住宅街の片隅で放任状態で半野生化したものもよく見かけます。

その印象的な草姿で観葉植物や多肉植物として扱われることが多いですが、夏~秋に咲く花もきれいです。色はピンクですが、白っぽいものもあり多少、色幅が見られます。朝に咲いて、その日の昼までにしぼんでしまう短命な花ですが、最盛期には毎日、次々と咲かせてくれます。

主に栽培されているのは、濃いピンクの花を咲かせる園芸品種‘パープルハート’で、この品種を指してムラサキゴテンというのが一般的です。日本には1955年に渡来しました。元となった野生種はあまり栽培されていません。旧属名のセトクレアセアの名前で呼ばれることもあります。

(この項、「」HPより)

おにゆり。

           クロアゲハが蜜を吸いに。

とけいそう。けっこう開花期が長そうです。

水面には、ミズスマシの波紋。

ほおずき。

うすべにたちあおい。

お菓子のマシュマロはウスベニタチアオイの根から取れるデンプンを利用して作られていた。現在のマシュマロは普通、卵白やゼラチンや砂糖で作られる。若葉、花はハーブティに利用でき、のどの痛みを緩和するといわれている。

(この項、「Wikipedia」より)

               

せんのう。

瓢箪。てっぺんに花が。

その隣には、へちま(糸瓜)。

巨大な実がぶら下がっています。夕顔。

「糸瓜忌」は、明治35年(1902)9月19日、35歳で亡くなった、俳人・正岡子規の命日。

※「獺祭忌」ともいいますが。

絶筆の3句に、へちまが詠み込まれています。

糸瓜咲て痰のつまりし仏かな

痰一斗糸瓜の水も間に合わず

をとヽひのへちまの水も取らざりき

・・・

門前の鉢植え。朝顔。

「百花園」は、来る度に新たな花々、気がつかなかった小さな草木に気づかせてくれます。

職人さんやボランティアの方々も熱心に解説してくれます。

下町の小さなオアシスです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コロナワクチン第4回目接種

2022-07-21 11:12:33 | 世間世界

そうなんです、これまで3回はファイザーだったんですが。

副作用っていわないですね、副反応がちょっと心配で。

いっときモデルナはその副反応ということですか、ファイザーに比べて強く出るとか。

武田薬品がかんでいるんですか。

けっこうファイザーがファイザーがッ、という感じでしたね。

モデルナがいやだ、というわけじゃなくて、副作用が、じゃない副反応が心配で。

(この爺さん、あれこれうるさいね)

明日になった方が副反応が出ますか。

今日は、お酒もけっこう。お風呂も、ですか!

(にやっとしたね、おじいさん。年寄りはお酒のことになると、目の色が変わるな)

明日は、お酒は控えめに、ということですね。あちこち出歩かずに、家で安静にしていて下さい、と。

いえね、昨日の晩も今日のことがあるんで、お酒を飲まなかったですが。

今日のワクチンと関係なかったんですね。

(このじいさん、やけに真っ黒に日焼けしているね)

ま、近所の買い物くらいはいいですよね。

(暑いですから、途中で熱中症になったら、大変ですよ)

しかし、いつまで打ち続けるんですかね。秋には5回目、なんてことに。

モデルナは前よりも半分にしたんですか?

効き目に変わりはないんですよね。副作用、つい言ってしまいますね。

少しは、軽くなる、というわけですか。効き目も半減じゃしょうがないですが。

そんなことはありませんよ、って信じていいのかな。

(早く看護師さんに腕を出して、左ですか。ちょっとチクンとしますが)

これで、いいですか。二の腕から下が真っ黒に日焼けしてしまって。

36.4分で大丈夫ですかね。

なるほど37.5度以上の人は注射は打てない、ということに。

(はい、終わりました。別室で指示に従って下さい)

(ふう、次の方をお呼びしますので)

有り難うございました。けっこう元気なジジババもいらっしゃるんですね。・・・

午後4時過ぎの保健所にて。

 

というわけで、昨日の晩から、解熱剤を用意し、凍らせたポカリも用意し、万全の体勢で。

朝、何となく身体が重い感じ、熱も少しあるのかな?

というわけで、安静に自宅に閉じこもっています。

なかなか川歩きも三浦海岸歩きもできない、今日この頃です。

※今日の日めくり

「小事にこだわらず、常に高い目標を」。なるほど。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

向島百花園。その2。むかでらん。やぶかんぞう。おいらんそう。はんげしょう。がまの穂。おみなえし。はぎ。・・・

2022-07-17 20:47:42 | 向島百花園

                    入口の柱に架けた木に「ムカデラン」。

日当りのよい岩壁や樹木に着生する多年草です。「着生」は単に場所を間借りしているだけで、自前で光合成し雨や空気中から水分を吸収するので、支持体となる樹木から栄養分を奪うことはありません。ムカデランの名の由来は、細長い茎の両側に短い葉がたくさん生える様子をムカデに見立てたものです。

フジに花房が。

              

「やぶかんぞう」の群落。

               見頃は過ぎましたが。

     三崎「黒崎の鼻」で見たのは、「はまかんぞう」でした。

「おいらんそう」。

華やかな雰囲気。

「百花園」にもありました。「はんげしょう(半夏生)」。

池の畔に。

向こう岸にも。

「がまの穂」を見つけました。

秋の七草・「おみなえし」。

              

「はぎ」。

百花園名物「はぎのトンネル」の開花は、まだ先のようです。

                

山上憶良「秋の七草」の歌碑。

芽(はぎ)の花 乎花(おばな)葛(くず)花 瞿麦(なでしこ)の花 姫部志(おみなえし) また藤袴 朝貌(あさがお)の花

ごきづる。つる性1年草
北海道〜九州の水辺に生える。葉は長さ5〜10cm、幅2.5〜7cmの三角状披針形で、先端は尖る。葉腋から花序をだし、小さな黄緑色の花をつける。雌雄同株。花期は8〜11月。

