A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

ペッパーアダムスにとって一つの区切りになった一枚のアルバム・・・

2013-05-31 | PEPPER ADAMS
Groove Blues / Gene Ammons and his All stars

ペッパーアダムスのプレーヤーとしての生涯を語るときに、デビューから1958年初までがひとつの区切りになっている。

デトロイトからニューヨークへ出てアパートを借りたのが1956年の1月。ニューヨークに住み始めてすぐその年の5月にはオスカー・ぺティフォードの推薦もありスタンケントンオーケストラに入団。いきなり全国ツアーに出る。11月に西海岸でバンドがオフになると、バンドメンバーのメルルイス達と一緒にロスへ。

そこで一年間の武者修行が始まる。生まれはデトロイト、育ったのはニューヨークだったので、西海岸は初めての長期滞在だった。ウェストコーストの名だたるプレーヤーとはこの時共演した。Gigだけでなく多くの録音セッションにも参加し、色々なプレーヤーのアルバムにサイドメントして数多く参加した。
その活動が認められてか1957年7月、モードレーベルの誕生の時には若手のホープの一人としてリーダーアルバムを制作。これが初のリーダーアルバムとなった。
その後メイナードファーガソンのバンドにも加わったが、1957年の秋には再びニューヨークに戻る。ロスへの滞在は最初から一年と決めての西海岸での活動だった。
ニューヨークに戻ると、毎日のように行われていたプレスティッジやサボイのセッションに参加。その中でもリーダーアルバムを作って一躍一流プレーヤーの仲間入りを果たす。

1958年を迎え、年明け早々このアモンズのセッションに参加した。
そして、このアルバムが1stステージ最後の区切りとなるアルバムになる。
アダムス27歳の時の年明けだ。次のステージはドナルド・バードとのコンビがスタートする。

この年は、ペッパーアダムスだけでなくジャズ界全体にとってもハードバップが花開き終焉に向かう節目の年だ。改めて時代背景を見直して頭の中を整理してみた。特に自分がその時代を生きていると思い出すのも早い。

1958年は昭和33年。自分は小学校3年生で正月を迎えた。
自分に置き換えるとイメージが沸く。東京タワーができたのがこの年だ。家に初めてテレビがお目見えした。黒電話もほぼ同じ時期だった。その時の電話番号はまだ覚えている。それまではラジオで赤胴鈴之助を聴いていたが、テレビが家に来ると月光仮面にローンレンジャー、金曜日の8時のプロレスとディズニーはすぐに毎日の生活の中に取り込まれた。
テレビが生活のリズムを作り始めた年だ。

その時、自分は目黒の都立大学に住んでいた。東横線はまだ高架ではなく地上を走っていた。古い駅舎で、手動の切符の販売機があった。まだ硬い紙の切符の時代だ。電車の色も黄色と紺のツートンカラー。緑になる前だ。渋谷に行けばデパートは東横。都電やトロリーバスもあった。東京周辺でも蒸気機関車が見れた時代、その頃の風景が走馬灯のように頭をよぎる。

しばらく前に「ALWAYS 三丁目の夕日」という映画がヒットした。内容はともかく、この時代を生きた人間にとっては昔を懐かしみ、その時代を思い返すには格好の素材であった。その中に、東京タワーの建設風景が出てくるシーンがあった。全く同じ年である。

まさに日本の戦後の高度成長による進化を肌で実感できる時代だった。確かにこの年は岩戸景気に沸いていた年。東京タワーだけでなく、関門トンネルも開通したし、一万円札も登場。皇太子も婚約したし、明日に向かって明るい話題が多かった。
長嶋がデビューして新人賞もとったしウェスタンカーニバルも始まり、スポーツや芸能・音楽の世界もブレークした年だ。
阿蘇山や浅間山も噴火したので、今思えば本当の天変地異が起こったのかもしれない。
一方で、売春防止法が施行され赤線が無くなった年。社会全体がそれまでの枠組みから大きく変わった年かもしれない。

アメリカでは人気の出掛かったプレスリーが兵役に入ったのがこの年。60年代のブレークへ向けてなりを潜めた時だ。ジャズはまさにハードバップが最後の華を開かせた時、モードジャズの誕生までもうすぐの時だった。

このアルバムは、先に紹介した"The Big Sound"と同じセッションの残り曲を集めたアルバム。アダムスのプレー、リーダーのアモンズのプレーよりも、コルトレーンのアルトのプレーで有名なアルバムだが、この時代をあらわすスタジオジャムセッションの一枚。
他にも色々なセッションが毎日のように収録されていた時代。それぞれ印象に残る特徴を探すのは大変だが、アダムスにとっては後に自分を振り返った時、区切りとなる忘れられないセッションだったかもしれない。

1. Ammon Joy                   Mal Waldron 13:19
2. Groove Blues                  Mal Waldron  9:35
3. Jug Handle                    Mal Waldron 10:11
4. It Might as Well Be Spring  Oscar Hammerstein II / Richard Rodgers  11:32

Gene Ammons (ts)
Jerome Richardson (fl)
John Coltrane (as)
Paul Quinichette (ts)
Pepper Adams (bs)
Mal Waldron (p)
Gerge Joyner (b)
Arthur Taylor (ds)

Supervision by Bob Weinstock
Recording engineer : Rudy Van Gelder
Recorded at Rudy Van Gelder Studio in Hackensack, NJ
on January 3,1958


Groove Blues
Gene Ammons
Ojc
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トラブルもナイスリカバリーで好結果・・・

2013-05-18 | PEPPER ADAMS
The Big Sound / Gene Ammons’ All Stars

Pepper Adamの1957年の年末は、30日にツゥーツシールマンのセッションへの参加で仕事を終えた。アダムスにとって1957年は西海岸と東海岸を股にかけて大活躍した一年であった。リーダーアルバムも出したし、ダウンビートの新人賞にも輝き、第一線に躍り出た記念すべき年であった。ちょうど、ジャズ界全体がブレークした時代に、アダムスも一気にブレークした。

1958年の年が明けても、引き続き忙しい毎日は変わることなく続いていた。年明け早々、日本では正月休みの3日に、ルディーバンゲルダーのスタジオに向かった。
この日の主役はジーンアモンズ。当時ジーンアモンズの活動の拠点はシカゴ。この頃プレスティッジへのレコーディングは何回もあったが、アモンズはその度ごとに空路ニューヨークへ、そしてニュージャージーのルディーバンゲルダースタジオに駆けつけていた。
この日もアモンズは昼までに到着予定で、その予定に合わせて共演するミュージシャンが集まっていたが、アモンズの到着が遅れることになった。

そこで、このセッションのスーパーバイズをしていた、ボブワインストックはニューヨークでスタンバイしていたメンバー達を待たせる訳にもいかず、彼らを先行してスタジオに向かわせた。アモンズがトラブルで来れない事を想定したのか、代役にとしてポールクイニシェットにも声を掛けた。セッションを取り仕切っていたマルウォルドロンは、この臨時のセッションのためにも簡単なアレンジを用意した。

というのもこのセッションは、普通のブローイングセンションというよりも、バックのメンバーと編成に一捻りを加えていた。
アモンズのテナーの引き立たせるためか、バックにはジェロームリチャードソンのフルートを加え、アルトにはジョンコルトレーン、そして低音域にはアダムスのバリトンを配して高音域から低音域までをカバーしていたしていた。ビッグバンドでもフルートがアンサンブルに加わると確かにサウンドは変わる。

ジェロームリチャードソンはサドメルオーケストラでの活躍が示すとおり、マルチリードの名手。サックスであれば何でもいけるが、この日はフルート一本の役割。
コルトレーンのアルトプレーも異色だ。昔ガレスピースピーのビッグバンドではアルトを吹いていた時代もあったが、このセッションの当時はすでにテナーオンリー。珍しいコルトレーンのアルトの演奏が聴ける。

結果的に、アモンズはセッションに間に合ったが、せっかく用意した曲やメンバーは没にするのは勿体無いと思ったのか、この日は2回のセッションでアルバム2枚分のマラソンセッションになった。
曲によって参加するメンバーは替わるが、アモンズを囲んで8人の和気藹々としたセッションが残された。

このアルバムは、その内の一枚。全部で8曲収録された内の4曲が収められている。2回のセッションに分かれて収録されたが、2,4が最初のセッション、1,3が2回目のセッションだ。アダムスが登場するのは、1と2.。

1958年というのはアダムスにとってはひとつの節目になる。次から次へと舞い込むセッションへの参加依頼をこなしながら、ドナルドバードと組んでレギュラーグループでの活動も始めた年。次のステージへのステップアップした年だが、年明け早々はこのようなセッションでスタートした。

ゴルフでもトラブルは付き物だが、トラブルの対応次第で好結果を生むときも。このセッションもワインストックの好判断で好結果につながる。何事も日頃のリスクに対しての備えと、その場に直面したマネージャーの判断が大事ということだ。



1. Blue Hymn          Gene Ammons   12:37
2. The Real McCoy        Mal Waldron   8:33
3. Cheek To Cheek        Irving Berlin   14:12
4. That’s All           Roy Haynes    13:58

Gene Ammons (ts)
Jerome Richardson (fl)
John Coltrane (as)
Paul Quinichette (ts)
Pepper Adams (bs)
Mal Waldron (p)
Gerge Joyner (b)
Arthur Taylor (ds)

Supervision by Bob Weinstock
Recorded at Rudy Van Gelder Studio in Hackensack, NJ
on January 3,1958


Big Sound
Gene Ammons<む/td>
Ojc
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ジェラルド・ウィルソン」というとあまり話題にはならないが・・・・

2013-05-11 | MY FAVORITE ALBUM
Gerald Wilson Orchestra of The 80’s / “Lomelin”

