
2月を迎えたと思ったら寒さが強くなったように思う。
2月のことを如月とも言うが、「衣更着」と書いても「きさらぎ」と読むそうだ。
こちらの方が現実にあっているような気がする。
今日(2/1)は日曜だったが職場に行く用事があって行ってきた。
昼はかつて同じ職場で過ごした友人ととり、昼間から2次会(喫茶店)で政治のことやら教育のことやら話の花がたくさん咲いた。
その友人との約束までに時間があったので、自動車で10分程度の柏市花野井に行ってきた。
お目当ては、終戦間際に開発された「ロケット戦闘機…秋水(しゅうすい)」の燃料倉庫だ。
90%濃度の過酸化水素水(甲液)、あるいは水化ヒドラジン(乙液)という不安定な燃料を貯蔵するには、頑丈な地下壕と、揮発した燃料を逃がすヒューム管が必要だった。 花野井には秋水の遺構としてはこのヒューム管が一番有名で、その他なまこ状の地下壕が数基あったそうだ。
すぐ近くになまこ型の倉庫が現存している他にはゆきたんくは目にしたことがない。
終戦後64年を迎え、人間で言えば年金生活が始まる位の体が大変になっている時、この戦争遺跡の状態も人事ではない。 暑い夏の日も、寒い冬の日も、一年中雨ざらしにされているのだから痛むのは当たり前だ。
しかし戦争遺跡の中でも、日本で一つといえる秋水の遺構は写真にあるように65年もの間その姿勢を斜めに保っている。
最初はこのコンクリートの筒は全部土中にあったそうだが、終戦後徐所にその姿を現し始めたという。
ゆきたんくが初めて出会ったのは2005年10月16日のことだ。その時には、1本を除いて自分の力で頑張っていたのが2007年8月18日の調査では1本が折れていた。そして今日は下の写真にある通りコンクリートブロックの杖をついていた。
ブロックに支えられているヒューム管
今日はお会いしなかったが、この畑の持ち主のFさんがこのようにされたのだと思う。Fさんにとっては、ご自分の畑にこのようなものを作られ、非管理の状態で近くで畑作業もされている。畑の面積を喰うばかりのヒューム管に対する優しさが感じられる風景だ。
何か心に衣更着をしたように思った。
民家と隣り合ってある、地下壕の入り口
上写真のアップ
子供が入って出られなくなったこともあったという
事故防止のために入り口閉鎖された。