おにばす。くろも。

でんじそう。ひし。

でんじそう

夏緑性の多年草で、その形態が特殊なことで知られる。また、シダ類では数少ない水草である。葉の形は四つ葉のクローバーに似る。茎は長く横に這い、浅い水域を埋め尽くすような大きな群落を作ることが多い。水中や湿地の泥の表面に広がり、水中にも伸び出す。かつては水田雑草としても知られ、ごく普通種であったが、現在では激減し、場合によっては絶滅危惧扱いである。名前の由来は「田字草」で、四枚の葉が放射状に広がる形を漢字の田の字に見立てたものである。

ひし

ヒシの種子にはでん粉 (Hizukuri et al.) が約52%程含まれており、菱栗または沼栗とも呼ばれゆでるか蒸して食べるとクリのような味がする。また救荒植物としても利用される。

日本では、霊亀3年(717年)10月に武蔵国策覃郡(埼玉郡)から菱子が納められたことを記した木簡平城京長屋王邸跡で見つかっている

アイヌ民族はヒシの実を「ペカンペ」と呼び、湖畔のコタンの住民にとっては重要な食糧または薬とされていた。北海道東部、釧路川流域の塘路湖沿岸では、住民がヒシの恵みに感謝する「ベカンベカムイノミ(菱の実祭り)」という収穫祭が行われていた薬膳としては、健胃、強壮などの作用があるとされる。

縁種として日本にはオニビシヒメビシがある。ヒシの果実にあるとげが2本であるのに対し、ヒメビシとオニビシの果実には4本のとげがある。実用性は乏しいと思われるが、忍者が追手の追撃をかわすために撒くまきびし(撒菱)には、これらが用いられる。

※それぞれの植物の解説は、「Wikipedia」より。

園内は、すっかり夏模様となり、緑が一段と色濃くなっています。

竹林。

          

           「和傘で庭園めぐり」。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

向島百花園。雨の中の。蓮。おぐらせんのう。さぎそう。ききょう。秋の七草。

2022-07-14 18:48:56 | 向島百花園

                       門前の蓮、一輪。

まるで梅雨時のように、雨が降り流く「向島百花園」。それでも、数人、訪れる人が。

おぐらせんのう。

オグラセンノウは、ナデシコ科センノウ属の多年草。夏に引き裂いたような紅い色の花をつける。朝鮮半島北部、九州地方、岡山県以西の中国地方などの山間部の湿地帯に生育する。絶滅危惧種。(「Wikipedia」より)

          左がききょう、右がさぎそう。

さぎそう。

は単立して高く伸び、15-50 cmにも達し、先端近くに1-3輪の白いをつける花期は7-8月。花の径は3 cmほどで唇弁は大きく、深く3列し、中裂片は披針形、両側の側裂片は斜扇形で側方に開出てその縁は細かく裂ける。この唇弁の開いた様子がシラサギを広げた様に似ていることが和名の由来である

(「Wikipedia」より) 

                 

           

やまあじさい(富士の滝)。  

はまなでしこ。 

     海岸の崖や砂地に生育し、本州(太平洋沿岸、一部日本海側西部の沿岸部)から沖縄および中国に分布する。

静かな園内。

ざくろ。実が熟れています。 

                      

秋の七草のひとつ「ききょう」。 

隣には、『万葉集』の山上憶良が「秋の七草」を詠んだ歌。

萩の花、尾花、葛(くず)の花、撫子(なでしこ)の花、女郎花(おみなえし)、また藤袴(ふじばかま)、朝貌(あさがお)の花 

万葉集の中でで歌われている「朝がほ」と詠まれている草花は諸説ありますが、一般的には桔梗(ききょう)を指しているようです。

秋の七草の簡単な覚え方は、頭文字をとって『おすきなふくは』と覚えると、いいようです。

みなえし(女郎花)」「すき(尾花)」「きょう(桔梗)」「でしこ(撫子)」「じばかま(藤袴)」「ず(葛)」「ぎ(萩)」。

おにゆり。

草丈は1~2m程となる大型のユリ。葉は互生し、小さめの披針形で先端はゆるく尖る。茎は紫褐色で細かい斑点がある。花季は7月から8月で、花弁はオレンジ色、濃褐色で暗紫色の斑点を生じる。花弁は強く反り返る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京急「三崎口駅」。番外編。三戸浜~黒崎の鼻。その2。黒崎海岸。黒崎の鼻。ハマカンゾウ。筑波山?

2022-07-13 20:09:46 | 三崎口

黒崎海岸(入り江)。

         対岸には瀟洒な住宅が建ち並ぶ。

田畑の中の、縦横にある直線の農道を歩いているうちに、急な下り坂の道になってしまいます。坂道の周囲は、住宅地。

膝が痛くなるほどな急坂を下ると(土地の方はそうでもないでしょうが)、目の前には「カインズ三浦店」の大きな建物に。

すっかり市街地の雰囲気。あれぇ、しまった!

と、道ばたに「←黒崎の鼻」という標識があります。ずいぶん迂回しましたが、気を取り直して、向かうことに。

先端が、「黒崎の鼻」。

岩場で遊ぶ家族連れにお聞きしたら「岩場伝いでも行けますが、ちょっと潮が満ちてきているので、この先の細道を上がっていった方がいいですよ」

びっしり草の生い茂った細道を上がっていくと、

入り江と反対側の砂浜・岩場に。

           数家族がのんびりと。若い女性の写真撮影の姿も。

「黒崎の鼻」てっぺん。

             そこまでは行けるようですが、草が生い茂っていて、断念。

急な崖を下る途中には、

ハマカンゾウが咲いています。

                 

相模湾。

          遙か遠くには、ヨットや釣り船などが。磯遊びをする家族連れや釣り人。

        穏やかな海。

岩場を伝って、もっと南側にも行けるようですが、年寄りは、ここまで。

再び、細道を上がって、農道へ。

      

            夜になると、天の川や夏の大三角形など満天の星が眺められそうです。      

収穫が迫ったカボチャ畑。       

はるか向こうに「筑波山」のような山容の山が(↓)。この付近でも見ることができるのでしょうか?