連休中の新宿SomedayのBig band weekはマイク・プライスのビッグバンドで幕を開けた。
マイクのビッグバンドは昨年エリントンの大作と取組んだが、「今回はジェラルド・ウィルソンのアレンジを取り上げる」と以下のようなメールが届いた。

4月26日(金)マイク・プライス・ジャズ・オ-ケストラ と ジェラルド ウィルソンの音楽
スミソニアンジャズ ライブのお知らせ

ジェラルド ウィルソン について

ジェラルド・ウィルソンはアメリカのジャズ作曲家・バンドリ-ダ-の中で現在最も年長者であり敬意を表されている人であろう。
95歳の誕生日を半年後にひかえた今でもなお、『将来』の演奏へむけて新たな曲を書き進めている。1939年ジミー・ランスフォードバンドで活動を開始してからジェラルドはジャズの歴史とレガシーと共に歩み今その頂点に鎮座する者となる。
ジャズオーケストラの作曲はジミー・ランスフォード時代に始まり、特に“Yard-dog Mazurka.”の制作に大きく関わる。
長年に渡りベニ-・カ-タ-、デューク・エリントン、カウント・ベイシー、ディジー・ガレスピー、ライオネル・ハンプトンのバンドに貢献。
そしてサラ・ヴォ-ン、レイ・チヤールズ、ジュリー・ロンドン、エラ・フィッツジェラルド、ビリー・ホリデイ、ダイナ・ワシントン、ナンシー・ウィルソン他多くのジャズシンガーが彼の編曲を求めその才能を高く評価している。

1960年代以来、彼のロサンジェスを処点としたオーケストラは数々のアルバムをパシフィックジャズレコードより出版し国際的な好評を博す。
そして世界中のジャズファンは彼のビッグバンドジャズの作曲におけるユニークな個性ある音作りを知ることとなる。
また、ウィルソン氏が指摘したように、8音和音(8コの音よりなるハーモニー)を使用しハーモニーの幅を広げるという彼の発想の現代性が注目を集める。
更に、闘牛士ホセ・ラモン・ティラドにより触発されたポピュラーなヒット曲‘ティラド万歳’や彼のジャズに反映されるスペインやメキシコの感性をもって彼の芸術性の新たな側面を見出す。

近年はウィルソン氏にとって引退を吹き飛ばすような数々の良いことに恵まれている。1998年にはモンタレージャズフェスティバル委員会の依頼を受けその年に演奏された‘モンタレーのテーマ’を作曲。
同様な活動が、カーネギィーホールジャズバンド、リンカーンセンタージャズオーケストラ、シカゴジャズアンサンブル、やヨーロッパの多くのラジオ局のジャズオーケストラで継続。モンタレーのテーマは‘モンタレームード’としてマックアベニューレコード レイベルでの最近のレコーディングにて甦った。
2009年9月にはデトロイトジャズフェスティバル委員会より依頼を受け名誉ある30周年記念で彼の8楽章組曲‘デトロイト’を指揮している。

最近のロサンジェルス訪問で、マイク・プライスは、活発に作曲活動を続けその若々しいエネルギーを新曲制作と演奏に向けているジェラルド・ウイルソンを訪れた。しかし残念なことにジェラルド・ウィルソンの日本への演奏旅行は予定されていないのでマイク・プライスは「日本のジャズ・ファンはジェラルド・ウイルソンの生演奏を非常に聴きたがっている」と勧めた。

マイク・プライスは、1970年代と1980年代に、最近では昨年夏ロサンジェルスで、ジェラルド・ウイルソンのバンドで演奏しているので、彼の音楽を熟知している。
ジェラルド・ウイルソンの祝福を受けて、マイク・プライス・ジャズ・オーケストラは、4月26日(金)に新宿「サムデイ」において「ジェラルド・ウイルソン・ジャズ・コンサート」を開催します。


アメリカワシントンDCにあるスミソニアン協会によって催される
広く世に知れた「スミソニアンジャズ感謝・鑑賞月間イベント」において、
「スミソニアンジャズ感謝・鑑賞月間イベント」について
http://www.smithsonianjazz.org/
click on Jazz Appreciation Month (JAM)

UNESCO
国連の教育科学文化機関 ユネスコ本部 が今週を国際ジャズデイとしてスポンサ-になっています。
東京での私たちの演奏もその一つに含まれています! 
どうぞ下記のリンクをご覧ください。(International Jazz Day)
http://www.unesco.org/new/en/unesco/events/prizes-and-celebrations/celebrations/international-days/international-jazz-day-2013/

日時  4月26日(金)
    19:45~、21:15~
場所  サムデイ (新宿)
    Tel 03-3359-6777
    新宿1-34-8 新宿御苑前ビルB1(やよい軒の地下)
    地図 http://someday.net/shinjyuku.html
Music Charge ¥3465
予約の際は mikejazz@gol.com

メンバ- 
大山日出男(as, clar) 土井徳浩 (as, clar)
川村裕司(ts)ジェ―ムス・マホ―ン(ts)
竹村直哉(bs)
佐久間勲(tp)田中哲也(tp)
高橋一光(tp) 今里通夫(tp)
西山健治(tb)内田光昭 (tb) 鹿討 奏(tb)堂本雅樹(btb)
稲垣 貴庸(d)早川哲也 (b) あびる竜太 (p)
マイク・プライス(trumpet & conductor)

Mike Price 舞空




確かにジェラルド ウィルソンは現役では最長老のアレンジャーだと思うが、まだまだ元気に活躍中とは驚いた。にも関わらず、日本ではあまり取り上げられることはないし、人気も今ひとつだ。
自分もウィルソンのアルバムとなるとそれ程持っている訳ではない。来日したことが無いのもひとつの要因だとは思うが、どうも西海岸で活躍しているアレンジャーやミュージシャンは、日本での認知や人気は今ひとつのようだ。だが、実際に聴いてみるとビックリするような人が多い。一昨年に来日したカールサンダースがそうであったように。

丁度、この日はゴルフで群馬に泊まりであったが、これは聴き逃すわけには行かず、トンボ帰りで東京へ戻った次第である。
昨年の「エリントン特集」は寂しいライブであったが、今回はまずますの入り。本来であれば、めったに聴けないライブなので満員になっても不思議ではないのだが。
ネットでの情報流通が活発になっているのでその気になれば情報を得やすくなったものの、なかなか普段から情報を探していないと見つからないものだ。聴き逃して残念な思いをしている人も多いと思う。


ウィルソンのアレンジは正統派だが、新しいものを取り入れ進化してきた。という意味では、根っからの伝統的な4ビートというより、8ビートやラテン(特にメキシコ)のリズムも積極的に取り入れたモダンビッグバンドの先駆者でもある。サウンドはどちらかというと、シャープで堅めの印象を受ける。

40年代から今まで活躍し続けているので、各時代の作品が残されているが、60年代の後半、サドメルを始めてとして東海岸でビッグバンドが元気を取り戻し始めた時、ウィルソンも西海岸で頑張っていた。以前その時のアルバム“Live and Swinging”は紹介したことがある。

今回は、少し後、80年代のアルバムを久々に聴きなおしてみた。記録を見ると、これは12年ぶりのアルバムだそうだ。ということは、‘67年のライブを含めてPacific Jazzに残されているアルバム以降は無かったということになる。その間活動を中止していたかというとそうではない。大学で教鞭をとり、ラジオの番組も持っていたという。単にアレンジャーとしてではなく、オールラウンドでジャズ界には貢献している。モンタレージャズフェスティバルのプロデューサーとしても活躍していた。

久々のレコーディングのメンバーを見渡すと、ハロルドランドなどウェストコーストを拠点とするミュージシャンに、サドメルのメンバーであったジェロームリチャードソンやガーネットブラウンなどの顔も見受けられる。70年代にニューヨークのスタジオミュージシャンの大移動があったが、彼らも西海岸に移っていたのか。

曲はすべてウィルソンのオリジナル。タイトル曲の闘牛士Lomelinに捧げた曲は、お得意のメキシカンタッチ。オスカーブラッシャーのトランペットが光る。フルートやピッコロを攻撃的に使ったアレンジも光るが、ジェロームリチャードソンのお得意のフルートやソプラノのソロも聴ける。この時すでに60歳を過ぎていたジェラルド・ウィルソンの若々しさが衰えないアレンジはさすがだ。その意欲が今の活躍に繫がっているのだろう。
60歳を過ぎてからの人生、自分も見習いたいものだ。

1. Lomelin
2. Ay-ee-en
3. See You Later
4. You Know
5. Triple Chase
6. Blues For Zubin

Gerald Wilson (Composer,Arranger,Conductor),
Bobby Bryant (tp,flh)
Rick Boptist (tp,flh)
Eugene “Snooky” Young (tp,flh)
Oscar Brashear (tp,flh)
Jimmy Cleveland (tb)
Garnet Brown (tb)
Thurman Green (tb)
Mourice Spears (btb)
Jerome Richardson (as,ss,ts,fl,piccolo)
Buddy Collette (as,fl piccolo)
Henri De Vego (as,fl,piccolo)
Jack Nimitz (bs)
Roger Hogen (as,fl Piccolo)
Harold Land (ts,fl)
Ernie Watts (ts,fl)
Mike Wofford (Mason Homlin BB ,p)
Harold Land Jr. (ep)
John B.Williams (b)
Paul Humphrey (ds,per)
Bob Conti (g)
John “Shuggle” Otis (g)
Jo Villasenor Wilson (Copyist)

Recording Engineer : Ami Hadani
Recorded at T.T.G. Studio 1,Los Angels March 13&14 1981


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もし、ジャズの人気投票のポールウィナースに「指揮」部門があったら・・・

2013-05-05 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Swiss Radio Days Jazz Series, Vol. 4: Basle, 1969 Thad Jones & Mel Lewis Orchestra

