本日は祖父の17回忌でした。
高校1年の終わりに祖父が亡くなってから早16年。
16年という時間はとても長いのに
今もふとした拍子に、祖父をよく思い出します。
「祖父だったらこんなとき、どう言うのかな。どう行動するのかな。」
と思いを馳せることも多く、その仕草も表情も
まるで昨日のことのように鮮明に思い返せます。
それぐらい存在感のある、エネルギーに満ち溢れた人でした。
人生を楽しむこと、健康で過ごすこと、正しく強くあること、
何より「生きること」に、とても貪欲な祖父でした。
昔の人らしく家父長としての威厳に満ち溢れていて
祖母からも「おじいちゃんを怒らせちゃいかんよ。」
と言い聞かせられていました。それなのに、孫ふたりともに
「好き嫌いはいかん。」
「お前らはホントにポンやのう。」
「なん甘えたことばっかり言いよるか。」
と、たくさんたくさんお小言をちょうだいしました。
それでも祖父のことが大好きで
遊びに行くたびに、2階の祖父の部屋に向かって階段を駆け上がっていました。
祖父も口ではいつもお小言を言いながら、憎まれ口を聞きながら
児童館、交通公園、近所のスーパー、本屋さん、といろんなところに
遊びに連れて行ってくれていました。
「お金を使わなくったって楽しいところはたくさんあるよ。」
ということを行動で教えてくれた祖父でした。
私たちの目線に降り立って遊んでくれたことはないけれど
私たちと一緒に過ごすことをまったく面倒がらず
交通公園では狭い公園内を飽きもせずにぐるぐるサイクリングし続ける私たちに
いつまでも付き合ってくれていました。
「遊んでくれる」のではなく「寄り添ってくれる」祖父でした。
今も「祖父が生きてくれていたらなぁ」と思うことは幾度とあって。
そのたびに祖父の大きさを実感しています。
今の年齢で、あの頃の祖父と話がしてみたかったな。
もっともっといろんなことを祖父に聞いておきたかったな。
高校1年の終わりに祖父が亡くなってから早16年。
16年という時間はとても長いのに
今もふとした拍子に、祖父をよく思い出します。
「祖父だったらこんなとき、どう言うのかな。どう行動するのかな。」
と思いを馳せることも多く、その仕草も表情も
まるで昨日のことのように鮮明に思い返せます。
それぐらい存在感のある、エネルギーに満ち溢れた人でした。
人生を楽しむこと、健康で過ごすこと、正しく強くあること、
何より「生きること」に、とても貪欲な祖父でした。
昔の人らしく家父長としての威厳に満ち溢れていて
祖母からも「おじいちゃんを怒らせちゃいかんよ。」
と言い聞かせられていました。それなのに、孫ふたりともに
「好き嫌いはいかん。」
「お前らはホントにポンやのう。」
「なん甘えたことばっかり言いよるか。」
と、たくさんたくさんお小言をちょうだいしました。
それでも祖父のことが大好きで
遊びに行くたびに、2階の祖父の部屋に向かって階段を駆け上がっていました。
祖父も口ではいつもお小言を言いながら、憎まれ口を聞きながら
児童館、交通公園、近所のスーパー、本屋さん、といろんなところに
遊びに連れて行ってくれていました。
「お金を使わなくったって楽しいところはたくさんあるよ。」
ということを行動で教えてくれた祖父でした。
私たちの目線に降り立って遊んでくれたことはないけれど
私たちと一緒に過ごすことをまったく面倒がらず
交通公園では狭い公園内を飽きもせずにぐるぐるサイクリングし続ける私たちに
いつまでも付き合ってくれていました。
「遊んでくれる」のではなく「寄り添ってくれる」祖父でした。
今も「祖父が生きてくれていたらなぁ」と思うことは幾度とあって。
そのたびに祖父の大きさを実感しています。
今の年齢で、あの頃の祖父と話がしてみたかったな。
もっともっといろんなことを祖父に聞いておきたかったな。