それとも別の山?

タチアオイ。

振り返る。

              はるか遠くには、相模湾が。

こうして京急三崎口駅まで戻ってきました。途中の野菜即売所で大きなメロンを買いました。

次回は、油壺湾付近を散策しようと思いました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京急「三崎口駅」。番外編。三戸浜~黒崎の鼻。その1。初声漁港。三戸浜・精霊流し。広大な畑。

2022-07-12 20:11:34 | 三崎口

                           

三浦市観光地図を眺め、今度は、三浦半島先端部を歩いてみよう、と。

その手始めに、「小網代湾」の北側の海岸沿いに。7月1日は海開き。さぞ賑やかな夏に。

「三戸浜」から海岸沿いを北上して、「黒崎の鼻」まで。

ところが、このエリアの海水浴場は全面禁止。立入禁止の縄が張られていて、・・・。

結局、大きく広がる畑の中を右往左往して疲れた!

それでも何とか、黒崎の鼻までたどり着きます。

こういうわけで、炎天下の、汗まみれ歩きの報告を。

さて、

京急「三崎マグロ駅」に到着。「三戸入口」バス停まで歩き、そこから海岸方面に向かいます。周囲には、広大な畑が。

集落に近づきます。

               

一面、スイカ畑。

こちらは、ナス。

海岸へ向かいます。

初声漁港。               

           

「初声」は、「はっせ」と読みます。この地名は、三浦一族の豪将・和田義盛が平氏を追討した後、凱旋のために「初声」という歌曲を作ったという伝説に、ちなんでいるようです。

※「和田義盛」=NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場する13人のうちのひとり。

                   

三戸浜。

この浜は、国の重要無形民俗文化財に指定された「三戸のお精霊(オショロ)流し」で有名。

これは、市内初声町三戸に伝わる盆の精霊流し行事で、現在は三戸お精霊流し保存会が中心となり受け継がれている。
毎年この日に神田、北、谷戸上の3つの地区ごとに行われ、8月13日に盆棚を設けて各家が迎えた祖先の霊を、16日の早朝、オショロブネと呼ばれる大きな藁船に乗せ、三戸海岸から集団で送り出す。「セイトッコ」と呼ばれる少年たちによって伝承されてきた。

(「」HPより)

※「三戸」という地名は、内田太郎、庄司次郎、海戸五郎、という三人の人物がこの土地を分け合っていたことにちなんでいるそうです。

※東京などでは、今日、7月13日がお盆の入り。しかし、ここ三戸もそうですが、8月13日がお盆の入り、というところも多いようです。

     

                  遊泳禁止のため、閑散としています。

さて、この先、砂浜伝いに歩いて行こうと思いましたが、先行き不安(足もと不如意)で、公道を歩きます。結果、海岸に近づけず、遠くから海を眺めるのみで、ひたすら集落の中(さらに、広大な田畑のなかの直線道路)を歩くことに。

民家の庭先に咲く花。

広大な畑の中の道。

房総半島でも見かける雰囲気。森と谷とが奥深くまで。

遠くに海が広がる。

行きつ戻りつして、海に近づこうとしますが、

崖になっていて。

結局、強い日ざしの下、整地された畑地の中を歩くことに。農作業の軽トラが行き交う道。

       

最近歩いている川沿いの、緑一色の水田とは異なり、関東ローム層に覆われた一面、赤土の畑地も、また良し、です。

季節になると、一面、壮大な大根畑になるそうです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小網代の森。その6。小網代湾。リビエラシーボニアマリーナ。住宅地の坂道。引橋・北原白秋。野菜直売所。

2022-07-11 20:24:13 | 三崎口

小網代湾まで下ってきます。

                  ボートや小型船などがたくさん停泊中。

来た道を振り返る。

干潟方向。

                右手奥が「小網代の森」一帯。

穏やかな海。トンビが旋回中。

海岸を回り込んで、バス停のある高台に向かいます。

      釣り宿など。

右手に、

リビエラシーボニア マリーナ。

都会から少しだけ離れて、非日常に身を委ねる贅沢がある。
リビエラシーボニアマリーナは、長年に渡って日本のマリンリゾートをリードし続けてきました。
三浦半島最南端の温暖な気候、周囲を取り巻く小網代の森、深い水深や平穏な波。
最高の景色と自然条件を誇る東洋屈指のハーバー、
大人の隠れ家のようなリゾートで、多彩なマリンレジャーをお楽しみください。

ENJOY RIVIERA SEABORNIA MARINA

               

                                   (「RIVIERA」HPより)

三浦市観光案内板。

左手の坂を上がります。

高台から小網代湾を望む。

バス停がありますが、三崎口駅まで歩くことにします。

しばらく県道を進み、途中から左手の細い道(近道)を進み、住宅地の道を曲がりくねりながら上がっていきます。

ちょうど「小網代の森」の東南側の境界をたどる感じ。住宅街が森の脇に迫っていたことに気づきます。

けっこう坂道を上がります。小一時間かかって、やっと下り坂になって、県道に合流します(○)。

     

2010年代のようす。森沿いの左の道を歩く。上方が「小網代の森」。道沿いの丸い建物は、小網代配水塔。

白秋文学コース ひきはし

引橋の茶屋のほとりをいそぐとき ほとほと秋は過ぎぬと思ひき

山峡(やまあい)に橋を架けむと かがやくは行基菩薩か金色光に

三崎のおける白秋足跡の北限がこの引橋です。

このあたりは三浦一族の居城、新井城の要害、北条早雲とのたたかいに橋を引いて敵の侵入を防いだといわれ、3年にも及ぶ凄惨な攻防戦の故事にちなみ、引橋の地名がいまに残っています。