クラシックの世界では、指揮者というのはかなり重要な要素だ。同じオーケストラでも指揮ひとつで音が違ってくるという。
ジャズの世界のビッグバンドでも指揮者の役割は重要だ。指揮を専門に行うリーダーもいれば、プレーをしながらの指揮者もいる。

先日、辰巳哲也のビッグバンドがマリアシュナイダーの曲を演奏したライブがあった。昨年初来日したマリアシュナイダーのオーケストラは彼女のしなやかな指揮振りが目立ったが、彼女の曲は指揮者がいないとなかなか上手く演奏はできないだろう。
当日辰巳氏も「マリアの曲をやるときは、指揮が忙しくてなかなか自分のプレーを一緒にやるのは難しい」と語っていた。先週は秋吉敏子のビッグバンドのライブがあったが、彼女の難しいアレンジを引き立たせる指揮振りも見事だ。彼女の場合はそれにピアノのプレーも加わる。

そのようにジャズオーケストラのリーダーの指揮振りを思い返すと、クラシックの世界にひけをとらない位色々と指揮者によって個性があるものだ。その中で一番印象に残っている指揮者となると・・・・

双頭バンドのサドメルオーケストラの指揮者といえば、言わずと知れたリーダーのサドジョーンズ。指揮だけでなく、合いの手を入れながらメンバーを鼓舞させていく指揮ぶりは余人を持って代えがたい。
サドメルオーケストラからサドジョーンズが去り、メルルイスがリーダーとなり、そしてメルルイス亡き後VJOへと替わっても、サドメルのレパートリーは脈々と引き継がれている。しかし、あのサドジョーンズの指揮ぶりだけはもう見ることができない。

サドジョーンズの指揮と、もうひとつ初期のメンバーで特徴的だったのはローランドハナのピアノとベースのリチャードデイビスの掛け合い。多くの曲でハナのピアノのイントロから始まることが多かったが、このデイビスのベースの絡み方も実に特徴があった。
そしてそれを傍らから見ながら魔術師のようにオーケストラの始まりに繋げていくサドジョーンズの指揮は流石だ。

この連休中、新宿のSomedayではお馴染みのビッグバンドのライブが連日続いた。今回は3日間しか行けなかったが、その中のひとつがオーナー肝いりのSomeday Big band。
メインストリームの演奏が続いたが、その中にサドメルのレパートリーが3曲あった。
自分が大の「お気に入り」のGroove Merchantも演奏され大満足であったが、やはりこの曲を聴くとサドジョーンズの指揮を思い起こす。



このビデオの頃の、ハナやリチャードデイビスのいた時代の演奏は特にご機嫌だ。
この時代の演奏はCDでも何枚か残っておりこれまでも紹介したが、もう一枚あった。
バンド結成から3年目。満を持してオーケストラがヨーロッパに遠征した時のスイスでのライブだ。

曲目は当時のレパートリーが並んでいるが、Groove Merchantも含まれている。他のアルバムではこの曲のライブ演奏を聴けないが、サドジョーンの指揮振りも音を通じて聴くことができるのでこれは貴重だ。
これを聴いても。やはりサドジョーンの指揮はOne & Onlyな良さがある。人気投票に「指揮部門」があったら、間違いなく一票を投じる。

1. Second Race  Thad Jones 10:39
2. Don't Ever Leave Me Thad Jones 4:16
3. The Waltz You Swang for Me Thad Jones 9:11
4. Ah' That's Freedom Thad Jones 10:54
5. Come Sunday Duke Ellington 4:42
6. Don't Get Sassy Thad Jones 11:34
7. Bible Story Roland Hanna 6:30
8. Groove Merchant Jerome Richardson 7:54

Thad Jones (cor, flh)
Richard Gene Williams (tp)
Danny Moore (tp)
Snooky Young (tp)
Al Porcino (tp)
Jerry Dodgion (as,fl)
Jerome Richardson (as,ss)
Joe Henderson (as,fl)
Eddie Daniels (ts)
Pepper Adams (bs)
Jimmy Knepper (tb)
Eddie Bert (tb)
Cliff Heather (btb)
Roland Hanna (p)
Richard Davis (b)
Mel Lewis (ds)

Peter Schmidlin Executive Producer
Philippe Dubath Executive Producer
Peter Bürli Executive Producer, Liner Notes
Jurg Jecklin Engineer

Recorded live concert for broadcast over Swiss Radio
on Sep.11 1969


The Thad Jones - Mel Lewis Orchestra, Basle 1969 / Swiss Radio Days, Jazz Series Vol.4
クリエーター情報なし
TCB - The Montreux Jazz Label™ - Swiss Radio Days
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

過去の名演を再現するには色々手法はあるが、ジョンヘンドリックスが拘ったのは・・・

2012-05-05 | MY FAVORITE ALBUM
Love / Jon Hendricks & Company

せっかくの人生、忙しくてなかなかできなかった事を残された時間で色々やってみたいとは思うのだが、歳をとるにしたがってなかなか新たに事を始めるのは億劫になる。今までやっていたことの中で何か一つを極めるのも自分の生き様を全うするにはいいかもしれないと思うこの頃だ。このブログを再開したお陰でジャズを聴く時間は増えているのだが・・・さてそれだけでは?

女性陣に較べて劣勢な男性ジャズボーカルの中で一人忘れていけないのはジョンヘンドリックスだ。ジョンヘンドリックスはコーラスグループのランバードヘンドリック&ロスのメンバーであったが、このグループはジャズの過去の名演を歌にしてコーラスにすることを売りにしていた。
ボーカライズするには、スキャットはいいがちゃんと歌にするには歌詞をつけなければならない。この作詞をしたのもジョンヘンドリックスだ。ジャズの名演のコピーのやり方にはいくつかアプローチがある。LHRの得意技であるコーラスによるボーカライズもひとつの手法だ。マンハッタントランスファーなど他のコーラスグループにも引き継がれている。

このジョンヘンドリックスの活動は一歌手には収まらず多方面であった、作詞だけでなく良い演奏をボーカライズする想いも人一倍あったようだ。
ヘンドリックスは、LHRの解散後は独自で活動していたが、やはりコーラスでのボーカリーズは彼のライフワークとして拘りがあったのだろう、自らのグループCompanyを再編した。
ボーカライズはコーラスといっても普通のコーラスと違ってそう簡単に誰でもできるわけではないと思う。チームワークも大事だがオリジナルの演奏への想い入れも大事そうだ。
今回のグループは気心の通じ合った家族同士が中心。ジョンのワイフのJudithと娘のMicheleを加えたグループだ。
兄弟によるコーラスグループにはミルスブラザーズ、夫婦のグループだとジャッキー&ロイがあるが、夫婦+娘という組み合わせはあまり聴いたことがない。この3人にLeslie DorseyとBob Gurlandが加わった5人編成だ。このガーランドがトランペットを声で模すVoice trumpetを披露してくれるが、実にこれがいい感じだ。最近の活動の様子がビデオにあるが、彼のボイストランペットはこのようなボーカライズのコーラスグループと一緒だとより映える。



LHRの時とアプローチは同じなので、元となる演奏と対比してみると新たな発見があるかもしれない。きっと彼らの選曲にも理由があると思うので、その拘りが見えてくると興味も増す。きっと歌詞にも意味があるのだろう。

このアルバムに収録されている曲の中に、サドメルのオーケストラの演奏で有名な”Groove merchant”が入っている。サドメルではセントラルパークノースというアルバムに入っていたが、ファンキーなノリの良い曲でお気に入りのひとつだ。
作曲はサドジョーンズではなく、当時のサドメルのオーケストラのサックセクションの重鎮ジェロームリチャードソンだ。サドメルのオーケストラのアレンジではリチャードソンのソプラノがリードするサックスセクションのソリが素晴らしい。

このアルバムでは、そのリチャードソン自身がテーナーでバックに参加している。そしてメンバーをよく見るとジミースミスもオルガンではなくピアノで。自分の作った曲がこのように形で新たなメンバーで、新しい姿に生まれ変わっていくのに参加できるのは作曲家冥利に尽きるだろう。



1. Royal Garden Blues         Williams, Williams 3:07
2. Bright Moments                 Kirk 3:41
3. Willie's Tune                       4:34
4. Good Ol' Lady                Hendricks 3:29
5. Lil' Darlin'                    Hefti 4:25
6. I'll Die Happy                       2:04
7. Love (Berkshire Blues)                   4:40
8. Tell Me the Truth           Dunson, Hendricks 3:37
9. The Swinging Groove Merchant (Groove Merchant) Richardson   5:33
10. Angel Eyes                Brent, Dennis 4:31
11. In a Harlem Airshaft (HarlemAirshaft)          2:57

Jon Hendricks (vol)
Judith Hendricks (vol)
Michele Hendricks (vol)
Leslie Dorsey (vol)
Bob Gurland (vol,voice trumpet)

David Hazeltine (p)
Jon Burr (b)
Marvin "Smitty" Smith (ds)

Harry "Sweets" Edison (tp)
Jerome Richardson (ts)
Jimmy Smith (p)
John Williams (b)
Marvin "Smitty" Smith (ds)

Produced by Jon Hendricks
Buddy Pollock : Engineer
Robert Grogan : Engineer
Richard Greene : Engineer

Recorded at P.D Recorders,Hollywood CA, 1981
      at Russian Hill Recordind,San Francisco, CA, September & November 1981
      at Sundragon Studio, NYC, January & February 1982

Love
Jon Hendricks
Muse Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

このアルバムのミステリー・・・というか詐欺じゃないの?

