団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★戦後日本を蔽う『健康ファシズム』を撃て

2020年12月12日 | 尊厳死

 富岡幸一郎さんが三島由紀夫を「生命尊重だけでよいのか」との視点で書いてくれたようです。
  宮崎さんが書評で何時ものようにご自分の経験から詳しく解説してくれています。

  戦後の行き過ぎた民主主義やリベラルがアメリカの選挙で吹き出して来ています。日本も同じようなものです。
  特に、老人を死なさない行き過ぎた医療が日本を破壊しかねません。もうスパゲッティ症候群から脱して尊厳死を真剣に考えるべきときでしょう。

  この本はそれを三島文学から考えさせてくれそうです。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和2年(2020)12月4日(金曜日) 通巻第6721号   
    
  書評 

「生命尊重だけでよいのか」。戦後日本を蔽う『健康ファシズム』を撃て
  無機質で、ニュートラルで、抜け目のない日本に落ちぶれてしまったではないか

  富岡幸一郎『入門 三島由紀夫  文武両道の哲学』(ビジネス社)

 生命尊重の時代は終わったという基調で三島の文化論のエッセンスが奏でられる。
 文藝評論家の富岡氏は文学を超えて、三島由紀夫の人生と思想を、哲学的な視点から捉え直した。類書と異なって、この視 点は独特である。

 戦後日本を蔽うのは『健康ファシズム』である。しかしだらだらと長生きして、足腰が立たなくなって養護施設に入る。あ るいは意識はとうに失せているのに生命維持装置で物体としての肉体がまだ生きているという老残。

 正常な国家は国防と警察と裁判を司る。そのための徴税があり、徴兵がある。
 日本は国防の本義を忘れた軍隊なるものがあるが、福祉医療保険の予算の五分の一以下という本末転倒の姿に転落し、同時 に戦後の日本人から精神的生活を喪失せしめた。

 これが日本に普遍的な風景、ありきたりの日常となって、武士が闘うという本来の日本男子の道は、草食系やらLGBTQ によって圧殺された。
 当然、日本人から生命力、原始的エネルギーを奪うだろう。いや人間本来の生存本能さえ脅かすことになり、無機質で ニュートラルで、抜け目のない日本という、三島が予言した通りの現実が目の前にあらわれた。現実に、いま、そこにある危 機は少子高齢化で衰退する日本である。

 三島は叫んだのだ。「生命尊重だけでよいのか」と。
 さて没後五十年、第五十回追悼会「憂国忌」も終わって、この五十年という節目に上梓された三島関連、森田必勝関連の書 籍は二十数点にもなることに評者は改めて驚いた。まさに三島由紀夫は「死後も成長する作家」(秋山駿)である。

 小欄ではすでに佐藤秀明、井上隆史、関健、そして犬塚潔氏の四作を書評してきたが、おそらく本書が今年度の三島本書評 の掉尾となる。
 富岡氏は『文化防衛論』と『葉隠入門』ならびに『行動学入門』に論点を絞り込んだ。そのため文学が遠景にあるのかと言 えばそうではなく、富岡氏の三島論の語彙は文学的なのである。

 富岡氏はこう指摘する。
 三島の文化を論じた作品群は「戦後の日本人に突きつけた」、「劇薬」である、と。
 三島は『文化防衛論』のなかで、「日本文化は、本来オリジナルとコピーの分別を持たぬことである。西欧ではものとして の文化は主として石で造られているが、日本のそれは木で作られている。オリジナルの破壊は二度と甦らぬ最終的破壊であ り、ものとしての文化はここに廃絶するから、パリはそのようにして敵に明け渡された」。

 富岡氏は三島の『文化防衛論』を読みながら伊勢神宮へ参拝した。
 「無の空間」、伊勢神宮には「聖域」、神聖な場所として置かれ、「ここに一つの日本文化の特徴がある」と感銘した。日 本文化の具体的な姿であり、「文化概念の特質は、各代の天皇の在り方にそのまま結びついている」。
それが伊勢神宮の特徴だと説かれる。

 三島由紀夫の文化防衛論の肯綮は、次の箇所にもある。
 「速須佐之男の命は、己れの罪によって放逐されてのち、英雄となる」
つまり、「日本における反逆や革命の最終の倫理的根源が、まさにその反逆や革命の対象たる日神にあるこあとを、文化は教 えられている」

  日本人の死生観が変わったのは、あの福田赳夫が「人の命は地球より重い」とほざいて過激派を釈放してからじゃないでしょうか。
  もう一度、日本人が築き上げて来た切腹で責任を取る精神を見直す必要もあるのじゃないでしょうか。

それが尊厳死でしょう!

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