私的図書館

本好き人の365日

『マララ 教育のために立ち上がり、世界を変えた少女 』

2015-01-17 16:51:46 | 本と日常

パキスタン北部のスワート県で、パシュトゥーン人の両親のもとに生まれた少女マララ・ユスフザイ。

2012年10月9日。学校から帰宅するためスクールバスに乗っていた彼女は、複数の男たちに銃撃され、頭部と首に計2発の銃弾を受け、一緒にいた2人の女子生徒と共に負傷しました。

彼女を襲った男たち "パキスタン・ターリバーン運動(TTP)" はこう主張しました。

 「若いが、パシュトゥーン族が住む地域で欧米の文化を推進していた」

彼女は学校経営者の父親の影響もあり、以前からBBCなどのインタビューを受けていました。

しかし彼女がインタビューや投稿した記事で主張していたのはたったこれだけのことです。

 

 「子どもたち、特に女の子にも学校で教育を受ける権利がある」

 

銃撃事件の後、世界中から非難の声が上がりますが、TTPはこう主張します。

 

 「女が教育を受ける事は許し難い罪であり、死に値する」

 

2014年。奇跡的に一命を取りとめたマララ・ユスフザイは、史上最年少17歳でノーベル平和賞を受賞しました。

そんなマララ・ユスフザイさんの手記。

 

『マララ 教育のために立ち上がり、世界を変えた少女 』(岩崎書店)


を読みました。


岩崎書店
発売日 : 2014-10-29

 

二人の弟たちと、じゃれあいながら駆け回っていた幼少期から、大人の男たちが政治の話をしているのをこっそり聞いた少女時代。

学校に通い始め、勉強が大好きになりクラスで一番を目指したり、友達と仲違いしたり、弟たちとTVのチャンネルを奪い合ったり。

そんな平和だった生活に、しだいにタリバンの影が忍び寄って来ます。

 

手記を読んで、初めてマララさんが過ごしてきた過酷な社会環境がわかりました。

ニュースでタリバンやアフガニスタンの様子がレポートされますが、マララさんのような年代の意見、特に女性の意見にはなかなか触れることができません。

朝のお祈りを眠いからやりすごすとか、隣家の女の子と内緒の話をするとか、時にうっとうしく感じる弟たちのこと、学校での勉強、友達と仲違いしては落ち込んだりする様子は、世界共通の10代の女の子という感じで、とっても共感できました。

勉強が好きで、世界を知ることが好きで、それなのにどうして学校で学ぶことを女の子だからという理由で諦めなければならないのか・・・

 

・・・イスラム教が悪なのではないと私は思います。

マララさんもイスラム教徒です。

国連での演説で、マララさんもいっています。

 

彼らは、神はちっぽけで取るに足りない、保守的な存在で、ただ学校に行っているというだけで女の子たちを地獄に送っているのだと考えています」


国際政治だとか、宗教だとか、言葉の解釈だとか、人間は様々な言い訳を考え出しますが、私が思うのは自分の頭で考えることを放棄してしまってはいけないってこと。

タリバンはラジオを使って人々の不安を煽り、自分たちの主張を、指導者の言葉を人々に聞かせます。

それはやがてタリバンを批判する者はすなわちイスラム教に背く者だとして、個人を名指しし始め、人々を恐怖と疑心暗鬼に駆り立てていきます。

町では公開裁判が始まり、見せしめのムチ打ちが行われ、処刑された人々がさらされる。

これは実際にマララさんの身の回りで起きた現実。

イスラム国の例を出すまでもなく、これが今まさにこの地球上で行われているんですよね。

 

2001年アメリカで起こった同時多発テロ、いわゆる9.11の時、マララさんは4歳。

2011年パキスタンの陸軍士官学校の目と鼻の先で潜伏中のウサマ・ビン・ラディンがアメリカ軍によって殺害された時は13歳でした。

 

やがて学校にも脅迫状が届くようになり、女の子が学校に通うことが禁止されてしまいます。

襲撃が頻繁になり、タリバン兵の姿が町にも。

タリバンが首都にまで迫ろうとすると、ようやく政府も重い腰を上げ、タリバン掃討に乗り出し、町は戦場に。

日常の中に響く銃声に爆音。

タリバンは学校を次々と爆破し、マララさんたち家族も避難をよぎなくされます。

政府軍は一度はタリバンを退けますが、彼らは遠くに去ったわけではありませんでした。

ようやく再び学校に通えるようになったと思った時、その事件は起きるのです。

 

頭部と首に銃弾を受けた彼女は軍の病院に運ばれますが、意識不明で危ない状態。

さらなるタリバンの襲撃も考えられる中、治療と身の安全を確保するために、彼女はイギリス、バーミンガムの病院に移送されることになります。

 

一週間後、意識を取り戻した彼女が、家族の心配をするのと同時に、病院の治療費を心配するところがあって、読んでいて泣きたいような可笑しいような気持ちになってしまいました(苦笑)

読んでいて我慢できずに二度程感極まってしまったシーンも。

襲撃された場面ではありません。

パキスタンで不安と危険のせまる中で暮らしながら、イギリスで皆に囲まれて暮らしている治療中、何気なく学校に早く行きたいなぁとマララさんが思う場面。

学校に行かせてあげたい!

こんなに学校に行きたがっている女の子を学校に行かせてあげることもできないなんて、人間ってなんて愚かなの!!

空から光に包まれた神様が降りて来て「これこれ仲良く暮らしなさい」というまで争いを続けるつもり?

 

・・・極端に走るのはよくないですね。

一本のペン、一冊の本、そこからでも世界は変えられる。

 

 

 「無学、貧困、そしてテロリズムと闘いましょう。本を手に取り、ペンを握りましょう。

  それが私たちにとってもっとも強力な武器なのです。

  1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして1本のペン、それで世界を変えられます。

  教育こそがただ一つの解決策です。

  エデュケーション・ファースト(教育を第一に)。ありがとうございました」

     (2013年7月12日マララ・ユスフザイ、国連本部での演説より)


第152回芥川賞・直木賞

2015-01-17 09:47:45 | 本と日常

第152回芥川賞・直木賞が発表されましたね。

芥川賞には小野正嗣さんの『九年前の祈り』(群像9月号)が、直木賞には西加奈子さんの『サラバ!』(小学館)が選ばれました。

西加奈子さんは本も読んだことがあり、ラジオ出演されているのを聞いた時にはご本人も面白い人だなぁと思いましたが、すみません、小野正嗣さんは初めてお名前をお聞きしました。芥川賞4度目のノミネートで受賞されたんですね。だったらどこかでお名前は目にしていたと思うのですが、なにぶん人の名前を覚えないタチなので記憶に残っていません(苦笑)

 

『九年前の祈り』は大分県南部の海岸沿いの集落が舞台。カナダ人の夫と離婚し、シングル・マザーになった主人公が、精神的に不安定な息子を連れてその集落に戻ってきます。九年前にともにカナダ旅行をした女性の息子が入院していると聞き、そのお見舞いに出かけ・・・というお話らしいです。短編集『九年前の祈り』(講談社)はすでに発売されていて、『文藝春秋』3月号にも全文掲載の予定。

一方の『サラバ!』は西加奈子さんの作家生活10周年を記念する作品だとのこと。父親の赴任先であるイランで生まれた主人公の歩は、背の高い父、チャーミングな母、変わり者の姉といった家族に囲まれ、イラン革命のあと、しばらく大阪に住んだのち、今度はエジプトへ向かう。西加奈子さん自身がテヘラン生まれの大阪育ちで、小学生時代にエジプトで過ごした経験があり、作者と同年代の主人公の半生を描いたこの小説には、そうした作者の実体験が反映されていそう。『サラバ!』も上下巻で小学館から発売されています。

 

きっと受賞したことで本屋さんにはたくさん並ぶでしょうから、私も手に取ってみたいと思っています。

芥川賞選考委員の作家、小川洋子さんが選考の経過を説明してみえるのですが、それがとっても興味深くて、やっぱり選考委員の中でもいろんな意見、好みがあるんですね〜

同じ作品でも読む人によって評価が分かれていたりして面白い。

芥川賞に落選した『指の骨』(高橋弘希)や『惑星』(上田岳弘)も読んでみたくなりました。