2012-02-12 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Village Vanguard live session 3 / Thad Jones & Mel Lewis big band

サドメルの良さはライブで一層引き立つというのは、そのライブを実際に聴いた人の大方の感想だ。それも、大きなホールよりも目と鼻の先で聴ける小さなクラブでの演奏で。その意味では、サドメルの発祥の場であるビレッジバンガードはサドメルを聴く場としては最高の舞台である。ファーストレコーディングは、まさにこのビレッジバンガードへの初登場のライブであったが、その後も2枚のアルバムを通じてサド・メルのライブの良さが分かった。メルルイスオーケストラ、そしてVJOになってもその歴史は引き継がれていて、ビレッジバンガードでのライブアルバムは多い。

‘90年代になって”VILLAGE VANGUARD 3”とタイトルされた、このサド・メルのアルバムがリリースされた。録音日をディスコグラフィーで見ると70年11月。70年代に入るとヨーロッパツアーの各地でのライブアルバムが出ているが、丁度その頃のビレッジバンガードでのライブというのは今までリリースされていなかった。期待をして購入したのだが。

まずは、聴いてみてあまり最初のライブアルバムと感じが何も変わらない。ライブだと日によってもプレー内容が変るのに、3年経っても変らないとは・・・そんなオーケストラではなかったのではと、少し違和感を覚えたのを覚えている。そして、聴き返す事も無くこのアルバムはそのままお蔵入りをしていた。

今回棚卸しをしていることもあって、このアルバムを再び手にして色々調べてみた。
ライナーノーツには何の記述も無い。プロデューサーのソニーレスターの一言のみ。あとは曲名とパーソネルだけだ。曲も同じデビュー直後のレパートリーと同じ。70年というと、2枚目のスタジオ録音の”Central Park North”がすでに発売されていたので、当然このアルバムからの曲がライブにあっても不思議ではないのだが。

さらに、メンバーもよくよく見ると67年当時のメンバーだ。ボブブルックマイヤーの名前もある。ブルックマイヤーは68年に退団して西海岸へ移っているので、70年の録音で彼の名前がクレジットされているのが決定的におかしい。トランペットセクションを見ると、普段はサドジョーンズ以外に4人のトランペットがいるがクレジットには3人のみ。これもおかしい。’67年のライブ録音と同じとなると、トランペットセクションにはこの3人に、ビルベイリーと、マービンスタムが加わった5本編成になっている。

という訳で、このアルバムが’70年11月15-17日というのは誤りで、多分メンバーを見ると67年の最初のライブアルバム‘67年4月27-28日と同じではないだろうか。この週は毎週月曜日の定期出演とは別に24日~29日まで連続出演しているので、他の日のセッションの別テイクとも思ったが、さらに不思議なことがある。ジャケットにはSecond Raceの演奏時間が14:45とあるが、実際には10:32しかないいい加減さ。他の曲も前のアルバムと較べて時間の違いはサドジョーンズの喋りの時間の長短だけ。曲の中身も実はLIVE at VillageVanguardとひょっとしたら同じかもしれない。どうりでソロのフレーズも似すぎていると思った。

そもそもこのアルバムは、プロデューサーのソニーレスターが後になって、自分がプロデュースしたアルバムを再発した時に、ビレッジバンガードでのライブを集めた3枚組のアルバムを作った。それをバラしてNo.3をサドメルのアルバムにしたもの。サドメルのライブのNo.3という訳ではない様だ。サドメルファンとしてはタイトルを見れば当然サドメルの3枚目と誤解してしまう。ちゃんとしたディスコグラフィーにも、'70年録音の別アルバムとして紹介されているが、果たして真実の程は・・・?

いずれにしても、最初のLive at Village Vanguardを持っていれば、手にする必要の無いアルバムなので参考まで。棚卸しをしてみて聴いてあまり感動しなかった謎が解けた。
最近は再発物に未発表曲をボーナストラックで入れているのが多く食指が動くが、中身を吟味するのに一苦労する。

1. Don't Git Sassy       8:40
2. Little Pixie         10:35
3. The Second Race      14:45
4. Willow Tree         5:00
5. Ah' That's Freedom     9:23
6. Quietude          5:00
7. Bachafillen         8:50

Thad Jones (flh)
Jerome Richardson (as)
Jerry Dodgion (as)
Eddie Daniels (ts)
Joe Farrell (ts)
Pepper Adams (bs)
Snooky Young (tp)
Jimmy Nottingham (tp)
Richard Williams (tp)
Bob Brookmeyer (vtb)
Garnett Brown (tb)
Tom Mcintosh (tb)
Cliff Heather (btb)
Roland Hanna (p)
Richard Davis (b)
Mel Lewis (ds)

Recorded live at The Viillaeg Vanguard on November.15-17, 1970 (とはなっているが?)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

このアルバムを聴くと・・・サドメルの最初の来日を思い出す。

2012-01-21 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Monday Night / Thad Jones & Mel Lewis Jazz Orchestra




サドメルのアルバムの棚卸し紹介も大方終わっていると思ったら、このアルバムの記事が見当たらない。自分にとっては一番思い入れのアルバムだっただけに最初に書いたような記憶があったのだが。

サドメルの本拠地ビレッジバンガードのライブの3枚目(ソリッドステートからは2枚目)のアルバムだが、このアルバムが録音された年、1968年の夏にサドメルは最初の来日を果たしている。このブログでも何度か書いたように、この最初の来日は公演予定が全く決まっていなかったなか、レギュラーメンバー17人が全員揃って家族共々来日してしまったという状況であった。クインシージョーンズのオーケストラがヨーロッパに渡ってから仕事がキャンセルになってしまい、メンバー全員でヨーロッパを渡り歩いたという事件があったが、そのミニ版のような話だ。ジェロームリチャードソンはその当事者、またかと思ったに違いない。

幸いにも自分もそこに居合わせることができたピットインでのライブ自体の感動はまだ鮮明に覚えているが、年と共に周辺情報は大分忘却の彼方に消え去っていた。先日古いスイングジャーナルが出てきたので、早速記事を探すと1968年9月号にその経緯と記事が載っていた。記事を読みながら当時の記憶が鮮明になってきた。

その日、自分は午後渋谷のヤマハに行っていた。多分13日の土曜だったと思う。店内でジャズの無料のミニライブをやっていたので、それを聴くのが目的であった。当時は浪人生活をおくっていたが、高校の時よりはるかに街へでかける機会が増えていた。ジャズ喫茶にも入り浸っていたが、このヤマハのライブは生の演奏を聴けるのが楽しみでよく仲間とつるんで行ったものだ。その日の出演者は覚えていないが、前田憲男や猪俣猛の演奏を生で初めて聴いたのはそのヤマハのライブだった。

その日もライブに行くと、「サドジョーン&メルルイスオーケストラ」が来日して、今晩新宿ピットインでライブがあるとの張り紙があった。半信半疑でその夜ピットインに行くと、確かに入口に「本日特別公演 サドジョーンズ・メルルイスオーケストラ」の張り紙が。
伊勢丹会館の裏にあった、間口の狭い100人も入れない狭い店内。店の奥に背広姿でメンバーが席につく。夏の熱い夜に、客もギッシリ入ると会場は演奏前から熱気が満ち溢れていた。
そして演奏が始まる。雰囲気はこのアルバムのビレッジバンガードとまったく同じ、いやそれ以上であった。

この時のサドメルの演奏に関してのスイングジャーナルに載っている評論家の油井正一氏の記事を紹介しておこう。

以下、転載始め・・

演奏会評 油井正一
サド・ジョーンズ=メル・ルイスのザ・ジャズ・オーケストラ

別項「来日公演の舞台裏」で報道した通りサド・ジョーンズ-メル。ルイス楽団は拙劣なマネージメントにために、ほんの一握りのファンに大感激を与えただけで世にも哀れな日程を終えた。
 こういう演奏会評を来日の事実すら知らなかった多くの方に読んでいただくのには、釣りのがした魚の大きさを誇示するようで気がひけるが、聴けた人(のべ約2,000人あまり)は皆手放しで絶賛している。それはこのバンドが他のビッグバンドにみられないいくつかの特色をもっているためである。以下箇条書にして説明してみよう。

1. ●白人黒人オール・スターズによる混合編成。
メンバー (省略)
こうしたインテグレーテッド(混成)バンドの来日はこれが始めてのことである。

2. ●サド・ジョーンズの指揮の卓抜さ
何人もサド・ジョーンズの指揮がこれほど卓抜だとは何人も予想しなかった。彼が永く勤続したカウント・ベイシーのそれではなく、デュークエリントンのような派手な動きとメンバーの掌握力を持っている。同じ曲でも日によってちがったソロイストを指名し、その出来によってはもうワン・コーラスを追加させる。各人のソロはかなり長く、ほとんど何れの曲にも無伴奏フリー・リズムの箇所があり、ソロイストの実力がすっかりわかるように仕組まれている。

3. ●メンバーの仲のよさ
ソロがはじまると全員がその方に体を向け、いいフレーズが出ると喜び、変な音が出るとアレッと驚き、ギャグ的引用フレーズには腹を抱える、一寸他のバンドにみられぬことだ。他人がソロをとっている間、楽譜を整理したり、手持ちぶさたな仕草を見せるバンドはぜひこのゆきかたを見習うべきだ。なかでも最も目立つ位置にいるジェローム・リチャードソンは表情だけでも千両役者の貫禄充分である。「本当に気の合った仲の好いバンドだな」と思う。事実すごく仲がいい。サドとメルを残して全員が離日した日、あまりにも手痛い打撃をうけた2人のリーダーは手をとりあって涙を流し「申し訳ないことをしたなあ」と泣いたのである。これを見た渡辺貞夫夫人も貰い泣きし、「うちの主人もああいうリーダーになってほしい」といったそうだ。

