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富士の人穴物語(12) 仁田四郎、地獄の責めを見る(四)

(庭のサザンカの花)

「富士の人穴物語」の解読を続ける。

また先へ行(めぐ)るれば、舌を二尋(ふたひろ)ばかり抜き出して、歎き叫ぶ罪人あり。是は娑婆に有りし時の人が地獄の事を語れば、地獄は有るやら無いやら、見て来る者もなしと、色々大事のことを云い乱し、疑ぐり深き者なり。人がよき事を云わば尋ねて聞き、悪事を云わば耳を塞ぎて聞くべからず、と浅間仰せける。

急ぎてここへ行(めぐ)りて見れば、衣を綏(ひも)に巻き、無間の鐘の端を這い廻る法師あり。既に踏みはずして落るも有り。これは娑婆にて身を悪く持ち、田畑ども作らず、または博奕を数寄(すき)、親の命は終りて後、坊主と成り、仮名の壱つも知らずして、もの知り顔をして仏法に入るとも、海の魚の海に住みながら、汐の差引を知らぬごとくなり。人目をくらまし、当座の事ばかりにて、後生の事を夢々知らず。ものごと胡乱にて、我ままに振るまい、部屋坊を持ちては奢りなどして、あちこちと彷徨いし坊主なりとぞ仰せける。
※ 無間の鐘(むげんのかね)- 静岡県、佐夜の中山にあった曹洞宗の観音寺の鐘。この鐘をつくと現世では金持ちになるが、来世で無間地獄に落ちるという。
※ 胡乱(うろん)- 確かでないこと。真実かどうか疑わしいこと。また、そのさま。


また傍らを見るに、瓔珞、花錺りの籏をさゝせて、吹く風にひらめかし、隅々に鈴を連ねし玉輿に乗りて、女房通りける。天女たち、各様凝らして連らなり、極楽へ赴くなり。
※ 瓔珞(ようらく)- 珠玉を連ねた首飾りや腕輪。
※ 各様(かくよう)- それぞれに違ったようすであること。さまざま。


仁田四郎、ここを尋ね申すに、あれは常陸と奥州の境、岩城の藁田郡植田村と云う所の、さる者の女房なり。福貴の家に生れても終に奢らず、貧しきなる人を忘れず、中にも五賦まで持ち、三宝を常に信心に、心に慈悲を第一とするなり。寒(ごごえ)る者には衣装を着せ、空腹ものには喰物を取って、仏の御前に香を盛り、花をさゝげ、念仏題目を大切に念じ、法事供養に施行を引き、後生を大事と思いし女なり。今生の節は一日/\と過し語りしなり。長き後の世の罪を知るべし、今の先立ちを見て、我が心を悟れ。夢のまた夢事に露の命なるぞ、と大菩薩仰せける。

ここも過ぎ行きて見れば、美しき色衣を着たる坊主どもを、鬼ども四方八方へ引き張り、火に焙(あぶ)る所あり。これは娑婆にてよき位の坊主なり。よき寺を持ちて、人の志を受けて、仏に頂奉を致し、ただ人の志無しとばかり云う。御経、陀羅尼も読まず、人の志厚く請けしものなり。俗には奢りたる坊主、死ねば焼きて油を取るなり。能々人々に語り聞かせよと大菩薩仰せける。
※ 陀羅尼(だらに)- 梵文を翻訳しないままで唱えるもので、不思議な力をもつものと信じられる比較的長文の呪文。
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