団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

インパールの戦い

2017年10月18日 | 誇れる日本

  ねずさんが何度も書いてくれている「勇気とやさしさ〜パラオ・ペリリュー島の戦い」は、難度読んでも、先人の凄さに驚き涙が止まりません。
  こんな、素晴らしい先人を、GHQなどによる洗脳によるとはいえ、尊敬どころか貶め、靖国参拝もしない日本人は余りにも悲しいですね。

  そういう私も、ネットでねずさんに教わるつい最近までは全く知らなかったのですから、目くそ鼻くそを笑うの世界です。

  もう一つ、ねずさんが何度も取上げてくれる白骨街道があります。これも、全く知りませんでした。
  何度読んでも、先人の凄さ、素晴らしさに感動させられます。今の日本人に、この真似ができるでしょうか。

  何時ものように、リンク元で全文を読んでください。

  大和心を語る ねずさんのひとりごとより  2017年10月10日

  インパールの戦い

  三つ目の不思議はその軍規である。
餓鬼や幽鬼のような姿で山中を引き揚げる日本の将兵たちが、だれ一人、退却途中の村を襲っていないのです。
既に何日も食べていない。
負傷もしている。
病気にも罹っている。
けれどビルマ人の民家を襲って食物を奪い、家畜を殺し、ついでに女を犯すといったことは、まったく伝えられていません。

 銃を持った敗残兵がそうのようなことをするのは世界史の常識です。
戦場になったビルマ人たちは戦中も戦後も、日本軍に極めて好意的であったと聞くのは、そういう不祥事がなかった証拠です。

 更に驚くべきことに、戦後のインパール戦記は沢山書かれたけれども、民家を襲うようなことはしなかったと誇る記述を誰一人も残しておられないのです。
戦争に関係のない民家を襲わないなんて「当たり前」のことだったからです。
むしろ、退却途中でビルマの人に助けて貰った、民家の人に食事を恵まれたと感謝を書いている例が多いのです。
それが日本人だった。
そういう生き方が我々の祖父や父の若き日であったのです。…中略

 実際、インパールで日本軍と戦った後、インドに起きた独立運動に対する英国駐留軍の対応は、当時の帝国主義国家の植民地対応として、あまりにも手ぬるくなってます。
やる気が感じられないのです。
ガンジーたちの非暴力の行進に対して、ほとんど発砲もしないで通しています。
以前の英国軍なら、デモ集団の真ん中に大砲を打ち込むくらいのことはしていたのに、です。

 そして、戦後の東京裁判で、英国はインドがパル判事を送り、パルが日本擁護の判決付帯書を書くことについて容喙していません。
そこに私はインパール作戦が世界史に及ぼした大きな、真に大きな意義を感じます。
戦後左翼評論家の「ああだ、こうだ」のご託宣よりも、現実にあった歴史の後に、どういうことが起きたかをキチンと見ることの方が余程真実に迫るのではないかと思うのです。

  日本人って、本当に素晴らしいですね。と言うか、やはり先人であって、今の日本人じゃないですね。一日も早く目を覚まして、すこしでも先人に追いつきたいものです。

  それにしても、教育の恐ろしさをつくづく思い知らされます。戦後、本当の歴史を教わっていれば、日本は、凄い国になっていたでしょうね。
  その証拠が80年代に一線を退いた戦中派の経営者を継いだ戦後の経営者による日本の体たらくでしょう。もう一度先人の心を取り戻し、世界を導く国になりたいものです。

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『ねずさんと語る古事記 参』が発売

2017年10月06日 | 誇れる日本

  ねすさんの百人一首以来、久し振りに図書館に購入以来をした、3月6日、第991回の「『ねずさんと語る古事記 壱』が発売」が、もう半年になるにも関わらず未だに連絡がありません。
  その間に、弐・参が発売になってしまいました。購入できない場合は連絡があるということなので、じっと待っているのですが、そろそろ確認する必要がありそうです。

  それにしても、極貧は悲しいですね。本の一冊も買えないのですから。今年になって、未だに一円の小遣いも使っていない私にとっては、一冊の本の購入は無理です。残念。ということで、じっと我慢で待ちましょう。

  発売日は10月7日だそうです。

  ねずさんが参について要約してくれています。何時ものように、全文をリンク元で読んでください。

  大和心を語る ねずさんのひとりごとよ り   2017年09月26日

  『ね ずさんと語る古事記・参』について

  …略

  また、第二巻の後半のところで、大国主神と須勢理比売の歌の応酬がありましたが、古事記がここで長々と歌の応酬を記述してい た理由も、実はここで明らかになります。
大国主が築いた国家の魅力的な性格を事前に明らかにすることで、中つ国平定に際しての天菩日神や、天若日子の苦労や苦心が決し て、単純な裏切り行為のようなものではなかったことが明らかになるのです。

 そしてこの章の末尾に、建御雷神(たけみかづちのかみ)が登場します。
有名な、
「汝のウシハケルこの葦原中つ国は、
 我が御子の知らす国と仰せである。
汝の心やいかに。」
という言葉が出てくるシーンです。

 ここでシラスとウシハクの対比が、あざやかに明らかにされるのですが、ここの解説は私がこれまでにシラスを様々な角度で解説して きたことの、ある意味集大成といえる内容を書いているところです。
是非ともご一読いただきたいところです。

 そして国譲りが行われるのですが、ここで事代主神が後に恵比寿天となられたことなども、それが何故かということを古事記の原文に 基いてご紹介させていただいています。
そんなこと知っているよという方でも、おそらく目からウロコの解説になっていようかと思います。…以下略

  シラスとウシハクをきちんと読んでみたいものです。と言うか、これは、日本国民必読の書でしょう。日本人が自虐史観から目を覚ます為には絶対に必要です。

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トケイヤーさん、樋口少将の番組制作へ

2017年10月02日 | 誇れる日本

  ユダヤ人を救うために満州国境に列車を送ったり、ソ連から北海道を守ってくれた樋口季一郎さんという素晴らしい人を知ったのは、何時ものねずさんのブログからでした。

  その樋口さんの番組を、ユダヤ人のトケイヤーさんが製作するのだそうです。どんな番組が出来るのでしょう。その番組を世界で公開してもらいたいものです。

  産経ニュースより   2017.9.20

 【きょうの人】マー ビン・トケイヤーさん ユダヤ人救出、樋口少将の番組制作へ 日本人の恩「忘れられようか…」

  日本とユダヤ人との交流に関する講演や著作が評価され、ニューヨーク日本総領事館を通じて今年2月、「旭日双光 章」を贈られた。「1930年代、苦難にあったユダヤ人に対する日本の好意的態度を世界に知らしめた」と同館から最大限の賛辞が 寄せられた。

