網張から盛岡に戻り、今日は姫神山に登る。朝のいわて銀河鉄道で好摩まで行き、タクシーを奮発して一本杉登山口へ
標高差で600Mほど。日曜日で車で来ている人がけっこういて、しっかりしたトレースが付いているのでツボ足で登り始める。
この辺りから少し傾斜が出てくる。何を懺悔して登るべきか
長靴で軽快に登る地元の人、ガッチリアイゼンを履く人、それぞれの技量に合わせて皆楽しそうに登っていく。頂上近くは岩場だが今は雪上を歩いていく
2時間40分で頂上(1123M)着
大地にそびえる岩手山。写真では大きさが伝わらないが広い平野に威風堂々と立つ岩手山は絶景だ
少しアップで
頂上で出会った地元の人によればこの季節にこんなにはっきりきれいに見えることは珍しいとのことなのでこの幸運に感謝
風もほとんどないので頂上で昼食をとり下山。下りはアイゼンを履いてもいいのだが、滑落して死ぬようなところはないし、転んでも雪があるので大して問題なし。そのままツボ足で駆け下りる。この爽快感、スキーよりやっぱり性に合っている。六甲山にもこれくらい雪があれば楽しいのになぁ
登山口に戻ってタクシーを呼んで近くの渋民まで行ってもらう。渋民村といえば夭折の歌人石川啄木が通い代用教員をしていた小学校のあるところ。記念館があり当時の小学校も隣に移築されているというので観に行く。
玄関でお出迎えの啄木君
左が小学校、右は代用教員時代寄宿していた家
小学校内部
囲炉裏があって「男子用いろり」とある。こんなところまで男女は席を同じにしなかったのだろうか
年譜を見ると啄木は26歳で亡くなっている。その間渋民から北海道、東京へと転居、結婚し2子をなし、嫁姑問題に悩み、漱石、与謝野鉄幹、晶子、金田一京介などとも交わるなど目まぐるしい人生を送っている。女遊びのために借金を重ねるなど必ずしも清廉な人生ではなかったようだが、今でも多くの人に読まれ親しまれている歌は美しく暖かい
渋民村マンホール
観終わって渋民の駅まで歩いていく。今日は下からも岩手山がクッキリ
さっき登った姫神山も
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