ゆきたんくの職場には庭がある。
その庭には春には花が咲く。
今日も庭を歩いていた。
花が話しかけてくれる。
満面の笑みでね。
おぉ、「おおいぬのふぐり」だ。
うん、知ったかぶりのゆきたんくである。
しかし腑に落ちなかったので、家で調べた。
ネモフィラだった。
ま、反省だな。
それにしてもきれいだな。
ゆきたんくの職場には庭がある。
その庭には春には花が咲く。
今日も庭を歩いていた。
花が話しかけてくれる。
満面の笑みでね。
おぉ、「おおいぬのふぐり」だ。
うん、知ったかぶりのゆきたんくである。
しかし腑に落ちなかったので、家で調べた。
ネモフィラだった。
ま、反省だな。
それにしてもきれいだな。
頭が固くなっているのね。
昨日の映画鑑賞で、お目当てのパンフレットが見つからなかった。
システムが変わってしまうと反応できないのね。
または既知のことを忘れていたとかね。
せっかく観たのだから「ゴジラ-1.0」のパンフレットを手に入れようと思ったのね。
売店で見つからないの。
歳取ったな。
いや、キャラメル味のポップコーンは買えたぞ。
そうしたら、パンフレットは売店には展示されていなかったのね。
売店の店員さんに申し出て出してもらうシステムなのね。
まぁ、これは女房のアシストがあったからだ。
ありがとうね。
手に入れたぞ。
いつも覗いていただいている皆様ありがとうございます。
通算250万件を超える閲覧をありがたく思います。
ここは自分の気分で、備忘録替わりに書いている「伝えたんく」です。
元々、拙サイト「幸たんく」を構成する1つのフラグメントでした。
「幸たんく」のコンセプトは「自分の幸せ」です。
毎日更新したい。
しかし、特に平日の、自分の時間の自由度の問題からコンスタントに投稿を挙げるのが難しい時もございました。
そして一度に投稿を挙げることもあり、それに対して見る側の視点に立つようにアドヴァイスをいただいたこともあります。
本当にありがたく思います。
FBを常時使われている方々にとって、一度の投稿は見づらいとのこと。
よって、仕事が慢性的に時間がかかる時には、FBに挙げるのはやめることにしました。
gooブログに来ていただく方やX(https://twitter.com/yukitank01)の方には今まで通り挙げたいと思います。
よろしくお願いいたします。
ゆきたんくより。
さて、新年度を迎え新しい仲間との仕事が始まった。
初めて顔を合わす方もいらっしゃるので、こんなじじいでも緊張はするのである。
そしてボロボロに疲れて、自席のでたどり着くのである。
そして机上には。
甘味ねぇ~
この数秒後にゆきたんくの腹の中に入ったのは言うまでもない。
もちろん、仕事のエネルギーになったのである。
今日も仕事が終わり、夕食を女房と食べる。
食卓につきぼぅっとしている中、女房が食事を運んでくれている。
上げ膳据え膳状態だった。
疲れている時には甘えてしまう。
しばらくしてテーブルの上の物に気付く。
これは、女房の思いを代弁しているのだろうか・・・
「ねぇ・・・」
千葉県と埼玉県に新しい橋がかかった。
特に用事がある訳でもないので、通ったことがなかった。
たまたま三郷方面に所用ができたので、通ったみることにした。
うん、ただの記念である。
入口近く。職場の同僚に撮ってもらった。
空いていてなかなか快適である。
橋の一番高い所からの眺めは大変よろしい。
しかし、ゆっくりと眺めることはできない。
普通の混みかただったらわき見などは持っての他だからだ。
途中、江戸川の中にある緑あふれる中洲を経由して埼玉県側に行く。
住宅もあるが田んぼも多く、気持ちがのんびりとする。
通行料150円のしょう旅行でした。
うん、職場のおまけ。
食事のおまけ。
小さなケーキが付いていたのだ。
そのケーキが入っていた箱のデザインがこれ。
良い歳してほのぼのとしてしまった。
あっ、こういうのに歳は関係ないか。
そう思いたい自分である。
スマホを見た。
こんなものが届いていた。
ゆきたんくが重宝しているgoogle-mapsからである。
400000回?
ふーん、4万。
えっ、40万。
誰かの役に立っているのか。
ゆきたんくの趣味の戦争遺跡探訪も興味ある人いるんだなぁ。
と、思いながらただ単純に嬉しかった。
さて、その鹿島海軍航空隊 記念碑とはこれである。
2017.06.03 「記念碑 元鹿島海軍航空隊の跡」 → Map
この日、3月11日。
毎年同じ写真を使って投稿している。
そう、「忘れてはならないからだ。」
このように、使う言葉も同じである。
そう、多くの言葉を必要としないからだ。
東北太平洋沖地震があった日。
この日ゆきたんくは仕事場にいた。
人とかかわる仕事をしているので、この地震に遭遇し命の危険を感じて行動した。
震源からあんなに離れた場所の地震だとは思わなかった。
長い時間揺れていた。
ついに、この日(子供のころから聞かされていた関東大震災級の地震がくるということ)が来たと思った。
揺れが収まった後の近隣のパトロール時に見た空。
2011年3月11日15時57分撮影。 流山市西深井にて。
この写真の様子が、頭の中から消えない。
そして、この時は津波のことは全く思ってもいなかった。
たくさんの方が犠牲になられた。
ご冥福をお祈りしたい。
この日のことを忘れてはいけないのだ。
うん、考えるところあって。
来年をどう過ごすかである。
今まで通りに仕事するのか。
まぁ、この間(かん)足に問題があるので、ドロップアウトするのか。
無理は禁物な気がしてきたのだ。
豆付き。旨!
