先日、この話になったので
メモを兼ねて。
「邯鄲の歩み」
(邯鄲之歩)
(邯鄲学歩)
(邯鄲之歩)
(邯鄲学歩)
デジタル大辞泉さまより
《昔、燕の青年が邯鄲に歩き方を習いにいったが習得できず、故国の歩き方も忘れて這って帰ったという「荘子」秋水の故事から》むやみに他人のまねをすれば、自分本来のものも忘れて、両方とも失うことのたとえ。
精選版 日本国語大辞典さまより
( 中国、燕の田舎者が、趙の都邯鄲の人々の洗練された歩き方をまねようとして身につかず、その上自分の歩き方を忘れて、はらばって帰ったという、「荘子‐秋水」に見える故事から ) 自分の本分を忘れて、むやみに他人をまねると中途半端になり、どちらもだめになってしまうということのたとえ。
故事成語を知る辞典さまより
自分の本分を忘れ、いたずらに他人のまねをすると、結局はどちらもだめになってしまうというたとえ。
北京観光さまより
邯鄲学歩
戦国時代、趙国の都である邯鄲の人たちは、力にあふれ優雅な姿勢で歩くことでよく知られていた。そしてほかの地方の人たちは、こうした歩き方をみんなうらやましいと思っていた。
この優雅な歩き方を学ぶために、燕国の少年たちがはるばる邯鄲にやって来た。彼らは邯鄲の人たちの歩き方を細かく観察し、一体どのように歩いているのかを究明しようとしたが、いくらがんばっても身に付けることができない。それどころか、あきらめて帰ろうとした時に、自分たちの元々の歩き方さえ忘れてしまった。そのため少年たちはしかたがなく這って帰って行った。
「邯鄲学歩」という熟語はこの物語からきたもので、他人を盲目的に真似していると、自分の本来の個性を失ってしまう人をいう。
この優雅な歩き方を学ぶために、燕国の少年たちがはるばる邯鄲にやって来た。彼らは邯鄲の人たちの歩き方を細かく観察し、一体どのように歩いているのかを究明しようとしたが、いくらがんばっても身に付けることができない。それどころか、あきらめて帰ろうとした時に、自分たちの元々の歩き方さえ忘れてしまった。そのため少年たちはしかたがなく這って帰って行った。
「邯鄲学歩」という熟語はこの物語からきたもので、他人を盲目的に真似していると、自分の本来の個性を失ってしまう人をいう。