息子が帰郷中、久々に一緒に駅のキオスク本屋(田舎の当地の本屋代わり)に出向いたが、そのとき直感的に今の自分が求めている答となりそうなアシュラム体験記(Vipassana: The Journey of A Thousand Steps)を買って、昨夜で半分まで読み進めた。
Aravali hill(おそらく首都デリーからさほど遠くないラジャスタン州のMount Abu)にあるヴィパサナアサナのアシュラムだが、ライターでもある著者の実体験記は啓示に満ち、興味深い。
実はヴィパサナアサナについてはたびたび雑誌や新聞で目にしていたのだが、この本を読むまで詳細についてはほとんど無知に等しかった。
故人の在家聖者、ビジネスマンとしても成功を納めた故ゴエンカ師が創設した組織である。
インド在住歴の長い私はこれまでも、別派のヨガにいくつか触れてきたが、いまだにグル、導師と仰ぐだけの聖者には邂逅せず、現在は自己流でヨガのアサナや瞑想を行っているが、ヴィパサナ流派は、釈尊が編み出した原初の行法にのっとるもので、日本人の私にはしっくり来る部分もある。
人生は苦痛の連続というどちらかといえばペシミズムだが、それも、結局は生まれてきた最終地点が死に行き着くからである。どんなに高い地位に上り詰め、どんなに高い名声を得たところで、また巨万の富を積んだところで死は免れえず、人は手ぶらでこの世を去っていく。確かにそう考えると、死ぬために生まれてきた人生は苦痛以外の何物でもない。
生死を繰り返す輪廻の鎖を断ち切るコツが、ゴエンカ師の口を通してビデオ講習で語られるわけだが、何度も読み返さないと理解できない教えで、そのくせ少なくない精神世界書を読んでいる私には直感的に摑める部分もあり、立ち止まってしみじみ考えさせられるものがあった。
ちなみに、この教えは今書いている小説にも加筆しておきたいところだ。
ヴィパサナアシュラムで完全な沈黙を保って一日十時間半十日連続の厳格な修行体験をすることになった著者自身(四十代の二児の母)が、人生は苦という説には異を唱え、苦しいこともあるけど、楽しいこともある、私は生まれ変わるのを止めるためでなく、現在の葛藤を解消するために来たんだとアジテートするように、私も人生は苦しみのみならず、すばらしいこともあると反論したいが、再生を望む手合いはきっと精神レベルは低い、煩悩のやからなのだろう。
霊的にもっと高度なレベルになると、死ぬために生まれる連鎖を止めるために修行、もう生まれ変わって苦しまなくて済む、つまり生老病死を超えた至高の境地に導かれるのだろう。
この問題は書きだすと長くなるので、まだ半分しか読んでないことでもあり、読了したら、また改めて書評をアップしたい。
Aravali hill(おそらく首都デリーからさほど遠くないラジャスタン州のMount Abu)にあるヴィパサナアサナのアシュラムだが、ライターでもある著者の実体験記は啓示に満ち、興味深い。
実はヴィパサナアサナについてはたびたび雑誌や新聞で目にしていたのだが、この本を読むまで詳細についてはほとんど無知に等しかった。
故人の在家聖者、ビジネスマンとしても成功を納めた故ゴエンカ師が創設した組織である。
インド在住歴の長い私はこれまでも、別派のヨガにいくつか触れてきたが、いまだにグル、導師と仰ぐだけの聖者には邂逅せず、現在は自己流でヨガのアサナや瞑想を行っているが、ヴィパサナ流派は、釈尊が編み出した原初の行法にのっとるもので、日本人の私にはしっくり来る部分もある。
人生は苦痛の連続というどちらかといえばペシミズムだが、それも、結局は生まれてきた最終地点が死に行き着くからである。どんなに高い地位に上り詰め、どんなに高い名声を得たところで、また巨万の富を積んだところで死は免れえず、人は手ぶらでこの世を去っていく。確かにそう考えると、死ぬために生まれてきた人生は苦痛以外の何物でもない。
生死を繰り返す輪廻の鎖を断ち切るコツが、ゴエンカ師の口を通してビデオ講習で語られるわけだが、何度も読み返さないと理解できない教えで、そのくせ少なくない精神世界書を読んでいる私には直感的に摑める部分もあり、立ち止まってしみじみ考えさせられるものがあった。
ちなみに、この教えは今書いている小説にも加筆しておきたいところだ。
ヴィパサナアシュラムで完全な沈黙を保って一日十時間半十日連続の厳格な修行体験をすることになった著者自身(四十代の二児の母)が、人生は苦という説には異を唱え、苦しいこともあるけど、楽しいこともある、私は生まれ変わるのを止めるためでなく、現在の葛藤を解消するために来たんだとアジテートするように、私も人生は苦しみのみならず、すばらしいこともあると反論したいが、再生を望む手合いはきっと精神レベルは低い、煩悩のやからなのだろう。
霊的にもっと高度なレベルになると、死ぬために生まれる連鎖を止めるために修行、もう生まれ変わって苦しまなくて済む、つまり生老病死を超えた至高の境地に導かれるのだろう。
この問題は書きだすと長くなるので、まだ半分しか読んでないことでもあり、読了したら、また改めて書評をアップしたい。