団塊の世代のつぶやき

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★「いつ死んでもいい」という心境になれば、解放感が得られる

2022年06月05日 | 尊厳死

 いつ死んでもいいと言うか早くあっちへ行きたいという心境になれば物事に拘ることもなくなり本当に楽です。
  とは言え、どこまでその境地に達しているかの自信はない。その時が来ればきっと恥を晒すことをやるのじゃないかとも思っています。
  しかし、少々体調が悪かったり、これはあの病気かなと思うことがあっても病院に行く必要もないので本当に楽なものです。
  食事も朝昼晩のメニューは殆ど同じなので考える必要も殆どない。楽ですよ。

  同じような心境を書いた本が出たようです。宮崎さんが書評で取り上げてくれています。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和四年(2022)5月26日(木曜日) 通巻第7348号

  書評  

 「いつ死んでもいい」という心境になれば、解放感が得られる
   人生を左右するのは運命であり、逆らえないのだ

  曾野綾子『人生を変える 距離感の作法』(マガジンハウス)

 ソーシャル・ディスタンスはコロナ以後のはやり言葉だが、本書の説く「距離感」とは、社会生活における人間関係、夫 婦、家 族、友人、同僚、知人との間合い、つまりメタフィジカル・ディスタンスだろう。ほどほどの距離感を保つと、人生は心地よい。 距離がとれないと家庭、職場、団体で迷いや悩みになってしまう。
 曾野さんの文章は平明でやさしく難解な語彙はないが、言葉にバネのようなパワーが備わっている。
 三浦朱門氏と結婚を決めたのも、「僕は嘘つきです」と言ったからとか。「こうしたことをちゃんと口にするような、精神 の襞 をもつ人なら結婚してもいいと思った」(70p)と、かのおしどり夫婦の距離感をあけすけに打ち明けられる。
 評者(宮崎)は曾野さんとは何回かお目にかかっているものの、小説の読者ではなく、しかし随筆と旅行記はかなり読んで い る。半世紀前、御自宅に伺ったこともあった。目的は三浦朱門氏へのインタビューだったが、応接間にひょいと曾野さんが顔を出 された。新聞のチラシを捨てないでとか、なんとかを呟いて、書斎に行かれた。いま思い出した。曾野綾子編『保革逆転』 (浪 漫)は評者が担当だった。
 さて曾野さんと言えば総合誌の巻頭エッセイを掛け持ちで書かれていたが、人生論もたくさん上梓されておられ、いずれも ベス トセラー。一方では世界各地を、それも冒険家が尻込みするような奥地にまで足を運んでの慈善事業、ながらく日本財団の会長を ボランティアで努められた。

 評者にとって一番印象が深いのは南米のチリだったか、アルゼンチンの山奥の教会にシスターとして奉仕し、一生を終えた 日本人女性のことだった。『諸君』に書かれたと思うが、題名が思い出せない。
ところが、数年後、その女性の実弟K氏が、小生の知り合いで、後始末のためスペイン語を習い、当該の山奥へ行ってきたと いう壮烈な後日談を聞いたことだった。 

死について、こう言われる。
「今の日本人は『死』というものが間近にないので、かえって人間がどういきているかーーということを学べていない。死を 学ばなければ、生きる意味もわからない。『死との距離感が遠すぎる』ことが重大な問題である」(113p)。
「死を意識すると、生涯は限りあるものだとわかってくる。そうすると、人生の一瞬一瞬を大切にしていこうと思える」 (119p)
年老いて、「いつ死んでもいい」とおもう感覚には「素晴らしい解放感がある」(129p)。 さらりと説かれる人生論の 爽快 さが凝縮されている。

  確かに解放感はあります。それが曾野さんの域に達しているかどうかの自身はない。単なる諦めなのかもしれません。

 
でも、楽なのは確か!

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