 ナチス・ドイツに虐殺された親族を持つ母親のもと米国で生まれた。60年代を中心に約10年間、ユダヤ教ラビ(宗教指導者)な どとして日本に居住。「日本は、心が落ち着く国だ」。日本への愛着は限りなく深い。

 日本とユダヤ人との交流を描くドキュメンタリー番組制作に近く着手する。中心人物は、日独防共協定が締結された30年代、ナチ スに追われシベリア鉄道で満州国境まで逃れてきたユダヤ人を満州側に受け入れ、脱出させるきっかけを作ったハルビン特務機関長、 樋口季一郎(当時少将)だ。

 日本ではユダヤ人に「命のビザ」を発給した杉原千畝氏が有名。だがその2年前、共闘していたナチスににらまれることを承知でユ ダヤ人を救った少将に関し「イスラエルでは(功績者を示す)ゴールデンブックにその名が刻まれている」と明かす。「逃げまどうの が自国民でないのに(日本は救出用の)列車まで国境に差し向けてくれた。どうして忘れられようか…」

 貧国・日本は日露戦争の際、ユダヤ人銀行家の支援で未曽有の国難を打開した歴史がある。少将らの行為は恩返しの側面も持つ。

 日本滞在中に生まれた子供たちの旅券に「日本生まれ」と記されているのを「誇り」と言ってはばからない。日本とユダヤ人の “絆”進展を願う一人だ。(黒沢潤)

戦後70周 年 奇跡の将軍・樋口季一郎


  世界でも知ってほしい人ですが、それ以上に、日本で隠されてしまっていて、殆どの日本人が知らないのが問題でしょう。
  一人でも多くの日本人が、こうした先人の素晴らしさを知って、日本を誇りに思うようになる必要があります。これも、教育の改正ですね。
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インパールの戦いと日本の若い兵士たちから学ぶべきこと

2017年09月05日 | 誇れる日本

  反日売国左翼・在日NHKの狂いっぷりを、8月22日、第 1160回の「NHK も発狂」で、「NHKスペシャル」の捏造を取り上げましたが、それだけではなかったようです。

  インパール作戦も貶めたようです。何時ものねずさんが取り上げてくれています。

  ねずさんには、沢山の素晴らしい日本を教えてもらいましたが、何度読んでも涙が止まらないのが、インパール作戦の日本兵の規律の素晴らしさです。同じ状況で、同じことが出来る自信は全くありません。何とも、素晴らしい先人に、涙せずにはいられません。
  こんな素晴らしい先陣を貶めるNHKには日本人はいないのか。

  何時ものように、全文をリンク元で読んでください。世界一の凄い軍隊です。 
 
  大和心を語る ねずさんのひとりごとよ り   2017年08月27日

  イ ンパールの戦いと日本の若い兵士たちから学ぶべきこと

  「放送すべきこと」ということがあると思います。
先日聞いた話しですが、8月15日の終戦特集でNHKが、インパールの戦いの特番を組んだのだそうです。
相変わらず、糧食を持たない戦いだったとか、自軍兵をただ闇雲に殺した無謀な戦いだったとかいう切り口の酷い放送内容だったそう です。
なるほど負け戦だったことは史実ですが、敗けたからといって、ただ卑屈になったり、一軍の将の悪口を並べ立てることは、それはた だの評価の押し売りであって、歴史ではありません。
歴史と史実は違います。
学ぶものが合理的に説明されて、はじめて歴史です。
その意味で、ただ貶めるためだけの放送は、評価の押し売りのために史実を並べただけのものであって、歴史の名に値しません。
このような履き違えは、日本人の感性にはもともとなかったものです。
いったいどこの国の人が番組をつくっているのでしょうか。
日本語を話していたら日本人ではありません。…中略

 インパールの戦いといえば、「無謀な作戦だった」とか、「牟田口中将が馬鹿だった」とか、そんな話しか出てきません。
もちろん負け戦ですから、軍事的な意味での反省と総括は必要なことだろうと思います。

けれど、それは軍事のご専門の方々にとって必要なことであって、私たちに必要な情報ではないと思います。
そんなつまらない犯人探しより、3万8千人が飢えて死んでいっても、それでも誰一人、日本人として盗みをしなかったという事実 を、わたしたちはしっかりと受け止めるべきではないかと思うのです。
  
  この素晴らしい先人と、現在の人が同じ日本人とは到底おもえません。教育一つで、人間ってここまで劣化することに恐怖を覚えます。

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国内に現存する8機の零戦

2017年09月05日 | 誇れる日本

  ゼロ戦大好きの私ですが、未だに実機を見たことがありません。一度は見てみたいものですが、その機会はないだろうと諦めています。

  そのゼロ戦が、日本に何機現存しているかも全く知りませんでしたが、産経さんが詳しく取り上げてくれています。
  想像していたより多いようです。と言うか、もっと少ないと思っていただけのことです。本当は、もっと残っていてほしかったですね。
  これも、自虐史観の影響が大きいのでしょう。何と言っても、三菱自体が飛ばすことへの反対の声を恐れて自粛しているらしいくらいですから。何とも、情けないことです。

  産経ニュースより   2017.8.26

 【い まも飛ぶ大戦機】アナタの街の近くにも!? 国内に現存する8機の零戦

  第二次大戦で使用された日本の兵器は、終戦とともにそのほとんどが焼かれ、現存するものは極わずかである。零 式艦上戦闘機においてもそれは同様だ。零戦は、国産機としては空前絶後の1万400機あまりが生産されたが、終戦後70年以 上が経過したいま、その原型をたもつ機体は数少ない。しかし、その希少な零戦のうちの数機は、日本国内で常設展示されてい る。
【零戦21型複座改造型/国立科学博物館】ラバウル海軍工廠で複座に改造された珍しい型式。国立施設に展示されているが、日 本大学教授・石松新太郎氏の寄贈品だ(Photo:Atsushi

 国立科学博物館に展示されている零戦21型複座改造型。ラバウル海軍工廠で複座に改造された珍しい型式 (Photo:Atsushi "Fred" Fujimori)

 非常設展示機や実物大模型などをのぞくと、国内の博物館や記念館が収蔵する零戦は8機。以下のリストを見れば一目瞭然だ が、関東以西には、常設展示されている希少な零戦がほどよく分布している。案外、本物の零戦とお目にかかれる機会は身近にあ るといえる。

 関東地方

 ・零戦21型複座改造型(国立科学博物館/東京都台東区)
 ・零戦52型(靖国神社遊就館/東京都千代田区)

  中部地方

 ・零戦52甲型(航空自衛隊浜松広報館エアパーク/静岡県浜松市)
 ・零戦52甲型(三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料館/愛知県西春日井郡 ※展示物  整理・点検中のため現在は閉館 中)

  中国地方

 ・零戦62型(呉市海事歴史科学館 大和ミュージアム/広島県呉市)

