オレって、なんでもぜんぶ、大事にして行きたいんだよねー。あれもしたい、これもしたいって、興味関心が広いのは、オレの長所だし。多くの女性を愛することも、大事なことだよね? なーんてこと考えてる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『生命(いのち)の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
代償の法則のなかには、「努力を積み重ねる」という考え方がありますが、前述したように、「捨てる」という考え方もあります。
何かを手に入れる、あるいは何かを達成するためには、自分が「欲しい」と思うものを捨てなければいけないこともあるのです。それはそうでしょう。
たとえば、大学生が「優秀な成績を取り、将来、一流企業に就職して、社会で活躍したい」という願いを持ったとしても、毎日、麻雀屋に入り浸りであったなら、その願いは実現しないのです。
「自分は麻雀が好きなので、麻雀道を生きてゆきたい。仕事のほうは、ほどほどでよい」というなら、そのような生活でもよいでしょう。しかし、大きな志を持ち、その実現に集中しなければいけないのならば、麻雀やお酒などが好きであったとしても、それらを捨てなければいけません。
異性の問題でも、「捨てる」という考え方は大切です。男性は、本能的に言えば、一人の女性しか愛せないということはありません。男性は、色目を使い、二人、三人、四人と複数の女性を好きになるのが普通であり、動物的な本能として、そのようにできています。
ただ、「同時に複数の女性にもてて、幸福な気分を味わう」という状態は、一時的にあったとしても、何十年も続くことはないのです。ほとんどの場合、破滅や嫉妬など、悪いほうの代償を払わなければいけなくなり、苦しみを味わうことになります。そして、どこかの時点で、執着を捨てなければいけなくなるのです。
それが離婚というかたちで現れることもあります。結婚は「一対一」という男女の組み合わせから成り立っているので、世の中では、「新しい伴侶を得ようとして、離婚という代償を払う」ということが繰り返し起きています。
そういう代償を払わなければ、男女間における好みの追求はできないことが多く、「両手に花」のようなことを望んでも、なかなか、そうはいきません。やはり、執着は捨てなければいけないのであり、それが、別の意味において、幸福を得ることになるのです。結婚は一種の契約であり、家庭生活を長く護るためには、捨てなければいけないものがあるわけです。(才能や徳によって例外的に異性運に恵まれる場合もあるが、そういう人に対しては嫉妬しないで祝福しておくと、自分にも運が向いてくることが多い。)(中略)
そのように、「選ぶ」「捨てる」ということが起きてくるのです。そのことを知ってください。「努力・精進」という名の代償が必要な場合、執着を捨てる、すなわち、自分が好んでいたものや、「欲しい」と思っていたものを捨てなければいけないことがあるのです。
(41~44ページ)
「代償の法則」がある以上は、「捨てる」ことによって幸福が得られることもある──。
この
「代償の法則」については、一度ご紹介しましたが、今日は、その続きです。
よくよく考えてみると、とても腑に落ちるお教えではないでしょうか。
要するにこれは、仏教で教えられる「執着を捨てよ」という真理について、別の角度から光をあてて教えてくださってるのだと理解できる気が私はしているのです。
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『生命の法』
大川隆法著 |
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