インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

アジアの歌姫二十周年

2016-04-26 14:29:33 | ラッパー子息・音楽ほか芸能
日本滞在時、生前アジアの歌姫として隆盛を博した、テレサ・テンの伝記を読んだ。
「テレサ・テンが見た夢―華人歌星伝説」(1996、平野 久美子 )がそれである。
二つの中国に引き裂かれた運命の歌姫、いつかは中国大陸でコンサートをと夢見ながら天安門事件の民主主義弾圧で失望、夢を断たれたテレサの苦悩がにじむ力作で、後日金沢市の街中の玉川図書館でたまたま彼女のCDを見つけたので、いそいそと借りてきたのだが、これがいろいろ借りた曲の中では一番よかった。

お馴染みの「愛人」「つぐない」「時の流れに身を任せ」はじめの日本での全ヒット曲が納まった名盤でうっとり聞きほれたものだ。

そんなわけで、だいぶ前にこのブログでもアジアの歌姫というタイトルで、テレサを紹介したことがあるが、改めて取りあげさせていただくことにした。

国民党の軍人の娘として、台湾で生まれ、最後まで「一つの中国」を願ってやまなかったテレサ・テン、最後はタイで客死、数奇な人生を終えた(1995年5月8日、静養のためたびたび訪れていたチェンマイのメイピンホテルで気管支喘息による発作のため死去。42歳歿、同月28日に台北で国葬が執り行われ、世界各国から3万人ものファンが詰め掛け、棺は中華民国の国旗と国民党党旗で覆われ、台湾での国民的英雄ぶりがうかがえた)。

以下、透明感のある美しい歌声をどうぞ、懐かしんでください。

テレサ・テンDVD 「テレサ・テン メモリアルTV」
45分ごろのラストソング「悲しい自由」を歌う前の片言の日本語の挨拶が胸を打つ。天安門事件に胸を痛めていたテレサは自由でいたいと自由を誰よりも重んじる発言、時間がなくて全編観れない方もこの部分はお見逃しなく。

テレサの波乱万丈の人生の感動的なドラマもどうぞ。
麗君的故事~~

ウイキから一部引用。
テレサ・テン(Teresa Teng、1953年1月29日‐1995年5月8日)、中華圏で使用された名前は麗君(普通話:デン・リーチュン、台湾語:テン・ルクン)は、台湾出身の歌手。日本、中国(80年代には大陸でもひそかにテープが出回るようになり、「昼は小平、夜は麗君(テレサの中国語の芸名)が支配する」とまで言われるようになった)、香港、タイ、マレーシア、シンガポール、北朝鮮等でも絶大な人気を誇り、「アジアの歌姫」の名声をほしいままにした。
作品の累計売上は、控えめに見積もっても1億枚を超える。

2015年5月23日「テレサ・テン(トウ麗君)メモリアルコンサート~ 没20年追悼チャリティ音楽会~」が、 渋谷公会堂で行われた。司会は、徳光和夫で、3Dホログラム映像でテレサ・テンの中国語版「時の流れに身をまかせ」「月はわが心」の2曲が再現された。


*最後の恋人は15歳年下のフランス人男性(カメラマン)だったが、母親の反対があって結婚できなかったようだ。それ以前の若いときに(81年)、香港の富豪男性との熱愛、婚約解消が話題になったが、恋愛に関しても波乱に富んだ人生だった(上記ドラマを鑑賞ください)。
没後20年のテレサ・テン、最後の恋人と結婚しなかったのは「母親の反対」―香港紙
コメント
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