私的図書館

本好き人の365日

「世の禍事はやがて正さる」

2003-10-11 23:47:00 | 日々の出来事
『ハックルベリィ・フィンの冒険』の他、ディケンズの『クリスマス・カロル』やジーン・ポーターの『リンバロストの乙女』などの翻訳で知られる村岡花子さん。

もちろん、その中でもモンゴメリの翻訳が一番有名ですね。

もう、彼女なしで日本のモンゴメリ物を語ることは出来ないでしょう。
『赤毛のアン』に始まるアンシリーズ。
この「私的図書館」の記念すべき第一回を飾った『丘の家のジェーン』。
『果樹園のセレナーデ』に『パットお嬢さん』。
そして『可愛いエミリー』で始まるエミリー・ブックス三部作。この第三部にあたる『エミリーの求めるもの』が残念ながら最後の翻訳となりました。

村岡花子さんの訳した文章は好きでしたね。
なかでも『赤毛のアン』でのマシュウの口癖が印象的。
嬉々として話すアンの傍らで「そうさな。」と物静かに聞いているマシュウ♪
まさに名訳! この一言がマシュウのすべてを物語っていますね。

エミリー・ブックス三部作の翻訳には四年の歳月がかかり、その間には眼疾治療のための入院生活がありました。
全国の読者から多くの催促の手紙を受けて、「すまない、すまない」とおっしゃっりながら、眼病をおして訳業を続け、『エミリーの求めるもの』の原稿を出版社に渡したその月に生涯を閉じられたそうです。

本来ならいつも訳者のあとがきがあるところ(このあとがきも楽しみでした)に、村岡花子先生の生涯と業績を讃える滑川道夫氏の解説が載っていて、その詳細が胸を打ちました。

1893年に甲府市に生まれ、甲府メソジスト教会で小児洗礼を受け、英語講師などを経て結婚。
疫痢のため亡くなった幼い息子の名前を取り、自宅に「道雄文庫」を開設して子供達に開放し、同人誌『火の鳥』の創刊に参加。翻訳業にも乗り出します。
昭和六年から十年間は「こどもの新聞」の放送を担当。戦後は翻訳業に主力を入れるようになりました。

来日したヘレン・ケラー女史の通訳も務めたことがあり、女史が日本の歓迎ぶりに感謝しながらも、
「日本にはわたし以上に不幸な人たちがいるのに、なぜその人たちにもっとあたたかい手をさしのべてくださらないのでしょうか」
と訴えられた時は、その言葉を感動的に通訳されました。
この言葉を、村岡さんは機会があるたびに子供達に伝えていたそうです。

昭和四十三年十月二十五日。
村岡花子さんが亡くなられて、もうじき35年になります。享年七十五歳でした。

村岡先生。
大好きな本の数々を、私達読者に届けて下さって、本当に感謝しています。

それが、どれだけ人生に彩りを加えてくれたことか。

これからそれらの本に出会うことになるだろう未来の読者にかわって、
そしてなにより、未来永劫かわらぬ『腹心の友』として、こころから…


ありがとう。


折りしも外は村岡花子さんが亡くなられた十月の空がひろがっています。
心からご冥福をお祈りいたしております。

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