他人のあやまちが気に障るときには、
即座に自ら反省し、
自分も同じようなあやまちを犯してはいないかと考えてみるがよい。
たとえば金を善いものと考えたり、
または快楽、つまらぬ名誉、
その他類似のものを善いものと考えるがごときである。
このことに注意を向け、更につぎのことに思い至れば、
君はたちまち怒りを忘れるであろう。
それは
「彼は強いられているのだ。どうにも仕様がないではないか」という考えである。
あるいはもし君にできるならば、
その人間を強制するものを取り除いてやるがよい。
―マルクス・アウレーリウス「自省録」―
即座に自ら反省し、
自分も同じようなあやまちを犯してはいないかと考えてみるがよい。
たとえば金を善いものと考えたり、
または快楽、つまらぬ名誉、
その他類似のものを善いものと考えるがごときである。
このことに注意を向け、更につぎのことに思い至れば、
君はたちまち怒りを忘れるであろう。
それは
「彼は強いられているのだ。どうにも仕様がないではないか」という考えである。
あるいはもし君にできるならば、
その人間を強制するものを取り除いてやるがよい。
―マルクス・アウレーリウス「自省録」―