日曜日。千菓進は休み。
うん、場所を変えて、物思いにふける。
もちろん、仕事で同期の友人も一緒。
別に相談している訳じゃない。
久しぶりに旧交を温めているだけだ。
コーヒーを味わいながら、ボケッと先のことを考える。
こんなのは、若い時にはたくさんあったよなぁと思う。
今も若いってことかと勘違いできることは嬉しいことだ。
まぁ、数時間経つと忘れてしまい、喧噪に戻るのだろうな。
啓蟄も過ぎた。
春ね。
職場の近くで見つけた花。
綺麗だよね。
今年も見れた。
そういう、その年その年のエポックの花。
有名人の記事の中には、重病で今年の桜は見れないかもという表現をされていた方がいた。ぜひご快癒いただきたい。
ゆきたんくだって来年は分からない。
自分の体に気を使ってみるかな。
まずは、骨折が治ったらジムかな。
足がね。
骨は治ってきているのだけれど、関節が固くなっているんだ。
リハビリできついのはそこだっというね。
まあ、筋膜リーリースガンや運動療法をしようと思っている。
走るなんてとんでもなく、歩くのも痛みがあるから痛みを感じないところを動かしてストレス解消だな。
ギターを弾くにも、爪が割れてしまったからなぁ。
よし、これだ。
ピアノである。
老眼には勝てないので、27インチのモニターにwifiでiPadの楽譜データを飛ばして見ているのだ。
この写真のような位置だと、頭が下がらないので首も痛くならない。
足が使えなければ、指を使う。
ゆきたんくの部屋のピアノコーナー(笑)
スタジオジブリで買ったお手玉(真っ黒クロスケ、猫バス…ブルー、トトロ)、アフラックのゆかいな仲間たち、群馬ちゃん、江東区のコトリちゃん、浦安市のアッサリ(浅利)君。
実は、画像には入っていないのだが、ピンクのトトロが転落していたんだよね。
まぁ、この仲間たちの前で練習をする。
いい奴らだよ。
「ゆきたんくの演奏を聴いても、文句ひとつ言わないからね。」
2022年12月25日。
キリスト教の三大聖地の1つ、サンティアゴ・デ・コンポステーラ。
その大聖堂の前を通り過ぎようとした時に目に入った。
大聖堂に向かって、まっすぐに置かれている。
大聖堂の正面に、靴が揃えて置いてあるのだ。
この時は、スペインは雨季。
ゆきたんくも傘をさして歩いていた。
当然この靴の中は水浸しである。
先日の投稿と重複する部分はあるが・・・
この地の名前、サンティアゴはスペイン名で、キリストの12使徒のひとり聖ヤコブのことである。
ヤコブの墓がスペインの北部で発見された。
これを記念して大聖堂が建てられた。
9世紀のことだ。
ここサンティアゴ・デ・コンポステーラはキリスト教徒の精神的支柱となった。
ヨーロッパ各地から多くの巡礼者が訪れることで、教会が建ったり、巡礼路ができたりして町が形成された。
長い巡礼路である。
中世にキリスト教三大聖地のひとつとなり、多くの人が行きかう中で、宗教建築や絵画などの芸術・文化の発展につながった。
その巡礼者がこごて靴を脱いでいる。
どこに行かれたのだろうか。
「栄光の門」に向かうのである。
そしてこの日、12/25は年に4日ある休業日のうちのひとつだったのである。
で、靴を脱いだ方はどこへ行かれたのか・・・
この後、ツアーの一行で食事に行ったり、聖堂の見学をし終わった後も靴は元の位置にあった。
サンティアゴ・デ・コンポステーラの旧市街はキリスト教の三大聖地の1つだ。
エルサレムの旧市街とバチカン市国の二つは有名だ。
ゆきたんくが一番最後に知ったのが、サンティアゴ・デ・コンポステーラなのだ。
ここでは9世紀に、キリストの12使徒のひとり聖ヤコブの墓が見つかった。
ここの大聖堂には聖ヤコブの遺骸があるのだ。
そしてここで多く目にしたのがホタテ貝だ。
一番大きかったのは、大聖堂の通路にあった。
ガイドさんに教えていただかなければ、見つけることはできない目立たない場所にあった。
大聖堂外の通路には大きなホタテ貝 → Map
ホタテ貝が聖ヤコブのシンボルであるかについて調べてみた。
1 聖ヤコブの亡骸を運んだ船の底にホタテ貝がたくさん付着していた。
2 聖ヤコブが布教中に、ホタテ貝を杖にぶらさげて水をすくって飲んだ。
フランス語とドイツ語でホタテ貝は「聖ヤコブの貝」というそうだ。
そしてキリスト教三大聖地の、サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの巡礼路にはホタテ貝があるという。
その昔からだろうから、ホタテ貝が壁に描かれていれば文字が読めない者も巡礼路と理解できるのだ。
ゆきたんくにとって、ここを知るまではホタテとは安岡力也さんだったのだ・・・