秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

今日も蕎麦を食う。

2006年11月25日 19時18分53秒 | グルメなのか?
本日の昼食は河原町丸太町下がる、の「有喜蕎心庵」のザル蕎麦。

まだ新しい(と、言っても一年以上は経っていると思います)店ですが、
「趣味が昂じて店となった!」、と店の紹介にあるように、素人さんが
蕎麦にとりつかれて始めた店のようです。

最初の頃は働き手のローテンションが上手くいかなかったのか、
せっかく出かけたのに休み、てな事もありました。

「商売、なめんなよ!趣味で金取るならヤメちまえ!」と思った時も
ありましたが、最近では一応まともに営業している様子です。

有喜屋の「蕎麦打ち塾」で勉強されたそうですが、有喜屋の三代目の
主人が東京の「藪そば」で修行されたらしいので、味は正統派だと思えます。

さすがに蕎麦湯を出すタイミングは絶妙です。

蕎麦専門店といえども、まだ箸をつけたばかりなのに、いきなり
蕎麦湯を持ってくる店もあったりして、それだけでゲンナリする事もあります。

麺類に対してはかなり甘い評価の爺ですが、サービスの点に関しては
かなりシビアな目で見てます。

いつも言ってる事だけど、味覚は個人個人、それぞれですけど、
接客はそうじゃないんですよね。

偉そうにしている店主の店で、叱られながら嬉しそうに食事する
馬鹿の気持ちが分りません。

確かに味に自信があって、これはこのように食べて欲しい、という
気持ちはわからんでもないどね。

あ、また爺のタワゴトが始まりそうだ、やめとこ。

ワタクシも蕎麦喰いの端くれですから、福井の蕎麦道場とかで自分で
打った蕎麦も食べたけど、やはり専門職に打ってもらったほうが
美味い、と思いました。

やはり、餅は餅屋、じゃなくて蕎麦は蕎麦屋です。それがプロとアマ
の違いです。

この店から少し下がったトコにある、河道屋倖松庵分店(サークルKの
二階)の蕎麦も安心して(変な言い方ですけど)いただけます。






ステキな散歩道。

2006年11月25日 09時23分26秒 | 路地と廃屋
前回、「ステキな通勤路」ってタイトルにしたもんで・・・。

今でもお金には縁が無いけど、若い頃はもーーーーっと貧乏でして、
休日は散歩ばかりしてたときがありました。

遠くもない実家で暮らせば、そんなに苦労しなくて済んだけど、
別に苦労とも思いませんでしたから・・。

(それがイカンのかも?もう少しお金に執着した方がイイとは思うんだケド。)

やはり、一番良く歩いたのが昨日紹介したコースです。

神楽岡通りから少し路地を入ると、どこからか三味線の音が聞こえ
てきたこともありました。(芸者さんの置屋などはありませんが、
祇園あたりを引いた婆さんが爪弾いているのか?なんて想像しながら
歩くのは楽しいもんでした。想像にはお金かかりませんしね。)

昨日は真如堂から引き返したけど(観光客が多いので)、その当時は
お墓ウォッチング(墓マニアではナイです)したりして、そのまま岡崎
まで歩いたものでした。

隣(なのか一緒なのか分りませんが)の金戒光明寺は、幕末、
会津藩が駐屯していたお寺です。

一説によると、徳川幕府が、京都に乱が起こった場合に備え二条城の他に、
二つの偽装城を作った、といわれ、その一つが黒谷の光明寺らしい。

(もう一つは華頂山の知恩院)

境内の一画には「会津藩士」の墓地があり、昔訊ねた頃はまだ小さな
桜の木が、今春見ると、一人前の桜になってました。
(時は流れているのネ・・・。)

山歩きを始めてからは、余り訪れることはなくなりましたが、
たまには、肌で歴史を感じてみるのもいいか、と思った爺でした。

写真は真如堂隣のお寺の土塀です。

昔はもっと崩れかけた土塀もあり、心休まったもんです。
(もしかして、廃屋では無く「崩れマニア」だったのかも?)