夢七雑録

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稲荷百社詣その二十七

2008-03-04 18:55:17 | 稲荷百社詣

(79)品川神社の阿那稲荷 (品川区北品川3)★

 品川神社は源頼朝が安房の州崎明神を勧請したことに始まるという。のち、三代将軍家光の時に東海寺の鎮守となり稲荷社と改称したが、明治になって、もとの品川神社に戻っている。つまり、今は稲荷とは言えないわけだが、一時期は稲荷であったわけだし、今でも境内に稲荷社があるので、行ってみることにした。品川神社は初めてではなく、祭礼の日に神輿が石段を下る様子を撮りにいったことがあるが、その時は稲荷の方はパスしていた記憶がある。まずは品川神社を神社として参拝。そのあと、社殿の右手にある稲荷に詣でる。稲荷社は二社からなり、上の社は天の恵みの霊、下の社は地の恵みの霊を祀るという。片方だけ代表して拝礼というわけにいかないので、両方とも同じように参拝することにした。

 ひととおり参拝を終えてから、富士山の築山に登ってみた。築山の上には何人かが居たが、その中に孫らしい女の子を連れた老人が居た。どういう訳か、その老人に声をかけてみた。すると、話はたちまち稲荷のことになった。その老人の話では、ここの稲荷は天恵と地恵を祀ると称しているが、本当は、上の社は山の神、赤い狐を祀り、下の社は稲の神、黄色の狐を祀るのだという。眉唾ものと思ったが、黙って聞いていると、話はさらに進展し始めた。老人の話は、こうである。「山の神に言わせれば、昔は人も獣も森も調和していたのに、稲作のおかげで、いびつな世の中が始まったという事になるのだろうが、全ては時の流れというものだ。現に黄色の狐の時代は終わり、今は金儲けの時代だが、それも、もうじき行き詰まりだろう。そろそろ黒狐の出番ではないか。つまり、ここの稲荷はもう役に立たないという事だ」・・世の中には妙な考えの人もいるので、あまり付き合わない方がいい。話が一瞬途切れたところで、するりとその場を逃げ出した。

(80)高山神社 (港区高輪4)★

 品川駅のすぐ近くにあり、神社を名乗る。狛犬が置かれ、キリシタン灯篭まであるが、もともとは稲荷である。以前は眺望の良い山の上にあったので、この名が付いたらしいが、今は道路際に鎮座して、車と人間を睨んでいる。


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