yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

2010.10安曇野を行く1 野麦街道・本棟造

2022年04月02日 | 旅行

 2010.10 安曇野を行く1 野麦街道・本棟造

 上高地・沢渡上の駐車場から梓川とほぼ並行する国道158号線を下る。地図には国道158号線に野麦街道の名がついていた。
 かつて、山本茂実氏が著したノンフィクション小説「ああ野麦峠」(1968)が話題となり1979年には映画化もされた。副題は「ある製糸工女哀史」で、明治・大正期、飛騨の山村に住む10代の女性が岐阜県・長野県の県境となる野麦峠(標高1672m)を歩いて越え、諏訪・岡谷の製紙工場に働き出ていた実話を元にした小説である。
 本も読んでいないし映画も見ていないが、農山漁村で調査をしているとき、日本の製糸産業を支えた女工達の話を何度か聞いたことがあり、「ああ野麦峠」は悲話の象徴として心に沈殿していた。
 国道158号線は野麦峠を通っていないが、野麦峠を通る県道39号線は県道26号線につながり、県道26号線が158号線に合流していて、これらの道路に野麦街道の名を付して観光化を図っているらしい。webによれば野麦峠は日本の秘境100選や美しい日本の歩きたくなるみち500選に選ばれている。機会があれば野麦峠まで足を伸ばしてみたいと思った。
 県道26号線と国道158号線が合流するあたりに人造湖の梓湖があり、その近くの川沿いに眺めのいいそば屋があったので信州そばを食べた。まだ新そばには早いが、こしのある信州そばを味わった。

 一息し、再び国道158号線を下り、松本市郊外の波田あたりで左に折れ、次の目的地である安曇野に向かう。ときおり、本棟造りの屋敷が目につく。昨日の雨の中でも国道158号線沿いに建つ本棟造を見かけた。
 本棟造とは、長野県の中信地方から南信地方にかけて分布する民家の形式である。一般に日本の民家は長方形平面が多く、多くは長手の平側に入口を設ける平入りだが、本棟造は平面が正方形に近く、屋根の妻面側に入口を設けた妻入りが多い。
 切妻屋根の中央には雀おどし、あるいは雀踊りと呼ばれる棟飾りをのせる(写真web転載、後述馬場家)。
 農山漁村調査を始めて間もないころ、大河直躬千葉大学教授(当時)を団長として、長野県松本市の馬場家住宅調査が実施され、私も参加した。私は文庫蔵(1845年)の実測を担当したが、本棟造の母屋(1851年、写真web転載)も見せてもらった。
 この住宅調査がきっかけになり「馬場家住宅」として国の重要文化財に指定され、地図にも記されている。

 本棟造の間取りは正方形平面の東西、南北方向を三等分した9部屋で構成されることが多く、中央に、周りを部屋で囲まれた明かりの射さないオエと呼ばれるが部屋が配置される。明かりは射さないが、寒いときは周りの部屋が寒気を防いでくれるため、この部屋は家族団らんの場として使われるそうだ。夏は間仕切りの襖、障子を開ければ風が通るし、広々として気持ちのいい部屋になる。
 馬場家では、大河教授の提案で襖、障子を開け放した座敷でピアノコンサートが開かれ、庭にまであふれた大勢の喝采をあびた。融通性のある間取りだからできたイベントである。

 話しを戻して、安曇野に向かう途中、道に並ぶ本棟造を見て回った(写真)。
 本棟造の外観も雀おどし=雀踊りも、家主の好み、大工の個性が反映されているようでデザインが異なるが、豪快な切妻屋根を十分に引き立てている。
 しかし、周りは長方形平面の2階建てがほとんどだった。本棟造は規模が大きく、建てるのも維持するのも大変なのであろう。地域性が失われていくのはやむを得ないとしても残念である。

 しばらく走っていると、安曇野ワイナリーの案内板があったので立ち寄った。白ワイン用のシャルドネ、赤ワイン用のメルローや昨晩飲んだスパークリングワインのナイアガラなどを栽培し、ワインに仕立てているワイナリーで、庭園やショップ、カフェを併設している。自家製だから数量があまりないそうで、スパークリングワイン・ナイアガラはすでに在庫がなかった。
 運転は息子なのでいくつか試飲をし、赤ワイン、白ワイン、リキュールなどを購入した。庭園に開けたカフェがあれば安曇野の風景と一緒にワインを楽しめると思うのだが、建物のデザインにも全体の配置計画にも工夫が見られない。信州ワインも知名度を上げているのに、デザインが惜しまれる。

 ほどなく今日泊まるホテルに着いた。ロビーは庭園に面して2階まで吹き抜けの広々とした空間で、気持ちがいい。チェックインのころ、ロビーの暖炉に火が入った。温泉あがりに、暖炉の火を眺めながらビールを楽しんだ。火のゆらめきを見ていると雑念が取り払われていくような気がする。
 ただ、このホテルは誕生日記念には素っ気ない。レストランではワインの持ち込み料をとるという。上高地温泉ホテルでは持ち込み料なしで、アイスペール代わりに冷酒用の樽に氷を入れてくれ、シャンペングラスがないのでとワイングラスを用意してくれた。ちょっとした気遣いの差が客離れにつながることもある。一工夫を期待したい。 (2011.2)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2010.10上高地を行く2 田代池・大正池・河童橋

