インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

還暦バンドの魔術5(短編小説)

2017-05-20 17:16:12 | E全集(受賞作ほかの全小説作品、2017~)

エピローグ 

 一生忘れられないメモリーになったイヴの思い出深いコンサートから帰った後、年末千鶴は久々に福井の実家に戻った。明けて倉田に電話すると、新年会をやろうと誘われた。二人の実家から遠くない徒歩で行ける駅前東口の「千年の宴」がBGMにジャズを流していて雰囲気がいいというので、連れていかれた。
 個室で向かい合って正月の祝杯、熱燗の猪口を飲み干すなり、開口一番千鶴は倉田に拝まれた。
「いきなりで悪いんやけど、俺の曲に詞をつけてくれんやろか」
 またとっぴな提案だった。
「でも、私、歌詞ってのは一度も書いたことがないのよ」
「ほやけど、詩人になりたかったんやろ。ほれなら、問題なしや。現代詩の感覚で思うとおりに書いてもらえばええんや。曲先でも、言葉が合わんかったらあとで俺の方でうまくアレンジするさけ」
 千鶴は黙り込む。躊躇の気持ちが先にたち、どう返事していいかわからなかった。千鶴の迷いを見て取った男がおもむろに口を割って、粘り強く説得し始めた。
「のう、チズさん、俺たち、いい年やけど、もう一度二人で夢を見んか。俺は若い頃のミュージシャンになりたかった、不完全燃焼に終わった夢の無念さを晴らしたいんや。もちろんいまからプロというのは無理でも、アマチュアでもう一度バンド組んでやってみたいと思うとる。周りに音楽好きな奴らがいて、賛同してくれとるし。で、今デビュー曲作ってるとこなんやけど、言葉のほうは俺はどうも苦手で、仲間にも書けそうな奴がえんのや。ほんで、あんたにこうして頼んどるというわけや」
 結局、千鶴は無理矢理歌詞を提供する羽目に陥らされてしまった。

 まだ肌寒い早春の土曜、福井のライブハウスを借り切って、倉田が結成したバンドのデビュー曲披露会が催され、当日は千鶴も作詞家としてゲスト招待された。それに先立つこと、千鶴は倉田が作曲したメロディが録音されたCDを贈られており、バラード調の哀愁のこもった旋律を何度も聞いてるうちに湧き上げたイメージを元に作詞、一発でオーケーをもらったもので、曲のタイトルは「涙壺の奇跡」というのであった。古代ローマ時代戦争で恋人や夫と離れ離れになった女性が、相手を想って流す涙を溜めたといわれる、吸い口のついた透明な蒼いガラスのミニ容器を博物館で見たときのことを思い出して、書いたのだ。

「海のように蒼いギャマンの涙壺に
愛しい人を想って涙のありたけをこめた
血のような涙を振り絞って泣き明かした
夜がいくつも重なり
ガラスのミニ壺は悲しみの洪水であふれた
涙という涙がすっかり枯れ果てた朝
愛の奇跡が起こった
涙壺の苦い水が甘露に変わり
恋人が戦地から戻った
霊薬を飲み乾した男は媚薬に酔って
甘いキッスの雨を降らせる
Love is a Miracle
Don't cry
Smile again
I come back to you
もう泣かずに笑顔見せて
絶望のどん底の夜にも必ず愛の夜明けは訪れるから」

 夫に先立たれた妻が、命日に遺骨の入った石棺に穿たれた穴から悲嘆の涙を垂らす風習もあったといわれる古代ローマ時代、千鶴も一個の涙壺には納まり切れないくらい大量の涙を流したが、洪水のような涙の嵩はアジェイへの愛の大きさを物語っていた。が、歌詞では、喪われた恋人の復活を謳って希望の詩(うた)にしたかったのだ。

 高校時代の音楽好きの元級友二人を口説き落とし、さらにもう一人メンバーを加えて、東京での大学時代倉田が結成したという「エルドラド」はメンバーの顔ぶれも年齢も変わったものの、40年ぶりによみがえったのである。
 全員銀髪世代のシルバーバンドが、内輪の客の前に披露したデビュー曲のすばらしさに、千鶴は涙ぐむほど感動した。生で初めて聞いた倉田の声は、チェリーに優るとも劣らぬ美声で、聞きほれた。本当に自分の拙い詞がこんな美しい曲に生まれ変わるなんて、思ってもみないことだった。
 倉田のエレキの間奏でロック調にアレンジされたのも、アルゴを聴いているようで感心、男のミュージシャンとしての玄人はだしの才能に目を見開かされる思いだった。
 そして、居酒屋での総勢の打ち上げの後、二人だけで「千年の宴」で締めくくろうと誘われた千鶴はその席上、弾みでつい男に告げていたのだ。
「あのね、いつかの話、死ぬまでアルゴのコンサートに年二度は必ず、連れてってくれると約束してくれるなら、オーケーよ」
 自分が初めて書いた詞のようにその瞬間、愛の奇跡が舞い降りたのだ。喪われた恋人の復活はなかったけれど、新しい愛が降ってきたのだった。アジェイも、千鶴が似つかわしい老後のパートナーを得たことをきっと喜んでいてくれるだろう。若い頃アジェイに恋したような烈しい気持ちではなかったが、穏やかな友情にも似た関係、アルゴのファン同士で共に音楽を楽しめる仲間、頼りがいのある誠実なパートナーと出会えた奇跡に感謝する思いでいっぱいだった。
「ほんまか」
 男が飛び上がって喜んだことはいうまでもない。
「お袋や兄貴に、俺の嫁さん、見せんとなあ」
 実家訪問を約束させられながら、千鶴は幸せだった。アルゴがキューピッド役になってくれたのだ。赤いハートを抱いたキュートな子供の天使、去年のクリスマス、渋谷の楽器店で見たエンジェルギターが脳裏に蘇ってきた。
 アラカンの再婚、東京コンサート旅行がこのように意外な結末、幸福の扉を開いてくれるキーになろうとはいったい誰が予想したろう。千鶴は、取り持ち役になってくれたアルゴに感謝する気持ちで一杯だった。アルゴ号に乗って探検に出た旅でついに黄金の羊を見つけたのだ。いくつになっても夢を見ることのすばらしさを教えてくれた還暦バンドに万歳!(了)。


自作解説はこちら。

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