夢七雑録

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番外・雑司が谷七福神めぐり

2011-01-06 19:16:49 | 七福神めぐり

 2011年、都電荒川線の沿線に七福神めぐりが新登場した。雑司ヶ谷七福神がそれである。そこで、雑司ヶ谷七福神をめぐる、鬼子母神前~都電雑司ヶ谷~東池袋四丁目のルートを歩いてみることにした。


(1)鬼子母神(豊島区雑司が谷3-15-20)「大黒天」
 今回の七福神めぐりの起点は都電の鬼子母神前の停留所である。踏切を通る道は江戸時代からの鬼子母神道で、ここを西北に行くと直ぐ右側に欅並木の鬼子母神の参道がある。江戸時代、この参道の両側には料亭や茶屋が軒を連ねていたといい、中でも参道入口近くにあった茗荷屋は有名で、広重が江戸高名会亭尽の一つとして描くほどであった。参道を進んで行くと右側に、蝶屋という料亭の跡に建っていた五軒長屋を改修した並木ハウス・アネックスがあり、中に雑司が谷案内処が設けられている。裏手には手塚治虫が住んでいた並木ハウスも健在である。雑司ヶ谷案内処では、雑司ヶ谷七福神のマップ入りパンフレットを配布しており、色紙も販売している。参道をさらに進み、突き当りを左に折れた先が鬼子母神である。なお、右に行く道は江戸時代からの鬼子母神道の一つで、本納寺、清立院を経て護国寺に出る道である。
 
 正月三が日は鬼子母神の参詣者が長い列を作っている。七福神詣でをする際は、ここでかなりの時間を費やしたあと、大黒天を参拝することになる。鬼子母神堂の由来は、清土という場所で掘り出された鬼子母神像を法明寺内の東陽坊(大行院。現在は無い)が預かり、後になって、稲荷の森に堂を建てて像を祀ったのが始まりとされる。鬼子母神像は天保の頃まで御開帳もあったようだが、今は秘仏として厨子に納められたままになっている。秘仏の身代わりとなる前立ち本尊は天女形のようだが、遊歴雑記では鬼子母神像に角があったとしており、本当のところは分からない。稲荷の森の稲荷とは鬼子母神境内の武芳稲荷のことだが、この稲荷の鳥居の近くにあるのが、創業1781年の上川口屋という駄菓子屋である。鬼子母神境内には、元禄の頃に始まり正徳の頃に飴を売り出して評判になった川口屋があったが、この店もその伝統を継承している店のようで、近くを流れる弦巻川に因んだ鶴丸の紋を用いている。

 最近になって境内に建てられた大黒堂は、羽二重餅本舗により復活した「おせん団子」を売る店だが、残念ながら営業日は限られている。雑司ヶ谷七福神の対象となる大黒天は、この店内に祭られており、雑司ヶ谷七福神のパンフレットには、鬼子母神の夫神と記されている。江戸名所図会では、本殿に鬼子母神像、相殿に夫神の円満具足天と子の十羅刹女と記しているが、ほかに、鬼子母神の傍らに大黒天も祭られていたという話もあり、また、当初の大黒天は陶製であったが、明治の末頃に木彫りの像が納められたという説もあって、実態はよくわからない。

(2)観静院(豊島区南池袋3-5-7)「弁財天」

 鬼子母神堂から北に行く道は二つあり、左の道は法明寺に、右斜め方向に行く道は大行院の跡地に出るが、何れも江戸時代からの道である。法明寺の前の道は丸池を水源とする川の跡で、上流部を布引川、下流部を弦巻川と呼んだ。この小川を渡った先に法明寺の仁王門があったが、戦災で焼失して現在は無い。法明寺の支院である観静院は右側にあり、院の中に入ると左手に石に彫られた弁財天がある。

(3)大鳥神社(豊島区雑司が谷3-20-14)「恵比寿神」

 弦巻川跡の道を東に行くと大鳥神社に出る。この神社の前身は鬼子母神境内にあった鷺大明神だが、明治の神仏分離により、耕向亭という料亭の跡地である現在地に大鳥神社として移されている。鷺大明神は疱瘡除けの神であるが、神像が仏教系の像であったため鬼子母神に残され、大鳥神社には移されていない。境内には真新しい恵比寿神の祠が祭られているが、大鳥神社が創始された時に恵比寿神も合祀していたという事があったからという。この大鳥神社は酉の市でも知られている。酉の市は足立区花畑の大鷲神社が始めたものだが、今では各地で開催されている。

(4)清土鬼子母神(文京区目白台2-14-9)「吉祥天」

 大鳥神社から都電の踏切を渡って弦巻通りを歩くが、次の目的地までは少々距離がある。三角寛の旧居を利用した料亭を過ぎ、菊池寛旧宅跡も通り過ぎると下り坂になる。その先、幟を目印に右側の細い道を入ると、清土鬼子母神の裏手に出るが、分かりにくい道である。清道鬼子母神の正面入口は不忍通り側にあるので、迷ったら高速道路下の小篠坂に出て右に折れ、その先の不忍通りを右に折れると良いだろう。清土鬼子母神の堂は、鬼子母神が掘り出された清土出現所にある。境内には星跡の清水と呼ばれる三角井戸があり、その右側に吉祥天の像が建てられている。雑司ヶ谷七福神では、寿老人の代わりに吉祥天を七福神の一つとしているが、寿老人と福禄寿を同一神として福禄寿で代表させ、吉祥天を代わりとすることもあるようである。なお、仏教では吉祥天を鬼子母神の娘神としている。

(5)清立院(豊島区南池袋4-25-6)「毘沙門天」

 小篠坂に出て左に行き本浄寺に出て左に折れ、寺の南側の道に入る。江戸時代の鬼子母神道に相当する道である。左手が崖になっている道を上がって行き、左から上がってくる道と合して右に曲がっていく。そのまま進み、旧宣教師館の表示がある所を右に入ると、アメリカ人宣教師マッケレーブ旧宅の雑司が谷旧宣教師館がある。もとの道を直進すると、雑司ヶ谷霊園に出る。ここを左に折れて霊園の外周の道を歩く。この道も鬼子母神道に相当し、江戸時代には、護国寺裏門から鬼子母神に出る道であった。この道を歩いて行くと御岳坂という下り坂に出るが、坂の上から清立院に入る。この寺には木彫りの毘沙門天が祭られている。

(6)中野ビル(豊島区南池袋2-12-5)「布袋尊」

 清立院の石段を下り宝城寺に沿って歩いて行き、都電のガードに出る。ここを右に行けば都電荒川線の都電雑司ヶ谷の停留所に出る。停留所から明治通りに向かって東通りを歩く。東通りは江戸時代からの道で、御鷹部屋から板橋道に出る道である。途中、墓地を過ぎた先の眼鏡店の向かい、中野ビルの前に布袋尊が祭られている。この石像は石材店に置かれていたもので、戦火を被った跡がある。

(7)仙行寺(豊島区南池袋2-20-4)「福禄寿」

 中野ビルの先の角を右に折れ、突き当って右に行くと仙行寺に出る。小石川から移ってきた寺という。堂の前には、木彫りの小さな福禄寿像が祀られている。この寺から少し歩けば池袋駅に出られるが、グリーン大通りに出て右に行けば東池袋四丁目の都電停留所に出られる。


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