団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

手動式パネル回転システム

2014年06月18日 | 太陽光発電

  第 5374回の「農場にソーラー」で農場でソーラー発電の話題を取り上げたところですが、又、面白そうな記事 がありました。
  というのも、第 4525回の「手動追尾式架台」でも書いたように、我が家の太陽光発電て少しでも発電量を多くする方法は無 いかと考えるのですが、何分予算が全くないので実現不可能です。
  後は、アイデアでお金のかからない方法を考えるしかないのですが、これは、頭が足りないようで、やはり無理でした。
  しかしながら、一番可能性があるとすれば自分の手で動かすしかないだろうと思っているので、手動式という言葉に反応 してしまします。ということで、この記事が目に止まったのです。どんな方式なのか興味津々です。  

  SankeiBizよ り  2014.6.11

  日 本初!田んぼにソーラーパネル回転システムを設置

  株式会社発電マン(所 在地:静岡県静岡市、代表取締役: 岩堀 良弘 )は、太陽光発電事業を行う株式会社Smart Life(所在地:静岡県伊豆の国市)が手動式の『ソーラーパネル回転システム』を日本で初めて田んぼに導入する際、専用モジュールを提供して施工を行っ たことをお知らせいたします。
当社は、『手動式ソーラーパネル回転システム』にソー ラーカルチャー株式会社(所在地:茨城県つくば市、代表取締役:松岡 顕 )が技術提供する「ソラカルシステム」を採用いたしました。

  農地におけるソーラー発電システム(営農型太陽光発電システム:通称ソーラーシェアリング)の導入が本格化の兆しを 見せる中、昨年11月に静岡県の農 業委員会の許可が下り、今年6月に日本で初めて手動式ソーラーパネル回転型の発電システムの設置にこぎつけることができ ました。

  採用背景
  今回採用した「ソラカルシステム」は、パネルを回転式にすることでパネルの角度を変えて光の量を調節することが可能 です。光を遮ることなく充分な太陽光を当て、また作物の生育に応じてパネルの角度を変えられることで、農業と発電の両立 を目指すことができます。

  ソーラーパネル回転システムには、作物に応じた角度調節のほかにもメリットが多く、たとえば季節に応じて角度を変化 させることで角度固定型に比べ5% 程年間発電量がアップします。また強風時には風圧を避けたり(水平時)、積雪時には雪を落としたり(垂直時)、パネル洗 浄がしやすい等の様々なメリットが あり、今後における導入の広がりが予測されます。

  今回の設置は、約1,000m2の田んぼに44kWのシステムと、同じく1,000m2の畑に44kW、合計 88kWの太陽光発電システムを導入しま した。田んぼでは稲作を、畑ではサトイモを植え、農業による収穫を得ながら全量買取りによる売電収入も得ることができ、 年間の売電収入は約400万円を見 込んでいます。

  何か良いヒントがつかめるかとHPも見に行ってみましたが、画 像も少なく、手動式が、どういう仕組みなのか分かりませんでした。どうも、まだ試行の段階のようにも書いて あったので、公表できないのかもしれません。
  但し、第 5009回の「パイプ式架台」や第 5128回の「衝撃的な価格」のように架台にパイプを使っているのでコストは相当抑えられそうです。しか し、強度的には不安が残りそうです。しかし、アイデアは良さそうなので、是非成功させてHPに発表して欲しいもので す。
  それにしても、太陽光発電の装置もここまで簡単なものが許可になるようになったのですね。コストダウンには強力な武 器になりそうです。

  情報が少ないと思っていたら、徐々に増えてきたようです。詳しいところがありました。

  仕組みも分かり易いページがありました。パネルの小さいものの入手に苦労したようです。パネルの稼働はウインチで回 転させる機構だそうです。画像もありました。やはり、日照確保の為もあって効率は悪そうですね。両立の為には仕方ないの でしょう。

  サービ ス|ソーラーカルチャー株式会社

  スマートジャパ ンより  2014年06月13日

   営 農と太陽光発電の組み合わせ、「3つの壁」あり (1/2)
  静岡県で農業と太陽光発電を共存させる「ソーラーシェアリング」発電所が立ち上がった。手動でモジュールを回転でき る発電所として、全国でも初めて水 田の上に設置した事例だという。ただし、計画から運転開始までの道のりは平たんではなく、大きく3つの壁があった。メガ ソーラーやミドルソーラーなどとは 異なる壁だ。設計から施工までを担当した発電マンの岩堀良弘氏に聞いた。[畑陽一郎,スマートジャパン]

   徐々に変わってきます ね!

