夢七雑録

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古い絵葉書による海外の旅

2010-05-13 21:36:08 | 大正時代の絵葉書による海外の旅




 
 一昔前まで、絵葉書は旅のみやげの定番の一つでしたが、今では、デジカメに撮り溜めしておけば済む事なので、絵葉書を買う人も少ないかも知れません。昔は、絵葉書に旅の便りを書いて旅先で投函するのも楽しみなものでしたが、今なら、写真付きのメールで済ませてしまう事になるのでしょう。

 いま、手元に海外の古い絵葉書の束があります。大正13年(1924年)に欧米に出張した人が持ち帰ったものだそうで、未使用品です。同じ図柄のものが複数枚あったりするので、まとめ買いではなく、選んで買い求めたのでしょう。これらの絵葉書が制作後100年を経過しているかどうかは微妙なところなので、アンティーク・ポストカードとは呼べないかも知れません。それに、図柄も建物や風景ばかりで、値の張るものではなさそうです。それでも、これらの絵葉書の図柄は、旅行者が旅先で見たもの、或いは興味を抱いたものであった筈で、これらの絵葉書の風景や建物から、その旅を想像することは出来ます。そこで、見てきたような話になりますが、これらの絵葉書を通して、大正時代のニューヨーク、ロンドン、パリなどの風景を思い描きながら、当時の旅の跡をたどってみる事にしました。

 大正時代の欧米出張では船旅が必須ということになりますが、その航路には、アメリカを経由する東回りルートと、ヨーロッパ経由の西回りルートがありました。ここではアメリカへの出張を優先したと考えて、東回りルートで出張したとして話を進めることにしましょう。東回りでの渡航は、横浜から出航する事になりますが、大正12年(1923年)9月に発生した関東大震災により、横浜は壊滅的な打撃を受けていましたので、無事に出港出来るのかどうか気になるところです。確かに、横浜港が完全に復興するのはまだ先の事で、特に貨物の取扱については問題山積といった状態でしたが、当時の新聞によると、震災後すぐに港湾の復興に向けての作業が始まり、大正13年3月までに、岸壁の修理が進み、応急措置として大桟橋への仮橋も架けられていたようです。大正13年には、客船の運航に支障が無い状況になっていたのでしょう。その事は、大正13年3月の横浜寄港の発着表からも、うかがい知る事ができます。
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