以前、橋のたもとには名物の茶屋が賑わいを見せ、街道をまたぐ見事な藤棚や、左右の渓(たに)の木々が紅葉し、遙かに相模湾をへだてての富士は美しい景観で、三浦名勝のひとつとして知られています。

茶屋は引橋 藤の花盛り

娘ざかりは 来て三崎

白秋は俗謡「沿海雑曲」の一説にこう詠んでいます。

 

「引橋」そのものは、気づかず通りすぎてしまいました。※通りの向こう側に引橋の解説板があるようです。

北原白秋といえば、「城ヶ島の雨」が有名です。城ヶ島にある歌碑を見たことがあります。

♪雨はふるふる城ヶ島の磯に利休鼠の雨がふる

雨は眞珠か夜明の霧かそれともわたしの忍び泣き

舟はゆくゆく通り矢のはなを濡れて帆あげたぬしの舟

ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる 唄は船頭さんの心意気

雨はふるふる日はうす曇る舟はゆくゆく帆がかすむ

こうして、三崎口駅から歩き始めた時に眺めた風景に戻ってきました。

        

途中、沿道の野菜販売所で枝豆、トウモロコシ、メロン、さらに、駅前のお店で、冷凍のマグロを購入、ザックに詰めて帰ります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小網代の森。その5。えのきテラス。干潟・カニダンス。眺望テラス。ハマカンゾウ。小網代湾へ。ご当地カップ酒。

2022-07-10 20:56:53 | 三崎口

             湿地帯から、しだいに入り江(小網代湾)に近づいてきます。

ちょっと濁った水たまり。

正体は地中の鉄分を餌にするバクテリアに由来する鉄分で、いずれも害はありません。油膜のようなものは酸化鉄の薄い膜。油ではありません。小網代は鉄分の豊富な谷、鉄は海の生物たちの多様性をささえる重要な化学物質でもあります。一見、汚れのようにみえる褐色沈殿と油は、小網代を支える仕組みの一部です。(NPO小網代野外活動調整会議)

              

ハンゲショウの見納め。

開けた所に近づきます。

               「えのきテラス」。遠くに家並みが。

トンビでしょうか、3羽、海へ向かって。

これまでの活動などが写真で掲示されています。

      

パンフレットより。「森と干潟と海がつながっている 小網代の森」。

かつての「三浦半島は今よりも多くの緑や湿地がありましたが、住宅や道路などの開発により失われてきました。小網代の森も昭和45年(1970)に市街化区域になり、ゴルフ場や住宅の開発計画が持ち上がりました。しかし、市民による保全活動や、小網代の森が源流から干潟まで連続して残されている貴重な自然環境であることなどを受け、県は、三浦市や開発を計画した京浜急行電鉄株式会社と、小網代の森の保全を含めた土地利用について調整を進めてきました。平成7年(1995)に農地造成や宅地開発及び緑地保全などを含めた三戸・小網代地区の土地利用方針を関係者に提示し、理解と協力を得ながら、「かながわトラストみどり基金」により緑地の買い入れを進めました。平成17年(2005)には無秩序な市街化から守るよう近郊緑地保全区域にして去れ、その後、用地の買収と園路等の整備が完了したことから、広く環境学習の場として活用されることになりました。

この森は、関東、東海地方で唯一、集水域の森林、河川、干潟が開発されずに連続して残されている自然環境と言われています。森、川、海のつながりが必要なアカテガニをはじめとして2千種と言われる多くの生きものが棲んでいます。かつては薪炭として利用されていたことから、コナラなどの落葉広葉樹林が多いものの、常緑樹が混じるようになり、流路の固定化など低地の乾燥や外来種の侵入も進んでいます。流域全体の生態系を保全する視点に立って、湿地の再生や外来種除去など、生物多様性の保全・回復に向けた取り組みに尽力してきたNPOをはじめ、地域住民や多くの企業などと手を携えながら地域の宝として小網代の森を次の世代へ引き継いでいく必要があります。

ハマカンゾウの保護育成地。

ハマカンゾウは関東地方以西の本州・四国・九州に分布する常緑性の多年草。海岸の崖地・急傾斜地などに生育する。葉が厚くて光沢があり、常緑。花は7月頃から咲き始め、早朝に開く1日花。花の色は橙色のものが多い。

(「素人植物図鑑」HPより)

干潟の方に向かいます。

                         カニダンス解説板。

夏の干潟の主役は、カニダンスです。海の潮が引いて目の前の湾が干潟になっているときに見られます。ダンスの踊り手はオスだけです。求愛や縄張り活動の意味があると言われますが、解明されていない動きもまだまだあります。干潟のカニは、カニをえさにする鳥が見ると砂色、泥色で目立ちませんが、カニの目線で見ると、色鮮やかな宝石のような色をしています。

※「チコガニ」・「コメツキガニ」・「ヤマトオサガニ」のダンスのようすが、イラストで。

1匹、さっと姿を見せましたが、すぐ見失い、残念ながらじっくり見ることが出来ませんでした。

      

「えのきテラス」に戻り、森の出口にむかいます。

テラスを振り返る。

              

川の流れ。

            

眺望テラスより、小網代湾を望む。

眺望テラス解説板。

         ここまでが小網代の森。

アシ原のカニ。

~小網代の森のアシ原には、たくさんのカニが隠れています~

「ベンケイガニ」・「クロベンケイガニ」・「アシハラガニ」・「モクズガニ」。

小網代湾を望む。

ここから坂道を歩き、小網代湾方向へ。

「小網代の森」は、四季を通じて散策できるすばらしいところです。環境保全につとめる地元など多くの方の献身的な努力に感謝をしつつ。

※「父の日」に遅ればせながら、と。各地の純米酒。さっそく。

ご当地・地酒あれこれ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小網代の森。その4。まんなか湿地。オギ・ヨシ。ガマの穂・蒲鉾・蒲団・大爆発。やなぎテラス。

2022-07-09 20:44:55 | 三崎口

                     まんなか湿地。この辺が、中間地点。流れは、「浦の川」                          

奥に、ハンゲショウの群落。

行く手が開けてきます。

オギ、ヨシなどが密集。

     

来た道を振り返る。

何という花でしょうか? 小さな赤い紅色の花がたくさん。

イトトンボ(○)。「ベニイトトンボ」?