4. ●スター・ハイライト
全員がソロをとり、どれもが上出来だったが、特に目立ったメンバー名をあげておこう。

セルドン・パウエル(ts) 
 ラッキートンプソンを思わせる豪快なソロ。やや同じフレーズが出すぎる傾向はあったが、主流派の雄

エディ・ダニエルス(ts)
 白いロリンズ。すばらしい未来を持った若きエリート

ジミー・ネッパー(tb)
 余裕シャクシャクのテクニックと驚くべきユーモア精神

ガーネット・ブラウン
 モダン化したビル・ハリス、作曲も卓抜

ダニー・ムーア(tp)
 主流派モダンの有望な新人。音抜けもよく力強い

ペッパー・アダムス(bs)
 温厚な紳士ながら、豪放なトーンでクライマックスへの盛り上げの名人芸

ローランド・ハナ(p)
 予想以上にうまい人。居酒屋風のタッチとガーナー的ビート感がうまく結合している。

メル・ルイス
 ソロは大したことはないが、ビッグバンドドラマーとしての至芸を展開

「このバンドの面白さはレコードでは絶対にわからない」というのが、聴いた人に共通する意見であった。ブローイングブルース「ドント・ギット・イット・サッシー」(サド・ジョーンズ作)の楽しさは今でも耳朶にこびりついて離れないのである。

以上、転載終わり


自分は一晩だけのライブであり、ジャズそのものをまだ聴き始めたばかりであったが、その時の印象はこの油井正一氏の感想と全く同じであった。個人的には、リチャードデイビスとボブブルックマイヤーもその時印象に残った2人だ。

この日本ツアーで憔悴しきった(精神的にも経済的にも)2人のリーダーとメンバーが、3ヵ月後の10月にホームグラウンドでのライブを録音したのがこのアルバムである。
メンバーは唯一来日ボブブルックマイヤーが抜けて代わりにジミークリーブランドが入っている。ブルックマイヤーがニューヨークを離れたのもこの年。日本へのツアーが何かのきっかけになったのかもしれないが、彼の置き土産の「セントルイスブルース」がこのアルバムには収められている。

全体の構成を含めて、あの東京でのライブを思い起こさせるアルバムだが、録音を意識してか演奏全体は時間を含めてきちんと纏められている。やはり、あの夜のライブを上回るものは無いのかもしれない。

ほぼ同じ時期の演奏



1. Mornin’ Reverend
2. Kid’s Are Pretty People
3. St. Louis Blues
4. The Waltz You “Swang” For Me
5. Say It Softly
6. The Second Race

Arranged by Thad Jones & Bob Brookmeyer (St. Louis Blues)

Thad Jones (fh)
Richard Gene Williams (tp)
Snooky Young (tp)
Daniel Moore (tp)
Jimmy Nottingham (tp)
Garnett Brown (tb)
Jimmy Cleveland (tb)
Jimmy Knepper (tb)
Cliff Heather (btb)
Eddie Daniels (ts,cl,fl)
Seldon Powell (ts,fl,cl)
Jerome Richardson (as,ss,cl,fl)
Jerry Dodgion (as,fl,cl)
Pepper Adams (bs,cl)
Roland Hanna (p)
Richard Davis (b)
Mel Lewis (ds)

Produced by Sonny Lester
Recorded live at The Village Vanguard, New York on October 17, 1968
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連夜の歴史的なライブにメンバーの多くは疲れ果てたのではないかと・・・・

2012-01-14 | MY FAVORITE ALBUM
Profiles / Gary McFarland

1966年といえば日本ではビートルズが初来日した年。その年の2月6日、日曜日の夜、翌7日月曜日にサドメルオーケストラの初ライブを控えた、ボブブルックマイヤーやジェロームリチャードソン、ジェリーダジオン、そしてスヌーキーヤング、ダニームーア、さらにはベースのリチャードデイビスなどなど・・各セクションの主要メンバー達が、続々とマンハッタンのブロードウェイに面したリンカーンセンターのフィルハーモニックホールに集結していた。ここは言わずと知れたニューヨークフィルの本拠地、クラッシク音楽のホームグラウンド。エヴリフィッシャーになってからも音響の悪さで昔からすったもんだしていた所だが、ジャズクラブに較べると桁違いの観客が入れる大ホールだ。

ところが、この日のイベントはクラッシクではなく、アレンジャー、ゲーリーマクファーランドのコンサートだった。当時新人アレンジャー達の中で、オリバーネルソンやラロシフリンなどと並んでクローズアップされていた新進気鋭のマクファーランドの作品のお披露目コンサートだった。よくある過去のアルバムで演奏された曲のライブでのお披露目でもなく、定期的に開かれているジャズコンサートにマクファーランドが出演したわけでもない。その日は一夜限りの彼の新作の発表の場であった。その日のために、ニューヨークのトップレベルのミュージシャンに声が掛かった。というわけで、サドメルオーケストラのメンバーの多くにも声がかかった次第だ。特に、木管系の楽器を多用するので各種の持ち替えが効くミュージシャンとなると、人選にも苦労したと思われる。ジェロームリチャードソンなどは、このコンサートのために9種類の楽器を持ち込んだとか。これだけ肝いりで開かれたコンサートなので、リハーサルにも4日もかけたそうで、忙しいメンバー達を拘束するのはさぞかし大変だったであろう。

8時に、VOAのジャズアワーのアナウンサー、Willis Conoverの司会で幕を開ける。



彼のMCの中でも「プランされたものと自然発生的なものに乞うご期待」との一言が入る。
確かに、全編彼らしいアンサンブルが聴き所だがその間のソロもとって付けた様なソロではない。反対にソロを生かす事を思い描いたオーケストレーションとも言える。
彼の作品には自然の風物を題名にした曲が多い。最初の曲も”Winter Colors”と命名された組曲風の曲だ。作編曲もこの題名を十分に意識して書かれたものだろ。他のアレンジャーとは曲作りの取り組み方も違うのかもしれない。次の“Willie”は前の年の夏交通事故で亡くなってまもない友人のトロンボニストのウィリーデニスに捧げた曲。次の“Sage Hands”はサックスセクションのプレーヤーをクローズアップした曲。ピターガンのイントロに似た感じで始まる”Bygones & Boogie“は彼が子供の頃聞いてお気に入りであったブギウギをイメージしたとか。最後の”Milo's other Samba”はボサノバジャズの世界ではひとつの世界を作ったマクファーランドの世界をアピールしている。とにかく多彩な曲想、そして色々な木管を組み合わせた響き、それに合わせた一流どころのソロと、あっという間に終わってしまうが残りの録音が無いのか気になるところだ。

‘ボサノバブームに乗って一躍有名になったが、彼の原点は幅広く色々な音楽を取り入れ、色々な表現をするということに尽きる。初期のアルバムにはアニタオデイのバックもあったが、その後どちらというと軽いノリのアルバム作りに参加することが多かった。このアルバムのように真正面から取り組んだ作品は聴き応えがある。
このコンサートを企画したのはNorman Schwartz。後に、Sky, Gryphonでマクファーランドとはタッグを組む。また、コルトレーンの全盛期にこのようなライブをアルバムにしてラインナップに加えたBob Thieleの度量には感嘆する。

独自の世界を展開させ将来を嘱望されたマクファーランドだが、このアルバムを録音してから5年後、1971年にニューヨークのバーで毒を飲んで(飲まされて?)亡くなってしまう。詳しい状況は発表されていないようだが、これからという時に何とも残念。もし生きていればというのは、早く逝ってしまったジャズの巨人の残された作品を聴くといつも思うことである。



Gary McFarland Conductor, Marimba, Vibraphone

Bill Berry    Brass
Clark Terry    Brass
Bob Brookmeyer  Brass
Joe Newman    Brass
Bob Northern   Brass
Jimmy Cleveland  Brass
Jay McAllister  Brass
Phil Woods    Reeds
John Frosk    Brass
Bernie Glow    Brass
Richie Kamuca   Reeds
Jerome Richardson Reeds
Zoot Sims     Reeds
Richard Davis   Bass
Gabor Szabo    Gutar
Sammy K. Brown  Gutar
Joe Cocuzzo    Percussion
Tommy Lopez    Percussion

All Songs Composed By Gary Mcfarland
Willis Conover Narrator
Produced by Bob Thiele
Engineer : Rudu Van Gelder
Recorded live at Lincolin Center's Philharmonic Hall on Feb.6, 1966



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サドメルのメンバーの普段の仕事場は・・・・

2012-01-05 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Roll ‘em / Shirley Scott Plays The Big Bands





60年代の中頃元気があったレーベルといえば、マイルスのいたコロンビア、コルトレーンを擁していたインパルスやピーターソン、ゲッツ、ウェス、ジミースミスなどの大物を抱えていたヴァーブなどのメジャーレーベルだった。中でも、インパルスはボブシールのプロデュースした作品は、一味凝った味付けでいい作品が多かった。さらに、綺麗にコーディングされたダブルジャケットは見た目も豪華で今でも綺麗な状態を保っている物が多い。メジャーレーベルのアルバムはお金をかけられるのか、コンボの演奏だけでなく、オーケストラをバックにしたアルバムも多かった。日本ではあまりボーカル物も含めてオーケストラをバックにしたアルバムは人気が無かったが、中にはアレンジを含めていいアルバムも多いのだが。

サドメルが結成されたのは65年の暮れ。実際には66年から本格的に活動開始し、本拠地Village Vanguardの最初のライブは、66年の2月7日のであった。この模様はアルバムで残されているが、このメンバーがほぼ創設時のメンバーであったと思う。メンバーを見渡すと、大部分がニューヨーク在住のベテラン揃い。スタジオワークでも良くクレジットで名前を見かけることが多い面々だ。このスタジオワークのひとつがこのようなビッグバンド編成をバックにしたレコーディングだった。サドメルのオーケストラが初のライブを録音してしばらく経った4月19日、いつものルディーヴァンゲルダースタジオに御大サドジョーンズを含む面々が集った。その日の主役、オルガンのシャーリースコットのアルバムの録音であった。