  九州地方

 ・零戦32型(筑前町立大刀洗平和記念館/福岡県朝倉郡)
 ・零戦52型(海上自衛隊鹿屋航空基地史料館/鹿児島県鹿屋市)
 ・零戦52丙型(知覧特攻平和館/鹿児島県南九州市)

 「先の大戦」の伝承に関しては、日本国政府よりも地方自治体のほうが、はるかに活性化しているといえる。とりわけ西日本の 地方自治体は、熱心に博物館・記念館を設立することで、後世への伝承に力を注いでいて、現在も複数館が計画・準備中という。

 また諸外国でもリスペクトされている零戦は、5機の飛行可能機を含む16機が、各国の航空博物館などに展示されている。そ の中から「さすがは博物館先進国!」と、感心させられる展示方法の零戦を、併せて写真でご紹介したい。(文・エイ出版社


  世界でも16機とは、本当に少ないですね。その半分が日本にあることは奇跡かも知れないですね。
  今の技術で、三菱当たりが再現して貰いたいと思うのは私だけでしょうか。どの程度の性能になるか興味があります。

無理でしょうね!
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下田歌子 ~「ゆりかごを揺らす手が世界を動かす

2017年08月21日 | 誇れる日本

  何時もの「国際派日本人養成講座」が、下田歌子さんという素晴らしい明治の女性を紹介してくれています。
  読んでいると、自分の生き様と全く逆であることに恥じずにはいられません。

  やはり、日本の女性は素晴らしかったですね。明治から大正・昭和と明治維新以後西洋文化を取入れることにより、日本人がどんどん劣化し、敗戦以後、GHQの工作もあり、日本人の劣化は究極まで来たしまったようです。
  
  全ての日本人にこうした先人の凄さをしってもらいたいものです。特に、反日売国左翼・在日共に、こうした先人の素晴らしさを勉強してもらいたいところですが、受け付けないのでしょうね。本当に気の毒な人達です。

  日本人が、日本の歴史の素晴らしさをきちんと知れば、再生も間違い無いでしょうが、それを邪魔する教育界などが、まだまだ跋扈しているので、前途は多難です。

  全文は、長いので、是非、リンク元で読んでください。  
  
  国際派日本人養成講座より    2017/08/13

  No.1020 下田歌子 ~「ゆりかごを揺らす手が世界を動かす」

  歌子は平安王朝の官女そのままの姿で、ヴィクトリア女王の謁見に臨んだ。

  ■1.バッキンガム宮殿での平安朝衣装

 1895(明治28)年5月8日、教育者として英国留学中の下田歌子はヴィクトリア女王との謁見を許された。大英帝国の女王の前に出るのは、日本女性としては歌子が初めてだった。

 華やかな飾りをつけた馬車が続く中の一台に、背筋をピンと伸ばした歌子がいた。その姿は日本の平安王朝時代の官女そのままの衣装だった。髪は長く後ろに垂れて櫛を指している。待合室で朗々たる声で名を呼ばれると、スッと立ち上がった歌子の姿に、驚きと賛美の入り交じった、かすかなどよめきが起こった。

 当時の駐英公使の青木周蔵は明治の欧米崇拝主義の権化で、古くさい平安朝の衣装で謁見するなどとんでもない、と陰口を叩いていた。この人物はドイツ在勤中に日本の妻を強引に離別し、ドイツ人女性と結婚している。当時の英国の紳士淑女が、この欧米崇拝者をどんな目で見たか想像に難くない。そんな人物の声を無視しての衣装だった。

__________
 私は、この時、型ばかりの洋服の礼装を持たないではありませんでした。しかし、私が考えましたには、洋装にならわぬ東洋の夫人が、しかも粗末極まる準備で、いかに心を尽くしても、到底英国の宮廷の貴婦人と肩を比べるわけにはまいりません。[1, p62]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ヴィクトリア女王は、日本の宮中の衣装は単純にして最も気高き気品を示すものだと、評価した。翌日の『タイムズ』紙もその美しさを称賛した。


 ■2.身だしなみの極意

 歌子がわざわざ平安時代の衣装で女王に謁見したのは、見栄を張ったり、女王の気を引くためではなかった。弊誌でも紹介した『女子の武士道』[2, a]の著者・石川真理子さんは、西洋のドレスは「自分の美しさをアピールするための装い」であるのに対し、日本の着物は「相手のための装い」である、と指摘している。[1, p48]

 日本の女性が英国の女王に敬意を込めた衣装を考えれば、それは日本の宮中で天皇皇后の御前にでる時の衣装であった。そのような「心尽づくし」が外に現れた結果が、女王や『タイムズ』紙の称賛であったのだろう。

 歌子は後に身だしなみについて、こう言っている。

__________
 身だしなみは自分を美しく見せるという考えよりも、高尚に端正にして、他人に失礼に当たらず、むしろおのずから相手に敬意を起こさしめる、というようにありたいものであります。美麗艶美というよりも、高潔、清楚というほうにありたい。それすなわち身だしなみの極意であろうと存じます。[1, p50]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

  画像


 そんな歌子の心遣いは、女王の心にも響いた。謁見の場では、歌子はヴィクトリア女王に請われるまま、日清戦争や日英同盟から、日本の婦道や武士道、女性の着物、そして日本という国家について答えた。

 理知的で気品にあふれ、しかも奥ゆかしい歌子に、女王は関心を抱いた。そして、歌子はその後もたびたびバッキンガム宮殿に召し出され、女王と親しく会食したり、1時間半も談話に興じたりした。

 拙著最新刊『世界が称賛する 日本の教育』[b]では、江戸時代の古典教育を受けた青年たちが、明治日本の近代化を達成したという「逆説」を述べたが、同様に古典教育を受けた歌子が、ヴィクトリア女王にかくも認められたのも、同様の逆説だろう。…以下略

  こちらも素晴らしい。

  No.869 日本女性の矜持 ~『女子の武士道』から   2014/10/05

 「おなごは大黒柱を支える大地」…以下略

  こういうのを読むと、生きているのが恥ずかしくなります。情け無い人生をおくってきたものです。
  とは言いながら、こうして先人の素晴らしさを知っただけでも有難い。日本に産まれた素晴らしさを噛み締めて死んでいけるというものです。それだけでも、生きてきた価値はあるのかも。

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聖徳太子の和と悟り

2017年07月25日 | 誇れる日本

  「不当な日本批判を正す学者の会」を、立ち上げ、6月26日、第 723回の「保 守系学者がデービッド・ケイ氏の報告に反論」でも取り上げた要に日本の為に戦ってくれている田中英道さんが、何時もの中山恭子さんの【日いづる 国より】の2度目のゲストとしれ、リベラリズムの欺瞞を語ってくれています。
  


 参考:フ ランクフルト学派

 続きで、その、西洋かぶれのリベラリズムなんか足元にも及ばない素晴らしい日本を作ってくれば聖徳太子の偉大さを語ってくれています。


  兎に角、戦後の自虐史観に犯された日本人が日本の本当の歴史を知ることこそが、日本再生の為に絶対に必要です。自虐史観に犯された日本では、再生は不可能です。

  一万円札の肖像をもう一度聖徳太子に戻すべきかもしれません。

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起きてから対処するか、起きないように努力するか

2017年07月22日 | 誇れる日本

  「テロ等準備罪」の騒動の時、直ぐに思ったのが、ねずさんが教えてくれた「明察功過」です。
  日本にこんな素晴らしい考えがあったことを全く知りませんでした。それが日本中に行き届いた時代が江戸時代で、吉宗の時代に20年間牢屋が空だったという話には感動しました。

  つまりは、そこまで素晴らしい国を造り上げてくれていた先人の凄さと、「テロ等準備罪」に反対する現代の日本人との差に愕然としたものです。

  ねずさんが、何故、それを書いてくれないのだろうかと不思議に思っていたのですが、やっぱり書いてくれました。

  何時ものように、是非、全文をリンク元で読んでください。

  大和心を語る ねずさんのひとりごとよ り   2017年07月11日 

  起 きてから対処するか、起きないように努力するか

  …略

  そういう意味でしたから、明治時代の警察官は江戸時代の奉行所の考え方を受け継ぐ「駐在さん」と呼ばれ、近隣の住民からたい へんな尊敬を受けていました。
これには、その駐在さんとなった方々の多くが、もと、藩士であったということも影響していたかもしれません。
こうしたことが現実になることができていたのは、駐在さんと民衆の信頼関係がしっかりと確立され、駐在さんと民衆が敵対関係、対 立関係ではなく、どこまでも一緒に治安を図る仲間であり、役割の分担であると考えられていたからにほかなりません。

 それが明治の中頃から隣国人が国内に増え、特に戦後はその隣国人が三国人を名乗って国内で暴力行為を公然と働き、これを取り締ま るために警察権力を復権させたら、今度はその警察を交えて仁義なき戦いを繰り広げるというていたらくとなりました。・・・以下略

  明治維新以後の日本人の劣化は、戦後の自虐史観により究極まで来てしまったということでしょう。
  もし、ここで、日本人が目覚めることがなければ、消滅まで行くのじゃないでしょうか。

  やはり、一日も早く目覚めて再生に向かって動き出す必要があります。それとも、消滅しますか。

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★歴史の転換点 を目撃する人とは

2017年07月20日 | 誇れる日本

  反日売国左翼・在日共の日本破壊活動に、まんまと乗ってしまう平和ボケ日本人にがっかりさせられます。
  安倍さんも、匍匐前進が酷すぎて、奴等に付け入られてジリ貧になっています。いずれ、盛り返してくれるとは期待していますが、日本人が目覚めない限り危ない。

  そんな、未来に対する絶望を払拭してくれる希望を、何時ものねずさんが書いてくれています。

  何時ものように、全文を是非リンク元で読んでください。希望が沸いてきます。

  大和心を語る ねずさんのひとりごとよ り   2017年07月09日

  歴 史の転換点を目撃する人とは

 「日本の国のカタチとは」といった話になりますと、たいていの教科書や評論家の先生方の切り口は、「日本は三権分立の国」、 「日本は国民主権」、「日本は戦争放棄をうたった国」といった答えが返ってくるようです。
しかしそれらはすべて、単なる戦後の日本国憲法に書かれていることにすぎず、ではなぜそうしたものが日本人に受け入れられ、大切 にされてきたのかといった本質論になると、たいていの方が、意外と思考が曖昧なことに気付かされます。

 改憲論議は別として、現実論として戦後の日本人が、戦前戦中の生まれの方々を含めて、この「とんでも憲法」と呼ばれる日本国憲 法を受け入れてきたのは事実です。
なかでも、日本国憲法の精神として、三権分立、国民主権、戦争放棄は、とても強調されてきたことで、およそ日本史に興味のない 方、学生時代にろくに勉強をしてこなかったことが自慢の方でも、この3つ(三権分立、国民主権、戦争放棄)という言葉くらいは、 知っています。
つまり、この3つは、それほどまでに日本人にとって常識化しているということです。

 それがなぜかといえば、答えは明白です。
そのことが日本の歴史文化伝統に沿っているからです。
「えっ!戦争放棄まで?、いきなりねずさん何を言い出したの?」と仰らずに、もう少しお付き合いください。

 「日本のカタチ」というのは、実は三権分立、国民主権、戦争放棄といった上辺のものにあるのではありません。
その根底があります。
それが「シラス(知らす、Shirasu)」です。
日本には、天皇という権力よりも上位の存在があり、国民が「おほみたから」とされてきた国です。
ここに日本の本質があります。…中略

 ところが平和を求めたはずの日本は、その後、日清日露、第一次、第二次の大戦を戦うことになりました。
そしてその結果日本は、世界に500年続いた植民地支配と有色人種からの収奪の世界秩序を崩壊させることに成功しました。

 ところがこのことは、当然のことながら、財産を奪われたかつての支配層の人たちからの恨みを買うことになります。
彼ら自身は気取りも誇りも名誉もありますから、露骨な日本批判はしませんが、中共や韓国あたりが日本非難をすると、それがいかに 荒唐無稽なものであったとしても、やはり心の底ではひそかに喝采を送ることになります。

 そのような状況の元で、日本が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を誇ったら、これは誰の目から見ても鼻持ちならないものにしか ならないし、日本人も威張っている鼻持ちならない日本人になっていったかもしれません。
ところが日本は、ひたすら誠実にコツコツと努力を重ねて日本の戦後復興を行っただけでなく、あきらかに荒唐無稽な非難に対して も、頭ごなしにこれを殴りつけるのではなく、結果として、ただ誠実に話し合いを求め続けてきました。

 こうしたことは、ある一線を超えると、日本に対する同情となり、正邪の識別を世界の民意が明確につけていくという方向に向かい ます。
おそらくあと10年もすれば、支那や半島の無茶振りは、世界中からどうしようもない反感となっていくものと思います。

 そしてそれよりもむしろ、自衛力を持つだけで、軍備を持たない日本が、政治経済面で世界のリードオフマンとなっていき、その根 幹にある「シラス国」という日本特有の概念が、今後世界に広く普及していくことで、もしかするとおよそ2千年続いた戦乱と支配と 収奪の世界の構造が、新しい価値観によって一掃されていく・・・のかもしれないと思うのです。

 世界中、どこの国の人であれ、誰もが求めるのは「愛と喜びと幸せと美しさ」のある生活であり、国家という民の集合体です。
けれどこれまでの世界の現実は、一部の人の「愛と喜びと幸せと美しさ」のために、他の大多数の人々の「愛と喜びと幸せと美しさ」 が奪われるという構造にありました。

 ところが価値観をちょっとだけ変えて、「民こそがたから」、「権力よりも上位の権威」という概念をそこに書き加えるだけで、世 界の構造は一変してしまうのです。

 今後、日本の中で、なぜ、江戸日本が高い民度を誇ることができたのか。
どうして盗みのない、強姦や暴行のない、そして子供たちがほんとうに可愛がられる社会を実現することができたのか。
そういうことが、研究され、世界に向けて発表されていくことによって、もしかしたら人類は、真実の「愛と喜びと幸せと美しさ」を 手に入れる、ほんとうの意味での人事類の理想社会を手に入れることができるようになっていくのかもしれません。…以下略

  もし日本が、反日売国左翼・在日共とその背後で蠢く特亜3国などの陰謀に平和ボケ日本人が騙されて消滅するようなことがあれば、結局は、世界も終わるのじゃないでしょうか。
  それでも、日本を消滅させたい反日売国左翼・在日共は、日本の足を引っ張り続けるのでしょうね。
  それも、教育による自虐史観が原因じゃないでしょうか。つまりは、教育の再生しか日本を救う道は無いということです。
  日本人が目覚めて再生することこそが世界平和への道です。

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安部首相、マルタに立ち寄

2017年06月09日 | 誇れる日本

  私も、ネットのお陰で知ったのですが、戦後の日本の歴史を歪めた教育で、知らない人が殆どだったのじゃないでしょうか。
  それにしても、我が先人の素晴らしい戦い振りには、本当に頭が下がりますね。こんな素晴らしい軍人さん達を貶め、靖国参拝さえしない日本人は、この素晴らしい日本に生きている権利は無いでしょう。是非、大好きな特亜3国へ行って下さい。

  何時もの宮崎さんが、このマルタのことを詳しく書いてくれています。 

  宮崎正弘の国際ニュース・ 早読みより   平成29年(2017)5月29日(月曜日) 通算第5308号   

 宮崎正弘の国 際ニュース・早読み <安部首相、イタリアG7の帰路にマルタに立ち寄

 安部首相、イタリアG7の帰路にマルタに立ち寄って(首相初)
  嘗ての日本人兵士の英霊の墓参。マルタ戦役とは何だったのか?

 (安部首相はイタリアG7の帰路、マルタに立ち寄った。安部首相の目的は同島に眠る日本人兵士の英霊を慰霊するためだった。こ のニュースに接した筆者は、マルタを訪問したときのことを思い出し、その旅行記を再録する。この原文は『エルネオス』に掲載され たが、小誌では初めての筈です)


 ▼マルタといえば騎士団だが。。。

 「マルタの鷹」とは軍事的要衝を守りきれなかった英領の哀しい運命なのか
 「ヤルタからマルタへ」と国際政治学で区分けされるのは冷戦の開始がヤルタ会議だったが、冷戦の終結を約した米ソの会談場所は マルタだったからだ。

 1989年12月、ゴルバチョフとブッシュ大統領がマルタに集い、握手し、戦後世界を規定した東西冷戦は終わった。 直後から ソ連共産党は終焉に向かって疾走を開始し、東西ドイツを分けた「ベルリンの壁」は壊され、ルーマニアでは独裁者チャウチェスク夫 妻が処刑された。

 その世界政治の巨大な地殻変動は二年後のソ連崩壊の導火線となり、東欧からバルカン半島にかけて全体主義国家が次々と瓦解さ せ、嘗ての「ワルシャワ条約機構」の加盟国の多くがNATOやEUに加わり民主制度に移行した(詳しくは拙著『全体主義の呪いは 解けたか』、ビジネス社を参照)。

 その震源地だったマルタ。到着して直ぐにガイド嬢に尋ねた設問とは、「その歴史的な場所は何処ですか?」
 すると「沖合の船上でした」との回答。
 「ならばブッシュ大統領が宿泊したホテルでも撮影しておきたいのですが?」
 「え、日帰りじゃなかったかしら」
 
 マルタの首都はヴァレッタという軍事基地の面影が濃厚で石灰岩、大理石、城塞とで固まった要塞都市だ。そういえばヴァレッタと 聞くと小型拳銃を連想する。
 旧市街はすべてが歴史的建造物で世界遺産に指定された。「マルタ騎士団」の伝説以前から聞いていたが、まさに城郭都市、軍事要 塞の典型だったのである。
 このヴァレッタを挟んで西側がスリーシティ(昔の首都)、人が住んでいるのか疑うほどの静謐な町で路地が狭く家屋の入口に小さ なオブジェがあって、かろうじて誰の家かが分かる。

 このスリーシティの隣町がカルカーラという寒村で後節にみるように日本と縁が深い。
 歴史を振り返るまでもなく、古代から地中海の覇権が争われ、ギリシア、ローマ、フェニキア、カルタゴ、ベネチア、オスマントル コ、そして英国と覇者は入れ替わった。
 おなじ環境のキプロスと異なるのは英軍が残留しているかどうか、である。マルタからは英軍は撤退した。

 マルタといえば十字軍の騎士団を思い浮かべる人が多いだろう。
 マルタ騎士団の赫々たる戦歴のなかでも、1565年に大船団を派遣してマルタを囲んだオスマントルコ海軍に対抗して三ヶ月の猛 攻に耐え抜いたことだ。元寇に勝利した鎌倉武士が凶暴な蒙古軍を追い返したように。
 しかしマルタは紀元前8000年に開けた文明最古の要衝でもあり、島の中央から南に拡がる巨石神殿はエジプトのピラミッドより 古い。


 ▼マルタに残る巨大神殿の謎

 この巨石神殿は世界史の謎である。
 タルシーン神殿の発見は1914年。さらに南にはハジャーイム神殿があり、接着剤もないのに石壁は垂直に並べられている。全容 の発掘は1910年だった。崖を地下に彫り込んだ神殿はハイポジウム神殿という。これらは最重20トンもの巨石を切断し(どんな 工具で)、クレーンもない紀元前にいかにして運搬したのか? どうやって高く積み上げたのか。 この謎はイースター島のモアイ像 を連想させるが、ともかく歴史には謎が多い。
 マルタには西暦一世紀にパウロが漂着したため、爾来、カソリックである。
 あちこちにカソリック教会が建立された。教会のなかにはドームを作る費用が集まらず、いかにもドーム内部に描いたという「だま し絵」が人気の大聖堂(コゾ島)も含まれる。

 ヴァレッタの西側に開ける地区は豪華マンションとヨットハーバー。とくにセント・ジュリアン地区が新市内を形成しており観光客 が密集する。
 高層のリゾートマンション、ホテル、豪華レストランが建ち並ぶ。海岸線と平行する遊歩道には海鮮レストランが並んで、それぞれ が工夫を凝らしたインテリア、なかにはディスコを兼ねているモダンな店もある。

