26.ポプラの秋/湯本 香樹実
■ストーリ
夫を失ったばかりで虚ろな母と、もうじき7歳の私。二人は
夏の昼下がり、ポプラの木に招き寄せられるように、
あるアパートに引っ越した。不気味で近寄り難い大家のおばあさんは
私に奇妙な話を持ちかけた。18年後の秋、お葬式に向かう私の胸に
約束を守ってくれたおばあさんや隣人たちとの歳月が鮮やかに甦る。
■感想 ☆☆☆☆*
作品を読んでいる間中、いや読み終わった後も、作品が紡ぎだす
光景がまるで自分の記憶のように目の前に繰り広げられる。
そんなふうに登場人物や場面が鮮やかに描かれている作品だった。
窓から見える大きなポプラの木。
しわくちゃで仏頂面の大家のおばあさん。
少しやつれて生活に疲れている母親。
次から次へと空から降ってくるポプラの葉。
落ち葉を集めてアパートの前で行う落ち葉たき。
通りがかりの見知らぬ人と食べる熱々の焼き芋。
作品の中で繰り広げられる日常の出来事が私の中に積もり
重なっていく。そして、作品を読んでいるわずかの間に、
幼い頃の自分の思い出と重なり合い、共鳴し、懐かしさを覚えるほど
愛着を抱くようになる。その過程があまりに自然だったため、
私は作品終盤を迎えるまで、自分がヒロイン達に愛情や愛着を
抱いていることにすら気付かないでいた。淡々と読み進めている
つもりでいた。しかし、ヒロインが幼い頃に住んでいたポプラ荘を
訪ねる辺りから、私は自分の感情をコントロールすることが
できなくなった。
私たちは、いつも「死」を遠いところに考えている。
けれど、誰にでも必ず訪れる「死」をないものとして扱うことは
できない。私たちはもっと、死が特別なものではないこと、
必要以上に怖がらなくてもいいことを知って、「死」について
考えなければいけないと思うのだ。
この作品のヒロインは、おばあさんのお葬式で、幼い頃の父親の
死を見つめなおす。そのラストに、「死」を遠ざけず、きちんと
見つめることで始まることもある。そう思った。
■ストーリ
夫を失ったばかりで虚ろな母と、もうじき7歳の私。二人は
夏の昼下がり、ポプラの木に招き寄せられるように、
あるアパートに引っ越した。不気味で近寄り難い大家のおばあさんは
私に奇妙な話を持ちかけた。18年後の秋、お葬式に向かう私の胸に
約束を守ってくれたおばあさんや隣人たちとの歳月が鮮やかに甦る。
■感想 ☆☆☆☆*
作品を読んでいる間中、いや読み終わった後も、作品が紡ぎだす
光景がまるで自分の記憶のように目の前に繰り広げられる。
そんなふうに登場人物や場面が鮮やかに描かれている作品だった。
窓から見える大きなポプラの木。
しわくちゃで仏頂面の大家のおばあさん。
少しやつれて生活に疲れている母親。
次から次へと空から降ってくるポプラの葉。
落ち葉を集めてアパートの前で行う落ち葉たき。
通りがかりの見知らぬ人と食べる熱々の焼き芋。
作品の中で繰り広げられる日常の出来事が私の中に積もり
重なっていく。そして、作品を読んでいるわずかの間に、
幼い頃の自分の思い出と重なり合い、共鳴し、懐かしさを覚えるほど
愛着を抱くようになる。その過程があまりに自然だったため、
私は作品終盤を迎えるまで、自分がヒロイン達に愛情や愛着を
抱いていることにすら気付かないでいた。淡々と読み進めている
つもりでいた。しかし、ヒロインが幼い頃に住んでいたポプラ荘を
訪ねる辺りから、私は自分の感情をコントロールすることが
できなくなった。
私たちは、いつも「死」を遠いところに考えている。
けれど、誰にでも必ず訪れる「死」をないものとして扱うことは
できない。私たちはもっと、死が特別なものではないこと、
必要以上に怖がらなくてもいいことを知って、「死」について
考えなければいけないと思うのだ。
この作品のヒロインは、おばあさんのお葬式で、幼い頃の父親の
死を見つめなおす。そのラストに、「死」を遠ざけず、きちんと
見つめることで始まることもある。そう思った。