枝に絡まる蔓性の植物。

木道の両側にハンゲショウ。

湿地帯が続く。

ガマの穂。

ガマとは池や沼などに見られる比較的大型のガマ科ガマ属の多年草です。類似した種類にはヒメガマやコガマなどがあり、主に葉や穂の大きさなどから見分けることができます。

ガマの最も特徴的な点はその穂にあります。ガマの穂はソーセージまたはフランクフルトに似ていることから、池にこんなものが!?と驚かれる方も少なくありません。実はそのソーセージの部分は雌花の花穂の集まりで、れっきとした花なのです!秋になり綿毛(種子)ができたころになると、穂からもこもこと綿毛が出てくる様子も楽しめます。触ると湧き出てきます(公園のものは取らないようにお願いします。近所にあったらぜひ触ってみてください)。

ガマは古来から大活躍!

古事記の因幡の白兎にて火傷したウサギはガマの穂(花粉)で傷を治したように、古くは薬草のような使われ方をしたりしていました。また、着火剤に使われたり、蚊取り線香のようなものとしても使われていました。さらに、蒲鉾(かまぼこ)の名前の由来はガマの穂に似ているためだとも言われています。

一見するとヘンテコな穂をつける植物ですが、実は昔はとっても活躍していて、面白い話が多い植物です。ぜひ、当園でご覧になってくださいね。

           

(この項「北総花の丘公園」HPより)

久々に見ました。              

蛇足ですが。

日本最古の歴史書とされる『古事記』(712年)の中の「因幡の白兎」の挿話で登場することでも有名である。『古事記』の「因幡の白兎」の説話では、毛をむしり取られた兎に、大穴牟遅神(大国主命)が蒲黄を取って敷き散らし、その上に転がるよう教える。また、「因幡の白兎」が包まれたのは、ガマの穂綿だという説もある

「蒲の穂」はかまぼこ(蒲鉾)の語源である。昔のかまぼこは板に盛られた現在の形とは異なり、細い竹にすり身を付けて焼いた食べ物を指していた。これは現在のちくわにあたる。ちくわと蒲の穂は色と形が似ていて、矛のように見えるガマの穂先は「がまほこ」と言われている蒲焼きも、昔はウナギを開かずに、筒切りにして棒に差して焼いていたので、その形がガマの穂に似ていたことから「蒲」の字が当てられている

布団も元来は「蒲団」と書き、江戸時代以前に、スポンジ状の繊維質が入った丈夫で柔らかなガマの葉を使って、円く編んで平らな敷物をつくった

花言葉は、従順、素直、慌て者、無差別、救護、慈愛、予言など多数ある

(この項、「Wikipedia」より)

というわけです。

「ガマの穂大爆発」映像を紹介。昔、こんなことをした記憶があります。

 

              (「youtube」より)

ただし、耳や鼻に入ったらオオゴトになります。やるなら、身体から離して!

ホタル。

ゲンジボタル:5月中旬から6月中旬までまんなか湿地からえのきテラスまで川沿いで見られる。

ヘイケボタル:6月上旬から7月下旬までやなぎテラスからえのきテラスまでの湿地に見られる。

「標高7.0m」(やなぎテラス)。

            

様々な湿地と湿地の植物。

・ヤナギ湿地 ・オギ・ヨシ湿地 ・ガマ湿地と池    

         

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小網代の森。その3。ハンゲショウ(半夏生)の群落。深い森から湿地帯へ。コナラ・アスカイノデ・ハンノキ・ジャヤナギ・・・。アベさん銃弾で撃たれ死亡。

2022-07-08 19:40:05 | 三崎口

                解説板。~多くのアゲハチョウが生息しています~

キアゲハ、アオスジアゲハ、ジャコウアゲハ。大型の蝶を見ました。モンシロチョウも。写真はうまく撮れない

湿地帯のようなところも。もしかしたら、・・・

この先で、今回、期待していた草花に出会います。ハンゲショウ(半夏生)の群生。

     

7月2日(土)は、七十二侯の1つ「半夏生」でした。

暦の上では、半夏(カラスビシャク)という薬草(農家にとってはやっかいな草のようです)が生える頃。

サトイモ科の植物。別名や、乾燥させた根茎は半夏(はんげ)の名で知られる。花は小型の仏炎苞で、ひものような付属体が上部に伸びるのが特徴。

農家にとっては大事な節目の日で、この日までに「畑仕事を終える」「水稲の田植えを終える」目安で、この日から5日間は休みとする地方もある。この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、この日に採った野菜は食べてはいけないとされたりした。なお、七夕にも農作業を休むとする伝承が多くの地域に伝わる

この頃に降る雨を「半夏雨」(はんげあめ)と言い、大雨になることが多い。地域によっては「半夏水」(はんげみず)とも言う。

一説にハンゲショウ(カタシログサ)という草の葉が名前の通り半分白くなって化粧しているようになる頃とも。

(この項、「Wikipedia」参照)

上記にもあるように、この時期にふさわしい「ハンゲショウ(半夏生)=カタシログサ」をいつか見たいと思っていましたが、この場所で出会うことが出来ました。

※名前の由来は、葉の一部を残して白く変化する様子から「半化粧」とする説があるようです

また、この花は、虫媒花といって昆虫を媒介として受粉を行う花で、そのため、昆虫を引き寄せるために白色に変化する、という。

東京や埼玉では絶滅危惧種に指定されています。

    雨に濡れて。

         花期が終わると再び緑色になるそうです。

               ここまで歩いてきた甲斐がありました。

大満足で先に進みます。

水生植物「解説板」。

       セキショウ、ハンゲショウ、ヤブミョウガ、ミゾソバ。

木を伝って下りてくる動物が。

           

