夢七雑録

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静嘉堂文庫と瀬田四丁目広場(旧小坂家住宅)

2015-05-17 08:02:58 | 公園・庭園めぐり

(1)静嘉堂文庫

二子玉川駅で下車し厚木街道の下を潜る。二子玉川商店街を北に向かいNTT瀬田前の交差点で左折、丸子川に沿って西に向かうと、周囲を緑道で囲まれたパークコートという名のマンションがある。ここは幽篁堂庭園という名園の跡地で、ここにマンションを建てる際に、既存樹木の移植をはかり石造物や庭石などの再利用を行い周囲に緑道を造って庭園の面影を残そうとしたという。その事が評価されて受賞もしているようだが、その一方で、著名な造園家の庭園が消滅してしまっている。庭園の宿命というべき事ではあるのだが。

下山橋で右折するのが静嘉堂文庫へのルートだが、今回は、丸子川沿いにもう少し歩く。谷戸川の合流点を過ぎる辺りから、右側には岡本静嘉堂緑地の森が続いている。生物の森、そう呼ばれている森の中には湧水地があるに違いなく、森から溢れた水が丸子川に流れ落ちている。森が途切れると草原になっている。今はバッタの原と呼ばれているが、岩崎家の敷地だった時には温室があった場所だという。生物の森が岩崎家の庭園だった頃、この森は人によって維持されていた筈だが、すでに人の手が離れて久しくなっている。このままの状態で、生物の森が永遠の杜となるのには、あと、どれほどの年月が必要になるのだろうか。

 

下山橋に戻って左へ行くと旧小坂家住宅の裏門が見えてくる。道は左に曲がっていき、すぐに静嘉堂文庫の正門となる。世田谷区岡本2-23-1。二子玉川駅から静嘉堂文庫の正門までは、歩いて20分ほどの距離にある。門を入って右側に小さな池を見ながら進むと谷戸川に出る。谷戸川は、歴史と文化の散歩道の世田谷コースの記事の中でも書いているが、砧公園の中を流れ下ってくる川である。静嘉堂は国分寺崖線に位置し、台地上に静嘉堂文庫、納骨堂、美術館、庭園が配置されている。一方、台地の両側の丸子川沿いと谷戸川沿いは岡本静嘉堂緑地になっている。谷戸川を渡ると、右側に静嘉堂文庫に至る車道と、左側の道に分かれる。左側の道は納骨堂に上がる道と生物の森を通る道に分かれるが、生物の森を通る道は立入禁止になっている。

 

車道を上がる。途中で右に下る道があり、トンボの湿地に出るが、今の季節は至って静かである。再び樹林に覆われた車道を上がるが、特段の眺めも無い。上がりきって、ようやく、静嘉堂文庫の建物が現れる。外観はイギリスの郊外住宅だというが、専門図書館の建物である事に変わりは無く、他の別荘地とは性格を異にしている。

明治41年、この土地を岩崎家が取得し、明治43年には、コンドル設計の納骨堂を建てる。当初の静嘉堂は岩崎家の霊廟としての性格が強かったと思われる。岩崎彌之助は東洋の文化財の散逸を恐れて古典籍や古美術の収集を行ったが、岩崎小彌太はこれを引き継ぐとともに、大正13年には収集した書籍を収蔵する静嘉堂文庫を建てる。これらの書籍は一般公開していないが、美術品については、平成4年に開設した美術館で一般公開されている。ただし、美術館は現在、改修工事中のため閉館中である。前に来た時は、納骨堂を経て正門に出たが、今回は、もと来た道を正門まで戻る。

 

(2)瀬田四丁目広場(旧小坂家住宅)

 

旧小坂家住宅へは静嘉堂文庫正門近くの裏門から入る方が便利かも知れない。世田谷区瀬田4-41-21。今回は表門から入るべく、静嘉堂正門の前から北に馬坂を上がる。坂の途中には庭園への入口が作られている。さらに坂を上がると瀬田四丁目広場という看板があるが、要は旧小坂家住宅の事である。旧小坂家住宅は信濃毎日新聞社長で貴族院議員を務めた小坂順三の別邸である。敷地は3000坪近いが、国分寺崖線の斜面下が半ばを占める。台地上の主屋は100坪あまり。周辺の国分寺崖線沿いに建っていた数多くの別荘が、次々と消えてしまった今となっては、この別邸は貴重な存在であるとして、世田谷区の有形文化財に指定されている。

   

現在は瀬田四丁目広場の標札になっている表門から入るが、樹林に遮られて主屋は見えない。先に進むとようやく、木の間に古民家風の建物が姿を現す。古民家風の玄関を上がって庭を眺める。この別邸は国分寺崖線の縁に建てられている。今は周囲を樹林で囲まれているが、それでも富士が見えるそうである。昔はもう少し眺めが良かったかも知れない。

  

茶の間と居間の間は、家紋に良く使われる五三の桐の透かし欄間になっている。居間には床の間と書院があり、床の間には昭和12年10月の上棟式で使われた棟札が置かれている。主屋と茶室の完成は、翌年になってからだろう。西側の書斎は洋間になっているが、和の趣も多少はあるらしい。暖炉の上には壁がんと思われる壁面のくぼみが造られているが、ここには仏像が置かれていたという。主屋の東側には台所や浴室がある。蔵を主屋に取り込んだ内倉もある。その傍らに年代ものらしい冷蔵庫が置かれているが、今でも使えるのだろうか。廊下の奥は2階建てになっている。上からの眺望はどうなのか、上がって見たい気もしたが、立ち入る事は出来ないようである。

 

中門をくぐり、国分寺崖線の斜面を下りて庭園に行く。改修が行われたらしく、見違えるほど明るくなっている。不要な草木は取り除かれたのだろう、庭園は広場へと見事に変身している。園路も歩きやすく整備されている。それでも、湧水だけは、今も健在である。

 

横山大観が滞在した茶室は、とうの昔に失われてしまったが、その周辺を取り囲んでいた筈の竹林は、今も庭園の主たる景物になっている。庭園内を巡り歩き裏門に向かうと、2基の庚申塔が置かれている。本来は信仰の対象として然るべき場所に置かれていた筈の庚申塔も、何時しか幽篁堂庭園の景物となり、そして今は、この広場を終の棲家にしている。そっと庚申塔に頭を下げ、それから裏門を出る。

 

<参考資料>「緑と水のひろば71」「明治大正期の別邸敷地選定にみる国分寺崖線の風景文化論的研究」「ようこそ瀬田四丁目広場へ」

 

 


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