 夕暮れ時にそぞろ歩きする島民にまじって観光客も夕日をみにくる。
 インターコンチネンタルホテル、ヒルトンなど五つ星ホテルもこのあたりに位置し、カジノが林立している。正装して入るカジノ客 をみているとアラブ人とロシア人が多い。中国人は突然減ったという。
 
 マルタ本島からコゾ島へも行きたいと思った。
 理由は単純で、有名作家マイケル・バー・ゾーハーが住みつき、毎日のように顔を出したバアがあると聞いたからだ。ヘミングウエ イのキューバとフロリダ南端の離れ島キーウエスト。007のイアン・フレミングはジャマイカ島に住み着いたっけ。
 フェリー乗り場は島の北北西端にあるチェルケウア港からで、この港へ行くにはヴァレッタからバスで一時間もかかる。フェリーは 僅か二十分でコゾ島へ着いた。かなりの外国人観光客が乗船していた。
 風の門と言われる奇妙な岩が並ぶアズールウィンドーはダイビングのメッカとして知られ、世界中からダイバーが集まる。行ってみ ると風が強い。

 島の中央がヴィクトリアという町で古い教会の階段下にある広場の周りがレストランとバア街だった。朝からビールを飲んでいる観 光客の隣を二階建てバスが走る。ワインとサボテンリキュールを売る店もある。
 筆者もここでくつろいで、ガイドブックを拡げた。バーゾーハーが通ったバアはすぐにわかった。

 ▼日本の英霊が祭られているマルタ

 マルタに大いに興味を惹かれた理由は二つあって、第一は紀元前の巨石神殿の謎である。
 第二はマルタ騎士団のことだ。博物館に飾ってある土葬の服飾品、アクセサリーなどを観察すると当時の女性はふくよか。キプロス の「ヴィーナスの誕生」のモデル女性より肥満型が男性のあこがれだったようである。
 騎士団は旧市内の騎士団長の宮殿と兵器庫を見学すれば、大まかな歴史が掴めるが、十字軍の兵士となる資格は貴族の息子に限られ ていた。

 軍事訓練は厳しく妻帯は許されず禁欲の日々を戦闘訓練で代替していた。その荘厳な寄宿舎跡が現代マルタの首相官邸や外務省なの である。
 騎士団長の宮殿は二つの中庭があるほど宏大で豪華だった。この建物が大統領府と議会になっている。敷地内の兵器庫には鉄製の鎧 兜が陳列され、大砲や槍、馬車などを見入っているとあっという間に時間が経過してしまう。

 そもそもマルタ騎士団とはエルサレムの攻防をめぐってキリスト教の国々が競って結成し地中海沿岸から中東へ覇権した私兵軍団で ある。主力部隊はフランス、英国、ドイツ、スペイン、ポルトガルなどの出身地で分け、さらにフランスは三つの言語体系によりそれ ぞれの部隊を編成した。スペインは二つの言語グループ。合計八つの部隊に分けられた。
 したがってマルタ騎士団の紋章は八本の刀を象徴するエンプレムが使用されている。

 帰国日の朝、筆者が宿泊したホテルのフロントでタクシーを呼んで貰い、向かった場所は旧市内の西側、崖の突端にあるカルカーラ 地区だ。
 ここに英軍墓地が点在しているからだ。
 クルマで四十分。もし通勤時間の渋滞に巻き込まれたら往復三時間くらいかかる。目的地は霧が晴れたばかりで烈風が吹き、小雨が 降ってきた。おおよそ人の住んでいる気配がない淋しい場所にある。


 ▼日英同盟を忠実に履行した日本

 1914年に第一次世界大戦の火蓋が切られ、日本海軍は「日英同盟」の約束から軍艦八隻を、この地中海に浮かぶマルタに派遣し た。

 英国、仏蘭西の輸送船を護衛するため、駆逐艦「松」、巡洋艦「榊」などがマルタを拠点にフランス南部の基地からの物資、兵員輸 送船を護衛する任務に就いたのは1917年4月だった。
 同年2月に佐世保を出港した「松」以下四隻は南シナ海からインド洋で作戦を展開していた「榊」以下四隻と合流し、合計八隻の大 日本帝国海軍艦隊を組み直してスエズ運河を越えて地中海に入り、同年4月13日、英領だったマルタに入港した。
 以後、獅子奮迅の活躍を展開する。

 とくに5月3日には英国輸送船トランシルバニア号がドイツの潜水艦の魚雷攻撃を受けたため決死の救助活動を展開し、松、榊など が英国人船員ら3000名を収容した。トランシルバニア号は乗員3200名だった。この英雄的行為に英国は勲章をあたえるほどの 大騒ぎとなり、ヴァレッタは興奮に包まれた。

 6月11日、榊はミロス島を出港し、護衛の任務に当たっていた。ドイツ潜水艦の魚雷攻撃を受け、かけつけた英仏艦船によってク レタ島へ曳航された。59名の日本軍人が戦死していた。遺体は火葬され、英軍墓地に埋葬された。
 英軍は日本軍人の栄誉を称え、宏大な墓地の一等地に慰霊碑を建立したのだ。
 そこには「大日本帝国台に特務艦隊戦死者の墓」と日本語の刻印が彫られた暮碑が嵌め込まれた。

 その後、第二次大戦でイタリアの空爆により破壊された日本海軍の英霊墓地は、1974年に新装されている。最近になっても時 折、日本人が献花に訪れる場所となった。
 筆者は墓地に立って水と菓子とタバコとを捧げ、合掌した後、「海ゆかば」を独唱した。涙が止まらず、ちゃんとは歌えなかった。

 この物語は戦前、語り継がれて殆どの日本人が知っていた。現代ではトルコの使節団が和歌山沖で座礁し、付近の日本人が救援い向 かい多くを救った美談「エルトゥールル」号で、映画にもなって人口に膾炙したが、対照的に日本帝国海軍のマルタ沖での悲劇を知ら ない。

  【Front Japan 桜】で鈴木さんが、安倍さんのマルタ訪問を紹介してくれています。

  マルタの話題は、26分過ぎから

【Front Japan 桜】選挙ビラと詐欺フェストの作り方 / 安倍総理のマルタ訪問 / 親日or反日?ハリウッドスターが分かれる原因~映画『LOGAN/ローガン』[桜H29/5/29]


  今の日本人が、この素晴らしい先人と同じことが出来るでしょうか。劣化した日本人が、こんな素晴らしい先人に匹敵する働きが出来るとは思えません。
  一日も早く、先人に劣らない働きの出来る素晴らしい日本を取り戻したいものです。

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佐藤琢磨、インディ500優勝!

2017年05月29日 | 誇れる日本

  青山さんの【虎ノ門ニュース】を見ていたら、最後に、佐藤琢磨さんがインディ500優勝と叫ばれて、吃驚しました。
 慌てて、HPを見にいくと。ありました。F1からインディに移って、一勝目位まではチェックしていたのですが、その後、気になりながらも、殆どチェックしていませんでした。

  それにしても、凄いですね。良く、ここまで頑張りましたね。やはり、只者じゃなかったですね。F1に返り咲いて欲しかったが、もう歳なので諦めていましたが、こんな凄いことをやってくれるとは、本当に良かったですね。やはり、あの前向きな考え方の成果なのでしょう。

  佐藤琢磨、インディ500で優勝!

  2017-05-29 06:16:05

 本日、決勝レースが行われた第101回インディ500において、佐藤琢磨が日本人ドライバーとして史上初の優勝を飾りました。
皆さまからのご声援に心より御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
詳細は追ってご報告いたしますので、引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。

  TSエンタープライズ  

  SANSPO.COMより    2017.5.29

  佐藤琢磨、インディ500優勝!日本人初の快挙「信じられない勝利」

 世界三大レースの一つといわれる米国伝統の自動車レース、第101回インディアナポリス500マイル(インディ500)は28日、米インディアナポリスのインディアナポリス・モータースピードウエーで決勝が行われ、元F1ドライバーの佐藤琢磨(40)=ホンダ=が日本人初優勝を果たした。

 インディ500は1911年に第1回大会が開催され、他の三大レース、F1シリーズのモナコ・グランプリ、耐久レースのルマン24時間と並び世界最高峰と称される。

 予選4番手の佐藤は自己最高の2列目からスタート。積極的にレースを進め、残り5周でトップに立ちゴールした。これまでの日本勢の最高順位は2003年に高木虎之介がマークした5位。

 佐藤は10年からインディカー・シリーズに参戦し、インディ500には今回が8度目の出場。13年には米カリフォルニア州ロングビーチで行われた第3戦でシリーズ初優勝を果たした。F1シリーズでは04年の米国グランプリで日本人最高タイの3位をマークしている。(共同)

 

2017 Indy 500 - 佐藤琢磨 インディ500日本人初優勝!! Takuma Sato Took The Win!!
  

こちらは日本語、やっぱり日本語が良いですね。喜び倍増です。

Takuma Sato's Indy 500 win - Japanese Commentary

  最近のF1でのホンダの不甲斐なさに、興味を無くしていただけに、琢磨さんとホンダの両方におめでとうと言いたい。

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世界のホテル従業員が選ぶ「ベストツーリスト」

2017年05月27日 | 誇れる日本

  日本人の団体旅行は、辺り構わず馬鹿騒ぎをして訪問国の顰蹙を買っていると言われたものですが、何時の間にか、世界でも一番好まれるお客さんになっているようです。何時ごろから、そんな評価になったのでしょう。
  そういえば、企業の慰安旅行なんてのも、今や時代遅れと言われているようですが、これも関係あるのでしょうか。
  
  テキサス親父さんが、今や最高の旅行客となった日本人のことを書いてくれています。
  
   産経ニュースより     2017.5.8

 【痛快!テキサス親父】「反 日」韓国人訪日増加のナゼ 日本人は世界で評価も、フランス人や中国人は人気がない

 ハ~イ! みなさん。

 世界のホテル従業員が選ぶ「ベストツーリスト」(最高の旅行客)や、世界中をカバーしている大手旅行代理店が出しているアン ケート結果で、常に「好まれる旅行客」のトップは日本人だ。日本人が世界に与えている良い影響は、一度でも日本に行ったことがあ る人なら納得できるぜ。(夕刊フジ)

 俺が初めて日本に行ったとき、街にゴミが落ちていないことに驚いた。そこで、「なぜ、ゴミ箱がないのに、日本の道路にはゴミが 落ちていないんだ?」って聞いてみた。実に、面白い答えが返ってきた。

 「日本では、小学校から授業が終わったら児童が掃除をするからです」っていうんだ。つまり、日本では「汚したら、片付けるのは 自分」という教育をしているわけだ。日本人が外国に行っても、他人に迷惑をかけず、誠実な対応をする理由が納得できたぜ。

 一方、世界で人気がないのは、フランス人や中国人のようだ。

 俺は中国には行ったことがないが、フランスには何度か行ったことがある。フランス人は、パリでもそれ以外でも、ゴミ箱にゴミを 捨てない。「道路にポイ!」なんだぜ。おまけに街中を歩くときには、犬の糞(ふん)を除けながら歩かなければならない。そんな国 の人々が海外に行けば、渡航先が同様の状況になるのは理解できるよな。

 さて、日本ではいよいよ大型連休(ゴールデンウイーク)らしいな。日本の友人によると、海外旅行に出かける人の渡航先の一番人 気は「台湾」だという。台湾には「親日」というイメージがあるよな。

 これに対し、韓国への旅行者は2012年から減少傾向だと聞いたぜ。慰安婦問題などで、あれだけ一方的な「日本たたき」をして いるうえ、お隣の北朝鮮が「核実験」や「ICBM(大陸間弾道ミサイル)発射」を示唆しているから、当然といえば当然だ。俺が日 本人なら絶対に行かない。「1社で3000~4000人減少した」という旅行会社もあるそうだ。

 反対に、韓国からの日本への旅行客は3月で約48万8400人と、昨年の同時期に比べて30・6%も増加したそうだ。旅行会社 によっては「8割増」だという。

 韓国は世界有数の「反日」国家で、歴代大統領が「日本たたき」をやってきたのに、なぜ、日本への旅行客が増加しているんだ?  円安の影響だけとは言えないよな。自らの国を「ヘル朝鮮」(地獄の朝鮮)と呼ぶ人々だけに、実は、日本に大きな憧れを抱いている のかもしれないぜ。

 親愛なるみなさんと、日本と米国に神のご加護がありますように。韓国人は日本を恨むことに力を注ぐのではなく、日本人が世界か ら好まれている理由をしっかり学んだ方がいいぜ。

 では、また会おう!