アルバムのタイトルも”PLAYS THE BIG BANDS”という往年のビッグバンドの名曲にチャレンジしたアルバムだった。内容はビッグバンドをバックにしたもの(アレンジはオリバーネルソン)もあるが、トリオの演奏もあるという、少し捻った構成になっている。オルガンは他の楽器よりは表現力がありそうだが、流石にオルガンだけでビッグバンドの名曲&名演にチャレンジは少し荷が重い。やはり、ビッグバンドの名曲はビッグバンドのサウンドが耳に残ってしまうの。ビッグバンドをバックにしたものの方がオルガンの演奏も生きているように思う。オリバーネルソンのアレンジもそれほど凝る方ではないので、快調にスイングするバックにはうってつけだったと思う。そして、スイングするバックにはグラディーテイト、そしエドショネシーのドラムもピッタリだ。

実は、先日捨てずにダンボール詰めにしてあった古いスイングジャーナルを久しぶりに引っ張り出してみた。丁度このアルバムがリリースされた1966年の頃の物から捨てずに残っているが、パラパラ捲っていると、当時ニューヨークに在住の秋吉敏子のニューヨーク報告の記事が目に留まった。当時ニューヨークでも話題になっていたサドメルのライブにようやく行った、その感想であった。それは、「メンバー良し、アレンジ良し、場所も良しなのに何故かひとつしっくりこない。ひとつは明らかに練習不足。そして最悪なのがドラムのメルルイス。彼のノリの悪いドラムがすべてを台無しにしている、彼ほどオーバーレイテッドなドラマーはいない。」とメルを酷評するものであった。結果は、メルルイスがこのバンドを引き継ぐことになったのだから皮肉なものだ。
このアルバムを聴きながらこの記事を読んで、もしサドジョーンズがドラマーとしてこのアルバムで起用しているグラディーテイトかエドショネシーを自分のオーケストラに選んでいたら、果たしてサドメルはどうなっていたであろうか・・・・・?と、つまらないことが気になった。

1. Roll 'Em              Williams 4:08
2. For Dancers Only          Oliver, Raye, Schoen 3:43
3. Sophisticated Swing         Hudson, Parish 2:49
4. Sometimes I'm Happy         Caesar, Grey, Youmans 3:53
5. Little Brown Jug          Winner 3:57
6. Stompin' at the Savoy        Goodman, Razaf, Sampson, Webb 3:57
7. Ain't Misbehavin'          Brooks, Razaf, Waller 3:30
8. A-Tisket, A-Tasket          Alexander, Fitzgerald 3:55
9. Things Ain't What They Used to Be  Ellington, Ellington, Persons 5:19
10. Tippin' In             Smith, Symes 4:33


Thad Jones, Joe Newman, Jimmy Nottingham, Ernie Royal, Clark Terry (tp)
Quentin Jackson, Melba Liston, Tom McIntosh (tb)
Paul Faulise (btb)
Jerry Dodgion, Phil Woods (as) Bob Ashton, Jerome Richardson (ts) Danny Bank (bars)
Shirley Scott (org)
Attila Zoller (g)
George Duvivier (b)
Grady Tate (d)
Oliver Nelson (arr, cond)

Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, April 19, 1966

Shirley Scott (org)
Richard Davis (b)
Ed Shaughnessy (d)

Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, April 15, 1966
Produced by Bob Thiele
Engineer Rudy Van Gelder



Roll Em
クリエーター情報なし
Grp Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アレンジャーの腕の見せ場はやはり大編成のビッグバンドで

2011-09-17 | PEPPER ADAMS
Jazz New York / Manny Albam & His Jazz Greats



岸義和Bigbandのライブに行った。「ハリージェイムス&レイアンソニー」と銘打ってあるだけに、岸のトランペットをフィーチャーした曲が多くを占めたが、ベイシー、ハーマン、そしてバディーリッチのレパートリーを加え、スイングビッグバンドを堪能した。前回のライブとはメンバーが9人入れ替わって、サックスセクションは全員替わったとのことだが、スダジオワークを多くこなしているベテラン揃い、初見の譜面を難なくこなしていた。
リードアルトとクラリネットでサックスセクションを取り纏めた佐野博美はライブでは初めて聴いたが、ベテランの貫禄ある演奏をたっぷり聴かせてもらった。「聴く人の琴線に響く音楽」を提供することに真摯に取り組んでいる姿勢には感銘した。モダンビッグバンドもいいが、ビッグバンドファンとしては、このようなスイングバンドの良さを味わえるライブは嬉しいものだ。

レイアンソニーが、スイングオーケストラの十八番を次々と紹介するTVSHOWのビデオ


結局ビッグバンドの編成はどのバンドもほとんど同じなので、どのような雰囲気を出すかは曲のアレンジ次第になる。もちろんバンドカラーに合わせたアレンジも多くあるが、アレンジャーの個性を出したサウンドというものが大事だ。他のバンドへのアレンジの提供だとなかなか本領発揮とは行かないこともあるが、アレンジャーがリーダーとなったバンドになると思う存分自分のイメージが出せる。例えば、ビルホルマン、ボブブルックマイヤーなどのオーケストラアルバムは、まさに自分の編曲を自分で思い通りに演奏している。クインシージョーンズが自分のオーケストラを持った時もそうだった。

1958年の4月、ニューヨークのバードランドでハードバップの立役者達がジャムセッションに興じていた頃、同じニューヨークでアレンジャーのマニーアルバムが録音したのがこのアルバム。元々はサックスプレーヤーだったマニーアルバムは1950年にはプレーヤーとしては一線を退き作編曲に注力していた。自己のリーダーアルバムを出したのは1955年が最初だが、この頃は売れっ子のアレンジャーとして多くのアレンジを提供していた。大活躍中のアルバムが地元ニューヨークのスタジオミュージシャンの一流処を集め、曲も、ガーシュインの一曲を除いてすべて自分の曲。JAZZ NEW YORKのタイトルどおり、ニューヨークを題材にしたアルバムだ。当時のニューヨークというとどうしてもハードバップ濃いサウンドを思い浮かべてしまうが、大編成のアンサンブルワークは当時のウェストコーストのサウンドにも通じるものだ。この両方の橋渡しのスマートさがマニーアルバムのアレンジの特徴かもしれない。その前のアルバム、「ジャズ・グレーツオブ・アワー・タイム」でもウェストとイーストのメンバーを両方から集めていた。アルバムは、この後インパルスで映画音楽を題材にしたアルバムを作り、1967年にはソニーレスターと一緒にソリッドステートレーベルを立ち上げる。アレンジャーとしては、晩年まで活躍した一人だ。

1. Thruway         Albam 3:33
2. They All Laughed     Gershwin, Gershwin 3:55
3. In a Mist        Beiderbecke 5:23
4. Fresh Flute       Albam 5:14
5. Dot's Right       Albam 4:37
6. Hebe, The Cups Please! Albam 5:30
7. The Nether Regions   Albam 8:24

on all Selection

Manny Albam Arranger, Conductor
Gene Quill (as)
Al Cohn (ts,bs)
Pepper Adams (bs)
Bernie Glow (tp)
Ernie Royal (tp)
Jim Dahl (tb)
Bob Brookmeyer (vtb)
Tommy Mitchell (btb)
Osie Johnson (ds)

on 1.,7.
Donald Byrd (ts)
Zoot Sims (ts)
Dick Katz (p)
Milt Hinton (b)

Recorded April, 1958 New York

on 3.,5.,6.
Art Farmer (tp)
Frank Socolow Sax (Tenor)
Eddie Costa Piano, Vibraphone
Milt Hinton Bass

Recorded on April 25,1957

on 2.,4.
Jerome Richardson (fl,ts)
Nick Travis (ts)
Dick Katz (p)
Joe Benjamin (b)

Recorded April, 1958
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「2匹目のドジョウ」狙いだが、・・・結果は2番煎じではなくセカンドステージの本格スタートだった

2011-08-09 | MY FAVORITE ALBUM
Gula Matari / Quincy Jones

ビッグバンドのアレンジャーは作品にそれぞれ個性がある。自分のバンドであれば好きなことができるし、他のバンドへのアレンジであればバンドカラーも意識しなければなるまい。メルルイスオーケストラにいくつもの作品を提供したボブブルックマイヤーも個性あるアレンジャーの一人だ。自分の好きなアレンジャーの一人はクインシージョーンズ。曲作りを含めて、シンプルな中にも個性を感じさせるのはやはり才能だろう。晩年は作編曲だけでなく、アルバムのプロデュースから含めてオールインワンのクインシーサウンド作りになっていった。そのターニングポイントは、AMに移籍した最初のアルバム”Walking in Space”だろう。

クインシーの関係するアルバムは以前何枚か紹介したが久しぶりにクインシーを聴いてみた。この”Walking in Space”が大ヒットしたので、2匹目のドジョウを狙ったのがこのアルバム、「グラマタリ」だ。普通であれば、第2弾は二番煎じになりがちだが、このクインシーのアルバムはさらなる前進を感じさせる。アフリカンサウンドを取入れたり、単なる8ビートではない、個性的なリズム感に包まれる。収められている曲も、クインシーのオリジナルもあれば、ガーファンクルのヒット曲の明日に懸ける橋、マイルスの十八番のウォーキン、ナットアダレイのハミンなど多彩だ。
特に、ウォーキンはクインシーのビッグバンドの本格スタートともいえる、「私の考えるジャズ」にも収録されていた。このアルバムのプロデューサーは、このアルバムと同じクリードテイラーだ。サックスのジェロームリチャードソンも14年を経てこのセッションにも参加している。決して2番煎じではなく、セカンドステージの本格スタートの宣言ともいえるのがこのアルバムだろう。メンバーも、当時のニューヨークのスタジオミュージシャンの一流どころを揃えている。リチャードソンを含めサドメルのオーケストラもメンバーも多く参加している。

