夢七雑録

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3.丸山橋から久我山橋

2009-10-22 22:54:56 | 神田川と支流
(9)丸山橋

 三鷹台の駅前を通る道路は、「丸山橋」で神田川を渡っている。橋の名は地名(字)に由来するという。昭和の初期に井の頭線が開通するのに合わせて、この道路と橋も整備されたのだろう。当時の三鷹台駅は道路の西側にあったようだが、今は、ホームの延長にともない、道路の東側に移されている。「丸山橋」から先、川沿いの道は行き止まりになる。仕方がないので、橋から左に行き、次の角で信号を渡って東に向かって歩く。時々、家と家の間から向こうを覗くと、川岸の柵らしいものが見える。安心して歩いていくと、突然、線路の脇に出た。いつの間にか、川は線路の下をかい潜って、向こう側に出ていたのだ。

(10)神田橋
 踏切を渡って少し行くと、川べりに出られるようになっている。右に行くと行き止まりなので左に行くと、「神田橋」に出る。明治の頃にも橋はあったようなので、今の橋は何代目かの橋ということになる。橋を渡っていると、右手から自転車が二、三台、こちらに来るのが見えた。ということは、右岸の道は通り抜けが出来るという事になる。「丸山橋」で、道を右にとれば良かったのかなとも思ったが、今さら戻る気はない。橋を渡り終えて、神田川の右岸を少し行くと、右に入る遊歩道のような道がある。神田川の旧水路跡のようでもあるが、他人の家の庭先に入り込みそうな気もして、入るのは止めにした。

(11)みすぎ橋

 次の橋は、三鷹と杉並の境にあることから名が付いた「みすぎ橋」。橋の下を覗くと、コンクリートの岸壁の間に、蛇行する水路が人工的に作られているのが見えた。本来、神田上水は自然河川をそのまま利用したものだったので、蛇行するのが自然なのだが、今や、このような形でしか、昔の神田上水を偲ぶ事は出来ないのだろう。ただ、何と無く川が哀れなような気もする。それに、このまま放置すれば、川底に折角作った水路も、生い茂る草の中に埋もれてしまうのではなかろうか。

(12)緑橋
 次の橋は「緑橋」。桜が多いので、ここを訪れるのは花見時がベストなのだろうが、夏でも日陰になってくれるので、快適に歩けるのが有りがたい。昔は、この辺りから、神田川沿いに田圃が続いていたらしいが、今では閑静な住宅地が先の先まで続いている。

(13)宮下橋
 久我山稲荷神社の下にあるから「宮下橋」というわけで、橋の欄干も鳥居の色に塗られている。今でこそ、久我山駅近くの久我山橋がメインストリートのようになっているが、昔は、この橋を通る道が久我山の本道だった。この道は、大宮八幡から西へ行き、この橋を渡って、府中に出る古い街道で、地元では鎌倉街道とも呼ばれていた道である。

(14)宮下人道橋
 その名の通り、人しか渡さぬ橋である。前の橋との間隔が短いような気もするが、必要あって架けられたのだろう。神田川の流域には、所々に人道橋があるが、それだけ、歩く人が多いということかも知れない。

(15)都橋

 次も人道橋で、「都橋」という名が付いている。名の由来は知らないが、久我山にあった橋の名を受け継いだのだろうか。ここまで来ると人通りも増えて、都会の橋らしくなってくる。橋の上から覗くと、鯉が二、三匹。そこそこの水深があって、餌も豊富らしく、見栄えのするサイズになっている。下は草地があるようで、下りてみたい誘惑に駆られたが、下りたら上がれそうにない。あっさり諦めて、次の「久我山橋」に行く。


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