  そういえば、ゴールデンウィークの日本人の韓国旅行は、本当に増えたのでしょうか。どうも、怪しそうに思えます。もし、本当に増加しているのなら、日本の終わりは近いかも。
 
  それにしても、あれだけ評判の悪かった日本人が、今や世界一ですか。今、その地位にいる中国人は、果たして世界一になる時が来るのでしょうか。

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ルーズベルトニ与フル書

2017年03月24日 | 誇れる日本

  ねずさんが、市丸中将の「ルーズベルトに与うる書」を取り上げてくれています。以前、始めてねずさんが取り上げてくれて、初めて知って衝撃を受けました。

  これを読む度に、今の日本人との差に驚くだけです。と言うか、やはり、戦前の日本人の凄さに感動させられます。
  
  アメリカはどう思っているのだろうと思ったら、何と、きちんと保存して陳列してくれているのだそうです。
  もしかしたら、知らないのは日本人だけかも知れません。

  是非、全文を何時ものようにリンク元で読んでください。

  ルー ズベルトニ与フル書

  昨日に引き続き、硫黄島で散華された市丸利之助(いちまるりのすけ)海軍中将が、米国大統領のルーズベルトに与えた書簡をご 紹介したいと思います。
当時の日本人の決意と覚悟のすべてがここにあります。

ちなみに、いまマレーシアが金正男殺害事件で北朝鮮を相手取って頑張っていますが、マレーシアが国是とするお手本は戦前の日本で す。
たとえ道は険しかろうとも、誇りを持って国家としての責任を常にキチンと果たしていく。

本文に先立って、ルーズベルトについて少し補足しておこうと思います。
ルーズベルトの先任の米国大統領は共和党の第31代ハーバート・フーバー(Herbert Clark Hoover)です。
フーバーは昭和4(1929)年3月に大統領に就任しますが、この年の10月にニューヨーク株式市場が大暴落します。
事態がその段階で世界大恐慌に至ることは、誰にも予測できなかったことです。

フーバーは、景気の冷え込みによる税収の減少を、大幅な緊縮財政で乗り越えようとしました。
ところが、これが失政でした。
ただでさえ、市中からお金が消えているのです。
お金は人間の体で言ったら血液に例えられますが、すでに貧血状態になっている経済に、政府が財政を縮小したら、それは貧血患者か らさらに大量の血液を抜いてしまうことと同じ状況を生みます。
米国経済は、これによって抜き差しならないデフレ経済に陥りました。
平成日本と同じことです。

そのフーバーに代わって第32代米国大統領に就任したのが、米国民主党フランクリン・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt)でした。
ルーズベルトは、
「米国経済を完全復活させて景気回復を図る」を公約として大統領選を戦いました。
そして就任後すぐに手掛けたのが、有名な「ニューディール政策」です。
これは大規模な財政出動によって公共工事を行い、これによって新たな雇用を生み出し、景気を回復させるという政策です。
いまで言ったら、箱物行政そのものですが、これが大成功しました。

もっともこの成功には、原型があって、それがいち早く恐慌を脱出して景気回復と二桁の経済成長を回復させた日本の高橋是清財政で す。
ニューディール政策は、いわばその二番煎じです。
ですが、効果は絶大でした。…以下略


  この動画は、日本人全てに見てもらいたいですね。何時ものことですが、あの反日売国外務省に、こんな素晴らしい動画を世界に広報してもらいたいものです。

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日本を通底する7つの思想的背景

2017年02月28日 | 誇れる日本

  日本の素晴らしさを教えてくれて、平和ボケだった私も、少しは日本の本当の歴史を知るようになり、日本に産まれた幸せを噛み締めています。
  ネットをやらずに、ねずさんのブログにも会えず、自虐史観のままで日本に産まれたことを恨みながら死んで行ったと考えると恐ろしいものがあります。

  その恩人であるねずさんが、その素晴らしい日本を通ていする7つの思想背景を纏めてくれています。
  何時ものように、是非、全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんと学ぶシラス国の物語よ り   2017年02月17日

  日 本を通底する7つの思想的背景

  日本を通底する思想的背景をまとめると、次の7つに集約されます。
そこでこの7つを仮に「7つの日本」と名づけてみます。

 1 天皇とおおみたから
 2 神話
 3 シラス・ウシハク
 4 対等観
 5 和をもって貴しとなす
 6 明察功過
 7 修理固成

 そこで今回は、この「7つの日本」について、簡単にご案内してみたいと思います。…中略

 さて、天皇とおおみたから、神話、シラス・ウシハク、対等観、和をもって貴しとなす、明察功過、修理固成という「7つの日本」 について、ものすごく簡単に説明してきました。
上に書いたことは、それらの言葉の意味することの、ごくごく一部のことにすぎません。

 ただ、ざっと御覧頂いて、この「7つの日本」を抱くのが日本人だとするなら、はたして現代人の中の、どれだけの人が、その心を 持った日本人なのでしょうか。
日本は、世界の宝なのではないかと思います。
なぜなら、民衆をこそ「たから」として歴史を築いてきたのは、世界の中で日本だけだからです。
 日本を、日本人を絶滅危惧種にしては絶対にいけないと思います。

 最近、思うことがあります。
天皇の御存在のありがたさを自覚することが、日本人の日本人たる所以なのではないか。そのように思えるのです。
たとえ、日本に生まれ、日本で育ち、日本で生活し、日本語を話し、日本国に税金をおさめていても、自分たちが天皇のおおみたから であることに感謝の心をもてない人は、それは日本人とはいえないのではないかと思えてなりません。

 そして日本人でないなら、
日本の選挙権を与える必要などさらさらないし、
日本の議員になっていただく必要もないし、
日本人としてのパスポートを発行してあげる必要もないし、
まして生活保護の支給をしてあげる必要もない。

 そういうことを最低限のメリハリとしていくことを、まじめに考えていかなければならいのではないか。そんな気がします。

 さて今回は、日本を通底する思考を7つにまとめてみましたが、本当は大八洲(おおやしま)というくらいですから、もうひとつあ る のかもしれません。
その「もうひとつ」とは何でしょうか。
これは是非、みなさんで考えてみていただきたいと思います。

  お恥ずかしいですが、この「7つの日本」の中で、辛うじて知っていたのが、「和をもって貴しとなす」だけです。後は、全てねずさんに教えて貰ったものです。
  ネットにのめり込んで人生の後半を捨てた面もありますが、このねずさんのブログを知って、日本の歴史を知ったことの有り難さには比べようもありません。

  さて、もう一つって何でしょう。勉強不足の私は思い付きません。

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日本の国柄と戦争観

2017年02月27日 | 誇れる日本

  ねずさんが、日本の素晴らしさを、25日 (土) 、第602回の「縄文の女神と日本的価値観」などで教えてくれますが、何時も、どこで勉強したのか不思議でした。
  ところが、ねずさんが、戦前は当たり前に教えられていたとも教えてくれておどろいたものです。

  偶然でしょうか、何時もの中山恭子さんの【日いづる 国より】で、田中英道さんが縄文時代の争いのなかったことを語ってくれています。  
 

【日いづ る国より】田中英道、自己喪失からの回復・ナショナリズム復権の時代[桜H29/2/24]


  日本は、本当に凄い国ですね。こんな素晴らしい国の歴史を知らずに、反日売国に必死な人達は、本当に気の毒ですね。早く目を覚ましてください。もう無理かな。

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