Concordのアルバムが、あまりお金をかけない「普段着の演奏」の良さを売りにしているのに反して、このAMのアルバムは徹底的にお金をかけてゴージャスな世界を作り出している。その期待に十分応えているクインシーの本領発揮の一枚だ。






1. Bridge Over Troubled Water  Garfunkel, Simon 5:09
2. Gula Matari            Jones 13:02
3. Walkin'               Carpenter 8:02
4. Hummin'              Adderley 8:08


Quincy Jones Arranger, Producer, Trumpet, Vocals

Freddie Hubbard Flugelhorn, Trumpet
Gene Young Flugelhorn, Trumpet
Danny Moore Flugelhorn, Trumpet
Ernie Royal Flugelhorn, Trumpet
Marvin Stamm Flugelhorn, Trumpet
Wayne Andre Trombone
Benny Powell Trombone
Tony Studd Trombone
Al Grey     Trombone
Pepper Adams Flute, BaritoneSax
Danny Bank Bass, Reeds (Multiple), Sax (Baritone)
Jerome Richardson Reeds (Multiple), Sax (Soprano)
Hubert Laws Flute
Eric Gale Guitar
Toots Thielemans Guitar
Herbie Hancock Keyboards
Bobby Scott Keyboards
Bob James Keyboards
Milt Jackson Vibraphone
Ray Brown Bass
Ron Carter Bass
Richard Davis Bass
Major Holley Bass, Vocals
Grady Tate Drums
Don Elliott Percussion
Jimmy Johnson, Jr. Percussion
Warren Smith Percussion

Maretha Stewart Choir, Chorus, Vocals
Hilda Harris Choir, Chorus, Vocals
Marilyn Jackson Choir, Chorus, Vocals
Barbara Massey Choir, Chorus, Vocals
Valerie Simpson Vocals

Kermit Moore Cello
Lucien Schmit Cello
Alan Shulman Cello
Seymour Barab Cello

Creed Taylor Producer
Rudy Van Gelder  Engineer

Recorded on March 25,26, May 12,1970

Gula Matari
Quincy Jones
A&M
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

素材に映画音楽を取り上げることは多いが・・・・

2008-03-11 | MY FAVORITE ALBUM
Going To The Movies / Jerome Richardson

白紙に映画のモノクロ新聞広告をベタベタは貼り付けたようなこのジャケットのデザインは否が応でも印象に残る。
今回の主役はジェロームリチャードソン。
普段はあまり主役にはならない人物だが、今回ばかりは自らの写真入りのポスターで有名スターに混じって表紙に登場している。
先日のアルバムで帽子を目深に被って表情が見えなかったのとは大違いだ。
このアルバムはちょうどクインシーのオーケストラが解散した頃の録音だ。前年の11月古巣のマーキュリーを離れてインパルスで”The Quintessence”を盟友フィルウッズと一緒に吹き込んだのがジャズオーケストラとしてのクインシーの最後だろう。
そのクインシーのオーケストラで一緒に苦労したギター&フルートのレススパンと一緒に作ったのがこのアルバムだ。ライナーノーツを見ると、この頃このグループでNew York近辺で演奏をしていたらしい。どうやらレコーディングだけのセッションではなかったようだ。

あまり自分のリーダーアルバムを作らなかったリチャードソンがどのような経緯でこのアルバムを作るようになったのかは分からないが、映画の主題曲を集めてよくあるようなイージーリスニング風の仕立てではなく、ハードバップ調の立派なジャズアルバムだ。
録音もスタジオライブのような感じで、いつものビッグバンドとは違ってリラックスした雰囲気が伝わってくる。
サックスは何でもOKのリチャードソンだが、ここではテナーとバリトンを使っている。それに得意のフルートとピッコロ。ギターのレススパンもフルートを吹くので、普通のギター入りのカルテットをバックにしたワンホーンの演奏とは少し様子が違う。

一曲目は、お馴染みのデュークジョーダンの「危険な関係のブルース」。
元々ジャズメッセンジャーズのジャズの演奏で有名なので、この曲をジャズでやっても何の違和感はない。バリトンとフルートの組み合わせはあまり聴いたことが無いが、ポリリズムに乗って低音の迫力あるバリトンとフルートの絡みというのも新鮮だ。
他の曲も全体にアップテンポの演奏であり、久しぶりの主役で多少力が入ったのかリチャードソンのブローぶりが目立つ演奏だ。スパンのギターもクインシーのオーケストラではあまり目立たなかったが、ここではソロにコードワークに大活躍。もちろんのフルートでも。ギターとフルートの両方でダウンビートの新人賞をとった実力を発揮している。
それに加えてこのセッションのドラムにはグラディーテイトが加わっている。小気味よいドラミングはテイトらしいが、録音のせいもあるのか多少荒っぽい感じがするのはリチャードソンの張り切り振りに皆が引っ張られていたのかも。
たまの主役なので、思う存分暴れたかったのであろう。周りも一緒に盛り上がったいい演奏だ。

1. No Problem           Jordan 8:45
2. Moon River           Mancini, Mercer 4:34
3. Never on Sunday       Hadjadakis 4:32
4. Tonight             Berstein, Sondheim 3:46
5. Delilah             Nicholas 7:34

Jerome Richardson (fl,bs,ts)
Les Spann (g,fl)
Henry Grimes (b)
Richard Wyands (p)
Grady Tate (ds)

Produced by Alan Douglas

Recorded in New York , April 1962

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピアニストの歌といえばこの人を忘れては・・・・

2008-03-02 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
With Respect To Nat / Oscar PetersonTrio And Orchestra

本職はピアニストであっても、興に乗ってくると歌を歌うピアニストは多い。
最近紹介したアルバムでも、デイブフリッシュバーグジミーロウルズもピアノに合わせて時々得意の喉を披露している。
もっとも、歌の方がメインになったピアニストも。古くはナットキングコール、最近ではハリーコニックJr,もその一人であろう。どちらも、ピアノの腕前もピカ一であるが。
歌の上手いピアニストとしは、先日亡くなったオスカーピーターソンも忘れる訳にはいかない。昔はそこそこ歌っていたらしいが、キングコールに似ているので歌を封印したとか。スティットのアルトのようなものかも。キングコールがいなければ、ピーターソンの歌ももっと聴けたかもしれない。

そのピーターソンがキングコールが亡くなった(1965年2月)からという訳でもないと思うが、同じ年の秋にキングコールに捧げたアルバムを制作した。豪華な作りで有名であったライムライトレーベルから。
トリオ、それもハーブエリスを入れた昔のメンバーで7曲、そしてオーケストラをバックに5曲と凝った編成をしている。

昔のメンバーだったエリスはこの頃はロスでスタジオワークをしていた。もちろんピーターソンとは喧嘩別れをした訳ではないので、トリオが近くに演奏に来た時にはいつも飛び入りで加わっていたそうだ。この録音でピーターソンもロスを訪れた訳であるが、駆け付けたエリスとは「あうんの呼吸」でほんの数時間で録り終えたようだ。
2人のコンビは健在でこんな形では再会を続けていた訳だ。このような関係を保っていたことが、数年後の「ハローハービー」の好演につながっていたのであろう。

一方のオーケストラ録音はニューヨークでの録音。アレンジをしたのはマニーアルバム。相変わらずいいアレンジだ。歌伴とかソロイストのバックに回った時のスインギーなアレンジはお手の物だ。
メンバーを見るとニューヨーク在住の一流どころが集まっている。メンバーの多くはサド・メルの創世期のメンバーと重複が多い。時期的にもぴったり一致している。

歌と演奏はコメントするまでもなく素晴らしい。キングコール亡き後はどんなに似ていようと揶揄されることはない。反対にキングコールに対して彼の功績を称えた最高の弔いのアルバムになっている。
最後の一曲はボーカル無しのピアノのトリオの演奏のみ。これも、キングコールが歌だけではなくピアニストとしても素晴らしかったことに対して一曲手向けたかったのかもしれない。エリスのギターも、コールのトリオのギタリスト、オスカームーアに負けないイメージを出している。
単に余興ではない、本格的なボーカルアルバムだ。

1. When My Sugar Walks Down The Street
2. It's Only A Paper Moon (*)
3. Walkin' My Baby Back Home
4. Lorraine (*)
5. Unforgettable
6. Little Girl (*)
7. Gee Baby, Ain't I Good To You? (*)
8. Orange Colored Sky
9. Straighten Up And Fly Right (*)
10. Calypso Blues
11. What Can I Say After I Say I'm Sorry (*)
12. Easy Listening Blues (*)

<Personnel>

Produced by Jack Tracy
Orchestrated by Manny Albam

John Frosk, Joe Newman (tp) Ernie Royal, Daniel Stiles (tp, flh)
Wayne Andre, Jimmy Cleveland, J.J. Johnson (tb)
Tony Studd (btb)
Seldon Powell, Jerome Richardson (tfl, bfl)
Jerry Dodgion, Phil Woods (as)
Marvin Holladay (bars)
Hank Jones (p)
Oscar Peterson (p, vo)
Barry Galbraith (g)
Richard Davis (b)
Mel Lewis (d)

Recorded at A&R Studios, NYC, on November 13, 1965

(*)
Oscar Peterson (p,vol)
Herb Ellis (g)
Ray Brown (b)

Recorded at Hollywood, Los Angeles, CA on October 28, 1965
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

決して表舞台を歩かなかったリチャードソンが久々に・・・・

2008-02-27 | MY FAVORITE ALBUM
Jazz Station Runaway / Jerome Richardson

ニューヨークの地下鉄の入り口にアルト手にした姿は、年老いたストリートミュージシャンのような雰囲気だ。陰の実力者でありながら、表舞台ではあまり活躍しなかったリチャードソンを象徴しているようだ。

