私的図書館

本好き人の365日

八月の名言集より

2003-08-03 16:18:00 | 心に残った言葉
 
カンパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、

どこまでもどこまでも一緒に行こう。

僕はもうあのさそりのようにみんなの幸いのためならば

僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。




        ―宮沢賢治「銀河鉄道の夜」―

八月の本棚

2003-08-03 10:23:00 | SF
ネコが宇宙に行ってなぜ悪い!

呼ぶと来ない、探すといない。自分がしたくないことはしない。普段エサをもらってさんざん世話してもらっているくせに、人間のことなんかおかまいなし。だけど私達の心をつかんではなさない、とっても魅力的な生き物。

今回ご紹介する本は、そんな猫好きにはたまらない。
ヴォンダ・N・マッキンタイアのSF小説。

『星の海のミッキー』

です☆

SF小説は数あるけれど、こんなに猫が活躍する小説は珍しい。

主人公はバーバリという12歳の女の子。
孤児である彼女は、自分を引き取ってくれる家族の待つ、宇宙ステーション行きのシャトルを待っている。だけど、彼女のジャケットのポケットの中には、ひとには言えない秘密が…

ネコを密航させることがどれ程困難か、まして、密閉された宇宙ステーションに連れ込むなんて!

物語の舞台は、はるかなる星の海。
ご主人様がはじめての無重力に苦労している隣を、まるで昔から空を飛ぶことができたみたいに、優雅に滑空する子猫のミッキー。犬なら絶対こうはならない。あわてふためき、ジタバタして吠えまくるはず。
そんな犬コロを見つめながら、冷たくつぶやくミッキーのこんな言葉が聞こえてきそう。

「…バカ犬」

『スター・トレック』物の作品も手がけるマッキンタイアだけあり、無重力や宇宙ステーションの描写もわかりやすく、面白い。

人類初のエイリアンとの接触という、壮大なストーリー展開もあるんだけれど、それは300ページ中、後半も後半、最後の50ページくらい。あとはひたすらミッキーを隠したり、追いかけたり、探しまわるバーバリの苦労話(笑)

その健闘ぶりには、思わず涙が出るほど(…笑いすぎて♪)

ちなみにミッキーはマンクス猫。
英国マン島原産で、しっぽのないことで有名です。
なんでも、ノアの箱舟が出発しようとした直前に跳び乗って、ノアが扉を閉めた拍子にしっぽをはさまれ、ちょんぎれてしまったとか。
なんとなく、その性格がうかがえる逸話じゃないですか。

猫特有のワガママさ爆発。

違う意味でハラハラドキドキさせてくれる物語。

夏の夜空を見上げながら、未知なる宇宙に思いを馳せる時、その傍らには丸くなった相棒がいる。それってとってもイイ風景だとは思いませんか?

元気いっぱい、夢いっぱいの冒険小説。

…なんか「猫ってかわいい☆」がメインのような気もするけど。

ともかく、猫好きな方はもちろん、それ以外の方でも、楽しめることは請け合いですよ。














ヴォンダ・ニール・マッキンタイア  著
森 のぞみ  訳
ハヤカワ文庫

「家族の肖像」

2003-08-03 01:41:00 | 日々の出来事
犬は好きですか?それとも猫のほうが好き?

近所で散歩している犬を見かけると、ついつい笑いかけてしまいます。
ゴミ置き場のノラ猫にも、しゃがみ込んで指をクイクイ動かしてみたり。
でもたいてい邪魔が入って逃げられてしまうんですよね。
ちなみにうちの家族は、そんな時、勝手に名前を付けて呼びかけます。「クロ」とか「シロ」とか見たまんまのネーミングで。いまだにコリーは『ラッシー』だしね。

昔から、うちには動物がいました。

私が生まれる前からいた犬の「ちび」。
真っ白でたくさん子供を産んで、すごく長生きしました。

その子供の「ジョン」。メス犬です。
とても利口で、他人の家に連れていっても、用事が済むまで大人しく待っていたそうです。いまだにうちの両親は自慢しています。

ジョンの子供の「坊」。
私と妹で、洋風の名前を考えたのに、祖母がいつも「ぼう」「ぼう」と呼んでいたので、そのまま定着してしまったという。祖母は人間の男の子のことも「坊」と呼びます。
体格が良くて、頭がよかったので、よその人に、もらわれていきました。その時の光景はいまだに忘れられません。

四匹目もジョンの子供の「ぼう」(二代目)。
この子は耳が垂れててアホでした。
食欲ばかり旺盛で、毒を二回も食べてしまい、祖母が暴れるその体を押さえつけて、無理矢理くちをこじ開け、牛乳を流し込んで助けました。
子供の私達にも、すぐあお向けになってお腹を触らせてくれたし。本当、アホだけど、一番かわいかった。

この子が亡くなったのは、母が乳がんの手術をすることになっていた当日の朝。犬としては長命でした。両親は、“ぼう”を裏山に埋め、急いで病院へ。
ところが、手術前の触診で、「しこり」がなくなっていることが判り、再検査。手術は取り止めになり、のちに『誤診』だったことがわかりました。母親は

「“ぼう”が身代わりになってくれた」

と言っていましたが、私達は強く否定しませんでした。
家族全員そんな精神状態だったんです。

最近、この手の誤診で、乳房を切除された人の数がかなりにのぼるらしいと、ニュースになっていましたが、その時は怒りよりも、安堵感の方が大きくて、とても病院側の責任について、どうこう言える雰囲気ではありませんでした。

偶然とはいえ、思えば不思議なめぐり合わせの犬でした。
それ以後、誰も犬を飼おうとは言い出しませんでした。

今は柴犬が一匹います。

看護婦になった妹が、マンションでこっそり飼っていた犬が大きくなりすぎて、実家に引き取られてきたんです。
ひどい噛み癖があり、声が枯れるまで鳴き続けるひどい有様でした。
私はその妹の無責任さに腹が立ち、家族と大喧嘩しました。

今は休日のたびに散歩に出かけます。

小学生の時には、うさぎを飼い。増えすぎて友達に配りまくり、最後は食肉業者に引き取ってもらいました。親はそんな現場に必ず私達を連れていき、『別れ』の現実を見せていました。

夜店で買ったひよこが大きくなった時も、祖母がそれを絞めて、血を抜き、羽をむしって調理しました。
子供心に、『いのち』の形を見た気がしました。
さすがにその晩の料理には手を付けませんでしたけどね。

動物達に教えられたことはたくさんあります。
そのあたたかな体温に慰められたことも…
はっきり言えることは、彼等も私の家族だったということ。

それはもう、確実に、言い切れますね。