人生、さわやかに生きたいな、と思うんだ。でも、どうやったら、さわやかに生きていけるんだろう? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、書籍『幸福への道標』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
私はさわやかに生きていると言えるためには、やはり三つほどの条件があると思えるのです。
第一の条件は、潔さというべきものだと思います。(中略)
この潔さとは何か。この潔さに伴う清涼感とはいったい何だろうか。(中略)それは大いなる目的のために、情熱的に生きて、そしてその結果が、よいものとして現われても、また悪いものとして現われても、自分の責任として素直に受け止める態度、これではないかと思います。
言いかえてみれば、言いわけをしないという姿勢ではないでしょうか。大いなる目的のために全力を捧げ、全力で生き切って、そしてその結果に対して淡白であれるということ。これも、さわやかさの一つの条件だと思います。こういう人を見ると、私たちは拍手喝采をせざるをえないのではないでしょうか。
さわやかに生きている指標として、第二番目に言っておきたいこと、それは歓びを自分の内に溜め込むのではなく、多くの人たちに分け与えて、そしてみかえりを求めない態度だと思います。
まるで山のようにパンを持ったパン屋さんが、手にかごを下げた人たちと会って、そのかごのなかにポイポイと焼きたてのパンを放り込んでいくような、そうした姿が私の目には浮かんできます。こんな生き方ができたら、さぞさわやかだろうなと思うのです。
そして、このさわやかさも、やはり風のようなものでありたいと思います。多くの人たちがピクニックに行く途中で、気持ちよく手さげのかごを持って歩いているときに、後ろから風のように追いかけてきて、みんなのかごのなかに焼きたてのパンをポンポンと入れて歩き、そして気がつかれないうちに、サーッと通り過ぎていく。すばらしいことではありませんか。(中略)
さわやかに生きていると言えるための三番目。それは、ある意味で自分の生命というものを有限なものとして、また別な意味では無限なものとして悟っていることだと思います。(中略)
残された寿命が五年であるか、十年であるか、二十年であるかは、人それぞれでしょう。しかし、残された時間が有限であるということを、やはり一つの事実として認め、そして十年なら十年、二十年なら二十年を、さあどういうふうにして最大限に生きるか、これを決めればよいのではないですか。そのように思うと、ひじょうに気分が楽になってきませんか。
そしてもう一つは、〝無限の生命がある″という観点です。どんなふうに結果が出たとしても、自分に無限の生命があるならば、また別の機会でやり直しはきくのではないか。そういうふうにも考えることができると、私は思います。
さわやかに生き切るために、有限という観点と無限という観点を、両方とも知って使い分けていくこと、これがきわめてだいじなことのように思います。
(184~187ページ)
さわやかに生きるための条件は、第一に、潔さ、言いわけをしないという姿勢。
第二に、歓びを多くの人たちに分け与えて、みかえりを求めない、風のような態度。
第三に、自分の生命というものを、有限なものと認めつつも、無限の生命の一部として認識しておくこと──。
うーん、私なりに言い換えを試みてみると、第一に、名誉心とか虚栄心とかがない、執着のない心であること。
第二に、与える愛を実践した人生を送ること。
第三に、永遠の生命を信じつつ、今世を全力で生き切ること、ということでしょうか。
つまり、さわやかさというのは、ある意味で、悟りを実践した境地であらわれてくるものじゃないかと私は思うのです。
みなさんはどうお考えですか?
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『幸福への道標』
大川隆法著 |
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