ゆきたんくはタバコを吸わない。
酒も一滴も飲まない。
一服とは・・・
千菓進でコーヒーをいただく。
今日も仕事帰りでのりたんのお迎えまでを千菓進で過ごす。
コーヒーの注文の後で、豆を挽いてくれる。
コーヒーの香り。
ブラックでいただく。
ミルクを入れていただく。
砂糖をサッと入れる。
しばらくマイルドなコーヒーを楽しむ。
最後の一口になったら、一気に口に流し込む。
上品な甘さが口に広がる。
「ママ、ご馳走様。」
なんとなく心地よいルーティーン。
ゆきたんくはタバコを吸わない。
酒も一滴も飲まない。
一服とは・・・
千菓進でコーヒーをいただく。
今日も仕事帰りでのりたんのお迎えまでを千菓進で過ごす。
コーヒーの注文の後で、豆を挽いてくれる。
コーヒーの香り。
ブラックでいただく。
ミルクを入れていただく。
砂糖をサッと入れる。
しばらくマイルドなコーヒーを楽しむ。
最後の一口になったら、一気に口に流し込む。
上品な甘さが口に広がる。
「ママ、ご馳走様。」
なんとなく心地よいルーティーン。
今日は歯医者さんに行く。
19時30分の予約だから、終わるのが21時を過ぎるだろう。
腕の良い評判の歯医者さんなのだ。
で、千菓進に行く。
軽く食べて自宅に戻り、歯を磨いて行く。
のりたんのお迎えは時間的に無理である。
駐車場の車止めには「千菓進」の文字が。これだけで嬉しくなる。
予想通り終わったのが21時。
自宅に戻ったのが21時12分。
自宅でもまた食べてしまった。
父もね。
親孝行できなかった。
ずっと喧嘩をしていてね。
自分も親父もどちらも頑固だから譲らなかったんだね。
ある時、ようやく話せる時が来た感じがした。
それからしばらくして、松戸の自宅に病院から電話がきた。
夜中に駆け付けた。
世間話をした。
取り合えず入院加療。
疲れたんだろう、すぐに良くなるといいなぁ。
処置室に運ばれた後、医者と話す。
「普通に話ができているように思ったでしょう。しかし、本人は意識レベルが低い状態です。」
「精密検査をしなくてはいけませんが、厳しい状態かもしれません。」
それから8か月。
最後の最後まで洗濯屋職人として仕事をし、自分で救急車を呼んで入院した。
それが2月のこと。
その前にゆきたんくに電話があった。
「入院する。」
それから4日後に亡くなった。
10月だった。
一緒に温泉に行くのが夢だった。
かなわなかったね。
したことないなぁ。
「孝行したい時、親はなし」
というけれど。
それを地で行ってしまったのがゆきたんくである。
今日12月14日は母の命日だ。
何もしてあげられなかったね。
せめてできることって、お墓参りかな。
改葬して、自宅から車で5分の所に墓を移した。
時間がある時にはいつでも会いに行けるけれど。
でもねぇ・・・
あんまりかっこいい写真がないんだよ。
もっとも、素材が良くないからなんだよね。
今まで好きだなぁと思う写真がある。
撮られているのに気づかなかったやつなんだよね。
「何か聞こえた。」
と思ってその方向を向いた時に、友人が撮ってくれたんだ。
それを超えるやつがいまだにないんだよね。
これ。
丁度10年前か・・・
顔も良く映ってないからいいのかな・・・
「今日のお勉強」というのは、嘘である。
このところ仕事が忙しいので、1週間前のネタで勝負だ。
1週間前に草加の民俗資料館を訪ねた。
その帰りに、同じ市にある「甚左衛門堰」を見に行った。
明治27年に作られ、昭和58年まで現役で90年間ものあいだ使用された水門である。
ゆきたんくの住んでいる松戸市にも柳原水閘門というのが、松戸市と市川市の境近くにかかっており、「近代産業遺産」に経済産業省から認定されている。明治37年築であるから、この゛心材門堰の方が10年古いのだ。
イギリス積み(オランダ積みとも呼ばれる)の樋門
こちらは埼玉県の指定文化財である。
札場河岸公園の一部として、立派にモニュメントとして今も生きている。
さて。今日は家でお仕事である。
のりたんの送りと迎え、それ以外は自由なのである。
夕方にのりたんを迎えに行く。
その前に、千菓進である。
頑張った自分にご褒美を上げるためだ。
メニューには、マスターとママは我儘を聞いてくれるとある。
我儘を言った。
カレーうどん唐揚げのせ
ママに言われた。
「こういうのは初めて作った。」
うん、旨かった。
千菓進の手作りカレーがあるから、旨かったのである。
あっ、のりたんには内緒である。
2014年5月3日に台北市にいた。
ゆきたんくは初めての台湾旅行で「中華民国総統府」に行きたかった。
ところがその当時「ひまわり学生運動」があり終わった直後(同年4月10日)の緊張した状態の時に訪台したのだった。
その影響かどうか分からないし、帰国後も深く気に留めていなかったのだが、2014年10月には訪れている日本人がいるのは確かめた。
この写真を撮った時、台湾人の青年から指で×を作って「だめだ」と注意を受けた。
横を見ると近くの二二八和平公園の近くには、戦車やパトカーが停まっていた。
総統府近くに道には、バーブワイヤーが張ってあったが、棘などという生易しいものではなく、巻いたワイヤーにカッターの刃のようなものが付いていた。
総統府の周りを囲っていたバーブワイヤー
ココフカのメンバーで行こうと言っている台湾。
その時こそ、総統府の中に入ってみたい。
そのデザインは日本人土木会・建築界重鎮のコンペで決まったものだという。
まぁ、そのコンペも物議を醸したもの言われているが、1世紀以上経たその建物を見てみたい。
ゆきたんくが小さい頃、両親が勉強机を買ってくれた。
その机は蓋を開けるとオルガンになっていた。
安いものではなかっただろう。
譜面も付いていた覚えがある。
「母がこの通りやれば良いのよ。」
という話だったが、ちんぷんかんぷん。
当時のゆきたんくがやるわけないだろう。
学校の勉強でも音楽が大嫌いだったのだから。
あっ、専科の先生(若い女性)は嫌いじゃなかったよ。
足踏み式オルガンね。
うん、教科の音楽は大嫌いだった。
譜面は読めない、歌は恥ずかしい、ハーモニカはいやだ、リコーダーはいやだ・・・
そんなものよりもベーゴマが好きだったな。
ただね、この足踏み式オルガンを一回は弾いてみたいと思ったことがあったんだ。
高学年の時に、クラスの女の子がみんなのために伴奏をしてくれているのを見てカッコいいと思ったんだな。
今でこそ、弾いてみたいと思う。
ブンガブンガブンガブンガってね。
そう、ここのオルガンは弾いてよかったのだろうか?
資料館の中に、明治天皇の草加行在所の場所が示された町の模型がある。
草加宿模型の一部
大川弥惣右衛門(おおかわやそうえもん)家は、明治9年(1876年)の奥羽巡幸及び明治14年(1881年)の東北・北海道巡幸の際に明治天皇の行在所となったということだ。
草加せんべいが有名になった歴史には、明治天皇の影響があったのだ。
うん、有名だ。
たしかに美味しい。
何でそんなに有名なんだろうか。
今まで考えたこともなかった。
「うん、草加せんべいは旨いものなんだよ。」
なんか納得していた。
他にも同様に旨いせんべいもあるとも思った。
木下(きおろし…千葉県)にも有名な手焼きの店がある・・・
資料館にあった、手焼きせんべいの用具。
せんべいを焼いている様子。
実に丁寧な仕事ぶりを感じる。
でも、なんで広まったのだろうか・・・
この資料館に答えがあったのである。
天皇陛下がお気に召されたということ。これは名誉だったことだろう。
これで草加せんべいが有名になったということである。
やはり、物事には歴史があることを感じる。
昨日のお出かけ。
せっかく草加市まで行ったのだから、あそこに行こうということで、「餃子の満州」に行った。
母校の秋川高等学校の集いがあると、先輩諸氏で立ち寄る所である。
今日は仕事のお友達とだ。
うん、ラーメンだよねぇ。
チャーハンもだよなぁ。
ここの料理人は職人だろう。
火の使い方が上手なんだと思う。
熱々でおいしいのである。
餃子もきた。
ラーメンとチャーハン写真を撮ったのに、餃子は忘れた。
♬何でだろう 何でだろう♪
腹が一杯になったので良し !
今日は草加にお出かけ。
大正時代のコンクリートに会えるよ。
との友達の言葉に、首を縦に振るゆきたんく。
そんなのがストライクゾーンなのである。
場所は草加市立歴史民俗資料館だ。
使われている建物は草加市立草加小学校の西校舎だったところ。
このような解説はありがたいね。
昔の校舎というと、耐震やら何やらですぐに壊されることが多い。
ここは当時のままの外観で残されていることがありがたい。
それで大正時代のコンクリートということなのである。
ここである。実にいい。
※ ここのところ忙しくて投稿が間に合わない。
ここの中身も取材ができなかった日の投稿に入れていきたいと思う。
うん、久しぶりのココフカである。
なんだぁ、その「ココフカ」と言うのは・・・
「伝えたんく」をいつも覗いてくださる方はご存じかもしれない・・・
うん、大男3人組の仲良しグループのことだ。
名前はそれぞれの頭文字を取ってね。
かつて同じ職場の仲間だったのね。
一年に1回は、日本のどこかに旅行していたんだ。
コロナがやってくるまではね。
メンバーのじまさんのご家族のご高齢の方がいらっしゃるから会うことも避けていた訳。
そのココフカが久しぶりに集まることになった。
じまさんプレゼンツである。
1 温泉(地元のスーパー銭湯だな)に入る。
2 旨いものを食べる。
3 マッサージを受ける。
お父さんとゆきたんく。
お父さんとじまさん。
うん、心も体もリフレッシュである。
また3人で出かけられる日が早く来ないかなぁ。
お出かけと言っても職場の近くである。
車いすを借りて研修をした後に、車いすを返しに行ったのである。
その車を停めたすぐ横に消防施設があった。
消防水利だ。
これを見たとたんにゆきたんくはまずいと思った。
行きも同じ場所に車を停め、これを見ているはずなのだ。
全く記憶にないのである。
いざという時には役に立たないではないか。
もっとも、この施設は消防士さんたちが使うものである。
ゆきたんくが言いたいのは、これと同じことで消火器などがあっても目には留まらず、いざという時に慌ててしまわないかということである。
そして慌てるということは、守れるはずだった命も危険にさらしてしまうということである。
以後きをつけねばと思う。