★おかわいそうに

2014年06月18日 | アメリカ

  第397の 「恥ずべき最後通牒」 で取り上げたBBさんの映画への抗議問題はネットで大きく広がってきているようです。    

  映画には原作があるということなのでどんな原作だろうとサーチしたら詳しく取り上げてくれているブログがありまし た。

  WEDGE Infinity(ウェッジ) より

  反 日感情をあおる本が米国で大人気

  なぜいま、日本軍の捕虜虐待なのか  20110220日 (Sun)  森川聡一

  ■今回の一冊■

  UNBROKEN 筆者Laura Hillenbrand, 出版社Random House, $27

  “UNBROKEN”

  太平洋戦争で日本兵が捕虜のアメリカ兵に加えた虐待の実態を詳細に描くノンフィク ションだ。アメリカ人の反日感情を確実に高めるに違いない本書が今、アメリカでよく売れている。ニューヨーク・タイ ムズ紙の週間ベストセラーリストの単行本ノンフィクション部門でトップ513週 連続でランクイン。直近は2位に落ちたが、それまでは6週 連続でトップだった。

  日本軍による捕虜虐待

  現在も93歳で元気に暮らすルイ ス・ザンペリーニという、イタリア系アメリカ人の男性の数奇な生涯を追うことで、日本軍の捕虜に対する非人道的な対 応を描く。ザンペリーニは19歳の若さで中距離走のアメリカ代表として、1936年 のベルリン・オリンピックに出場。メダルは獲得できなかったものの、力走が観戦中のヒットラーの目にとまり、ヒット ラーと握手をしたという逸話の持ち主だ。

  出場を目指していた40年の東京オリンピック が日中戦争などのために中止となり、ザンペリーニはアメリカ空軍に入隊。ところが、ハワイ・ホノルルから飛び立った 爆撃機が太平洋上でエンジン故障のため墜落、からくも脱出して救命ボートで太平洋上を食料や水がないなか、鮫とも戦 いながら47日間も漂流する。そして、ホノルルの南西3900㎞ にあるマーシャル諸島のクェゼリン島に漂着した。別名「処刑島」と呼ばれていたその島で、ザンペリーニは日本軍の捕 虜になった。

  元オリンピック選手という経歴が日本軍の目にとまり、処刑を免れたザンペリーニは 日本に送られる。大船、大森、直江津と捕虜収容所を転々として458月 の終戦を迎え母国アメリカへと生還する。本書はザンペリーニが収容所で受けた虐待の数々を冷静な筆致で描いており、 それだけに逆に日本兵の残虐さが鮮明に浮き上がる。

  特に、捕虜の間でthe Birdとあだ名 されたワタナベ・ムツヒロという伍長が、虐待の限りをつくす描写は圧巻だ。本書はワタナベについて、捕虜たちを痛め つけることで性的な快感を覚えるサディストだったとしている。例えば、次のような虐待の場面が無数に本書には出てく る。

  「バードはズボンのベルトの先を握ってバックル(留め金)の部分を後ろに振り、ハ ンマー投げをするように、自分の体に巻き付けるようにしてベルトを前方に振り出した。バックルはルイスの左のこめか みと耳にぶつかった。ルイスは頭を撃ち抜かれたような衝撃を覚えた。

ルイスはそれまで、バードに殴られても決して倒れまいとしてきたが、打撃の強さと、激痛に見舞われ、すべてがまひした。両足が溶けるようにして、ルイスは 倒れた。部屋が回った」

  別名バードと呼ばれたワタナベは、ルイスを目の敵にして、毎日のように殴りつけ、 十分な食事を与えなかった。国際赤十字が支給した食料も、捕虜たちの手には渡らず、日本軍の兵士たちが横取りしてい たという。

 本書は、次のように具体的な数値をあげ、日本による捕虜の扱いが、ナチス・ドイツよ りもひどかったと断じている。

  「東洋を暴れ回った日本は、想像を超える規模の残虐な行為と死をもたらした。その 最たるものが戦争捕虜の扱いだった。日本はアメリカ兵やイギリス兵、カナダ兵、ニュージーランド兵、オランダ兵、 オーストラリア兵ら約132000人 を捕虜にした。そのうち36000人 近くが死んだ。4人に1人 を超える確率だ。特にアメリカ兵の捕虜の待遇がひどかった。日本に捕らえられた34648人 のアメリカ兵のうち、37%超に相当する12935人 が死んだ。ちなみに、ナチス・ドイツやイタリアに捕らえられたアメリカ兵のうち、死亡したのはわずかに1%だっ た」

  次のように、捕虜はとてもひどい扱いを受けたという。

  「何千人もの捕虜たちが、殴られたり焼かれたり、銃剣で刺されたり、こん棒で殴ら れたりして殺され、銃殺 され、人体実験で殺され、人食いの風習で生きたまま食われた。ごくわずかしか食事が与えられず、不潔な食品や水のた めに、さらに何千人もの捕虜たちが餓死 し、容易に予防できるはずの病気のために亡くなった」

  捕虜に対する虐待がなぜ日本軍では日常的に行われたのか、本書は次に引用するよう に日本軍の特異なカルチャーにその原因の一端をみる。

  「当時の日本陸軍では、下士兵に対する殴打は日常的に行われていた。『鉄は熱いう ちに打て。兵士は下っ端 のうちになぐれ』ということが兵士の間ではよく言われていた。『殴られてはじめて強い兵士ができあがる』とも言われ ていた。すべての日本兵にとって、特に 下級の兵士たちにとって、殴られるのは避けられないことだった。しばしば、毎日、殴られたのだ」

  兵士たち自身が、日常的に殴られた経験があるため、そのうっぷんが捕虜に向かった というのだ。評者・森川は本書を読 んでいた時期に、五味川純平が軍隊の不合理を描く戦争小説「人間の條件」を読んでいたので、日本軍の体質に関する本 書の指摘にはうなずけるものがあっ た。…以下略

  かなり酷いことをやられたようですが、人肉をそれも生で食べたなんてのは日本人で はちょっと考えられません。まして や国内ですからありえませんね。南の島で食料が無くなって極限で生きるためにそんなことがあったという噂もあるよう ですが、それだってどこまで本当かは分 かりませんし、極限ではそういうこともあるかもしれないと否定できないものはあります。自分だってその立場になって みないとどうするか分かりません。
  これは、やはり人肉食の習慣がある中国が金を出して日本を自分達と同じ位置に貶めようとしていると考えられま す。要するに、金にころんで映画を作ったと考えられます。

   BBさんが書いてくれている中に、同じ大森収容所での捕虜体験を書いたルイス・ ブッシュさんというイギリスの将校の本が紹介されていました。
  これは是非読みたいと思ってましたが、何と、全文ネットにありました。下にリンクしましたので是非読んでくださ い。

   BBの覚醒記録よ り  2014-06-07

    ア ンジェリーナ・ジョリの日本貶め映画への抗議署名  《拡散希望》

  よく、こんなことを映画にするものです。こんな女優はもちろん映画も日本には入れ たくないですね。YOKOさ んも憤慨しています。

  ア ンジェリーナ・ジョリーが反日映画を監督?

   まとめのサイト

  おかわいそうに ルイス・ブッシュ

文芸春秋新社/昭和31

 この本は弘前高等学校の英語教師として赴任した著者が、第二次大戦中日本軍の捕虜となり、終戦後に解放されるまでを綴った記録です。

   この方は、戦前から日本に来られて東北で高等学校の教師をされていたがお国の為に国に帰って兵役に就いたが、香港 で日本の捕虜になったそうです。日本を本当に理解し愛してくれている方ですが、経験をありのままに書いてくれています。
  映画のようないじめも経験されていますが、相対に日本人の素晴らしさを認めていますし、多くの捕虜が終戦まで生き残 れたのはそうした日本人のやさしさに守られたのだと書かれています。 

  こんな素晴らし本があるのに、これを世界に広める努力をしない政府・外務省の無関心振りにはあきれるしかありませ ん。


★世界中のどこにもない

2014年06月18日 | 素晴らしい外人の日本応援団

  ワールドカップなんて全く興味がないくらいなの で、サッカーのことは全くと言って無知なのですが、日本で監督をしていた有名な監督さんが日本のことを素晴らしく評価し てくれている動画がありました。
  根が単純ですから、こんな動画を見ると嬉しくなります。但し、これは戦前の凄さの残り火のような気もしないではない です。早く、本当の日本を取り戻して、世界に広めたいものです。


 日 本ほど素晴らしい国は世界中のどこにもないだろう 元名古屋グランパスエイト監督アーセン・ベンゲル 

   どんな人か知らないので、サーチしてみました。サッカーの指導者としては有名な 人のようです。

   ウィキペディアより
   アー セン・ベンゲル
  
   VarietyFootballよ り
   教 訓と道徳の監督

   日本経済 新聞より
   我 が近所に住むベンゲル監督 改めて思う、その偉大さ   2010/11/27
   サッカージャーナリスト 原田公樹