北区の王子、赤羽付近には、軍隊の施設がたくさんありました。その施設への引き込み線が張り巡らされていました。それらの施設は、戦後、ほとんどが民間工場などに転用された後、現在は、学校施設、スポーツ施設や住宅地になっています。十条にある「自衛隊十条駐屯地」以外ありません。線路跡も残ってはいません。しかし、道路の形状や建物の位置などで類推出来る廃線跡もあります。
中でも、「北区赤羽緑道公園」は、線路跡を緑道公園化していますので、比較的分かりやすいものになっています。ただ、緑道公園のいわれなど説明板やモニュメントがどこにもないのは、残念。
反面、木々に囲まれた静かな遊歩道のあしもとがが線路模様になっていて、それをたどることで、かつては線路だった、と。さらに、横断歩道橋の手すりに車輪がかたどられている、そんな見える工夫はされていました。また、草花も豊か、小鳥のさえずりも聞こえてきて、味わいながら散歩できる緑道でした(自転車通行は厳禁)。
①
明治時代後期の頃のようす。↓には「兵器庫」との表示。この敷地に線路は入っていきます。
②
戦前のようす。上の↓には「火薬庫」とあります。○は被服庫。ここに支線が伸びています。
③
2000年代初めの頃のようす。↓A「火薬庫」は、桐ヶ丘団地に、↓B「兵器庫」は、現在は「味の素フィールド西が丘」、○D「被服庫」は、赤羽台団地になっています。○Cは、当時から台地(軍施設があった)脇の田んぼ地帯で、現在、「赤羽自然観察公園」や「赤羽スポーツの森公園」として整備されています。(以上「今昔マップ」より)。
赤羽駅西口から少し坂を上がったところからスタート。正面の建物と左の空地が線路跡と思われる。
未整備の土地が残っている。
西側から望む。
もともと、線路は、現在、新幹線の高架下をくぐった先にある「赤羽八幡神社」の脇を抜けて本線と合流していました。
赤い線が線路跡。↓が「赤羽八幡神社」。1970年代のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。新幹線がまだ建設されていない。その後、神社の脇に新幹線の高架ができて周辺のようすも大きく変化しています。
ここから「赤羽緑道公園」が始まる。静かで落ち着いた散歩道。
車輪のモニュメント。JR赤羽駅西口広場から通じる道路に架けた歩道橋。
振り返って望む。右手に小鳥のブロンズ像が並んでいる。
ほぼかつての線路と同じように進んでいく。
ところどころ、すれ違う箇所のように線路が分かれている。
遊具などもなく、自転車も入って来ない。
かつての団地のイメージとは様変わり。ここが「被服庫」跡とは想像もつかない。支線の跡はもちろん皆無。
先には、鉄橋のようなものも。歩道に描かれた線路の模様も少し変わってくる。
右手は福祉施設の建物。線路跡に沿ってカーブしている。この先で「赤羽緑道公園」はおしまい。
では、この先、線路跡はどうなってしまうのか? 「味の素フィールド西が丘」まではまだまだ先。はたして?
中でも、「北区赤羽緑道公園」は、線路跡を緑道公園化していますので、比較的分かりやすいものになっています。ただ、緑道公園のいわれなど説明板やモニュメントがどこにもないのは、残念。
反面、木々に囲まれた静かな遊歩道のあしもとがが線路模様になっていて、それをたどることで、かつては線路だった、と。さらに、横断歩道橋の手すりに車輪がかたどられている、そんな見える工夫はされていました。また、草花も豊か、小鳥のさえずりも聞こえてきて、味わいながら散歩できる緑道でした(自転車通行は厳禁)。
①
明治時代後期の頃のようす。↓には「兵器庫」との表示。この敷地に線路は入っていきます。
②
戦前のようす。上の↓には「火薬庫」とあります。○は被服庫。ここに支線が伸びています。
③
2000年代初めの頃のようす。↓A「火薬庫」は、桐ヶ丘団地に、↓B「兵器庫」は、現在は「味の素フィールド西が丘」、○D「被服庫」は、赤羽台団地になっています。○Cは、当時から台地(軍施設があった)脇の田んぼ地帯で、現在、「赤羽自然観察公園」や「赤羽スポーツの森公園」として整備されています。(以上「今昔マップ」より)。
赤羽駅西口から少し坂を上がったところからスタート。正面の建物と左の空地が線路跡と思われる。
未整備の土地が残っている。
西側から望む。
もともと、線路は、現在、新幹線の高架下をくぐった先にある「赤羽八幡神社」の脇を抜けて本線と合流していました。
赤い線が線路跡。↓が「赤羽八幡神社」。1970年代のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。新幹線がまだ建設されていない。その後、神社の脇に新幹線の高架ができて周辺のようすも大きく変化しています。
ここから「赤羽緑道公園」が始まる。静かで落ち着いた散歩道。
車輪のモニュメント。JR赤羽駅西口広場から通じる道路に架けた歩道橋。
振り返って望む。右手に小鳥のブロンズ像が並んでいる。
ほぼかつての線路と同じように進んでいく。
ところどころ、すれ違う箇所のように線路が分かれている。
遊具などもなく、自転車も入って来ない。
かつての団地のイメージとは様変わり。ここが「被服庫」跡とは想像もつかない。支線の跡はもちろん皆無。
先には、鉄橋のようなものも。歩道に描かれた線路の模様も少し変わってくる。
右手は福祉施設の建物。線路跡に沿ってカーブしている。この先で「赤羽緑道公園」はおしまい。
では、この先、線路跡はどうなってしまうのか? 「味の素フィールド西が丘」まではまだまだ先。はたして?