ますます深い森へ。

ここにもハンゲショウ。

だんだんと下に降りていきます。

植生の変化

小網代の森は、川のはじまり(源流)から海に向けて、コナラの森、アスカイノデの谷、ハンノキからジャヤナギの木立、クサヨシ・ヨシ湿地帯へと変化しており、様々な生育環境を好む樹木の移り変わりを見ることができます。ここでは、ちょうど上流側(左手)がハンノキ林になります。

ハンノキは、多くの川が合流して、土砂が厚く積もり、水位が比較的に高い河川や湖の周辺などに群生します。明るい場所を好み、空に向かってまっすぐ伸びています。

少し下流側(右手)に行くと、ハンノキからジャヤナギに変化しているのが分かります。ジャヤナギは、ハンノキよりも、さらに土砂が積もった水位が高い湿地を好みます。木が倒れても幹から新しい芽が育つ、生命力の強い木です。

どの木がそれなのか判別できないので、以下参照。

※コナラ

落葉広葉樹高木互生し、長楕円型で縁に尖った部分がある。花期は春(4 - 5月)で、若葉が広がる時に咲き、雄花は尾状に垂れ下がる。果期は10 - 11月で、秋にドングリ)が熟す樹皮灰色で、縦に裂け目が出来る。

         (「Wikipedia」より)

※アスカイノデ

アスカイノデ(飛鳥猪の手) オシダ科イノデ属

東北地方中部以南から東海地方のの本州の太平洋側の、林床や林縁に生育する常緑のシダ植物。

丈は80-100cm。根茎は塊状で、鱗片を密に付け、葉を放射状に叢生する。葉柄下部の鱗片は狭披針形で全縁、捻れる。各部位に見られる鱗片は、アイアスカイノデに比べ幅が狭い。葉身は披針形で、2回羽状複葉、中軸にも鱗片が密に付く。小羽片の先端は芒(ボウ)状、前側は耳状に突起し、後側の葉縁に鋸歯があり、背の先端は芒状に伸びる。葉身はやや光沢がある。胞子嚢群(ソーラス)は小羽片の軸と葉縁の中間に付く。

※ 名は、東京の飛鳥山で採集されたイノデの仲間であることから。

(「『野山の草花・木々の花』植物検索図鑑」より)

※ハンノキ

低地の湿地や低山の川沿いに生え日本では全国の山野の低地や湿地、に自生する。湿原のような過湿地において森林を形成する数少ない樹木。田の畔に植えられ、近年では水田耕作放棄地に繁殖する例が多く見られる。普通の樹木であれば、土壌中の水分が多いと酸欠状態になり生きられないが、ハンノキは耐水性を獲得したことで湿地でも生き残ることができる落葉高木で、樹高は4 - 20メートル、直径60cm ほど。(「wikipedia」より)

 

※ジャヤナギ(写真は「Wikipedia」より)

本州〜九州の湿地に生える。高さ5〜10m、直径25〜30cmになる。一本立ち。樹皮は灰褐色で縦に深い割れ目が入る。裸材に隆起条はない。新枝は灰緑色で、無毛。小枝の分岐点から折れやすい。葉は互生。葉身は長さ10〜16cm、幅1〜2.5cmの狭楕円形。ふちには先端が腺になる鋭い鋸歯。新葉のふちは巻かない。裏面は粉白色。両面とも無毛。雌雄別株。雌株だけが知られている。葉の展開と同時に開花する。花序は長さ約1.5cmの楕円形。腺体は2個。子房と苞に白い毛が密生する。別名オオシロヤナギ。花期は3月。 

(「ジャヤナギ - 松江の花図鑑」より)

         

・・・

※安倍元首相が銃撃を受け、亡くなった! 

個人的に政治信条は異なり、また、様々な政治的不祥事に対して司法の裁きを、とも思っていました。

こういう形で生命を奪う、ということは、全く許されることではない、蛮行です。

それも選挙の応援演説中(言論戦)での出来事。あってはならないことです。

ふと、アメリカのケネデイ大統領暗殺事件を想起しました。

たくさんの大衆の見守る中での、至近距離での銃による殺人事件。

思想背景があるのかどうなのか? 警備の不備はなかったのか? 

派生的にさまざまなことが起こりそうです。

特に、ツイッターで明らかにデマである内容が発信され、拡大することを危惧します。

これで、「弔い合戦」などと言い出したら、選挙はどうなるのか?

日本の行く末がいっそう懸念されます。

・・・

※「小網代の森」の部分は、今朝早く、作成したものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三浦半島「小網代の森」。その2。「ひげ爺の栖」。ウグイスの声・他の鳥たちの声。深い森。ヤマユリ。シダ。せせらぎ。

2022-07-06 20:48:22 | 三崎口

            国道134号線の「小網代の森入口」交差点から右に折れると、「小網代の森」の入口へ。

                   右が、「ひげ爺の栖」。森へは、左手の小道を下りていきます。

                 

Welcome!

三浦半島の先端にある三浦市は三方が海に囲まれ、季節に応じた花の名所など四季を通じ自然に触れ合うことが出来ます。

小網代の森の入り口にある「小網代の森 ひげ爺の栖」は周りを木々に囲まれ、静かで落ち着いた雰囲気の中でお食事をお楽しみ頂けます。

小鳥のさえずりと爽やかな風を感じながら癒しの空間にご招待いたします。

金目鯛の煮付け。

(「ひげ爺の栖」HPより)               

「小網代の森」航空写真(「歴史的農業環境閲覧システム」より)

     

2010年代のようす。中央の森が「小網代の森」。左が「小網代湾」。周囲の開発が進む中、奇跡的に残っています。

こうした保存の歴史・地元の取り組みは、別の機会に紹介。  

「標高47.9m」。

ここが「引橋入口」。解説板。

                    海岸付近まで徐々に下っていきます。(上が南)。

約1時間の歩き。

足を踏み入れたとたん、周囲の静寂の中、ウグイスの声と他の鳥の甲高い声とが不思議とマッチし、頭上の濃い緑と足もとの草花とを合わせ、一瞬のうちに、癒やしの空間に溶け込んでしまいます。 

