インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

昭和のディスコ・ムゲンの定番チークナンバー

2016-04-30 19:16:44 | ラッパー子息・音楽ほか芸能
七十年代の新宿のディスコ・ムゲンでよくかかっていた「メリー・ジェーン」、何年か前にも紹介したことがあるんだけど、とてもいい曲なので再紹介したい。
以前は歌詞入りの動画を紹介したが、今回は歌手つのだひろ(漫画家のつのだじろうと兄弟とは、知らなかった)がムードたっぷりに歌っている動画をどうぞ。

メリージェーン つのだ☆ひろ

ウイキによると、
作詞:Christpher Lyn(クリストファー・リン=蓮見不二男)、作曲:つのだ☆ひろ、編曲:成毛滋・葵まさひこ。
1971年6月につのだの所属したバンド「ストロベリー・パス」(1970年に結成されたバンドで、当時日本のトップギタリストとして人気を得ていた成毛滋がフード・ブレイン脱退直後のつのだ☆ひろ(当時は角田ヒロ)と結成)のアルバム『大鳥が地球にやってきた日』に収録された。この時のタイトルは「Mary Jane On My Mind」であったが、直後に現タイトルに変更した上でシングルカットされ、田原総一朗監督の映画『あらかじめ失われた恋人たちよ』(桃井かおりのデビュー作。共に岩波映画出身、劇作家の清水邦夫と、当時気鋭のテレビディレクターとして知られていた田原総一朗による傑作青春ロードムービー)の主題歌に採用された。
1972年7月に同一音源から間など数小節に編集を加えたバージョンがつのだ名義でのシングルとして再発された。
本楽曲は爆発的に売れたことはなく、発売から7年で50万枚を売り上げ日本フォノグラム (現:ユニバーサルミュージック) 主催「ゴールデン・ミューズ賞」を受賞した。
2005年現在で一説には累計売上は200万枚以上とも言われるが、レコード会社の改組や移籍後の再録音盤等があったため所属のレコード会社でさえ把握できておらず正確には不明である。


11年前で累計200万枚以上ってことは、今はもっと売れてるってことだな。

以下、赤坂ムゲンについてのページを引用。
伝説のディスコ「赤坂ムゲン」がオープンしたのは、今から40年前の昭和43年(1968年)の事でした。その当時はディスコとは呼ばれず、ゴーゴークラブと呼ばれていたように思います。その3年くらい前からモンキーダンス、ゴーゴーダンスが流行し新宿、赤坂、六本木、横浜にはゴーゴークラブが乱立し始めました。

そんな中での「ムゲン」のオープンでしたが、ムゲンが他のゴーゴークラブと違ったのは生の黒人バンドを出演させた事です。その当時、新宿ではグループサウンズが出演していたり、六本木ではフィリッピンバンドが主流だったので、「ムゲン」の黒人生バンドのR&Bの迫力には皆、圧倒されました。

店の内部もサイケデリックなイメージなのに大人っぽく豪華、フロアはそんなに広くはなっかたように記憶しています。

その当時の「ムゲン」に詳しい方の話によると来ていたお客さんが超一流の有名人ばかりで、三島由紀夫、川端康成、渋澤龍彦、渡辺美佐、丹下健三、小沢征治、横尾忠則、篠山紀信、三宅一生、コシノジュンコ、加賀まりこ、安井かずみ、沢田研二などなど、紀伊国屋書店社長の田辺茂一氏もステージに上がって踊っていたとの事、すごい顔ぶれですね。こうなるとディスコというより一種の日本の文化サロンですね。


私が七十年代後半通っていたのは、新宿ムゲン。当時ディスコがはやっていて、会社の飲み会の二次会なんかでもよく行ってた。父が急逝したショックから一人でやけくそに踊ってたら、ミュージックマガジンの編集者というひげ男にハントされたっけ。
「メリー・ジェーン」でチークを踊った人とは結ばれなかった。どうしているかなあ。ハンサムで誠実な人だったから、いいお父さん、いや、おじいさんになっているだろう。
コメント
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