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棟方志功展-祈りと旅-

2011年07月05日 23時04分30秒 | 備忘録
当初から行きたい!と思い、チケットも入手していたものの
ばたばたして過ごしていたところ、危うく入手チケットを無駄にするところでした。
最終日にようやく福岡県立美術館にて鑑賞。

このところ、「○○展」と銘打たず「○○をめぐる世界」みたいな感じで
ある作家さんを中心として同時代に、もしくは同ジャンルで
活躍されている方々の作品を一堂に会した展覧会が増えていますが
今回はがっつりと棟方志功さんの作品のみを集めた展覧会で
棟方さんの世界観を堪能できるとても見応えのある作品展でした。

鑑賞しながら強く思ったのは
独自の世界観を持っている人、
その世界観を自分の手で形にできる人ってすごいな、ということ。
誰しも自分だけの世界観を持っているとは思うけれど
それがどこまでもオリジナリティあふれるもの、という人は
少ないんじゃないかな、と思うのです。
何かしら、もしくは誰かしらの影響を受けて、今の自分がある。
でも、芸術家と呼ばれる人たちは
最初の出発点は誰かしら、何かしらの影響を受けていても
その影響を超えて自分の世界観を作り上げられる人。
どうやったらこんなことを思いつくんだろう、と周囲を圧倒できる人。
私にとっての「芸術家」はそういった方々で、
だから尊敬してやまないし、無条件で憧れます。
今回の作品展を見て、改めてその想いを強くしました。

とにかく自由で豊かな発想の数々に圧倒されました。
故郷青森の影響を色濃く受けていて
「銀世界」を思わせる白黒を基調とした画面に
ごつごつとした作風が力強く描かれている初期作品。
青森のねぶた祭りを思わせる鮮やかで華やかな画面構成に
やはり力強く描かれる独自の宗教観を取り入れた中期以降の作品群。
どちらも、どうやって画面構成を決めているんだろう
どこからこのイマジネーションが湧きでるんだろう
とただただ圧倒される作品たちでした。

板画(棟方さんは終生、「版画」ではなく「板画」という言葉を
こだわりをもって使われていたそうです。)は
削るところ、残すところによって、画面構成が大きく異なるはずで
でも、一度、削ってしまったところは元に戻せない。
ということは、作品の下書き段階で、どこを削ってどこを残したら
どういうふうに画面の配色が変わってくるのか、というような
画面構成がきっと見えてるんだろうなー、というようなことを考えて
その工程にくらくらしました。

何も考えずにするすると見ていましたが
「好きだなー、これ。」と思い、何度も戻って見返したのは
二菩薩釈迦十大弟子(にぼさつしゃかじゅうだいでし)
・伸びやかな空を漂う神様(?)ふたりが印象的な宇宙頌
・棟方さんの奥様チヤさんが愛するコスモスの花々をあしらった
 女性の大首絵「倭絵胡須母寿花頌(やまとえコスモスかしょう)」
・岡本かの子さんの詩との共同制作「女人観世音版画巻」
・草野心平さんの詩集「富士山」に挿画として描かれた作品群

特に二菩薩釈迦十大弟子のユーモラスな表情のお坊様たちは
棟方さんの自画像にも通じる穏やかなぬくもりにあふれていて大好きでした。
あとは大胆でシンプル、かつ豪快な構成で描かれていた赤富士は圧巻。
これぞ、富士山だとほれぼれ見惚れました。


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