2022年04月01日 | 旅行

 2010.10 上高地を行く2 梓川・田代橋~田代池~大正池~河童橋

 翌日、目が覚めると窓の向こうに山並みがみえる。少し雲が残るが昨日の土砂降りが嘘のように晴れあがっている。ホテルのウォーキングマップを見ると、正面が三本槍、続く右が霞沢岳、左が六百山らしい。2500mほどの山並みは深緑に覆われている。紅葉はまだしていない。
 ホテル前の梓川沿いはすでにトレッキングスタイルの大勢が自然の風景を楽しみながら散策している。まだ6時である。山の朝は早い。ホテル前のベンチに腰を下ろし、コーヒーを楽しんでいる人もいる。豊かな自然は気持ちをおおらかにしてくれるような気がする。
 朝食後、歩き始めた(図web転載)。梓川を下る風は冷涼で気分が引き締まる。
 まず、昨日は風景を楽しめなかった田代橋に行く。田代橋は1998年にかけられた新しい橋で、長野県産のカラマツ、ヒノキでつくられている(写真web転載)。地産地消であり、自然景観とも調和しているが、どこにでもありそうなデザインで少し惜しい気がする。
 もっとも橋は原宿・竹下通りと思わせるほど人が出ている。確かに、ゆったりカーブを描く梓川の後方のぐーーと伸び上がる山は雄大で構図がいい(写真、梓川と雲をかぶった穂高連峰)。みんな思い思いのポーズで写真を撮りあっている。お目当ては穂高連峰にあるのだから橋のデザインは気にならないようだ。

 田代橋から大正池に向かって梓川沿いの林を歩く。梓川とは、上流で上質なアズサの木がとれることから付けられたそうだ。webには、アズサとはカバノキ科の落葉高木でかつては神事などに用いる梓弓の材料になった、とある。が、梓川沿いを歩いていても特にアズサの木の看板はなかった。
 その代わりに水源かん養保安林の表示をみつけた(写真)。川沿いは広大な林であり、この林が穂高連峰の雨をとどめ、豊かな水源をつくり出す。
 林野庁では早くから森林による水源かん養に着目し、全国各地の水源地帯の森林を水源かん養保安林として維持管理につとめている。梓川流域もその一つのようだ。
 水源かん養林の中を梓川に沿って木道がつくられている。田代橋からおよそ20分で田代池に出る(写真)。風景が広がり深緑の先に頂に雲をかぶった霞沢岳2648mがみえる。
 田代池は浅く、手を入れれば底に届きそうだ。水の透明度は高く、ジーと見ていると気泡がわき出ているのが分かる。自然の湧き水だそうで、そのため冬でも水面は氷結しないそうだ。

 田代池からさらに20分ほど下ると大正池に出る。大正4年1915年の焼岳2455mの噴火で梓川がせき止められてできたので大正池と呼ばれる。上高地温泉ホテルウォーキングマップに斉藤茂吉の「あしびきの 高山の間に 立ちがれし 木々白々と 水の中に立つ」の歌が紹介されているように、池の中ほどに枯れ木が残っている(写真、焼岳を背に立つ枯れ木)。
 荒涼としているという表現ではない。悠然というのもそぐわない。こんなとき、日本人でありながら日本語の語彙の少なさに気落ちする。「立ち枯れ」れてもなお「白々」と「水の中に立」っているのである。
 人間の感覚から超越しているといえばいいだろうか。立ち枯れのもととなった焼岳を正面にして、それでもなお水の中に立ちつづけているぞ、と叫んでいるような気迫がみなぎっている。しばらく水の中の枯れ木に心を留めた。

 原生林の中を戻る。大正池~上高地温泉ホテルは40-50分だった。ホテルで一息し、チェックアウトして、梓川沿いを河童橋に向かう。およそ20分の道のりである。ときどき奥穂高3190mが顔を見せる。道が整備されているため歩きやすい。
 護岸のところどころに蛇籠(へびかご、じゃかご、英gabion)が使われている。かつては竹を使ったが、いまは鉄線で籠をつくり中に砕石を詰め、この籠を並べて護岸を固める工法である。砕石の隙間に藻が生え魚の住みかになるなど、生物の生息空間になることから近年改めて着目されている。
 木造橋、水源かん養保安林、蛇篭などは一般の人は気づきにくいが、こうした努力が自然環境と人々の共存を演出しているのである。現場で日々努力を積まれている技術者にエールを送りたい。

 河童橋の手前にバスターミナルがある。ここが沢渡とのシャトルバスの発着場で、総合案内や診療所などが併設されている。各地に向かう大型バスやタクシーもここで発着する。ここに手荷物を預け、河童橋に向かう。橋に人がひしめき合っているのが見える(写真、河童橋と穂高連峰)。
 河童橋は1891年に建造された木造吊り橋で、その後何度か掛け替えられた。長さは37mしかないが、橋から見上げる穂高連峰もすばらしければ、橋から見下ろす梓川の流れも絵になる。それぞれ自分の上高地に浸り、記念の写真に撮ろうとポーズをとるので、滞留時間が長くなり混み合ってしまうようだ。
 橋のたもとのどの店も外に人があふれるほどの盛況で、まさに原宿・竹下通りの趣である。
 芥川龍之介(1892-1927)は1909年に上高地温泉ホテルの前身に泊まり、梓川沿いを登ったそうで、河童橋をヒントに小説『河童』を1927年に発表した。自殺の直前である。心をおおらかにする雄大な自然も芥川龍之介の心の悩みを解きほぐすことはできなかったようだ。
 河童橋周辺の人混みを避け、梓川左手の治山林道を上る。穂高連峰の冬は厳しいようで、上高地温泉ホテルは冬期間は雪のため休業する。山並みの斜面も雪で削られたのかところどころで岩肌が露出している(写真)。
 それに負けず伸び上がっている木々は深緑をまとっている。ほんのわずか赤みをつけている木もあるが、紅葉にはまだ時間がかかりそうだ。
 空腹を感じてきた。明神池までは河童橋から60分ほどかかるそうなので、途中で引き返し、バスターミナルからシャトルバスに乗って、沢渡上に置いてあるレンタカーに戻ることにした。 (2011.2)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする