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富士の人穴物語(18) 仁田四郎、極楽を見る

(四国52番太山寺極楽絵図)

今朝、当地にも雪が積もった。と行ってもうっすらと白くなった程度で、目を覚ました時には、日向の雪は消えていた。裏の畑は日陰のため、昼頃にも雪が残っていた。


(裏の畑の今朝の積雪)

午後、掛川図書館の文学講座に出席する。「浜松における井上靖」という演題であった。少年期の井上靖の様子が知れて興味深かった。

「富士の人穴物語」の解読を続ける。

さてまた、いざや九品の浄土、蓮台、花の台(うてな)、極楽世界を見せんとて、御供申すに、こゝに小金の橋あり。この橋は善人の極楽浄土へ参る橋なり。燈明輝きて、光明四方へ離れ、うんまん遠ければ、香薫、金銀の砂、珊瑚琥珀の法殿、迦陵頻伽の天人舞い下り、花降りかゝれば、廿五菩薩、音楽の御声、面白き事、言葉に述べ難し。
※ 九品の浄土(くほんのじょうど)- 極楽浄土。往生する者に九種の差異があるところからいう。
※ 迦陵頻伽(かりょうびんが)- 極楽浄土にいるという想像上の鳥。美声によって法を説くとされ、人頭・鳥身の姿で表される。


またこの仏の御住家、諸仏の御住家、阿弥陀の御住家、釈迦の御住所、薬師の住所、勢至、観音、地蔵、その外、諸仏、菩薩の住家残り無く拝せたり。これまた汝が不便(ふびん)なりとて、ここに住家は叶わぬ事なり。いざや本途に帰さんとて、弥(いよいよ)念頃に仰せける。さてまたこの双紙を渡し給うなり。
※ 本途(ほんと)- 本来の道。本来のありかた。
※ 双紙(そうし)-「絵草紙」「草双紙」などの略。


汝に拝せける地獄、極楽、自ら双紙に書きて取らするなり。これを起りの、眼に納め、三十一才と云う年、伊豆の山にて日本へ弘むべし。地獄、極楽と有りと云えど、終に見たる者なしと云う者に、この双紙を見さすべし。また仁田へ娑婆にて能く語れ。

地獄の数が一百三十六地獄有り。それに閻魔大法王、九垩神、五道の冥感、皆々仏の化身なり。無間地獄、叫喚地獄、阿鼻地獄、大叫喚地獄、等活地獄、みょうかつ地獄、紅蓮地獄、大紅蓮地獄、釼の山と云うなり。また極楽は九品の浄土、釈迦如来の浄土と云うなり。獄卒の数が八万四千あり。中にも思(おぼ)しき鬼は、牛頭、馬頭、おんづ、めづ、五色の鬼、阿房羅刹なり。
※ 九垩神(きゅうあくしん)- 意味不明。「垩」は「白亜」で白土の意。(例、白亜の殿堂)
※ 冥感(みょうかん)-(仏)知らないうちに神仏が感応して加護や利益を授けること。冥応。


娑婆にて機嫌よく後生願う者、早や極楽の仏の帳面の内なり。また悪心の者、明け暮れ喧嘩口論して腹立てる者、地獄の罪人の帳に記すなり。娑婆にて心の後生、慈悲有る人、この事にて福貴なり。悪事災難なし、また明け暮れ悪心の者、今生は貧なり。病の難尽きぬなり。
※ 今生(こんじょう)- この世。この世に生きている間。

娑婆にて人を打擲するは修羅道なり。我も喰わず、人にもくれぬは餓鬼道なり。また親兄弟と夫婦事する者は畜生道なり。この娑婆は六道地獄の内なり。人道地獄なり。この身も身より、餓鬼、畜生、修羅道へ落ちるなり。それゆえ、上人、知識、尊位、尊官の人々、後生大事と願うべし。
※ 知識(ちしき)-(仏)仏法を説いて導く指導者。善知識。
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