※バードウォッチング(日本野鳥の会)の方ならすぐに峻別できるはず。ここは、そういう方々と同道すると、素晴らしさを実感できそうです。

さらに野草に詳しい方、昆虫に詳しい方などは、この自然をじっくり堪能できることでしょう。地元では、そうした企画もあるようですが。

ちょっと前の方に外国の青年、後ろから追い抜いていった日本の青年。2人の姿もすぐに消えてしまいます。

                 

入口付近を振り返る。

 ヤマユリ。   

遊歩道に被さるように木々が。

周囲は、深い森。

 「解説板」が要所要所に設置されています。シダの森~小網代の森には、多くのシダが自生しています~

    

              

    自然のままのようす。

せせらぎの音が。海に向かって下る、森の中の小川。

          

  流れに沿ったり、離れたりしながら森の中を下って行く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三浦半島「小網代(こあじろ)の森」。その1。京急三崎マグ口駅。富士山。アガパンサス。ブーゲンビリア。赤坂遺跡。三浦の歴史。広大な農地。

2022-07-05 20:19:41 | 三崎口

                       京急「三崎口駅」。

 「三崎マグロ駅」となっています。※カタカナの「ロ」と漢字の「口」(PCでは同じに見えてしまう!? )。

7月4日(月)曇り。時々雨。

前々から行って見ようと思っていた「小網代の森」へ。

京成「青砥駅」始発の電車に乗って、終点の「三崎(まぐ)口駅」まで。始発駅から終点駅まで往復するのは、まず経験なし。

片道約1時間50分。

京成線、都営地下鉄、京急と進むうち、乗るお客さんは、入れ替わり立ち替わり。結局、小生一人だけが始発から終点まで乗りました。帰りも同じ。

※京急品川駅から「みさきまぐろきっぷ」だと往復の電車賃のほか、バス乗り放題、まぐろ料理、施設利用、お土産付き・・・で、3,570円。

以前、中学校のジジババと、この切符を利用し、来たことがあります。

城ヶ島まで足を伸ばし、けっこう楽しめました。

その時の写真。  

            「馬の背洞門」

・・・

今回のコース。↓のコースを歩きました。標高60mから1mへ、そこから70mまで上がり、再び駅へ。普通は、往復バスですが。約2時間半。

行きはともかく、帰りはバスがオススメです。

      

さて、

駅横の「えきめん茶屋 三崎口店」(女性一人で切り盛りしているようで、普通のおそば屋さんと同じくらい時間がかかります)で「海鮮かき揚げそば」(美味しい)を食べ、午後1時少し前に小雨がぱらつく中、歩き始めます。

相模湾越しにかすむ富士山。

アガパンサス。

アガパンサスはさわやかな涼感のある花を多数咲かせ、立ち姿が優雅で美しく、厚みのある革質の葉が茂る様子には力強さも感じられます。南アフリカに10~20種ほどの原種が自生し、交配などにより300以上の園芸品種が育成されています。性質が強く、植えっぱなしでほとんど手がかからないので、公園などの花壇やコンテナの植え込みに利用され、また切り花としてフラワーアレンジメントにも使われています。(NHK「みんなの趣味の園芸」HPより)

※英名では「アフリカンリリー」と呼ばれ、和名では「紫君子蘭」と呼ばれているそうです。

これは、ブーゲンビリア。

原産地は中央アメリカ及び南アメリカの熱帯雨林。ブーゲンビリアという名前は1768年ブラジルで木を見つけたフランス人の探検家ブーガンヴィルに由来する。花の色は赤から白まで変化に富み、ピンクやマゼンタ、紫、橙、黄のものもあるように見える。しかし、実際の花はいわゆる花の中央部にある小さな3つの白い部分である。色づいた花びらに見える部分は花を取り巻く葉(包葉であり、通常3枚もしくは6枚ある。俗に魂の花とも呼ばれている。(「Wikipedia」より)

途中右手の小高い丘に。「国史跡 赤坂遺跡」碑。

弥生時代中期後半から後期にかけての集落遺跡三浦半島南部、京急三崎口駅から350メートルほど南にある標高約50メートルの台地上に広がっている。国の史跡に指定された範囲は約4700平方メートルだが、その周囲を含めた実際の遺跡の範囲はおよそ70000平方メートルを測る

・・・一連の発掘調査により、検出された竪穴住居は130軒以上を数え、15.0メートル×12.2メートルの巨大住居跡など、長辺が10メートルを超える住居跡が4軒検出された。また、出土した遺物は弥生土器のほか、青銅製品(銅釧・銅環・銅鏃など)、鉄製品(鉄製釣針・鉄斧など)、装身具類(ガラス小玉など)、石器(蛤刃石斧など)、有機質遺物(炭化米・クルミ・モモなど)、獣骨(シカ・イノシシなど)、骨角器( 鹿角製など)、貝類(サザエ、バテイラ、アワビなど)、貝製品(ベンケイガイの製貝輪)などが豊富に出土した。他に住居内に貝層貝塚)を伴う竪穴住居が発見されている。これらの成果により当遺跡は、弥生時代中期後半~後期にかけての三浦半島において、漁撈活動や海を利用した遠隔地との海上交流などで拠点的な役割を果たした大集落であることが判明した

遺跡の中心部分となる約4700平方メートルの範囲は、2011年(平成23年)3月8日に国の史跡に指定された。また1992年(平成4年)の第8次調査での出土品は、2017年(平成29年)1月10日に三浦市指定有形文化財に指定された。出土品は、初声市民センター内の赤坂弥生学習室にて保管・展示されている。(「Wikipedia」より)

