ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



宗教学者って、なんだか、言ってることが変な気がしてしょうがないんだけど、なんでなんだろう? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『悲劇としての宗教学』(幸福の科学出版)のまえがきとあとがきで、次のように教えておられます。

まえがき
 現代日本の宗教への不信感、偏見をぬぐい去るためには、その源流を探り当てねばなるまい。
 先年のオウム真理教事件の際に、私は、東大宗教学科卒の宗教学者たちが、なぜこれほどまでに善悪が判らないのか不思議でならなかった。なぜオウム教を本物だといって持ち上げるのか。それを宗教として間違っていると批判している私の方をまるでニセモノだと言わんばかりの論調だった。というか、むしろ、「法学部の卒業生が、俺たちのナワバリを荒すな」と言わんばかりだった。おそらく、彼らが外見上、チベット密教の真似をしている(修行形態、服装)のを信じ、背広にネクタイの私の方は信じなかったのだろう。
 しかし、昨年、私はインドやスリランカなどの仏教聖地で万の単位の大講演会をやったが、現地の聴衆は私の外見ではなく、英語説法のバイブレーションと内容を信じた。また現地のTV、ラジオ、新聞でも大々的に報道された。彼らは信仰者の立場から良心で判断したのだろう。
 「悲劇としての宗教学」は終わらせなくてはなるまい。専門家であるならば、多少のリスクを背負って、善悪を一般人に教えなくてはならないだろう。
 宗教学者を十把一からげにしてはならないので、一点申し添えておくとすれば、東大の宗教学の教授(当時、助教授)の島薗進氏は、九〇年代の初め、つまり、一九九五年のオウム事件の二~三年前に、著者に会って、個人的に、「オウムは間違っている。」とうめくように述べられたことを書き添えておく。他の同僚たちより見識が進んでいることを知り、かすかにホッとしたことを憶えている。
 とまれ、一人でも多くの宗教に関心のある人に、本書の一読を願いたいものである。

あとがき
 決してうぬぼれることなく、自戒しつつ述べるが、私は、数多くの宗教の善悪を判断できる、数少ない宗教家の一人であると思っている。その意味で、新宗教について論評するマスコミ人にも、宗教学よりも、私の本の方を信用して頂けたらと思う。政治や法律、経済、経営、時事問題、教育にまで言及するので、理解できない人もあろうが、単に私がソクラテス的人間だということだ。あらゆる物事の中に真理を探究しようとしているだけなのだ。
 戦後マスコミの新宗教蔑視が、その源流を岸本宗教学に負うているとするならば、その毒水の流れを解明し、学問としての姿勢を正させるのも私の使命かと思う。
(1~2、203ページ)

よっぽど宗教学に詳しい人でなければ、岸本英夫という宗教学者の名前は知らない方のほうが多いと思います。

それでも、本書は、「宗教学」という学問分野に興味を持っている人はもちろんのこと、宗教そのものに関心がある人にとって、必読の書籍ではないかと、改めて私は思っているのです。

『悲劇としての宗教学』

 大川隆法著


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