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「壺石文」 中 29 (旧)九月十一日(つづき)、十二日

(散歩道のアガパンサス)

今年もあちらこちらでアガパンサスが咲き出した。けっこう強い花である。

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「壺石文 中」の解読を続ける。

黄昏時にたどりつゝ、富山に登りて宿りぬ。主の大徳(だいとこ)、目はかたわにて、空目(上目)がちなれど、心は真(まこと)にて情けあり。
※ 富山(とみやま)- 松島を見晴らす標高116.8mの山。別名を「麗観」という。山頂には坂上田村麻呂が創建したという観音堂(富山観音)がある。宿った寺は大仰寺と思われる。

行き止まるをぞ宿と定むめる法師ばら二人来居て、東だみたる声遣いにて、共に物語す。諸ともに庭に降り立ちて眺めやるに、十一日の月、澄み渡りて海の面(おもて)いと清らなり。御山下ろしの冷やかなりければ、折々寺に入りて、柴火焚く。
※ ばら(輩、原)- 人を表す語に付いて、複数の意を表す。
※ 東だみたる(あずまだみたる)- あずまなまりの。(「東訛り」は東国地方の言葉のなまり。京言葉に比べて下品とされた)
※ 声遣い(こわづかい)- 声の出し方。物の言い方。口調。
※ 折々(おりおり)- 次第に。だんだん。
※ 柴火(しばび)- 柴を集めて焚く火。


十二日、暁に起きてもまづ庭に降り立ちて、とみこうみ見廻らせば、西の方遥かに、白う雪の降り積りたる山見ゆ。かれは何処ぞと問えば、最上わたりならんとぞ答(いら)うなる。
※ とみこうみ(左見右見)- あっちを見たり、こっちを見たりすること。また、あちこち様子をうかがうこと。

罷り申して、田づらの道を分けて、大路に出でゝ、小野矢本など云う町を経て、石ノ巻と云う湊に至り、新田と云う所に江(こう)を渡り来て宿りぬ。
※ 小野、矢本 - いずれも、現、東松島市の小野、矢本。

この家は田づらの磯際にて、楫(かじ)の音、波の声、枕に響きて耳かしがましきに、かたい法師、優婆塞(うばそく)放下師、陰陽師(おんみょうじ)、女、童べどもなど、廿人ばかり枕上(まくらがみ)に囲み居て、せうさい掛けさらぼいたる被布(ひきれ)様の物に俯(うつぶ)せつゝ、何やかやと言いしらうさま、いち/\むくつけし
※ かしがまし -(音や声が)大きくてやかましい。かしましい。
※ かたい法師(乞食法師)- こじき坊主。
※ 放下師(ほうかし)- 江戸時代に現れた、田楽から転化した大道芸を行なう者。曲芸や手品を演じ、小切子(こきりこ)を鳴らしながら小歌などをうたったもの。
※ せうさい - 不明。衣の一種と思われるが?
※ 掛けさらぼいたる(かけさらぼいたる)- 掛けてみすぼらしくなる。
※ 被布(ひきれ)- ひふ。着物の上に羽織る上着の一種。
※ しらう(れい)- 互いに(言い)合う。
※ むくつけし - 無骨だ。むさくるしい。無風流だ。


かゝる世離れたる海づらなれば、ようせずは白波などもたち混じりてんと思(おぼ)ほえて、微睡(まどろ)まれずなん。
※ ようせずは(能うせずは)- 悪くすると。ひょっとすると。
※ 露(つゆ)- 少しも。夢にも。(下に打ち消しの語を伴って、打ち消しを強調。)
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