1960年、予定していたミュージカルの仕事が無くなり、ストリートミュージシャンの如く演奏できる場所を求めてヨーロッパの放浪の旅に出たのはクインシージョーンズオーケストラ。
そのサックスセクションに陣取っていた2人の名手。一人はフィルウッズ、
そして、もう一人がジェロームリチャードソン。ジャズの世界で2人の歩んだ足取りは近いようでもあり、遠いようでもある。

クインシーのオーケストラでウッズの席はアルト、リチャードソンはテナーだった。
ウッズはパーカー派としてデビューから今に至るまで一貫してアルトが中心だ。
一方のリチャードソンはあらゆるサックスをこなす。事実、リチャードソンが在籍したサドメルのオーケストラでは貫禄のリードアルトを努めていたし、サドメルサウンドの特徴を、ソプラノサックスやフルートで引っ張っていたのもこのリチャードソンだ。
2人は、スタジオミュージシャンとしても活躍をしていたので2人が加わったアルバムは数知れないほどに多い。クインシーのオーケストラだけでなく、色々なセッションで2人が一緒に参加することも多かった。そのスタジオワークはジャズだけではなくPOPSやR&Bの世界まで幅広い。思わぬとこころで2人の名前に遭遇することがある。

ウッズはスタジオセッションに参加するだけでなく自己のグループも持っていた。ジーンクイルとの双頭コンビヨーロピアンリズムマシーンなど有名なグループを率いてきて、リーダーアルバムの数も昔から今に至るまで非常に多い。また、コンボだけでなくオーケストラをバックにしたアルバムも多く、自ら作編曲も手がけ、ジャズの歴史のあらゆるシーンに登場する実力者だ。
自分としてもこのウッズは好きなプレーヤーの一人だ。

ところが、一方のリチャードソンは、自己のリーダーアルバムとなると非常に数が少ない。自分の知る限り6枚しかない。
このアルバムは、その少ないリーダーアルバムの中の一枚。
1996年の録音で、リチャードソンはすでに76歳になっていた。その後のリーダーアルバムは知らないので、多分自分の名を冠したアルバムとしてはラストアルバムであろう。

このアルバムでは、リチャードソン自らの曲を多くとりあげている。リチャードソンの唯一といってもいいヒット曲「グループマーチャント」も入っている。彼のテーマソングのようなものだ。
アルトと得意なソプラノ、そして時にはフルートをフィーチャーした曲が気軽な感じで続く。その中で演奏ぶりにも重みを感じるのは、エリントンの2つの曲。身構え方が違うのかもしれない。いいプレーだ。
ファンでもなければ買い求めることもないような地味なアルバムであるが、いつもながらのリチャードソンの陽気な雰囲気で和気藹々と繰り広げられるセッションの様子が伝わってくる。どこかリッチーコールの軽いノリの演奏にも通じるプレーだ。いつもと同じ淀み無く綺麗なトーンは、とても80歳に近い超ベテランが吹くサックスとは思えない。

1. Jazz Station Runaway             Richardson 3:32
2. Lady Rowena                 Richardson 5:21
3. Midnite Strut                Richardson 6:01
4. Warm Valley                 Ellington 7:42
5. Con Man                   Reece 4:26
6. Autumn Lites                 Richardson 5:33
7. Freedom & Salvation             Richardson 5:01
8. Nouveau You Know               Richardson 6:18
9. Gumbo Robo                  Richardson 5:41
10. In a Sentimental Mood            Ellington, Kurtz, Mills 6:58
11. Groove Merchant              Richardson 5:56

Peter Schmidlin Executive Producer

Jerome Richardson (as,ss,fl)
David Hazeltine (p)
Russell Malone (g)
Howard Aiden (g)
George Mraz (b)
Frank Colon (per)
Dennis Mackrel (ds)
Lewis Nash (ds)

Recorded in New York , Jun 1996-Feb 1997

Jazz Station Runaway
Jerome Richardson
TCB

このアイテムの詳細を見る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クインシーの新たな試みは・・・・映画の世界へ

2008-01-20 | MY FAVORITE ALBUM
QUINCY JONES explores the music of HENRY MANCINI

ニューポートジャズフェスティバルに出演した1961年を最後にクインシージョンンズは自分のビッグバンドを実質的に解散した。そして、この年クインシーは所属していたマーキュリーレコードの副社長に就任する。
立場上、ジャズに限らずマーキュリーにとって売れるアルバム作りが求められた。ジャズを離れPOPSの世界のプロデュースで最初に成功したのは、レスリーゴーアの"It's My Party"だった。これを契機に、クインシーのプロデューサーとしての活躍がスタートすることになる。
しかし、ジャズをまったく忘れてしまったのではない。レコーディングのためのオーケストラの演奏は引き続き行って、その後もマーキュリーからクインシージョーンズの名を冠したアルバムが何枚か発売された。

しかし、その内容は当時のヒット曲を選んだものであり、演奏の内容もいわゆる「世間受けする」軽いサウンドになっていった。ジャズの世界は一方で、マイルスやコストレーン、エバンスなどが、次なるジャズの世界へチャレンジを始めた時期でもある。硬派のジャズファンからは、「クインシーはジャズを捨ててコマーシャリズムの世界へ転進してしまった」と言われたものだ。

この間で一番有名なアルバムといえば、おそらく”BIG BAND BOSSA NOVA” であろう。
近年になっても、日本でテレビのコマーシャルにも使われているが、そのサウンドは40年以上経った今でも色褪せていない。今聴き直してみても、それまでのビッグバンドの音作りにこだわらないアレンジと演奏は、その後のクインシー、というよりも音楽の世界そのものの多様化への布石であったともいえる。

その“Big BAND BOSSA NOVA”から1年半後、1964年に録音されたのがこのアルバムだ。
タイトルどおり、全編映画音楽の世界の第一人者ヘンリーマンシーニの曲を選び、ここではクインシーは編曲と指揮に専念することに。
このヘンシーニ、あまり映画のことは詳しくない自分でも良く知っている映画音楽の巨匠だ。
あの「グレンミラー物語」でアカデミー賞のミュージカル映画音楽賞をとって一躍有名になったのは1954年のことだった。
実はこのマンシーニ、編曲を始めた頃は、メルトーメのコーラスグループ「メルトーンズ」のアレンジをしたこともあったとか。そして、奥さんは、このメルトーンズのメンバーのGiny O’Conner。ジャズの世界とも近い場所で活動していたようだ。ジャズプレーヤーが、彼の曲を良く取り上げるのも、きっと何か相性が良いものがあるのだろう。

この録音に集まったメンバーは、以前のオーケストラのメンバーも何人かはいるが、基本はこのアルバムのために集まった面々。
通常のビッグバンド編成だけでなく、ホルンを加えたり、メジャーホリー、ローランドカークやツゥーツシールマンなど特徴あるソリストが加わっている。ホリーが得意とするベースとのハミング、カークのサックスのマルチプレー、そしてシールマンの口笛など、彼らの「特技」のソロが実に絶妙に配されている。
あくまでもセクションごとのアンサンブルワーク、それらの掛け合いのリフやコールアンドレスポンスを多用する従来の手法によるビッグバンドの世界とは一味違うアレンジを提供している。

演奏している曲が最近のポピュラーなものだからといって、決して内容がコマーシャリズム害されたという訳ではない。
当時はビッグバンドを取り巻く環境は冬の時代、ベイシーもエリントンもポピュラーな曲を取り上げたアルバムを作っていた。その中で、それぞれのバンドカラーを出していたが、クインシーは一味違った。従来の手法にとらわれず一歩先を見た新たな「クインシーサウンドの世界」に一歩踏み入れた編曲になっていた。
このマンシーニのアルバムに刺激を受けたという訳ではないとは思うが、この年、クインシーは初の映画音楽”Pawnbroker“に取り組むことに。経営者、プロデューサー、作編曲家、それもジャズアルバムから、歌手の伴奏、そして映画音楽までいよいよ全方位の活躍が始まる。

1. Baby Elephant Walk *3
2. Charade *3
3. Dreamsville *1
4. Bird Brain *2
5. Days Of Wines and Roses *1
6. Mr. Lucky *3
7. The Pink Panther *2
8. (I Love You) And Don't You Forget It *1
9. Soldeir In The Rain *2
10. Odd Ball *2
11. Moon River *1
12. Pink Panther *2

<Perssonel>

【session1】

Jimmy Maxwell, Ernie Royal, Clark Terry, Snooky Young (tp)
Billy Byers, Urbie Green, Dick Hixson, Quentin Jackson, Tony Studd (tb)
Ray Alonge, Jim Buffington, Tony Miranda, Bob Northern (frh)
Harvey Phillips (tu)
Roland Kirk, Jerome Richardson, Stan Webb (Reeds)
Margaretha Ross (harp)
Gary Burton (vib)
Bobby Scott (p)
Mundell Lowe (g)
Milt Hinton (b)
Osie Johnson (d)
Martin Groupp (per)

Quincy Jones (arr, cond)

Recorded at A&R Studio NYC, February 5, 1964


【session 2】

Ernie Royal (tp)
Billy Byers (tb)
Gary Burton (vib)
Bobby Scott (p)
Major Holley , Milt Hinton(b)
Osie Johnson (ds)
Toots Thielman (hermonica.g.whistle)

Recorded at A&R Studio NYC, February 5, 1964


【session 3】

John Bello , Jimmy Maxwell , Snooky Young , Ernie Royal (tp)
Quentin Jackson , Urbie Green , Richard , Hixson , Tony Studd , Billy Byers (tb)
George Berg, Romeo Penque, Seldon Powell, Phil Woods (Reeds)
Gary Burton (vib)
Bobby Scott (p)
Vincent Bell (g)
Major Holley , Milt Hinton(b)
Osie Johnson (ds)
Phil Kraus (per)

Recorded at A&R Studio NYC, February 6, 1964

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする