のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

自分用の記録

2010年08月05日 23時36分15秒 | 日常生活
ブログは「自分用の記録」なので自分の好きなように、好きな時に、
あまり深く考えずに言葉を垂れ流しています。
お付き合いくださっている方、本当にありがとうございます。

けれど、本日は完全なる私信です。
届かなくてもいい私信です。
そして、やはり「自分用の記録」です。
数年後の自分がこの想いを忘れていませんように。

日曜日に転入会を無事に終えました。
転入会を終えて、少しスッキリしました。
今通っている教会にお世話になり始めて2年近く経過しているんだから
きちんと転入会しなければ、ともやもやしていたのでスッキリ。
けれど、その一方でスッキリ以上の寂しさも感じてもいます。
以前、通っていた教会にはご恩や思い入れがたっぷりあるのです。
その前にお世話になった色々な教会にも
(なにせ教会ジプシー歴20年。通った教会の数6つですから。)
それぞれにたっぷりご恩や思い入れがあるけれど、
それでも私にとって、ベタニヤは確実に特別な教会でした。
そして、今も特別な教会です。

20年以上、教会に通ったり行かなくなったり、
通ってはいてもその目的は友達と会って話すことだったり、
バプテスマもいつか受けるかもしれないけど、でも実感ないよね、
と中途半端なことを考えていたりしていた私に
「神様とちゃんと向き合おう」「教会ときちんと付き合おう」
と思わせてくれたのも、あの教会だったからこそ。
個性豊かな人たちの集まりで、「クリスチャン」に抱いていた
そこはかとない憧れとか気後れ、そしてそれ以上に感じていた
違和感をものの見事にうちくだいてもくれました。

「日曜日は教会に通っている」と言うと、
気まずそうな顔をされることがあります。
けれど、私は気まずそうな顔をする人たちよりも、
教会へ通っていることに対して「偉いね。」と言われることのほうに
違和感を、というよりは壁のようなものを感じていて、
けれど、その壁は私自身も「クリスチャン」に抱いているもので、
だからこそ、あの教会で個性豊かな人たちと出会って
彼らがごくごく普通に遠慮なくいろんなことを言い合って、議論しあって
怒って、笑っている姿を見て、ようやく心が楽になった気がします。

ベタニヤ村教会で過ごした時間によって
ようやく私は教会や聖書、礼拝と肩に力を入れず、
自然体で付き合えるようになりました。
本当に本当にお世話になりました。

・・・と殊勝な気持ちになったわけですが、
転入会したからといって、以前通っていた教会とご縁がとぎれるわけではないし
いつだって「仲間」ですし、これからも会う機会はあると思うし
会う機会をきちんと作りたいと思うし、
そうなると、こんなこといちいち面と向かって言う必要もないのよね
とも思うわけで。

でも、本当に。
心からのありがとうを込めて。
そして、これからもよろしくお願いします。の気持ちも込めて。
この気持ち、忘れずにいようね、という自戒を心から込めて。
いつも祈っています。

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