団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★「道」と「教え」と「つながり」がもたらす日本文化

2023年12月22日 | 神道

 日本の神道が一神教と違うことを知ったのもネットのおかげだったような。それを教えてくれたのもねずさんだったような。

  今回も、ねずさんが書いてくれています。明治維新の頃の新しい翻訳により宗教という言葉を作ったのが勘違いの元だったようです。
  やはり、明治維新の功罪はいろいろあるようですが、こういう西欧崇拝も問題があったことは間違いないようです。
  もう一度見直してみる必要もうあるのじゃないでしょうか。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねず さん のひとりごとより   2023/12/20

   「道」と「教え」と「つながり」がもたらす日本文化


  ・・・略 

  最近よく、「こうすれば人生をひらくことができる」とか、「こうすれば幸せになれる」、「こうすればビジネスで成功できる」といったハウツー(how-to)ものが流行りです。
こうしたハウツーは、方法や手順を教えるものですが、現実には、そのとおりに実践したからといって、必ずしも幸せになれたり、ビジネスで成功できたりするものではありません。
このことは、「こうすれば成績が上がる」、「こうすれば受験で合格できる」といったハウツーは、なるほど合格のための近道を教えてくれるものではあるけれど、結局のところ、本人がモチベーションを維持してまじめにコツコツと勉強しなければ、決して成績があがることはないことを考えれば、明らかなことではないかと思います。

 つまり教えというのは、わかりやすくするためにすこし極端に例えれば、合格のためのハウツーです。
けれど合格するかどうかは、受験の当日までの道を、まじめに一歩一歩積み重ねることができたかどうかによって決まります。

 日本人の宗教観が、ここにあります。
日本人は、自分が人生という道を歩むにあたり、日々コツコツと仕事や育児、良好な人間関係等に励むとともに、それらをより良いものにしていくためのハウツーとして、読書もするし、勉強もするし、世界中のあらゆる教え(その中にはキリスト教も、回教も、ヒンズー教も、儒教も道教も、あるいは新興宗教さえも)得ようとします。

 仏教も、もともとは釈迦の教えですが、日本に来て、日本化したといわれています。
それがどういうことかというと、仏教(ぶっきょう=仏の教え)が、仏道(ぶつどう=仏になる道)化したということです。
人によっては、これを日本教と呼ぶ人もいますが、道と教えは異なりますので、やや紛らわしい表現だと思います。

 そしてこのことは、日本文化の大きな特徴でもあります。
なぜならその文化の根幹が、「支配」にあるのか「自由」にあるのかの違いでもあるからです。

 国王が支配する、あるいはひとにぎりの大金持ちが支配する、あるいはディープステートなるものが人々を支配する。
そうした支配の社会においては、人々が支配に従う「教え」が必要になります。
なぜなら人々が自らの「道」を求めるようになったら、支配者の言うことなど聞かなくなるからです。

 日本は稲作の国です。
米作りは、民間の仕事です。
民間が、上から言われて仕方なくお米を作るのではなく、自分たちが食べるためにお米を作る。
そしてそのお米を、みんなで二年分(つまり新米と古米)を備蓄することで(古古米から食べることによって)、万一の天然の大規模災害が各地で起きたとしても、互いにお米の融通をし合うことで、互いに災害から生き延びることができる。
このお米の融通を調整するための公正な機能が朝廷です。
日本人が、なんだかんだ言いながら、どこかで政府を信頼しているのは、こうした長い伝統があるからです。
そして役人には、常に無私や公正が求められるのも、そのことが日本人の生存のために必要不可欠なことであったことによります。
そして、役人が権力を行使するにあたり、天皇という国家最高権威によって、民衆を「おほみたから」としました。

 こうした一連の流れのなかに、我が国の国民の主体性が育まれています。

 ところがいつの世にも、そうした社会体制を悪用して、我が身の贅沢を図ろうとする者が現れます。
これを許さない社会を築くための方法は、二つありあります。
ひとつは、武力をもって悪を許さないこと。
もうひとつは、民衆の中に、高いレベルの教育と、文化が育てることです。
日本が選択したのは、後者です。

 人が正しく生きる道のことを、人道と言います。
人道が大切であることは、万国共通の常識です。
けれど人道は、教えではありません。
教えを通じて得る結果が、人道です。
これが「宗教」と、「神道」の大きな違いです。
これが日本文化の大きな特徴です。

 日本で神道と仏教が融合できたことを不思議に思う人がおいでになります。
全然、そうではないのです。
日本人は、人として歩む道を得るため、さまざまな「教え」を得ようとしてきただけのことだからです。

 神道と仏教の融合のことを「神仏習合」と言います。
それだけではありません。
日本では、儒教もまた神道と融合しています。これを「神儒融合」と言います。

 お隣の国を視たらわかりますが、お隣の国にも儒教、仏教、道教などがありますが、それらは決して融合しません。
なぜならそれらはすべて「教え」だからです。
けれど、「教え」の前に「道」という概念がないのです。
だから、すべての教えは、私利私欲のために用いられることになります。

 そういう意味で、「道」を根幹における日本人は幸せです。
なぜなら、すべてを「つなげる」ことができるから。  

  それにしても日本の神道は素晴しいですね。この先人の知恵を大事にしたいものです。


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