大切なもの

2014年05月18日 | 日記
朝起きるとまず窓から山の稜線を眺めるのが日課になりました。最近ではうっすらと見えるか、全く見えないかのどちらかです。くっきりと見えていたのはいつまでだったでしょうか。父が起床と同時に窓を開け、外の空気が入ってきて目がシパシパと痛痒くなって目が覚め、外を見ると薄雲って見える、というのが最近お決まりのパターンです。昨日と今日は特にひどかったですね。今月は熊本市内の小中学校は運動会のところが多いので健康被害が心配です。先日、東京に1週間ほど滞在して熊本に帰ってきた方が「熊本は空気が汚い」と言われた話を聞きましたが、東京よりひどいなんて処置なしです。
先週レッスンに来た大学生は、サークルの新入生勧誘のため戸外で大きな声を出したら声が嗄れてきて、耳鼻咽喉科で「声帯の前方が硬くなっている」と言われたとのこと。彼女は自宅から大学まで自転車通学をしているので、最近はマスクを二枚重ねにしてかけているそうです。大きな声を出したせいもあるでしょうが、空気の悪さも声嗄れを助長したに違いありません。私も未だに15分以上は歌えないのです。
今日の午前中は合唱団の練習でしたが、窓を開け放ってあったので、練習の途中で目が痒くてたまらなくなりました。団長はじめ男性諸氏からは「アレルギーの人は大変ですね。私は別に何も感じませんよ。鈍感なんですかね」と言われました。私も他のことでは十分に鈍感なのですが(笑)。
こういう毎日の中では、大学2年生の授業で読んでいる『星の王子様』の「大切なものは目に見えない」という有名なフレーズがひどく現実的に感じられます。大切なものとは、ここでは愛や真心、夢、希望、祈りなど「私たちの人生を根底で支えているもの」を指しているのですが、空気こそ「目に見えない大切なもの」の筆頭ではないか、という気がしてくるわけです。歌うことや喋ることに支障をきたすという事態は、私たちの業界では、大げさに言えば死活問題ですからね。
失って初めてその大切さを知る、という愚を人間は昔から繰り返してきたのでしょうが、人間とはなかなか学習しない生き物ではあります。pm2.5は私たち自身が望み、日々享受している豊かな物質文明の残滓なのですから、中国ばかりを責められません。

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