三浦半島一帯は、古い歴史を有するところですね。

中世封建時代まで溯る三浦一族興亡の系譜は、約450年の栄華と盛衰の三浦の歴史に他なりません。
 源氏、北条氏そして足利氏と、鎌倉時代の全盛期、そして室町時代の滅亡に至るまでの一族の活躍と悲哀の物語は、武門の誇りと執念とが交錯した壮大なドラマです。
 三浦一族終焉の地となった油壷、新井城での北条早雲との壮絶な攻防は3年にもおよび三浦道寸、荒次郎親子の豪勇振りや、落城の際、道寸と将校のほとんどが油壷湾に朽ち落ちたとされる悲話は、今も波静かな入江の佇まいの中にその面影を忍ばせています。

(この項、「三浦市」HPより)

        広大な農地。

   見渡す限り広がる。

なかなか目的地に着きません。

※今日は、台風の影響で、南も北も大荒れの天気。東京は何とか。しかし、明日は雨のようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東武野田線「藤の牛島駅」~伊勢崎線「東武動物公園駅」。その5。木造校舎・幸手市郷土資料館。幸手の土器。宇和田公園。(「中川」を遡る。第6回目。)

2022-07-03 21:20:45 | 中川を遡る

                      「吉田橋」を振り返る。

ビワの木。けっこう実っています。

実をとっている方に「結構大きいですね」「甘いです。鳥が食べちゃうんですがね。」一房、頂きました。甘くて美味しかった!

その先、右手に、洒落た和風建築の建物があります。「幸手市東公民館」。

その前にある解説文。

庄内古川とも呼ばれるこの川は、昔の姿を保ちながらゆったりと流れて、権現堂桜堤の脇を通り、宇和田公園の所でゆるやかに南に曲がってここに至ります。平成3年5月に開館した東公民館は、和風建築の外観で、国際交流の場としても活用できる生涯学習の拠点となっています。春には菜の花やカラシ菜の小さな花の群れがカーブを描き、桜と色を競っているようです。

その隣に古い木造校舎。

回り込むと、「幸手市郷土資料館・民具資料展示室」です。

むかし懐かしい木造校舎の「民具資料展示室」について

民具資料展示室の建物は、昭和24年5月に竣工した元の吉田村立吉田中学校の校舎です。半世紀を経た木造校舎のたたずまいは、訪れる人に子ども時代を思い起こさせるノスタルジックな雰囲気を醸し出しています。

吉田中学校は、昭和53年3月に廃校となり、翌54年4月からは吉田幼稚園の園舎となりました。

その後、昭和55年7月に文化財保護関係委員を中心にして始められた「民具を集める運動」により数多くの民具資料が収集されます。

昭和59年9月に吉田幼稚園が移転したため、同年12月、現在の場所に民具資料館を開館し、衣食住・社会生活・農業・漁撈・職人などのテーマに沿った民具資料の展示が始まります。

平成24年からは15年にわたる市史編さん事業の成果に基づき、市の歴史や指定文化財、偉人の展示を加え、内容の充実をはかり、市民への地域学習の機会を提供してきました。

そして、平成30年10月23日、幸手市郷土資料館の開館にともない、民具資料展示室として新たなスタートをきりました。

かつての教室にそれぞれのテーマに基づいて懐かしい民具が展示されています。とくに田んぼの作業に関わる農機具がたくさん置かれています。また、日用品や船道具など所狭しと展示されていました。

非常用の船。

洪水の記憶なども写真など詳細に。この地域の治水の歴史など知ることができます。

東京の隅田川以東の下町でもカスリーン台風などの水害の歴史があります。半世紀以上の昔の出来事とのみにせず、人々の歴史の教訓を活かしたいものです。

その意味で、この資料展示など後世に伝えていくことの大事さを感じます。

新しい資料館では、企画展示として「土器からみえる 人びとのくらし」をテーマに「幸手の土器」展を開催中でした。

~土器の見方を知れば郷土の歴史がみえてくる、原始・古代の幸手の歴史をのぞいてみよう~

         縄文時代のペンダント。

     アサリなどさまざまな貝が出土しています。(縄文時代の貝塚から)

興味深いものがあります。ただし、弥生時代の遺物はまだ出土していないようです。

帰りしな、係の方から、以前の企画展示で行った「権現堂堤の歴史~江戸時代の幸手と周辺の河川、用悪水路の変遷~」の資料をもとに説明して頂き、今後の中川歩き、すでに歩いた江戸川などの歴史を知る上で、大変参考になりました。

資料が充実していて、地域の生活(特に、治水)の深く貴重な歴史を知る上で大変参考になります。

さて、今回の、残りわずな道のりを急ぎます。

「古川橋」。

       ※バス停名が、朝日バスは「吉田橋」、コミュニティバスは「古川橋」となっています?

左岸は、遊歩道(「ふれあい散策路」)に。

が、橋を渡って右岸を進みます(※左岸の遊歩道は、この先の橋の下をくぐって、上流に向かう)。

左は一面緑の田んぼ。

上流の左岸は、草刈り作業中。

     用水路。

「新船渡橋」。

            前方左が上流にある「宇和田公園」。かつての「権現堂川右岸」にあたります。

この付近の今昔。

                     1880年代のようす。細い流れが中川の前身?

大正から昭和にかけて、右岸(現在の宇和田公園付近)を開削し、現在の中川の流路ができました。

                     2010年代のようす。

中央が中川。右端に江戸川の一部が見える。かつての権現堂川は、「中川上流排水機場」で江戸川へ。

ここで、先日「権現堂堤」から歩いたときの「中川」と結びつきました。

遠く江戸川土手を望む。

今回は、ここまで。

橋を渡り、左岸際にあるバス停「ひばりヶ丘工業団地入口」(朝日バス)から乗車、「東武動物公園駅」に向かいます。

次回は、権現堂堤からの中川上流へ。葛西用水との出会い・起点までの予定。

しかし、この暑さが、いつまで続くことやら。台風4号の動向も気になるところ。

さて、いつになるか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする