ベランダのコンクリートの上で死を迎えた蝉を目にして
やるせない気持ちに襲われました。
せめて最期のときぐらい、森の中や木々の近くや土の上で
本来過ごすべきだったところで
存在しても不自然ではないところで迎えてほしい。
そう思うのは、たぶん私のエゴと分かっていても
願わずにはいられないのです。
やるせない気持ちに襲われました。
せめて最期のときぐらい、森の中や木々の近くや土の上で
本来過ごすべきだったところで
存在しても不自然ではないところで迎えてほしい。
そう思うのは、たぶん私のエゴと分かっていても
願わずにはいられないのです。
死ぬことは自然なことだから、土の上などの自然環境の元で命を落とせば、体が土に還るまでに色々な生き物の糧になるから、いいと思うんだけど。
アスファルトやコンクリの上じゃあ、還れないから、命が無駄になってしまうようで。
特に猫とかだと近所の人などが土に埋めたりしてくれないことには、行政機関などで焼却用のゴミとして処理されちゃったりするんで、もっと哀しいです。
そうして死んだ生きものたちにとっては、そうした環境を作っておきながら、手前勝手な感傷を言うってことになるんでしょうけれど…。
そうなんです。そうなんです!
ゆきのさんが補足してくださってる通りなんです。
土に還らない命ほど切ないものはない。
そう思います。