上高地・沢渡上の駐車場から梓川とほぼ並行する国道158号線を下る。地図には国道158号線に野麦街道の名がついていた。
かつて、山本茂実氏が著したノンフィクション小説「ああ野麦峠」(1968)が話題となり1979年には映画化もされた。副題は「ある製糸工女哀史」で、明治・大正期、飛騨の山村に住む10代の女性が岐阜県・長野県の県境となる野麦峠(標高1672m)を歩いて越え、諏訪・岡谷の製紙工場に働き出ていた実話を元にした小説である。
本も読んでいないし映画も見ていないが、農山漁村で調査をしているとき、日本の製糸産業を支えた女工達の話を何度か聞いたことがあり、「ああ野麦峠」は悲話の象徴として心に沈殿していた。
国道158号線は野麦峠を通っていないが、野麦峠を通る県道39号線は県道26号線につながり、県道26号線が158号線に合流していて、これらの道路に野麦街道の名を付して観光化を図っているらしい。webによれば野麦峠は日本の秘境100選や美しい日本の歩きたくなるみち500選に選ばれている。機会があれば野麦峠まで足を伸ばしてみたいと思った。
県道26号線と国道158号線が合流するあたりに人造湖の梓湖があり、その近くの川沿いに眺めのいいそば屋があったので信州そばを食べた。まだ新そばには早いが、こしのある信州そばを味わった。
一息し、再び国道158号線を下り、松本市郊外の波田あたりで左に折れ、次の目的地である安曇野に向かう。ときおり、本棟造りの屋敷が目につく。昨日の雨の中でも国道158号線沿いに建つ本棟造を見かけた。
本棟造とは、長野県の中信地方から南信地方にかけて分布する民家の形式である。一般に日本の民家は長方形平面が多く、多くは長手の平側に入口を設ける平入りだが、本棟造は平面が正方形に近く、屋根の妻面側に入口を設けた妻入りが多い。
切妻屋根の中央には雀おどし、あるいは雀踊りと呼ばれる棟飾りをのせる(写真web転載、後述馬場家)。
農山漁村調査を始めて間もないころ、大河直躬千葉大学教授(当時)を団長として、長野県松本市の馬場家住宅調査が実施され、私も参加した。私は文庫蔵(1845年)の実測を担当したが、本棟造の母屋(1851年、写真web転載)も見せてもらった。
この住宅調査がきっかけになり「馬場家住宅」として国の重要文化財に指定され、地図にも記されている。
本棟造の間取りは正方形平面の東西、南北方向を三等分した9部屋で構成されることが多く、中央に、周りを部屋で囲まれた明かりの射さないオエと呼ばれるが部屋が配置される。明かりは射さないが、寒いときは周りの部屋が寒気を防いでくれるため、この部屋は家族団らんの場として使われるそうだ。夏は間仕切りの襖、障子を開ければ風が通るし、広々として気持ちのいい部屋になる。
馬場家では、大河教授の提案で襖、障子を開け放した座敷でピアノコンサートが開かれ、庭にまであふれた大勢の喝采をあびた。融通性のある間取りだからできたイベントである。
話しを戻して、安曇野に向かう途中、道に並ぶ本棟造を見て回った(写真)。
本棟造の外観も雀おどし=雀踊りも、家主の好み、大工の個性が反映されているようでデザインが異なるが、豪快な切妻屋根を十分に引き立てている。
しかし、周りは長方形平面の2階建てがほとんどだった。本棟造は規模が大きく、建てるのも維持するのも大変なのであろう。地域性が失われていくのはやむを得ないとしても残念である。
しばらく走っていると、安曇野ワイナリーの案内板があったので立ち寄った。白ワイン用のシャルドネ、赤ワイン用のメルローや昨晩飲んだスパークリングワインのナイアガラなどを栽培し、ワインに仕立てているワイナリーで、庭園やショップ、カフェを併設している。自家製だから数量があまりないそうで、スパークリングワイン・ナイアガラはすでに在庫がなかった。
運転は息子なのでいくつか試飲をし、赤ワイン、白ワイン、リキュールなどを購入した。庭園に開けたカフェがあれば安曇野の風景と一緒にワインを楽しめると思うのだが、建物のデザインにも全体の配置計画にも工夫が見られない。信州ワインも知名度を上げているのに、デザインが惜しまれる。
ほどなく今日泊まるホテルに着いた。ロビーは庭園に面して2階まで吹き抜けの広々とした空間で、気持ちがいい。チェックインのころ、ロビーの暖炉に火が入った。温泉あがりに、暖炉の火を眺めながらビールを楽しんだ。火のゆらめきを見ていると雑念が取り払われていくような気がする。
ただ、このホテルは誕生日記念には素っ気ない。レストランではワインの持ち込み料をとるという。上高地温泉ホテルでは持ち込み料なしで、アイスペール代わりに冷酒用の樽に氷を入れてくれ、シャンペングラスがないのでとワイングラスを用意してくれた。ちょっとした気遣いの差が客離れにつながることもある。一工夫を期待したい。 (2011.2)